豪華な、しかし古びた朽ち果て闇そのものを霞の様に纏わせたローブを身に纏った一体のアンデッドのマジックキャスターが無人の如く沼地を歩く。
その両脇には護衛である、血塗られた巨漢のゾンビ、ブラッドミートハルクが随行する。
骨と僅かにこびりついた様な皮のみの顔に、邪悪な笑いを浮かべた彼こそがアインズが冒険者の死体を元に作成したエルダーリッチ、与えられた名は『イグヴァ41』、つまりは被験体41号というそれだけの価値しか見いだされていない哀れな存在。
彼は今回の行軍においてコキュートスに預けられた唯一の知性を持つアンデッドだった。
しかし、それでも恐るべき事にイグヴァは通常のエルダーリッチを遙かに上回る力を持ち、その強さはレベルで言えば30に匹敵するものである。
「煩わしい…ゴミ共め。」
戦場に突如として現れたイグヴァの放ったファイアーボールが沼地に展開していたリザードマンの戦士達を纏めて焼き払う。
その光景を目にしたリザードマンはイグヴァが今回の戦争の首魁であると判断すると各々、疲労とダメージの深い身体を押し、討ち取らんと殺到する。
「愚か。」
それに対し、ゆったりと歩を進めながらイグヴァが再びファイアーボールを放ち、それは爆発と共に再び突撃を敢行した戦士達の生命を瞬時に奪う。
それが都合3度…
その間に両脇に侍らせていたブラッドミートハルクがそれぞれ独自に動き始め、近い者からリザードマンを字面の如くひねり潰し始めるのだった。
此処まで圧倒的力を見せつけられ、リザードマン達も遂に現れた真の強者を相手にその絶望を肌で感じていた…
「逃げよ!!戻って族長達に!!」
戦士頭が声を上げ、多数のリザードマンが蜘蛛の子を散らすかの様に撤退を始める…
「我等で時間を稼ぐぞ!!」
五人の戦士頭が武器を構え、それぞれの距離を取る。それはイグヴァの絶望的威力の火球で一網打尽にされない様にする為の布陣であった。
時間を稼ぐとは言っても彼等とて犬死にする気は無い、誰か一人でも敵にたどり着き接近戦に持ち込めれば僅かな希望があるだろうと一縷の望みにかけているのだ。
「行くぞ!突撃っ!」
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五人の戦士頭が焼き殺される光景をザリュースは遠目から冷静に見つめていた。しかし、その手に握られたフロストペインを握る手にはギリギリと力が込められる…
「出番が来たみてぇだな。」
ゼンベルの声に、ザリュースとクルシュその他族長も頷きを返す。その瞳には決死の覚悟が浮かんでいる。
「あのエルダーリッチこそが偉大なる御方とやらの右腕、もしくは切り札で間違いないだろう。ザリュースよ、我々であの巨漢のゾンビ2体を引き受けよう。お前達にあのエルダーリッチを任せたい。」
シャースーリューは言うが早いか二人の族長と共に進み出る。それは相性を考えれば正しい判断だろうと、全員異論はなかった。
「でも…どうやって距離を詰める?戦士頭達との闘いを見る限り150メートル以内は完全に奴の距離だわ。」
「あぁ…長いな。」
クルシュの問いにザリュースは頭を悩ませる。
ザリュース達が勝つ為には先ずは何より距離を詰めるのが絶対条件だ。しかしその為の凡そ150メートルが絶望的な壁になってくる。
「クルシュのドルイドの魔法は?」
「難しいわ…あれ程の威力、泥を纏わせる位じゃ気休めにもならないだろうし…」
「長いな…たかが150メートル、絶望的な距離だ…」
ザリュースの表情が悔しさに歪む…今もこうしている間に大勢のリザードマンが追い立てられ、ゴミの様に焼き殺され、エルダーリッチは嫌味な程、優雅に前進を続ける。いずれファイアーボールの射程が村に到達した時、それは此方の完全な敗北を意味する。
「盾を作って進めねぇか?家でも柵でも引っぺがしてそいつを盾によ。」
ゼンベルの意見にそれも一つの選択肢だとザリュースは考えた。自分の持つフロストペインに備わった能力、一日3度の『アイシーバースト』ならばあのファイアーボールを相殺できるだろう。
問題はその状態では進行速度が遅くなるという事でとてもでは無いがあの絶望的な距離を埋められない…
「ザリュースよ、一つ良いか?上手く行くかは分からんが…ーーーーー
ザリュースが再び頭を悩ませていると、今まで沈黙を守っていたクロコダインが遂に一つのアドバイスを行った…
そのクロコダインのアイデアを取り込みザリュースは作戦を組み立てる。
「成る程…それならば確かに…やれるか、ゼンベル!?」
「おう、任せときな!!」
クロコダインのアイデアに覚悟を決めた表情で問い掛けるザリュースに対して胸をドンと叩いてゼンベルが答えた。
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イグヴァが無人の野を行くが如く前進を続ける、途中何度もリザードマンの特攻を受けながらも、その全てをせせら笑う様に焼き殺してきたのだ。
そんなイグヴァの視界の先、集落からリザードマンとは別の影が現れた…
「あれは?…成る程、あれが奴らの切り札か…ヒュドラごときでこの我を止めようとは…愚か!」
集落から飛び出したのはロロロだった。
ロロロはイグヴァの魔法の射程範囲の手前まで進んだかとおもうとその鈍重な身体の限界の速度で走り出す。そう、イグヴァに向かって真っ直ぐに。
「煩わしいわ!!」
イグヴァは嘲笑を浮かべると手にした杖から火球を放つ。それは寸分違わず此方に愚直なまでの前進をするロロロに直撃した。
「…ククク…フフフ…ハッハッハハハ!!」
火球が炸裂し、巨大な爆炎に変わった事でイグヴァは偉大なる方より与えられた己の力に陶酔し、狂った様な笑い声を上げた…
しかし次の瞬間、爆炎を貫きヒュドラの巨体が前に進み出たのだ。
「ちぃ、やっぱり完全には防げんか…」
「次はもうちょい上手く防ぐ!円を描く風…大切なのはイメージ…」
「頑張って!!ロロロ!」
ロロロの背中には三人のリザードマンの姿があった。その一番前に位置したゼンベルの手には帰ってきた真空の斧マーク2が掲げられている。
「小癪な真似を!!」
何をしたかは判らないが一撃耐えられた…その事実にプライドを傷付けられたと憤怒したイグヴァは骨すら残さん、と言わんばかりの気迫でもう一度火球を放つ。そして今度のそれは先程とは違い、続けて連射する事を前提としていた。
「しゃらくせぇ!!唸れ、真空の斧!!!」
火球が接触する直前、ゼンベルが振り上げた帰ってきた真空の斧マーク2の宝玉が煌めき、一瞬で暴風を巻き起こす。
それはロロロとその背に乗る三人をドーム状に包むとイグヴァの炎を掻き消し、吹き飛ばす。
「馬鹿なっ!」
そうして爆炎が掻き消えるとあれだけ長かった絶望の距離がまた着実に短くなっている…
その光景にイグヴァは動揺を隠せなかった。当然だ、それが魔法を打ち破られたマジックキャスターの正しい反応である…但し二流のと注釈がつくが。かの大魔道師マトリフがその様を見れば鼻で笑うだろう。
そして間を置かず、次々と撃ち込まれてくる火球の嵐に、帰ってきた真空の斧マーク2を握りしめるゼンベルの頭の中にクロコダインの言葉が蘇る。
『ゼンベルよ、お前に預けた帰ってきた真空の斧マーク2は「唸れ、真空の斧」という言葉に反応して風を起こす魔法の武器だ。
どういう風に風が起きるかは使用者のイメージ次第だが…俺はかつてある強敵の放った極大火球魔法に対し、自分をドーム状の風のバリアで包む事で防いだ事がある。
それならばあのエルダーリッチ、奴の魔法程度、対抗できるはずだ。良いかゼンベル?大切なのはイメージだ、風の壁がお前達を守る事を当たり前だと思え。』
「応さっ!!唸れっ!真空の斧!!」
ゼンベルの咆哮に応える様に宝玉を煌めかせる帰ってきた真空の斧マーク2、より鋭さを増した風が沼地を駆け抜けるとまるで空間が破裂したかの様な音と共に衝撃波が全ての火球を炸裂させた。
そして熱風の吹き荒れるその中をロロロは怯む事も恐れる事も無く、全力を振り絞って前進する。
直撃こそゼンベルが防いではいるが、決してその莫大な熱量全てをかき消せている訳では無い。四つの首を盾に、背に乗せた三人を庇うロロロの身体にはかなりの広範囲にわたって熱波によるダメージが蓄積されている。
「おのれ、おのれっ供物風情がぁ!!何処まで私に恥をかかせるつもりだ!!」
だが逆に言えばその程度のダメージでしかない。ロロロには決意があった。
それは死んでもザリュースの本懐を遂げさせる事。あの敵の元に三人を到達させる事。
親に見捨てられ死ぬはずだった自分を拾い、育ててくれた父であり、共に育った兄であり、何より大切な自分の家族の為に、その疾走は距離を詰めるごとに徐々に速度を上げつつあった。
後、僅か10数メートル。
と、そこでロロロの身体を風の守りを突破した白い雷撃が無慈悲に貫いた。
それは遂にファイアーボールの魔法では如何ともしがたい状況を悟ったイグヴァの扱えるもう一つの最強の攻撃魔法『ライトニング』だ。
散々見下していたリザードマンに対して手を変える。それはある意味で敗北であり、イグヴァにとってこの魔法を使わされた事は屈辱であった。
ライトニングの直撃に麻痺し、硬直したロロロの身体が転がる様にグラリと前へと倒れたのは意識を失いそれでも前に進もうとしていたからであろう。
ロロロの背から飛び出した三つの影、既に彼我のその距離は10メートルを切っていた。当初横たわっていた150メートルというイグヴァのキルゾーン、その絶望的な距離は此処に来て遂に消滅した。
相対するエルダーリッチは三人を睨み付けながらサモンアンデッドの魔法により四体の骸骨戦士(スケルトンウォーリアー)を呼び出す。
地面に湧き出た深い闇より這いずる様に現れたそれ等はボロボロではあるが立派な鎧を纏い、上等なシミターとラウンドシールドを持つ、それはまるで王を守る為の親衛隊の様だった。
「進めやぁ!ザリュース!」
その状況下、誰よりも早く突貫したゼンベルがスケルトンウォーリアーの一体に躍りかかる。
本来このスケルトンウォーリアーは性能だけで言えばリザードマン一の豪腕であるゼンベルと互角の膂力を持っていた。
そんな骸骨戦士に振り下ろされた帰ってきた真空の斧マーク2がラウンドシールドに防がれた瞬間であった…
盾は真っ二つ、それを支えていた骸骨戦士の腕から肩、股間の骨までを粉々に砕きながらいとも容易く刃は地面に到達すると水しぶきを上げる。
その余りの一撃に、その場の殆ど全員の動きが一瞬停止した。攻撃を放ったゼンベルですらだった。
しかし、唯一人止まらなかった男がいる。
「死者は、死者の国に帰るがいいっ!!!」
そう、ザリュースだ。
フロストペインを構え、肉薄するザリュースにイグヴァは咄嗟に先ずは距離を取ろうと骸骨戦士をけしかける。
『我を守れ!』
一体の骸骨戦士が二人の間に身体を滑り込ませる様に立ちはだかった。残る二体はゼンベルに向かう。
その僅かな間にイグヴァの杖の先端に炎が凝縮される。イグヴァは一体の骸骨戦士諸共に先ずはザリュースを焼き殺すつもりだった。
「アースバインド!!」
しかし、それは突如足下から伸びた鞭の様にしなやかで強靱な、絡みつく泥の触手によって杖を押さえつけられる事によって阻害された。先端を下げ、ザリュースに向いた照準を無理矢理逸らしたのだ。
「煩わしいと言った!!」
杖を放棄し、眼窟の奥に憤怒の炎を燃やしながらその指先からライトニングの呪文を撃ち出したイグヴァとそれの直撃を受けたクルシュ。
「ぎゃんっ!」
「クルシュ!!」
骸骨戦士を打ち払ったザリュースの視線が一瞬とは言えつい倒れ伏したクルシュに向かう。
それをイグヴァは見逃さなかった。
イグヴァの指先が再び紫電を纏い、その先端を倒れ伏したクルシュに向ける。
それに気が付いたザリュースが自らクルシュを庇う為、魔法の射線に飛び込んで来た事にイグヴァは予想通りだと心底愚かなリザードマンだとザリュースを嘲笑う。
「ライトニ…」
だが、イグヴァは今なら仕留められるという絶好のチャンスと目の前のザリュースに夢中になりすぎて少々視野が狭くなっていた…
一流のマジックキャスターとはどんな状況でも心は氷の様に冷たくクールに在らねばならない。そうで無くてはここ一番で…
「お前等の負けだぜ!」
足下をすくわれるのだ…
「…おぉ…ぁ…ば!…ば…か…な…」
イグヴァを背後から、一刀両断とはまさにこの事だろうというお手本の様な切り口で両断したのは、自身に向かってきた二匹の骸骨戦士を瞬殺したゼンベルだった。
恐るべきは帰ってきた真空の斧マーク2のその切れ味だろう、それを振るうゼンベルは骸骨戦士の盾を紙の如く切り裂き、シミターを枯れ木の如くへし折った。
「…おゆ…るし…を…ア…イ…ンズ……さ……」
明らかに致命傷を受けたイグヴァはどうやって発音しているのやら、声にならぬ様なくぐもった声で創造主への深い謝罪の言葉を偽りの生命が消え、その骸が崩れ落ちるまで繰り返す…
それと時を同じくして、遠方から勝利を謳うザリュースにとって聞き慣れたリザードマンの雄叫びが聞こえる、シャースーリュー達もブラッドミートハルクを撃破したらしい…
「勝ったぜ、俺達がな…」
「あぁ。俺達の勝ちだ!」
ザリュースが勝利の雄叫びを上げる。
湿地帯に全てのリザードマンによる勝利の鬨の声が響き渡ったのはその直後の事である。
善鐘「この斧強すぎるっぺ。」
ザリ「普通トドメは主人公に譲るだろ?空気読めよ…」
桃ワニンガ『…主人公…』
左右を両断される敵のゲス中ボス…フレイザードっぽい?ぽくない?
次話、イイダコが釣れたら。