ひと月も経たないうちに動けるようになった俺は、家中を這い回って探検を始めた。本来人間の赤ちゃんなら半年はかかるはずだが、これも人間と獣人の違いなのだろう。
アマンダの家は前世で言うところの平屋建ての4LDK。トイレはあるが、風呂は無いようで、いつも外の井戸で汲んだ水で身体を洗っている。
家の外の庭には物干しと井戸がある以外は芝生が広がっており、その外周を腰丈くらいの石垣が囲んでいる。
4つある部屋は書斎、武器庫、寝室、倉庫に使っているみたいだが、最近武器を倉庫に全部移しており、何か別のことに使うつもりのようだ。
アマンダと言えば、書斎や武器庫を探検しようと試みる俺を捕まえてはリビングの赤ちゃん用ベッドへ連れ戻すのを繰り返していた。
時折りライフルを抱えてどこかに外出するようだが、そういう日はお隣のセルブリッド家のお世話になった。
セルブリッド家というのは俺がアマンダに預けられた時期にアマンダに子育てのイロハを教えてくれたハーフエルフの一家だ。
最初はツンツンとした態度でアマンダを迎えたローズさんも、今となっては自分の子どものように俺を歓迎し、妹と接するかのようにアマンダと話している。
セルブリッド家にも子どもが1人居て、俺より半年ほど早く生まれたハーフエルフの女の子、エリスだ。
獣人の俺の成長が早いおかげで半年違いでも2人ともハイハイで移動し、家を駆け回る悪ガキどもになっている。
セルブリッド家は薬草を調合して薬屋を営んでいるようで、入ってはいけない部屋がほとんどだが、その代わり俺たちは箱に隠れて遊ぶようになり、空っぽの木箱は俺たちの秘密基地と化した。
1年も経つと俺たちは立って歩くことができるようになった。
ハイハイ程度では大した反応を見せなかったアマンダも、俺が立ったのを見た瞬間は驚きのあまり調理中の夕飯を焦がしていたほどだ。
ローズさんに至ってはエリスが立った日は彼女を抱えてアマンダの家に飛び込んできた。
アマンダとローズさんは俺たちが歩けるようになると、枷が取れたかのように俺たちを連れてお互いの家を行き来するようになり、庭で走り回る俺たちを眺めながらお茶会をするのが日々の楽しみのようだ。
この頃になるとさすがに手狭になった俺たちの秘密基地は、アマンダが以前整理して空き部屋になった部屋に移った。
お互いが石や枝を持ち寄り、ガラクタの山を築いたが、それが今の俺たちにとっては大切な宝物だ。
それを察してか、アマンダも敢えて口うるさい事は言わなかったが、俺たちがカエルを持ち込んだ時は飛び上がって驚き、悲鳴を上げてセルブリッド家まで逃げて行き、何事かとやってきたローズさんには「傭兵なんだからこれくらいでビビらないでよ!」と3人揃って説教された。
そんな楽しい日々も5歳になると変わってしまった。
エリスが教会の運営する学校に通うためだ。
セルブリッド家は薬屋の仕事がうまく行ってないらしく、共働きをしなければ危ういらしかった。
ローズさんは「薬が必要とされないのはみんなが健康な証拠」と強がってはいたが、その内心は計り知れない。いくつか策を講じたものの、それも上手くいかず、教会が無償で運営する寮制の学校へエリスを預けるしか無いらしい。
アマンダも「良ければうちでエリスを預かる」と言ってくれたが、仕事で家を空けがちのアマンダにはかなり無理をした話だった。
「いや!ルークとはなれたくない!もっと一緒にあそぶ!」
悲痛な叫びを上げるエリスの声が耳から離れない。
子どもの身体が憎かった。何もできずにただ言われるがまま手を振って見送ることしかできない無力感に俺は拳を強く握り込んだ。
何度言っても俺から離れようとしないエリスの手をローズさんは唇に血を滲ませ、目には涙を浮かべながら引っ張り、庭を出て行く。
俺にはエリスの手を放すしか無かった。
こうしなければお互いのためにならない。楽に流れても楽しいのはその時だけで、流れて行った先には滝がある。時には流れに逆らってでも泳がなければならない。
そう自分に言い聞かせてみても、込み上げる涙は止まらない。
「ルーク、泣いても良いんだぞ。」
俺は身体の動くままアマンダに抱き付き、大泣きした。
エリスが小麦畑を抜け、生垣を超えて見えなくなる頃にはさすがに涙も引いていたが、ここを動きたくはなかった。
もしかしたらエリスを抱えたローズさんがもう一度生垣の奥から現れるんじゃないかと動けなかった。
次第に陽が落ち、気づいたら辺りは真っ暗になっていた。
「エリスが行くのは村の中央にある教会だ。たまには会いに行ってやれ。」
「…うん。」
力無く頷く俺の足はやっと地面から離れ、アマンダに連れられて家に戻った。