やっぱりタイトル通りのものじゃないかと。

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りはびり


憑依系を書いてみようと思ったけど艦娘枠を削りたくないからどうしようかと迷ったらこうなった。

 ――なんだこれ?

 

 思考は一つ。単純で明快。ただただ一つであった。

 

 ――なんだ、これ?

 

 彼は何を考えるでもなく、否、考える余裕も無くただただ一つを脳内で繰り返した。

 その脳とやらがあるのか無いか、それさえも考えず、周囲で動き回る小さな小人達のいる鉄と油の匂いが充満するその場で、ただ繰り返し続けた。

 

 

 

 

 

「あー……今日も遠征かー……」

 

 空高くにある太陽にどこか疲れた顔を向けて、陽炎型一番艦陽炎は小さく呟いた。その呟きは小さなものであったが、隣にいる背を真っ直ぐに伸ばし眼光鋭く佇む、陽炎の今日の任務――遠征の僚艦の一人でもある妹の不知火の耳には確りと届いていたようで、不知火は表情をまったく変えずに陽炎に顔を向けて口を開く。

 

「これも任務です、陽炎」

 

「そりゃあ、そうなんだけどさぁ」

 

 陽炎型の姉妹の多くが着用する制服を一部の隙も無く着込んだ不知火の優等生的発言に、陽炎はやはりこちらも相を変えず、自身の頬を人差し指で掻きながら肩を落とした。

 

「こう、偶には――」

 

 そこまで口にして、陽炎は口を閉ざした。疲れた相に相応しいどこか覇気の無かった瞳を細めて彼女が見るその先は、6隻の艦娘達の姿がある。

 朗らかな、或いは凛々しい表情で何事かを陽炎と同じ陽の下で語り合う彼女達は、第一艦隊に属する鎮守府の主力だ。

 その彼女達が出撃のために使う港に姿を消すまで、陽炎は何も言わずただその後姿を見つめたままであった。

 不知火は姉の言葉の続きを促すことも無く、軍人然と隣にあるだけである。

 そんな不知火に気付いているのかいないのか。陽炎はやがて小さく息を吐き、また疲れた相に相応しいぼんやりとした焦点の合わない目で

 

「なんでもない。遠征に行こうか」

 

 そう言った。

 

 

 

 

 

 陽炎、という艦娘はこの鎮守府にあっては比較的古参の駆逐艦娘である。

 提督と邂逅した当初は主戦力の一人としてそれなりに活躍し、それなりの戦績も積み上げた。だが鎮守府の艦娘が充実してくると駆逐艦娘では限界が見えてくる。

 徐々に活躍の場は狭まり、出撃の回数は減っていき、気付けば遠征のメンバーとして動くだけになっていた。

 エースオブエース。後期主力の甲型駆逐艦、比叡さえも追い抜いたネームシップ陽炎と言えども、限界がある。

 

 一時の活躍が分際であった、と諦めもつけばよいのだが、主力として海域開放にも貢献した彼女の矜持が、今現在の立場を良しとしなかったのだ。

 

 が、よしとしようとしまいが、現状の彼女は遠征だけの存在でしかない。艦娘の運用は個人の思惑で決まるものではなく、組織として決定されたものだ。それを覆すだけの材料が無ければ、陽炎には何も出来ない。

 結局、ただ遠征に出るしかないのだ。

 

「……はぁ」

 

 重いため息をつき、陽炎は遠征部隊出撃用の港に設置されたドックに置かれた自身の艤装に手を伸ばし、それを無造作に背負う。

 そしていつものように海に出ようかとした時、それは起こった。

 

『おい、聞こえるか?』

 

「は……?」

 

 突如、本当に突如聞こえてきた聞き慣れぬ声に陽炎は周囲を見回した。

 同じドック内に居る僚艦達、生真面目に艤装を点検する不知火、ランドセル型の艤装を背負おうとしている霞、どこかぼうっとした顔でずれていたのだろう靴下を引っ張りあげている霰――艦時代からの第十八駆逐隊の面々を見渡し、目を瞬かせながら首を横に振った。僚艦達の姿からは、とても陽炎に声をかけたようには見ない。それ以上に、どう考えても彼女達の声ではなかったからだ。何せ陽炎の耳に届いた声は――

 

『おい、聞こえてるのかって!』

 

 どう聞いても、若い男のそれだったからだ。

 

「……はい?」

 

「どうしたのよ?」

 

 間抜けな声を上げた陽炎に気付いたのだろう。どこか問うような眼差しで霞が陽炎に声をかけた。他人に興味が無いように見えて人一倍世話焼きな霞であるから、陽炎が放っておけなかったのだろう。が、それは今の陽炎にとっては混乱を深めるだけの物である。

 

「え、いや、ちょっと待って霞」

 

『おい、おいって、頼む、応えてくれよ!』

 

「あぁもう煩い!」

 

 どこからか聞こえてくる男の声に、余裕の無い声音で返す陽炎の姿は酷く異質で、煩いと返されたと思い込んでいる霞さえ、きょとん、とした顔で首をかしげ、不知火と霰はそれぞれ動きを止めて陽炎を見る。

 視線が自身に集中していることに気付いた陽炎は、意味も無く手を振り回しながら顔を真っ赤にして口を動かす。

 

「い、いや、あのね! なんかさっきから男の人の声がね!?」

 

『聞こえてるんだな!? 聞こえてるんだな!!』

 

「あぁもううるさーい!!」

 

 

 

 

 

 遠征部隊のドックから少し離れた場所で、陽炎は一人項垂れていた。

 肩を落とし顔を両手で覆うその姿は、失恋した可憐な少女の様にも見えるが、実際はそんな青春時代の一風景ではない。

 結局あの後、陽炎は皆にちょっと忘れ物した、とだけ叫んで飛び出して離れただけである。

 彼女としては、この後不知火達にどう説明したものかと頭の痛い事であったが、現状ではそれ以上に頭が痛い事がある。

 であるから、彼女はそれをどうにかする為、顔を覆っていた両手を離し、燦燦と輝く太陽をなんとなく睨んで独り言にしては少し大きな声で『何か』に問うた。

 

「で……何?」

 

『いや、何って言われても』

 

 聞こえてから暫くは大きな声で喚いていた声も、流石に先ほどまでの陽炎の姿に何か思うことがあったのか、大分に落ち着いた、と言うよりは気遣うような声で応じる。

 それがまた陽炎の気に障るから、殊更陽炎の声は冷たくなった。

 

「最初っからそれくらいのテンションで来てくれれば、こっちもやりようってのがもう少しあったって思うのよ、私?」

 

『いや、でもその……こっちもずっと訳わかんない状態でさ……その、余裕なくて』

 

「余裕?」

 

『うん……なんかあやふやな感じでさ……あぁ俺、艤装なんだってわかるんだけど、でも俺が艤装なわけがないし、ぐちゃぐちゃしてたら、そっちが俺背負った瞬間意識がはっきりして……』

 

「へーあんた艤装なんだ」

 

 面妖な景色である。誰も居ない港で一人、陽炎は明らかに独り言ではない会話を行っているのだ。心配して遠くから彼女を見つめる不知火達が、今日の遠征は取りやめようかと相談し始めたのは仕方ない事である。

 陽炎は、うんうんそっかー、と反射的に興味なさげに頷いたあと、ん、と首をかしげ眉をしかめた。何か気になる単語があったからだ。

 

「え、あんた、艤装……なの?」

 

『らしい』

 

「だれの?」

 

『甲型駆逐艦陽炎型一番艦陽炎』

 

「へー、そうなんだー」

 

 棒読みである。見事な棒読みである。

 そして暫しうんうんと頷いた後、陽炎は勢い良く背負っていた自身の艤装を外し、地面にたたき付けて叫んだ。

 

「なにいってんのよあんたー!?」

 

 と、返ってくる言葉が無い。聞こえていた若い男の声が陽炎にはさっぱりと聞こえないのだ。

 陽炎は少し慌てて地面にたたき付けた艤装を拾い上げそれを揺さぶる。

 

「ちょっと! なんか言いなさいよ!? こら!」

 

 何やら自身の艤装に向かって叫んだり地面にたたき付けたり、また拾い上げて叫びだしたその姿に、不知火達が明石を呼ぼうと言い出しのは仕方ない事であった。

 

 

 

 

 

「あぁ、つまりこうやってしっかり装備しないとあんたと会話できないのね?」

 

『みたいだな……』

 

 とりあえず、どこか心配そうな顔で何故か偶然、偶々ここを通ったと言うメンテナンス用フル装備仕様の明石を説得してお帰り頂いた後、陽炎”達”はこうして会話を続けていた。

 傍から見れば陽炎の独り言だが、実際陽炎のなかでは会話が行われているのだからどうしようもない。まして彼女の艤装の話だ。放ってはおけないのである。

 

「昨日までは普通の艤装だったんだけどなぁー……」

 

『俺も昨日までは普通の会社員だったんだけどなー……』

 

 一人と一つはなんとも言えない声音で呟き、陽炎は艤装から聞こえてきた言葉に目を見開いた。

 

「え、会社員?」

 

『うん、多分。昨日まで何やってたか記憶がある』

 

 陽炎としてはもう脳がパンクしそうな状況だ。先日まで普通の艤装だったそれが、いきなり話しかけてきて、しかもそれが普通の会社員だったと言う。どこにも普通がないというのに、普通の、会社員だったと、それが言う。

 何が何だが彼女にはもうさっぱりだ。普通の、主力落ちして久しいただの一駆逐艦娘には荷が勝ちすぎてすべて放り出したくなった。

 

 それでも、それは放り出せない。

 ただの遠征メンバーでしかない彼女の艤装は現状これ一つで、主力メンバー入りしている艦娘達の様に予備の艤装などないのだから、ある物を使うしかない。

 

「あぁもう……ほんとに訳わかんない……」

 

『それな』

 

 どこか余裕を持った若い男の声は平坦で、それが男の落ち着きから出た言葉だと陽炎に理解させた。それに少しばかり反感を覚えた陽炎は、口を尖らせて低い声で放った。

 

「なによそれ……私だけ悩めって?」

 

『違う違う』

 

 陽炎の悪感情に晒されたのに焦ったのか、声は慌てた調子で応じた。

 

『悩んでも、今は何も出来ないだろう?』

 

 先ほどの初めての接触の時には相当切羽詰った様子であったのに、今はもう平静である声に陽炎は何も返さず、とりあえず続きを聞いてみようと黙っておいた。

 

『だったら、この状況で出来ることやるしかないんだなーって……さっき外された時に思った』

 

「なんで?」

 

『……外された時、またあやふやになった……』

 

 陽炎の問いに応じた声は、平静ではなかった。小さく震える声はどこまでも弱く、まるで親からはぐれた迷子のようで、それが陽炎の胸を締め付けた。

 艤装から聞こえてくる声を信じるなら――実際彼女には聞こえてくるのだから信じるしかないのだが、この艤装の中にいる誰かはただの一般人だ。

 あやふやになった時、その主がどうなったのか陽炎には分からない。分かりは出来ない。それでも、何か共感は出来るのだ。

 

 提督の執務室に呼ばれ、主力から外されたあの時、陽炎はあやふやになった。

 だからそれは、酷く後ろ向きな共感で、優しさとはいえない物だろう。

 理解しあうにも交わった時間は僅かで、合うか合わないか、反るか反らないかも分からない。

 これから何か不都合や弊害があるかもしれない。今や遠征だけの出撃とは言え、彼女達艦娘は戦う為の存在で、艤装はその存在の一部でありある意味で兵器部分そのものだ。

 

 それでも、それでも。

 それでも、なのだ。

 

「よし、じゃあ行こう」

 

『?』

 

 陽炎の言葉に、艤装からの声は声も無く意識としてだけ疑問符を投げかけてくる。そんな事がもう理解できるのかと陽炎は胸中で小さく笑みを浮かべ、続けた。

 

「悩んでも、今は何も出来ないんでしょ? 私も、あんたも。だから、今はまずやる事やろうって事」

 

『……あぁ、なるほど』

 

 自身が言った事だからだろう。艤装の声は同意と言った様子で応じ、暫し間を空けてから続けた。

 

『でも俺、艤装としては新人そのものだけど、大丈夫かな……』

 

「やめてよ……すっごい不安になるじゃない……」

 

 疲れた顔で陽炎は呟き、ドックに向かって足を向けた。

 ゆっくり、どこか顔同様に疲れた様子で。

 

 

 

 

 

 

 結果としては、大丈夫ではなかった。

 

「ちょっと、なんで右に曲がろうとして左に行くのよ!?」

 

『なんでだろうなぁ……』

 

「聞いてるのこっちなんだけど!?」

 

 陽炎の言の通り、決して大丈夫ではなかった。

 何せ行きたい方向に行かない、急な旋回が逆方向、速度が一定しない、と問題ばかりが目立ったからだ。艤装としては不安しかない物に抗議するのは当然の権利だ。

 であるから、陽炎は遠征から戻ってすぐ、またも皆に忘れ物をしたと言って一人ドックから離れた訳である。

 戻ってきたばかりで何を忘れたのか、等と疑問に思った不知火達であったが、今日の陽炎は色々ぶっ飛ばした状態であるので気にしない事にした。ただもう一度明石を呼ぶかどうかで話し合いをしたくらいである。

 

「艤装としては大分、というかすっごい問題ありなんだけど……」

 

『問題は山積みだしなぁ』

 

「他人事みたいに言わないでくれる?」

 

『俺とお前の問題だもんな』

 

「やめて、その、なんかそういう言い方もやめて」

 

 疲れた、と全身で訴えて陽炎は右手で顔を覆った。

 

「あぁもう……敵に会わなかったから良かったけど……」

 

 これがただの遠征で、偶にある遭遇戦もなかったら良かった物の、もしそうなっていたらと思うと陽炎としては気が気ではない。

 と、そんな陽炎の言葉を聞いたからだろう。艤装からの声は戸惑った調子で上ずった声を上げた。

 

『え、遠征で深海棲艦と遭遇するのか?』

 

「する事もあるわよ、そりゃ」

 

 覆っていた右手を腰にあて、ため息をつきながら細めた目で陽炎は自身の背負う艤装をねめつけた。それが意外だったのだろう。陽炎に冷たい視線を向けられた主は、

 

『申し訳ない。甘く見てた……』

 

 真摯な声で謝罪した。

 陽炎としても、確りと謝罪する相手にこれ以上言うことも無い。ただ、今後の事を考えるとこのままにも出来ない問題であるから、彼女は言葉を紡ぐ。

 

「明日非番だから、ちょっと訓練しないとね」

 

『悪い、頼む』

 

 頭を下げるような、そんな声だ。

 そんな声を聞いてから、彼女は明日から何をするべきかとメニューを考え始めた。だから彼女は聞き逃した。

 

『そうか……遠征でも遭遇することがあるのか……やっぱゲームとは違うんだよな……』

 

 小さな呟きを。

 

 

 

 

 

 やる事が決まればただ走るだけだ。

 

「だーかーらー! なんでそっちに行くの!」

 

『悪い……! なんか意識するほどどうにも――』

 

「言い訳しない! 結果を出す!」

 

『軍人みたいだなぁ』

 

「ここは軍で、私はその所属!」

 

『あー……』

 

 暇があれば陽炎と艤装は走った。

 海の上、時には陸の上。ただただ走った。

 

「お……おお、何、今の結構いいじゃない!」

 

『あー……大体分かったような気がしないでもないかもしれない』

 

「もうちょっとはっきり言いなさいよ……」

 

『陽炎……大人ってのはね、明言を怖がる生き物なんだ』

 

「大人って……」

 

 艦娘一人、艤装一つ。

 背負う者と背負われた物が目標を決めて走る。

 

「で……明日はまた遠征だけど、大丈夫?」

 

『前みたいな事はない……と思う』

 

「はっきりしなさいよ、もう……」

 

『陽炎、大人ってのは』

 

「はいはい、言質なんてとらないから、偶にははっきり言う。ほらほら」

 

『善処します』

 

「このやろう!」

 

 背負っていた艤装を外して、地面にたたき付ける。そんな陽炎の顔は。

 

 

 

 

 

「楽しそうですね」

 

「……は?」

 

 陽炎が間宮食堂で食事を摂っていた時、隣に座って端然と沢庵を齧っていた不知火がそれを飲み込んだ後放った言葉に、陽炎は食べようとしていた豚カツを口の前で待機させたまま目を点にした。今しがた妹が何を言ったのか十分に咀嚼した後、彼女は豚カツを皿に戻して不知火に体ごと向き直って返した。

 

「楽しそう? 私?」

 

「ええ、とても」

 

 常の通り軍人らしく、組織に属する人間とはこうあるべきだ、と体現した姿で不知火は湯飲みを傾け応じる。その姿と相には他意などまったくなく、言葉通りを伝えただけだと語っている。

 陽炎は、むむむ、と顔をしかめて、あごに手を当てて唸った。

 

「……何、普段の私って楽しそうじゃないって事?」

 

「……最近は疲れた顔ばかりでしょう?」

 

 不知火の言葉に、陽炎はばつの悪そうな顔でそっぽ向いた。確かに、妹の言う通りここ最近の陽炎の顔は疲れた相で彩られていたからだ。相だけではない。全身からそんな物が漂ってすらいたのだ。

 鎮守府の顔とも言える第一艦隊から外されて以来、陽炎は日に日に影を負い、いつしか腐ってしまっていたのかもしれない。そんな事に自身では気付けないほど、深く寂々と淀んでいたのだろう。

 誰かが手を差し伸べる前に、今回は自身の艤装にそれを取り払われたのか、と思うと陽炎は恥ずかしくもあり馬鹿馬鹿しくもあった。

 

「ごめん……ちょっとわがままだった……かも」

 

「そうですね、わがままです」

 

 はっきりと言われた妹の言葉に、陽炎はなるほど、大人は明言を怖がる訳だと思った。言われて見ると、なかなか鋭く刺さってくるものだと理解したからだ。

 

「まぁ……明るくなった理由があれというのはどうかと思いもしますが」

 

「やめてよ……もう……」

 

 少しは艤装に優しくなろうか、と陽炎は思った。思ったがしかし、その艤装のせいで要らぬ苦労を背負い込まされているのだと思うと、やっぱりこのままで良いのかとも思った。

 その日の豚カツは味が無かった。

 だから次の日、陽炎はいつもよりちょっとスパルタだった。

 

 

 

 

『はー、ほー、なるほどなぁ』

 

「……いや、あんた誰と話してるのよ?」

 

『え、そこの妖精さんだけど?』

 

 休憩がてら、左手にある訓練メニューを書いたメモを見直し、右手に持ったスポーツドリンクを飲みつつグランド脇にあるベンチに腰を下ろす陽炎は、背から聞こえてくる艤装の独り言に突っ込みを入れていた。

 その艤装からの応えに驚き、陽炎は首を動かして、そこの妖精さん、を探した。探すほどの事もなく件の妖精はすぐ見つかった。本当にすぐ側にいたからだ。

 妖精は陽炎の艤装に手を当てて何やら頷いたり笑ったりと、声も無く接している。

 

『あー……そうなのか……それは悪い事したなぁ』

 

「ねぇ、ちょっと……なに?」

 

 何か妖精と自身の艤装とのコミュニケーションに嫌な予感を覚えた陽炎は、額に汗を浮かべて手に持っていたスポーツドリンクをベンチに置いた。なんとなく、本当になんとなく、妖精と艤装の共通の話題であるのが自身しか思いつかなくて嫌な気がしてならないのだ。

 

『……陽炎が艤装に話しかけるほど疲れてるとかそんな話題が出始めてるとの事で……』

 

 ビンゴである。

 その物である。

 

 陽炎は天を仰ぎ大きく開いた口から魂を昇天させて脱力した。

 人気の無い場所を訓練場所に選んだつもりであったが、それでも目に付くと言うことだろう。殊艤装に叫んだり突っ込んだり地面にたたき付けて叫んだりとしていれば目立つ。目立たないわけが無い。

 

 明日からどんな顔をして生きろと言うのか、と世の無常を嘆きつつ陽炎は、はっと意識を戻した。何気なく流したが、流してよいものではないと気付いたからだ。

 

「ちょ、ちょっと! 妖精さんと会話出来るんでしょ? あんたの事、聞きたい事とかないの!?」

 

『あ』

 

 艤装も艤装でその辺りには気付けて居なかったらしい。

 彼は慌てた様子――勿論実際には艤装は何一つ微動だにしていない訳だが――で妖精に話し始めた。

 

『あの、俺――あぁいや、僕気付いたら艤装になってたんですけど、こんなのって他にあったりします?』

 

 妖精は少し考えた後、首を横に振る。

 

『じゃあ、こんなのが起こる可能性は?』

 

 妖精はやはり少し考えた後、首を横に振る。

 

『戻れる……可能性は……? 元の場所じゃなくても、ただ、ただ人に戻れる可能性は!?』

 

 妖精は、ただ悲しそうに顔を歪め――頷きも首を横に振るもしなかった。

 

『……すいません、ありがとうございました』

 

 艤装は、微動だにしていない。それでも、艤装は多分泣いているのだと陽炎は思った。

 明るくなった彼女が居て、泣いている彼がいる。

 左手にあるメモはいつのまにかくしゃくしゃになっていた。

 それでも、くしゃくしゃになったメモに書かれた事を続けなければならないのが、彼女にはわがままに思えて仕方なかった。

 

 

 

 

 

『思うんだけど』

 

「何が?」

 

 遠征中のランダム航路を行きながら、陽炎は声をかけてきた艤装に返す。

 後続の不知火達にはこの会話も筒抜けだが、その辺りはもう彼女は諦めた。どうにもならないし、最近では妖精経由で陽炎の艤装には陽炎専用の妖精が宿った、と鎮守府の艦娘達に伝播したからだ。おかげで夕張や明石からも呼び出されて艤装を見せて欲しいと頼まれることも多くなったが、艤装のメンテナンスが万全であることに越したことは無いのでそれはそれとその辺りも諦めた。

 

 一番怖かったのは大本営からの呼び出しであったが、彼らも未だはっきりしない妖精達の生態や習性を刺激しては戦力減退に関わりかねないと現状では放置の様子である。

 最近ではどこかの鎮守府で男の妖精も出たと言うし、大本営としては妖精も艦娘同様に多岐にわたってきているのだと納得することで一応の決着としたのだろう。

 

 とにかく、大きな動きの中に囚われることも無く、彼女と彼は海の上を当然と奔っていた。

 最初の航海の時に比べれば嘘のような当たり前さで、だ。

 

『こうやって生きてるってのも、悪くないよな』

 

「へー……何、強がり?」

 

 意地の悪い顔で、陽炎は前を見たまま艤装に言った。

 

『なんか良い匂いするし、柔らかいし』

 

「捨てて良い?」

 

『やめてくださいお願いします』

 

 軽口の応酬だ。付き合いが長いわけではない。それでも、陽炎にはこの艤装との相性自体は悪くないものだと思えた。艤装の言葉には少女をからかう様な色があり、陽炎と言う存在を汚そうとするような物は無い。

 重いよりは軽いほうが良い。陽炎はそう思った。

 

「なんというか……仲が良いわねあんた達」

 

 後続の霞の、呆れた様な……と言うよりは呆れそのものといった声に、陽炎と艤装は振り返らずに返す。

 

『霞の艤装になりたい人生だった……』

 

「やめなさいよ……あんた、地面にたたきつけられる程度じゃすまないわよ……」

 

「……なんとなくその艤装が何を言ったかは分かったわ……」

 

 頭を抱えて呟く霞と、呆れた顔の陽炎に不知火が声をかけた。

 

「そろそろ補給地点です。気を緩め――」

 

 が、その声は途中で遮られた。遠くから大きな船影が迫ってきたからだ。

 その船影を確かめながら、陽炎が呟く。

 

「あぁ……そう言えばこの時間辺りに客船が航海してるって話だったっけ?」

 

『あぁ、大淀さんが遠征前に言ってたな』

 

 制海権を確保した海域だからだろう。こういった事は珍しい事ではないが、陽炎としてはこの艤装になって以来始めての客船との途中遭遇だ。

 進路を確認しつつ進み、交差ポイントが無い事を入念に調べてから彼女達は速度を維持しつつ進んだ。

 と、客船との距離が大分近づいた辺りで彼女達の視界の隅で何かが煌いた。

 反射的に陽炎達がその方向に体を向けると、そこには客船の窓等から体を乗り出しカメラやビデオを彼女達へと構えている人間達が見えた。

 

 見目麗しい艦娘達の姿を映像として欲したのか、ただ珍しいと被写体に選んだのか。そんな所だろう。

 自身達を映した太陽に反射するビデオのレンズと、無遠慮なカメラのフラッシュに陽炎はため息をついてから背を向けた。

 

「平和よねぇ」

 

『あぁ……そうだな……』

 

 どこか気の無い艤装の声に、陽炎は気付けなかった。

 気付いては、やれなかった。

 

 ただの人をじっと、じっと見つめる艤装に、気付いてはやれなかったのだ。

 

 

 

 

 

「で、調子はどう?」

 

『さっき明石とバリーに滅茶苦茶メンテされた』

 

「あぁ、お疲れ様」

 

 あやふやになる。

 そう言った艤装の為に陽炎は余裕がある限り装備したまま付き合う事にしていた。

 流石に就寝や入浴、お花摘みや食事時は別だが、ちょっと空いた時間があれば陽炎は艤装を背負って話しかけるのを続けている。

 

『なぁ』

 

「うん?」

 

『夕食なんだった?』

 

「お寿司」

 

『おいしかったですか』

 

「すっごい美味しかった」

 

 何気ない会話だ。とうに沈んだ太陽に代わり、おぼろげに輝く月の下で彼女達は話をする。最初、陽炎が艤装を地面にたたきつけたその場所だ。

 

『なぁ』

 

「うん?」

 

『お風呂に入る時どこから入る?』

 

「セクハラ」

 

『えー』

 

 本当に何気ない会話だ。ただ普通の会話だ。

 気負うでもなく、身構えるでもなく、在るがまま偽ることなく言葉を交わしているだけだ。

 

『なぁ』

 

「うん?」

 

『昨日どんな夢見た?』

 

「あんたを投げ飛ばしていた」

 

『俺は夢の中で陽炎に何をしたんだ』

 

 それでも、本当はそこに無かった。

 大人は怖がりで、少女はわがままだった。

 

 それでも、そこに嘘はなかった。

 大人は怖がりで、少女はわがままだったのだから。

 

 

 

 

 

 

 さて。

 彼の話をしよう。

 

 名前は――いや、良いだろう。それはきっと必要ない。

 彼はただの会社員だった。どこにでもいるような普通の人間で、どこにでもいる若い男だった。劇的な人生を歩んだわけでもなく、生い立ちに秘密もない。

 石を投げればあたるような、本当に普通の男だった。

 あえて何か人と違ったことを、と探せば、それはあるゲームに熱中した程度だ。

 それさえも言ってしまえば平均的な人間の性で、目立つものではない。

 没個性的な訳でもなく、特に目立った物があるでもなく、彼と言う人間は普通の人生を歩んでいた。居たのだ。在ったのだ。存在が、そこに確固と。

 

 だが、彼は普通では居られなくなった。突然に、だ。

 誰かの振ったサイコロが彼を選んだのか、運命が狂ったのか、それは誰にも分からない。分かったとしてもどうにもなりはしない。

 

 あやふやな深遠に放り込まれ、少女に触れて意識をはっきりとさせた彼にとって、もう何もどうにもなりはしない。

 

 あえて。

 あえて彼にとって何か幸せが、救いがあったとしたのなら。

 それは――

 

 

 

 

 

 それは有り触れた事である。

 人が居て、艦娘が居て、そして深海棲艦がいる。

 ここはかつての海ではない。ここは誰かにとっての有り触れた普通の海ではない。

 砲撃が空を紅く染め、雷撃が海を裂き、絶え間なく鳴り響く機銃が空と海の間を踊り狂う戦火の庭だ。

 

 故に、彼女達のそれは有り触れた事である。

 

「不知火! 10時の方向!」

 

「ちぃ!」

 

 霞の声に、不知火が舌打ちしながら手にした機銃を10時の方向に向けて無造作に発砲する。意外に軽快な音と共に放たれた弾丸達は不知火に迫っていた魚雷に命中し、海面で爆発して散った。

 自身にかかる飛沫を気にもせず、陽炎は眼前を睨みつける。彼女の瞳に映るのは、どす黒い色をした不気味な生物達だ。

 深海からきた生体兵器。あらゆる海にはびこる異形の生物。

 

 深海棲艦、そう呼ばれる存在だ。

 

 それが何であるのか、未だ判然としていない。そしてそれは、きっと今後も判然としないままだろう。何であるのか、そんなことに関わり無くただ脅威として人類に牙を向くそれを理解してる暇は人類に無い。そしてまた、理解して良い物であるとも思っては居ないのだ。

 

 そのどす黒い色同様、不快深い玄なる深遠を覗き込むには人類も艦娘も臆病に過ぎた。惹いていく怨嗟の声に耳を傾ける勇気はない。魅せていく憎悪の瞳に目を向ける決意は無い。

 ただ、それを認めない意思が人と艦娘にある。

 

 だから陽炎は、不知火は、霞は、霰は敵を睨みつけて弾雨の中を走る。

 火の粉が降りかかろうと、弾丸が側をゆこうと、魚雷が足元を掠めようと、曲がらぬ意思があるから潰すのだ。

 

『根は同じなのに、どうしてこんなに苛めるのですか、か』

 

 艤装の言葉は誰にも届かない。

 届いたとしても誰も気にもしなかっただろう。そんな戯言に返す言葉は彼女達には無い。

 

 それでも、僅かに震えていた声に、陽炎だけが気付いた。

 無理も無い、と思う。この艤装にとってこれが初めての戦闘だ。彼女としても、彼との連携でどこまでやれるかに不安はある。あるが――それでも遭遇した以上やるしかない。

 その為の訓練であったし、十分にそれをこなしただけの自負もある。

 

「今は戦いに集中して! 訓練通り! しっかりやる!」

 

『……おう』

 

 陽炎の叫びに彼は硬い声で短く応じた。

 

「霰! 今のうちに鎮守府に応援を!」

 

「……分かった」

 

 遠征部隊の旗艦として指示を飛ばす陽炎に、いびつな形をした敵駆逐艦がその口を開き、体内から機銃を吐き出して向けた。

 それを阻止するように不知火が立ち回り、素早く接敵して見るものに不快感を覚えさせる涎まみれの口を蹴り上げる。

 

「誰にそんな汚い物をむけている」

 

 そのまま、不知火は零距離から機銃を突きつけ放った。生物から大きく離れた癖に、確りと紅い鮮血を撒き散らしてそれが沈んでいく。

 頬についた返り血を手の甲でぬぐい、不知火はまだいる敵達をねめつけた。

 

 呆気なく沈んだ駆逐艦に、士気を下げることも無く、敵艦隊は轟々と火を放つ。

 戦場では当たり前だ。

 呆気なく沈むなど、本当に当たり前だ。

 

 本当に、当たり前だ。

 

「――え?」

 

 最初に狙われたのは、やはり陽炎だ。

 敵の砲火は彼女に集中し、弱らせようと、沈めようと甚振る。狩りの基本だ。一番弱いものを選んで狙えばいい。

 

 事実上新しい艤装を背負った彼女を見抜いたのは、憎悪に囚われて尚戦う事を生き方とした存在だからだろう。

 不知火がカバーしようと、霞が支援しようと、霰が補おうとしても、陽炎が指示を出しても、穴が生まれる。

 

「――ちょっと」

 

 だからそれは、仕方ない事なのだ。

 

 いびつな、狂った彫刻家が魂を削って創り出した様な存在が、その体内から機銃を剥き出しにして狙い定め、聞く者に嫌悪感を与える叫び声と共に吐き出した弾丸が。

 

「――……」

 

 彼を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 さて。

 彼の話をしよう。

 名前も生い立ちもこれまでの歩みも、語る必要は無いだろう。

 ただ、彼の一つだけ特筆すべき事を語るだけだ。

 

 彼にとって、生活の一部とも言える遊びがあった。

 兵器を擬人化、それも少女化したゲームだ。最初こそはまった友人を馬鹿にしていた彼だったが、いざ触れてみるとたちまちその虜となった。

 

 朝の五時には起きて演習をし、仕事帰りに間に合うようにと遠征を組み、家を出る前には艦隊編成を一番練度が高い一人だけにして出社する。

 帰ってくればそのまま任務をチェックし、時間が許す限りゲームに興じ、また情報も電子の海にもぐって集めた。

 

 休みの日ともなれば終日触り続け、イベントが始まれば仕事以外すべて放って一日中モニター前から動かず、偶に他のゲームに浮気しながらも最後には確りそのゲームの、指輪を渡したただ一人の艦娘の下に帰った。

 

 異常と言えば異常であるし、その程度と言えばその程度である。

 ランカーと呼ばれる連中からすればぬるいし、エンジョイ勢と呼ばれる連中からすれば必死すぎた。中途半端なその立ち位置は、いかにも彼らしい物ではあったが。

 

 そんな彼が、誰かの指し示した羅針盤の悪戯でありえぬ世界に落とされる。

 人でもなく、艦娘でもなく、妖精でもなく、艤装として。

 

 あやふやな深遠の中でやっと出会った担い手はまぶしく、少女らしい少女であった。

 このまま艤装として生きていこうかと、思わなかった訳でもない。

 それでも、彼はただの人間だ。触れて、触れ合って、当たり前に当たり前を享受したいと叫びたい衝動は、何度彼の中で生じただろう。

 

 腕があった。足があった。体もあって、頭もあって、心もあった。

 今はもう、ただ心だけが残されたその部品としての生き方は、ただの人間には辛過ぎた。

 

 それでも、耐えた。絶えない希望の中で、少女の前で泣けないと耐えた。

 それでも、堪えた。もう味わえない料理はどんな味であったのか、もう浸れない温もりはいかな物であったか、もう見ることも出来ない夢はどんな物であったか、人とは、人の形でこそ人ではないのかと答えを求めて応えを求めた。

 

 少女の居ない夜のあやふやな中で彼は狂いそうな自身を必死に繋ぎとめ、絆を求め、少女と共にある時は己を偽った。

 

 彼は明言を避けたがる、臆病な、それでも大人だからだ。

 

 

 

 

 陽炎の艤装が彼女を守るがごとく、陽炎の意思を無視して僅かに急速旋回して弾丸に貫かれ、少女の体から離れた。

 役目を終えた、そう呟くように。

 

 

 

 

 彼は大人で明言を怖がる。彼は大人で少女の前では泣けない。彼は大人で、彼は大人で、ただ耐える。

 彼は普通の大人で、向こうの世界でただ一人、指輪を渡した少女を――陽炎をこの世界で明確に愛したからだ。

 

 

 

 

 

 言葉は無い。

 最後に、何か劇的な言葉は無い。愛を紡ぐこともなければ、想いをささげる事もない。

 彼と彼女は、繋がってこそ会話が出来た。

 海の上と、海の下に分かれた今、彼と彼女には何も無い。

 

 ただ、さよならだけがあった。

 

 

 

 

 

 

 鎮守府からの救援が到着したのは、その直ぐ後のことであった。

 やってきた第一艦隊の旗艦、長門に掴み掛かり言葉にならぬ言葉をたたき付ける陽炎を霞達や他の第一艦隊のメンバーが引き離した。鎮守府に帰還するまでの間、陽炎はただ泣いて叫び続けただけだ。

 

 そして、彼女は自室に引きこもった。

 誰が来ようとも、声をかけようとも自室からは出てこない。

 カーテンに閉ざされた窓は明かりに灯されることも無く、閉ざされた扉は決して開かれなかった。

 

 陽炎が自室から出てきたのは、四日目の事だった。

 三日何も口にせず、おそらくは水さえも摂取しなかった事が美少女然とした陽炎の相貌を無残に塗りつぶしていた。

 泣きはらした目は赤く、押し殺して叫び続けたことで喉は枯れ、歩く姿もどこか力足りずぎこちない。そのくせ、瞳だけは強く輝いていた。どこか暗い色を湛えてこそいたが、そこだけは生きていた。

 

 彼女は皆が見守る中、全てを無視して執務室へと足を向け、確認をとってから室内に入った。

 

「お願いがあって、来ました」

 

「……そうか」

 

 まだ新任の匂いが抜けない若い提督は、陽炎の枯れた声とあまりにあまりな姿に動揺したが、なんとかそれを内心に押しとどめ応えた。

 

「私の、艤装の開発を、お願いします」

 

 言い切って、陽炎は頭を下げた。

 艶を失った陽炎の髪を見つめながら、提督は陽炎の言った言葉を吟味してどうしたものかと考え始める。

 駆逐艦の層は厚い。陽炎一人のリタイアはそう士気に響く物でもないし、今後の艦隊運用や組織として進む上で必須という事は無い。提督として考えれば、ない、と応えるところだろう。

 だが、

 

「お願いします!」

 

 枯れた声で叫び、土下座をする少女が提督の前に居る。

 

「お願い、します!」

 

 切に叫ぶ少女が居る。

 いつの間にやって来たのか、不知火が、霞が、霰が、陽炎の隣で同じように頭を下げる。

 

 だから提督は、ただ一人の人間として彼女達と向き合った。

 

「分かった。許可しよう」

 

 

 

 

 

 駆逐艦娘の数は多い。

 建造でこの世に少女の体で呼び出そうにも、狙い撃ちと言うのはほぼ不可能だ。建造での必要最低限の資材で建造が可能とはいっても、そこが最大のネックとも言える。

 どうしても数打ちが必要になるのだから、必要な資源と資材の見積もりも甘くはならない。

 

 だから彼女は走り続けた。

 もうすでにこの世界に呼び出された陽炎の場合、建造でもう一度陽炎がこの鎮守府に呼ばれると艤装だけが生み出される。実際彼女はその場に立会い見た事もあった。可能性はあるのだ。

 

 だから彼女は走り続けた。

 艤装が無い以上資源資材を回収するための遠征にも出られない。出来ることは鎮守府内の主計や整備、雑用だ。

 慣れぬ書類仕事にもかじりつき、昼も夜も無く働き続けた。自身が鎮守府に必要な艦娘で、まだ利用価値があるのだと証明するために、何もかもを彼女はやるだけの覚悟があった。

 

 それでも、彼女が足を止める時がある。

 日に四度の建造、その現場だけだ。

 工廠の前で敬虔な信徒の様に祈り、願い、請い続けた。

 

 どうかどうか、と。

 

 それでも、未だ彼女の艤装は建造されていない。彼女はまだ鎮守府の中を走り回る便利屋だ。

 その日も、最近やっとなれて来た書類に向かって帳簿をつけ、確りと仕事をこなしている最中だった。

 必死に、齧りつくように書類を見る陽炎の前に置かれた時計がアラームを鳴らした。

 陽炎は鳴った瞬間アラームを止め、同じ室内にいる大淀に目を向けた。

 

「えぇ、大丈夫ですよ。向かって下さい」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 頷く大淀に深々と頭を下げ、陽炎は工廠へと向かっていく。

 その先にいたのは、今日の建造担当なのだろう。不知火が佇んでいた。

 

「……今日は不知火なの?」

 

「司令が、同じ陽炎型なら建造できるかもしれない、と」

 

「そう……」

 

 言ったほうも言われたほうも、誰も信じていない言葉だ。もしかしたら、程度でしかない。

 それでも、もしかしたら程度でも縋れるものなら縋るのだ。

 

「建造は?」

 

「実は先ほど、少し早めに一つ回してしまいまして……」

 

 不知火はどこか視線を反らしながら答え、陽炎は小さくため息をついた。

 

「何分位前?」

 

「20分ほどまえかと」

 

 駆逐艦娘の建造は、大型艦とは違い資材に応じて少ない時間で終える。早ければもう出来上がる頃だ。

 陽炎がポケットから取り出したスマホで時間を確認していると、その件の建造ドックから完成を告げる音が鳴り響いた。

 不知火は僅かに半身ずらし、陽炎に道を譲る。

 陽炎は目を瞑って一度大きく息を吸ってから息を吐き、不知火に頭を下げて建造ドックに足を踏み込んだ。

 独特の物物しいその場で、小さな体の妖精たちが走り回り、その脇を少女達が歩んでいく。

 

 そして彼女は、それを目にした。

 

 艦娘でもなく、ただ艤装が置かれた台を。

 

 陽炎は僅かに息を呑み、そして大きく首を横に振った。ただの艤装だ。すでに鎮守府にその艦娘が存在する場合、艤装だけがこうして生み出される。

 ただ、それは陽炎だけではない。陽炎だけがいる鎮守府ではないのだ。

 艤装と言っても他の誰かかもしれない、陽炎から見ても、陽炎型の艤装そのものだが、それは例えば彼女の隣にいる不知火の物かもしれない。

 

 だから彼女は、ゆっくりと、本当にゆっくりとその艤装に手を伸ばし、そっと触れた。

 

 ――あぁ。

 

 分かる。

 分からないはずが無い。

 艦娘と艤装は二つで一つだ。だから、分かる。

 

 だから、彼女はそれを背負った。

 背負って、叫ぶ。

 

「ねぇ! ねぇ!!」

 

 物物しいドックに、少女の歓声が木霊する。

 

「ちょっと、こら! おーい!!」

 

 問いかける言葉に、応じる者は無い。不知火は顔を歪めて目を瞑り、拳を握って震わせていた。

 

「聞こえてるんでしょ……ねぇ!」

 

 歓喜の声は徐々に狂気を帯び、喜びに彩られていた陽炎の相は徐々にゆがんで行く。

 

「何か……いってよ……!」

 

 背負っていた艤装を外し、いつかのように地面にたたきつけ、陽炎は慌ててそれを抱き締めた。

 

「ちゃんと聞いてあげるから……もう、たたき付けたりしないから――何か言ってよ!!」

 

 艤装は何も応えない。

 それは、ただ普通の艤装に過ぎないのだから。

 

 

 

 

 

 理解はしていたのだ。

 それまで普通だった艤装なのだから、あぁなったこと事態が異常で、それは特例なのだと。

 それでも、もしかしたらと思ってしまう。また会えるかもしれないと信じてしまう。

 例え自分さえだませない嘘でも、思い続ければ走る為の目標にはなる。

 

 自身のおかしな艤装との日々が楽しくて、面白くて、わがままな彼女は大人な彼に寄りかかってしまったのだろう。

 だから、彼女は新しい艤装を背負って涙を拭う。あふれ出る涙が邪魔で、視界さえ侭ならない世界の中で、彼女は立ち上がった。

 

 泣いている彼女を気遣う、優しい声はもう無い。あの頃あった艤装の暖かさは、もう二度と触れ得ない陽炎だ。

 仄かな暖かさも、甘えるだけの自分も、わがままも、彼女はそこに置いた。

 

 どこか辛そうな顔で佇む妹へと向き直り、真っ赤に腫れた目で陽炎が笑う。

 

「さぁ、明日からまた遠征頑張らないとね!!」

 

 そうすれば、きっと彼を誇れる自分になれるのだと信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。

 彼の話をしよう。

 

 普通の男が艤装になったとか、誰を愛したとか、そんな事はどうでもいいだろう。

 ただ普通の人間の、普通の人生の話だ。

 

 いや、案外普通とはいえないかもしれない。

 何せ彼の人生は誰がまわしたものか、羅針盤のごとくくるくる、くるくるとよく回るのだ。

 回って回って、彼自身もうどこで何をやっているのかさっぱりという具合である。

 

 さて、そんな彼がある日仕事場でぼうっとしていると、複数の少女達がやってきた。

 彼の仕事場はとある鎮守府の航路途中に置かれた新造の補給ポイントにある事務室で、彼女達との応対も仕事に含まれている。

 であるから、彼は書類を一枚持って彼女達へと近づいていった。

 

 近づいてくる彼に気付いたのだろう。

 遠征部隊の旗艦らしき少女が、彼に向かって歩んでゆき、三歩前といったところで足を止め見事な敬礼を行った。

 

「――鎮守府の遠征部隊旗艦陽炎です! 補給物資を受け取りに参りました!」

 

「あぁ、どうも」

 

 彼の方はというと、敬礼を返すでもなく、ただ陽炎という少女の艤装を見てなんともいえない顔で返事をしただけだ。

 それに対して陽炎は少しばかり首をかしげ、はて、と疑問符が透けて見える顔で彼の顔をじっと見つめ始めた。

 

 彼はそれに苦笑で返し、手に持っていた書類を陽炎に手渡し、胸ポケットから万年筆を出してそれも陽炎に渡した。

 

「これにサインをお願いします」

 

「はい」

 

 返事はするが、受け取った書類に目を向けるでもなく、万年筆を動かすでもなく、陽炎は彼の顔を見上げたまま、疑問符をますます明確にしていくだけだ。

 であるから、彼は苦笑の色を濃くして陽炎の艤装を指差して言った。

 

「そいつ、俺の時みたいにぽんぽん地面にたたき付けるなよ?」

 

 さて。

 さてさて。

 とある男の話をしよう。

 まだまだ少し、してみよう。

 

 とりあえず、その場で彼は陽炎に投げられた。

 

 そんな話の続きを、してみよう。



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