憑依に失敗して五河士道が苦労するお話   作:弩死老徒

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「シド―! あのウマそうなのはなんだ?」

「そいつはタコ焼きだよ。中に蛸ってのが入っててな―――」

「それじゃあ、あっちのは?」

「ハンバーガー…………いや、タワーバーガー? ハンバーガータワー? あんなの初めて見たな……」

「ああっ、あっちのもウマそうだ!」

「あっちは寿司だ……けど、あのデカさは通常の3倍か?」

「すごいぞ! みんなウマそうなものばかりだ!!」

「好きなだけ食っちまえよ、どうせ無料(タダ)なんだし」

 

 駅の南へと向かった士道と十香は待ち受けていたかのように(・・・・・・・・・・・・)スタンバイしていた(・・・・・・・・・)人々に案内され、新たな商店街へ足を踏み入れると、そこにはお祭りさながらの店構えにさっきと比べ物にならない数の店と食べ物に出迎えられた。

 圧巻の一言で目を見張るも、見た目以上に香ばしい匂いが胃袋を刺激し、より食欲をそそられた。色取り取りの食べ物が入り混じっているにも拘らず、それぞれの匂いが何処から漂ってくるのか何となく識別できる。思っていたよりも腹が減っているみたいだった。

 士道の記憶ではここいら一帯は住宅街しかなかった筈だが、自分達は〝十万人目のお客様〟として向かい入れられたのだった……そういう設定なのだろう。

 一体<ラタトスク>にはどれくらいの力、もっと言えば資産があるのだろうか? さすがに今日造ったなんて……顕現装置(リアライザ)を使えばどうなのかは分からないが、前もって造らせるにしたって経済力とか影響力とか有り過ぎる。今なら世界の三分の一を牛耳ってるなんて荒唐無稽な話すら信じてしまいそうだ。

 

「うまい! けしからん! これもうまい! けしからん! シド―、おまえも食べてみろ!」

「わかった、わかったから、急かすなって。もうちょっと小さくしないと食えねえし、間をおかないと喉に詰まるし」

「む? 口を開けて放り込むだけではないか。なにを戸惑っている?」

「……そうだな。それだけ聞けばなんも難しくないと思うよ」

 

 右手に縦長すぎるハンバーガーを持っては食べ、左手に横デカすぎる寿司を取っては食べ、口の中に入りそうもない大きさなのに苦も無く平らげる十香。それだけでは止まらず、お好み焼きもラーメンもクレープも種類問わず胃袋に収められていく姿は、眺めているこっちが胸ヤケしそうな食べっぷりである。きなこパンの4つ喰いなんてまだまだ序の口だったのだ。どっちにしろ士道にはマネ不可能で無理な芸当だ。

 

「むぅ、仕方がないなヤツだな。ほらシド―、食べろ」

「……え?」

 

 ズイっと、一隻のタコ焼きの内の一つを爪楊枝に刺し、士道の口に誘おうとしている十香。……紛れもなく「はい、あーん♪」の構図であった。今更何を恥ずかしがってるんだと自分でも思うが、それとこれとは話が別だった。

 

「口をおおきく開けろ。私が食べさせてやる。そこから如何(いか)にして食すのか学ぶがいい」

「ぅ……とっ、十香、それは……」

「案ずるな、最初はちょっと苦しいかもしれんが直き慣れる。さあ、シド―!」

「な、なんでそんな気合入ってんだよ。それに食えないのはソレじゃなくてデカイやつ―――ぉグっ?!」

 

 渋る士道に無理矢理捩じり込ませられるタコ焼き。まずやって来るのは味ではなく、気恥かしさでもなく、火傷になる程の熱さに他ならなかった。右に左に頬袋を膨らませて悶える姿はさぞ面白いに違いない。

 

「あッちゅ!? あふ、ア、っ、あほぅぉお!?」

「耐えろ、耐えるのだシド―。その苦しみの果てに待っているのは極楽浄土の楽園。天の祝福だぞ」

「んぐ……ゴホッ、…………………なあ十香、やっぱ、怒ってるのか?」

「ふふっ、どうだろうな。さっ、お次はこれだシド―」

「ちょ、まだ早ムぃゴッ?!」

 

 タコ焼きを飲み干して間も無く、今度はクレープを押し込められる。熱かったのが冷たいのに変わっても、歯が沁みる痛さに悶える。

意趣返し……とまではいわないが、散々いじくり回された士道に対して、してやったりの雰囲気と心底愉快そうな悪戯心が見え隠れしていた。十香がそれを望むなら是非もなく、否応もなく受け入れるつもりでいる士道だが、彼女の顔を見れば純粋に面白がっているだけなのが丸分かりであった。その所為で本来なら甘ったるいシュチュエーションである「はい、あーん♪」が、ただのじゃれ合いという名の餌付けになってしまっている。

 

「むグッ……た、タンマッ、タンマタンマッ! マジでタンマ十香ッ、息ができねえ!?」

「ぷ、ははは、わはははははっ!」

 

 

 まあ、でも……十香は今、笑っている。

 

 

 自分の見たかった十香の笑顔に、限りなく近くなっているのだから、それでいいかと士道は納得する。

 奇妙なもんだと思う。人間不信の十香とあんなことがあっても、自分達の関係は軋轢が生じるどころか、この上なく良好なものとなっていた。

 

 ―――結果オーライなんてフザけた考えさえ抱いてしまうくらいに。

 

(……それこそフザけんなだよ。ったく……)

 

 さて、お次はどれにしようかと物色する十香を見ながら戒めを口にする士道。現実から逃げようとしているのが、煩悩に委ねて楽になろうとしているのが分かってしまって嫌気がさす。

 さっきの出来事を言っているのではない。無論それもあるが、大部分は自分がこれからやろうとしている事(・・・・・・・・・・・・・)に緊張しているのだ。

 大それた立ち回りはしない。勝手な行動をして琴里に怒られそうな気がしなくもないが、<ラタトスク>の「デートしてデレさせる」の方針に外れている訳ではない。〝ちょっと上〟のことをやろうとしているだけだ。

 問題があるとすれば今後の行動と生活に支障が生じる可能性があること。通常通りなら失敗は攻略失敗であり、十香を救えず、一生絶望に浸る生き方をするかもしれない。成功したならば大団円。十香は安全に、幸せに暮らせていける生活を送れるかもしれない。

 しかし、士道のやろうとしている事は、失敗は同じだが、成功しても危い立場となるものだった。ひょっとすると精霊攻略は十香が最初で最後となる可能性すら考えられる。<ラタトスク>の使命がではなく、士道の心情的にだ。

 尤もそれは「デートしてデレさせる」の方針でもさほど変わらない。次から次へと精霊を攻略していくことは、小さくとも士道に好感を持って貰うことになるのだし、十香から見れば自分よりも他の精霊が大事だから鞍替えしたと捉えられる可能性が大であった。

 

 士道のやろうとしていることが成功したら、その〝可能性「大」〟が〝確実〟となる。

 十香の眼が黒いうちは、勝手なことはできない。十香を説得できるかもわからない。

 もしかしたら十香以外の精霊を見捨て、十香以外の絶望を捨て置くことになるかもしれない。それは間違いなく五河士道のアイデンティティが崩壊することを意味している。

 

 でも、それでも士道は止まるつもりがなかった。

 けじめをつけなければ、自分がもっと駄目になると思うからだ。

 〝後〟の事を考えないのは、愚行かもしれない。

 だからといって〝後〟を考え過ぎて、〝今〟を行き詰ませるのはマヌケだ。

 

「どうしたシド―? なにか食いたいのがあったのか? なら私が食べさせてやるぞ」

 

 無邪気に士道へと振り返る十香。流麗な髪が翻り、広がり、踊る。何気ない仕草でこうも顔の蒸気が溜まってしまうのは凄いを通り越して卑怯に思えてくる。

 

「……十香、ちょっといいか?」

「まかせろ、どんなものでも口に入れてやるぞ! で、どれにするのだ?」

「うん。一旦食い物から離れようか」

 

 宥めながら軽く深呼吸。逸る血気を落ち着かせる。善は急げと覚悟を決める。

 タイミングとしてはあまりに場違いだが「猶予と可能性ばかり口に出す人間は、結局『明日から頑張る』しか言わない」と誰かに言われた言葉を掘り起こす。言えるうちに、十香に会える内にやらなければ何時まで経ってもやれはしない。

 士道が十香の傍に寄る。向き合い、肩に両手を乗せる。

 華奢な肩だ……とても世界を殺す存在とは思えない。

 

「シド―? ……どうしたのだ?」

「十香。いきなりだけど、おまえに言いたいことがある」

 

 言うぞ、言うぞ。合格祈願者みたいに祈り、勇気を振り絞り、奮起させる。緊張を彼方へと追いやる。

 そんな様子を見ていた十香はハテナと、何が起こるんだと頭を悩ませるような顔したあと、ハッとした顔となり、頬を赤くして叫んだ。

 

「し、シド―! 待て、落ち着くのだ! ダメだ、それはダメだシド―!」

「ッ……?!」

 

 バッと跳び退け、自分の身体を抱きしめる十香。

 愕然とする士道。なにがダメなんだ、という疑問は無かった。

 ハッキリとした十香の拒絶は、士道が何を言おうとしていたのかを察したのだとわかるものだったからだ。

 

「………………なんで、だ?」

 

 士道は意気消沈と顔を歪める。が、次の十香の言葉に違和感を覚えて眉をひそめる。

 

「なんで? なんでだと? 幾らなんでもそれはダメだ!こんな―――こんな他の人間たちが居る前で、外で、や、ヤルだなんて……」 

「…………………あ?」

「そ、そもそも何回もヤレるものではないのだ! 暫くの休息は絶対に必要だ。い、いや、休んだからといって、こんなところでヤっていいと言ってるのではなくてだな―――」

「そっちじゃねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇよぉぉおおおおぉぉぉぉ????!!!!!!!!!! 〝言いたいこと〟っていったろおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「ぬ、そうなのか?」

 

 喉が痛む叫びは、聞く者の鼓膜を破らんとする爆音波にも例えられるのに、向けられた本人たる十香はきょとんとしてなーんだと安心しきっているだけだった。

 

「そうか。ああ、よかった、ホッとしたぞ。……じゃあシド―、おまえは一体なにを言おうとしたのだ?」

「……ぁあそうだ、それが重要だ」

 

 脱線して、脱力して、よろめいてしまった足にしっかりと根を張り踏締める。気を持ち直し、改めて十香の肩に両手を乗せる。

 

「十香、俺は―――――――ん?」

 

 意を決した士道に、不意に小さく冷たい衝突が鼻先に伝わった。

 何事かと指を添えてみると、そこには丸い水滴がちょこんと漂っていた。

 上を、空を見上げてみると、雲は見境がなくなり灰色の暗雲となって地上に暗い照明を落とす。次第に明かりだけでなく先程の小さな衝突が連続していき、雨となって士道と十香に降り注いでいく。

 

「む……?」

「おいおい、さっきまで晴れてたのに、なんで急に…………?」

 

 まさに〝急〟展開だった。

 今日の天気予報は見ていないが、直にその下にいた士道から見て、天候に異常はなかった。曇りなき空は後に雨になるどころか曇りにすら成りそうもない快晴だったのに、今や激しさを増して強くなってきている。

 こんな劇的な天気の変化を士道は初めて体験した。まるで雨が歩いてやって来た(・・・・・・・・・・)みたいな唐突さだった(・・・・・・・・・・)

 

「ぬぉお?! 空から大量の水が?! メカメカ団の奇襲攻撃か?!」

「奇襲地味すぎるだろ。兎に角走ろう。どっかで雨宿りしないと……」

 

 十香の手を引き、片腕で雨を防ごうと頭に張りつけているが、もう既に服が肌に張り付いた独特の気持ち悪さが纏わりついている。商店街に並ぶ屋台も雨にやられては営業も出来るわけもなく、人々(ラタトスクの人たち)が慌ただしく後片付けをしている。

 

 ……出鼻を挫かれた。

 士道は天気の気まぐれに悪態を突きながら雨を凌げる場所を探す。何処か良い場所がないか、あわよくば雨が止むまで居座れる一石二鳥の場所があればいいなと走っていると、ある一か所に目が止まった。

 

「あれは……」

「む? 士道、あそこに何かあるのか?」

 

 十香が士道の目線の先に気が付いて、指を指しながら訊ねてくる。

他の建物に比べてカラフルな蛍光灯で飾られているその店は、雨の気象により一段と爛々に照らされている。

 天宮大通りにあるゲームセンターだ――――走っている間にいつのまにか普段利用している道に戻っていたようだ。あそこのゲームセンターには何度かクラスメイト、もとい友人の殿町宏人と行ったことがある。

 雨あめ触れふれと謳ったお天道様は、もしかしたらデートを最後までやってからにしろと、こんなところで変なことするなら十香と遊べと警告したのかもしれない。癪だがやる気を削がれてしまったのもあり、あそこでデートを続けようと割り切った。

 

「丁度イイな……十香、あそこで雨宿りついでに時間を潰してこう」

「ぬ、かまわんが……アレは一体なんなのだ……?」

「行ってみりゃ分かるよ」

 

 そそくさと十香を連れ、無駄ではあるがこれ以上雨に濡れないようゲームセンターに退避する。出入口に差しかかり、自動ドアが開いて空気と湿度が調整された生温かさが肌に当る。濡れた服が張り付くのに加わった気持ち悪さが何ともし難いが、乾かすためだと我慢する。

 

「なっ、なんだココは?! 揃いも揃ってメカメカしい物体ばかり……ッ、メカメカ団の秘密基地か!?」

「違うちがう。ゲーセン、ゲームセンターだ。楽しいものでいっぱい遊ぶところだ」

「ゲェセン? 楽しい? ……本当はあの雨を降らした人口降雨装置があって、私たちを此処におびき寄せているのではないか?」

「……なあ十香。なんでゲームセンターは知らないのに人工降雨装置なんて単語は知ってんだよ?」

 

 入口から見えるゲーム筐体に偏った知識を覗かせる十香を見て、精霊はどうやって知識を仕入れているのだろうかとつい考えてしまう士道。そういえば十香の喋り口調も古めかしいというか古風というか、彼女の性格故なのか、少し気になってしまう。

 

 ……まあそれは置いといて。

 

「ここはASTの基地じゃないから、きっと十香も楽しんでもらえると思う……どうかな?」

「む…………シド―は、私と遊びたいのだな?」

「ああ。……十香と一緒に、遊びたい」

「――――うむ、わかった。で、どれで遊ぶのだ? どうやって遊ぶのだ?」

「ん~~そうだな……まずは格ゲー、いや難易度下げて音ゲーの方がいいか、も」

 

 説明する士道を他所にし、初体験のゲームセンターに好奇心が揺れ動いた十香はゲーム筐体をまじまじと見ては別の筐体に視線を移す。そうこうしているうちにゆらゆらと釣られるように中へと入っていった。

 微笑を浮かべながら士道は後を追う。入口に一歩踏み出し、どれで遊ぼうかと考えている

 その途中――――

 

「ん?」

 

 違和感が陰り、関心を引いた。

 何かが引っ掛かって足を止めてしまう。

 通りすがりざまに顔見知りの人だったと気付いて振り向こうとするみたいに、回顧の思いに耽ける。誰か大切な人とすれ違ったのにお互いに気付くことができなかった遣る瀬無い気持が士道を掻き立て、その正体を見つけようと辺りを探す。

 

 

 見つけ出したのは、〝()〟だった。

 澄み渡る青い空、清らかな蒼い海、この間見たばかりの沖縄のそれらに匹敵、もしくは、いや、それ以上の〝()〟があった。この世の総ての〝青〟色と〝蒼〟色がそこに集まっていると言っても過言ではないと断ずるほど綺麗だった。

 

 

 魅入っている士道は、それが〝髪の毛〟であると理解するのに時間が掛かった。

 

 

 信じられない、そう思った。地球という大きな世界の一部を、地上の七割を占め、天を覆っている雄大で強大な存在のソレを、極一部の、小数点を使ってもまだ小さいであろう個人の毛髪が、大自然を上回る色を有しているのだから。

 

 

 人智を超える〝()〟を司っていたのは小さな女の子だった。

 

 

 緑色の外套、大きなウサギの耳が付いたフードを眼深くかぶっており、その貌が拝められない。サイズが少し大きく、袖が余っているちいさな手には人形が、ウサギのパペットが装着されていた。大道芸人、道化師といった第一印象を受ける少女だった。

 歳は妹の琴里と同じくらいだろうか。こんな雨の中、一人で佇む姿は淋しげであるも不思議と様になっている。連れはいないのだと勝手に納得してしまう。

少女も雨宿りをしている……状況から見ればそれがあたりまえの筈なのに、こういうのは失礼だが、士道には少女が雨宿りをしているよりも、雨の中をピョンピョンとウサギのようにハシャいでいる姿のほうが似合っているように思えてならない。少女は雨宿りしているのではないと、これも勝手に納得してしまう。

 では少女は何をしているのか……多分、ゲームセンターに興味があって立ち止っているのだ。というより少女はさっきから店外に設置されているクレーンゲームに釘づけになっていた。筐体の中には愛くるしい動物人形が盛り沢山あり、左手にあるのと同じウサギも入っている。気に入ったものがあるのだろうか、もしかしてお金が無いから眺めているだけなのか。

 

「………………?」

「あ……っと」

 

 少女が、士道の存在を認識した。両者の眼が交差し、ジッと見つめ合う。

露わになる少女の貌。幼く、あどけない端正な美貌は十香に勝るとも劣らない。

 〝()〟い髪、〝()〟い睫毛、そして――――〝()〟い瞳。

 中でも士道が惹きつけられたのがその目であった。瞳孔、前眼房、水晶体が蒼玉(サファイア)で拵えているかのような目。少女の髪を空と海に例えたならば、目は正に地球という星だった。

 命の星・地球。偉大なる母の大らかさに、士道は吸い込まれた(・・・・・・)

 ここは(・・・)、少女の世界(こころ)は、とても居心地が良かった。何も拒まず、何をも受け入れる聖母。

 翼も無いのに自由に空を飛べて、えらも無いのに自由に海を泳いでいける。何をしても許してくれる慈しみ。

 それは少女の世界(こころ)では異物でしかない〝五河士道〟を何時までも居座せてくれるほどで(・・・・・・・・・・・・・・・)――――――――――。

 

「おーい、シド―、なにをしているのだ! ゲェムとやらで遊ぶのだろう! はやく来い!」

「っ……、ああ、わりぃ、ちょっとまっ―――あれ?」

 

 十香からの呼び掛けに応えて一旦目を離し、戻すと、もうそこに少女の姿は無かった。

 離れていった後ろ姿も、走っていった音も無く、日の温かさに溶かされていく氷のように、何も残さず消えてしまった。

 

「どこいったんだ、あの子……―――ッ!」

 

 ホンの一瞬で跡形も残さず消えるだなんて現象……心当たりは一つしかない。

 もしかして、という思考が駆けた時と同じくして、変化は起こった。

 

「雨が、止んだ……?」

 

 BGMとして耳に鳴り響いていた雨音に停止ボタンが押され、雲のカーテンに締められた空が開かれて、日光のスポットライトが地に照らされた。雨が降ってたのが冗談だったような青天の美しさに目が行ってしまう。

 いきなりやって来た雨が、いきなり止む。

 相応しい顛末ではある。始まりと終わりが同じなんてのは有り触れた、よくあること。

 ……そこに理由を求めて、非科学・非論理的であろうと原因を決め付けるのも、よくあること。

 士道の場合、〝()〟い少女が雨女の役目を背負っていて、少女が消えたから呼応して雨も止んだと。そう確信していた(・・・・・・・・)

 

「シド―、どうしたのだ? なにかあったのか?」

 

 いつまで経っても来なかった士道に、十香は傍に寄って来た。そこで雨が止んでいる事に気付き、天を見上げた。

 

「ぬ、空が……」

「晴れたな……」

 

 二人して空を仰ぎ、日の輝きを眺める。

 暗闇の雲を振り払い、蒼穹に広がる空。追随する純白の雲。見慣れているはずの一風景を絶景と感じてしまうのは、雨上がりだけが理由なのだろうか。人間の士道だけでなく、精霊の十香も例外なく心奪われる様は、自分の知っている空は全部紛い物で、今広がっているこの空こそが本物の空だったのだと言わんとするばかりだった。

 

「美しいな。天空を飛び回ることは何度もあるが……何だか損した気分だ、今までちゃんと見ていなかった」

「そいつは違うぞ十香。いつもがこの空になってるわけじゃない。四糸乃が――――」

「…………む?」

 

 十香がピクっと反応し、ツンのある声で呟く。聞き逃せない単語…名詞が耳に届いたから、気になって訊ねようとすると、送り元の士道は途中中断で口を濁し、手を握り拳にしてゴンッと頭を殴った。

 

「ッ、シド―、なにをして――」

「っぅッ……っと、なんでもない。〝変な電波〟受信しちまったみたいだな。忘れてくれ」

「しかし――――」

「いいからいいから、気にすんなって。それよりほら、折角来たんだし寄ってこうぜ、ゲーセン」

 

 ううむ、と小難しい顔をする十香の背を押して士道は入口を通り中へと入っていった。

 

 

 ヨシノ……………………………四糸乃。

 

 聞き覚えは無い。ただ、知っている(・・・・・)名だ。

 

 だが、士道は無視する。意識から引き離す。

 

 何度も何度も何度もなんどもなんどもなんども言い聞かせる。いまは十香との時間なのだと。

 

 そう決めたのだ。

 

 

 決めたのに……

 

 

 

 士道は、後ろを振り返ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○ ○ ○

 

 

 

 空から慣れしたんだ雨の感触を少女――――精霊・四糸乃は傘もささずにその身を持って受け止め、受け入れていた。

 人間の服と違い、四糸乃の拵えている霊装によって体に粘りつく気持ち悪さなど感じず、雨に濡れれば濡れるほど瑞々しい光沢が零れ出る霊力の輝きと合わさって、超自然のパノラマを映し出している。

 雨の似合う少女、それが四糸乃。もちろん良い意味でだが、四糸乃は特別雨に思い入れがあったりはしない。四糸乃にとって雨とは〝自身〟と同義。あって当たり前、切っても切り離せない、そこに居るものと認識していた。

 とはいえ、それでも思うところはいくつかある。雨が地面に浸透し、ピッチピッチチャップチャップと水たまりと自分の足が反響する音はおもしろくて楽しい。一日中そうして遊んでいることだってある。降り注ぐ雨をシャワーのように気持ちよく感じることだってある。何もせずそのまま上を見上げて浴び続けることもあった。

 そして、何をしてでも感じる〝冷たい〟という感覚。ひんやりしていて気持ちよく、それ故浴び続けることがあるのだが、四糸乃は時々こう思うことがあった――――〝寒い〟と。

 体が震える寒さではない。霊装がある限り、凍えるだなんて現象は起きない。ましてや四糸乃は水を司る精霊なのだからありえない。

 

 なのに、四糸乃は〝寒い〟と感じるのだ。

 身体が寒くないとすれば、寒いのは、心の方。

 それは〝寒い〟ではなく、〝寂しい〟というのではないだろうか。

 

 

 まさか―――! 四糸乃は即座に否定する。

 見た目の可愛らしさの通り、大人しくひかえめな性格の少女は滅多に自己主張をしないが、こればかりは強く否定した。

 なぜなら、四糸乃は独りではないからだ。四糸乃の傍にはいつも唯一無二の、かけがえのない親友が居てくれるのだから。

 

『んん? 随分ご機嫌な様子だねえ、四糸乃』

「……? よしのん?」

 

 四糸乃の親友―――よしのんがひょうきんでお調子者な声で四糸乃に話しかけた。

 しかしどういうことか、四糸乃の近くには誰もいない。人影すら見つからない。……強いて、と言えばいいのか、その声に併せて左手に装着されているウサギのパペットが口を動かしている……。

 怪しい一人言と捉えられるかもしれないが、四糸乃は四糸乃で何の疑問も思たず、よしのんと会話をする。

 

「……どうしたの、急に……?」

『なんていうのかなー、四糸乃からスッゴいハッピーな気持ちが流れてくるんだよねえ。よしのんもビンビンに影響受けちゃってさー。テンションが最高に「ハイ!」ってやつになってるんだよー』

「そ、そうなの……? そんなこと、ないよ……?」

『いやいやいやー、すっとぼけちゃってぇ。わかってる、よしのんにはちゃーんとわかってますよー?』

「……?」

 

 よしのんの勿体ぶった焦らしに苛立ちすら見せない四糸乃は疑問符しか浮ばない。

 

『四糸乃~~。ズバリッ! 君はさっきのおにーさんに一目惚れしちゃったんでしょー?』

「え?!」

 

 目をシロクロさせ、わけがわからずの四糸乃。

 親友はいったい何を言っているのだろか? ご機嫌なのは……肯定も否定もできないが、一目惚れとは……

 

「ひっ、ひ…と? っ、ぉ、ぉ、ぉ…?」

『どーどーどー、落ちついて四糸乃。ひっひっふー、ひっひっふーだよー』

「ひ、……ひっふー、ひっひっふー、ひっひっふー」

『落ちついたかーい、四ー糸乃?』

「ぅ、ぅん。ありがとう、よしのん」

 

 顔を真っ赤にして俯いてしまう四糸乃を宥めるよしのん。煽っておいてこの態度。よしのんは口調を裏切らず、性格もお調子者のようだった。そんなよしのんを怒らず、お礼まで述べる四糸乃はお人好しが過ぎるようだった。

 

「で、でも……一目惚れって、なんのこと、なの……?」

『おやおや、まだトボける気なのかーい? あんなにアツーく見つめ合っちゃってたのにぃ、何のトキメキも無いなんて無いっしょー、そりゃ無いっしょー?』

 

 見つめ、合って……?

 よしのんの言ってることを考えて、あっ…、と漸く四糸乃は合点がいった。

 

「…よ、よしのん……ひょっとして………さっきの人のことを言ってるの…………?」

『ひょっとしなくてもそーだよー。よしのんの仲間たちがいーっぱい居た場所で会ったおにーさん……んーんー、〝運命の人〟だよー!』

「…う、……うん、めい?」

『そう! 運命、種死、デスティニ―だよー。迸るシンパシーはよしのんにも伝わったからねぇ、こぅ、ズギュウウウンってキタのよー。四糸乃も感じたっしょ? ズギュウウウン、って。あっ、それともズキュウウウンって感じ?』

「ぇ、え…と、ずきゅ? ずぎゅ?」

 

 ぐるぐると混乱する四糸乃を他所によしのんは衝動を催す衝撃に高ぶっていた。

 

 幾度も経験した現界によって、今日も四糸乃とよしのんはこの世界へと降り立った。

 幸いにして壊れた街の真ん中でもなく、いつも四糸乃とよしのんをいじめて(ころそうとして)くる人間たちが居なかったからのびのびと、水を得た魚のように雨に打たれながらすいすいと知らない街を歩き、ときに走り、満喫していった。

 その道中、キラキラと煌びやかなネオン(ひかり)で飾られた建物(ゲーセン)が目に止まった。四糸乃とよしのんの見る世界はいつも暗いか薄暗いから、余計に光り輝く物に惹かれるのかもしれない。

 誘惑されるようにその建物に近づく。間違っても入ったりはしない。中には人がいる。ただでさえ人間に苦手意識をもっているのに、恥ずかしがりやで人見知りな四糸乃には入口に近づくのが限界だった。だから四糸乃が入り口に設置されているクレーンゲームに興味を持つのも、筐体に入っているのがよしのんと同じ姿をしたものに夢中になるのも自然の流れだった。外に出ていても聞こえる喧しく騒がしい音は気にならなかった。クマの姿やペンギンの姿、そしてウサギの姿をしたパペットに釘づけになっていた。 

 よしのんも、四糸乃同様に筐体の中の同類を興味深げに見ていた。よしのんには敵わないが、十分に魅力的で可愛い姿をしている。重ねて言う、よしのんには敵わないが!

 自信過剰な思いに満ちていた傍ら、よしのんはチラリと(・・・・)四糸乃を見守りながら思案する。パペットを見る四糸乃が何を考えているのか、よしのんには何とはなしに分かる。自分達は異心同体なのだから(・・・・・・・・・・・・・)

 可愛いと思い、よしのんの影を感じている。無理もない。可愛いのだもの。しつこく言うがよしのんには敵わない!

 そんな時だ。視線を感じたのは。

 四糸乃はまだ筐体の中に夢中だったからよしのんが代わりにその存在を探しだした。

 

 人間の少年だった。

 四糸乃より背は高く、四糸乃と色彩の違う青みがかった髪をしていて、右手に包帯を巻いている。あとは普通……よりかは中性寄りといった印象を受ける男のおにーさんだ。

 おにーさんは食い入るように四糸乃とよしのんを見つめていた。これもよしのんが魅力的過ぎるのがいけないのよねぇと思いながら、よしのんも人間は女ばかり見ていたから男の子は珍しいとついつい見つめてしまう…ことができない。よしのんの視覚は四糸乃の視覚に依存する。おにーさんの姿が見れたのは目の隅に映っているのを見ただけだ。

 

 ちゃんとハッキリと見たい―――よしのんの思いを感じたのか、四糸乃がようやっとおにーさんを感知し、目を向けた……

 

 途端―――奇妙な感覚が2人を襲った。

 奇妙といっても不快感ではない。襲うといっても恐怖はなかった。

 どう言葉にすればいいのか…………入ってきた(・・・・・)、そんな感じだ。

 家の中に友達を招くみたいに歓迎して迎え入れた、そう、それがシックリきた。

 はじめて遊びに来てくれた、はじめての友達。もちろん錯覚で設定だ。でも本当にそんな感覚なのだ。暖かくて、楽しくて、安心できる。

 

 よしのんがこれだけ胸を打たれたのに対し、四糸乃の感情はそれ以上に影響を受けていた。

 

 例えるならば、ずっとここで暮らしていこうと、ずっと一緒にいようと告白したいくらいの衝撃だった。

 

 心の裡からくる気持ちが溢れ、持て余し、彼が目を離した隙に逃げてしまった。

 残ったものは、仄かな微熱と、後悔に名残惜しさ。

 もう少し、もう少しだけ、あのぬくもりに触れていたかったなと、四糸乃は確かに惜しいと思っていた。

 

『よしのん以外に一緒に居たいって思っちゃう。四糸乃(・・・)がだよ?(・・・・)しかも会ったばっかりのおにーさんにそう思ったんだからもう確定っしょ!目が合った時点で逃げなかったのがイイ証拠だよー。四糸乃はおにーさんに一目惚れをした。恋にオチちゃったんだよー』

「そっ……!? そんなんじゃ……ない、よ。その、私は…ただ、あったかい人だな……って思って、あんまり怖くないなって、思って……他の人たちと違うなあって思って……」

『だ・か・らぁ~、それが恋だって言ってるんだよぉ~。もぉ、自覚なしなのがイジらしいってゆぅかー、妬けちゃうなーもぅ!』

 

 左手ウサギパペットが器用に腕を交差させクネクネ体を動かす様は四糸乃の操作技術が優れているからなのか、生きているかのようなだった。

 

「ぁ、ぅ……」

『恥ずかしがることじゃないよ、四糸乃。キミが感じてるソレはきっと〝四糸乃〟にとって大切な気持ちさ。怖がることもない。あるがままに求めちゃえばいいんだよ』

「もとめる、とか……わからないよ。こんなの初めてで………」

『だぁったらー、いますぐ引き返して会いに行けばいいんだよー。もう一度会えば四糸乃にもきっとわかるはずさ。リターンだよリターン~』

「えぇ…!? む、むりだよぉ…」

 

 涙目になりながら消え入りそうなか細い声で四糸乃は拒否する。〝会いに行く〟行為にすら恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだった。

 ぶーぶー、とブーイングを送るよしのんは不満そうでも強制はしなかった。

 なぜだろうか、あの少年とは近いうちにまた会えそうな気がしたのだ。この雨と四糸乃とよしのんのように、一緒であたりまえ(・・・・・・・・)の存在だと信じている。どうも四糸乃だけでなくよしのんもあのおにーさんに入れ込んでるみたいだ。

 

 

 その後、引き返すことはなく、四糸乃は雨降る街を走っていった。足取りは軽快に、羽が生えたみたいに駆けていく。

 

 

 こうして――――決してちいさくない余韻を残し、四糸乃とよしのん、五河士道の刹那の出会いは終わった。

 

 

 後に、3人は思わぬ形で再会する事となる。

 それによってとある精霊とトラブルになるのだが、今はまだ別の話。

 

 

 

 

 


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