「……ムッ」
ふと気がついたバージルは、眼前に広がる景色を見て目を疑った。
まるでチェス盤のような白黒の市松模様の床が広がり、壁も天井も無いように見える薄暗い空間。ダンテとの死闘を繰り広げた広間から、いつの間にか場所が移っていた。
「(あの時、俺は確かに死んだ筈。だが……)」
彼は目線を下に落とし、身体を確認する。見覚えのある手袋に、青いコートに黒のインナー。まだ、自身が魔帝に操られる前の服装であった。あの頃と違う点があるとすれば、肌身離さず身につけていたアミュレットと、相棒とも呼ぶべき刀がないことか。
先程、ダンテとの戦いに負け、肉体は消滅した。魂となり、消えていった感覚も記憶に新しい。あの時、間違いなく死んだ筈。とすれば、今自分がいるこの場所は──。
「(死後の世界、か)」
命が絶たれ、肉体を失った魂の向かう先──冥界。生前に良き行いをした者は天国へ。そうでないものは地獄へ。そもそも天国、地獄は存在せず、魂は無と帰るか、新たな魂として生まれ変わるか。死後の世界は、書籍によって様々な見解がある。果たして自分はどこに行き着くのか。真っ暗闇の空を見上げながら、バージルが考えていた時だった。
「おーい、そこのキミー」
背後から突然、声が聞こえてきた。自分のことだろうと思ったバージルはおもむろに振り返る。そこにいたのは、黒い椅子に胡座をかいて座る、首のところまでしか伸びていないツンツンの黒髪ショートに透き通った白い肌を持つ、黒いワンピースに白い羽衣を纏った、幼げな顔立ちの女性。
「とりあえず、横の椅子に座ってくれるかな?」
彼女はバージルの右隣を指差す。バージルは横に目をやると、いつの間にか茶色い木製の椅子が置かれていた。彼は黙って用意された椅子に座る。バージルと向き合う形になった彼女は、コホンと1回咳払いをしてから口を開いた。
「初めまして、バージル。僕は死者の魂を導く女神のタナリス。残念だけど、君の短い人生は終わりを迎えてしまった」
「そうか」
「おや、驚かないね? 大抵の人はここでビックリ仰天するんだけど」
「俺が死んだことは理解していた。それに、ここが死後の世界だと薄々察しがついていたところだ」
「ふーん……ま、その方が話は早くて助かるけどね」
女神タナリスは胡座をかいたまま、右横に設置されていた机に手を伸ばす。机上には一枚の紙と、ホチキスで止められた紙束があり、彼女は紙を右手で取ると顔の前に移し、紙に視線を向けたまま話を続けた。
「死んだ人間がどうなるか、魂はどこへ行き着くのか。君は知っているかな?」
「天国か地獄か。無か。輪廻転生か……」
「んー、一番と三番が正解だね。ちゃーんと良い子に育ってくれた人は天国に行って、縁側にいるおじいちゃんみたいなのんびりタイムを過ごすか、記憶をリセットして、同じ世界に新しく生まれ変わるか。悪い子は地獄に行って、自由の無い贖罪タイムを受け続け、浄化されてから転生される。君の場合は残念ながら地獄行きだね」
「随分とあっさりした判決だな」
「死後の世界だって気付いていた君なら、地獄行きなのもわかっていたのかなーと思って。あっ、もしかしてドキドキしたかった?」
「いや、さっさと決めてくれて助かる」
自分が天国へ行けるような人間ではないことは、悪魔として生き始めた時からわかっていた。ドキドキもクソもない。バージルは無表情で答えると、タナリスは不満そうな顔を見せる。
「つれないなぁ……まぁいいや。判決が下された君は、このまま僕によって地獄へ送られ、気の遠くなるような長い間、生前に犯した罪を償うことになる」
彼女は淡々と話を進めていく。前置きはいいからさっさと地獄に送ってくれと思いながらも、黙って話を聞き続けるバージル。
「筈だったけど、君にはもう1つの道が用意された」
「……なんだと?」
が、このまま地獄行きの特急列車に乗り込むものかと思いきや第二の選択肢を提示され、バージルは耳を疑った。ほんの少しだが表情を変えた彼を見て、いたずらを成功させた子供のように笑ったタナリスは、少し間を置いてから言葉を続ける。
「君がいた世界とは全く異なる場所、異世界に行って、そこにいる魔王を倒すっていう、冒険者としての道だ」
「異世界の……魔王?」
「その世界は、魔王の侵略で人口が減っていてね。最近は減少傾向にあるらしいけど……ともかく、現状を見かねた天界のお偉いさんは、他世界から若くして死んだ者を転生させ、移民させると同時に、魔王を討つ冒険者を募ることにしたんだ」
「転生……ということは、記憶は無くなるのか?」
「その通り。稀に前世の記憶が残っている人もいるけどね。けど、全消去は嫌だって人がいっぱいいてねー。異世界転生の話を持ちかけても、断る人が多かった。だから、記憶も力も姿も、何もかも引き継いだ状態での異世界転生を特別に許可したんだ。その世界の言語がわかるようになる翻訳機能付きで。人間もワガママな子が多くて困るよ」
「なるほど」
タナリスからの説明を聞き、納得するバージル。記憶をリセットされるニューゲームか、記憶と肉体をそのままにした強くてニューゲームか。どちらがいいかと言われたら、多くの人は後者を選ぶだろう。
「で、君はどうする? 地獄に行って懺悔の日々を過ごすか、異世界に行って冒険者になるか……どっちがいい?」
彼女は説明を終えると、すかさずバージルに問いかけた。バージルは両目を閉じ考える。
先程までは、地獄に行こうが構わないと思っていたが、彼女の提案を聞いて気持ちが揺れた。自分がいた世界とは全く別の世界。もしかしたら、魔帝どころかスパーダさえも知らない世界かもしれない。そこならば──。
「異世界の魔王とやりあうのも悪くはない」
「うん、そう言うと思ったよ」
目を開き、不敵に笑って答えたバージル。異世界行きを決めた彼を見て、タナリスは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「じゃあ善は急げだ。バージル、これを見てくれるかい?」
「……何だこれは?」
彼女は先程まで持っていた紙を机上に再び置くと、次に紙束を手に取り、フワフワと浮かせながらバージルのもとに移動させる。一般人から見たら紙が浮いただけでも驚く場面なのだが、魔法の類など見慣れていたバージルは、ノーリアクションで紙束を手に取る。
「異世界行きを決めてくれた君に、僕からのプレゼント。ひとつだけ、異世界に持っていける物を何でもいいから選んでいいよ。敵を一撃で仕留められる最強の剣でも、攻撃を一切通さない最強の鎧でも、女神でも何でもね。その紙は参考リストだよ」
タナリスからの解説を聞きながら、バージルは紙に目を通す。リスト内には、先程タナリスが口にした最強の剣や鎧を始め、ぶっといチャージバスターが撃てる銃、最強の格闘家になれる赤いハチマキ、狩りのオトモから主人のお世話まで何でもやってくれる猫など、単純明快なものから特殊な物まで、様々な種類のものが書かれていた。
どれも気になる物だったが、バージルはリストから目を離すと、真正面でまだかまだかと身体を左右に揺らして待ちわびているタナリスに声を掛けた。
「おい、女」
「ターナーリース。人を呼ぶときは、ちゃんと名前で呼ぶよーにっ」
「……タナリス、このリスト以外の物でも可能か?」
「お気に召す物がなかったかな? さっきも言ったけど、ひとつだけなら何でも可能だよ。形や名前がわかっている物なら、目を閉じて頭の中で思い描いてみて。目の前に現れる筈だから」
「そうか」
それを聞いたバージルは、手に持っていたリストをぶっきらぼうに放って床に落とす。タナリスがマナーうんぬんで怒っていたが、バージルは気にせず目を閉じた。
「(何でもいい、か……ならば呼び寄せる物は決まっている)」
彼が思い描くのは、悪魔として生き始めた時から決して手放さなかった、父から授かりし刀。幾多の悪魔を切り裂いてきた退魔の剣。その名は──。
「(──ッ!)」
しかし、彼は思わずその思考を止めた。
ここへ呼び寄せようとしたのは、魔帝に敗れるあの日まで手放すことのなかった魔剣──
しかし閻魔刀は、魔帝との戦いで折れてしまっている。もしここへ閻魔刀を呼び寄せ、折れた状態で出てきたらどうする? 使えないことはないかもしれないが、本来の力は発揮できないだろう。最悪の場合、折れたことで力を全て失い、普通の刀と変わらない代物になっている可能性もある。
しかし、女神は何でもいいと言った。本当に何でも、ということであれば『魔帝に敗れる前の、折れていない閻魔刀』を思い浮かべれば問題ない。
それでも踏みとどまったのは──閻魔刀を思い出そうとした時、とある街に置いてきた、黒い布に包まれた1人の赤子が脳裏に浮かび──異型の右手で閻魔刀を握る、見たこともない白髪の青年の後ろ姿が見えたからであった。
「(今の男は何だ? そしてあの赤子は、まさか……)」
以前の彼だったら「そんなもの知るか」と、バッサリ迷いを断ち切って閻魔刀を選んでいただろう。しかし今の彼には、先程のイメージを無視することができなかった。
あの背中は、彼が現世から消える直前に見たダンテの背中──かつての父を思い出す背中と、よく似ていた。
「(……閻魔刀はやめるか)」
結局彼は、閻魔刀を呼び寄せるのをやめた。そもそも自分は魔帝に負け、操られた身。そんな自分に、再び閻魔刀を持つ資格はないとバージルは結論付ける。『複製を作る』方法もあっただろうが、それは閻魔刀に対する冒涜となるため、ハナから選択肢に入れていなかった。
では何を呼ぶべきか。母の形見であるアミュレットは、現在ダンテが魔帝を討つべく、魔剣スパーダを振るうために使っているだろう。なのでアミュレットも選べない。閻魔刀とアミュレット以外で、何か良い物はあっただろうか?
「(そういえば、奴はアレを使っていなかったな)」
ふと、バージルはマレット島でのダンテとの戦いを思い出す。
操られてはいたが、彼はダンテとの戦いを覚えていた。あの時ダンテは剣だけでなく、炎を纏う籠手の魔具を使っていた。その使い方は、魔帝に操られる前、ダンテと魔界で戦った時に、いつの間にか拾われていたアレの使い方とよく似ていた。というかほとんど一緒だ。
もし、今はあの武器を使っていないのだとしたら、勝手に持ち出しても問題ないだろう。というかアレは元々自分が使っていたものだ。それをダンテは勝手に拾い、勝手に使っていた。謂わば借りパクだ。ならば、持ち主が勝手に取り返しても文句は言えまい。
呼び寄せる物を決めたバージルは、そのイメージを頭に浮かべた。
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その頃一方、とある街の質屋にて。
「おっかしいなぁー……ダンテから質草として預かってた武器がひとつなくなってやがる。もしや盗みか? へっ、いい度胸してるじゃねぇか。犯人の野郎、とっ捕まえてメッタメタにしてやるぜ!」
サングラスをキラリと光らせるのは、情報通にして質屋、そして仲介業者である男、エンツォ。彼は拳を鳴らし、いざ外に出て捜索を開始する──が、丸一日探し回っても犯人の情報どころか、その在処さえ見つからなかった。
犯行現場を目撃しているかもしれないと思い、質草であった世にも珍しい喋る双剣に尋ねたが「光って消えた」「突然消えた」と、彼には全く理解できない返答しか出てこなかった。
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しばらくして、突如バージルとタナリスの間に眩い光が現れた。
「うわっ! 眩しっ!」
「……来たか」
思わず目を閉じるタナリスとは対照的に、バージルはゆっくりと目を開けると、目の前にある光──それに包まれていた武器を見た。
かつて自分がテメンニグルにいた頃、何故かボロボロの状態で襲ってきた悪魔を切り殺し、魂を奪って我が物にした、光を操る籠手と具足の魔具──
「それが君の選んだ物かい? へぇー、格好良いなぁ」
光に目が慣れたのか、タナリスが物珍しそうにベオウルフを見つめている。一方で、バージルは静かにベオウルフへ右手を伸ばす。光に包まれた魔具は吸い込まれるようにバージルのもとへ行き、右手に収められたと同時に再び光を放つ。すると、先程まであった光の魔具は姿を消していた。
「ほほう、身体の中にしまい込むこともできるんだ。さっきの武器にはどんな能力があるんだい?」
「貴様に話す意味はない。特典は選んでやった。さっさと異世界とやらに送れ」
「せっかちだなぁ。少しくらい教えてくれても──」
タナリスはむーっとバージルを睨んできたが、バージルは無反応。両腕を組み、黙ってタナリスを睨み返す。
「……ハイハイ、わかったよ。じゃあ席を立って、一歩前に出て」
もう自分と話す気はないのだろう。バージルの睨みから感じ取ったタナリスはため息を吐き、異世界転生の最終段階に事を進めた。バージルは素直に従って動く。彼が移動したのを確認したタナリスは目を瞑ると、両手をバージルが立っている床にかざした。床には青い魔法陣が映し出され、バージルの周りが半透明な青い壁で覆われる。
「数ある冒険者の中から、君が魔王を討ち取る勇者となれることを祈っているよ……君の異世界冒険者生活に祝福を」
タナリスが別れの言葉を口にした瞬間、バージルの身体が浮き始めた。天へと昇っていくバージルは視線をタナリスから外し、昇る先に向ける。先程まで光もない真っ暗闇な天井であったが、バージルの真上にだけ丸く白い光の穴が空いていた。光の先には、父さえも知らない世界が広がっているのだろう。
悪魔として生きた彼の人生は、終わったように思えた。しかしまだ続きがあった。ダンテの魂に負け、魔帝に敗れ、操られ、ダンテによって解放された彼は、スパーダも魔帝も存在しない未知の世界で何を見、何を求めるのか。
否──悪魔として生きていた頃も、ダンテと死闘を繰り広げた頃も、ダンテにアミュレットを託して死に、異世界へと旅立とうとする今でも、彼が求める物はただひとつ。
「
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「……ふぅ」
バージルが異世界に飛び立つのを見送ったタナリスは、背もたれに背中をつけて一息吐く。
「バージル、か。なかなかどうして、面白い男じゃないか。もっと色々話してみたかったなぁ」
名残惜しそうに、彼の名前を呟くタナリス。彼女は横にあった机についていた引き出しに手を伸ばす。そして、中に置かれていた手鏡を取り出した。何の変哲もない手鏡を、彼女はジッと見つめ続ける。すると手鏡はひとりでに白い光を纏い、彼女の顔が映し出されていた鏡の中が揺れ動き──タナリスの顔ではない、別の女性の顔を映し出した。
「さっき話した通り、そっちの世界に彼を送ったよ。後のことはよろしくね」
「よろしくね、じゃありませんよ! なんってことをしてくれたんですか!?」
「おぉ、怒ってる怒ってる」
手鏡に映し出された女性にタナリスが話しかけると、鏡に映る彼女は声を大にしてタナリスに怒り始めた。タナリスは彼女の様子を愉快そうに笑いながら見守る。
「魔王を討つ可能性を秘めた男を送るからって聞いたので、先輩から転送された彼の資料を拝見しましたが、とんでもない大罪人じゃないですか!? しかも半分とはいえ悪魔だなんて……! 現世で数多くの人を殺した大量殺人鬼や、人々を混乱に陥れた大罪人は、問答無用で地獄に送る! 天界規定で決められているんですよ!? 忘れたのですか!?」
タナリスを先輩と呼ぶ彼女は、怒りを顕にして怒鳴りつける傍ら、顔は青ざめていた。対してタナリスは、反省する素振りなど一切見せない。
「勿論知っているよ。伊達に何年も女神やってないからね」
「だったら何故!?」
「面白そうだったから」
「はい!?」
まさかの理由を聞き、相手の女性は酷く驚いた様子を見せる。
「だって、あの魔剣士スパーダの息子だよ? って、君は知らないか……君の世界で言うなら、魔王以上に力を持ち、悪魔でありながら人間界を救った英雄さ。そんな彼の息子を、ただ地獄送りにするのは勿体無いし面白くない。だから、君の世界に転生させたんだ」
「そんな理由で──!?」
「刺激があるから人生は楽しい。君も、彼という超イレギュラーな男と出会って、退屈な女神生活に刺激を与えるといい。丁度、君は別任務でちょくちょくその世界に降りることがあるんだろう? 良い機会じゃないか」
「私としては即死級に強すぎる刺激なんですけど!? 既に体力七割以上持っていかれたんですけど!?」
「三割も残っているならいいじゃないか。残りの体力で頑張ることだね。それじゃあ、彼のことは任せたよ。上げ底女神さん」
「上げ底言わないでくださ──!」
長引きそうだと思ったタナリスは、強制的に通信を遮断し、手鏡を引き出しにしまう。その後、何回か引き出しから光が漏れていたが、タナリスはこれを全スルー。
「このことが上にバレたら、僕は追放されるだろうなぁ。それだけで済めばいいけれど」
天井を見上げ、彼女は小さく笑う。何かあれば天界規定天界規定と注意するお偉いさん達に、少し不満が溜まっていたところだ。これを機会に女神の肩書きを捨て、別の世界に行って羽を伸ばすのも悪くないだろう。
「もし追放になったら、バージルの様子を見に行ってやろうかな。ま、処分はまだ先になるだろうし……それまではちゃんと女神として仕事をしますか」
訪れるであろう未来に期待を膨らませた彼女は、先程まで机に置いていた紙を引き出しの中にしまう。次に、机上に新しく現れた紙を手に取り、まだまだ溜まっている仕事を再開させた。
プロローグなのに思ったより長くなってしまいました。
僕っ娘女神は例の駄女神と同期になります。