憑依に失敗して五河士道が苦労するお話   作:弩死老徒

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 デートは二人で楽しむもの。

 五河士道はそう言った。

 

 

 間違ってはいないだろう。デートとはお互いの関係を深め合う行為だと認識されている。

 一緒に楽しむことは手始めとしては最適だし、浅過ぎず、深過ぎずの均衡で相手のことを知れる機会になれる。それを切っ掛けにまた次のデートへ赴き、数を重ねていければより深い関係にシフトし、最終的には恋愛関係を越えて夫婦関係に進化することだってざらにある。

 

 重要なのはタイミングだ。退く時には退き、攻めるときには攻める。

 その選択肢は感情に任せるものでも流されるものでもなく、自分本位で決めるものでもない。勘違いが多い例として〝据え膳食わぬは男の恥〟というのがあるが、何も生存本能を解き放って我武者羅になるのではない。あくまで女の方からそういうの(・・・・・)を切り出させるなというだけのことだ。自他の間柄を無視して何も考えず、相手を求め関係を深めようとするのは下種の極みなのである。

 

 

 

 

 

 つまり、五河士道は何が言いたいのかというと―――

 

 

 

 

 

「イツカシド―。身体が優れないのはわかるが、黙ったままでいられるのは……なんかこう、変な気分になってくるぞ。なにか私にやれることは、やって欲しいことなどは無いのか?」

「……………………………」

 

 

 

 

 

 

 

 デート初日でラブ……愛のホテルに行くのは大問題だろ絶対、ということである。

 

 

 

 

 

 

 

○ ○ ○

 

 

 

 大問題が起こる前―――

 

 

 士道と十香は近くにあったパン屋で購入したきなこパンを一緒に食しながら商店街を歩いていた。店内で食べても良かったのだが、並べられていた品総てを買い占め、店員と客の視線も買ってしまった都合で持ち帰りに切り替えたほうがいいと判断したのだ。

 十香は豪くきなこパンが気に入ったようで4個も食べている……1つずつではなく4つ同時にを複数回だ。そのため結構な量だったのに今食べてるのでもう最後となっていた。

 あれだけ敵意を巡らせていた周囲の人間たちなど眼中にないと夢中になって頬張っている十香。見た目の雰囲気、年齢を大きく裏切るその様子を見てやっぱりこういう姿が似合っていると士道は嬉しさを覚えていた。

 

「なあ十香、きなこパンうまいか?」

 

 そんなの聞くのは野暮だと思うのに、本当に美味しそうに食べてるもんだからついつい聞いてしまうくらい十香は可愛かった。

 十香はというと食べるのを一旦止めてチラっと士道を見た後、一気にきなこパンを飲み干し、そっぽを向いてむくれた顔をしだす。

 

「ま、まあまあだな。精々人間どもが禁断症状に震えてしまい、きなこを求めて戦が起こる程度の美味さでしかない」

「……おまえを満足させるにはラグナロクが起きる美味さじゃないとダメなのか?」

 

 香ばしいイイ匂いがすると、真っ先にパン屋を指差して店頭に並んでいたきなこパンに目を奪われていながら〝まあまあ〟という評価のワケがない。とはいえ嘘を付いてるわけでもない感想に誤魔化しているのか正直に言っているのかよく分からず脱力気味のツッコミを入れてしまう。

 

「ラグナロク? なんだそれは、美味いのか?」

「や、食いもんじゃねえよ。ラグナロクってのは―――」

 

 それが、なんてことのないそんなことが、とても心地よかった。

 それは平和以外の何物でもなかった。戦場の凄惨も戦塵の息苦しさも無い。あるのは十香と繋いでいる手から伝わる穏やかな温もり。そこから生じる恥ずかしさと誇らしさ、安心と幸せがより一層このデートを形どり、彩っていた。

 こんな時間がいつまでも続けばいいと、ありふれた正への祝福を願ってしまうくらい士道は満たされていた。

 

「そうか、美味しくないのか……む? イツカシド―、あれはなんだ?」

「あれか? あれは―――」

 

 だから……だろうか。

 

 士道は、十香が自分と同じ気持ちを抱いていないことをなんとなく悟っていた。

 

「ふむ、なるほどな。ではあそこにあるのはなんだ?」

「ああ、あれはな―――」

 

 もちろん前に比べれば幾分も角が取れた対応をしてくれている。今も周りの人間を気にもせずに店、屋台、道路、信号機、標識、とにかく目に映っているものに例外なく、あれはなんだこれはなんだどんな物かと質問をぶつけては興味深々と商店街を見回している。

 

 しかし、まだどこか身体がぎこちなかった。

 警戒というほど切羽詰まってもないし、緊張してる様子とも違う。

 気の所為と、そのまま見逃しても問題なさそうな些細なしこり(・・・)が残っている、そんな感じだ。

 

「う~む、人間は随分と不可思議なものを作るんだな」

「……なあ、十香」

「ぬ、なんだ? もしやきなこパンをも超える兵糧が見つかったのか?」

「ハハ。相当気に入ったんだな、きなこパン」

 

 だからソレさえなければ掻くも完璧にデートが出来ると士道は考えてしまう。

 こてんと首を傾げる十香を見てるとやっぱり気の所為なのかなと思いつつも士道は訊ねてみることにした。

 

「十香、その、楽しくないか?」

「? どういう意味だ?」

「なんていうか、ちょっとピリピリしてる感じがしたからさ。何か気になることが有るのか?」

 

 そう言うと十香は少し驚き、どこかきまりが悪そうに俯いてしまう。図星なのかは分からないが、近しいものがあるようだった。

 今までが今までだったから用心するのは仕方がないと思うが、寂しい気持になってしまうのも事実だった。

 

「わり、すぐに人間を信用するのも無理が―――」

 

 「あるよな」と、ちょっとずつでもいいから楽にしてほしいと言いかけたところで、十香がグイッと士道を自分の方へ引っ張った。

 驚いて怯んでしまった士道は、されるがまま十香と身体を密着させられてしまい、顔もおでこもぶつかるくらいに近づけさせられた。

 

「ちょっ?! あの、十香?!」

「イツカシド―……おまえは感じないか?」

「か、感じる?! ななななにが!?」

 

 〝感じる〟とは十香の吐息か、十香全体の感触か、それとも……十香のやわらかそうな唇か。

 やわらかいかどうかは視認情報でしかないがこんなに近づいたのはもう二回目で、そうであろうと確信するほどの瑞々しい艶が少し近づくだけで確かめられる近さで見ているのだ。

 

 このまま事故を装えられる近さで―――

 

「視線を、感じるのだ」

「ッ?! ご、ごめん!そんなつもりで見てたんじゃなくてッ」

「……何処を見て言っている? 私じゃない。後ろだ」

「え、う、後ろ?」

 

 十香の責め苦にどうも早とちりしてしまったようだと誤魔化しを含めて後ろを振り向くと、朝の活気もあって人通りは相変わらず賑わっており、その何割かは士道と十香……取り分け十香に呆然と視線を向けている。

 

「……確かに視線が向いてるけど、あれは十香をどうこうしようなんて考えてるわけじゃないって。 おまえが綺麗だからつい振り向いちまってるだけだぞ」

「―――ッ、貴様また性懲りもなくっ!! ……いや、今はいい。 そいつらじゃない。もっと殺気の篭もっている視線……否、死線が私を突き刺してくるのだ」

「死、…線?」

 

 またもや立て板に水とバカ正直な吐露で怒らせたと冷汗を掻いたが、それよりも気になっている死線とやらに意識を向ける十香を見て、釣られるかたちで死線とやらが気になった。士道は背後を注視するも、依然として変わらぬ朝の風景だけで、それらしき人物は見当たらない。

 

「俺には分からないんだが……いつから感じたんだ? その、死線ってのは?」

「おまえと手を繋いだ辺りからだ。ネチネチと絡み付くように私を見ている。

今もそうだ。時が経てば経つほど私を殺したくて仕方がないと言ってるように感じる」

「……そこまでか?」

 

 あまりに、あまりに穏やかではない物言いに怖気が走る。

 日常の一風景に過ぎないこの光景のどこにそんな異物が紛れ込んでいるのか。間違い探しにもならない水と油が本当に存在するのだろうか。

 疑う気持ちは正直あるが、十香が嘘を言ってるようにも思えない。声に出した為かあからさまに警戒し、さっきよりも数段増して戦意が上がっているのが掌から伝わってくる。

 

 この状況……どうすればいいのかと思考する。しかし士道は焦っていなかった。

 死線を晒しているのは誰か? 多分AST隊員の可能性が高いが、姿が見えないうえ朝というのがあるし、隣にいる士道以外にも大勢の一般人がいるのだから仕掛ける様子はないとみて間違いない。このままデートを続行しても大丈夫だろう。

 あとは十香が気にせずデートに集中できるよう士道がエスコートしなければいけないわけだが、そこは何とか気が紛れる所へ行こうと意気込むが……

 

「―――イツカシド―、あの十字路というところで別れるぞ。おまえは帰るべき場所へ帰るがいい」

「え……」

 

 しかし、十香の口から出たのは終の言葉だった。

 楽観視しすぎてるといえばそうなのだが、まさかその結論に至るとは夢にも思っていなかった

 「どうして……?」と、聞くことも出来ず、ただ呆然としてしまう士道に十香は告げる。

 

「この殺意は尋常なものではない。もう私を殺すこと以外は何も考えていないだろう。そうなったらデートどころではないし、おまえの命が危険だ。

 ……おまえは貴重な情報源だからな、死なせるわけにはいかん」

 

 ちいさな声で顔を赤くしている中に、影で歪んでいる十香の悲しさを見た気がした。

それだけで士道はわかった。

 十香は黙っていたのだ。殺気に気付いていながら気付かぬ振りをしていたのだと。

 あれだけ警戒していたのに何故迎撃しなかったのか? 

 決まっている。デートを邪魔されたくなかったからだ。

 人間への敵意よりも、士道の願いを優先してくれたのだ。

 そして今は士道の命を優先してくれ、胸が熱くなってくるのを感じる。

 士道がそう思っているように、十香もこのまま終わらせたくないと思っていてくれた。それだけでどんなことでも出来そうだと万能感に満たされていく。

 

 彼女の優しさを逃がさないとばかりに強く、そして優しく手を握り直した。

 

「ぬっ、……イツカシド―?」

「知るかよそんなこと」

 

 十香は呆気に取られ、士道本人をしてこんな斬り捨てる声音を発したことはあるのだろうかと驚く。

 

「今は俺と十香のデートタイムだ。そんなもん気にするな」

「何を、言っている。そしたらおまえは……同胞に討たれるかもしれないのだぞ?」

「同胞じゃねえよ。同じ人間ってだけで、誰でもかれでも仲良子よしなわけじゃない……それに、それを言うなら俺の同胞はおまえだ十香」

「は―――?」

 

 望外の言葉に十香は一言だけしか返せなかった。

 止まった表情で出せた疑問は種族間を無視した、士道が同じ人間ではなく異種の精霊の自分を同胞としたことに対するものだ。士道もそれを理解して応えを返す。

 

「おまえは俺とこうしてデートしてくれてる。だったら俺たちは運命共同体だ。

人間とか精霊とか関係ない。一緒にいてくれるなら十香は立派な俺の同胞だ。同胞を置いて家に帰れるわけないだろ」

「イツカ、シド―……」

 

 士道は断固とした態度で自分の意思を貫く。

 少なくとも殺気を送ってる奴なんかよりも仲間意識は高くあるし、なによりも優先しなくてはいけない相手だ。死線などの為に十香とのデートを邪魔されるなんて我慢できなかった。

 

「ありがとう十香。俺の心配してくれたのは嬉しかった。でも、大丈夫だ。このまま無視してデートを楽しもうぜ」

「っ……、おまえの心配なんぞしていない! 私はおまえに死なれると仇敵どもの情報が得られないからそうしただけだ!!」

「それでも、ありがとう」

「~~~~~~~ッ だから違うと言って――――ッ!!」

「うおっ!?」

 

 見透かされているかのような暖かい目線が気に食わないのか、十香は掴みかかる勢いで士道に詰め寄った。急にきたものだから抵抗も出来ずに引っ張られた。

 

 

 ……確認しよう。

 士道と十香の状態は顔がくっつきそうになるくらいに近づいて話をしていた。

 そんな状態で詰め寄ろうとしたらより一層2人が近づいてしまうわけで……

 

 

「 「 あ 」 」

 

 

 声は同時に、身体は同調する。

 元々感じていた十香の感触がより鮮明となって密着する。

 股の間にある太股。胸板に張りついた主張激しい柔らかな双乳。

 額は熱を測るが如く押しつき、鼻も挨拶でもするようにくっつき、目はピントが合わさったように離れられない。

 会って間もない男女の触れ合いとしては刺激が強すぎる愛撫。五感全てが一つの感覚と成り、士道と十香は絡み合う。

 けれども2人の間に羞恥は窺い知れない。混乱が一周して感覚麻痺でも起こり価値観が変動したのか、2人が気になっているのは一つだけ。この異質の状態でむしろ異常となってしまっている部分だった。

 

 合わさっていない部分である……………唇。

 

 しかしその唇もほんの数ミリ、数ミクロといった隙間しかなく、風が吹いただけでくっついてしまいそうだ。触れそうで触れてないこの間隔が興奮を増していき、次第に(ソレ)を味わいたいと考えてしまう。

 

「 「…………………………………………………………」 」

 

 どちらとも動かない。動けない。

 あれ? おかしいな、と士道はボンヤリ思う。自分は疑う余地なく欲情しているのに、距離を詰めようとしない。臆病風に吹かれた感じではないし、残った理性が躊躇に止まっているでもない。

 

 ―――俺が求めているのは、唇ではない。

 

 こうして彼女とは十分過ぎる程一つになっている。のに、足りない(・・・・)と思っているのに気がつく。

 なにか……もっと別なものを、別の十香のなにかを求めている。

 十香は十香でこの体勢をどう思っているのか、動こうとしない。士道同様動けないのだろうか。彼女に限って欲情なんてしてるとは思えない。

 

 離れなければいけなのに、身体は動かない。

 士道は十香、十香は士道しか見えていないからわからないが、周囲にとっては色目に映っていることだろう。見せびらかしていいものではないのに、でも名残惜しいと思ってしまっていて、自然と離れない限りはずっとこのままでいたいと考えてしまったその時、

 

「ぬっ?!」

「ッ…!?」

 

 鋭く、濃密で、暗い視線を感じた。自分達は見られていると、十香だけでなく士道までもが分かるくらいの視線……否、死線が飛んできた。

 深く考えるまでもない。これが十香の言っていた死線だというのは明白であった。

 

「イツカシド―!」

「ああ……っ、俺も感じる……!」

 

 桁違いの殺気を乗せての殺意で漸く死線の存在を認識できた士道は、なるほど確かにこれはデートを中止にしなければと考えてしまうくらいのシロモノだと納得した。

 『殺す』……それを理解させるにはどれだけの殺意を込めればいいのか、この死線の主はどれだけの殺意を溜めていたのか。

 一体何者なんだと疑問を抱いて士道はある思いを懐く。

 

(……この殺気……どこかで……?)

 

 それは懐かしさ。自分は以前、この殺気を知っているという懐旧の念だった。

 しかもそんな昔の話じゃない。当然いい思い出のわけがない。つい最近、質も方向性も違うが、士道はこの殺気とよく似たものに曝された。

 

 確か……そう、昨日のことだと思いだす。

 

 昨日、彼女(・・)と教室で会ったときの殺気だと

 

 

 

 

 

 

 

 

『そうやって……殺したの? 私のお父さんと、お母さんを―――』

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………………………………………ぇ」

「? イツカシド―……?」

 

 聞こえてきたのは小さくて消え入りそうな声。外からでは悲しみに打ちひしがれる絶望に塗れた泣き声に聞こえる。

 だがその内側には臓腑を捩じらせ燃やし尽くす激しい怒りがある。自分の罪を白日の下に晒させる冷酷非情にして断罪の判決。前同様(・・・)士道に向けられたものではないものの、お前も決して無関係ではないと知らしめる憎しみが零れ落ち、士道を蝕んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――――あなたの手で殺された。あなたは私の目の前で、二人を――――忘れるものか。絶対に、忘れるものか。だから殺す……私が殺す。あなたを――――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――殺す。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ……………――――………ぁ、ぁぁぁぁっ」

「お、おい?! どうしたイツカシド―?! しっかりしろ!?」 

 

 突然と膝を折り、全身を痙攣させ、うわ言を発する士道に十香は大層動転する。声を掛けるも反応している様子もなく、聞こえているのかさえ怪しい。それくらい士道は尋常ではなかった。

 混濁する意識はやがて脳細胞を真っ黒に塗り潰し、気を失うことを士道に告げる。

 ……駄目だ、今は気絶してはいけない。今はデート中なのだ。気絶なんてしたらデートが台無しになってしまう。

 頭で動けと命令しても身体が言うことを聞かない。辛うじてなけなしの意思で意識を保つことが出来ているがそれだけ。このままでは睡魔の濁流に飲み込まれるのは時間の問題だ。

 

「……、――――シド―!! ………、――――シド―!!!」

 

 ああ、でも。

 

 この現実と夢の狭間で聞こえる十香の声。聞き分けが出来ない今の耳には、彼女が自分を「シド―」と呼んでくれたように聞こえる。

 フルネームではない、自分だけの名前を呼んでくれたように聞こえて、ちょっとだけ嬉しかった。聞き分けが出来ないではなく、ソレしか聞こえないよう都合がつけられたのかもしれないけど、浅ましいけど、不謹慎だけど、嬉しかった。

 

「――――――――、……………! ―――――――、――――――!!」

 

 ふと、身体が持ち上がった感覚。

 そう認識しかできない士道は自分がどういう状態になっているのか見当もつかなかったが、著しく下がっている触覚が次第に風を強く感じるようになった。ジェットコースター みたいな、と言えばいいのか、朦朧としている中でもこれだけ強く感じ取ることが出来るなんて余程のスピードの中にいるのだろう。

 

 

 

 ……どれくらいたったか。

 長かったような、短かったような……

 

 

 

 ドゴンッ! と一際大きい、扉を蹴破ったような音(・・・・・・・・・・)が耳に届く。

 何でそんな音がするのか、なにか十香が荒事を起してしまったかと不安になったが士道の身体に伝わるフワフワとしてふかふかとした温い低反発の物体が思考をふやけさせ考える力を無くしていき、この感触を前に荒事は無いと根拠もない安心が浸透していく。

 

「しっかりしろイツカシド―!! もう大丈夫だ。此処は頑丈な城塞で護られた場所だからな。敵もそう簡単には攻め入れられまい。ゆっくりと身体を休めるといいぞ」

 

 ホッと息をした十香が安心しきった顔で綻ぶのを士道は見る。目も耳も随分はっきりと機能しているのは時間経過による緩和もあるが十香が近くに居てくれているのが大きい。

 段々と頭がスッキリして意識が安定する。ふと確認してみれば死線が消えているのに気が付いた。十香の言う通り敵はもう自分達を捉えてはいないのだろう。が、それよりも気になったのが視界に入っているモノだ。

 広く綺麗な天蓋に豪奢な家具たち。テレビの中でしか見た事が無い、どれもこれも金に物を言わせて揃えた一級品の品々であるのがわかる。そして自分が横になっているのが高級ベットであるのはこの柔な感触を味わえば疑いようがない。

 どうにも自分達は色々な意味でドデカい部屋にいるようだが、勝手にお邪魔していい場所なのかと新たな不安の種が芽生える。

 

 そもそも十香は何と言っていた? 聞こえはしたが理解には及ばなかったので記憶の中を反芻する。

 頑丈な城塞……そんな中世ヨーロッパの観光名所みたいな建物が天宮市にあったっけ? と考えてみるも心当たりはない。強いて言えば最新式の避難シェルターぐらいしか思い至らないが、空間震も出ていないのにシェルターに行ける筈もない。というかシェルターは城塞と言えるのだろうか? 確かめようにも視界に映るのは貴族の御屋敷みたいで――?

 

(……ん?)

 

 視界の端に何やらゴシック調に書かれた書体が入ってきたので目を向けると、そこにはまたまた高級感ある紙媒体の建物案内(パンフレット)が置いてあった。枕元に置いてあるのはご丁寧なのかテキト―なのか……とりあえず何が書いてあるのか見てみると

 

 

 

〝夢と希望を『産みだす』城 ドリームランド〟

 

〝身体と心を癒すならココ!! 快適な空間で2人を安らかなる極楽へ誘います!! もちろん、3P・4P以上も全然OK!!〟

 

 

 

「……………………………………」

「おお! 気がついたかイツカシド―。こんなに早く目覚めるとは目覚ましい効能を秘めているな、この城は」

 

 目を見開いて覚醒を果たした士道に満面喜色と十香は胸を撫で下ろした。なんだかダジャレを言ったように聞こえたが意図してやってはないだろうし、今はそんなのどうでもいいものだ。

 

 

 此処は、…………………………………………まさか

 

 

 まさか、

 

 

 まさか、

 

 

 真坂?!

 

 

「む、顔色はまだ良くないな。…………うむ、そうだな。暫くは此処で休息を取るとしよう。身を潜めることにもなるし、一石二鳥というやつだ」

「……………ぃゃ、………ぇぇ………と」

 

 それは、マズイ。そうするわけにはいかない。身体を休める以前の問題だ。

 十香はこの建物がどんなことに使われるか絶対知らない。声を上げて出ていこうと宣言したかったが、真摯に目を向け真面目に言って真剣に士道の身を案じているのに、どうしてそんな事ができようか。

 

「なんだその顔は? 余計な世話を焼くなイツカシド―。もし敵が攻め込んだとしても全部私が相手をする。……追い払う程度で済ませてやるから、がやがや言うのは無しだからな」

 

 言い淀む士道に、かつて彼が言った「戦ってほしくない」という言葉が蘇ったのか、面倒くさそうに言い聞かせながらふんぞり返る十香。

 違う。違わないけど、今は違う、そうじゃないのに、どうしても口が噤んでしまい流れるがままにされてしまう。

 

 此処を抜け出す言い訳も見つからぬまま、結局士道はこのまま十香と2人で居座ることになってしまった。

 

 

 

…………………

 

 

…………

 

 

 

 

 詳しい経緯を聞くも何てことは無かった。

 死線の主を播くのと気を失いかけた士道をなんとかしようと駆け回った十香は大きな城に目を付けて押し入ったとのことだ。見た目の堅牢さもあるし中に誰もいなかった(・・・・・・・・・)のも最適だと判断したのだろう。

 

 この城の経営主はどこか……士道は解った気がした。

 

「それだけではないぞ。身体と心を休めるには此処が良いと書いてあったから邪魔したんだ」

「………そこは重要じゃないから忘れてくれ」

「ぬ、そうなのか? ではサンピィやらヨンピィやらの方が重要なのか? すまんが私には何を指しているのか分からなくてな。意味を教えてくれると―――」

「もっとじゅうようじゃないからわすれてくれきおくからいやたましいからまっしょうしてくれ」

 

 息継ぎ無しの早口なもんだから酸素が尽きて苦しさ満タンになった士道だが、純粋な十香にそんな事を知られるのはまずいし嫌だし仕方なかった。

 

「む……………………」

「………………………」

 

 士道は横になり、十香は座っている。膝を折っていたのを近くにあった椅子を持ってきて坐り直し、見守っていた。それ以外に変化は無く、何も起こっていない。

 

「……イツカシド―。身体が優れないのはわかるが、黙ったままでいられるのは……なんかこう、変な気分になってくるぞ。なにか私にやれることは、やって欲しいことなどは無いのか?」

 

 そして最初に戻る。

 そうは言われても身体がまだ優れないのは事実なので休むことに集中してデートの再開をしたいというか此処から脱出したいのだが、十香の健気な態度を見ていると会話を優先させた方がよさげではあった。

 ……会話だけだ、他に何もしない。

 

「おまえにはサンピィとヨンピィが必要なのではないのか? 私に気を使うな。これもデートだというのなら躊躇はしないぞ」

「ほんとにかんべんしてくださいそれはまったくぜんぜんかんけいないんでこのままでおねがいします」

「……ぬぅ」

 

 ……よさげではなく、しなければヤバいことになりそうだった。いや、この状況は会話すら危ういものになりそうだ。

 ヘタレ化した士道と不貞腐れた顔の十香は正に〝失敗してしまった〟彼氏彼女のようだ。何が、とは言うまい。

 そもそも十香の要望に応える気が有っても人数が足りないのだからどっちにしろ無理な注文なのだ。此処はいま十香と二人きりなんだから。

 

(…………………………ふたり、きり)

 

 しまった、と改めて確認したこの状況に鼓動が輪唱する。言い訳をして落ち着こうとしたら逆に落ち着かなくなってしまった。

 こんな、男と女しか足を踏み入れない性域……聖域にいるのだから当然だが何も知らない十香を連れているなんて騙しているみたいで気が気でなかった

 

「ぬぅ~~~~」

 

 しかも十香は不満でいる。意味合いは違えど士道に何かしないと彼女も落ち着かないのかもしれない。それがますます士道をいたたまれない気持にするのだが。

 

「な、なあ十香。十香も一緒に休もう! はじめて沢山の人たちの中にいて疲れちゃってるだろ? ついでにだと思ってさ」

 

 うまく動かせない身体ではやれることは限定されるんだから十香にも休んでもらうのは悪くないと我ながら良い案だと士道は考えた。本来ならば看病して御粥とか作って貰うのが王道だろうが精霊の十香にそんなスキルがあるとは失礼ながら思えなかったのでこれが妥当だろう。

 

「ッ! やっ、やはり私も休むのか?」

(……やはり?)

 

 上擦った声で驚きを上げる十香になにか彼女を吃驚させたのかが分からずハテナをうがべた士道。そのまま十香の言葉を待つが、悶えているとも、葛藤してるとも見える十香の様子にますますハテナを浮かべてしまう。

 

「休まなくても平気だってんなら別にいいんだけど……」

 

 言うも、一世一代の大博打に挑むが如くの覚悟を決めたようにその凛々しい貌を引き締め直す。

 

「いいだろう。私も休むとしよう」

「? ああ、そう」

 

 なぜにそんなカッコよく言い放ったのか、ともあれこれで万が一にも間違いは起きないだろうと、士道は休憩タイムとして一時の安らぎを迎えようと思ったのだが――――

 

「あ?」

 

 「休憩タイム? 何だそれは美味いのか?」と言っているような十香を幻視しながら士道は安らぎではなく十香を迎え入れさせられた(・・・・・・・・・・・・)

 

「むぅ狭いな。イツカシド―、ジッとしていろ。少し動かすぞ」

「……は?」

 

 十香は横になっている士道をゆっくりと優しく持ち上げ少し横にずらす。

 そして再び士道の隣(・・・・・・)で同じように寝そべった(・・・・・・・・・・・)

 

「…………………………」

「………………………………………watt?」

 

 ちゃう、Whatや。

 ……ちゃう、そんなんどうでもええねん。

 

「十香?! なんで俺の隣に来るんだよ?!」

「ッ――おまえが休めと言ったからだろうが! 自分から言っておいてなんだそれは!?」 

「だからって何でこうする必要がある?!」

ベット(こいつ)は一つしかないではないか! そ、それに〝二人で一緒にやる〟のがデートなのだからこういう風に成れと言ったのだろう?!」 

 

 顔を赤くしながら宣う十香に士道はお互いの認識の食い違いに気がついた。

 十香にとって休憩すらもデートの一つであると解釈していたこと。

 どこか落ち着きが無かったのは士道と一緒に寝なければいけないのだと勘違いをしていたということに。

 

「あああのだな十香っ デートは何でもかんでも一緒にやるもんじゃなくてっ あくまで基本的にってだけでっ」

「なら何故そこまで拒絶するっ!? おまえは……っ! 私とデートがしたいんじゃないのか!?」

「したいよ! 凄くしたいけどさ! ってアレ!? 何か別の意味に聞こえる?!」

 

 こんな場所で「したい」だなんて卑猥以外になにも聞こえない。本格的にマズそうだ。長時間いればいるほど身体も脳もピンク色に染め上げられてしまいそうになる。

 

「十香っ、休むのは後にして話をしよう! そっちのがいい!」

 

 ササッと神速で自分と隣で寝てる十香を起して士道は代案を持ちだした。

 

「……………はなし?」

「そう! 話し! ここなら誰にも邪魔されないでゆっくりしていけるからさ! うんそうしよう! 絶対そうしよう! 心配かけちまって悪りっ。まだ身体はだるいけど、話しをするくらいなら大丈夫だからさ!」

「……そうなのか? いま随分と俊敏で力強い動きをしていたと思ったのだが」

「そ、それは、その……男に生まれてスイマセン」

「?」

 

 何に謝っているのか、自身の疑問に対する応えがよく分かないも十香は追及してこなかった。ありがたいとホッと息をする。

 体勢は変わり、士道と十香はベッドの上で対面して座っている。寝るよりかはマシになった筈なのに妙な気分になってしまうのは男ならしょうがない事なのか、それとも五河士道が畜生なのか、またまた別の理由か、とにかく士道はありったけの理性を総動員して会話に臨もうとした。が、十香の方が先に口を開いた。

 

「……まあ話をするなら丁度いい。私もお前に聞きたい事があったのだ」

 

 半目で小声を発した十香がこれ幸いと意外な乗り気で承諾してきた。

 何を話すのだろうか。世間話なんてできないし、精霊と共有できる話のネタがあるのか士道は考える。

 

「聞きたいこと? なんだそれ?」

「その前にだ。イツカシドー、そもそもお前はなぜ体調が悪くなったのだ? ……やはりあの殺気が原因なのか?」

「……ああ~、そうなんだけど、俺自身の、ちょっと変わった体質の過剰反応みたいなもんでさ」

 

 どう説明すればいいのか士道はわからず、いっそもう全部放り投げて忘れたい衝動に駆られるができなかった。

 アレは……放り投げるにはあまりに重く、忘れるにはあまりに強い絶望の叫びだったからだ。

 なんで彼女があの場に居たのか。なんで彼女の感情がダイレクトに伝わってくるのか。

 そしてなんで彼女の憎しみが伝わってくるのか。聞きたいのは士道の方だった。

 

(鳶一、折紙)

 

 士道は死線の主が誰なのか確信を持っていた。

 昨日会ったクラスメイトの少女。士道が気絶した原因。彼女は士道を知っているが士道は折紙を知らなかった。忘れているだけかもしれないが、思い出すことはなかった……したくなかった。

 知ってしまったら、何が壊れてしまうような、触られたくない腫物に触れられるような……嫌な予感しかしなかったからだ。

 

「イツカシドー?」

「っ……。あ、何でもない。とにかく悪くなったのは俺が弱かったってだけだから気にしないでくれ」

 

 どうしたと心配そうな十香の声で士道は我に帰る。そっちのけて他の女の子の事を考えてしまって失礼だったと反省して意識を立て直した。鳶一折紙についてはまた今度だ。

「……弱い、だと?」

「ん? なんだ?」

「いやいい。……それよりもお前に聞きたいことだがイツカシドー。

 

 ―――お前は私と会ったことがあるのか?」

 

 手短に、だが其処には万感の思いが込められていた。

 士道を見つめるその目にはいかな感情があるのか、それはまだ見出させない。

 

「出会った時からお前は私を十香と呼んだ。でも私はお前に見覚えはない……ないはず、なのに、お前はあたかも私が生まれる前から私を知っていたかのように振舞っていた。わたしを、親しい者を呼ぶように、十香と呼んだ」

 

 その質問に士道はさして驚きも動揺もなかった。初対面から十香を知ってる風に行動していたのだ。いずれ聞かれるとは覚悟していた。逆の立場だったら自分だって聞きたいと思う。

 

「イツカシドー。 お前は私の何を知っている? お前は、一体何者なのだ?」

 

 十香の中では沖縄で叫ばれた士道の言葉が木霊しているのかもしれない。その目は今恐怖と興奮の二つに揺らいでいる。五河士道がどういう存在なのか。信用に値する者なのかと。

 どうしようと士道は逡巡する。

 十香は五河士道が知りたいと言ってくれている。可能ならば彼女の望むままに自分という人間を教えたい。

 教えたいのに、士道は昨日から自分が分からなくなっている。自分が何者なのかという身分証明(アイデンティティ)が曖昧になっている自分では到底十香の疑問に応えられない。

 誤魔化すことはできなくもない。というより士道だって分かっていることがないから誤魔化すまでもない。

  しかし、

 

「……実は、お前に会うのはこの街でが最初じゃないんだ」

「っ……!」

 

 やっぱりそうなのか、と十香が一層耳を傾けてきたのが見えて、少し緊張してきた。

 昨日にかけて士道は嘘をつき過ぎた。元来真面目な性格の彼はこれ以上嘘をつくのに耐えられず、正直に、分かる範囲で喋るという選択を選ぶのは仕方がないといえる。

 

「俺、あの時以前に………………………夢の中でお前に会ったんだ」

 

 仕方がない選択。士道の中ではそうなのだろう。

 

「………………」

「……………………えっと」

 

なら、十香にはどうなのか?

そんなのは言うまでもない。

 

「………………………………もしかしなくても、私はいま馬鹿にされたのか?」

「ほっ、本当なんだ! 本当に夢の中で会って、それでお前のことを知ったんだ!!」

 

 無表情で怒りながら、十香は静かに掌大の光球を士道に向けている。

 士道は正直に話した結果どうなってきたのか、真実を言ったとしてもそれが報われるとは限らないということを理解していなかった。

 

「最初は街の廃墟で会って、そのあと学校の教室に行って、その時お前の名前を教えてもらって、それで夢から起きて、そしたら本当に十香に会って、俺びっくりして、いてもたってもいられなくて、運命感じちゃって、ああもうっ! 俺の言ってることわかるか!?」

「わからんわッ!? なんでお前が怒るんだ?! まるで意味がわからんぞ!?」

 

 溜まりに溜まり混んでいた自分への鬱憤が咳込むように止まらず、要点がまとめられない自分に対する怒りが更に上がり、士道はまともな思考能力が損なわれていた。八つ当たり紛いをする士道にとばっちりを受ける十香にはたまったものではない。

 

「夢で会っただと!? 私は夢の中に行ったことなどないし、第一行けるような場所でもないだろうが!?」

「そ、それは……精霊だから寝ている間にそういうのもできちゃうなんてことはないか?」

 

  怒鳴られ続けある程度の落ち着きを見せる士道だったが、言ってることはまだ頓珍漢であった。

 

「貴様は精霊をなんだと心得ている? 私は寝ている時は寝てるしかないし、精々が起こされるぐらいしかない」

 

 

 

 

 

 

 

「え」

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉に、目が冴えに冴え、士道の頭が鈍い音を立てている。

 

 

 例えようのない不穏な気配を感じ、臓物が絶対零度の温度で冷やされた。

 本人は気づいているのだろうか、その声は強張り震えていた。

 

「起こされるって……なんだよそれ。十香は、誰かと暮らしてるのか?」

「は? 何故私が誰かと暮らしてるなんて話になるのだ?」

「……だって、起こされるって、誰かに起こしてもらってるって意味じゃないのか?」

「そういう意味ではない。私は〝この世界〟に強制的に連れて来られるのだ。個人を指しているのではない」

「〝この世界〟……って?」

「お前たち人間が住んでいるここだ」

 

 ぽんぽんと十香は座っているベッドを叩く。もちろんベッドの事を言ってるのではなく、言葉通りの意味だろう。

 

「私は通常別の空間に身を置いていて休眠状態に入っているのだ。いつもは不定期にここに引っ張られるのだが……まあ今回だけは私の意思でやって来た」

 

 最後に不本意だと言わんばかりに十香はそう付け足した。

 要約するまでもなく十香は無理矢理この世界に来させられると言っているのだ。空間震も起こされているだけと。

 空間震は精霊が姿を現す際の余波。余波のみで人類は命と生活と財産の何もかもを喪われる危険に晒されている。

 さりとて精霊は好きでこの世界を壊しているわけではなく、抗いようのない予定調和という絶対に縛られてしまっているのだ。

 つまりは事故。望まない破壊と望まない被害が起きてしまう悲劇。人間と精霊の徹底したすれ違いだった。

 だが、士道はそんなことは毛ほども考えていなかった。

 十香にその責任を押し付けるのは理不尽なのではないのかとも、今日十香がどうして空間震を起こさずにこの世界に来れたのかとも考えていなかった。

 

 士道は、安堵していた。

 十香が誰かと暮らしているかのような言い回しはただの勘違いだったのだ。邪推だったのだ。

 

 

 ……なんで安心しているのだ?

 

 

 なぜ、何故、言えども答えは士道しか知らない。

 十香が誰かといるのは良い事の筈だ。独りは辛く、寂しい。どんな相手であれ、感情を育むには相方が必要だ。特に赤の他人しかいない十香にとっては。

 なのに士道は安心した。十香が誰とも一緒にいないと聞いて、自分の勘違いと知って安心した。

 

 何故、それは、

 

 十香を取られたと思ったから。

 

「――――――――」

「? イツカシドー?」

 

 十香が遠くに行ってしまったと思った。自分の側に居ないと思った。

 

「おい、どうした? また具合が悪くなったのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『十香―――十香ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 叫んでいるのは、士道。

 映り込むのは、気を失っている十香と、十香を抱くCR-ユニットを装備した女。

 十香の体はそこら中汚れている。どう見たってそれは、連れ去られている最中だった。

 

 ゾッとする。

 

 怖い。

 

 恐ろしい。

 

 耐えられない。

 

 どうしよもない無力感が士道を臆病者にしていく。

 

「イツカし……きゃっ」

 

 十香が誰かに取られるなんて、認めたくない。受け入れられない。

 

 

 奪われるくらいなら、俺が――――――

 

 

「イツカシド―?! 何をす―――」

「士道だ」

「―――え?」

 

 動かすのが億劫だった身体が嘘のように快復し、士道は十香に覆い被さった。

 悲鳴が耳を擽るのを無視して自分の欲求を押し付ける。

 

「〝五河〟は必要ない。俺たちは他人じゃないんだ。これからは士道って呼んでくれ」

「そ、そうなのか……? では、シド―……じゃない! いきなりなんだ?! なにをするつもりなんだ?!」

 

 暴行を受けているのに律儀に名前を呼んでくれる十香が可愛くて仕方が無いと十香の全身を見てしまう。

 彼女の容姿とスタイルはもう言うまでもない。短い間隔で彼女と触れ合い、彼女を感じる機会に恵まれた士道は今まさに窮地と極致へと誘われた。あとは一歩踏み出すだけで桃源郷と理想郷、新天地への片道切符を手に入れられる。

 

「……十香」

 

 士道の裡で理性がヒビ割れる音が聞こえる。商店街の道端では最後の一線まで留まっていた欲情が牢を壊そうと暴れたくっている。

 

「……………おれ」

「し、シドー?」

 

 倒れた時とは違う様子のおかしさに恐る恐ると士道を見つめる十香はどこまでも純真だ。

 

 それをムチャクチャにしてやりたいと思った。

 

 本能の赴くままに十香を求めたい。雄の総てを掛けて目の前の雌を独占したいと思った。

 

「十香」

「?、?…?」

 

 十香は身を固くして縮こまり、小動物のように小刻みに震えていた。なにが起こるかわからないだろうに抵抗もない。十香はまだこれもデートの一つであるのだと思い込んでいるのか、あるがままに士道を受け入れようとしていた。

 健気で純真なその姿は油に火を注ぎ、士道をひどく狂わせる。胸が高鳴り、血が滾る。止める者はいない。止められても止まれない。

 

「十香」

「ぁ、………ぁ」

 

 初めて目にした怯えの表情。

 霊装を身に纏い、天使を手にした凛々しく気高い雄姿はどこにもない。今の十香は男を知らないか弱き純潔の乙女でしかなかった。自分が彼女をそうしているという優越感と背徳感のせめぎ合いに士道は酔い痴れるしかなかった。

 

「十香」

「……っ~~」

 

 

 何度も何度も十香の名を呼び、士道が十香に近づく。擽ったくて身を捩る十香。

 

 

 

 

 二人の身体は完全に密着し、

 

 

 

 

 そして――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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