ミヤコワスレ ドロップ   作:霜降朽葉

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第二話【初陣―カルテット―】
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 「あれ……あたし、何でこんな所に」

 

 気が付けば、曙は大本営本部の公園に立っていた。

 少し離れた場所には、巨大な人工島の中心にそびえ立つ本部ビルのシルエットが見える。だが周囲の景色は、薄い靄に包まれており、輪郭が曖昧だ。足元の感触すら、どこか現実味を欠いている。まるで地面そのものが、柔らかな雲で出来ているかのようだった。

 

 前方に視線をやると、小学生低学年ほどの男の子が一人、ベンチに腰掛けている。

 何をするでもなく、ただ俯いているだけ。声を掛ける者も、通り過ぎる者もいない。

 

 それなのに、曙はなぜか確信していた。

 ――あたしは、この子に会いに来たのだ、と。

 

「『やっぱり、ここに居た』」

 

 不意に聞こえた声。

 それが自分自身のものだと気付くまで、曙は僅かな時間を要した。確かに声質は自分のものだ。だが、口を動かした覚えが無い。意志よりも先に言葉が零れ落ちたような、不思議な感覚。

 

 まるで、誰かが曙の身体を借りて話しているような――。

 

「『ほーら。そんな辛気臭い顔してると、何やっても楽しくないわよ』」

 

 曙は自然に男の子の隣へ腰を下ろしていた。

 男の子は依然として目を伏せたままだが、拒む様子もない。ただ、そこにいる。

 

 ――この子は、誰?

 疑問は浮かぶのに、不安は無い。

 

 曙は両手を広げ、無理矢理なくらい明るい笑顔を作った。

 

「『はい! スマイル、スマイル』」

 

 まるで魔法の呪文のように、二つ分の笑顔を込めた言霊を投げかける。

 すると、それまで俯いていた男の子が、恐る恐る顔を上げた。

 

 その瞬間。

 曙の胸の奥が、理由もなく温かくなる。

 ――ああ、よかった。

 そう思っている自分に、驚く暇も無かった。

 

 男の子の表情に、微かな笑みが浮かびかけた、その時。

 

 世界が、反転した。

 

「な、『っ!』何!?」

 

 どこからともなく、大量の水が押し寄せる。

 一瞬で公園は消え失せ、視界いっぱいに広がるのは果てしない大海原。足元はもはや地面ではなく、荒れ狂う波だった。

 

 空は血のように赤く染まり、周囲には深海棲艦と思しき残骸が漂い、炎を上げている。

 硝煙と血と潮の匂いが混じった、紛れもない戦場――地獄の光景。

 

「何よここ……一体何がどうなってんの!?」

 

 狼狽える曙。

 だが次の瞬間、背筋を凍らせるほどの殺気が、背後から突き刺さる。

 

 反射的に武器を構え、勢いよく振り向いた先にいたのは――

 

『■■■■■!!』

 

「――っは!!」

 

 曙は勢いよく上体を起こした。

 カーテンの隙間から朝日が差し込み、眩しさに思わず目を細める。

 

 ベッド。

 壁。

 見知らぬ――いや、もう「自分の部屋」になりつつある空間。

 

「……何なのよ、もう」

 

 配属された鎮守府の自室だった。

 全身に冷や汗をかき、心臓の鼓動が耳障りなほど大きく響いている。あまりにも現実味のある悪夢だった。

 

 こうして、曙の朝は始まった。

 この日が、更なる運命を動かす一日になることを、彼女はまだ知らない。

 

 パジャマを脱ぎ、見慣れた制服に袖を通す。

 髪をサイドテールに整え、朝自宅を済ませると、曙は自室を出て一階の廊下へ向かった。

 

 この鎮守府に来てから、一週間。

 それでも、未だに慣れない。

 

 暖かい布団。

 栄養満点の食事。

 傷ついて帰還すれば、すぐに用意される湯船。

 

 その当たり前の(・・・・・)生活が、曙を不安にさせていた。

 これまで彼女が生きてきた世界には、存在しなかったものだからだ。

 

 静まり返った早朝の廊下を抜け、執務室の前に立つ。

 扉を開けると、中では既に枕崎がエプロン姿で窓の埃を叩いていた。

 

 曙の気配に気付くと、手を止めて振り向く。

 

「あらおはよう。まだ起床には早いわよ、怖い夢でも見た?」

「え? いや、その……」

 

 図星だった。

 曙は言葉を濁しながら、壁に掛かった丸い時計を見る。

 時刻は早朝5時30分(マルゴーサンマル)。確かに、いつもより早い。

 

 室内を見回すが、可香谷提督の姿は無い。

 執務時間前なのだから当然だが、曙はなぜか不満を覚えた。

 

「部下がちゃんと起きてるのに、良い身分ね」

「そう言わないの。提督さん、昨日は書類の整理とか貴方の戦闘詳報の作成とかで夜遅くまで起きていたんだから」

「ふん……そうだ、ちょうどいい」

 

 ペンを持ち、書類と格闘する提督の姿を思い出しながら枕崎は曙を嗜めるが、曙は聞き流し部屋の奥に設置された大型モニターへと向かった。

 

「って、曙? 何をしているの」

「これ、使わせて貰うわよ」

 

 操作を受け付け、モニターが起動する。

 中央には『通信中...』の文字。

 

 どうやら、どこかとテレビ通話を繋げているらしい。

 突然の行動に枕崎は一瞬ぎょっとしたが、曙にも話し相手がいるのだと分かり、少し安堵した表情を浮かべる。

 

 ――しかし。

 

 画面が切り替わった瞬間、その表情は凍り付いた。

 

「ちょっとちょっと! 貴方一体何処と繋げているの?」

「何処って、ちゃんと表示が出てるでしょ? 【大本営鎮守府連合艦隊 司令室3番】あんた目が見えないの?」

「そういう事じゃ無くて。よく分からないけれど大本営の連合艦隊って、一番偉い所なんじゃないの? 勝手に回線を繋げたら駄目じゃない」

 

 連合艦隊。

 大本営鎮守府が擁する主力部隊であり、強大な深海棲艦とも渡り合う精鋭中の精鋭。艦娘たちにとって、憧れの象徴だ。

 

 そんな場所と繋がっている事実に、枕崎は目を見張る。

 やがて、その表情は呆れへと変わり、小さくため息を吐いた。

 

「全く。偉い人に見つかったらカミナリ落とされるわよ?」

「バレなきゃいいのよ、バレなきゃ」

 

 得意気にモニターを見つめ、反応を待つ曙。

 やがて画面が切り替わり、一人の艦娘の姿が映し出された。

 

 紫を基調とした制服に、黒のタイトスカート。

 艶やかな黒髪をサイドテールに結い、背筋を正して椅子に座るその艦娘は、軍人然とした凛々しい佇まいで通信に応じていた。

 

"こちら連合艦隊・水上打撃部隊の……何だ、貴様か曙。この回線は使うなと言っただろう?"

「ごめんなさい【那智(なち)】さん。新しい鎮守府への配属が決まったので、どうしても報告したかったんです」

"む。そう言えばこの間からだったか? 一時は処分通達まで来てどうなるかと思ったが、元気そうで何よりだ"

 

 那智と呼ばれた艦娘は、先ほどまでの張り詰めた軍人の声色とは裏腹に、どこか柔らかな口調で曙に言葉を向けた。

 その変化に、曙は無意識のうちに肩の力を抜く。ほんの僅かだが、嬉しそうな色が声に混じった。

 

 胸元から飛び出した曙妖精が、曙の頭の上へと飛び乗り、ぴょんぴょんと小さく跳ねている。まるで再会を全身で喜んでいるかのようだ。

 

 その様子を、モニター越しに眺めていた枕崎は、思わず小さく笑った。

 ――飼い主にだけ尻尾を振る犬みたい。

 そんな感想が自然と浮かぶ。

 

 と、その時。

 画面の向こうの那智が、ふと視線を動かし、枕崎の存在に気付いた。

 

"所で、そちらの女性は一体誰だ? 提督以外に鎮守府にスタッフが居るなど聴いては居ないが━━"

「え? あぁ、此処のお手伝いさんみたいです。何か半年くらい前に仕事をクビ? になって途方に暮れていた所に紹介されたみたいな……」

「どうも、お手伝いさんです♪」

 

 大げさにウインクする枕崎。

 その仕草に一瞬だけ驚いたような表情を浮かべた那智だったが、何かを考えるように黙り込み、すぐに曙へと視線を戻した。そして、小さく息を吐く。

 

"曙。先にも言ったように、この回線は緊急時にのみ使用が許されるものだ。この様な形で使用するのは、あまり褒められた事では無いぞ"

「那智さんまでそんな事……バレなきゃ大丈夫ですよ」

"世の中には『壁に耳あり障子に目あり』と言う言葉があってだな、どこで誰が見聞きしているのか分からないものだ。この回線を談話目的で利用している事が、周り回って上層部の人間の耳に届くかもしれない"

「えぇ、そんな大げさな」

"だが可能性が全く無い訳でもない。以後は個人的な用事での使用は控える様に"

「……はい。何よ、那智さんまで……

 

 小さく悪態を吐きながらも、曙は素直に従った。

 それほどまでに、彼女は那智の言葉を重く受け止めている。

 

 対照的に、曙妖精は目に見えてしょんぼりと肩を落としている。

 

 "それはそうと、だ"

 那智は話題を切り替えるように、声音をわずかに変えた。

 

"今度の提督とは上手くやっていけそうか"

 

 再び、穏やかな口調。

 その気配を察したのか、枕崎も窓を拭きながら、さりげなく視線だけを曙へ向け、聞き耳を立てる。

 

「全然。この間も、折角の獲物をアイツのせいで台無しにされたんですよ」

"う、うむ"

「あたしはまだやれたのにアイツが戻れって言って、その隙に逃げられたんです」

「曙、貴方まだその事根に持っているの?」

 

 済んだ話を掘り返す曙に、枕崎は呆れた声を上げる。

 だが曙は止まらない。勢いに任せ、可香谷提督への不満を次々と吐き出していく。

 

 その内容のうち、確かに一割ほどは提督の判断の甘さと言えなくもない部分もあった。

 しかし、残りの九割は完全な逆恨みと難癖である。

 

 那智はそれを暫く、苦笑しながら聞いていたが――

 ふと、何かに気付いたように咳払いを一つした。

 

"曙"

「あとそれから……えっ?」

"壁に耳あり障子に目あり、だ"

 

 突然の言葉の意味が分からず、曙はきょとんとする。

 那智は無言のまま、顎で曙の背後を指し示した。

 

 嫌な予感が背筋を走る。

 曙は錆び付いたブリキのおもちゃのようなぎこちない動きで、ギ、ギ、ギ……と後ろを振り向いた。

 

「や、やあ。おはよう」

 

 そこにいたのは、既に軍服に着替えた可香谷提督(クソていとく)だった。

 自分に向けられた悪口を、真横でしっかり聞かされていたらしく、苦笑いを浮かべている。

 

「げ」

「朝から開口一番の言葉がそれか……君は確か、大本営連合艦隊の艦娘だな。曙が迷惑をかけた様ですまない」

"貴方がその鎮守府の提督か。曙の事は個人的に面倒を見ていてな。好きでやっている事だから、どうか気にしないで頂きたい"

 

 那智は即座に提督の謝罪を制し、その姿を静かに見つめた。

 軍人としてはやや覇気に欠ける印象は否めない。だが、粗暴さや焦りを感じさせないその佇まいは、不思議と安心感を与えるものだった。

 

"ソイツは気難しくて迷惑をかけるかもしれないが、本質は真面目で正義感の強い艦娘なんだ。どうか面倒を見てやってくれ"

 

 その言葉は、まるで嫁入り前の娘を送り出す母親のようで。

 枕崎が苦笑する中、可香谷提督は深く考える様子もなく、真剣な顔で頷いた。

 

「分かった」

 

 曙は「気難しい」と言われたことが不服なのか、頬を膨らませてそっぽを向く。

 

"ともかく曙、今度こそは上手くやるんだぞ。私が見る限り、その提督ならきっとお前の事を分かってくれる"

「……そうでしょうか」

"ああ、きっと大丈夫だ……提督も宜しく頼む。では、私はそろそろ行くぞ"

「ああ、わざわざすまかった」

 

 軽いやり取りを最後に、通信は切断された。

 モニターは再び、待機中の表示へと戻る。

 

 可香谷提督は一呼吸置き、曙へと向き直った。

 

「朝早く起きて何をやっているのかと思えば、大本営に通信を繋げるなんて」

 

 責めるでもなく、叱責するでもない。

 ただ、呆れを含んだ声。

 

 曙は気まずそうに目線を逸らす。

 頭の上では、曙妖精が悪戯がバレた子供のような上目遣いで提督を見つめていた。

 

「でも安心したぞ、曙にも話し相手がちゃんと居たなんてな。彼女とは長い付き合いなのか?」

「別に、あんたには関係無いでしょ……数ヶ月ほど前に、演習をしてる時に声をかけてくれたのよ。それから、話し相手になってくれた」

 

「そうか」

 

 可香谷提督は満足そうに頷く。

 彼女を気にかけていたからこそ、理解者の存在を知れた事は嬉しかったのだろう。

 

 それにしても――

 なぜ、那智はそこまで曙を気に掛けるのか。

 

 確かに、重巡洋艦那智と駆逐艦曙は、かつて志摩艦隊で旗艦と随伴艦という関係にあった。

*1

 だが、それにしても少し過保護過ぎる気がした。

 

「あーあ! 朝から調子狂っちゃうわ。朝御飯まだ作ってないわよね? あたしやるから」

 

 気分を切り替えるように、曙が言う。

 そろそろ朝食の時間だ。腹の虫も、確かに主張し始めている。

 

 しかし――。

 

「今日はもう少し待って。新しい艦娘達がもうじき到着する筈だから」

 

「…………は?」

 

 思わず間の抜けた声が漏れた。

*1
人間に例えるなら、隊長と部下である。

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