「さて…」
俺を昨日から籠に入れて飼育しているこの女は、昨日教会から犬族の孤児を引き取った黒狼族の女だ。香ばしい小麦粉の匂いがするのを考えると、これはおそらくパンが入っていた籠だ。
世界が違えば虐待だがそれはさておき、状況はなんとなく理解できてきた。
あの時メアリーという女性とこの黒狼族の女が話していた孤児とは俺のことで、俺は犬族という犬の耳と尻尾を持つ人型の種族としてこの世界に転生していた。
いや、させられていた。
管理者を名乗るあの頭のおかしなロリっ子が言う事が事実だとするなら、次の勇者候補が見つかるまでの繋ぎが俺の役目らしい。
そして俺が生まれたこの世界だが、前世の地球にとてもよく似ている。
植物や動物は地球のそれと遜色無い。だが明らかに大きな違いもあった。
それが魔法と様々な種族だ。
魔法の存在は異世界に転生されたことがわかった時点で覚悟はしていたが、驚いたのは科学も同様に発展していたことだった。
地球に比べるとレベルは低いが、それでも19世紀後半から20世紀初頭くらいだと思う。
しかし魔法と科学を組み合わせる技術が生まれているらしく、場合によっては前世の地球を超える可能性もある。
その証拠に、この女の家のキッチンは前世のIHキッチンのような見た目をしているが、電気もガスも通ってない代わりに彼女は毎回手をかざして何か呪文のようなものを唱えている。
武器もある程度まで発展しており、小銃はボルトアクション方式、拳銃は回転式拳銃が主流のようだ。
機関銃の類をこの家ではまだ見かけないが、もし本当に科学水準が20世紀初頭レベルなら今はその黎明期だろう。
と言っても、異世界で辺境の村で生きるには銃より剣や盾が活躍する部分もあるらしく、アマンダの家にはライフルと拳銃の他にも少し短めの剣やホコリを被った盾が並んでいる。
そしてさっきも言った「様々な種族」についてだが、まさに俺自身のことだ。
ヒトの体に動物の特徴を持つ獣人種族。
他にもエルフ種族やドワーフ種族、巨人種族にオーガも居ると聞く。
それはさておき、この体についてだが、特に不便は感じない。
そのため神に対して不満があるかと聞かれれば特に不満は無いが、俺を免税のための盾にした女に育てられるというのは不思議な気分だ。
「とりあえず税金の分の金は浮いたが…。」
女が俺の方を見て自分の胸を見下ろす。
「どうするかなぁ…」
女は昨日と何も変わらずおぼつかない足取りで俺に近づくと、俺を抱き抱える。
目の前には俺の頭ほどの乳が対をなし、数日前の俺なら顔が真っ赤になりそうな景色を俺の視界いっぱいに埋め尽くすが、この身体のせいなのか、全く心が踊らない。
それはさておき腹が減った。
「あぅあ」
何とか空腹を訴えようにもまだ言葉を話せるわけもなく、意味もない喃語しか発せない。
「うーん…」
女は頭を抱えて唸ったかと思うと、おもむろに自分のシャツをたくしあげ、何を思ったか自らの乳房を俺に押し当てた。
しかし妊婦でもない彼女に母乳など出るわけもない。
(なんだコイツ、痴女か!?)
「まあそんなに揉んでも出るわけ無えんだけどな…。」
必死に拒絶しようともがく俺が違う姿に見えたのか、見当違いな事を言う女は諦めたのかシャツをおろし、籠に俺を戻すと身支度を始めた。
数分後、女は俺を抱えたまま隣の民家の戸を叩いていた。
出てきたのは人間のように見えるが、やや耳の尖った女性だった。
「あなたは?」
戸口に手を付いてガン飛ばすようにアマンダを見上げる様はさながらギャルのようだった。この世界に風船ガムがあれば、ちょうど今膨らましてこの女を威嚇していただろう。
「えっと…丘の上に住んでるアマンダという者だ…。」
「あら、“初めまして”。どういったご用件で?」
突き放すような嫌味っぽい物言いにアマンダと名乗った女はバツが悪そうな表情で耳をぺたんと倒し視線を逸らすが、すぐに顔を上げる。
「ちょっと助けて欲しいんだ…。この子に何を食べさせれば良いかわからない…。」
相手の女性は俺に視線を下ろし、ハッと気づいたように表情を緩めると、アマンダを家に迎え入れた。
俺は一旦、隣の部屋のベッドに横たえられ、2人は居間に去っていったが、会話は戸口から漏れ聞こえる。
「いつ生まれたの?」
「いや、孤児らしい。教会でもあぶれて私が預かった。」
「近所付き合いはしとくべきでしたね。」
「……。」
返す言葉も無いのか、バタバタと作業音を鳴らす女性とは裏腹にアマンダは声も音も出さない。
「私が誰なのか、ここが誰の家なのかもわからないでしょう?」
「私は…。私はみんなに…嫌われてると思ったんだ。
その…こんなナリだし、私はただの傭兵だ。みんなとどう話せばいいか…。」
「でしょうね。でもシスターに頼まれたの。」
作業音が止まる。
「もしあなたが助けを求めて来たら、助けてあげて欲しいって。
あなたがこの村の一員になるチャンスをもう一度あげたいって。
そう頼まれたの。」
「そうか…。ありがとう。」
「良いのよ。かく言う私も流れ者だしね。
シスターには頭が上がらないわ。はいこれ。食べさせてあげて。」
「いや…でも…」
「今からあなたがあの子の母親なの。しっかりしなさい。」
部屋に入って来たアマンダはスープの入った皿を抱えていた。
甘く温かいこのスープは、アマンダも作れるようになり、俺が成長するまでしばらく続いた。