この素晴らしい世界で蒼い悪魔に力を!   作:(´・ω・`)

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Secret episode10「Another Prologue ~魔王降臨~」

 魔界――人ならざる者が巣くう場所。魑魅魍魎、悪鬼羅列、修羅地獄で作られし闇の世界。

 この世界に秩序などない。あるのはただひとつの理。

 

 力こそ正義――強者こそ絶対。

 

 たとえ同族だろうと関係ない。弱者は淘汰される。それが魔界の理。絶対不変のルール。

 選択肢は二つ。強者として這い上がるか、弱者として運命を受け入れるか。

 

 魔界にひとつ、小さな闇がいた。種族としての呼び名はあれど、彼自身を定義する名はない。名無しの悪魔。

 名無しは争いを好まなかった。闇らしからぬ心があった。強者のみが生き残る魔界で、名無しは強さを求めず、されど消滅を望まず。彼は第三の道を選んだ。

 光と闇の狭間、混沌の世界――人間界への逃亡。

 人間界へ移った悪魔は彼だけにあらず。同じ考えを持つ者もいれば、人間界で力を蓄えんとする者や、強者のいない世界で快楽を求める者。理由は様々だが、全てに共通する点がひとつ。

 彼等は、人間界にとって異物であった。人間は異物を畏怖し、いずれ排除しにくる。同胞にも、人間の手で殺される者はいた。

 名無しは、仕方のないことだと思った。こちらが勝手に足を踏み入れたのだから。名無しは、悪魔としてあまりにも穏やかであった。

 しかしその名無しも、やがて人間達に見つかった。争いたくはない。逃げるべきだと身構えた。

 

 名無しが出会った人間達は、温かく迎え入れてくれた。

 名無しを怖がる人間はそこにいなかった。名無しを迫害する者はいなかった。彼等は、悪魔に理解を示してくれた。

 魔界では感じたことのない心地よさが、彼を包んだ。名無しはそこを安住の地とした。魔界から逃げた彼は、ようやく平穏を手に入れた。

 

 だが、彼の平穏は崩れ去った。想像だにしなかった厄災が訪れたことで。

 魔帝ムンドゥスによる人間界の侵略――逃れたと思った筈の闇が、こちら側にやってきたのだ。

 人間は、悪魔と対抗するにはあまりにも弱かった。人間は為す術なく蹂躙され、世界が闇に覆われていく。

 名無しは平穏を守るために戦おうとしたが、強者の世界から逃れてきた彼が勝てる筈もなく。瞬く間に平穏は奪われ、自分を迎え入れてくれた人間達も殺され、死を恐れた名無しは再び逃げた。

 この世界も闇に吞まれてしまうのか。人間も名無しも、誰もが絶望した――その時であった。

 

 一人の悪魔が、反旗を翻した。

 彼の名はスパーダ――後に、伝説の魔剣士と呼ばれる者。

 スパーダは人間の為に剣を取った。かつての同胞達を斬り、魔帝ムンドゥスを封印。自らの魔剣を封印として使い、魔界と人間界を繋ぐ扉を閉じた。

 やがて彼は姿を消したが、人間界を救った英雄として人々から崇められた。名無しも同様に、スパーダの魔帝を超えし力と人間を想う心に強い憧れを抱いた。

 いつか彼のような存在になりたいと願った名無しは、魔界には帰らず人間界に留まった。しかし魔界侵略の影響により、悪魔達は今まで以上に身を隠して行動する必要があった。

 やがて名無しは人間に化ける術を得た。人間をより知るために、名無しは国を巡った。ひとところに留まれば悪魔狩りに狙われる恐れがあったのも理由にある。

 長い時を経て、スパーダの伝説も御伽噺となった頃――名無しは、日本と呼ばれる国にいた。

 

 

*********************************

 

 

 人間が雑踏しビル群が建ち並ぶ都会の街。雑居ビルの屋上で道行く人々を見守る、黒シャツにジーンズ、薄汚れた白いパーカーを着た黒髪の少年――日本で溶け込みやすい人間に化けた名無しである。

 彼にまだ名前はなかった。名乗る必要があった時は本などで見かけた適当な名でやり過ごしており、彼自身を表す名は存在しない。名が無ければ衣食住もままならないのが人間社会だが、彼は悪魔。食事と睡眠は基本的に必要としない。今着ている服も人間へ化ける際に生成した物。故に、名が無くとも不便はなかった。

 紛争がなく比較的平和な国である日本を、彼は気に入っていた。自分以外の悪魔も少ない。妖怪と呼ばれる、長きに渡ってこの国に潜む人ならざる者はいたが。

 できることなら名無しはこの国に腰を据えたいと考えていたが、いつまでも住所不定では怪しまれ、この国にもいるであろう悪魔狩りに目をつけられかねない。戸籍と家を得るには金がいる。しかし名が無ければ働けず、かといって非合法な手は使いたくない。どうしたものかと人間観察をしながら考えていた時であった。

 

「……血の臭い」

 

 彼の嗅覚が、血を流す人間の存在を示した。ここからそう遠くない。そして感じ取ったのは、血の臭いだけではない。自分と同じ、悪魔の臭い。人間が悪魔に襲われていることを察知した彼は、膝を曲げて軽く跳躍。道路を挟んだ向かいのビルに、いとも容易く飛び移る。そのまま跳躍を繰り返し、臭いの源へ急ぐ。

 やがて辿り着いたのは、薄暗い路地裏。ビルの屋上から下を覗き込むと、腹から血を流して倒れる男と、彼に迫る異形の者がいた。名無しはすかさず飛び降り、男と悪魔の間に割って入った。

 

「あん? なんだ小僧?」

 

 突如現れた少年に、悪魔は困惑と怒りの混ざった声を発する。が、臭いを嗅ぐ仕草を見せると、相手はすぐに少年が何者なのかを理解した。

 

「テメェ、俺と同じだな。自分で狩れないからって、獲物を横取りしに来たか?」

「いいや。人間を助けにきた。けど、なるべく同族を手にかけたくはない。今すぐここから立ち去ってくれないか?」

「あぁ? 何訳のわからねぇこと言ってんだ? 美味そうな肉が目の前にあんのに、我慢して立ち去る馬鹿がどこにいんだよ!」

 

 名無しの警告空しく、悪魔は鋭い爪を伸ばして名無しに振りかざす。対する名無しは防御する素振りも見せず、挙げた右手を開いて悪魔に向ける。

 

「残念だよ」

 

 名無しが右手に魔力を込めた刹那――悪魔の顔は、跡形もなく消し飛んだ。動きが止まり、声も発さなくなった彼は後ろへと倒れる。名無しは死骸に向かって再び力を放つと、死骸は塵も残さず消え去り、地面には人の物とは違う異質な血の色だけを残した。

 かつて魔界から逃げ出してきた弱者の名無しは、長い時を経て強大な力を持つ悪魔となった。先の下級悪魔程度であれば取るに足らない。それでも魔界に帰るつもりはなく、平時は魔力を最大限に抑えて暮らしていた。

 向かってきた悪魔を片付けた名無しは人間の方へ振り返る。人間は驚いた顔でこちらを見上げていたが、その目は生気が消えかかった虚ろなものとなっていた。

 名無しは直感する。この人間は助からない。

 

「すまない。私がもう少し早く気付いていれば……」

 

 名無しは目を伏せ、男に謝罪の言葉を掛けながら追悼する。男には名無しの言葉が聞こえたのか、今にも消えそうな掠れた声で呟いた。

 

「死にたくねぇよぉ……」

 

 男の、生を渇望する願い。もし相手を治癒できる力があれば叶えられたであろう。長い時の中で名無しもその力を渇望したが、名無しの願いは叶わなかった。傷を覆ったり魔力を流すといった真似事は可能だが、その方法で治療された人間はやがて悪魔の力に蝕まれ、痛みに耐えられず息絶えるか、暴徒と化すか。まだそのまま死んでいった方が楽だったであろう。

 故に男の願いは叶えられない――まだ試したことのない、ある方法を除けば。

 

「君の死を止めることはできない……が、君という存在を残すことは可能かもしれない」

 

 名無しは語り出す。しかし心に迷いはあった。これから話すのは、正確には男を生かす方法ではない。名無しの願いを叶えるものだ。

 

「私は人間を知りたい。人間と共に生きたい。しかし私には人間の名がない。私がこれからも人間界を生きるには、偽りではない人間の身体が必要だ」

 

 迷いとは裏腹に、男の口から出る言葉は留まらず。名無しは男へと手を差し出した。

 

「君の身体と名を……私にくれないか? 私は君となって生きる。君の記憶を、願いを、私が受け継ぐ」

 

 名無しが、男の新たな魂となることを。

 人間の死はどのような条件で訪れるのか。名無しは魂の定着率の低下だと考えていた。肉体の損傷、病、寿命。理由は様々だが、それらが進むにつれて魂と肉体は剝がれ始め、やがて完全に分離した時こそ人間は死を迎えるのだと。

 では――魂を失った肉体に新たな魂が宿れば?

 名無しは一度、魂無き器に入ろうと試みた。結果だけ言えば肉体を動かせたのが、名無しの望む結果ではなかった。魔力で傷を補おうと肉体に血は通わず。既に機能停止した身体を無理矢理動かしているだけに過ぎなかった。人ではない、屍だ。

 望む結果を得るには、人間が生きている内に器へ入らなければならない。野蛮な者ならさっさと人間に入り込み肉体の主導権を奪うであろうが、優しき心を持つ名無しが同じ真似をできる筈もなく。故に名無しは探した。生死の狭間に立つ者を。そして今日、彼は男と出会った。

 

 人間の魂だと留まることは難しいであろうが、悪魔――それも二千年の時を生き力と知見を得た者ならば、機能を失った肉体を補強した上で定着させることも可能ではないだろうか。

 確証はない。それに、あくまで自分が成り代わるのであって男の魂を救うことはできない。自分勝手なわがままだ。人間になりたいという、名無しの願い。

 名無しは縋る思いを胸に手を差し伸べたまま男を見る。彼に声が届いたのかは定かではないが、男は希望を求めるように名無しの手を取った。

 男の手を伝って感じる魔力は、吹けば消えてしまいそうな灯火のようだ。名無しは感じ取った魔力を見失わないように神経を研ぎ澄まし、自身の魔力を流し込んでいく。

 次第に名無しの視界がぼやけ始め、握っている手の感覚も消えていく。否、感覚だけではない。名無しの肉体そのものが星屑となって消え出していた。

 

 やがて男の顔も見えなくなった頃、肉体を失い意識だけの存在となった名無しが辿り着いたのは――眩し過ぎる光と漆黒の闇が入り乱れる、混沌の世界。天地も時も存在しない空間で、名無しは迷わず進む。まだ微かに感じ取れる魔力の線だけを頼りに。

 気が遠くなる程の長い時間だったか、一秒にも満たない一瞬であったか。混沌の世界を進み続けた末に、名無しは辿り着いた。世界の中心に。

 そこに存在したのは、かつて球であったもの。崩壊が始まり、形が歪になっていく。これが男の魂だと直感した時、名無しは既に球へ向かっていた。傷口を埋めるように、名無しは崩壊した側から球に触れる。

 球へ触れた瞬間に感じた、強い反発力。だが、跳ね返せない程ではない。名無しは無理矢理押し込み、球の中へ。同時に流れ込んでくる、男のものであろう記憶、感情、思念。それらが名無しを埋め尽くし、名無しの自我を失わせようとする。だが名無しは己の心を強くイメージし、存在を確立する。

 そして――名無しは最後の力を振り絞り、魔力を解き放った。

 

 

*********************************

 

 

「……うぅ」

 

 暗闇の世界から思考が戻り、彼は目を開ける。瞼の間から差し込む光が一層強く感じ、彼は目を開けることを一瞬躊躇ったが、目はすぐに慣れ始めて瞼を開く。ぼやけた視界が鮮明になり、ビルとビルの間から見える青い空を映した。

 仰向けで倒れていることに気付いた彼は、おもむろに身体を起こす。彼が倒れていたのは狭い路地裏。地面にあるのは先程まで倒れていた自分と、中身が零れている鞄がひとつ。

 彼は右手に視線を落とし、手を開いては閉じを繰り返す。手は自分の意思に従って正しく動いている。当然だ、自分の手なのだから。

 次に彼は、思い出したように自身の脇腹を見る。服は大きく破けていたが、露わになった肌は人間らしい綺麗な色を見せていた。コンクリートの地に付いた赤黒い血は流れていない。

 彼はようやく立ち上がると、横を見た先にあったビルの窓を見る。反射して半透明で映し出された自身の姿は、冴えない男の顔。

 

「そうか……俺は……」

 

 思考が晴れていく内に、彼は思い出す。かつて自分が何者であったか――そして、何者になったのかを。

 彼が歩んできた『二つ』の道程は記憶に刻み込まれている。そのどちらも紛れもない現実だが、同時に限りなく現実に近い夢のようにも感じていた。

 魂の融合――支配でも寄生でもない。二人は一人となったのだ。その代償として、片方の現実で保持していた大量の魔力は大幅に削られてしまったが、悲願が叶ったことを考えれば安いもの。

 そういえばと、彼は地面に転がっていた鞄を拾い上げて中身を確認する。彼の探し物はすぐに見つかった。当然だ。これは彼の鞄なのだから。

 鞄から取り出したのは折り畳み式の黒財布。彼は財布を開き、カード入れの中から一枚取り出す。カードは彼の顔写真が印刷された、大学の学生証。彼は窓で見た顔と同じであることを確認すると、学生証に刻まれた名前を声に出した。

 

「八坂……恭介」

 

 こうして悪魔(名無し)人間(八坂恭介)となった。

 

 

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 八坂恭介は、平凡な男であった。知性も運動も平々凡々。誰かを引き付けるカリスマもない。趣味はネットゲーム。その世界では、ソロで活躍する冒険者として謳われていた。

 それは、これからも変わることはない。八坂の魂となった『彼』は、八坂恭介として生きる道を選んだ。八坂恭介の記憶をもとに、八坂恭介が起こしうる範囲外の行動は起こさない。人間として自然に溶け込む為でもある。故に、かつて『彼』が救っていた人間は救えない。これを八坂は歯痒く思うが、仕方のないことだと自身の弱さを受け入れた。

 八坂はいつも通り大学へ通い、学びを得て、数少ない友人と遊び、家へ帰りネットの世界で冒険をする。リアルとネットの友人達からは特に怪しむこともなく、平穏な日々を送っていた。ただ、ガラの悪い生徒に絡まれた時は強めにやり返してしまったり、スポーツをする時にうっかり好成績を出してしまったりと、時折八坂恭介を逸脱する行為をしてしまうことはあったが、なんとか誤魔化してやり過ごした。

 

 そして一年が経ち――二年が経った春のこと。

 

「ふぁああっ……」

 

 大学へ通う通学路、八坂は眠たげな声を漏らす。しかし太陽は既に空の頂点。高校なら遅刻確定であるが、今日は午後からの授業なので問題はない。こんな時間でも寝ぼけているのは、夜更かししてまで冒険者のレベルを上げていたせいである。

 人間としては怠惰な部類に入る生活だが、八坂は満足していた。ゲームだけでなく、大学での課題もそつなくこなしている。単位も落としていない。大学卒業後はまだ考えていないが、きっと可もなく不可もなくの企業に勤めることになるであろう。

 かつて『彼』であった記憶も、長い夢だったのではと思うようになっていた。内に残っていた筈の魔力も、今や魂の奥底で安らかに眠っている。だがこれでいい。これが『彼』の求めていた、人間として生きる道なのだから。

 

「(そういえば今日、新作フィギュアの発売日だっけか……帰りに寄ってみよう)」

 

 ゲームだけでなくアニメも好んで見ていた八坂は、フィギュアのことを思い出す。眠気を覚ますように目をこすり、周辺の建物を見る。確かこの通りにオタク向けの販売店があった筈だと、記憶を頼りに看板を探す。

 程なくして、八坂は目的の販売店を見つけた。ちょうど自分が立つ場から二車線の道路を挟んだ向かい側。目の前にある横断歩道を渡ればすぐに行ける。今からでも買いにいけなくはないが、流石に大学へフィギュアを持ち込む真似はしたくない。ちょうど赤信号なのもあって、八坂は販売店へ立ち寄る気持ちを抑えた。

 が――八坂はその場で足を止めた。葛藤があるわけでも、新作ゲームの広告を見たからでもなかった。

 

「……えっ?」

 

 八坂は思わず声を漏らす。彼の視線が向く先は、横断歩道のど真ん中――その場に忽然と立つ、長い黒髪の少女。

 身長的に小学生か中学生であろうか。八坂は目を疑ったが、確かに少女はそこにいた。細く華奢な身体と白い肌で、こちらから見える横顔は端麗なものであった。

 少女はこちらに目もくれず、道路の先を見ている。そして彼女の見る方角からは、銀色の巨大な獣――否、大型トラックが迫っていた。トラックはスピードを緩めず直進している。

 少女はどこから現れたのか。もしや幽霊か。他には見えている人はいるのか。様々な疑問が八坂の脳裏を過ったが、全て後の祭り。

 

 既に八坂は、少女に向かって走り出していた。どうして駆けだしたのかはわからない。魂となった『彼』のせいか、それとも八坂本来の性格故か。あるいは両方か。

 不思議なことに、八坂の見える世界は時空が歪み、全てが遅く感じた。それは八坂自身も同じで、彼は必死に足を踏み出すが、その一歩がとても重い。

 一歩、一歩と大きく、力強く踏み出し、やがて彼は少女のもとへ辿り着く。八坂は少女に触れると、全力で少女を押し飛ばした。少女は宙に浮かび、八坂のもとから離れていく。八坂は少女を救い出せただろうと安堵する。トラックが迫っているであろう横を見ることはしなかった。

 内に眠っている筈の魔力も、呼び覚まそうともしなかった。長いこと眠らせていたのもあって呼び起こすのに時間がかかるのもあったが、人間として、人間らしく終わりを迎えることに、八坂は喜びを感じていた。

 きっと『彼』も『八坂恭介』も、同じことをしただろう。八坂は安らかに眠るように目を閉じる。

 

 身体に強い衝撃を覚え、浮遊し、何度も打ち付けられる痛みを感じた後――八坂は意識を手放した。

 

 

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「ようこそ、死後の世界へ。貴方は不幸にも若くしてその生を終えました」

 

 透き通った女性の声が響いた。暗闇の中に落ちたと思われた意識は蘇り、八坂は眠りから覚めるように目を開ける。

 人々が渡り歩く街中とは打って変わり、薄暗い静かな空間。天から落ちる光は八坂のいる場所を照らし、自分はいつの間にか椅子に座っていた。

 そして、同じく椅子に座りこちらと対面する者が一人。白い修道服のようなものに身を包んだ、金髪の女性。その背からは純白の羽が生えていた。

 

「えっと……貴方は?」

「申し遅れました。私は女神シルヴァ。迷える魂を導く天の使いです」

 

 女性は自ら正体を告げる。自分は女神だと初対面で言われた時、多くの者が冗談だと思うであろう。

 しかし八坂は違った。彼女は何一つ嘘を吐いていないと確信を得ていた。彼女が発する神聖な魔力を、直に感じ取っていたが故に。

 

「……するとここは死後の世界? いや、ゲームの世界って可能性もあるな。意識を失っている間に運ばれて、開発中のVRゲームテストに参加させられてるとか? どうだ、当たりだろ?」

「残念ながら前者です。ここは現世から離れた魂が最初に行き着く場所……天国と地獄の分岐点。導きの間です」

「……マジ?」

 

 しかし八坂は信じていない風を装い、シルヴァに言葉を返す。シルヴァは八坂から目を離すと、横の小さな机に置いていた本を手に取り、目を通しながら話を続けた。

 

「現世での行いを証左し、どちらの世界に魂を送るのかを定めるのが私の役目。しかし……どうやら君は、特殊な部類に入るようだね」

 

 本から目線を戻したと同時に、シルヴァの声色が変わった。対する八坂は動揺の色を見せずに彼女の目を見つめる。

 互いに沈黙が続く中、やがてシルヴァは手元にあった本を閉じ、元の場所に置く。そして右手を開くと、手のひらの上で淡い光が発現する。光は次第に角張った形を帯び、気付けば彼女の手に一冊の本が握られていた。机に置いた本とは、全く別の本が。

 

「君の身体は確かに人間だった。しかし内なる魂は、人間であって人間ではない。どうかな?」

 

 どうやら女神の目には全てお見通しのようだ。八坂は諦めたように俯き、息を吐く。

 

「そうか……地獄へ帰る時が来たんだな」

 

 バレてしまった以上、自分はあるべき場所へ帰らなければならない。相手が短気な女神だったなら即消されていただろう。しかしシルヴァはまだ手を出してこない。殺意も感じられない。こちらが素直に地獄へ帰れば、きっと手荒な真似はしないであろう。

 そんな願望も込めて、八坂は俯いたまま嘆く。さて相手はどう出るか。顔を上げずにじっと待ち――シルヴァの声が響いた。

 

「何か勘違いをしているようだね。私は、道がひとつしか無いとは言ってないよ」

 

 耳に届いたのは、八坂も想像していなかった返答であった。八坂は思わず顔を上げてシルヴァを見る。彼女は穏やかな表情のままで、殺意も未だ感じられない。

 

「混ざりあっているとはいえ、悪魔を天国に送るわけにはいかないだろう? それとも現世に帰って、幽霊として彷徨い続けろと?」

「現世に戻るのはあながち間違いではないね。ひとつ違うのは、君の知る現世ではないこと」

 

 尋ねると、シルヴァは更に理解の及ばない返答をする。天国でも地獄でもなく、自分の知らない現世。いったいどこに送られるというのか。

 八坂が息を呑んで言葉を待つ中、シルヴァは答えた。

 

「異世界に転生し、冒険者として魔王を討つ道だよ」

 

 ――それから八坂は、シルヴァから異世界転生について聞かされた。

 転生先の異世界では人間達と魔王軍の戦いが繰り広げられ、人間は減少傾向になりつつある。転生させようにも拒否する魂が多いとのこと。

 その対策として、異世界から若くして死んだ者を転生させる試みを行っていた。若い魂の方が未練もあり、活気に溢れ、何故か冒険者になることに憧れを抱いているとか。

 異世界転生させた者は生前の記憶と肉体を引き継ぎ、更に『転生特典』も付与されるという大盤振る舞い。これでもなお魔王が未だ倒されていないのは、余程の強者と見るべきか。 

 

「生前は空想の世界で冒険者として随分のめり込んでいたようじゃないか。そんな君には、うってつけの道だと思わないかい?」

「……魔王を討てなかったらどうなる? リミットは?」

「ペナルティもリミットもない。そもそも異世界転生の取り組みは、人類を増やす為でもあるのだからね」

「魔王を討った後は? 魔王がいなければ勇者はお役御免だろう。元の世界に返されるのか? それともやはり地獄に?」

「随分と地獄がお嫌いのようだね。安心するといい。君は異世界に残ったままだ。けど……ひとつだけ私から役割を課させてもらう」

 

 ここからが本題だと示すように、シルヴァは椅子から立ち上がると数歩前に出て、八坂を指差しながら条件を告げた。

 

「君が、新たな魔王となるんだ」

 

 話を根本から覆す条件を提示され、八坂は理解が及ばす固まった。

 魔王を倒す為に送り出すのに、どうして彼女は魔王の誕生を望むのか。どう言葉を返すか迷う中、シルヴァは指差した手を下ろして話を続ける。

 

「魔王は倒すべき敵である一方で、世界のバランスを保つために必要な存在なんだ。故にこの世界では、魔王を倒しても新たな魔王が生まれる。そういう理だ。君の好きなゲーム同様、ストーリーには欠かせないラスボスというわけさ」

 

 シルヴァは、これから転生される世界の理(ゲームシステム)を話す。曰く、魔王を倒した後は数年平和が訪れるも、やがて魔王軍の中から新たな魔王が生まれるという。今は、魔王の娘が最有力候補だとか。

 では魔王の娘も倒し、魔王軍も壊滅させればどうなるのかと聞くと、それでも魔王の意思は誰かに受け継がれるという。もっとも、魔王軍を一人残らず倒す方法自体が現実的ではないのだが。

 レベルと経験値という概念が存在し、レベルアップによって人類が進化する理である以上、人類の進化を促すには倒すべき敵が常に存在し続けていなければならないと、シルヴァは語る。

 

「だが……もしも魔王を倒した者が、新たな魔王になると宣言すれば? その者が、魔王を倒した勇者であったならば?」

「……人間との対話も望める」

 

 ならいっそ、勇者が魔王を担えばいいのだ。人類にとっての救世主が、魔の者にとって絶対君主となる。それができれば、理から外れることなく、真の平和(トゥルーエンド)に辿り着けるのではないかと。

 

「なにせ地獄の住民が混ざった魂の転生なんだ。特例を認める以上、これぐらいの条件は呑んでもらわないと」

「どうせ断る以外の選択肢なんてないんだろう?」

「察しがいいじゃないか。おかげで私も余計な魔力を消費しなくて済む」

 

 どのみち、他に進める道などない。シルヴァも八坂を逃がす気はなかったようで、目を細めて笑う。

 もっとも八坂自身、既に道は決めていた。彼女の示した道は、彼が夢描く理想の自分に限りなく近かったのだ。

 人間を脅かす魔王を倒し、人間達の希望に――彼の憧れていた、伝説の魔剣士のように。

 

「わかった。俺が魔王を倒して、新たな魔王となる」

 

 八坂は、勇者となった。転生者に与えられる転生特典は、伝説の魔剣士に倣って自身の名を冠する魔剣を。

 転生して異世界に降り立った後、八坂は伝説の魔剣士のように絶対的強者を目指すべく、仲間を探さずに一人で戦った。生前、オンラインゲームもソロで遊んでいた影響もあるだろう。

 各地を巡り、レベルを上げ、モンスターや魔王軍と戦った。道中で仲間になりたいと進言する者もいたが、八坂は断った。孤独ではあったが、理想の勇者になるためだと言い聞かせてソロ冒険者を貫いた。

 紅魔の里を訪れた際には、一人の少女に魔剣士の神話を伝えた。温泉に釣られてアルカンレティアにうっかり踏み入った際は地獄以上の恐怖を見た。 

 国を渡り歩き、やがて八坂は魔王のもとへ辿り着いた。魔王との戦いは熾烈を極めたが、戦いの果てに八坂の魔剣は魔王を貫き、魔王を討った。

 そして八坂恭介は――新たな魔王となった。

 

 

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「……伝説の魔剣士よ。私は、貴方のような存在にはなれなかった」

 

 魔王城の、魔王と数少ない者しか入ることのできない魔王の部屋。八坂は自身を哀れむ声を漏らす。寝室に飾っていた、自身の転生特典――魔剣ヤサカへ語り掛けるように。

 

 あれから、長い年月が過ぎた。八坂は人類と魔物が共に歩める真の平和を目指そうとしたが、両者の溝は八坂が想像していた以上に深かった。

 人類の多くは魔王軍の根絶を願い、魔王軍に属する魔物は人類滅亡を望んでいる。人類の希望である勇者が魔王になったからといって、劇的に変わるわけではなかった。ソロ冒険者を貫き、たった一人で魔王を倒してしまい、人類側の目撃者を用意していなかったのも原因のひとつである。

 理想の世界を作るためには時間がかかると見た八坂は、魔王として君臨し続ける傍らで、魔王軍の侵略を減少させていった。反発が起きないよう、緩やかに。これを人類側が好機と見て攻め込んできた時は、拮抗を保つために負けじと迎え撃った。目指すのは一方的な支配でも、人類への降伏でもない。対等な平和。

 目標にはまだ遠いが、徐々に形として現れてきていた。八坂が魔王となった頃よりも過激派は減少。魔王軍の中には、諜報員として活動していく内に国の未来を憂い、財政を支える仕事をする者もいた。人類の進撃も近年は停滞しつつある。その一方で文明、魔法は著しく発展していき、人間も魔物も互いに高め合うように強くなっていった。人類の敵として魔王が存在し続けている理由を、八坂は肌で感じていた。

 このままいけば、きっと辿り着ける。そう信じていた八坂であったが、ここで予想だにしない出来事が起きた。悪魔の出現――それも、かつて八坂がいた世界の悪魔。異世界からの侵略者である。

 突如として現れたかと思えば、影響を受けた魔王軍幹部もおり、調査の中で悪魔を従える存在がいると判明。八坂の知らぬ者であったが、放っておけば世界の破滅を導きかねない。だが、敵は想像よりも早く歩を進ませていた。

 

 今宵、その異分子が魔王城へと辿り着く。どうやら魔王軍幹部候補の堕天使デュークを手駒に収め、デュークは異分子を利用し反逆を企てているという。

 ここは厳戒態勢で城を守るか、即刻デュークを探し抹殺するのが定石だが、八坂はこれを転機と捉えた。この異分子を利用すれば――自身の思い描く世界が実現するのではないかと。

 その為に八坂は異分子が来る前に先手を打った。最も信頼できる側近へ役目を言い渡し、あらかじめ魔王の娘と共に魔王城から出て行ってもらった。本来なら自身が殿として城に残るつもりだったのだが、魔王様を置いてはいけないと半数の部下も城に残った。彼等の忠誠心の高さは魔王として重々理解している。決意は固いだろうと、八坂は彼等を追い出そうとはしなかった。

 それに、こちらも長年魔王を名乗ってきたプライドはある。黙って倒されるつもりはない。八坂は魔剣を手に取ると寝室を出て、壁の松明が照らす狭い階段を一段一段踏みしめるように上り、玉座の間へ。今まさに城内で戦争が起きているというのに、広間には静寂が漂う。八坂は魔剣を杖に見立てるようにして玉座に腰を下ろす。じっと、仰々しい扉を睨みながら彼は待った。

 

 やがて、扉が重い音を立てて開かれる。扉の隙間から玉座の間へ足を踏み入れたのは――黒い服を着た、赤と青のオッドアイを持つ男。彼の額には、異質な金色の眼が埋め込まれるようにしてこちらを睨んでいた。男は臆することなく歩を進め、八坂の前に立つと口を開いた。

 

「君がこの世界の王か」

「……貴様が、その世界を乱している異分子か」

「心外だな。私は招待のチケットを頂いてこの世界に来た。招かれざる客ではない」

 

 男は手に持っていた本を見せびらかすように示す。あれが、彼の与えられた力(転生特典)だろうか。八坂は男を観察しつつ、問いかける。

 

「手を下す前に聞こう。貴様の目的は? 悪魔を従え、この世界にあるべきではない混沌を起こし、何を望む?」

「私の望みはひとつ。この世界の神として君臨することだ。その一歩として、まずはその冠をいただくとしよう」

「魔王はあくまで通過点か。まさに傲慢。そして、思い上がりも甚だしい」

 

 男は既に勝利を見据えているかのような口ぶりで挑発する。悪魔を従える力に余程の自信があるようだ。

 

「我が魔剣をもって、貴様の傲慢な願いをその命と共に斬り伏せてやろう」

 

 八坂は玉座から立ち上がり、魔剣を右手に構える。魔力を開放し、殺意を相手に向けるが、男は何事もなく不敵に笑う。

 ならば出し惜しみは不要。敵が慢心している内に終わらせる。八坂は剣を握り締め、地を蹴った。音を置き去りにする、レベルの高い冒険者でも反応できない速さで男の前に移動した八坂は、既に振り上げていた魔剣を男の脳天めがけて下ろした。

 伝わるは肉を切る音と感触――の筈が、つんざく金属音が玉座の間に響いた。八坂の剣は男を斬れず。彼の一振りを止めたのは、魔剣よりも細い片刃剣――刀であった。

 

「なっ――」

 

 八坂は驚愕する。攻撃を止められたことではない。男が動きを見せたわけでもない。八坂と男の間に立ち、八坂の攻撃を防いだ者の姿を見て。

 その隙を、彼は逃さなかった。彼は容易く鍔迫り合いに打ち勝って剣を弾くと、八坂にも見切れぬ神速の刃で八坂の身体を斬り刻んだ。肉体のあちこちから血が噴き出し、魔剣を握る力は瞬く間に消えて、手から離れた魔剣は落下音を虚しく響かせる。

 

「何故……貴様が……」

 

 相手の刃は的確に急所を狙い、八坂はたまらず膝をつく。驚愕が未だ残りつつも、八坂は霞む視界の中で相手の姿を見た。

 既に刀を鞘に納め、冷酷な眼で見下ろしていた銀髪の男を。八坂が――『彼』が憧れた魔剣士と、同じ匂いを持つ男を。

 

 

*********************************

 

 

「――ッ!」

 

 夜が更けた森の中、二本の角を持つ金髪紅眼の少女は咄嗟に背後を振り返る。視界に映ったのは、暗闇に彩られ風に揺れる木々。

 気のせいかと、少女は視線を前に戻す。すると、彼女の隣に立っていた赤髪の女性――魔王軍幹部ことウォルバクが声を掛けてきた。

 

「殿下、いかがされましたか?」

「……いや」

 

 尋ねられた少女――魔王の娘は、なんでもないとウォルバクに言葉を返す。

 魔王の娘と称しているが、血の繋がりはない。正確には前魔王の娘だ。しかしそれでは格好がつかないので、魔王の娘だと自分でも名乗っている。もっとも、現魔王の八坂には魔王の座を横取りされたので恨みつらみしか無いのだが。

 そんな魔王が、突如として自分達を魔王城から追い出した。彼女は怒りながら理由を問い詰めたが、八坂は答えず。その後、同伴していたウォルバクから真相を聞き、自分達が向かう目的地も知った。その為に今、こうして城から離れるように、かつ目立たないように移動していた。今は一時的な休息として、森の中に身を潜めている。

 

「ねぇウォルバク……貴方は、本当にこれが正しい道だと思ってるの?」

「安心してください。多少回り道にはなっていますが、正しく目的地へ進んではいますので」

「そうじゃない。このまま進むこと自体が正しいのかって聞いてるのよ。アイツの真意を知って、どうして一気に侵略しないのかようやく府に落ちたけど、私は賛同できない。貴方はどうなの?」

 

 魔王の娘は隣のウォルバクを見上げて問い詰める。対するウォルバクは目を反らすことなく答えた。

 

「私は、魔王様の命とあらば従うまでです。それに、このまま敵を野放しにすれば世界の破滅になりかねない。そんな未来は、殿下もお望みではないでしょう?」

「まぁそうだけど……だからってアイツ等に頭を下げるのが気に食わないのよ」

「殿下、我々が行うのは降伏ではありません。対話です。どちらに優劣など無い、対等な立場での話し合いです」

「侵略して従わせた方がずっと早いと思うけど」

「話を聞いておられましたか? 対話に争いは必要ありません。これ以上犠牲を増やすこともない。殿下の憂いも晴れると思われますよ」

 

 ウォルバクから見透かされたような言葉を掛けられ、彼女は否定できず声を詰まらせる。

 力を是とする性格だが、魔王軍の仲間達が次々と死んでいくのを憂いていた。最近は幹部が次々と倒されている。将来軍を率いる者としても、同じ魔王軍の仲間としても見過ごせない。

 

「……じゃあ、あのクソ親父は? まるで殿を務めるような役回りじゃない。アイツはいいの?」

「魔王様自身が望んだことです。我々に止める権利はありません。とにかく私達は、使命を果たす為に進み続けましょう」

 

 現在は休息中ですがと、ウォルバクはクスリと笑って話す。魔王の娘は彼女から目を離し、星煌めく夜空を見上げた。

 隣のウォルバクも共に空を見上げ、二人の間に風が吹く。しばらくの間沈黙が続いたが、やがてウォルバクが思い出したように声を上げた。

 

「せっかくですし、殿下に面白い昔話を聞かせてあげましょう。魔王様から教えていただいたものですが」

「貴方、私をいくつだと思ってるのよ? 読み聞かせしなきゃ寝れない時代はとっくに卒業したんだけど?」

「まぁそう邪険になさらずに。それにこの話は、読み聞かせには少々不向きかもしれません」

 

 ウォルバクの謳い文句に、魔王の娘はわずかに興味を引かれて耳を傾ける。ウォルバクは優しく微笑むと、風の音が止み始めたのを境に、ぽつりと語り出した。

 

「魔王様の敬愛する悪魔……異世界の、伝説の魔剣士の神話を」

 

 




魔王の娘、原作だと喋った描写が全くないので完全オリキャラです。
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