――いつもと変わらない朝を迎えた日のこと。
今日も平和な1日でありますように、と願ったのも束の間――まるでその願いを全力で跳ね返した挙句ぶつけてくるかのように――それは突然やってきた。
「……な、な、なっ……!?」
白と黒の市松模様が広がる床に、天井も壁もない薄暗い空間。そこの一部分だけ明るい場所で、白い椅子に座っていた1人の女性。
彼女は1枚の紙を持ち、それを酷く動揺した様子で見つめている。そして紙に書かれている内容を、誰が聞いているわけでもないのに、彼女は声を震わせて読み上げた。
「魔界の王を封印した英雄……人間を愛した悪魔の息子でありながら、人間を何人も殺し、魔界の門を開いた大罪人……えっ……えぇええええっ!?」
銀色の長髪にアメジストの瞳を持つ女性――エリスは大声を出して驚いた。
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女神エリス――天界で『女神』として生まれた彼女は、とても温厚で慈悲深い性格の持ち主で、それは心体共に成長し、女神としての仕事を本格的に始める頃になっても変わらなかった。
女神は、各々が様々な世界に配属され、そこで死んだ者の魂を導くのが主な仕事。エリスも例外に漏れず、とある世界に配属された。
そこは『魔王』と呼ばれる邪悪なる者が人間界の支配を進めており、それに対抗するべく人間の冒険者達が戦っているという、中世ファンタジーのような世界。
余程被害が甚大なのか、この世界の人口減少を危惧した天界が、この世界へ異世界からの転生をさせるという特例も出されていた。
きっと、魔王軍の手によって常に死者の絶えない、過酷な世界なのだろう。話を聞いて心を痛めながらも、エリスは「志半ばで死を遂げた冒険者達の傷を少しでも癒せたら」と意気込み、その世界に旅立った。
……が、ビックリするほど仕事が来なかった。魂を迎える場で暇を持て余し、本当に魔王はいるのかと思ってしまうほどだ。
しかし、だからといって決して仕事に手は抜かない。死者の魂が訪れれば、その魂としっかり向き合い、祝福を送っている。
魂を導く仕事に加え、転生者のチェック、とある世界から転生された者の手から離れたチートアイテム、もとい『神器』の回収。
仕事は多いが、彼女は文句も言わず上から任された仕事をキッチリこなしていった。
――それから時が経ち、彼女がその世界で国教として崇められ、その世界での信者数ナンバーワンになり、順風満帆な女神ライフを送っていた――そんな時だった。
長い間連絡を取っていなかった先輩から、突然エリス宛に連絡が来た。何事かと思い連絡を受けると、先輩は「そっちの世界に魔王を討つ可能性を秘めた男を送るから」と言って、1枚の紙を送ってきた。
先輩は相手をおちょくるのが好きな人だが、嘘は吐かない。一体どんな転生者なのだろうと、エリスはいつも通り転生者の情報が書かれた紙をチェックし――言葉を失った。
本来なら、天界規定によって即刻地獄に送られる筈の大罪人――その男をこの世界に転生させたのだ。
少しばかり感じていた眠気もどこへやら。エリスは驚きのあまり金魚のように口をパクパクさせている。
と、その時、彼女の左側にあった机から光が漏れ出した。それを見たエリスは、すぐさま机の引き出しを開け、中に入っていた手鏡――今天界で流行中の通信道具を手に取った。
彼女は両手で持ち、手鏡を見つめる。鏡にエリスの顔は映っておらず、代わりに彼女とは別の――黒いショートヘアの先輩女神が映し出された。
「さっき話した通り、そっちの世界に彼を送ったよ。後のことはよろしくね」
「よろしくねじゃありませんよ! なんってことをしてくれたんですか!?」
「おぉ、怒ってる怒ってる」
平然とそう言ってのけた先輩に、エリスは青ざめた顔で怒りをぶつける。
先輩はそれでも楽しそうに笑っていたが、エリスはお構いなく話を続けた。
「魔王を討つ可能性を秘めた男を送るからって聞いたので、先輩から転送された彼の資料を拝見しましたが……とんでもない大罪人じゃないですか!? しかも半分とはいえ悪魔だなんて……! 現世で数多くの人を殺した大量殺人鬼や、人々を混乱に陥れた大罪人は、問答無用で地獄に送る! 天界規定で決められているんですよ!? 忘れたのですか!?」
「勿論知っているよ。伊達に何年も女神やってないからね」
「だったら何故!?」
「面白そうだったから」
「はい!?」
どうしてこんなことをしでかしたのか。その理由を尋ねると、先輩は予想外過ぎる答えを返してきた。
「だって、あの魔剣士スパーダの息子だよ? って、君は知らないか……スパーダは、僕の担当する世界で知らない者はいなかった。君の世界で言うなら、魔王以上に超有名で力を持った男だよ。そんな彼の息子を、ただ地獄送りにするのは勿体無いし面白くない。だから面白くなるように、君の世界に転生させたんだ。未だ進展のない君の世界に、僕自ら刺激を与えたってわけ」
「そんな理由で――!?」
それっぽい理由を述べてはいるが、要は先輩が気まぐれで大罪人を送ったということ。
そんなことでこの世界が危機に晒されるなんて、はた迷惑もいいところである。
「刺激があるから人生は楽しい。君も、彼という超イレギュラーな男と出会って、退屈な女神生活に刺激を与えるといい。丁度、君は別任務でちょくちょくその世界に降りることがあるんだろう? 良い機会じゃないか」
「私としては即死級に強すぎる刺激なんですけど!? 既に体力7割以上持っていかれたんですけど!?」
「3割も残っているならいいじゃないか。残りの体力で頑張ることだね。それじゃあ、彼のことは任せたよ。上げ底女神さん」
「上げ底言わないでください!」
しかし、先輩は反省する様子を一切見せず、楽しそうに笑ってそう話す。
ちゃっかり弄られたくないところを弄られて、エリスは思わず言い返すが、先輩からの言葉は返ってこない。手に持っていた手鏡も、先輩ではなく自分の顔を映し出していた。
エリスはすぐさま手鏡に念を送り、先輩に繋げようとする。しかし、いつまで経っても先輩の顔が映し出されることはない。
無視されていると悟ったのか、エリスは静かに手鏡を机上に置くと――今にも泣きそうな顔で頭を抱えた。
「ど……どうしよう……!」
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――先輩が大罪人を送ってから1日経ったが、まだこの世界に異変は起きていない。いくら大罪人といえど、転生してすぐ問題を起こすとは思えないが、それでもエリスは心中穏やかではなかった。
そんなに心配なら監視すればいいじゃあないかと思うだろうが、女神とて万能ではない。下界にいる特定の人物を、天界から四六時中監視するには多くの魔力が必要となる。
彼女の魔力ならば問題なくできるが……彼女には下界に残された神器を回収する仕事もある。いざ仕事の時間になった時に疲れていては、仕事が捗らない。
また、彼女が心底不安に思っているのは、彼が大罪人だからだけではない。彼は、半分だけとはいえ悪魔なのだ。悪魔は総じて悪、滅ぶべき存在だと断定している彼女にとっては、自分の愛する世界に悪魔がいるのは看過できることじゃない。
今すぐにでもその者のもとにいって消し去ってやりたいとこだが、残念ながらそうはいかない。相手は、魔界を統べる者を封印するほどの力を持った悪魔の息子。たかが女神1人で手に負える者ではないだろう。
事が事なので、彼女は創造神にもこのことを相談した。しかし創造神は「見守れ」とだけしか言ってくれなかった。
「ハァ……ホント、どうして先輩はこんなことを……」
エリスはため息混じりに呟く。が、愚痴ったところで何かが変わるわけでもない。
もう嘆いていても仕方ないと思ったのか、エリスは頭をブンブン振ると、パンパンと両手で自分の頬を叩く。
「さて! お仕事お仕事! まだ魂の導きはないみたいですし……神器回収の続きをしますか」
気を取り直し、エリスは仕事をしようと動き始める。今やるべき仕事を決めたエリスは、白い椅子から立ち上がり、数歩前に出る。
そして上を向くと、上空には眩い光が、彼女の足元には青い魔法陣が現れた。彼女はフワリと浮き上がるとグングン上昇していき――光の中へ消えた。
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一般の駆け出し冒険者からは高難度だと言われ、チート持ちの異世界転生者からは詐欺ダンジョンだと憎まれ、多くの冒険者から避けられているダンジョン、修羅の洞窟。元は、2人の冒険者が『楽に経験値を稼ぐ』ために作られたダンジョンだった。
洞窟の構造をそのままに作り、モンスターの出現には『登録したモンスターを魔力を使って出現させる』神器を使用。そして、討伐されたモンスターの魂は討伐者の経験値に……はならず、『魂を使用者に吸収させる』神器によって、神器使用者のもとへ送られる。こうして、自分が苦労することなく、経験値を稼ぐことができるのだ。
しかし、重大な欠点が1つ。それは神器を使える者は神器を与えられた者のみ。つまり、経験値を得られる者は『魂を吸収する』神器を持つ者だけだった。ダンジョンが完成するまでその仕様を2人は知らなかったのか、事実が判明した時に2人は揉め合いに。その流れでダンジョン内にあった高い崖から落ち、2人とも死亡してしまった。
結果、このダンジョンには誰もいなくなり、残るは主を失った神器が二つ。神器は使用者以外が使う、また使用者が亡くなると効果が半減される仕組みになっている。『登録したモンスターを魔力を使って出現させる』神器は『登録したモンスターを魂を使って出現させる』神器に、『魂を使用者に吸収させる』神器は『魂を近くの物に吸収させる』神器となった。
そして、二つの神器は偶然にも噛み合い、討伐されたモンスターの魂は討伐者の経験値とならず神器に渡り、それを媒介として新たなモンスターを生み出す。こうして、修羅の洞窟は永遠にモンスターが出現する、経験値の入らない誰得ダンジョンとなったのだった。
今や誰も入ろうとしない修羅の洞窟。その中で、眩い光が放たれる。光の中から現れたのは、露出度の高い服でありながらも、短い銀髪にアメジストの瞳を持つ女性――盗賊クリスに姿を変えたエリスが、ここに眠る二つの神器を回収するため、下界に舞い降りた。
国教にもなっている女神が街人に発見されたら大パニック間違いなし。だからこそ、こうして仮の姿で降りる必要があった。もっとも、下界に降りようと決意したのは別の理由があり、ちゃっかり口調を変えたりして盗賊クリスを演じて冒険するのを、わりと楽しんでいるのだが……。
「さってと……続きを始めようかね」
エリスは軽く準備運動をしてから、洞窟内を歩き始める。
彼女が下界へ降りる場所は、前回下界に降り、最後に天界へ戻った場所になる。ボス部屋手前で一端天界へ戻れば、次下界に降りる時はボス部屋の前となる。
つまり、彼女はいつでもどこでも
エリスは松明に火をつけ、盗賊スキルの『潜伏』と『敵感知』を使い、慎重に洞窟内を進んでいった。
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――修羅の洞窟、最深部。現在は特別指定モンスターが出現していると言われている場所。
そこの入口でエリスは身を屈め、最深部にあった大広間をジッと見つめていた。
「ギュオオオオオッ!」
大広間にいたのは、最深部にいると噂されていた特別指定モンスター、雷を操る天色の鱗を持つ巨大なドラゴン。
「――
そして、そのドラゴンとたった1人で戦っていた、初めて見る武器を身に付けている――銀髪青コートの男。
1人と1匹による戦いを、クリスは黙って見守り続ける。その視線は、常に青コートの男に向けられていた。
それもその筈。今まさに、ドラゴンと戦っている男こそ――先輩が異世界から転生させた、大罪人なのだから。
「……ッ」
エリスは最深部で繰り広げられている戦いを見て、思わずゴクリと息を呑む。
まさか、こんなに早く大罪人をエンカウントするなんて思ってもみなかったが、それよりも驚いたことが1つ。
「(ていうか……強過ぎません?)」
大罪人が、常識外れのパワーとスピードを見せていることだった。
しかしそれもその筈。彼は――伝説の魔剣士と呼ばれる悪魔と1人の人間から生まれた――半人半魔なのだから。
が、いくら魔界の王を倒せるほどの悪魔の力を持っているとはいえ、高レベルの冒険者を一瞬で塵にするほどの力を真正面から受けても無事だなんて、ぶっ壊れもいいとこだ。
やはり、彼の力は危険だ。もし彼が災厄を起こしてしまえば――冒険者は勿論のこと、下手したら魔王ですら手に負えなくなる。
彼の父親は、資料を見るに人間の味方をしたそうだが、結局は悪魔。悪魔は例外なく滅ぶべき存在と考えている彼女には、彼が魔王を倒す勇者になってくれるとは到底思えない。かといって自分だけでは消すことはできない。
ならばここは戦闘を避け、創造神の仰せの通りに、女神たる自分が責任を持って監視しなければ。そう考えていた時――ふと、彼女の頭に1つの案が浮かびあがった。
「(……ふむ。監視ついでに、神器回収も手伝わせてみますか)」
彼の力を利用して神器回収を手伝わせる。そしてそれを口実に近づき、彼をある程度監視する。まさに一石二鳥だ。
その中でもし彼が不審な動きを見せたら即消滅……はできそうにないので、どうにかして封印するとしよう。
そこまで考えたエリスは、次にどうやって彼を神器回収に協力させるかを考える。ここは1つ、何か彼に貸しを作らせて……。
「(……彼が転生者なら、恐らくこの世界についての知識は皆無の筈。よし、これを使いましょう)」
その方法を決めたエリスは、よしっと独り意気込んで前を見る。
既に、彼はドラゴンを地に伏せており、今にもドラゴンにトドメを刺そうとしていた。
そして、彼が浅葱色の剣を手にしたところで、エリスは潜伏スキルを使って飛び降り、殺意を抑えて背後から彼に近付いた。
――そして、紆余曲折ありながらも、計画通り彼と協力関係を結ぶことに成功した。出会い頭に大量の剣を向けられた時は、表には出しておらずとも泣きそうになったが。
洞窟から抜け、ギルドにクリアの報告を伝えた後、彼女は男と別れ、街の中へ消えていく男の背中を見ながら呟く。
「……大罪人の貴方が、この世界にどのような影響をもたらすのか……見させてもらいますよ」
異世界の大罪人――バージルを見て。
「……ってあぁっ!? 神器回収するの忘れてた!?」
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――それからエリスは、バージルとお宝探しに出向いた。
予想していた通り、バージルの力は凄まじいものだった。道中のモンスターは軽く屠りたとえ優に百を越えるコボルトに囲まれても、一切の傷を負わず蹴散らした。
勿論、もう1つの目的であるバージルの監視も忘れてはいない。女神として、彼の行動を注視している。
しかし――その日、彼女の中に疑問が生じる。
その原因の1つは――ダンジョンに向かう道中、運悪く山賊に絡まれた時。
「おうおうテメェ等っ! 生きてここを通りたけりゃあ、金目のモンは置いていきな!」
「抵抗するなら俺のナイフでズタズタに――おぉ? こりゃあいい姉ちゃん引き連れてんじゃねぇか……」
「こりゃあいいモン見つけたぜ……真っ平らなのがちと不満だが、最近溜まってっからな。この際文句は言うまい」
山賊の3人が、クリスの姿に扮したエリスの身体を舐めまわすように見て、ジワリジワリと近づいてくる。
ガタイのいい男3人が相手だが、こちとら何度も危険なダンジョンに潜ってお宝を探してきた盗賊だ。
それに、気にしているところをため息混じりに言われてカチンときたので、スキルを使って3人を軽く捻ってやろう。
そう考えたエリスは姿勢を低くし、いつでも動けるように構えた――その時だった。
「……? バージル?」
山賊が絡んできた時から、彼女の横でずっと黙っていたバージルが、静かにエリスの前に出た。
エリスと自分の間に入ってきた男を見て、真ん中の山賊が機嫌悪そうにバージルへ怒号を放つ。
「あぁん!? テメェに用はねぇんだよスカシ野郎! 邪魔するってんならテメェもっ――!?」
「「――っ!?」」
――が、バージルが彼の腹にパンチを1発入れたことで、その山賊は口を閉じた。
彼は苦しむ素振りも見せることなくすぐに気絶し、その場にうつ伏せで倒れる。
これには両隣にいた山賊も驚き、体格差のある男を腹パン1発で仕留めたバージルを奇怪な目で見ている。
「……失せろ」
「「ヒ……ヒィィィィィッ!?」」
一声、バージルが警告を放った途端、残った2人の山賊は酷く怯えた声を上げ、バージルの前でのびている山賊を2人で引きずり、逃げるようにこの場から去っていった。
山賊が見えなくなったところで、バージルは小さくため息を吐き、エリスに声をかける。
「……無駄な時間を食った。さっさと行くぞ」
「あっ……うん……」
彼は――決して人を殺さなかった。
モンスター相手には容赦のない攻撃で命を狩り取るが……人間相手だと、手は上げるものの、決して一線を越えようとはしなかった。
その姿は、先輩女神から渡された資料とはまるで違っていた。資料には『悪魔だろうと人間だろうと、邪魔をする者は全て斬り伏せる』と記されており、彼が生前に殺した人間の数もかなり多かった。
なのに、この世界に送られてきたこの大罪人は、決して罪を犯そうとしなかった。
もう1つは――ダンジョンから脱出していた時。
「バージル! 出口が見えたよ!」
崩壊するダンジョンから脱出するために、クリスとバージルは階段を上る。
進む先に出口を確認したクリスは、急ぐ気持ちが出たのか、バージルを追い越そうと速度を上げる。
「ッ! しまっ――!?」
が、その足を止めるように、クリスの足場が崩れ落ちる。
突然のハプニングに、冒険者なら焦る場面だろう。しかしこれも経験済みだったクリスは、腰元に据えていたロープへ片手を伸ばす。
――とその時、彼女の手が誰かに握られた。
「……えっ?」
クリスは顔を上げ、握られた手を見る。
この場でクリスの手を握り、助けられることができる人物など1人しかいない。
「……」
クリスと共にダンジョン探索に来た男――バージルだ。
彼は無言で彼女を引き上げると、すぐさま出口にむかって走り出す。
クリスも慌てて走り出し、彼の後を追う。
「(……何故……?)」
――大罪人である筈なのに、彼は人を助けた。
生前、彼は多くの人を殺し、混乱に陥れたというのに。
そんな男が、咄嗟に自分を助けてくれたことが信じられなかった。
資料とはどこか違う――そんな大罪人の姿を見て、エリスは疑問を抱いていた。
*********************************
***
そんな彼女のもとに――1つの機会が訪れる。
それは、ダンジョンから脱出した後、道中で出会った冒険者と野宿を共にすることになった夜。
「安心して。貴方達を傷付けるつもりはないわ」
ダストのパーティーメンバーであるリーンと一緒に小川へ行っていた際、オークに接近を許されてしまい、リーンを拘束されてしまった。
エリスは即座に身構えるが、現れたオークは安心させるようにそう話す。
「……どういうこと?」
「ちょっとばかし、私達の『趣味』に付き合って欲しくってね。この子を拐わせてもらうわよ。大丈夫、絶対に危害は加えないし、食べるつもりもないわ」
オークは余裕のありそうな笑みを浮かべ、リーンを拐おうとしていることと、その目的を話す。
彼女等オークが言う趣味――それは、男。性欲に溢れた雌のオークは、種族など関係なしに男達を性的な意味で食っている。
となれば、自分達を狙ってきた目的は――。
「貴方達がコボルトと戦ってるのを覗き見させてもらったけど……彼等、すっごく魅力的じゃない……特に、青コートの彼」
ダスト、キース、テイラー、そして――バージル。
「あのコボルト軍団を前にして一歩も退かないどころか、逆にリーダーをぶっ刺して全員敗走させちゃうなんて……久々にゾクゾクしたわぁ」
オークは空いている片方の手を頬に当てると、はふぅと官能的な息を吐く。
「で、彼等が気になった私達は、彼等を呼び寄せるために、お仲間さんの貴方達に協力してもらおうと思ってね。仲間を拐えば、彼等は助けに来てくれる筈。それを、私達が集落で出迎えるの。良い作戦でしょ?」
リーンは、男達をおびき寄せるための餌。本命は助けに来る者だとオークは話した。
嘘を吐いているようには見えないが、相手はあくまでモンスター。人質は絶対に傷つけないと言っているが、それも信用できるかどうか。
エリスは警戒を解かず、相対するオークを睨み、どうにかリーンを助けようと思考を働かせる。
――が、そこでエリスは懸念を抱いた。
「(……本当に……助けに来るのかな……)」
捕まった仲間を助けに、バージルは動いてくれるのだろうか?
コボルトに冒険者が包囲されていたのを見た時も、自分の誘導がなければ、彼は無視しようとしていた。
そんな彼が本当に、自分から助けにきてくれるのか?
「――待って」
「うんっ?」
エリスは武器を降ろし、オークに声を掛ける。
興味有りげに視線を向けるオーク。未だ脇に抱えられたリーンが涙目で見てる中、エリスは口を開いた。
「拐うなら――私を拐って」
「クリスちゃん!?」
もし自分が捕まっていたら、彼は助けに来てくれるのか。エリスは、オークの作戦を利用してバージルを試してみることにした。
何を言っているんだとリーンは訴えるが、エリスは発言を撤回しようとしない。
オークを真っ直ぐ見つめ、エリスは言葉を待つ。その様子をオークはジッと見つめていると――。
「……いいわ。貴方の方が、大人しく待っててくれそうだし」
彼女は、クスリと笑ってエリスの提案を呑んだ。
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――そしてエリスはオークに大人しく従い、集落の奥で檻の中に入れられた。
正直、策があると疑われて提案を呑んでくれるとは思っていなかったから、あそこでオークがアッサリ提案を呑んだのは予想外だった。
とにもかくにも結果オーライ。エリスは檻の中で、両膝を抱え込んだ姿勢で座って待つ。その傍には、見張り役として自分を拐っていったオークがいた。
「……」
エリスは黙り込んだまま、ジッと檻の外を見つめる。未だ、集落に異変は起こっていない。
脳裏に浮かぶのは――崩壊するダンジョンで、自分を助けてくれたバージルの姿。
どうして大罪人である彼は、人助けをするような行為を咄嗟にしたのか。彼の心の内が、この作戦で少しでも見えればいいのだが……。
そう思っていた時、見張り番として立っていたオークが、唐突に話しかけてきた。
「ねぇ、銀髪の子猫ちゃん」
「……? 私?」
「貴方以外に誰がいるのよ」
慣れない呼び方で呼ばれ、少し困惑を覚えるエリス。
その姿が初々しいと思ったのか、オークは楽しげに笑うと、彼女に問いかけた。
「何か悩み事?」
「えっ……?」
「あら、わかりやすい反応ね」
まるで心を読まれたかのような質問を聞き、エリスは驚きを隠せず声を上げる。
「な、なんで……」
「貴方の顔が、昔の私に似てたからよ。もしかしたら、同じ悩みなんじゃないかしら?」
気になったエリスは、どうしてわかったのか理由を尋ねる。
それに答えたオークは、自分の記憶を思い出すかのように夜空を見上げ、言葉を続けた。
「そう……気になる人がいるけど、どうやってその人のことを知ればいいのかわからない……みたいな?」
「――ッ!」
「あらまたわかりやすい反応。ドンピシャだったかしら?」
そして、自分が抱えている悩みもピタリと言い当てられ、エリスはまたも驚いた。
余裕ありげな佇まいにどこか大人の魅力が感じられる雰囲気。きっと彼女は、長いこと生きているオークなのだろう。
「……あの、青コートの彼?」
「……はい」
オークに尋ねられたエリスは、正直に答えてコクリと頷く。
「彼が何を考えているのか……わからないんです。彼は何を思って行動しているのか……」
「うーん……彼、外見からして堅物そうだものねぇ。苦労する気持ちはわかるわ」
クリスとして演じることも忘れたエリスは、目線を落としつつもオークに相談する。
本来なら、人間に危害を加えるモンスターに心を許してはならないのだが、何故かこのオークには話したくなっていた。
オークはエリスの相談に乗り、バージルの姿を思い浮かべてそう呟く。
「なら、そんな貴方に私から1つアドバイス」
「えっ?」
するとオークは、ピッと人差し指を立ててそう告げた。
顔を俯かせていたエリスは、顔を上げてオークを見る。
「相手の心を開こうとする時は、まず自分から。心を開かないまま接しても、相手の心は開けないわよ」
「……っ」
自分から歩み寄らねば、相手のことなど知れる筈もない。
まるで、エリスの全てを見透かしているかのように、オークは助言を伝えてきた。
「こんな回りくどいことはせず、気になる相手に猛アタック! 最初は拒まれても、いつか思いが届く筈よ。貴方も、積極的にアタックしてみなさいな」
オークは最後にウインクをし、助言を伝え終える。
まさかオークに人生のアドバイスをされるなんて思ってもみなかったが……彼女の言葉は、エリスの胸に深く突き刺さった。
エリスは再び顔を俯かせ、オークの言葉を心の中で復唱する。
「(……ってあれ? 今、こんな回りくどいことはせずって――)」
先程のオークの言葉――まるで、エリスがバージルを試すために自ら捕まったことを知っていたかのような発言が引っかかったエリスは、咄嗟に顔を上げてオークを見る。
彼女の視線を受けたオークは、全てわかっているかのように微笑みを見せた。
……きっとこのオークは、自分が想像するよりもずっと経験豊富なのだろう。
「……さて、ようやくお客さんが来たみたいね」
「えっ?」
すると、オークはそう呟いて前を見た。
それを聞いたエリスは、同じく前方――集落の入口方面を見る。
「(――ッ!)」
その瞬間――彼女が見ていた方向から、強い魔力を感じた。
「(この魔力は……まさか……)」
本来は女神の彼女だが、今は仮の姿。魔力関連に長けてはいない。
しかしそれでも感じ取れてしまう、オークの集落に侵入してきた者の強大な魔力。
「(バージル……さん……)」
間違いない。これはバージルだ。彼が――ここに来てくれたのだ。
「……さってと」
「ッ! あ、あの――!」
バージルが来たことに驚いている傍ら、見張り番だったオークが武器を構え直す。エリスは彼女に目を向ける。
こんな自分の相談に乗ってくれた、心優しきオーク。彼女なら、話し合いができるのではないだろうか。そう思い、エリスは彼女へ声を掛ける。
「おっと、止めようとしないでね? 勇ましい男達が私を待ってるの」
が、そんな心情さえも理解していたのか、オークはエリスに目を向けず釘を刺してくる。
片や、人間に被害を及ぼすモンスターを討伐する冒険者。片や、男の人間を殺すまで絞り尽くすモンスター。立場上、2人は決して手を取り合うことはできない。
「じゃあね子猫ちゃん。生まれ変わったらまた会いましょう」
そしてオークはエリスへ再度ウインクをし、武器を握り締めてこの場を去っていった。
遠くなっていく背中。自分へ助言をしてくれたオークに、エリスは独り両手を合わせ、祈るように心の中で呟く。
「(ありがとう、名も知らないオークさん。生まれ変わったら、今度は人間としてお会いできますように)」
*********************************
しばらく待っていると、前方からダスト達が現れた。
バージルの姿が見えなかったため、彼はどこにいるのか尋ねると、彼は囮としてオークを相手にしていると話した。
ダスト達と様子を見に行くと、確かにバージルはいた。広場でオークと戦っていたのか、彼の周りにはおびただしい量の死体が転がっていた。
――その後、もう日が昇り始めていたので野宿するのはやめ、ダスト達と共にアクセルの街へ帰ることにした。
「……意外だね」
「ムッ……?」
帰りの道中、2人はしばらく沈黙していたが、エリスは自らバージルに話しかける。
「正直言うと……バージルが助けに来てくれるとは思ってなかったの。多分、見捨てて帰っちゃうんじゃないかなーって……」
バージルが目だけこちらに向けている中、エリスは思っていたことを話す。
彼は、人間を何とも思わず殺せる大罪人だ。仲間なんて無価値だと断言する男だ。そう、書面には書かれていた。
なのにどうして、彼は助けに来たのか。その本心を知りたい。
エリスはチラリとバージルの顔を見る。するとバージルは、目を再び前方へ向けてこう答えた。
「……今回、宝探しに付き合った分の情報を、まだ貴様から貰っていない。貴様を助けた理由など、ただそれだけだ」
エリスを助けたのは、あくまで協力者だったから。契約上仕方なく助けたのだと。
彼の返答を聞いたエリスは俯き、独り考える。
そうだ。バージルはそういう男だ。人間と関わる時は、あくまで利用目的でしかない。先輩から貰った書面にも書かれていたことだ。
――しかし、それが本心だと思えない自分もいた。
確証はない。だが、ここで決めつけてしまうのはよくないと、エリスは考えていた。
「……フフッ」
そう考えていた自分を笑うように、エリスは笑い声を漏らす。
いつもなら自分は、問答無用に地獄へ送っていただろうに。いつの間にか考え方が変わっていた自分に、エリスは思わず笑ってしまった。
「何を笑っている」
「ううん、なんでもない」
バージルにも聞こえていたようだ。ジト目で見てくる彼に、エリスは言葉を返す。
相手を知るなら、まず自分から……バージルを知るためには、自分から歩み寄る必要がある。
「ありがとう、バージル」
「……フンッ」
だが、彼は大罪人だ。地獄行きの者に心を開くのは、天界規定で禁じられている。だから開くのは、ほんの少しだけ。
人間らしい自分と関わる時、彼はどう出てくるのか。彼は人間を酷く嫌っていると資料に書いてあった。ダクネスからも、最初は喉元に剣を突きつけられたと聞く。
もし資料通りならば、人間らしく振舞う自分を見て彼は嫌悪感を覚え、いずれ刃を振りかざしてくるだろう。
――見極めねばならない。
「(……貴方がどういう人なのか、確かめさせてもらいますよ)」
彼は、この世界にとって――善か悪か。
*********************************
そしてエリスは、バージルに人間らしく接し、積極的にスキンシップを図り始めた。暇な時は自ら話しかけ、時にはハイタッチを求めたり、自分でもビックリするぐらいに。
自分が絡んでくる度に、バージルは今まで以上に鬱陶しそうな顔を見せた――が、彼は未だに自分へ刃を向けようとしない。
まだ足りないのだろうか。そう思い、彼女は決してそれをやめようとせず、バージルと接していく。
そして――人間らしく振る舞い始めてから、1ヶ月が過ぎようとした頃。変化が訪れたのはバージルではなく、エリスだった。
*********************************
「……今日はバージルとお宝探しに行かないのか?」
「そうしたいのは山々なんだけどねー。肝心のバージルがいないの」
とある日の昼下がり、アクセルの街ギルド内にある酒場にて、カウンター席に座っていたエリスは、水が入ったコップを片手にため息を吐く。
彼女の横に座っているのは、エリスの大親友、ダクネス。彼女も水を少し口にしては、机の上にコップを置き、エリスの話を聞いている。
「いきなりいなくなってて、どこにいったのか受付嬢に聞いてみたら、1人でクエストに行ったんだって……別に行くのは構わないけどさー、私に一言ぐらい言ってくれてもいいじゃん! 協力者なんだよ!?」
プンプンと怒り気味に話すエリスの話を、ダクネスは苦笑しながらも聞き続ける。
「バージルがいるなら難関ダンジョンもなんのそのーって思って色々計画してたのに……早く帰ってこないかなぁー」
今すぐにでもお宝探索に行きたいのか、エリスは頬杖をついてため息混じりに呟く。
パタパタと足を動かし、退屈そうにしているエリスを見たダクネスは――楽しそうにクスリと笑った。
「……何っ? こちとらお宝探しができなくて暇なのに……」
「いや、すまない……クリスはバージルと一緒にいるのが、とても楽しいのだろうなと思って……」
「……えっ?」
ダクネスにそう言われて初めて、エリスはようやく気付いた。
自分は、笑っていた。大罪人である筈の、バージルの話をする時に……そして、バージルとお宝探しをする時、自分はいつの間にか、心の底から楽しんでいたのだ。
「……っと、そろそろ行かねば。クリス、私は明日から実家に戻って筋トレをしてくる。今からカズマにもそのことを伝えてくるよ」
「……うん……」
ダクネスが別れの言葉を告げて立ち去る中、エリスは上の空で返事をする。
魂を導く女神は、大罪人に心を開いてはならない。
心を開けば、本来地獄に送らねばならない魂を、そのまま天国に行かせるか、転生させてしまうからだ。
そうなれば、天国は荒れ始め、新たな大罪人を生み出すきっかけになってしまう。だからこそ、天界規定で禁じられているのだ。
しかし、それを無意識の内に破ってしまい、バージルへ心を開き始めていたエリスは――こう思ってしまった。
「(バージルさんは……本当に大罪人なのでしょうか……?)」
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その日から数日後、バージルが帰ってきたということで、久しぶりに彼と神器回収に出向いた。
いつも通り彼と接していくが……お宝探しが終わる頃には、ダクネスに言われた通り「楽しい」と思っている自分がいた。
ふと、あのオークの言葉が頭に過ぎる――『心を開かないまま接しても、相手の心は開けない』
では、彼に心を開き始めている自分なら……バージルの内面を覗けるのではないだろうか?
そう思った時に――彼女は見てしまった。
――想像を絶する悪魔の力で、魔王軍幹部を殺したバージルを。
「……ッ」
クリスに姿を変えていたエリスは、魔王軍幹部が住処としていた古城、その最上階の部屋の前。彼女は潜伏スキルを使い、息を殺して部屋の中を見ている。
夜、独りバージルが街の外へ行くのを見かけたので、気になった彼女は、バージルに気付かれないよう後を追ってきたのだが……まさか、このような場面に出くわすとは思っていなかった。
部屋の中では、鎧はボロボロに、片腕を失くした魔王軍幹部のデュラハンが倒れており、それをバージルは静かに見下ろしている。
今は人間の姿に戻っているが……彼が悪魔の力を解放した時、それは凄まじく恐ろしい力を発揮していた。こう見えて、彼女も長年女神として生きているが、これほどまでに身の毛がよだつ存在を見たのは、生まれて初めてだった。
あの姿を見るまで、彼女は「バージルは本当に大罪人なのだろうか?」と疑問に思っていたが、あの姿を見てしまった今、こうも思ってしまった。
――あれが、彼の本当の姿なのか――と。
そう思っていた時――。
「貴様は……人間か……? それとも……悪魔か……?」
倒れていたデュラハンが、今にも消えそうな声でバージルに尋ねた。
それを聞いたバージルは少し間を置くと、静かに口を開く。
「……悪魔だ」
「――ッ!」
バージルがそう答えた時、彼女は少し驚いた。
もしかしたら見間違いかもしれない。でも、エリスにはそう思えなかった。
きっとデュラハンも気付いていないだろう。自分にしか――この世界で、誰よりも彼と関わってきた自分だからこそ気付けたこと。
「(どうして……そんなに寂しそうなんですか……?)」
バージルは――寂しそうに、悲しそうに答えていたように見えた。
生前、彼は悪魔として生きたと、資料には書かれてあった。ならば、デュラハンの質問に悪魔と答えるのはごく自然なこと。
なのに何故、彼はあんな顔を見せたのか――エリスにはわからなかった。
「貴方は……本当に悪魔なんですか……?」
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「……」
死者の魂を導く間――エリスは終始俯き、椅子に座っていた。
あれからずっと、彼女は神器探しの仕事に手をつけていない。どんな顔でバージルと会えばいいのか、わからなくなっていた。
今日も死者の魂がほとんどこない暇な日で、彼女はずっと椅子に座ったまま動かない。もし魂が来たとしても、今の状態ではキチンと魂を送り届けられる自信がない。
「……バージルさん……」
もう今日で何度目だろうか。エリスはポツリと彼の名前を呟く。
脳裏に浮かぶのは、彼がデュラハンの質問に答えた時に見せた顔。
どうして彼は、あんな顔を見せたのか。悪魔として生きてきたにも関わらず、何故あんなにも悲しそうで、寂しそうだったのか。
「(……知らなきゃいけない……もっと……バージルさんのことを……)」
どうして、彼は悪魔として生き始めたのか――この世界に来る前、元の世界で彼はどのように生き、死んだのか。
先輩から渡された資料には、彼の簡単な情報しか書かれていなかった。あれだけでは、バージルの全てを知ることはできない。
彼のことをもっと知れば、彼のことを探れば――何かわかるかもしれない。
そう思ったエリスは、自分の横にあった机の引き出しを開け、中にあった手鏡――通信道具を取り出した。
彼女は両手で手鏡を持ち、手鏡へ念を送る。通信相手は勿論、バージルをこの世界へ送ってきた張本人。
「――やあ、エリス。刺激のある女神ライフを楽しんでいるかい?」
まるで、自分が連絡するのをわかっていたかのように笑う、黒髪の先輩女神――タナリスだ。
「刺激が強すぎてこっちが疲れましたよ……先輩も、お変わり無いようで何よりです」
「うん。てっきりバージルを送った後は、すぐにでも女神をやめさせられるのかと思ってたけどね。引き継ぎの女神がいないのかな?」
「ま、まぁ……先輩の担当はおっかない場所ですし……」
「そう? 慣れれば楽しいと思うんだけどねぇ」
先輩女神であるタナリスと、エリスは互いに言葉を交わす。
彼女も詳しくは知らないが、タナリスは余程の物好きでもなければ務まらない世界を担当しているらしい。それも、彼女自ら志願したのだとか。
昔から、彼女の考えていることはわからない。子供のような無邪気な笑顔を浮かべているが、その裏では何を考えていることやら。
「……で、どうかしたのかい? 何か用があって連絡してきたんだろう?」
「……はい」
談笑を切り上げ、タナリスから本題に話を持っていく。
それを聞いたエリスは、一度気持ちを落ち着かせるように深呼吸をすると、鏡越しにいるタナリスと目を合わせ、用件を話した。
「……バージルさんの記憶を、見させてもらえませんか?」
大罪人は、即刻地獄へ送るのが天界規定に定められている。当然、大罪人と向き合う――相手に歩み寄るなどもっての外だ。
きっと今の自分を見たら、過去の自分は怒り心頭で止めにくることだろう。
これが女神として正しいことではないのはわかっている。しかし、この気持ちを抑えることはできなかった。
「……どういう風の吹き回しかな? あれだけ、大罪人は即刻地獄行きー! って主張してたのに、あろうことか大罪人の記憶を知ろうとするなんて」
「えっと……色々ありまして……」
何故かニヤニヤと、自分をからかうように聞いてくるタナリスに、エリスは声が少し小さくなりながらも答える。
彼女の言葉を聞いたタナリスは、しばらく「ふーん」と言いながら笑った後、エリスが見ている手鏡に映るように、彼女は指を鳴らした。
瞬間、彼女の横にあった机の上に1冊の本が現れた。酷く古びた茶色い表紙の分厚い本で、まるでどこかの神話が書かれているような物だ。
「こんなこともあろうかと、彼の記憶をコピーして1冊の本にまとめておいたんだ。日頃から辺境地で頑張っている可愛い後輩に、僕からのプレゼントだよ」
「……先輩、私がこうしてくるってわかってました?」
「さぁ、どうだろうね?」
あまりにも用意が良すぎる。エリスはジト目で尋ねるが、彼女は何のことやらとばかりに首を傾げる。
……やはり、彼女の考えていることはわからない。
「とにかく、そこにバージルの生前の記憶が最初から最後まで載っている。大事にするんだよ? ……っと、死者が来たみたいだ。そろそろ切らせてもらうよ」
「はい。ありがとうございます、先輩……お仕事、頑張ってください」
「君も頑張りなよ、最近パッドを新調したエリスさん」
「パ、パッドのことは言わないでください! ていうかなんで新調したこと知って――!? ……切れてる」
別れ際にまたも胸のことを弄られ、すかさずツッコミを入れるものの、またも届かず。手鏡は光を失い、自分の顔を映し出していた。
先輩は変わってないなと思いながら、エリスは引き出しの中に手鏡をしまう。そして、タナリスから送られた1冊の本に目をやった。
「ここに……バージルさんの記憶が……」
エリスはゴクリと息を呑む。
地獄行きの者や大罪人の記憶を知るのは、場合によっては情が移ってしまう危険性もあるため禁止されているのだが、今のエリスはそんなことを気にも止めず、本を手に取る。
そして――ゆっくりと、最初の1ページを開いた。
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――とある国の辺境に建てられた、1つのお屋敷。その庭に、4人の家族がいた。
エリスの腰元までしか身長のない、髪も顔もそっくりな、赤い服と青い服を着た銀髪の双子。2人は木製の剣を握り、1対1で戦っている。
その様子を、両腕を組んでジッと見つめている1人の男性。バージルによく似た髪型で、左目にモノクルを着け、紫色のコートを纏っている。一見厳つい顔つきだが、どこか暖かい印象も覚える。
そんな彼の横に、芝生の上に座って双子に声援を送る女性が1人。上半身は大きな赤いストールで包み、下半身は黒いスカートで隠しており、下の芝生に届くほどの長い金髪を持っている。
「(あの人達は……)」
その様子を遠くから見ていたエリスは、4人が誰なのかをすぐに理解していた。
双子が言い合う度に笑顔を見せている女性は、バージルの母――エヴァ。その隣にいる男性は、バージルの父――伝説の魔剣士、スパーダ。
そして、騒ぎながらも剣を振っている、赤い服を着た子供は、バージルの弟――ダンテ。対して彼の攻撃を受けながらも口喧嘩を買っている、青い服を着た子供――バージル。
バージルの幼き日――まだ彼が悪魔ではなかった頃の記憶だった。
今では見る影もない彼の幼少期を見て、エリスは思わず笑顔になる。彼にも、こんな時期があったのかと。
父の、思わず目を背けたくなるような地獄の鍛錬。母の、エリスでさえも心安らいでしまう子守唄。双子の、事あるごとに起こす兄弟喧嘩。
父が悪魔で、双子が半人半魔であることを忘れてしまうような、幸せな家庭がそこにあった。
誕生日には、母からアミュレットを、父から身の丈以上の剣を……どこを切り取っても幸せそうな4人を見て、エリスの心が温まる。
しかし、ある日――突然、父が家族の前から姿を消した。
厳しい鍛錬をするも、時には優しい一面を見せてくれた父。そんな彼が何も言わず消えてしまったことに、双子は母のもとで泣いている。
そんな双子を優しく包むように、母は言った。
「あの人は仕事でちょっと遠くに出かけたのよ。大丈夫、彼はすぐに帰ってくるわ」
いつか必ず、彼は帰ってくる――いつかまた、4人で楽しく幸せな日々を過ごせると。
父の帰りを待つ3人を見てエリスは、ここが記憶の世界であることも忘れ、3人へ祝福を送っていた。
――が、その願いは無情に、そして残酷な形で砕け散ることとなる。
3人がいつも通り、そして父の帰りを待っていた時――。
――悪魔が、現れた。
彼らの父、スパーダは、人間界を守るために魔界の軍勢と立ち向かい、勝利を収めた英雄だ。
しかし、悪魔側から言わせてみれば、自分達を裏切った上に、魔界の王である魔帝さえも封印した、魔界史上最悪の反逆者。これに、悪魔達が怒りを覚えない筈がなかった。
突如としてバージル達のいる屋敷を襲った悪魔達は、スパーダに復讐すべく、彼に連なる者――家族である3人に襲いかかった。
双子は母を守るため、父から教わった剣術で襲いかかる敵と戦った。彼等はまだ10にも満たない子供だが、それでもスパーダの血を受け継ぎし者。侮ることはできない。
そこで悪魔達は、スパーダの力――双子を二分することにした。刀を持っていた方、バージルを屋敷から転移させ、少し離れた墓場へ。
バージルを待ち受けていたのは、武器を手にした幾多の骸骨。彼は交戦しつつ、急いで屋敷に戻ろうとするが、悪魔達はそれを許さない。
彼等はバージルを墓場から逃さまいと、その手に握られた武器で、彼の心臓を突き刺した。そこがお前の墓だと告げるように、バージルは1つの墓に打ち付けられ血反吐を吐く。
「ゴフッ……!?」
「あっ……ああっ……」
エリスは助太刀に行こうとしたが、ここは記憶の世界。過去の出来事。彼の過去に干渉することはできず、彼女はただ見ることしかできなかった。
バージルは呼吸もままらないまま、地面に刺さる閻魔刀へ縋るように手を伸ばす。そして視線の先に、煙が上がっているのを見た――自分達の屋敷、母と弟がいる筈の屋敷から。
「……ダンテ……!」
掠れた声で弟の名を叫ぶ。しかし、今の彼にもう戦える力はあらず。
バージルは伸ばしていた手を地面に落とし、両目を閉じた。
「コロシタ?」
「アア、スパーダノ女――コロシタ」
無慈悲な悪魔の会話を、確かに聞きながら。
――しばらくして、バージルは目を覚ます。
墓場には彼以外おらず、あの悪魔達もいない。バージルが死んだと思い、この場を去ったのだろう。
空は雨雲が覆い、血を洗い流すように降り続ける。意識を手放す前に見た煙は、消えていた。
「……母さん……ダンテ……」
彼は心臓に刺さっていた槍を引き抜いて立ち上がり、地面に刺さっていた閻魔刀を抜くと鞘に納め、杖がわりにしながら屋敷があった方へ歩く。
もしかしたら、2人とも助かっているかもしれない。そんな淡い希望を抱いていたが、屋敷に戻ってくると、それは脆くも崩れ去った。
屋敷は既に半壊し、燃えていたのか所々炭になっている。そして、いたるところに赤黒い血が飛び散っていた。
バージルは屋敷の中を少し進み、ピタリと足を止めて足元を見る。
床に転がるのは、母エヴァの頭。首から下は既に無くなっていた。
「……母を守れなかったのは、俺が弱かったからだ。愚かだったからだ。力こそが全てを制する。力がなくては何も守れはしない。自分の身さえも……」
バージルは亡き母へ、そして自分自身へ誓うように呟く。
屋敷の屋根は壊れ、そこから雨が降り注いでいる。彼は濡れた髪に手をかけると――。
「ならば求めよう。親父から――スパーダから受け継いだ、悪魔の力を――」
決意を表すように、片手でかきあげた。
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その日を境に、バージルは悪魔として生き始めた。
人の心などとうに捨て、邪魔する者は全て、悪魔は勿論のこと、人間でさえも手にかけた。
しかし、それでも一度は人間に歩み寄ろうとした。とある街で出会った女性と身体を交わし、子を授かった。
が……運命が彼を人間側から引き離すかのように、その女性は悪魔に殺された。まるで、かつての日を再現するかのように。
そして彼は、人間と関わることをやめた。残された赤子は孤児院の前に黒い布を巻いて捨て置き、ひっそりと街から去っていった。
その後――彼は生き別れた弟と、数年ぶりの再会を果たす。
「あまりに久しぶりだと、兄弟でもわからねぇときた。あんたにこんな趣味があるとはな……死体と悪魔? デートにしちゃシケてるぜ」
「長らく会わなかった……お互い理解できずとも仕方はあるまい」
弟は感動の再会に喜んでいたのだろう。上機嫌そうに、バージルへ話しかける。
しかし――その時にはもう、手遅れだった。
「魔界を開く――俺の手で」
彼は、魔に魅了されていた。
最初は、母を殺した悪魔に復讐するため、という目的もあっただろう。しかし、悪魔として生き続けていく内に目的を忘れ、『力を求める』ことを目的とする修羅になってしまった。
いつの間にか、守りたかった母を、自分が人間であることを嫌でも認識させられる存在だと憎み、弟を、元は1つだったスパーダの力を二分させ、その半分を持っている存在として憎んだ。
その果てに、父が守った人間界でさえも犠牲にして力を得ようと動き出した。魔界の門となる塔を復活させるため、同じく魔に魅了されていた1人の男と同盟を組んでいた。
「俺は魔界へ行く。邪魔をするなら誰だろうと斬る」
「あんたほどの男が悪魔の手先に成り下がるとはな。哀しいね」
彼は、弟との再会を喜びはしなかった。それどころか、彼は弟さえも手にかけようとした。
ダンテを圧倒的な力で打ち負かすと、彼は我が道を進み、7つの封印を解き、塔を復活させた。恐怖を生み出す土台――テメンニグルを。
バージルは更なる力を得るために。ダンテは兄を止めるために。2人は、復活した塔の上で再び出会う。
「感動の再会って言うらしいぜ、こういうの」
「――らしいな」
――とうに涙など枯らしたバージルを見て、エリスは独り泣いていた。
「こんなっ……こんなのって……っ!」
彼が悪魔となったきっかけを、そして悪魔となってしまった彼を見るのは、慈愛に満ち溢れ、あの世界でバージルと関わってきた彼女にとっては、とても辛いものだった。
流れ出た涙はいくら拭っても止まらず、目元は真っ赤に染まっている。そんな彼女を他所に、記憶の世界は進み続ける。
「いいだろう。お前もスパーダの血筋。貴様を殺してその血を捧げるとしようか」
「どうやら俺の命がお望みらしい――そう簡単にやる気はないけどな!」
塔の最深部――双子は再び剣を交える。あの頃の兄弟喧嘩とは違う、本当の殺し合い。
たとえその後、奪われた力を取り戻す為に弟と協力したとしても、あくまでも一時的なもの。この双子は、決してわかりあうことはできなかった。
「俺達がスパーダの息子なら、受け継ぐべきは力なんかじゃない。もっと大切な――誇り高き魂だ! その魂が叫んでる。あんたを止めろってな!」
「悪いが俺の魂はこう言っている――もっと力を!」
「――双子だってのにな」
「あぁ――そうだな」
薄暗い、鍾乳洞のような場所――魔界の底で、双子は己の力をぶつけ合う。話し合いなど通じない。ダンテがバージルを止めるには、バージルが力を得るためには――こうするしかできなかった。
――やがて、壮絶な双子の戦いは終わりを迎える。
バージルは――ダンテに斬られ、剣を手放した。
「これは誰にも渡さない。これは俺の物だ。スパーダの真の後継者が持つべき物――」
バージルは水の中に落ちた物、母から誕生日に貰ったアミュレットを手に、ダンテから遠ざかる。
彼の背後には、崖が――その下は、どこまで続くかわからない魔界の奈落。
「ッ……バージルさん!」
彼が何をしようとしているのかを悟ったエリスは、思わずバージルの名前を叫ぶ。それよりも先に、ダンテがバージルに駆け寄った。
――が、ダンテの喉元に刀が突きつけられる。これ以上先に来るなと、警告するかのように。
「お前は行け。魔界に飲み込まれたくはあるまい。俺はここでいい。親父の故郷の――この場所が――」
そして――バージルは後ろへ倒れこむように、奈落の底へ落ちていった。
助けようと伸ばしたダンテの手を――刀で切り払って。
「ッ……バージル……バージルさんッ……!」
エリスはその場に座り込み、両手で顔を覆い隠す。両手は溢れ出た涙で濡れ、流れ落ちた涙は水の中へと消えていった。
しばらく泣き、ゆらりと顔を上げると――また場所が変わっていた。床は血のような色で溢れた水面。所々に、墓石のような物が置いてある。
そして、その中心に――腹に深手を負い、苦しそうに立ち上がるバージルがいた。
「バ……バージルさん!」
彼の姿を見たエリスは、すぐさま彼の傍に駆け寄ろうとする。が、いくら走っても彼の傍に近づけない。
やがて、立ち上がった彼はエリスに顔を向けることなどなく、上空を見上げる。エリスも同じくその方向を見ると――上空には、禍々しい光を放つ三つの目が浮かんでいた。
記憶の世界の筈なのに、エリスはその三つ目を見た瞬間、心臓を掴まれたような感覚を覚えた。足がすくみ、思わず座り込んでしまう。
そして、本能で理解する。あそこにいるのは――魔界の頂点に立つ者だと。
「魔界の王とやり合うのも悪くはないか。スパーダが通った道ならば――俺が通れない道理は無い!」
「ッ! ダメッ! バージルさん!」
魔帝と向かい合ったバージルは刀を抜き、鞘を捨てて走り出す。エリスは手を伸ばすが、彼は止まらない。
「嫌っ……嫌ぁあああああああああああああああああああっ!」
――しかし、いくらスパーダの血族といえど、手負いの彼では魔帝を倒すことはできず、バージルは魔帝に殺された。
それどころか、魔帝は彼を自身の手で改造し、漆黒の天使――『ネロ・アンジェロ』という悪魔として、配下に置いた。
彼は死んだにも関わらず、未だ魂は囚われたまま。死者を、そしてバージルの魂を弄ぶ魔帝を、エリスは深く憎んだ。彼女がここまで誰かを憎むことなど、一度もなかっただろう。
それもその筈。魔帝はバージルを殺し、魂を捕えて部下にしただけには飽き足らず――。
「掃き溜めのゴミにしちゃ、ガッツありそうだな」
「……」
――悪戯に、ダンテと再会させたのだから。
成長したダンテは、相対する悪魔が兄と知らず、剣を交える。
一度の死闘だけで決着はつかず、二度――そして三度。
「マジにガッツあるな。気に入ったぜ。掃き溜めには勿体ねぇ」
魔帝へと近づいているダンテを殺すべく、ネロ・アンジェロは力を引き出し、全力で襲いかかる。
しかし、彼がかつて求めていた悪魔の力をもってしても、成長したダンテには敵わなかった。
ダンテに敗れた彼の肉体はその場から消え、残されたのは金色のアミュレット――母の形見。
そして――ダンテには見えていないであろう、解き放たれたバージルの魂だった。
涙でくしゃくしゃになっていた顔を上げ、天に昇りゆく彼の魂を見る。彼が見下ろす先には、2つのアミュレットを手にするダンテ。
そして、2つのアミュレットと1つの大剣が合わさり、その空間が歪むほどの魔力を放つ、真の姿を見せた大剣――魔剣スパーダをダンテが背負った時、
「……あっ……」
バージルは――確かに笑った。ダンテの後ろ姿を見て、安堵するかのように。
*********************************
――気付けば、エリスは魂を導く間に戻ってきていた。
手元にある本は、いつの間にか閉じられており、彼女は横の机にそっと置く。
一言では言い表せない、残酷で悲劇的な彼の物語。悪魔に堕ちた彼を思い出し、またも涙が頬を伝う。
――しかし、彼は悪魔として生き続けた果てに、何かを得たように見えた。
ダンテに一度敗れた時、彼は父の形見ではなく、母の形見を選んだ。魔界に落ちる時、彼は弟を逃がした。魂が解き放たれた時――彼は笑っていた。
そして死後、彼はこの世界にきて、自分達と協力者になってくれた。決して自分達を、人間を斬ろうとはしなかった。
デュラハンの問いに、彼は寂しげな顔を見せながらも悪魔だと答えた。
「……バージルさん……」
誰もいない部屋で、彼女はポツリと彼の名前を呟く。
――女神エリスは、数々の魂を見、送り出してきた、慈悲深き女神だ。
バージルのような……それ以上の悲劇もあったかもしれない。幾百年と生きてきた彼女は魂の記憶を見る度に心を痛め、涙を流していた。
しかしそれは、生前に良き働きをした、天国に行ける魂のみ。地獄に堕ちるべき、大罪人の記憶は見たことがなかった。大罪人の魂は問答無用で地獄に送ると、天界規定で決められていたからだ。
何故、そう決められているのか。それは、もしも大罪人の記憶が悪そのものではない、悲劇により悪へと堕ちてしまったものだった場合――。
「(あの人はまだ……救うことができる!)」
彼女のように情が移り、救おうとしてしまう者が現れるからだ。
エリスは椅子から立ち上がると部屋の中心に立ち、下界に降りる準備をする。
確かにバージルは、決して許されることのない罪を犯した大罪人だ。
されど――再び罪を犯す悪人ではない。彼の記憶を見て、エリスはそう確信していた。
加えて、彼女は下界にて彼と出会っている。手を伸ばせば彼に届くのだ。そう考える内に、彼女はいても立ってもいられなくなった。
天から差し込む光に手を伸ばし、エリスは願う。
「(バージルさんを……救けたい……!)」
*********************************
下界に降りたエリスは、すぐさまクリスに変装し、アクセルの街中でバージルを探し始めた。
時刻はもう夕食時だろうか。街を出歩いている冒険者は少なく、家の中にある灯りが夜の街を照らしている。
その中を走り――正門前付近まで来た時だった。
「ッ! いた! って……あの3人は……誰?」
バージルが、見知らぬ3人を引き連れて正門から出て行くのを発見した。1人は女性からすこぶるモテそうな茶髪の男性。1人は緑色ポニーテールの女性。1人は赤髪三つ編みの女性。
こんな時間にどこへ行くというのか。疑問に思ったエリスは、潜伏スキルを使って静かにバージルの後を追う。
その果てに――彼女は信じがたい光景を見た。
「グハッ……!?」
「キョ……キョウヤァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「そ……そんな……」
バージルが――人に刃を向け、傷つけていた。
バージルに腹を刺されたキョウヤと呼ばれる男性は、腹から血を流してその場に倒れる。それを見て怒りを顕にしたポニーテールの女性が剣を向けるも、あっさりバージルに伏せられ、両腕両足に刃を突きつける。
残った三つ編みの女性は、バージルに首をしめられ、最後は力なくその場に倒れる。
その様子を、エリスは信じられないとばかりに口を抑えて見ていた。
もう、同じ罪を犯さないと信じていた。なのに彼は今、目の前で再び
本来ならこの時点で、彼女は救いの手を引き、バージルを悪人と見なして地獄へ送らねばならない。だが――。
「(何か……何か意味があるんですよね?)」
最後まで希望を捨てきれなかった彼女はバージルを信じ、傷を負う剣士に心を痛めながらも、その様子をジッと見守った。
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「クッ……チクショウッ……!」
仲間であろう2人を傷つけられ、2人を守るべく立ち上がり剣を振るった男だったが、あと一歩のところでバージルに届かず、彼は地面に仰向けで倒れる。
そして、彼が意識を手放して目を閉じた時、彼を見下ろす形で立っていたバージルは――。
「……それが、貴様の力か」
どこか満足そうに笑うと、刀を納めた。そして懐から瓶を3つ取り出し、3人の身体に瓶の中に入っていた粉を振りかける。
あれは、回復効果のある粉だ。それを瓶の中身が無くなるまでかけたバージルは、空になった瓶を捨て、この場から立ち去っていく。
「……バージルさん……」
独り立ち去っていく彼の後ろ姿を見て、エリスは笑顔になる。
あぁ――やっぱり彼は、罪を犯さなかった。
そして彼女は潜伏スキルを使ったまま、バージルにバレないよう先回りしてアクセルの街に向かっていった。
もう一度、久しぶりにバージルと話すために。
「おかえり、バージル」
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「……で、叩き直した結果、どうだった?」
「……魔剣を扱う者として、あまりにも技術が乏しすぎる。剣の腕はにわか仕込みもいいとこだ。いかに魔剣の力に甘えていたかが手に取るようにわかる」
アクセルの街、エリスはバージルの後ろを歩きながら彼と話をする。
先程の男について聞いてみると、口から出たのは、どれも本人が聞いたら耳が痛くなるような辛口評価ばかり。
相変わらずだなぁと苦笑しながら聞いている中、バージルはそこから少し間を置くと、
「だが……最後のは悪くなかった」
バージルは、最後にポツリとそう呟いた。
背中を向けているため表情はわからないものの、彼の言葉にエリスは少し優しげな印象を覚え、またも笑顔が溢れた。
「(バージルさん……やっぱり貴方は――)」
心の中で、エリスは呟く。
ほとんど確信に近いものだったが、まだそう言い切ることはできない。
あの時、タナリスから渡されたものは、あくまでバージルの記憶。あれからは、彼の『心』が読み取れない。
それを知るためには、聞く必要がある。もう一度――それも彼の口から、彼の物語を。
いつか聞けたらいいなと思いながら、彼女はトコトコとバージルの後をついていく。
――今宵、その機会が訪れるとは知らずに。
ちゃっかり坊やの母親について書いていましたが、公式設定が出たら即変えるつもりです。
そして、多分わかりきっていると思うので言いますが、今作のメインヒロインはエリス様です。
二次創作では高い確率でメインヒロインになっている気がしますが、ここも例に漏れずそうなりました。
彼女と同じく聖母なキリエは無事結ばれましたが、エリス様はどうなるか未定です。