ニャル様のいうとおり   作:時雨オオカミ

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誘理

「カラコロ」と音を立てながら、誘理はおいぬ様にもらった飴玉を楽しんでいる。たまに聞こえるガリッという音で飴を噛んでいることも分かるが、その丸い頬っぺたを両手で押さえながらリスのように頬を膨らませ、嬉しそうに飴玉を転がすその姿はただの子供である。

 

「子とはまことに愛いものよ」

 

 その姿をニコニコと見守りながらおいぬ様が言っている。

 

「どれ、少し触れるぞ」

 

 意見を聞くことなく誘理の頭にその手が乗せられ、おいぬ様の黒一色の瞳が細められる。それから沈黙。

 しばらく、暇を持て余したリンと八千が畳の上で転がり回って遊んでいる音だけが鳴り響いていた。ごめんな。

 

「犬神の餌にされているのは間違いないのう。そして、この童を犬神が標的と間違えておるのも、相違ない。誘う(ことわり)の元に生まれた、哀れな幼子よ」

 

 誘うことわり……誘理(ゆうり)、か。

 まさか、それを織り込み済みで名付けられたなんてことはあるはずがない。あるはずかないと思うのに、どうしてだろう。それしか、ありえないんじゃないかと結論付けている自分がいる。

 

 まるで、はじめからこうするために誘理が生まれてきたような……なんて。

 

「犬神の研究は呪術コレクターでしたわね」

「そうだのう。残念ながら、()は契約をせぬ限りニンゲンを呪えぬ。祟りのや赤いのが対処するのなら、一番良いのだが」

「ごめんなさいね、居場所を誤魔化す術を持っているみたいですから、もしかしたら異空間に居を構えている可能性すらあるのですわ。手がかりも……最後には自壊するようになっていて少ないですし」

「良い。祟りのにも居場所が分からんのでは仕方あるまい。だが、これは良い機会ぞ。吾は手を出さんが、犬神が望むのならばそやつが滅びゆくさまを見届けてやることもできる」

 

 二人は、もはや誘理が〝そのために生まれてきた〟ものとして扱っている。

 そんなことって、そんなことってあるのか。そんな風に歯を食いしばった。今ここにいる、あの無邪気な子供が犬神の餌にされるために、残酷に殺されるために生まれてきただなんてこと。

 

「レーイチしゃん!」

「あ……な、なんだ?」

 

 こちらにやって来た赤毛の子供はにっこりと笑ってリンと八千を指差す。

 その後ろには、ひどく優しい表情をした紅子さんがいた。

 

「リンしゃんと遊んでいいでしゅか!」

 

 紅子さんと目を合わせると、静かに頷かれる。

 多分、「遊ぶなら、許可を取ってからかな」なんて誘理に教えてやったんだろう。俺に断る理由はない。

 

「あんまり乱暴にしなければ遊んでも大丈夫だ。な? リン」

「きゅっきゅーい!」

 

 本当にいい子だ。本当に。なんでこんな子が、これほどまでに悲惨な運命に弄ばれなくちゃいけないんだ。ただただリンや八千と遊ぶ姿を見ながら、熱いものが込み上げてくる。おかしいな、俺はこんなに涙脆くはないはずなのに。

 

「ねえ、朱色の」

「ああ、全ては犬神の意思次第よ」

「……そう」

 

 真剣な表情で、しかし主語を欠けさせながら短く会話を続ける二人。

 元は犬神だったらしいし、おいぬ様も犬神と誘理を救うことに関しては賛成しているはずだ。だから、まだ手を出さないんだろう。

 

「あの子についた術については」

「饅頭を所望するぞ、藍色の」

「……はいはい、分かりましたわ」

 

 フリーダムすぎないか? あのおいぬ様。

 片目を瞑って饅頭を出すように言うおいぬ様に、呆れた顔で鏡界を開く真宵さん。ついでにお茶も注ぎ直して二人で茶色い饅頭を目の前にして、今度は雑談を始めた。真剣な会議じゃなかったのか。

 

「饅頭の皮の内側がこし餡か粒餡かなぞ、見ただけでは分かるまいよ。ときに真宵、これは粒餡か?」

「あなたが好きなのは粒餡ですもの。用意したのも粒餡よ」

「それは重畳(ちょうじょう)

 

 お茶をすすりながら饅頭を食べ進める二人。

 こちらではリンや八千と遊ぶ誘理に、それを見守る紅子さん。

 もう紅子さんは保護者の顔だ。本当に子供が好きだよなあ。後輩のアリシアのことも可愛がっているみたいだし。

 

「主ー、そろそろ起きるのだ」

 

 すみっこでは銀魏さんが、ついに春国さんを強制的に揺り起こしはじめた。ぐらぐらと胸ぐらを掴まれながら揺らされ、「ううん」と低い唸り声をあげながら春国さんが目を覚ます。

 

「ッハ! 僕気絶してまし……」

 

 そして、饅頭を食べているおいぬ様と目が合った。

 ひらひらとにこやかに手を振るおいぬ様は明らかに面白がっている。

 そしてその姿を見た春国さんは、静かに起き上がった状態から後ろに向かってすっと倒れていく。安らかな顔だ……じゃなくて。

 

「ってまた気絶!?」

「あーほら、春国。これがないと本当にダメだよねー」

 

 金輝さんが桜の散った狐面を彼に被せる。

 それから、ぼうっとその尻尾に狐火を灯すと彼のお尻に火をつける。うわっ。

 

「うううああああっちゃぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 飛び上がった春国さんはものすごい勢いで悲鳴をあげてその場で暴れ回った。なんというか、ご愁傷様です。

 色々情けなさすぎて、もしかして皆の目には俺のヘタレっぷりもあんな風に映るのだろうかと思わず考えてしまった。それはちょっと嫌だなあ。

 

「うっ、うっ、火をつけるのはひどいですよぉ……」

「起こすのに手っ取り早かったからねえ」

 

 のんびり金色の狐が言う。狐なのに鬼かよ。

 

 とにもかくにも、これでこの場にいる全員が起きて揃ったわけだ。

 真宵さんとおいぬ様のほうでも話し合いという名の雑談は終わったようで、多分方針も決まっただろう。

 これから本格的に誘理と犬神をどうするか、その対策を立ててことにあたるわけだ。それに、誘理の宿っている箱を狙っていた女の子についても考えなければならない。

 

 まだまだやることはいっぱいだ。


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