この素晴らしい世界で蒼い悪魔に力を!   作:(´・ω・`)

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Secret episode 6「この世界に魔剣士の神話を!」

「……ふぁあっ」

 

 ある明朝。男はおもむろに目を開け、寝転がったまま伸びをする。

 

「堅いベッドだからどうかと思ったけど、案外くつろげたな」

 

 カーテンからの日差しを浴び、朝になっているのを確認した男は上体を起こし、ベッドから降りようと身体を左へ向ける。

 そして──いつの間にかベッドの横で、膝をついて頭を下げている黒髪の男を目撃した。

 

「お目覚めか、我がマスターよ」

 

 黒髪の男は頭を下げたまま、彼をマスターと称し話しかけてきた。だが、彼に従者や下僕はいない。仲間すらいない。

 この展開に大抵の男は動揺するか、夢だと思いもう一度寝るか、あえて乗っかるかであろうが……彼は呆れた表情で言葉を返した。

 

「えっと……それが紅魔族なりのおはようございます、でいいのか?」

「マスターに捧げし供物は既に揃っている。私は先に下に降りてる故、マスターも整い次第降りられよ」

「朝飯ができてるのね。そりゃありがたい」

 

 彼等は『紅魔族』──生まれつき魔法職の適性が高い一族で、何故か一々カッコつける習性を持つ。

 それを理解していた彼は自分なりに解釈して返答。どうやら合っていたようで、男は澄ました顔のまま部屋から出ていった。

 

 冒険者であるこの男は、魔王討伐を目指す冒険の途中で紅魔の里に寄り、紅魔族族長の家で一泊していた。因みに今の男は族長である。

 紅魔族独特のノリに最初は思わずたじろいだが、慣れてしまえばなんてことはない。

 男はようやくベッドから降りると、丸テーブルの上に折り畳まれて置かれた服を手に取り、着替え始めた。

 

 

*********************************

 

 

「マスターって呼ばれるのは素直に嬉しいけど、折角なら可愛い女の子に言われたいよなぁ」

 

 朝食を済ませ、族長の家から出た彼は、愚痴を溢しながら紅魔の里を散策する。

 これまで仲間を取らずにずっとソロで冒険していたこの男。マスター呼びに少しグッときて、美人が多いと噂の紅魔族の女性を一人引き入れようかと心が揺らいだが、どうにか堪えた。

 少し見て回ったらすぐに里を出よう。そう考えながら郊外地帯を歩いていると、少し気になるものが視界に入った。彼は足を止めて注視する。

 

 立派な木の根本、木陰に座り込んで本を読んでいる子供の紅魔族が一人。顔つきは幼く髪もショートで判りづらいが、スカートをはいているので恐らく女の子だろう。

 このままスルーして歩き出すのは容易かったが、どうも木陰の少女に気を引かれる。気付いた時には既に足がそちらへ向き、彼女に歩み寄っていた。

 

「一人で読書かい?」

 

 男は少女の前にしゃがみんで話しかける。顔を上げた少女は、同じ目線にいた男としばしにらめっこすると、本を大事そうに抱きしめながら言葉を返した。

 

「おじさん、誰?」

「冒険者さ。旅の途中でこの里に立ち寄って、今のんびり散歩してるところ」

「魔王をやっつける人?」

「そう。悪い魔王を懲らしめに行く勇者だよ」

「おじさん一人だけど、仲間はいないの? 勇者は仲間といっしょに戦うんじゃないの?」

「……俺は一人で魔王と戦いたいんだ」

 

 男は子供にそう語ると、話を反らすべく隣に座り込んで別の話題を振った。

 

「外で読書なんて珍しいね」

「いつもは家で読んでる。でも妹が邪魔しに来るの。だから、アイツが家にいる時はここに来てる」

「アイツって……妹とは仲が悪いの?」

「最悪。いつも私の邪魔ばかりしてくるし、私の物勝手に借りて返さないし、勝つまで勝負したがる。家族じゃなかったら顔も見たくない」

「姉妹なんだから仲良くして欲しいって思ったけど、これは無理そうだね」

 

 想像しているより数段仲が悪いようで、男は苦笑いを浮かべる。

 妹のことは話したくもなかったのか、少女の顔はたちまち不機嫌なものに変わり、細い目で男を睨んでいる。

 

「おじさん。私、本が読みたいからどっか行って欲しいんだけど」

「急に辛辣だね君。それに俺のことおじさんって呼んでるけど、見た目的にはまだお兄さんじゃない?」

「どうでもいいことにこだわってる暇があったら、おじさん一人でも魔王を倒せるようにレベル上げるか、仲間を集めてきたら?」

「ごめんなさい」

 

 返す言葉もなく、男は綺麗に頭を下げた。よもやこんな子供に謝る日が来ようとは。

 これ以上この少女と話していたら、心がゴリゴリと削られてしまう。頭を上げた男は彼女に背を向け、木陰から離れる。

 

「……最後に、ひとつだけ聞いてもいい?」

 

 が、男は足を止めて振り返って再び少女に尋ねた。二度読書を邪魔された彼女は、心底うんざりした顔で男を見る。特殊な性癖持ちには喜ばしい目であろう。

 だが、ジッと目を合わせて耳を傾けている。男は数歩近寄ると、優しい口調で彼女に問いかけた。

 

「君は、大きくなったらどんな魔法使いになりたいんだい?」

 

 男の問いを聞いて、少女はポカンとした顔を見せる。対して男はただ優しく微笑み、彼女の言葉を待つ。

 少女は視線を本に落とす。しばらく黙り込んでいたが、彼女は本を強く握って静かに答えた

 

「……強い魔法使い」

「強いって、どのくらい?」

「この里で……ううん。世界で一番強い魔法使い。森にいるモンスターにも、ドラゴンにも、悪魔にも、魔王にも勝てるぐらいの」

「……どうしてそんなに強くなりたいのかな?」

 

 ポツポツと出た彼女の答えに、男は変わらぬ口調で理由を訊く。彼女は続けて答えようとしたが、そこで顔を上げて男に告げた。

 

「今ので三つめ……ひとつだけしか聞かないんじゃなかったの」

「あぁ、ごめんごめん」

 

 不機嫌顔に戻ってしまい理由は聞けなかったが、男は深追いせずに謝る。

 少しだけ浮かべた、妹のことを話す時と同じ顔。それが見れただけで十分だった。男は笑みを浮かべ、少女に背を向ける。

 

「それじゃあ、おじさんはそろそろ行くよ」

「……ねぇ」

 

 だが、少女が声を張って呼び止めてきた。男は振り返り、三度少女と向かい合う。

 

「おじさん、名前は?」

「……名乗る時は、まず自分から。冒険者のルールの一つだ」

 

 自己紹介を促された少女は苦い顔を浮かべる。しかし本を閉じて横に置くと彼女は立ち上がり、ほんのりと赤らめた顔でポーズを取った。

 

「わ、我が名はるぎうす。紅魔族随一の天才にして、やがて世界最強の魔法使いになる予定……の者」

「……紅魔族の皆はノリノリで名乗りを上げてたけど、君はそうでもないんだね」

「皆がおかしいのよ。こんな恥ずかしい挨拶……それよりも、おじさんの名前を早く教えてよ」

 

 るぎうすは恥じらいながらも、男に自己紹介を催促する。最後の最後にようやく女の子らしい表情が見れて男は安堵すると、るぎうすとは対照的にビシッとポーズを決め、大声で名乗りを上げた。

 

「我が名は八坂恭介! 女神に選ばれし冒険者にして、やがてこの世界の新たな魔王になる予定の者!」

 

 

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「……ムッ」

 

 ふと、彼はおぼろげな思考のまま目を開く。頬に当たる固いものが自分の手だと気付き、肘を立てて椅子に座っていたことを思い出すのに数秒かかった。

 

「(まさか、夢を見るほど眠りこけるとは)」

 

 それにしても懐かしい夢だったと、彼は感傷に浸る。

 あれ以来、あの紅魔族とは出会っていない。特殊な力を得たり、人ならざる者へと姿を変えていなければ、彼女は既に天へと昇っているだろう。

 彼女に渡した自作の絵本は、今もこの世に残されているのだろうか。絵心の欠片もない自分が描いた拙い絵を見て、少女が本気で引いていたのは今でも覚えている。

 少女の手で燃やされた可能性大だが、願わくば後世に引き継がれ、一人でも多くの者に伝わってほしい。そう願いながら彼は天井を見上げる。

 

 とその時、前方にある巨大な扉がバンと音を立てて開かれた。彼は視線をそちらに向ける。

 重たく、そして彼の身長より二倍以上は高い扉を、力強く開けたとは思えない華奢で小柄な金髪赤目の少女。その頭には小さな二本の角が。

 彼女は無言でツカツカと歩み寄り、彼の前に立つ。鋭い眼光で睨まれ思わずたじろいだが、彼は気持ちを落ち着かせるように息を吐き、座ったまま彼女と向かい合う。

 

「前にも教えただろう。入る時はちゃんとノックを──」

「いつになったら王都襲撃許可を出してくれるの」

 

 主導権はあくまで自分だと、彼女は威圧的な声色で遮る。

 こちらも威圧するように立ち上がって言い返せればよかったのだが、彼はまたもたじろいでしまい、腰が椅子から上がらない。

 逆に目の前の小柄な少女が、自分より何倍も巨大な存在に見えてしまった彼は、言葉を慎重に選びながら声に出した。

 

「……幹部を数名討ち取られ、軍の士気も落ちている今、敵討ちと鼓舞を兼ねて進軍したい気持ちもわかる。だが、我ら魔王軍と人間以外の存在……第三勢力が不審な動きを見せている今、下手に動くべきではない。これは命令だ。勝手な行動は許さんぞ」

 

 魔王軍幹部の一人でもある魔王の娘へ、現魔王──八坂恭介は、声を荒らげず釘を刺した。

 決して舐められぬよう、強く睨み返す。彼女は魔王としばしにらめっこをしていたが──。

 

「……チッ」

 

 やがて自分から仕方なく折れるように、魔王に聞こえる音量で舌打ちをして踵を返した。

 入ってきた時よりも力のある歩みで、謁見室のど真ん中を進む。扉は開けっ放しのまま、魔王の娘は部屋を出ていった。

 

 

*********************************

 

 

 魔王城の上階、人ひとりが歩くには広過ぎる廊下を歩くのは、邪神ウォルバク。

 シルビアが討伐された報告をすべく、彼女は魔王のいる謁見の間に向かっていた。

 ダンジョンらしい迷路化した道を迷わず進み、長い階段を登る。その先には閉ざされた巨大な扉──の筈だが、来場者歓迎とばかりに開け放たれていた。

 そこから足早に歩いてきたのは、魔王軍幹部の一人でもある魔王の娘。彼女は不機嫌そうな顔でウォルバクの横を通り過ぎていく。

 

「(これは、いつものを聞かされそうね)」

 

 彼女の表情を見て何があったか大体察したウォルバクは、声を掛けずそのまま謁見の間へ足を運ぶ。

 扉は開いていたのでノックは省略し、一礼してから中に入る。赤いカーペットを歩いた先には、椅子に鎮座する魔王の姿が。

 後方で扉の閉まる音を聞きながら、ウォルバクは魔王の前まで歩み寄る。そして彼の目の前で跪き、自ら口を開いた。

 

「各地での魔王軍の状況報告に参りました……のですが、いかがなされましたか? 酷く顔色が悪いように思うのですが……」

 

 見上げる形で、ウォルバクは魔王の様子を伺う。もっとも、その理由は察しがついているのだが。

 

「ウォルバクよ、貴様に一つ問う」

「はい」

 

 重圧感のある魔王の声。ウォルバクは静かに言葉を待つ。

 

 

「ワシ……最近あの子に何かしたかなぁ」

 

 一変、情けない老人声で、深いため息も付け加えて魔王はそう尋ねてきた。やっぱりかと、ウォルバクは呆れながらも立ち上がる。

 

「常日頃ワシに対して辛辣な娘ではあったし、嫌われるのも当然だとワシ自身思っておるが、最近はもっとキツめというか、会話も少ないし、さっきなんかゴミを見るような目で舌打ちされて……」

 

 続く魔王の小言と重いため息。部下が見れば幻滅ものであるが、幹部を始めとした直近の部下は勿論のこと、魔王の娘もこの姿は知らない。

 唯一知るのは、本人も意図せず秘書的ポジションになってしまったウォルバク。魔王は彼女にしかこの一面を見せておらず、ウォルバクもまた秘匿にしている。

 彼女としては椅子にどっかりと座って、何事にも狼狽えることのない魔王然とした姿を見せてほしいのだが、口には出さずにいつも通り、真摯に彼の悩みに答えた。

 

「魔王様、もしかしたら殿下は『思春期』と呼ばれる時期に入られているのではないでしょうか?」

「思春期……とな?」

 

 聞き慣れない言葉だったようで、魔王は姿勢を正してウォルバクの話に耳を傾けてくる。

 

「親を持ち、かつ未成熟な人間が陥るとされるもので、多くの若い人間は親に対して反抗的な態度を取る症状が見られるそうです」

「娘が、その思春期に入っていると?」

「推測の域を出ませんが……殿下の御姿は、人間の年齢でいえば十を過ぎた辺り。思春期に陥る人間の平均年齢と一致しておられます」

 

 ウォルバクの推測を聞いて、魔王は考え込むように唸る。

 

「人間ではないあの子にその可能性は少なそうだが……それ以前に、あの子の親は前魔王。冒険者であった頃のワシが倒した魔王だ。つまり、あの子にとってワシは親の仇で──」

「殿下は、前魔王様のことをただの踏み台としか思っておられず『アイツがくたばったら次は私が魔王になる筈だったのに、帰ってきたら余所者が椅子に座ってて頭にきた』と……以前そうお伝えした筈ですが、お忘れになられましたか?」

「うんそうだった。親子愛の欠片もないエピソードに衝撃を受けたのを今思い出したよ」

 

 因みに『前魔王の娘』なのに呼称を『魔王の娘』から頑なに変えない理由も聞いたのだが「前魔王の娘だと威厳が感じられない」とのことであった。地獄にいるであろう前魔王は泣いてもいい。

 ウォルバクはコホンと咳き込むと、引き続き思春期について魔王に説明した。

 

「それと……流石に殿下はありえないと思いますが、思春期に入った女性の多くは恋煩いを負っているケースが──」

「何だと!?」

 

 瞬間、魔王は立ち上がり、両目をこれでもかと見開かせた。

 

「娘が恋を……! しかし誰に? 魔王軍の者はまずありえない。とすると人間か!? 魔王軍と対峙する人間の冒険者なのか!? 幾度と戦を交える中で娘は勇者と呼ぶに相応しき男に、禁断の恋心を抱いてしまったのか!?」

「ま、魔王様! 落ち着いてください! そもそも殿下が思春期に入っていること事態、推測の域を出ないもので──!」

「まさかそんなハッピーニュースが舞い込んでくるとは……! しかし、かといって簡単に娘を渡すことはできん! すぐにでも相手を紹介してもらい、娘に相応しき男かどうか、ワシが直々に確かめてやる! 久々にあの剣を振るう時が──!」

「いいから落ち着きなさい親バカ魔王!『インフェルノ』!」

 

 暴走一歩手前の魔王を止めるべく、ウォルバクは主従関係を一旦放棄して魔王へ強力な炎魔法を放った。

 魔王の身体が一瞬にして炎で包まれる。少し待ったところで、ウォルバクは風の魔法を唱えて炎を吹き消す。

 

「……すまない、久々に興奮してしまった」

「落ち着かれたのであれば幸いです」

 

 悪魔ですら悶え苦しむ邪神の魔法は、魔王にとってはいい火加減だったようだ。魔王は感謝の意を伝え、ウォルバクも頭を下げる。

 このやり取りもまた、彼女は何度も経験してきた。魔法を放った無礼の謝罪もしなくなる程に。

 

「しかし、もし本当に殿下が一人の人間と結ばれることがあれば……魔王様の理想が実現するのかもしれませんね」

 

 あくまで推測ですがと、再度釘を刺してウォルバクは伝える。

 現魔王が目指す世界──それにはウォルバクも賛同しており、だからこそ付き従っている。幹部の中ではウィズやベルディア、更にはバニルも賛同派であった。

 

 しかし、その道は険しく遠い。魔王が人間にとって恐怖の象徴であり、倒すべき悪との認識が変わらない限り。

 できることなら人間と交戦したくはないと、以前魔王は話していた。しかし降伏はしない。それでは理想の世界を作り上げることはできない。故に、今もなお交戦を続けているのだとも。

 

「……ところで、蒼き剣士はどうしているかね?」

 

 ウォルバグの言葉を聞いて少し沈黙していた魔王は、再び椅子に腰を下ろし尋ねてきた。

 蒼き剣士──ウォルバクがアルカンレティアで接触した、魔王軍でも話題となっている冒険者の一人で、魔王が特に関心を寄せている。

 だがそれは、自身を討ち取りに来る可能性を危惧してではない。純粋に、彼は蒼き剣士に興味を抱いていた。ウォルバクもそれに気付いており、アルカンレティアで出会った際には友好的に接していた。

 

「今もなお、アクセルの街を拠点として生活しているようです。紅魔の里に出向いていたシルビアが彼と出会い、魔王軍に勧誘したものの断られたとの報告が、シルビアの部下から上がっております」

「魔王軍に勧誘? ワシはそのような命令を下した覚えはないぞ?」

「シルビアの独断によるもの……と思われましたが、紅魔の里にてシルビアは急激に力を増し、里を壊滅状態に追いやったそうです。その後、蒼き剣士を中心とする冒険者達に討伐されました」

 

 魔王軍には、魔王からさらなる力を授かった者もいる。魔王軍幹部の一人、ベルディアもそうであった。

 しかし、シルビアには授けられていない。プラス、非戦闘員である民間人は巻き込まないと指示していたにも関わらず、里一帯を荒らす命令違反。

 似た事例が過去にもある。アルカンレティアへ向かった幹部のハンスが急速に力を得て、凶暴性も増していたとの報告。

 

「今回も『悪魔』が絡んでいた可能性が考えられます」

「……『悪魔』か」

 

 ハンスが力を得ていたのは、突如現れた『悪魔』を喰らっていたから。グロウキメラであったシルビアも、何かしらの原因で紅魔の里に現れた『悪魔』を取り込んだからではないか。

 ウォルバクの報告を聞き、神妙な面持ちを見せる魔王。ウォルバクは静かに言葉を待っていると、魔王はおもむろに椅子から立ち上がった。

 

「見せたいものがある。ワシについてきなさい」

 

 そう伝えると魔王は背中を向け、謁見室の奥へと足を進める。ウォルバクは少し戸惑いながらも、命令通り魔王についていく。

 謁見室の奥の壁。魔王はそこに手をかざし、小さな声で何かを唱えると、重い音を立てながら壁が独りでに動き、扉のごとく開かれた。

 隠し扉の奥にあった降り階段を、魔王はゆっくりと降りていく。何度か魔王と話してきたが、このケースは初めてであった。ゴクリと息を呑み、魔王の後を追う。

 

 左右の壁に灯された火を明かりに、暗い階段を降りる二人。やがて見えてきたのは、古びた木製の扉。魔王は扉の前で足を止め、ウォルバクに向き直る。

 

「ここは?」

「ワシの部屋だ」

「えっ……」

「露骨に顔歪めたね君」

「魔王様はお気づきになられていないかもしれませんが、城内では私と魔王様が付き合っているのではと噂されているんですよ。忠誠は誓っておりますが、好みのタイプとはかけ離れているのでこちらも迷惑しているんです」

「慕っている割にはかなりズバッと言ったね。精神的な意味で会心の一撃を食らったんだけど」

 

 身を守るように自身の肩を抱くウォルバク。落ち込んだ表情を見せる魔王であったが、すぐに前を向いてドアノブに手をかける。扉は木製特有の軋んだ音を立てて、ゆっくりと開かれた。

 

 壁には様々な絵画と武器、レースカーテンのかかったキングサイズのベッド等、古びた木製の扉とは相反した、王の寝室と呼ぶに相応しき内装。

 

「それで、私に見せたい物とは? ベッドに座りながらワシ自慢の剣だとか言い出したら、そのベッドごと燃やしますから」

「物凄く言いにくいけど半分当たりだ。当然ベッドは使用しないから、今すぐ構えを解いてくれ」

 

 いつでも『インフェルノ』を撃てる態勢のウォルバクを宥め、魔王は足を進める。そして、壁にかけてあったひとつの剣を手に取った。

 禍々しいデザインに、血で染め上げたかの如く赤い剣身。聖剣よりも魔剣と呼ぶ方が相応しいであろうその剣を見せ、魔王は口を開いた。

 

「……私がまだ、冒険者だった頃に使っていた剣だ」

 

 魔王が手にしていた──そして、前魔王を討ち取った剣。

 ウォルバクは思わず息を呑む。剣から放たれる形容し難い魔力のせいもあるが、一番は剣に目を落としている魔王。

 伊達に秘書役を務めているわけではないが、魔王が今浮かべている表情は初めて見た。まるで別人だと思わせられる雰囲気の彼を、ウォルバクはじっと見つめる。

 

「剣を授かり、力を得た私は、仲間を求めず一人でモンスターと戦い、魔王軍と戦い、そして魔王を討った。全ては私の夢のため……私はただ、彼のようになりたかったのだ」

「彼?」

「悪魔でありながら、人間を救う為に反旗を翻し、絶対的戦力差を物ともせず悪魔を蹴散らし、自身の名を冠する魔剣と共に、魔界を統べる者と戦い、人間を救った、英雄と呼ぶに相応しき者」

 

 魔王は懐かしむように語り、剣を両手に持ったままキングサイズのソファーに腰掛ける。

 今、魔王が話した英雄。だがウォルバクには、ひとつとして思い当たる人物はいなかった。それほどの逸話を持つ者なら知っていてもおかしくない筈なのにと、彼女は口に手を当てて考える。

 

「この剣もそうだ。見た目も少し真似て、魔剣ヤサカなどと名付けて得意気に振っていた。彼のようになる為に……だが、世界も悪魔も人間もモンスターも、私が想像していたより複雑だった」

 

 一方で魔王は、剣の柄を右手に持って剣先を天井に向ける。魔王が隠れて手入れしていたのか、劣ることを知らないのか、今も獲物を求めるかのように剣身が光る。

 

「今名付けるなら……『偽伝の剣』とでも言うべきか」

 

 剣を見つめていた魔王は、自虐的に笑う。

 部下に見せる魔王然とした姿とも、自分にだけ見せる気苦労溢れた姿とも違う。ウォルバクは口を挟まずに聞いていたが、結局彼は自分に何を伝えたいのか、未だ不透明であった。

 そのことに魔王も気付いたのか「話が逸れたね」と、ソファーから立ち上がって剣を元あった場所に戻す。

 

「君には、知っていてもらいたいんだ。だれか一人でも、語り継いでくれることを願って」

 

 魔王はウォルバクに向き直り、彼女に歩み寄る。

 魔王軍幹部であることも邪神であることも忘れ、少女のように聞き入っているウォルバクの姿を見て、魔王は小さく微笑んで言葉を続けた。

 

「異世界の英雄──私が憧れた魔剣士の名を」

 




web版読了の方、もしくはいつか発売されるであろうこのすば最終巻を読んだ方にはおわかりだと思いますが、八坂もとい魔王についてはがっつりオリジナル設定を入れております。
なんだったら名前だけ借りたオリキャラと思っていただいてかまいません。

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