東方短篇集   作:紅山車

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大阪生まれのフリフリみっくちゅじゅーちゅ好き。


こころ短篇

「………………」

 昼下がりに行きつけの喫茶店で彼女を見た時に、顔が少し曇ったのが自分でも分かった。あまり繁盛していない、けれどコーヒーはうまい。サイドメニューも豊富で、マスターの人当たりも良い。瓦版屋で忙しい日常を送る自分にとって、ここは数少ない落ち着いて一息つける場所なのである。尤もマスターは、もっと繁盛して店がお客で一杯になってほしいと嘆いているのだが。

 そんなお気に入りの場所に、けったいな格好をした者が居れば顔も多少は曇ろう。チェック柄のシャツに、所々穴の開いた、かぼちゃのように膨らんだスカート。額には不気味な笑みを浮かべた仮面を携え、当の本人は仏頂面で何処を見ているやら、じぃっと宙を見つめて座っていた。

「何だありゃ」

 今の流行りか何かか、あの格好は。しかしここに来るまでに、そんな出で立ちの者は見掛けなかったし、彼女の酔狂だろう。だからこそ――口には出さず、嫌だ嫌だという表情を浮かべた。せめてこちらの平穏だけは、邪魔しないでほしいものである。

「マスター、注文」

「はい」

 呼ぶとすぐに、マスターがお絞りを持って来た。それを受け取り、手を拭きながらそれとなくマスターに尋ねる。

「なあ、あそこに居るのは……」

「あぁ、彼女?」

 するとマスターは、俺と同じように顔を少し曇らせた。

「いや、ね。今日の朝来て、見ない顔だなあと思ったんだけど。それから注文もせず、ずっとあそこに座っているんだ」

「へえ。マスターの隠し子かなんかじゃないのか」

「からかわないでくれよ」

 改めて彼女を見遣る――この世界には、容姿と年齢が比例するわけではない妖怪などもいるので一概には言えないが――見た目は年端もいかぬ少女である。運ばれてきたお冷の入ったコップには手は付けられていない。物憂げのような、怒っているような、なんとも言えぬ表情で、ただ座っているだけであった。なにをしているわけでもない。ひたすらそこに居ることをしている、と言った様子である。

「まあ、別にいいんだけれどもね。店に被害を与えるようでもなさそうだし」

「ふぅん」

 なにか訳ありなんだろうが、こっちには関係ない。

「まあいいや。いつもの、頂戴」

「はい」

 注文を受けたマスターが奥に消えていく。程なくするとコーヒーの香りが漂ってくるだろう。それを新聞を読みながら待つこの時間が、自分にとっては何物にも代えがたい貴重な時間である。

「…………ん」

 ふと、視線を感じそちらを見る。例の妙ちきりんな少女が、宙からこちらへと視線を移していた。表情は相変わらずなにを考えているかわからない無表情であった――いや、それとは少し違う。何かを考えていながらも言い出せないような、含みを持った視線であった。

 

「………………」

 

「………………」

 

 相も変わらずこちらに視線を送ってくるので、堪らず新聞に視線を落とした。どこどこでなんちゃらの花が咲いただの、ここそこの神社が人手不足だの、信仰が足りないのであーだこーだと、有用そうでない情報ばかりが載っている。興味はないが、興味ありげにへー、だのほー、だの言いながら新聞を読む振りをする。これで諦めてくれればいいのだが――。

 

「訊きたいことがあるのだけれど」

 

 そうは、問屋が卸さないらしい。視線を外すどころか、席を立って自分のすぐ真ん前まで、少女は近づいてきていた。

「……何か」

 ここまで来られて声まで掛けられては無視するわけにもいくまい。不承不承、新聞を畳んで少女を見た。

「貴方は先程、この店の主に『いつもの』と頼んでいたけれど」

「ああ、頼んだよ。それがどうか?」

「『いつもの』という名の商品があるの?」

「………………」

 これは相当な世間知らずらしい。真顔で聞いてくる分、本気でそれを聞いているのだろう。まさかそれだけのために声を掛けたのだろうか。

「いつもの、って言ったのは、単に俺がここの常連だからってだけだよ」

「……常連ならば、『いつもの』が頼めるの?」

「そういうわけじゃないんだけどもだな……」

 あぁ、頭が痛くなる。暖簾に釘を差して、糠に腕押ししているような無為がここにあった。

「それなら、私も頼めるの?」

「……あー、うん頼める頼める。いっくらでも頼める」

 もう面倒臭くなって、投げやりに答える。なんだって折角休みに来たのに、不毛な会話で体力をすり減らさなければいけないのか、なんてことを思っていると。

「おい」

「?」

「首を傾げるな。なんで俺の向かいの席に座ってんだ、自分の席に戻れ」

 さも当たり前のようにそこに座ったので、思わず指摘する。すると彼女は何の気なしに言ってみせた。

「貴方と一緒にいれば、『いつもの』が頼めるのでしょう」

「……一応聞いておく。なんでそう思った?」

 額を掻いて尋ねる。

「貴方は、常連じゃなくとも『いつもの』が頼めると言った。けれど、貴方は常連で、私は初めて。となると私だけでは断られる恐れがある。なので貴方といれば『いつもの』を頼めると思った。だからここに座った」

「………………」

 こいつは、世間知らずを越えて頭の螺子が抜けている。というかなんでそこまでして『いつもの』を頼みたいんだろうか。

「お前は――」

「はい、お待ちどう」

 それを聞こうと口を開いた瞬間、件の『いつもの』が届いたので口を噤んでしまう。運んできたマスターは、同席している少女を見て一瞬驚いたが、すぐに笑って「ごゆっくり」とだけ言ってカウンターに戻ってしまった。

「……それが、『いつもの』?」

 相変わらずの無表情ではあったが、心なしか、少女の瞳が輝いているように見えた。その目が捉えているのは――運ばれてきたコーヒー。それと、フルーツや生クリームがふんだんにあしらわれ、頂上には大きなプリンが鎮座している、顔まで届きそうに巨大なパフェであった。

「……悪かったな、男がこんなもん食って」

 大の大人がこんなものを食べるのは恥ずかしい。しかし甘い物は好きだし、堪えられない。その答えがこの喫茶店であり、この店があまり繁盛してほしくない最たる理由でもあった。

「? 何も悪くない。むしろ、『いつもの』はとてもいいと思う」

「あぁそうかい」

 慰めているのか、それとも本音なのか。恐らく後者であろう。しかしその純真な言葉が、俺の気恥ずかしさに拍車をかけていた。

「……食うか」

 そう言い少女を見遣る。暫し目をパチクリさせたあと、無言でこちらを見返してきた。

「いいんだよ、今日は甘いもん食うって気分じゃないんだ」

「……本当に?」

「あー本当本当。だからさっさと食っちまえ」

 勿論嘘である。そうでなければここには来ない。ここのパフェは絶品なのだ。けれど、これ以上不毛な会話を繰り広げるよりは、この少女の口に物を詰め込んで黙らせたほうが幾分楽だろうという判断である。

「じゃあ、食べる」

 少女はそう言うと匙を取り、天辺のプリンを掬った。それを見て、ああようやく解放されるとひと安心しつつも、甘いものの誘惑に後ろ髪を引かれ小さく溜息を吐いた。コーヒーを啜り、また新聞を開いて。

「……ん?」

 なんだか妙にカチャカチャとうるさいので、再び少女に視線を移した。

「! ! ……!」

 少女は、貪り、食っていた。一心不乱に匙という武器で、パフェという戦場を荒らしまわっていた。無表情で。しかし、どことなく幸せそうに。不気味な仮面は、いつの間にか満面の笑みを浮かべているものに変わっていた。

「………………」

 机を指でトントンと叩く。それに少女が気付き、顔を上げた。頬に生クリームが付いているので、手拭きで拭ってやりながら、

「うまいか?」

と問う。

「おいしい、すごく」

 即答した。

「そうか、そりゃあ良かった」

 そう言うと少女はこくりと頷いて、またパフェを殲滅にかかった。

 ここが繁盛するのは、あまり自分にとっては喜ばしいことではないのだが。

「……ゆっくり食え、パフェは逃げねえから」

 たまにはこういう事があってもいいかもしれない、と――不本意ながらほんのちょっとだけ、思うのであった。

 

 

 

「ごちそう、さま」

 ご丁寧に(こちらはやる、とは言っていないのだが)コーヒーまで飲み干してから、彼女はけふと息を吐いた。

「満足したか」

「したー」

 またも仮面が変わっていた。なんというのか、福の神みたいな下膨れに。どこまでバリエーションがあるのか気になってきた、が。

「そうか、ならさっさと帰りな」

「? それはなぜ?」

「なぜってお前、食い物屋はメシ食って帰るところだからだ」

 どちらかと言うと喫茶店はそんな場所じゃないが、これ以上寛ぎの時間を奪われるのも嫌なので。

「そうなの?」

「そうなの」

 テキトウに言いくるめてしまおうと舌を回す。

「わかった」

 鉄仮面を崩さず、少女はそう言って――ゆっくりと、席を立った。

「……おう、気をつけて帰れよ」

「ん」

 そしてそのまま、名も知らぬ少女はすたすたと足を出口の方へ動かして。

 

「………………おい」

 

「?」

 

 そのまま、俺の隣に、ちょこんと座るのであった。

 

「今俺は何つった?」

「『おい』って」

「違うその前」

「『満足したか』って」

「行き過ぎ、もうちょい後」

「『そうなの』?」

「てめぇわざとやってんだろナァ!?」

 ここまで来ると糠と暖簾に体ごと吸い込まれていく感覚さえある。

「だって、貴方は言った」

「あー、言ったよ! さっさと帰れって――」

 

 

「『食い物屋はメシ食って帰るところだから』って」

 

 

「貴方はまだ、何も食べてない」

 

 

「私が食べてしまったから」

 

 

「だから、私は帰れないの」

 

 

 じぃ、っと、水晶のような眼がこちらを見る。

「いやそれは」

「すみません」

 言葉を待たず、少女は声を上げる。

「はい?」

 程なくこちらにやってきたマスターに、少女は言った。

「『いつもの』、ください」

「………………」

 マスターは少々驚いたようであったが、直ぐに「あぁ、ちょっと待っててね」と笑った。

「なるほど、君の隠し子だったんだねぇ」

「……勘弁してくれ……」

 さっきの仕返しとばかりにマスターがこっそり伝えてくるので――俺はもう、頭を垂れるしか出来なかった。

 平穏が崩れた時でも、パフェは相変わらず美味かった。

 

 

 

「……んで、お前はいつまで着いて来るんだよ」

 マスターに笑顔で見送られ(今度会ったら何を訊かれるかと思うと気が重い)、店を出た頃にはもう陽が赤く染まっていた。日が沈み、夜になってはことである。早歩きで家路につく俺の後ろには、何故か少女の姿もあった。

「貴方に訊きたいことが、あるのだけれど」

「まだあんのかよ」

 肩を落とす。しかし適当にあしらっても、どうせさっきみたいに面倒なことになるだろう。

「これが最後だから」

「……手短に頼む」

 一間置いて、少女は口を開いた。

 

 

「希望は、どこにあるの?」

 

 

「は?」

 言っている意味がわからず、少女の方を振り返る。

「今、私には、希望が無い」

 淡々と真顔で話す少女の姿が、夕陽に照らされて影がかっていた。

「あれが無いと、私はもうどうすればいいかわからない」

 けれど、と紡いでから、少し息を吸って。

「貴方は、あの店に『希望』を持っていると、私は判断した」

 だから教えて。

 私の希望が、どこにあるのかを。

 

 面が、泣いていた。

 

 

 

「希望なんて、俺は持ってない」

 少なくとも自分には――少女の話は、まったく理解できなかったし、望む答えなぞ持ち合わせているはずもなかった。

 けれどそれでも、なんとか言葉を見つけ、回答せねばならないと思ったのは――彼女が悲しそうにしているのが、初めて理解できたからである。

「でもな、人間なんてそんなもんだ。希望なんて無くとも、生きていくことは出来る」

「人間」

 少女が、妙なところを鸚鵡返しする。

「人間だけじゃない。妖怪も、妖精も、そこら辺に生えてる草や木だって、希望を持って生活してる奴なんか稀だ」

「それじゃあ」

 ずい、と近づいて来る。少女の影が、一層濃くなった。

「貴方はどうして、何を糧にして、生きているの」

 私には理解が出来ない。

 そう言いたげな少女の頭を、俺はポンと撫でて言った。

「希望を作るためだよ」

「……作る、希望を?」

 少女は、ぽかんとしていた。

「些細でいい。今日が辛くとも、明日が良い日になると信じていれば、頑張れる。それが希望を糧にして生きる、てことだ」

「……それで、明日も辛い日になれば、どうするの」

「そんときゃあ」

 後ろを振り返る。既に喫茶店は見えない場所まで来ているが、身体に染み付いたコーヒーの香りが、あそこにいたことを思い起こさせてくれた。

「あそこで『いつもの』って言うだけだ。そうやって俺は、希望を作ってる」

「………………!」

 少女が目を見開いた。 

「俺は、お前が、どこの誰かは知らん」

 人間なのか、それ以外なのかも。

「だけどな、少なくともお前よりは、あの店の魅力を知っている」

 コーヒーの種類も、サイドメニューの豊富さも、パフェの旨さも。

「だから――」

「またあそこに、行けばいいのね」

 言葉を遮って、少女は言った。

「……ただ、あそこにお前の望む希望があるとは限らんぞ」

「分かっているわ」

 だって、希望は。

「希望は、自分で作らなければならないものなのだし」

 それに。

 

「あそこの『いつもの』の美味しさは、私も貴方と同じくらい知っているもの」

 

 彼女はそう言って、両の頬を指で釣り上げ微笑んだ。

 

 面はもう、泣いてはいなかった。

 

 

 

 

 

「マスター、いつもの」

 いつもの喫茶店で、いつものようにマスターにそう言って、いつも座っている席に腰掛ける。

「はい。……それと、これ」

 いつも通りにお冷とおしぼりを持ってくるマスターが、今日はそれに加えていつもとは違うものを持ってきた。

「……新聞?」

 今日付のそれには、でかでかと『急報・異変発生』と言う見出しが踊っていた。

「これがどうしたってんだ」

 異変なんて、ここ最近では珍しくない。むしろ自分のような一平民では与り知らない所で話が始まり、いつの間にか終わっている、ということも多いので、こうやって記事になるのは違和感がある。新聞の名は、『文々。新聞』と言った。

「……?」

 新聞を開く。一面の表題、その隣にはモノクロの大きな写真が収まっていた。

「………………」

 その中央に、あの――無表情の少女が居たので、俺はもう新聞を閉じておしぼりで顔を拭くことにした。

 ふと、喫茶店の扉が開く。雫が垂れるグラスに、その客の姿が写った。

「はい、いらっしゃい」

「いいよ、マスター。こいつには……んなこと言わなくたって」

「………………」

 相変わらず奇抜な服装。

 相変わらず変わらぬ表情。

 変わったのは、額の面くらいであろうか――しかしそれも、なんと形容していいかわからぬほど、面妖なものになっていた。悪い方に。

「それが、『希望』か?」

「そう」

 私が作ったわけではないけれど、とそう言って、少女はしれっとまた俺の対面に鎮座した。

「俺は、ここで一人で静かにしているのが『希望』なんだけどな」

「そう、頑張って」

 この野郎。

「はい、『いつもの』。お待ちどう。そちら、ご注文は?」

 マスターがパフェとコーヒーを持ってきたついで、少女にオーダーを取る。

 少女はついと顔を上げ、マスターに告げる。

 

「『いつもの』、下さい」

 

 少女がやはりそういうので、俺は呆れながら、仕方なしに教えてやることにした。

「……あのな、いつもの、ってのはそう言うメニューが有るわけじゃなくて。俺がいつもパフェとコーヒーを頼んでるから、マスターにいつものが通じるのであってだな」

「……これは、違うの?」

「あぁ?」

 少女がそう言って、メニューを指差した。そこには、マジックで小さくこう書かれていた。

 

 

『新メニュー・いつものセット(ビッグプリンパフェ・コーヒー付)』

 

 

「……マスター……」

 見るともうマスターは厨房に引っ込んでいて、こちらを見ながら笑っていた。どうやらグルらしい。

「貴方の希望は、この店だと言った」

「……そうだが」

「私の希望は――これと」

 頭の面を指さし、取り外して。

「これ」

 先刻運ばれてきた俺のパフェを指さして、少女は言った。

「……これは俺んだ、今日はやらねえぞ」

 そう言うと少女はふるふると首を振ってから。

 

 

「ここで、貴方と一緒に、貴方と一緒の物を食べるのが、私の『希望』」

 

 

 そう言って彼女はまた、あの時のように不器用に微笑うので。

 俺はもう、パフェを口に詰め込むことしか、出来なかった。

 

「あぁ、くそ」

 

 一つため息を吐いて、毒づく。

 

「今日もうめえなあ、ここのパフェは」

 

 自分のを待ちきれない様子の少女が、それを聞いて真顔になった。

 面は、静かに微笑んでいるものに変わっていた。


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