ミヤコワスレ ドロップ   作:霜降朽葉

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海へと続く人工島の断崖が迫る中、曙は一瞬たりとも足を止めず、右手を横へと突き出した。

 その掌に光が集束し、次の瞬間、人間サイズの主砲が出現する。曙はそれを迷いなく、力強く握り締めた。

 

 ほぼ同時に、背中に駆逐艦の船体を彷彿とさせる艤装が顕現する。紐状の拘束具が伸び、曙の身体へと固定され、続いて膝には魚雷発射管、足には鋼鉄のブーツが装着されていく。

 艦娘・曙。その艤装は、既に完全な戦闘形態を成していた。

 

 島の最先端に辿り着くと同時に、曙は膝を屈めて跳躍した。

 

 大本営本部を一気に垂直落下。

 片膝と片腕を突いた三点着地で着水すると、その衝撃を殺す間もなく、曙は最大船速で大海原へと駆け出した。

 

 海原の風を切り裂きながら、曙は疾走する。

 

 その胸元から、何かがひょこっと顔を出した。

 曙をそのまま二頭身にデフォルメしたような、小さな謎生物――【妖精】。妖精は軽やかに彼女の肩へと飛び乗り、ビシッと敬礼をすると、そのまま背中の艤装へと移動した。どうやらそこが定位置らしい。

 

 曙は一瞥し、小さく頷く。

 ――頼んだわよ。

 

 その直後だった。

 

"曙、聴こえるか"

 

 艤装に取り付けられた通信機から、不意に声が流れ込む。

 突然のことで妖精が落下しかけるが、寸でのところで艤装に掴まった。

 

「その声、さっきのクソ提督! 何であんたの声が聴こえんのよ!」

 

 至極当然の疑問だった。

 この通信回線は、大本営の専用回線のはずだ。

 

 やがて、それに答える別の声が割り込む。

 

"私が彼を案内しました"

「その声、大淀さん? 何でそいつがオペレータールーム(そこ)にいんのよ!」

 

 曙は声の主に心当たりがあった。

 軽巡洋艦・大淀。

 古参の艦娘であり、戦闘能力以上にオペレーターとしての才覚を買われ、各鎮守府への情報伝達を一手に担う存在だ。

 

"エントランスで彼が「通信設備を貸して下さい」と騒いでいるのがモニター越しに見えたんです。それで、騒ぎが大きくなる前にここに匿い、貴方の通信機と繋いだというわけ"

 

 立場が下である曙に対しても、大淀の口調は丁寧で淡々としている。

 だが、曙は納得しなかった。

 

"曙、俺が指揮を執る。お前に協力させてくれ!"

「は!? 巫山戯んな! あたしは人間の指示なんか……」

"そうも言っていられなくなったのよ、曙"

 

 熱を帯び始めた二人のやり取りを制するように、大淀が状況を説明する。

 漁船の救援に向かった水雷戦隊は、別の深海艦隊と遭遇。現在、戦闘で足止めを食らっている。

 第2陣を出すにも現場は混乱状態……今、即応できるのは曙だけだった。

 

"分かるわね曙。失敗は許されないの"

 

 宣告に、曙は忌々しげに舌打ちをする。

 ここで意地を張り、最悪の結果を招けば、自身のプライドが傷つく。

 ――それ以上に。

 

 最期の出撃として、あまりにも後味が悪い。

 

 肩の妖精も、必死に身振り手振りで協力を促してくる。

 

「形だけでも従ってやるわ……なんなのよ、もう」

"……! 有難う、曙!"

 

 渋々ながら共闘を受け入れ、艦娘・曙は漁船の下へと急行した。

 

 

 

 

 雲ひとつない晴天の大海原。

 昼下がりの静寂を切り裂くように、一隻の漁船が猛スピードで疾走していた。法定速度を遥かに超え、その挙動は明らかに異常だ。

 ――何かから、逃げている。

 

「クソっ、何で深海棲艦(あいつら)が出るんだよ! この海域は安全じゃなかったのか!?」

「あぁくそ、もう追いついてきやがる! おい、もっとスピード出ねぇのか!」

「やってる、これが限界だ!!」

 

 操舵する男たちは血相を変え、叫びながら必死に船を走らせていた。

 その十数メートル後方、水面から現れたのは――黒く巨大な鉄の怪魚。

 

 咆哮を上げながら、漁船を執拗に追い回す深海棲艦。

 漁の最中に遭遇してしまったのだろう。

 

 本来、この海域は奪還済みで、定期的な哨戒も行われている。

 だが、絶対の安全など存在しない。

 

 不運にも彼らは、人喰いの怪魚と遭遇してしまったのだ。

 

 怪魚――駆逐イ級は、射程に漁船を捉えると再び咆哮を上げ、舌状のロープを伸ばす。

 一人の船員に絡みつき、悲鳴と共に引きずり出す。

 

「頑張れぇ! 手ぇ離すんじゃねえぞ!!」

「ぐっ……あぁ……もう駄目だ」

 

 必死の抵抗も虚しく、男は海へと投げ出され、イ級の口元へと引きずり込まれていく。

 

 ――万事休す。だが、その瞬間。横合いからの砲撃が、イ級の舌を撃ち抜いた。

 千切れ飛ぶ舌。弾かれるように投げ出された男を、駆けつけた艦娘――曙が片腕で掴み取る。

 

「か、艦娘……」

「さっさと逃げなさい、邪魔よ!」

「へっ? うわああぁ!」

 

 状況を理解する暇すら与えず、曙は男を漁船へと投げ返す。

 船内に叩きつけられながらも、仲間に支えられ、漁船は一目散に離脱していった。

 

"お、おい曙! 要救助者に対して何てことをするんだ!"

「助けてやったのよ。むしろ感謝して欲しいわ」

"お前な……!"

"提督、お説教は後です。今は眼の前の敵に集中して下さい"

"っ……曙、無茶はするなよ"

「ふん、あたしを舐めんな!」

 

 好戦的な笑みを浮かべ、曙はイ級を睨み据える。

 怒りに燃える怪魚は武装を展開し、突撃を開始した。

 

 連続砲撃。

 だが曙は、それを水上を滑るような動きで回避していく。

 氷上のダンスのように華麗で、しかし戦場ではどこか過剰な動きだった。

 

 速度を上げ、側面へ回り込む。

 無防備な横腹へ砲撃を叩き込み、煙を上げて怯んだところへ肉薄。

 ショルダータックル、打撃、回し蹴り――容赦なく叩き込んでいく。

 

曙の視界の端で、黒煙を噴きながらよろめく駆逐イ級が映っていた。海面に浮かぶその姿は、もはや獣というより残骸に近い。装甲は砕け、無数の亀裂から不気味な光を漏らしている。

 

 

 

 

 

 

「凄い、これが艦娘の戦い……」

「いいえ、あれは――」

「えっ?」

「彼女、自分の力を誇示しながら戦っています」

 

 初めて見る実戦での艦娘の戦いに感嘆の声を漏らす提督の横で、大淀が怪訝な顔をした。

 

 

 

 

 

 

「弱過ぎよ」

 

 吐き捨てるようにそう言い放ち、曙は右手の指をくい、と折り曲げた。

 来なさい、とでも言うような挑発の仕草。相手を敵としてではなく、完全に格下として扱う所作だった。

 

 駆逐イ級。

 深海棲艦の中でも、最下層に位置づけられる存在。練度を積んだ艦娘であれば単独でも十分に対処できる相手だ。

 曙自身、それをよく理解している。だからこそ――

 

(こんなのに……時間かけてられないでしょ)

 

 胸の奥に、じわりとした優越感が広がっていく。

 自分は強い。

 人間とは違う。

 艦娘として、戦うために存在している――そんな意識が、いつの間にか曙の思考を塗り潰していた。

 

 大淀の違和感は、正しかった。

 今の曙は、完全に増長していた。

 広い大海原の真ん中で、自分の立ち位置を見失った蛙のように。

 

 満身創痍のイ級が、最後の力を振り絞る。

 側面装甲が軋む音を立てて展開され、魚雷発射管が露出した。火花を散らす体で、イ級は咆哮を上げる。

 

 次の瞬間、全門発射。

 水面を切り裂き、魚雷が一直線に曙へと迫った。

 

「ふん!」

 

 曙は鼻で笑い、身体をひねる。

 水上を滑るような動きで、魚雷をすり抜ける。左右を通過する衝撃波が水柱を上げたが、それだけだ。

 決死の一撃は、何の成果も生まなかった。

 

(遅い。甘い)

 

 勝利を疑う余地は、もうどこにもない。

 

「魚雷はこうやって撃つのよ、喰らえ!」

 

 曙は動きを止めた。

 両膝を深く曲げ、艤装の魚雷発射管を海面へと向ける。その姿勢は、まるで講義でもするかのように余裕に満ちていた。

 

 次の瞬間、六本の魚雷が一斉に放たれる。

 獰猛な速度で水を裂き、瀕死のイ級へと吸い込まれていく。

 

 直撃。

 爆発。

 断末魔の叫びが海上に響き渡り、イ級の巨体はゆっくりと沈み――そして、水柱と共に四散した。

 

 静寂が戻る。

 

"ふん。大した事無いわね"

 

 通信機から聞こえる自分の声。

 曙自身、その声色に混じる高揚を自覚していた。勝った。当然だ。そう思っている。

 

「……確かにお前の実力は本物だ。正直、頼もしいと思う。だが、要救助者をぞんざいに扱った事は許されない!」

 

 提督の言葉が、冷水のように胸に落ちた。

 

「――何よ、ちゃんと助けてやったんだからいいじゃない」

 

"そういう問題じゃあない! 俺達の戦いは、力無き人々を護る為の戦いだ。自分の実力を見世物にする為とは違う!"

 

「……っ! 何よ。結局あんたも、あいつ(・・・)と同じなんじゃない!」

 

 胸の奥が、きしりと軋む。

 正論だ。分かっている。

 だが、その正しさが、曙には耐え難かった。

 

(裏切った……)

 

 自分達を道具として扱い、踏み躙った存在。

 その影が、提督の言葉と重なって見えた。

 

「やる事やってんのよ!? どう戦おうとあたしの勝手でしょ、このクソ提督!」

 

"お前また! 曙、俺はな――危ない!!"

 

「えっ?」

 

 思考が止まる。

 一瞬の空白。

 

 通信機越しの切迫した声に、曙はただ立ち尽くしてしまった。

 その判断の遅れが、致命的だった。

 

 背後。

 水面が盛り上がる感覚。

 

 曙が危険を察知するのと、三本の魚雷が炸裂するのは――同時だった。

 

 

「きゃあああっ!!」

 

 爆風と衝撃が、曙の身体を容赦なく叩きつけた。

 視界が白く弾け、次いで激痛が遅れて押し寄せる。

 

"大丈夫か!?"

 

「ぐ……うぅ……あたしを舐めんな! 一体どこのどいつよ!」

 

 曙は歯を食いしばり、負傷した左腕をかばいながら周囲を睨りつけた。

 艤装からはぷすぷすと黒煙が立ち上り、焦げた金属の匂いが鼻を刺す。

 

 ――いた。

 

 少し離れた右斜め前方の海面。

 そこに浮かぶ影は、先ほど沈めた駆逐イ級によく似ていた。だが、決定的に違う。頭部の輪郭は角張り、吊り上がった口元は、まるで嘲笑うかのようだった。

 

 深海棲艦は、艦種の後に【いろは唄】で区別される。

 眼前の敵は、イ級とは別種――【駆逐ロ級】。

 

"奴ら二体居たのか!"

 

 執務室の提督が、無線越しに低く唸る。

 

"曙、今出撃した水雷戦隊から連絡があった。直にそちらに到着する。要救助者は既に離脱済みだ、お前も撤退するんだ"

 

「う、うっさい! あたしは、助けなんていらない」

 

"まだそんな事を言っているのか!? 自分の艤装をよく見てみろ、そんな大破した状態で戦えばお前は……"

 

 艦娘にとって艤装は生命線だ。

 小破、中破、大破――曙の艤装は、誰が見ても大破だった。

 

 この状態で無理をすれば、その先に待つのは――轟沈()|。

 

「……あたしは、やれるんだから……!」

 

 それでも曙は、血で滲む左眼を半開きにし、残った右眼でロ級を睨みつけた。

 意地か、焦りか。

 あるいは、それ以外の何かか。

 

 提督の制止を振り切り、曙は気合い一発、煙を吐く艤装のままロ級へと突撃した。

 

 だがロ級は、曙の砲撃を之字運動(ref)艦船が回避のため之を描くようにジグザグに移動する一連の動きの事《/ref》|で軽々とかわす。

 反撃の主砲が放たれ、砲弾は曙の目前に着弾した。

 

 水柱。

 衝撃波。

 大きくうねる波に足を取られ、曙は無様にも転倒する。

 

「ぷはっ……こんの!」

 

 体勢を立て直し、主砲を構えようとした、その瞬間だった。

 ロ級が伸ばしたロープが、主砲を正確に打ち据える。

 

 鞭のような一撃。

 主砲は曙の手を離れ、数メートル先の海面へと弾き飛ばされた。

 

「あっ!? そ、それなら」

 

 慌てて魚雷発射管を展開する曙。

 だが――そこにあるはずの魚雷が、ない。

 

 先ほどのイ級との戦闘で、全弾撃ち尽くしていたことに、今さら気付く。

 

「しまっ――」

 

 一瞬の隙。

 ロ級は、その一瞬を逃さなかった。

 

 回避する暇もなく、曙の目前でロ級が大口を開く。

 反射的に、曙は右腕を顔の前へ突き出した。

 

 次の瞬間、強烈な圧力。

 ロ級の顎が、曙の華奢な腕を挟み込む。

 

「いっ、痛い! 離せこの!!」

 

 必死に腕を振り解こうとするが、びくともしない。

 それどころか、ぐぐ、と嫌な音を立てながら、牙はさらに深く食い込んでいく。

 

「曙、そのままでは腕を食い千切られるぞ! ロ級を攻撃して振り解くんだ!」

"分かってるわよ! 主砲が飛んでっちゃったの!!"

「何だって!? な、なら魚雷で」

"それもさっきので使い切って、残ってない!!"

「そんな……!」

 

 無線越しの叫びも虚しく、ロ級の力は弱まらない。

 鮮血が噴き出し、海面を赤く染めていく。

 

 ミシミシと、骨が軋む音。

 

「ひっ――」

 

 曙の喉から、小さく情けない声が漏れた。

 顔から血の気が引き、眼にははっきりと怯えが浮かんでいる。

 

 ――死ぬ。

 

 その可能性を、曙はこの瞬間、初めて現実として理解した。

 恐怖に耐えきれず、思わず目を閉じる。

 

 だが。

 

 突如、腕を締め付けていた圧力が消えた。

 

 恐る恐る目を開くと、ロ級は腕を離し、訝しむように身体全体を傾げている。

 

 一体、何が起きたのか。

 

「曙! 諦めるな!!」

 

 執務室から響く提督の叫び。

 その言葉は、恐怖で凍り付いていた曙の心を、強引に現実へと引き戻した。

 

 曙は最大速力で距離を取り、装備妖精達に引きずられながらも沈まずに浮いていた主砲を掴み取る。

 

 考える暇はない。

 ただ、撃つ。

 

「あああ"ぁっ!!」

 

 力任せの砲撃が、ロ級の魚雷発射管に直撃する。

 誘爆。

 左眼を吹き飛ばされ、ロ級は苦悶の唸り声を上げた。

 

 やがて水飛沫を上げながら、ロ級は海中へと姿を消す。

 

「痛ぅ……! 逃げんなこら!」

 

 止めを刺そうと砲を構えた瞬間、曙の膝が崩れ落ちた。

 大破のダメージが、今になって全身を襲う。

 

"曙、ロ級は既に海域を離脱した。直に水雷戦隊が到着する、お前はそのまま安静にしているんだ"

「うっ……さい……助けなんか、いらないのよ……!」

"戦いはもう終わったんだ、意地を張るな!"

「まだ、やれる……あたしは――」

 

"……いい加減にしろよ、この大馬鹿野郎ーーっ!!"

 

 提督の怒号が、海上に響いた。

 それは怒りではなく、必死な叫びだった。

 

"お前はまだ生きている! 生きている限り、自分の命を粗末に扱うな! いいから大人しく、じっとしてろーーっ!!"

 

「…………」

 

"提督さん……"

"……すまない、少し取り乱した"

 

 無線が静まり、曙はようやく周囲を見渡す。

 波は穏やかになり、ロ級の姿はどこにもない。

 

 水平線の向こうから、救援の艦娘達の影が近づいてくる。

 

 ――帰れる。

 戦いは、終わった。

 

 それでも、曙の胸の内は荒れたままだった。

 敗北。

 叱責。

 砕け散ったプライド。

 

 肩の上では、曙妖精が顔を上げ、わんわんと泣きじゃくっている。

 

「……ちっくしょお」

 

 晴天の海に包まれながら、曙はそれだけを呟いた。

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