夏休み直後から始まる第二の小学生ライフを過ごすことになるのはこの宇津谷小学校。真新しいこともなくオンボロというわけでも無い田舎の小さな小学校だ。各学年三十人が二クラスの規模となっている。5-2の座席表を確認して一番後ろの自分の席へと座って周りを見渡す。初めは不安だった教師や同級生の顔も案外会えば徐々に思い出していくもので、ある程度は対応出来た。しかし仲の良い太一からは何度か不思議な目で見られた。やっぱり違和感があるみたいだ。注意するに越したことは無い。
「それよりも問題なのが……」
視線は自然と前寄り窓際の席へと吸い込まれていく。赤のランドセルを下ろして教科書を淡々と出していく中里。その顔は小学生の無邪気さというのには無縁の様に固まっている。何とか声をかけてどうにかしようと考えていたが一つだけ手があった。家が隣ということは当然登校班は同じだ。学校への集団登校というのは中里と話すという機会の増える最高の状況ではないかと歓喜した。だがそう簡単なことでは無かった。
「何を話したらいいのか分からない……」
腕を組み、椅子にもたれかかる。小学校の頃に中里と話したことは無い。ゼロからのスタートになる。そうなると初めが肝心で下手に出れない。けれど話さなければ何も始まらない。あっちから話しかけて来るなどまずあり得ないだろう。何か話題がないか考えるしかないかな……
「誰に何を話すんだよ」
「うわっ!」
突然背後から声をかけられて素っ頓狂な声を出してしまった。教室の視線が集まってくる。すると一人が堪えきれず笑い出すと周りも影響されていき、こっちに指をさして笑い始める。小学生はそんな些細なことでも盛り上がったりする。それでも一人は笑ってない人を容易に見つけられた。
「和樹、おどかさないでくれよ。笑い者にされたじゃないか……」
「すまない、そんなに集中していたとは思わなかった。しかし、なおさら気になるな。何考えてたんだ?」
謝罪の言葉を述べてから一呼吸置くと再び切り出してきた。和樹は目を合わせて問いかけてくる。僕は昔からこの目に弱かった。メガネの奥にあるその目は何でも見透かすように心の奥まで浸入を許してしまう。相談してしまおうと安心感を与えてくるような目。思わず息を呑む。
「いや、ただボーッとしてただけだよ」
けれど今はまだ頼れない。これは自分でやらなければいけないことだ。それに羞恥心が少し勝った部分もある。もし和樹が僕に女子に話しかけたいって相談してきたらニヤニヤしながら全力で弄る。だから逆も然りだろう。
和樹から視線を外す。中里を見ると席について何もせずただ座ってHRが始まるのを待っている。彼女のことを相談しても簡単にいきそうにないというのも本音だ。だからまだ友達にも知られるわけにはいかない。発言にも注意しよう。
「そうか、それならそれでいい……優人」
「なに?」
和樹は僕の肩に手をのせて語りかけてくる。
「あいさつは大切だと思わないか? とりとめのないことかもしれないが案外印象に残るもんだぞ」
「どういうこと? あっ、おはよう和樹!」
笑ってそう言うと和樹は口の端を上げて少し含みのある笑みを浮かべた。
「おはよう、そうやって毎日続けたら成果も生まれると思うぞ。例えば、そうだな……集団登校の時とかな」
「そ、それどういう意味だよ!」
思わず席から立ち上がって問いかけるが和樹は肩から手を離して横を通り過ぎていくと少し半身に振り返ってこっちを見る。
「目は口ほどに物を言うって意味だよ」
そのまま和樹は窓際の中間辺りの席へと座った。
「本当に小学生なのか?」
少し自嘲気味に笑ってしまう。すると廊下から走ってくる音が近づいてくる。見てみると学校に着いた途端トイレへと駆け込んだ太一だった。
「ゆうと! さっき今までで一番腹いてえって言ってただろ? 思ってた通りに今までで一番クソデカいうんこ出たんだぜ! おまえにも見せてやりたかったなぁ〜」
太一の大きな声は周りにも聞かれているようで他の男子はうんこという単語にはしゃぎ始める。
「人のうんこになんて興味ないよ……」
そう、ある意味思い浮かべていた小学生とはこれだ。あんな人の思考を読んでくるようなのを小学生とは言わない。太一に限っては少し馬鹿すぎる部分もあるけど。
「ゆうと。まだまだだなぁ〜今のはうんことクソをかけてたんだぜ? そこに気づけないとは二流だぜ」
「ワザと触れなかったんだよ」
「分かるようになったらコンビ組んでやるよ。じゃあな!」
そう言って太一は一番前の席へと走っていく。先生が授業中に注意し易いように太一は強制的に前の席で固定となっている。まさに小学生として生き生きと活発で幼稚なヤツだ。
「本当にお前は一流の小学生だよ」
▽ ▽ ▽
小学校の勉強というのは大人になった時に必要な基礎の基礎のそのまた基礎の様な勉強だ。知っていなければクイズ番組で笑われポジションに出演しなければならない様な知識ばかりだ。だから授業中も知っていることのオンパレードなので面白くもなく、淡々とこなして今日の授業は終わった。これからの授業が面白くなるかどうかは太一の頑張り次第になるだろう。
帰りのHRも終わり、教科書や筆記用具をランドセルに入れて帰る準備をしていると太一、和樹、香奈のいつもの3人が集まってくる。まず口を開いたのは既にウキウキとしている太一だった。
「今日は公園でこおりオニやろうぜ!」
その提案に香奈もグーサインを出す。
「いいね! 舞ちゃんとかも誘ってきていいかな? 大勢の方がいいでしょ?」
「そうだな。この前は誰かさんが途中で寝てしまった後抜け出していったからな。多い方がいいだろ」
和樹の一言に二人も同意して睨んでくる。あれに関しては許して欲しい……
「ご、ごめん。少し急用があったから」
「ふーん。じゃあ初めはゆうとがオニね!」
僕が鬼になる話がどんどんと進められている時に脳裏では少し前に見た後ろ姿が焼き付いていた。周りが友達と談笑や遊ぶ約束などをしている中、誰とも一緒に帰ることもなく、ただ家に足を運ぶだけ。その口が開くこともなく誰かに呼び止められることもない。そんな彼女の体は嫌に小さく見えた。いつか何かに押し潰されてしまいそうなほどに。
「えっと。実は今日も用事があるんだ。ごめん!」
遊んでいる場合じゃない。追わないといけない。無視されてもいい、邪魔だって思われてもいいから。だから何か声だけでもかけないと。
「今日もかよーつれないなー」
「せっかく舞ちゃん誘おうと思ったのに〜」
「優人にも色々と事情があるんだろ。行ってこいよ」
太一と香奈の不満を和樹がなだめてくれる。本当にありがたい。こちらに向けてくる含んだ笑みは憎たらしいけどな。
「また今度ちゃんとオニやるからさ! じゃあまた明日、バイバイ!」
「「バイバーイ」」
「頑張ってこいよ」
三人の声を背に教室を出る。中里は既に学校からは出ているだろう。そう結論づけると足早に向かった。
「まるでストーカーだな……」
▽ ▽ ▽
学校から出て大分走った。久しぶりの故郷の帰り道を懐かしむこともなく走り続けた。身体が小さくなったことによる違和感がまだ残っていて思うように動けない。
通り過ぎる同級生は揃って友達と喋りながら帰っていた。その光景を見ているだけで胸を締め付けるものがあった。何組か通り過ぎて帰り道の河川敷に着く。今から夕飯の食材を買いに行く主婦が自転車をこいでいたり、お爺さんが愛犬と一緒にゆっくりと散歩している。そんな中に中里の姿を発見する。草の生えた斜面に座って低学年がサッカーをしているのをじっと眺めている。まだ家に帰ってはいないようだ。その背中にはランドセルがある。
彼女へとゆっくり近づいていく。一歩一歩が凄く重い。彼女は周りの重力を二割り増しする能力でも持っているのではないだろうか。そんな馬鹿げた事を考えていると彼女の顔が突然こちらを向いた。目が合う。まさかこっちに気づくとは思っていなかった。少し後ずさってしまう。自分の頭の中が真っ白になっていく感覚だけがある。
(こ、こんな時どうすればいいんだ? な、何か話しかけないと。そ、そうだ! 和樹がアドバイスしてくれたじゃないか!)
「おはよう! 中里さん」
「……」
彼女はこちらを不気味なものでも見るようにして、そしてまた視線はサッカー少年達へと戻っていった。ただ自分の上げた手と開いた口だけが取り残される。彼女に声をかけることだけしか考えてなかった自分が浅はかすぎた。いや、それよりも……
「おはようってなんだよ!」
自分の酷さに思わず声を出すと彼女の顔はこちらを向いた。そして目が合った。思わず口から出た声を聞かれたことで途端に頬が熱くなってきて目をそらしてしまう。それから少し沈黙が続く。川のゆっくりと流れる音とサッカー少年の嬉々とした笑い声が聞こえてくる。もうこちらを見ていないのか気になってそっと視線を戻すと彼女と目が合った。
「自覚があるだけ良かったね」
「えっ、あっ、うん……」
ぶっきらぼうに言ってまた視線を戻す彼女の前で僕はただ立ち尽くす。前はこっちが彼女の事を変人だと思っていたが今回は立場が変わってしまうみたいだ……
彼女から少し距離を取って座る。彼女はただサッカー少年達を眺めている。動くのは目だけで口が綻ぶこともない。
「何してたの?」
そう言うと人差し指をサッカー少年達へと向ける。
「観察」
「言い方変だよ」
やはり彼女も少し普通とは違っているのかもしれない。
「……観賞?」
「見てたって言いかたじゃダメなの?」
「少し知的っぽく言いたかったから」
問いかけに淡々と答える。その発言には心が籠もっているようには全く聞こえない。
「中村くんは何で声をかけてきたの?」
こちらを見ることなく聞いてくる。ただ視線はゆっくりと流れる川へと移っていた。
「何でだろ。明確な答えはないかな。寂しそうだったからっていうのが今のところ一番かな」
そう答えると中里は目を閉じる。そして目を開けるとこちらを見ることなく立ち上がる。
「……じゃあ今度は私の番なんだね」
「え、どういうこと?」
中里は答えることなく背を向けて歩いていく。僕も立ち上がり追いかける。
「中村くんの人助けの番が私に来たんだねって言ったんだよ」
「何それ。僕はそんなのしてな……違う。もうしないんだよアレは」
中里が言っているのは僕の自己満足の事を言ってるんだろう。なら否定できる。
「しないのなら私に話しかけたのは何? 同情だったんでしょ。中村くんがそういうのほっとけない人って知ってる」
中里の歩くスピードが速くなる。河川敷を外れて住宅街へと向かっていく。
「違う。同情なんかじゃない。ただ中里さんと仲良くなりたいんだ!」
「中村くんはもう仲の良い友達いるよね?」
「うん。いるよ」
交差点の信号が赤に変わり止まる。彼女の横に並ぶ。
「ならもういいじゃない。別に私と仲良くなる必要なんてない」
「なら中里さんは必要だから友達を作るの? 仲良くなる必要があるから仲良くするの? それはきっと違うよ」
「違う。友達は遊びたい時の道具と同じ。ゲームで遊ぶか友達と遊ぶかって中村くんだって悩むことはきっとある。そうやって選択している時点で友達を道具と同じように見てる。寂しさを紛らわす為の道具。それが人によって必要かどうか変わるだけ。私には要らない」
「じゃあなんでさっきのサッカーをずっと見てたの? ああやって友達と楽しく遊びたかったんじゃないの? 少しでも思ったなら一人くらい友達は必要だ」
信号が青に変わる。また彼女が足早に進むと思っていた僕は踏み出すが彼女は止まっていたままだった。
「社会で生きていく中で必要な付き合いだけしていれば上手く生きていけるって……そうお父さんが言ってた。今は別に必要じゃない」
やっと分かった。彼女が大人になってまでも周りに友達が増えなかったことが。何故自ら他人を拒否するような性格と態度をとっていたのか。隆への対応やあの歪みのある性格は一般向けしない。ただ会社に就職して続けられた所を考えると社交的な付き合いは出来ていたのだろう。
「けど一人は必要だと思う。だから僕と友達になってください。家も隣だし、サッカーも好きだしきっと気が合うよ!」
「一人も要らない。それに隣とか関係ないし、別にサッカーも好きでもない」
青信号が点滅し始めた。それに気づいた彼女は走って渡る。それを追いかける。
「けど学校で二人組み作れって言われた時とか必要じゃない?」
「そ、それはそうだけど……中村くんは太一くんがいる」
「太一なんかより中里さんを優先する! 約束する!」
立ち止まり振り返ってこちらを見てくる。その顔は少し驚いた表情をしていた。
「えっ。じゃ、じゃあ中村くんの言った通り気が合わないとどうせ長く続かないし無理だよ」
「じゃあ気が合ったら友達なってくれる?」
中里は下を向いて少し考え始める。手を握り締めて何かを堪えているように見える。
「……考えておく」
「今はそれでいいよ。僕の答えも聞いてくれるだけでいい。答え合わせはいらない」
「うん」
思い出す。スーツ姿を着た彼女を。いつだって俺の前で無表情を保っていた。けれど時々綻ぶその顔が何よりも好きだった。
「俺の好きなものは……」
だから何度でも彼女の笑った顔を見れるように試行錯誤した。きっと今回だって失敗することもあるだろう。それでもくり返そう。彼女が幸せだと思えるまで続けよう。それが彼女を殺した罪滅ぼし。だからまずは友達から。
「いちごオーレ」
▽ ▽ ▽
午後八時示す時計が規則的に針を鳴らす。灯りのついていない暗い部屋のテーブルには市販のおにぎりのゴミが無造作に並べられている。中里は一人部屋の中で体育座りをして母の帰りを待つ。宿題も終わらせてやることも無い。
「いちごオーレなんて飲んだことない……」
自分の小さなお財布からお金を取り出して中身を確認するがあまり無駄遣いできるような額ではなかった。
「それに友達を作らないんじゃない……作れないんだよ……」
そう消え入るような声で呟いて彼女は膝に顔を埋めた。
どれだけ駄作になっても完結はさせたいと思っております。読んでくださっている方、これからもよろしくお願いします。
後1つ注意点といいますか、自分はこれが初執筆なので色んな方の小説を読ませて頂いたりして日々勉強を重ねているのですが、その結果自分の書き方が少し変化してきています。
これはあっていいことなのでしょうか?
やはり小説としては統一感を持って書くべきであって書き方も違和感のないように適時過去の投稿を改稿した方がいいのでしょうか?
自分的には改稿したことによって内容が何度も変更するのは良くないと思うのですが……ですので書き方が変化することに関しては見逃して頂きたいです。よろしくお願いします。