アクセルの街郊外に建つ便利屋、デビルメイクライ。
主のバージルは今日も椅子に座って本を読み、来客を待っている……が、どうにも内容が頭に入ってこない。
「(……本当に、どうしたものか)」
つい先日、隣にカズマ達が越してきたことが気になってしょうがないからだ。
カズマだけならまだ良かったのだが、アクア、めぐみん、ダクネスの問題児3人組がもれなくついて来ていた。特に注視すべきはダクネス。隣にデビルメイクライがあるとなれば、彼女が今まで以上に通い詰めるのは明白。
否、手遅れだった。今までは何日かに1回だったのが、1日1回現れるようになっていた。営業妨害で警察に通報してやろうとバージルは何度思ったことか。
彼女達から離れるには、この自宅兼店舗を別の場所へ移すのが手っ取り早いが、ここら一帯の静けさは彼にとって心地良く、離れてしまうのは勿体ない。それに、自分から移転するのは彼女達に負けた感があって癪に障る。
カズマ曰く「あの屋敷の評判が上がって購入者が出れば、自分達は出て行かざるを得なくなる」とのことだが、彼等もあの屋敷を手放すのは惜しいだろう。評判が上がらないように工夫する可能性もある。
「(……俺が屋敷を買うか、潰すか……)」
と、彼が独り物騒なことを考えていた時――正面の扉からノックの音が聞こえた。
いつも来るダクネスだったらノックも無しに入ってくるのだが、作戦を変えてきた可能性もある。バージルは、開けたらすぐに扉を閉められるよう心構えをしておきながら、読みかけの本を閉じて机に置き、扉に近付いてドアノブを引いた。
「こんにちは、バージルさん」
「……クリスか」
「エリスでいいですよ。周りに誰もいませんし」
現れたのは、協力者のクリス――もとい、その姿に扮している女神エリスだった。
ダクネスではなかったことに少し安堵しながらも、バージルはエリスを室内に入れる。
「神器回収か。今度はどの辺りだ?」
彼女がここに来る理由は、いつも神器回収の手伝いを頼みにくるためだ。今回も例に漏れずそうなのだろう。
現在受けている依頼はなく、予定が空いていることを確認したバージルは、彼女に神器回収の目的地を尋ねる。
が、それを聞いたエリスは首を横に振った。
「いえ、今日はそのつもりで来たわけではなくって……たまには、私がバージルさんの仕事を手伝ってみようかなーと思いまして」
「……?」
エリスが今回ここへ来た目的を聞いたバージルは、不思議そうに彼女を見つめる。
「……貴様に手伝ってもらうほど、依頼は溜まっていない。それに、手伝ってくれと頼んだ覚えはないが?」
「はい。だからこれは、私のお節介です」
バージルは少し睨みを効かせつつ言葉を返すが、既にバージルのにらみつけるに慣れていたエリスはそう答える。その口ぶりから、回れ右して帰るつもりはないらしい。
「……勝手にしろ」
なら拒むだけ無駄だと悟ったバージルは、そう吐き捨てながら椅子に座った。
どういう風の吹き回しか知らないが、彼女はアクアやダクネス達とは違い、自ら問題を引き起こすことはない。なら大丈夫だろう。
バージルなりのOKを受けたエリスは、嬉しそうに微笑む。
「とは言ったものの……まだ依頼は来てないんですよね?」
「この時間帯に来る客は少ない。大体は昼頃に客が来る」
「なら……それまでは暇ですね」
バージルと少し会話を交えたエリスは、バージルから目を離して店内、もといバージル宅の室内を見渡す。
家具の配置から小物までキッチリ揃えられており、彼の几帳面さが見て取れる。机を指でなぞってもホコリ1つ付かない。
人がいない時は、真面目な顔でしっかり掃除をしているのだろう。その風景を想像して、少しおかしく思えたエリスは小さく笑う。
――とその時、扉からノックの音が聞こえてきた。
「……珍しいな」
言った傍から朝の来客が来たのを見て、バージルはそう呟きながら扉に近づく。
素の口調で話す時は二人きりの時だけのため、エリスは少し喉を鳴らし、クリスとして演じる準備をする。その傍らバージルは扉を開き、来客の姿を見た。
「お兄ちゃーん! おっはー!」
「
元気な挨拶をするアクアを見た瞬間、バージルはすぐさま扉を閉めた。
「ちょっ!? 顔を見てすぐに閉められるのはかなり傷付くんですけど!? 開けてよお兄ちゃん! お兄ちゃああああんっ!」
アクアはドンドンと扉を叩いて抗議するが、バージルは無言で扉の鍵を閉め、スタスタと席へ戻る。
「問答無用で閉めるのは可哀想じゃないかな!? せめて話くらいは聞いてあげようよ!?」
「聞くだけ無駄だ。どうせロクなことじゃない」
「そうじゃない可能性もあるじゃん! 待っててアクアさん! 今開けるから!」
気持ちはわからなくもないが、流石にあんまりではないかと思ったエリスもといクリスは、バージルに意見する。
彼は話も聞きたくない様子だったが、アクアはクリスにとって先輩だ。蔑ろにしてはいけないと思い、クリスは扉に駆け寄って鍵を開けた。
「……うぅ……ヒッグ……」
「な、泣かないでくださいよ! ほらっ、中に入って」
バージルから締め出されたのがショックだったのか、既にめそめそ状態のアクア。クリスは慌てて彼女を店内に引き入れ、来客用のソファーに座らせる。
「で、一体どうしたんですか?」
クリスもソファーに座り、アクアへここに来た用件を尋ねる。それを聞いたアクアは、何の用があってここを訪れたのかを話し始めた。
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本格的に冬に入り始め、家の中でも寒くなってきた朝のこと。
新しく手に入れた屋敷で朝食を食べ終えたアクアは、屋敷のリビングにある暖炉の前、フカフカのソファーに座って暖を取っていた。
あの幽霊退治を引き受けていなければ、こうして暖まることも叶わず、今も馬小屋で寒い寒い朝を迎えていたことだろう。
凍死する前に屋根のあるあったかい家を手に入れられてよかったと思いながら、アクアは屋敷の書斎から持ってきた分厚い本を手に取り、スタイリッシュな持ち方で読み始める。
「(……うん、何書いてあるのか全っ然わかんないわ)」
兄の動きを真似る妹のように、バージルみたく本を読んでみたが、チンパンジー以下の脳(カズマ談)を持つ彼女には、その内容を理解できる筈もない。
これ以上この本に目を通していたら、頭がおかしくなりそうだ。アクアはパンッと音を立てるスタイリッシュな閉じ方をして横に置く。
「おいアクア、ちょっとそこで内職するからどいてくれよ」
とその時、背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。自分と同じくこの屋敷に住む、カズマだ。
彼はアクアへ、さも当然のように命令してきた。アクアは後ろを振り返ることなく、立場を弁えていない無礼者へ言葉を返す。
「あのね……私は女神、貴方は人間よ? おまけにレベルだって私の方が断然上。そう、私が上。貴方は下。貴方より私の方が偉いの。それを踏まえた上で、言葉を改めて頼んでみなさいな」
「そこで仕事をしたい。お前は邪魔だからどいてくれ。トイレの女神様」
「……寛容な私は、貴方にもう一度だけチャンスをあげるわ。相応しい言葉、相応しい態度は何か? 貴方の足りないオツムでよーく考えてから――」
「つべこべ言わずにさっさと退け。駄女神」
キチンと言葉を改めてから頼んできたカズマ。それを聞いたアクアは、ゆらりとソファーから立ち上がって後ろを振り返る。
カズマの手には小道具が抱えられており、その表情は誰かにお願いをする場面には似つかわしくない不機嫌顔だ。
アクアはやれやれと手を上げてため息を吐くと、カズマをキッと睨んで言葉を返した。
「アンタさぁ、ついこないだ私に蘇生されたこと忘れたの? あの時私がいなければアンタは蘇ることはできず、とっくにゲームオーバーになってたのよ? そこんとこわかってる?」
「そのことだけは感謝してるよ。まぁ、お前がデュラハンの人にちょっかい出して借金作らなきゃ、あんなクエストを受けることもなかったんだけどな?」
「……ここの幽霊退治だってそう。あんな大量の幽霊、私ほどのアークプリーストじゃなきゃ浄化し切れなかった筈よ?」
「あの幽霊呼んだのはお前だってこと、もう忘れたのか? お前の仕掛けた巧妙なマッチポンプで――」
「語弊! 語弊があるわよ!? 結果的にマッチポンプになっちゃっただけで、そうなるように仕組んだつもりはないから!? 悪気があってやったわけじゃないから!?」
カズマの言うマッチポンプとは、以前バージルも参加していた、この屋敷に現れた幽霊の浄化依頼だ。
どこからともなく現れた幽霊達が、街にある無人屋敷に住み着いてしまい、プリーストがいくら浄化しても新たな幽霊がやってきていた。
困った不動産屋は、幽霊浄化のエキスパートことウィズに依頼……しようとしていたのだが、偶々魔道具店に寄っていたアクアのせいでウィズはダウンしていた。
カズマに見つめられて罪の意識に苛まれたアクアは、ウィズの代わりに依頼を受ける。そこで女神の力を存分に発揮し、元々住み着いていた霊であるアンナ以外を全て浄化し、見事解決。屋敷を手に入れることができた。
この案件は、本来ならば冒険者ギルドがなんとかすべきこと。ギルドに報告へ行けば、もしかしたら臨時報酬が出るかもしれないとダクネスが言ったので、翌日アクアとカズマはギルドへ報告に。それを受けた受付嬢は、カズマパーティーに臨時報酬を出すことを約束した。
家もお金も手に入って互いにガッツポーズを取るアクアとカズマ。その直後、受付嬢から幽霊発生の原因を告げられた。
あの幽霊達は、以前カズマ達がゾンビメーカー討伐クエストで行った街の共同墓地に出現する者達だったのだが、誰かのイタズラか、強力な神聖属性の巨大な結界が共同墓地に張られていて、行き場を失くした幽霊達が無人屋敷に来ていたのだ。
そう、ウィズが浄化しに行っていたのをアクアが代わりに引き受けた、あの共同墓地だ。怪しんだカズマは、すぐさまアクアを尋問。アクアは正直に、あの共同墓地へ浄化しに一々行くのが面倒だから、墓地全体に結界を張っていたと白状する。
つまり、アクアが共同墓地に住んでいた幽霊達を無人屋敷に移動させ、幽霊騒動を引き起こし、自分で解決したということ。見事なマッチポンプである。本人にその気は全くなかったのだが。
流石にこれはダメだということで、報酬は受け取らず。不動産屋にも謝りに行き、屋敷も返すと告げたのだが、この不動産屋がとてもいい人で、幽霊の悪評が無くなるまでは屋敷に住んでもいいと言ってくれたのだった。
「いつも考えるんだけどさ……俺、お前がいなきゃもっと平和にやっていけると思うんだ」
カズマはフゥと息を吐くと、アクアへ常々考えていたことを口にした。それを聞いたアクアは、ピクリと眉を動かす。
「ほぉー? 言ったわね? 言っちゃったわね? 私がいなくても大丈夫? 隠された能力も何もない平々凡々なカズマさんのくせに、よくそんな大言を吐けるわね?」
「大言じゃない。今までの経験を冷静に分析した結果だ。お前がいなけりゃ借金背負うこともなかったし、カエルに食い殺されかける心配もなかった。そもそもお前が俺の死因を馬鹿にしたり、ムカつく態度を取らなかったら、俺がお前を転生特典にして道連れにする気も起こさなかったんだ! 俺はチート能力を持ってラノベみたいな異世界転生物語を満喫する筈だったんだ! 返せよ! 俺がもらう筈だった転生特典を返せよ! 俺のハーレム&俺ツエーな異世界生活を返せよ!」
カズマがアクアの煽りに耐えられなかったのも原因じゃないかと彼の境遇を知る人は言うだろうが、そんなことは彼の知ったことじゃない。
自分のことは棚に上げてアクアに怒号を発するカズマ。打たれ弱い彼女は泣きそうになっていたが、服の袖で溢れかけた涙を拭うと、彼の勢いに負けじと大声を発した。
「どうやらアンタは、私のありがたみを一切わかってないようね! いいわ! だったら嫌ってほどわからせてやるわよ!」
アクアはそう言うと自らソファーの元から離れ、走ってリビングから出て行った。ようやく折れたかとカズマは息を吐き、ソファーに腰を下ろす。
カズマが暖炉の前で内職をしている傍ら、アクアは自室へ駆け込むと、着ていた水色のパジャマを乱暴に脱ぎ捨て、いつもの服とピンクの羽衣を纏い、再びリビングに戻ってきた。
勢いよく開けられたドアの音を聞いてか、カズマが面倒臭そうに戻ってきたアクアを見る。アクアはカズマを指差すと、高らかに宣言した。
「アンタが帰ってきてくれって言うまで、絶対戻ってきてやんないんだから! その間、私がこのパーティーでいかに重要な存在だったかを心で理解し、悔い改めなさい!」
「おうそうか。頑張れよー」
「……い、いいの!? 私マジで言ってるのよ!? 本気よ!? まぁアンタが心を入れ替えて、ごめんなさいアクア様俺が悪かったですどうか行かないでくださいーって土下座して謝ってくれれば、私もこんな真似はやめて――」
「大丈夫大丈夫。そんなこと言わないから、心置きなく家出してこい」
流石に引き止めてくれると思ったら、カズマはまるでそんな素振りを見せず、むしろ喜んでアクアを送り出すように手を振った。
「……ふんっ! だったら遠慮なく出て行かせてもらうわよ! 今更引き止めたって無駄だからねっ!」
これにはアクアも怒りを覚え、カズマにそう吐き捨てながら部屋を出ると、そのまま屋敷の外に出た。
怒りを発散するように、無駄に足音を大きくしながら歩くアクア。しかし、門を出たところで足を止めると、うっかり忘れていたことを思い出す。
「いけないいけない。私としたことが財布を忘れていたわ。お金がなきゃ、ロクに生活もできやしないじゃないの」
屋敷に自分のお金を置き忘れたことに気付き、アクアは回れ右をして屋敷に戻ろうとする――が、そこで重大なミスを犯していたことに気付いた。
自分は、カズマが帰ってこいと言い出すまで、絶対に自ら屋敷へ戻らないと宣言していた――つまり、今はまだ屋敷に戻ることができないということを。
「(……は、謀ったわねカズマ……!)」
どう見ても自爆なのだが、アクアは嵌められたと屋敷内にいるだろうカズマへ恨みの目を向ける。
あんな盛大に宣言しておきながら、ノコノコと財布を取りに戻るのは恥ずかしいし、カズマに見つかったら鼻で笑われること間違いなし。もしくは「俺がお願いするまで戻らないんじゃなかったのか?」と憎たらしい顔で言って、財布を取らせまいと自分を屋敷から放り出すだろう。
どちらにせよ、今は屋敷に戻ることができない。アクアはガックリと肩を落とし、トボトボと道を歩く。
「ハァ……どうしよ……」
お金がなければ、食うことも寝ることも遊ぶこともできない。どうにかしてお金を稼がなくては。
日雇いのバイトを探すか、冒険者ギルドに行って自分1人でもできそうなクエストを探すか……お金稼ぎの方法を考えながら歩いていた時、ふと見覚えのある建物を見つけてアクアは足を止める。
カズマ達が住む屋敷の隣にあった、2階建ての住居――デビルメイクライという名の便利屋、もといバージルの家だ。
ドアノブに下げられている「
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「――というわけで、ここへ来たの」
「話は終わったな。ではお帰り願おう」
「にゃぐっ!?」
事の経緯を話し終えたのを確認すると、バージルはアクアの首根っこを掴み、ソファーから引きずり下ろした。
「嫌ぁああああああああっ! このままだと私は街で飢え死にしちゃうのぉおおおおおおおおっ! 私を見捨てないでぇええええええええっ!」
「自業自得だ。自分の食い扶持は自分で稼げ。もしくはくだらん意地を捨てて屋敷に帰れ」
「バージルの言うことには反論しないけど、扱いが乱暴過ぎやしないかな!?」
泣き喚いて抵抗するアクアだが、バージルは無視して扉に向かう。女性を扱うにはあまりにも粗暴なバージルを見てクリスは呼び止めるが、彼は一切気にしない。
扉の前まで来たバージルは、空いている左手で扉を開けるとアクアを外に――。
「……えっと……郵便……です……」
「……ムッ」
放り出そうとしたのだが、丁度家の前に来ていた郵便局の女性と目が合い、バージルはその手を止めた。
その隙にアクアはバージルの拘束から抜け出し、クリスの背後へ隠れる。逃げられたことにバージルは舌打ちをしながらも、郵便局の女性が持っていた封筒を乱暴に奪う。
あまりの怖さに女性が半泣きになっていたが、バージルは気にも止めず扉を閉め、机に向かいながら封を開けた。
「……それは?」
「仕事の依頼だ。こうして街の外から手紙で送られることもある」
気になったクリスが尋ねると、椅子に座って手紙を読んでいたバージルが答える。アクアも気になるのか、ひょこっとクリスの背後から顔を出してバージルを見る。
「どうする? 受けるの?」
「今から向かう。目的地は日を跨がずに歩いて行ける距離だ」
「オーケー! なら早速、行ってみよう!」
今から依頼を受けに行くと聞き、バージルの手伝いをするために来ていたクリスは、初めての依頼を前にテンションを上げる。
バージルは手紙を懐にしまって立ち上がると、壁にかけていた白い両刃剣を背負いつつ天色の刀を持ち、クリスは自身の装備を確認してから店を出ると、街の正門へ向かい始めた。
――が。
「……何故貴様もついてくる」
「私も行きたい」
「ふざけるな。遊びに行くのではない。貴様は街で小金でも稼いでいろ」
アクアもついていこうとしたのを見て、バージルは足を止めた。彼女は邪魔にしかならないと思っていたバージルは、すぐさま彼女の頼みを断る。
「行きたい行きたい! 行ーきーたーいー!」
「……ッ」
しかしアクアは引き下がろうとせず、バージルに抗議し始めた。子供のように駄々をこね続けるアクアを見て、顔に青筋を浮かべるバージル。元の世界の彼だったら即ダァーイ間違いなしだっただろう。
というか、既にそうなりかけていた。イライラのあまり刀に手を添えようとするバージルを見たクリスは、慌ててバージルとアクアの間に入る。
「ま、まぁまぁ落ち着いて。冒険は仲間……じゃなくて、同行者が多いほど楽しいし、連れて行ってあげてもいいんじゃないかな?」
相手が自身の先輩だからか、クリスは決してアクアを拒もうとはせず、あくまで連れて行く方針で話を進めようとする。
その声を聞いたバージルはクリスを睨みつけるが、彼女も意見を変えようとはしない。次にアクアへ視線を戻すが、未だ行きたいコールを続けている。
この様子だと、自分から諦めることはなさそうだ。それに、もし突っぱねたとしても、彼女なら隠れてついてきそうな気がする。
「……好きにしろ」
となれば、言うだけ無駄だ。これ以上労力を費やしたくなかったバージルは、アクアにそう言い捨てて歩き始めた。
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「フンフンフフフフーンッ」
街から離れた草原地帯。施工された道に従い、アクアは鼻歌を歌いながらスキップして先を進む。
その少し後ろを、まるでアクアの保護者のように歩くバージルとクリス。楽しそうにしているアクアを見てか、クリスは小さく笑う。
「……会う度に思うのだが、奴は本当に女神なのか?」
「アハハ……そう言いたくなる気持ちもわかります……」
バージルに尋ねられ、苦笑いを浮かべるクリス。アクアは自分が女神だと信じてくれないと常々不満を呟いているが、あの子供じみた態度や性格を見れば、信じてもらえないのも納得だろう。そもそも、女神の間でも彼女は同じ女神だと思いたくないと言われていたほどだ。
そんなアクアへ目を向けながら、彼女には聞こえないと踏んで素の口調に戻していたクリスは言葉を続ける。
「でも……そんなアクア先輩を、私は尊敬しているんです」
「……何故?」
あの女神とは思えない女神に、尊敬する部分などあるのだろうか。バージルが疑問に思う中、クリスは答えた。
「後先考えずに行動を起こしたり、問題発言を躊躇なく放ったり……人から見れば迷惑極まりないかもしれません。けどそれらは全て、アクア先輩が『やりたい』と思ったからやっているんです」
まだ自分とアクアが女神として各世界に配属される前の頃、そしてこの世界で暮らしているアクアの姿を思い浮かべながら、クリスは話を続ける。
「欲しい物は何が何でも手に入れて、行ってみたい所があれば必ず行く。嫌いなものは嫌いと言って、好きなものは好きだと言う。正しいことは正しいと、間違っていることは間違っていると言える。アクア先輩はいつだって、心のままに生きているんです。私には……とてもできません」
多くの人は、他者を気にして自分を作る。エリスもその1人だ。女神として恥ずかしくないよう、時には自分に嘘を吐くこともあった。
しかしアクアは違う。生まれてから今まで、周りにありのままの自分を見せつけてきた。自分を否定される恐怖などものともせずに。
「呼び始めたきっかけは知りませんが……先輩がバージルさんのことを兄と呼び続けているのも、きっと深い理由はなく……呼びたいから呼んでいるんだと思います」
「こちらとしては、迷惑でしかないのだがな」
「そうですか? 私にはあまり嫌がっていないように見えましたけど?」
「もう慣れた。一々指摘する気も起きん」
慣れたというより、向こうが治す気が無いのを見て諦めたと言った方が正しいか。バージルがため息混じりに答える傍ら、クリスは空へ視線を移す。
「きっとバージルさんが、アクア先輩の抱く兄のイメージに近かったから……カズマさんやめぐみんさん、ダクネスのように……ありのままの自分を見せても、拒絶することはせず、一緒にいてくれる存在に思えたから、ああやって甘えてくるんだと思います」
めぐみんとダクネス。彼女らはアクアを突っぱねることは一切しない。カズマとは毎日のように口喧嘩をしながらも、なんだかんだでアクアを受け入れている。
それは、バージルも同じ。彼自身は気付いていないが、今の彼はアクアに、初めて出会った頃ほどの嫌悪感を抱いていなかった。
本人も気付いていない心境の変化を知ってか、クリスは視線を空からバージルへ移し、こう告げてきた。
「だからこれは、私個人の勝手なお願いです。どうかこれからも、先輩のお兄さんとして、アクア先輩のことをお願いしますね」
そう言って、クリスはバージルへ微笑みかける。彼女の勝手な願いを受けたバージルはクリスから視線を外すと、前方を見たまま言葉を返した。
「……ならもう少し、危機感を持って欲しいものだな」
「クリスゥウウウウッ! お兄ちゃぁああああんっ! 助け――もがっ!?」
「せ、先ぱぁああああああああいっ!?」
自分達より前を歩いていたアクアが、地面から現れたモンスター『丸呑み草』に捕食されかけているのを見て、クリスは慌てて駆け出した。
文字数が多くなりそうだったのでここで切りました。
エリス口調のクリスをエリス表記かクリス表記にするかで毎回迷ってます。