「わたしは警察に電話してくるわ。外の土砂をなんとかしないといけないもの。遺体は……保管するしかないわね。ちょっと誰か、手伝ってくれる?」
「あ、なら俺が手伝うよ」
透さんが名乗りを上げて、華野ちゃんに近づいていく。
透さん、心が強いな。首が三度も捻れたあの遺体を見てなお、ほんの少しだけ顔色が悪くなっているだけだ。
怖いという感情や、遺体を見て気持ち悪いと思うような気持ち、それらを彼の責任感というやつが抑え込んでいるように見える。
正義感というやつだろうか? いや、彼はそうするのを当たり前のようにしている。心の弱い俺が当たり前にできないことを、彼は当たり前にしている。
そんな違いにほんの少しだけ羨ましく思った。
そういうところが、俺と透さんの違いなのだろう。
紅子さんにとって俺が不合格で、透さんが合格した違いなのだろう。
そして、そうやって悔しく思っている情けなさを自覚しながら思考を振り払う。
「アリシアちゃん、資料館に戻ろうか」
「そうですね……すみません。血が、いっぱい……」
「アタシは現場をちょっと見ておくよ。あとで資料館に戻るから、お兄さんはアリシアちゃんについていてほしい」
「分かった。なんかあったら連絡しろよ」
「もちろん。アタシ一人でどうにかしようだなんて思ってないよ。これでも、お兄さんのこと信頼してるんだから」
嘘でも嬉しい言葉だ。
そして、彼女は嘘を言うのも言われるのも嫌いである。
つまり、これは彼女の心からの本心である。
「俺も、紅子さんのことは信頼してるよ。でも心配もしてる。だから早く帰ってきてくれ」
「はいはい、ありがとうね」
短いやり取りを終え、俺はアリシアの背を押して資料館に向かう。
視界の端で透さんがブルーシートを運んできて運転手の青雉さんにかけるのが見えた。
どこへ保管するのかは……後で訊けばいいだろう。
今はとにかく、気丈に振る舞っているものの顔色が最悪なことになっているアリシアが優先だ。
人が死ぬところを見てしまったんだ。大人の俺達が彼女の心を守らないと。
「アリシアちゃんは紅茶派? コーヒー派?」
「紅茶派です。アールグレイでお砂糖は一つでお願いします」
「アールグレイがあればな」
「やっぱり、ロイヤルミルクティーがいいです」
「あったら作るよ。というか、結構元気だろ」
「バレちゃいました? ハチミツも入れてください」
顔色が悪いのに冗談なんてよく言うよ。
かなり精神的にキツイくせに。
「はいはい、華野ちゃんに迷惑にならない程度の注文にしてくれ」
「そうでした。ならココアでも可です」
「ココアなら見かけた気がするな」
「ならそれで」
アリシアを伴って資料館に戻り、キッチンを借りて温かいココアを用意する。
マシュマロがあったので聞いてみれば、入れて欲しいとのリクエストだ。甘い甘いマシュマロ入りココアを飲めば精神的にも落ち着くことだろう。
「ありがとうございます」
「いいや……あー、違うな。どういたしまして。落ち着いたか?」
そうだ、紅子さんにも謝ったり謙遜するより素直に受け取るべきだと言われたことがあるな。
「ええ、落ち着きました。まだちょっとあの光景がチラつきますけれど……ダメですね、あたし。こんなんじゃ強くなれっこないです」
「そんなことはないぞ。俺を見てみろよ。女の子に頼ってばっかりで情けないったらないだろ。こんな俺でも少しずつ前には進めてるんだから、レイシーのために頑張ってるアリシアちゃんも強くなれるよ。誰だって人が死ぬところなんて見たら気分が悪くなるもんだ。俺だってそうだよ。透さんみたいに、すぐさま行動なんてできない。あの人が羨ましいくらいだよ」
本音には本音を。
俺だってまだまだ弱い。
できることなら、紅子さんが無茶をせずにいられるように、俺が強くなりたい。彼女を守れるくらいまで、強くなりたい。今のままじゃ、紅子さんに救われっぱなしなままじゃ、とても彼女を守れるとは言えない。
「なら、お互いに頑張りましょうね。あたしもお姉ちゃんを守るためなら、いくらでも頑張れますから」
「そうだな、お互いに頑張ろう。アリシアちゃんと俺はお互いに守りたい人がいる同士だよ」
「ええ。さて、そうと決まったらどうしましょうか。やる気が出てきました。美味しいマシュマロココア、ありがとうございます。ごちそうさまでした」
「お粗末様です。ささっと洗ったらチャットのほうに居場所を流すけれど……なにか見たいところとか、あるか?」
飲み終わったカップを片付けてアリシアに尋ねる。
二人でいるうちに調べたいことがあるのなら手伝おうと思ってだ。
透さんが来てくれたらアリシアを任せることができるが、紅子さんが現場を調べている今は俺がそばにいないといけない。
この一件で透さんが怪異事件に慣れていることはなんとなく察することができた。彼なら、ある程度の危険があってもなんとか潜り抜けることができるんじゃないか。そんな安心感があるのだ。
「そうですね。資料館ですし、例のおしら様って神様? のことは調べられるんじゃないですか?」
「そうだな。なら資料室か」
「ええ……あ、でも資料室って言ってもふた部屋ありますよね。どうします?」
館内地図を見てみれば、なるほど確かに資料室はふた部屋存在することが分かる。どうやら、比較的新しい文献を置いている場所と、古い文献を置いてある場所で別れているようだ。
「古いってことは古文か? それとも崩し字か? 程度によっては俺も読めないぞ」
「なら、新しいほうから行ってみます?」
「そうしようか」
あんまり解読に時間がかかってもいけないだろう。
チャットのほうへ『第一資料室に行っている』と連絡を入れ、二人で連れ立って移動する。
第一資料室は埃一つなく、華野ちゃんがきっちり掃除してあることが分かる状態だ。
「おしら様について、だな」
「そうですね。それじゃあ、手分けしましょう」
「お互いが見える位置にいるように。いいか?」
「ええ、当然ですね。ご心配ありがとうございます」
お互いが見えないうちになにかあっても困るからな。
怪異ってやつは、ほんの少し目を離した隙に手を出してくるものだからな。
アリシアはこちら側に一歩踏み出してきたとはいえ、まだ一般人。怪異に対処する武器を貰ったばかりの、中学生の女の子だ。
俺は、仮にも保護者としてここにいる。
アリシアちゃんには親御さんもいるし、帰りを待っている人がいる。
彼女は、俺達がきちんと家に送り届けないといけないんだ。
「なにかあったら言えよ?」
「うん……はい。あなたこそ、なにかあったら言うべきですよ」
「はは、そうだな」
一番言って欲しいのは紅子さんだけどな。
「なにかあるかー? アリシアちゃん」
「まだ探し始めたばっかりですし、無茶言わないでくださいよー。あっ」
本棚の上の方に手を伸ばしたアリシアが声をあげる。
「あった!」
「取れるか?」
「届かないです」
「りょーかい」
場所を示された俺が本を手に取り、彼女に渡す。
「なんであたしなんですか。あなたが見てくださいよ」
「あ、ああ、そうだよな。ごめん」
俺は本の表紙を指でなぞり、読み上げる。
「おしら神信仰についての資料……ね」
内容はこうだった。
『普通、おしら神は女と男、女と馬など二体一対の神であるが、この村のおしら神はひと柱だけである』
『養蚕、農業、女子どもの治癒、そして予知などの神様だが、一度祀り上げたらその後ずっと続けなければならない』
『祭りの日に、最奥の神社にある自身の名前を刻んだ板を入れた人形に一枚上から服を着せるのがお祀りのしかたである。祀ることを一度でもやめると酷く祟られる』
『おしら様は祟りの神なので、必ず信仰を続けること』
『また、おしら神は大人を嫌っており、子をさいなみ、虐げれば祟りを受けるだろう』
『この祟りを一世紀以上も昔の文献では〝顔が曲がる〟と呼称していた』
「顔が曲がる、です?」
アリシアが呟いた。
顔が曲がる。運転手の青雉さんの死に様がまさにそれだったようにも思う。
あの人は首が三回転もして殺された。〝曲がる〟と言えば、曲がって死んだと言える。
「おしら様の祟り……な」
「続きがありますよ」
「ああ」
続きを読む。
先程の文献は、どうやら広義の意味でのおしら神の話らしい。
これからの文献は、この村のおしら神の話だ。
『神社に
其の一
村で生まれた赤子は、名前を書いた板切れをへその緒と共に人形の腹に埋め込み、神社へと納めること。
名を預けた人形を作ることによって、神からその姿を隠し、神罰を肩代わりさせる身代わりとするのである。
其の二
おしら神に捧げた
其の三
藤代の名を持つ者は名前を預けてはならない。
神のお姿を見て、神のお声を唯一授かることのできる神主となるべし。
其の四
藤代の当主は、おしら神の声を聞き、第一の予知を伝え、祠を守るべし。
「ん、ここからはもっと新しいな」
「あー、確かにそうですね。付け加えたんでしょうか」
文献のページを捲る。
『神社の神による予知について』
この村では、予知された人物にしか聞こえない囁き声が聞こえてくる。
これをおしら神の第二の予知と呼ぶ。
「心とは
この囁き声に答えれば、この村の未来に起きる災厄がひとつ予知される。
この予知は絶対のものであり、災厄そのものは不可避の出来事である。
しかし、避難勧告を出し、犠牲を抑えることは可能である。
予知を受けた者はこれを周りに伝え、予知の日が来ることを待つべし。
この第二の予知が藤代家に現れた前例はない。
藤代家の当主は第一の予知を伝え、選ばれし者は第二の予知を伝えるべし。
ここまで読んだところでスマホに連絡が入った。
「っと、アリシア。透さんと紅子さんからだ」
「そうみたいですね。終わったようです」
彼女達からの連絡には、警察や消防による土砂の復興には最低でも四日はかかってしまうことと、村内に張り巡らされた注連縄についてだ。
どうやら、この村の外は地盤が弱いらしく、ちょっとずつしか復興作業が進められないらしい。
……なんて御誂え向きのクローズドサークルなんだろうか。
まるで誰かの意思が働いているような……もしかしたら、これもまた、あいつの仕業なのかもしれないな。
黒い三つ編みの男……神内千夜。また、俺達をどこからか見ているのか?
だとしても、俺はもうあんなやつに踊らされたりしない。負けたくない。紅子さん達を、みんなを、これから会うこの村の人だって、なるべく犠牲なんか出したくない。
既に死人が出ている今言っても滑稽かもしれない。
それでも俺は、俺が手を伸ばせる範囲にいる人達を守りたいんだ。
「合流しようか、アリシアちゃん」
「はい。本はどうします?」
「持っててもらってもいいか?」
「分かりました。紅子お姉さんにも文献が見つかったこと言っておきますね」
「頼む」
本を渡して、食堂に向かう。
そこには既に紅子さんと透さんが揃っていた。
「あれ、華野ちゃんは?」
「お清めがあるから帰れって言われちゃってさ。手伝うよって言ったんだけど、頑なで……さすがに食い下がるのもどうかと思って」
透さんが苦笑しながら言う。
あの華野ちゃんのことだ。よほどキツイ言い方をされたんだろうと理解できた。
「ねえ、透お兄さん。遺体の保管はどこに?」
「えっとね、昨日俺が行った祠から真っ直ぐ森の奥に進むと、少し開けた場所になっていて、崖があったんだ」
「崖!?」
まさかそこから落としたとか……いや、保管って言ってるだろ。どんな発想だ。落ち着け、俺。
「崖から向こう側へ吊り橋がかかってて、そこに大きな神社があってさ。その手前に置いてきたんだよね。本当にここでいいのか? って聞いたんだけど、神前のほうが見守ってくれるからって華野ちゃんが」
そこで区切り、透さんは「そういえば」と顎に手を当てながら思い出すように呟く。
「霧の出ているときは、絶対に吊り橋を渡っちゃいけないって言ってたかな」
「霧、ですか」
アリシアが素早く反応する。
「朝は雨のあとで霧っぽくなってましたけど、今は晴れてますもんね」
「そうだな。天気が関係あるのか」
「天気に関係する怪異っていうと、
さすが透さん。すぐさま候補が出てくるあたり完全にオカルトマニアだ。
俺にはさっぱりと分からない名前なのだが。
「〝蜃〟が〝気〟を吐いて〝
「透さんは本当に詳しいな」
「合ってるかは分からないけれどね。ほら、違う可能性のほうがあるし。紅子さんはなにか分かった?」
やはり俺も怪異について勉強しよう。
その決意が更に固まった。
「アタシが分かったのは、村中に注連縄があるってことかな」
紅子さんの話によると、村の家屋には必ず注連縄がかけられていて、高い高い崖となっている村の周りの壁にも高い位置にぐるっと注連縄が巻かれているらしい。それから、紅子さんが村の人に執拗に名前を聞かれたっていうことも。
「華野ちゃんが言ってたのはこのことだな」
「そうみたいですね。あたし達が見つけた文献にも、名前についてが載ってました。でも、この文献だとあたし達の名前を取ろうとする意味は分からないんですよね」
俺とアリシアちゃんで見つけた『神社の神による予知について』だな。
あれには赤子の名前を人形に入れて納めるって記述があった。それは神様からの神罰を人形に肩代わりさせるためだという話だったが、それならば俺達の名前を盗ろうとする理由にはならない。
「ねえ、これ続きがあるんじゃないかな」
「あ、そういえば途中だったな」
紅子さんに指摘されて本を開く。
確か、予知について書かれた本には続きがあったはずだ。
「心とは
その言葉を聞いた者は第二の予知を伝える役目を課される。
そのお役目を果たすための期間もおしら神からのお告げとしてその者に告げられる。
そして、その者は第二の予知を果たす、果たさないに関係なく期日となると、己が「心」だと答えた部位を神に捧げることとなるのだ。
これをおしら神の第二の予知とする。
また、「心とは
己の身が惜しくば、己の最期が美しいものとなるために選ばれた者は速やかに問答に答えるべし。
それ即ち、「心臓」と。
「なっ」
そこに書かれていた内容は、救いなどなかった。
予知を聞いてしまった人間は、自分が心だと思う場所を神様に対して答えなければならない。しかし、答えたら答えたで殺されてしまう。
応えなくても同じく、結末は悲惨なものだ。
「……お兄さん」
紅子さんが俺の服の裾を引っ張った。
「どうした?」
「…………なんでも、ないよ。酷いね」
「あ、ああ、そうだけど……」
ひどく顔色を悪くした彼女に、俺の不安がうず高く積まれていく。
まさか。
「……なあ、紅子さん。相談したいことがあるんだけど、いいかな?」
「いいよ。どうしたの? そんなの昨日でもできたでしょうに」
「できれば二人っきりがいいな。祠の幽霊も気になるし……なあ、二人で散歩しようよ」
「え、二人を置いていくつもりなのかな? それはちょっと」
「紅子お姉さん」
渋る彼女にアリシアが声をかける。
透さんも、なにか気がついたように微笑んでいた。
「『心とは
アリシアが声の色を消して問いかければ、俺の服を掴んでいた紅子さんの手が大きな反応を示した。
顔色は、昨日と同様に青い。
幽霊の彼女は元から白い肌をしているが、もしかしたら昨日よりも体調が悪そうな見た目だ。これを放っておくわけにはいかないだろ。
「紅子お姉さん。隠し事はメッ、ですよ?」
「隠し事、なんて」
唇を噛んで苦々しそうに紅子さんが言う。
らしくない。
ああ、こんなの〝彼女らしくない〟よな。
でも――
「……ああ、そうだね。アタシはこんなにか弱くなんてない。弱音をキミなんかに話してやらない。アタシは生きてなんかいない。怪異だ。これは、お兄さんが見ていた〝 理想の赤座紅子 〟の幻想にすぎないんだよ」
俺の誕生日。
あの日見た普通の大学生として生きていた紅子さん。
あれは、虚像なんかじゃない。
ただの理想なんかでもない。
等身大の、普通の女の子として生きていたはずの紅子さんだった。
たとえ俺の妄想でも、理想でも。
そうだ、紅子さんはまだ20歳なんだぞ。
実年齢でさえ俺よりも歳下なんだ。
そんな子が、そんな人間が、ここまで気丈に振る舞えること自体が。ここまでなんでもないように振る舞うしかないこと自体が。
……おかしいんだ。
20歳なんて俺はまだウジウジしてたろうが。
絶望して、諦めていただろうが。
自分を押し殺して、自分の理想を演じたってなんらおかしくない。
20歳っていうのはそういう年頃だろ。
紅子さんは特に意固地で、負けず嫌いで、奪われるのが嫌いで、嘘が嫌いで……そして。
――きっと、弱い自分自身を一番に嫌っている。
「そうだ」
分かっていたはずじゃないか。
「紅子さんは辛辣で、皮肉屋で、格好良くて、俺を救ってくれた」
そんな彼女を俺は好きになったんだ。
「でも、それがいつもじゃなくてもいいんだよ」
いつも格好いいところばっかり見せてたら、疲れちゃうだろ。
「弱音だって吐いてくれなくちゃ分からない。俺なんかいつも紅子さんに弱音ばっかり言ってるんだぞ。少しは弱音を見せてくれよ。俺ばっかりが君に頼るなんて、フェアじゃない。そうだろ?」
だって、俺はいつも紅子さんのことを見ている。
「もう目を逸らさない」
等身大の彼女を、紅子さんの真実を見るんだ。
呆然と俺の言葉を聞く彼女の両腕を取って、告げる。
「どんな紅子さんも、紅子さんだよ。弱音を吐いたって、泣いたって、怯えたって、いいんだ。お願いだから、一人で全部解決しようとしないでくれ……俺は頼りないかもしれないけれど。それでもさ、一人分の頭より、二人のほうが解決策も思い浮かぶかもしれないだろ?」
俯いた彼女は、喋らない。
「……」
喋らない。
「……」
喋らない。
「……っ」
喋らない。
「……それって、さ……告白、なのかな?」
「……違う。まだ、違う。俺は、紅子さんの隣に立てるほど、強くはないから。まだ、これは違う。これは……俺が紅子さんに貰った分の恩返しだ」
「そう」
彼女は、告白には答えてくれない。応えてはくれない。そんなの分かりきっている。だから、まだこれは、告白なんて高尚なものじゃない。
そう、恩返し。借りた分を返すだけの、フェアな関係。それだけだ。
「はーっ、令一さん。あなたって本当に意気地なしですね! でもあなたの言うことには賛成しますよ。令一さんと紅子お姉さんだけじゃありません。あたし達二人もいるんですから、忘れないでくださいね? 四人分の頭脳があればなんとかなるかもしれないじゃないですか」
「そうそう、みんなで考えればなんとかなるよ」
ここまで来て、少し恥ずかしくなってきた。
普通なら完全に告白だもんな、あれ。
「ふふ」
紅子さんが俯いたまま笑いだす。
それはやがて、大きな大きな笑い声となってその場に響いた。
「あははは! まさかお兄さんに励まされる日が来るなんて! もしかして明日は霧じゃなくて槍でも降るのかな?」
「なっ、勇気を振り絞ったんだぞ! そんな失礼な! 少しくらい照れてくれたって……」
ポタリ。
雫が落ちる。
「あははは……本当に、本当に、お人好しばっかり。そういう優しいところ大っ嫌いだって何度も言ってるのに……どうして、キミはいつもそうなの?」
泣いていた。
「そんなに言われたら、突き放せなくなっちゃうのに。ズルイよね、お兄さんは」
あの、紅子さんが。
「いつかキミはアタシを置いていくのに」
泣いたところなんて、想像もつかなかった彼女が。
「嫌いでいさせてくれないなんて、本当にひどい人だよ。ひどい、ひどい人……」
目に涙を溜めて、頬に雫を伝わせながら、笑っていた。
「でも、そうだね。これで貸し借りなしだよ」
「ああ、それで頼む」
きっと、ここで告白をしていたら彼女は俺の前からいなくなっていただろう。
彼女はそういう人だ。だから、俺はズルをした。
告白紛いのことをしておきながら、まだ側にいられるための方便を用意したんだ。
「しょうがないなあ、これなら話すしかなくなっちゃったね。ねえ、令一さん……キミの想うアタシじゃなくても、キミはアタシを助けてくれるんでしょう?」
「ああ、もちろん」
頷く。
それは決定事項だったからだ。
「……助けて、令一さん」
「うん、助けるよ。絶対に助けてみせる」
俺の言葉に彼女は目を伏せ、その涙を拭った。
「ふふ」と、いつものように。いや、いつもよりも嬉しそうに。
泣いて、笑っていた。
「……それじゃあ、話すね」
泣いていたからか、声が少し震えている。
そんな彼女の手を引いて、抱きとめた。
……抵抗はなかった。
昨夜のように、ただただ猫が甘えるように、紅子さんはその額を俺の胸に埋めているだけで。グリグリと顔を上げずに、まるで泣き顔を見せないように、けれど縋るように、俺を受け入れてくれていた。
ほんの少しだけ髪の隙間から覗いた耳が朱に染まっていて、俺の中に言い知れない気持ちが湧き上がってくる。きっとこれが愛しいってことなんだろうと思いつつも、俺はそれに気がつかないふりをしたまま、ただ彼女の背に手を添えていた。
そう、今は踏み込むべきじゃないから。
「あのね、アタシ……この村に近づいたときから、声が聞こえていたんだよ。さっきの文献に載ってた、あの問答。あのときは気にしてなかった。でも、心を魂って答える形になってからね、あと四日って言われたんだよ」
その言葉に俺は息を詰まらせた。
――「あ、でもこのキャッチコピーだけは真剣そのものじゃないですか? ほら、この〝心の在り処を知れる場所〟って文句です」
――「景色には自信があるようだし、心が洗われるような場所なんだろうねぇ。まあ、アタシの場合は魂が洗われる……っていうのかな」
まさか。
――「あと、四日ね」
――「あれ、そんなに泊まるっけ?」
まさか。まさか。まさか。
――「ああ、うん。怪異調査なんだから、長引けばそのくらいいる必要があるかもね」
――「温泉もあるみたいですし、ちょっとくらいは長居したいです。でも一週間とかになると大変ですから、あたしは三日くらいがベストですね」
行きのバスの、あのやりとりの最中に?
そんなときから、紅子さんは狙われていたというのか?
――「うん、それにアタシ達は黙ってやられるほど弱くもないよ……そうだ、アタシもお兄さんにちょっと相談したいことが……わっ!?」
昨日のやりとりを想起する。
あのとき、もしかして紅子さんは俺にこのことを相談しようとしていた?
それじゃあ、俺は不安に揺れる彼女に気づかず一晩明かしたっていうのか?
なにが守りたいだよ。なにが強くなりたいだよ。
……気づけないんじゃ、意味がないじゃないか!
「分かった。ありがとう、紅子さん。話してくれて」
「多分、あと三日だね。魂って答えちゃってるから、結構まずいんだよねぇ。名前なんて教えてないのに、変だよね。だから、アタシはその文献とは違う例外なのかも」
「ああ。それを含めて、どうするのか会議しよう」
一歩だけ、彼女に近づけた日。
彼女の真実に触れた日。
けれど、それは放っておけばあと三日で終わる関係なのだという。
そんなのは許せない。そんなの俺は認めない。
絶対に諦めない。諦めたくない。
紅子さんを失ってたまるもんか。
ボウ、と心のどこかでなにかが燃え上がる音が響いた。
「きゅう」
リンが応えるように鳴く。
神に対する無謀な挑戦を、後押しするように。
紅子さんが狙われる期日まで――あと三日。