自分らの足元が――周辺の景色が一瞬にして紫色に変わり、死の世界へと変わった時、バロンは自分の死を悟った。
感染した。
もはや戻るわけにはいかない。このまま学院に戻れば、自分らは学院に病を届けるディレジエの使いとなってしまう。
隣にいた相棒に視線を向ける。カペンシスは銃を連射していた。
一瞬、気が狂ったかと思ったがどうやらそうではないらしい。カペンシスの狙っていた目標は、黒く渦巻く瘴気だった。
それが何なのか、すぐに分かった。
ディレジエだ。
「クソッ……こいつ、僕らを狙って……なんで…………!?」
カペンシスの弾丸は、ディレジエの身体に飲み込まれて消える。
気体とも液体とも呼べぬディレジエの肉体は実体を持たない。物理攻撃どころか、魔法攻撃ですらディレジエを殺しきることはできないとされている。
それでもあきらめるわけにはいかない。
理由はわからないが、ディレジエは明らかに意思を持って自分たちを殺しに来ている。
ならばもしかしたら、このままルイズらを追って学院を襲うかもしれない。
そうなればどんな地獄が広がるか想像に難くない。
だから何としてもここでディレジエを討たねばならない。カペンシスはその一心でトリガーを引き続けた。
銃弾を浴び続けていたディレジエは口を動かしてゴボゴボと詰まった排水溝のような音を立てた。
言葉どころか、鳴き声とも認識できぬ音だったが、不思議なことにバロンとカペンシスにはそれが意味のある言葉となって脳裏に響いた。
ディレジエは言った。
『私を殺しに来たか、ヒルダー』
「ヒルダー……一体何の――」
カペンシスが聞くよりも速く、ディレジエが吼えた。
その足元から紫色の粘性の液体が走り、まるで槍のように形を変えてカペンシスに襲い掛かる。
カペンシスは大きく跳躍してそれをかわす。空中で体勢を整え、着地に備える。
すると、着地地点から瘴気が噴き出した。
「しまっ――」
何とか着地地点をずらそうと体を捩るが、かなわない。抵抗もむなしく、カペンシスは毒の沼へと落ちた。
ここまでか――
激痛に備えたカペンシスだったが、その身体に痛みが走ることはなかった。見ると、手の甲に浮かんだ謎の意匠が強い輝きを放ち、光の壁となってカペンシスを包んでいた。
「これってバロンの手にあった、ルイズのルーンじゃ……なんで僕にも……」
見ると、バロンも同じように手の甲の意匠が輝きを放ち、ディレジエの風を跳ね除けている。
『ヒルダーの加護……』
ディレジエはそれを見て、恨めしそうに呟いた。
「カペンシス! なんだかよくわからねえが、こいつがあれば戦える!」
そう言って、バロンが剣を振りぬく。剣の軌跡に沿って現れた衝撃波が、ディレジエの身体へ吸い込まれる。
『グウォッ……!?』
ディレジエが大きくのけぞる。手ごたえがあった。
「効いてる……! よっしゃ、このまま押し切る!!」
大剣を振り回して地面にたたきつけ、遠心力を利用して飛び上がる。空中で大剣を構えなおし、ディレジエの脳天めがけ、剣を振り下ろした。
『バロン、ダメッ! 離れて!』
ロキシーが言った。
だが遅い。その時には既にバロンの大剣はディレジエの脳天に叩き込まれていた。
ディレジエが、裂けるような笑みを浮かべてバロンを見ている。
ーーしまった。
そう思った時には、バロンの身体は宙に浮いていた。
「ぐはっ!?」
「バロン! このぉぉぉーっ!!」
カペンシスが銃弾を連射する。放たれた10発の弾丸は、全てディレジエに命中した。
「ぐふっ……!?」
だが、倒れたのはカペンシスだった。
「クソッ……一体どうなって……!」
『前にアガンゾが言っていたの! 使徒の中には、受けたダメージをそのまま相手に反射する能力を持つ者がいるって!』
ロキシーが小さな体で身振り手振りして言う。
反射ーー文字通り相手の攻撃を跳ね返す能力だ。自身へのダメージを完全に無効化し、相手にそのまま返す厄介極まりない能力。
その強力さ故か、上級モンスターしか持たない貴重な能力である。
故に、バロンも反射能力持ちのモンスターとの戦闘経験は少なかった。
王の遺跡を守護する騎士と戦った時に1度だけ、反射能力を持っている相手と戦ったことがある。
そいつは物理攻撃を反射する能力と魔法攻撃を反射する能力を切り替えて戦っていた。
そう、反射は完璧ではない。反射できない攻撃もあるはずなのだ。それは使徒とて同じこと。反射の法則さえわかればーーその為にはカペンシスの頭脳がいる。
カペンシスと合流すべく、バロンは顔を上げる。
カペンシスはどこからか取り出した火炎放射器をディレジエに向けていた。
「くそう! どうせ死ぬなら……ヤケクソだァァァァッ!!」
「待て、カペンシス! ディレジエは攻撃を反射――」
「うおらああああああああああああああああっ!!」
怒声と共に、ディレジエが炎に包まれる。
『ギシャアアアアアアッ!!』
ディレジエは大きく体をのけぞらせ、炎を振り払おうともがく。その鳴き声は苦痛に満ちている。
「効いてる……? 火は反射できないのか……!?」
「へっ……ざまあみろってんだ!」
カペンシスが僅かに頬を歪ませる。
「カペンシス、お前、何ともないか!?」
「ああ。全然平気。それより、見ろよバロン。あいつ、炎が弱点みたいだぜ。なら、こいつで倒せる!」
そう言って、カペンシスは再度火炎放射器をディレジエに向けた。
(いや……俺の最初の一撃は確かにディレジエに効いていた……)
炎を振り払ったディレジエが、カペンシスを睨む。その身体は、仄かに赤みがかっている。
「こいつで終わりだ!」
カペンシスが火炎放射器のトリガーにかけた指に力を込める。
刹那、ディレジエの身体が渦巻いたかと思うと、巨大な竜巻に姿を変えた。激しい風に炎が吹き飛ばされる。
「なっ……」
竜巻に触れた樹が、一瞬にして粉々になった。
質量のある風と言えるその竜巻は、電動カッターのような鋭さを持ち、触れる者すべてを粉々に切り刻む。
「やっべぇ……!!」
死の竜巻が、バロンらに向かって襲い掛かった。