ミヤコワスレ ドロップ   作:霜降朽葉

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「は!? 何よそれ聴いてない!」

 

 数秒の沈黙。

 その後に弾けるように放たれた曙の声は、彼女自身がいちばん驚いていることを雄弁に物語っていた。予想だにしていなかった枕崎の言葉は、曙の中でようやく形になりつつあった鎮守府での日常を、あっさりとひっくり返してしまう。

 

 もっとも――この日に新しい艦娘が着任すること自体は、数日前から告知されていた。

 ただ、それを曙がまともに覚えていなかっただけの話である。

 

「曙が提督さんの言葉を右から左に聴き流していたからでしょう?」

 

 歯を磨きながら。

 ドライヤーで髪を乾かしながら。

 生返事だけを繰り返し、頭の中にはほとんど残していなかった。そう指摘されてしまえば、反論のしようもない。

 

「そっ、それは……って言うか、何時来るのよ!」

「6時過ぎには大本営の車で送迎されて来るとは聴いている」

「もうすぐじゃない!」

 

 曙は頭に曙妖精を乗せたまま、わたわたと両手を振り回す。妖精も一緒になって右往左往し、その様子はひどく落ち着きがない。

 そうこうしている内に、外から車のエンジン音が近づいてきた。

 

「噂をすれば来たか」

 

 可香谷提督はそう言って、どこか慣れた様子で玄関へ向かう。運転手との短いやり取りの後、複数の少女の声が聞こえ、その足音と共に提督が戻ってきた。

 

「へぇ、初めて来たけど良い(トコ)じゃないの」

「何で初っ端から上から目線なのよ」

「……あの、提督。曙ちゃんは」

「ああ、既に中で待機している。案内するよ」

 

「――っ!」

 

 最後に耳に届いた声。その瞬間、曙の表情が硬く歪む。

 胸の奥に、言葉に出来ない不快感が走った。

 

「それじゃあ、三人とも自己紹介をしてくれ」

 

 司令室。

 提督と枕崎、そして曙と向かい合う形で、三人の艦娘が横一列に並んでいる。

 

 まず一歩前に出たのは、黄色いショートヘアの少女だった。

 

「綾波型駆逐艦7番艦、朧です。生まれは佐世保海軍工廠、在りし日の海戦では南方進行作戦などに参加しました。夢は、大本営の連合艦隊に選ばれる事です。朧、誰にも負けません!」

 

 右頬の絆創膏。引き締まった四肢。

 真っすぐな眼差しに、曙は一瞬だけ目を細める。努力を積み重ねてきた者特有の、隙の無さがそこにはあった。

 

 次に、隣の少女がぴょこんと跳ねるように前へ出る。

 

「特型駆逐艦ナンバー19! 綾波型で言うと9番艦の漣だよ。さんずい辺に連と書いて漣。生まれは舞鶴海軍工廠。戦歴は……南雲機動部隊が真珠湾でボコボコやってる時、ミッドウェー島を砲撃したりしたよ。凄くないです? ご主人様(・・・・)

 

 にゅふふ、と悪戯っぽく笑う漣。

 場の空気が一瞬、微妙に緩む。朧は苦笑し、潮は困ったように視線を逸らし、提督もまた乾いた笑いを浮かべるしかなかった。

 

 最後に残った少女が、恐る恐る一歩前に出る。

 

「えっと……綾波型10番艦の潮、です。生まれは浦賀船舶。戦歴は、そのぅ……第七駆逐隊や志摩艦隊の一員として、珊瑚海海戦やレイテ沖海戦などの激戦を潜り抜け、横須賀で役目を終えるまで戦い抜きました……あ、あのぅ。もう下がってもよろしいでしょうか」

 

 柔らかな物腰。自信なさげな声音。

 だが語られた戦歴は、この場で最も過酷なものだった。

 

 潮が喋っている間曙は、どう言う訳か視線を合わせることなくその名前だけを胸の中で反芻する。

 

 ――潮。

 

「朧、漣、潮。お前達三人は本日より、俺の指揮下に入る……この鎮守府を預かる提督として、お前達を歓迎するよ」

 

 敬礼。

 三人もそれに応える。

 

「ほら、曙も……彼女達は、お前にとっても縁の深い第七駆逐隊に所属していた艦の艦娘だ。お前ともきっと――」

「……もう顔合わせは終わったでしょ? あたし朝練やってくる」

 

 言葉を遮り、曙は立ち上がる。

 扉を閉める音が、司令室に強く響いた。

 

 

 

 

 

 

「曙ちゃん、待って下さい!」

 

 廊下を足早に進む曙の背を、潮が追う。

 わずかな距離にもかかわらず、潮は息を切らしていた。

 

「えっと、お久しぶりです。曙ちゃ――」

「何しに来たのよ」

 

 立ち止まり、振り返らずに言い放つ。

 組まれた腕と、その背中に宿る拒絶は、はっきりとした意思表示だった。

 

「あ、あぅ……潮は、曙ちゃんに会いたくて……」

「あたしは、会いたくなかった」

 

 二、三メートル。

 それだけの距離が、決して越えられない壁のように感じられる。

 

「ここに配属されるのは勝手だけど、あたしに関わらないで」

 

 そう言い残し、曙は外へ出ていく。挫けずに潮も後を追おうとするが……。

 

「うっしー。今からぼーろちゃんと鎮守府を見て回ろうと思うんデス。うっしーも一緒にどうですか?」

「ひぃっ!? あ、あの、潮は──」

「おし、決まり! じゃあいこいこ」

 

 突如現れた漣に腕を掴まれ、潮はそのまま連れて行かれてしまった。

 

 

 

 

 ──暗く深い海の底、そこに横たわる一つの影があった。先の戦いで負傷した深海棲艦、駆逐ロ級だ。

 傷を癒やしていたロ級は、眼をオレンジ色に妖しく光らせながら咆哮する。と、周囲の暗闇にポツポツと光る眼が、複数浮かび上がった。

 

 

 

 

 海岸沿いに設けられた演習場で、曙はいつものように砲撃訓練を行っていた。

 汐の香りを含んだ風が吹き抜け、波間に反射した朝の光が水面をきらきらと揺らしている。その穏やかな景色とは裏腹に、曙の表情は終始険しかった。

 

 演習中の曙は、元々機嫌が良い方ではない。だが今日の不機嫌さは、明らかに普段以上だった。

 原因ははっきりしている。

 ――先程、再会してしまった姉妹艦の存在だ。

 

 

 

 

 

『ここ、空いてる?』

『ふぇっ!? あ、はい。どうぞ……』

 

 二人の出会いは、艦娘養成学校の食堂だった。

 食堂の中央では、艦娘たちが自然とグループを作り、賑やかに談笑しながら食事を取っている。その喧騒から少し離れた隅――いかにも「一人用」と言わんばかりの机で、潮は一人静かに食事をしていた。

 

 その向かいの椅子に、曙は断りを入れてから腰を下ろした。

 しばらくの間、曙は黙ったまま潮を見つめる。視線を感じた潮は、びくりと肩を揺らし、恐る恐る顔を上げた。

 

『あ、あのぅ……何か、私に御用でしょうか』

『あんた』

『は、はひっ!?』

『見た所、綾波型の艦娘よね? あたしもなのよ』

『は、はぁ』

『あたし、第七駆逐隊・曙の艦娘よ』

 

 第七駆逐隊。その単語を聴いた瞬間、潮の表情が明るいものとなる。

 

『え……そ、そうなんですか!? 私……潮は、第七駆逐隊の潮、です』

『やっぱり! あんたは駆逐艦潮の艦娘ね。あたし達、あの大戦では一緒に行動することも多かったし、仲良くなれると思うのよ。ね、あたし達友達にならない?』

『あっ……はい! 潮で良ければ、喜んで!』

 

 突然話しかけてきた少女が、自分の記憶に刻まれた艦の魂を宿す存在だと分かった瞬間、潮の表情から緊張がすっと抜けた。

 船としての記憶がもたらす親近感は強く、二人はすぐに打ち解けていく。

 

 それからの二人は、驚くほど自然に一緒にいるようになった。

 演習も、授業も、休憩時間も。気付けば曙と潮は、いつも並んで行動していた。

 

 

『ちょっと潮! あんたこのままじゃ、対空戦の試験落ちちゃうわよ』

『うぅ……やっぱり潮には無理なんです。曙ちゃん、潮に構わず課題をクリアして下さい』

『何言ってんの! 一緒にクリアするって約束したじゃない』

『で、でもこのままでは二人共落第です』

 

 自己嫌悪に陥る潮の両肩を曙が掴む。驚く潮をよそに、曙は真剣な眼差しで言葉を続けた。

 

『いい? 潮。あんたは自分に自信が無いだけ。本当は凄い奴なのよ』

『そ、そんな事』

『そんな事ある! あんた偶に、物凄く正確に的を撃ち落とす時あるじゃない。あんたには秘められた力があるわ。だから頑張ろう?』

 

 

 気弱で、自分を信じられなかった潮にとって、曙は特別な存在だった。

 夜明け前の暗闇を切り裂くように現れる、明け方の太陽。

 曙は、そんな存在だった。

 

 潮は曙に引っ張られながら、少しずつ自分を肯定する術を覚えていった。

 

 

『やりました曙ちゃん! 潮、試験合格しました!』

『やるじゃない潮! ね、あたしの言った通りだったでしょ?』

『はい。潮がここまでこれたのも、曙ちゃんのおかげです。本当に、本当にありがとう』

 

 

 夕陽に照らされた養成学校の廊下で、二人は手を取り合って笑い合っていた。

 妖精たちも曙の頭上で抱き合い、嬉しそうに跳ね回っている。

 

 あの頃の二人は、間違いなく仲の良い艦娘だった。

 

 

 

 

 

 

「チッ」

 

 現実へと引き戻され、曙は誰に向けるでもなく舌打ちをした。

 胸の奥に湧き上がる感情は、嫌悪。

 かつての温かい記憶とは、あまりにもかけ離れている。

 

「──何、やってるんだろ。あたし」

 

 自嘲するように、曙は小さく呟いた。

 新しい鎮守府での生活は、流されるように始まった。だが彼女の心だけが、その流れに乗り切れていない。

 

「演習場は、ストレス発散の場じゃあ無いんだぞ」

 

 背後から掛けられた声に、曙は肩を揺らす。振り返ると、そこには可香谷提督が立っていた。

 水面に立つ曙を見て、呆れたように、しかし強くは責めない口調で言う。

 

「何よ、あたしの訓練に文句あるの?」

「そういう訳じゃない。ただ……潮とは、何かあったのか」

 

 提督の視線は、曙の内面を探るようだった。

 曙が潮に対して複雑な感情を抱いていることは、傍から見ても明らかだった。

 

「別に。アイツのことなんか」

「少なくとも、知っている仲なんだな」

「っ……! 何で構うの!? ウザいなあ!」

 

 核心を突かれ、曙は感情を剥き出しにする。

 それでも会話が成立しているのは、まだこの関係が完全に壊れていない証でもあった。

 

 曙の肩に乗る曙妖精も、彼女の首の後ろに隠れながら、提督を恐る恐る覗き見ている。

 

 その時、鎮守府の方角から、枕崎の張りのある声が響いた。

 

「朝御飯、出来たわよー!」

「……食事にしようか。美味しいものを食べて、気持ちをリフレッシュするといい」

 

 会話を続けることを諦めた提督は、そう言って踵を返す。

 曙も無言のままそれに従い、皆が待つ鎮守府の食堂へと戻っていった。

 

 まだ、この時の彼女は知らない。

 この再会が、これからの運命を大きく揺さぶることになるなど。

 

 

 

 

 

 

玄関口から真っすぐに伸びる廊下を進み、突き当たりの扉を抜けた先に鎮守府の食堂はあった。

 洋風に整えられた室内には、大きな窓から朝日が差し込み、早朝特有の静けさと柔らかな温もりが満ちている。その光景は、曙にとって未だにどこか現実味の薄いものだった。

 

 部屋の中央には、赤い絨毯の上に据えられた長机が置かれている。

 可香谷提督を中央に、左隣に曙、さらにその隣に潮。向かい側には漣と朧が並び、最後に枕崎が腰を下ろすことで、食卓は一周する形となった。

 

「いただきます」

 

 全員が手を合わせ、朝食の時間が始まる。

 

「う ま す ぎ る !!」

 

 突如として、漣が目玉焼きを一口食べた直後に立ち上がり、食堂に響き渡る声で叫んだ。

 あまりにも勢いのある絶叫に、曙の肩がわずかに跳ねる。

 

 漣の右肩では、デフォルメされた漫画のようなピンク色のウサギの姿をした謎生物が、感動の涙をぼろぼろと流していた。その背中では、漣型の妖精が「良い仕事してますねえ」と言わんばかりに、満足げにうんうんと頷いている。

 

「うるさい」

 

 一瞬驚いた朧が、即座に漣の頭へと鋭いチョップを叩き込んだ。

 迷いのない一撃だ。

 

「オスタップ*1!」

 

 漣は叫びながら頭を抱え、悶絶する。完全に自業自得であった。

 

「もう、漣ってば大袈裟ね。ただの目玉焼きよ?」

「なんとおっしゃるウサギさん! 目玉焼きを制する者は全てを制するんですゾ。この絶妙な塩胡椒の味加減、熟し方、思わずお城から手足が出たり車椅子で階段を駆け上がったりしたくなるっつうーーっ、感じっスよお〜〜!」

「だからうるさい」

「オスタップ!」

「ふふ、有り難う。そこまで言ってくれるなら、頑張った甲斐があったかな」

 

 漣の過剰な賛辞に、枕崎は満面の笑顔を浮かべる。当の漣は二度目のチョップを受け、涙目で頭を抱えていた。

 

 その横で朧は、目玉焼きにソーセージ、ほうれん草をバランスよく口に運び、黙々と食事を進めている。

 口には出さないが、わずかに緩んだ口元からは、料理を美味しいと感じていることが見て取れた。

 

 漣の様子を、彼女の妖精はウサギ妖精と並んで呆れた表情で眺めている。

 一方、朧の妖精はデフォルメされた蟹のような生物と共に、食器やカップに興味津々と触れ回っていた。

 

 見かねた朧が二体まとめて摘み上げ、自分の膝の上に座らせる。

 妖精たちは不満そうに「むう」と唸りながらも、素直に大人しくなった。

 

「ははは、漣は賑やかな奴だな。でも、食事中はもう少し静かに食べないと駄目だぞ。朧を見てみろ、行儀が良いだろう?」

「有り難うございます、提督」

「むぅ……ゴメンナサイ」

「まったく……ほら。そんなに美味しかったのなら、朧の目玉焼き半分あげる」

「マ ヂ デ!? 最高ッスよぼーろちゃん! 一万年と二千年前から愛してオスタップ!?」

「誰がぼーろちゃんよ」

 

 三度目のチョップを受け、今度こそ床に沈む漣。

 正反対の性格の二人だが、真面目で面倒見の良い朧と、ふざけつつも謝れる漣は、案外良い組み合わせなのかもしれない。可香谷提督は、そんなことをぼんやりと考えていた。

 

 一方で――。

 

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 

 潮の隣に座る曙は、目を閉じたまま黙々と箸を進めていた。

 料理を味わっているわけではない。潮との会話を拒むための、露骨な意思表示だった。

 

「あ、あの。曙ちゃん」

「…………」

「ま、枕崎さんの朝御飯、とっても美味しいですよね」

「…………」

「う、潮も、目玉焼きあげます」

「…………」

「うぅ……」

 

 あの手この手で話題を振る潮だが、曙は完全に彼女を視界から排除している。

 やがて潮の目には、うっすらと涙が滲み始めた。

 

「なあ曙、お前達に何があったのか分からないが、流石に相槌くらい打つものだぞ」

 

 見かねた可香谷提督が助言するが、曙は頑として耳を貸さない。

 

「曙、いい加減にしなよ。朝の空気が重くなってる。あんた、感じ悪いよ」

「あんたには関係無いでしょ」

 

 その言葉に、朧が無言で曙を睨みつけた。

 その視線に宿る凄みに、朧妖精と蟹妖精でさえ抱き合いながら震え上がる。

 

 曙も思わず息を呑み、たじろいだ。

 

「う……わ、分かったわよ! ほら潮! 目玉焼きもらうから! これでいいんでしょ!?」

 

 渋々ながら、潮の目玉焼きを半分に切り、自分の皿へと移す曙。

 それを見た潮の表情は、一気に明るく花開いた。

 

 可香谷提督も、ようやく安堵の息を吐く。

 

「有り難うな, 朧。曙、俺は出来ればお前の事も助けてやりたい。今すぐは難しいかもしれないが、気が向いたら俺にも思っていることを話してくれよ」

「提督さんに話し辛いなら、私もいつでも相談に乗るからね」

 

 二人の言葉を受け、曙は俯いたまま食事を再開する。

 噛み付くでもなく、拒絶するでもない――ただ、完全に閉ざしてはいない表情だった。

 

 皿の横では、曙妖精が大げさな動きで何度も頭を下げている。

 

 こうして、新たな仲間を迎えた鎮守府の朝は、賑やかに過ぎていった。

 その後、漣が再び場を和ませようとふざけ出し、朧から追加のツッコミを受けるのは、また別の話である。

*1
ウォッシュダブ。海軍で使用されていた水桶で、主に甲板の掃除等に使われていた

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