君はまた、僕に笑う   作:水野悠亀

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いちごオーレ

 雨が降っている。小雨でも周りの静けさを打ち消す様な鬱陶しさを感じさせる。

 

 

 俺は傘を差して公園のベンチに座っている。

この公園には見覚えがあった。小さい頃に友達とよく遊んでいた公園だ。今となってはただ無邪気に走り回り、些細なことで笑いあった事も遠い日のように感じる。

 

 花壇には規則的に配置されている花がある。ブランコや滑り台、砂場にも誰もいない。子供がいない公園はなんとも物寂しいものだ。

 

 

 

 だがジャングルジムの下に白い子猫がいる。

子猫は既に体力が無いのか、弱々しく震えている。段ボールに入れられた子猫は何も出来ずに雨に打たれている。

 

 誰かが飼ってあげるか、雨の当たらないところに連れて行かなければ、このまま弱ってしまうだろう。だが助けた後はどうする? 俺はいつまでも子猫の面倒を見る事などできない。子猫は独りで生きていかなければならない。だから甘えてはダメなんだ。独りで生きていく術を身につけなければならない。

 

 

 俺と子猫の視線が合った

 

 

 子猫は俺に助けて欲しいのだろう。しかし、今この状況で助けてあげる事が本当に子猫の為になるのだろうか。俺がいなくなった後、またこの状況に陥った時にどうするのか。様々な疑問が湧いてくるが結局は俺がいなくても生きていける強さが必要になると結論が出る。

 

 だから俺はベンチから立ち上がる。

 

 そしてそのまま公園を出た。

 

 

 

 

 

 

 公園を出ると辺りは真っ暗となり、不気味な浮遊感に囚われた。すると四方八方から声が聞こえてくる。

 

 

 <中村ってそんな奴だったんだ>

 

 

 あいつは誰だっかな?中学の頃のクラスメイトか。

 

 

 <中村君ってもっと優しい人だと思ってた>

 

 

 あれは高校の頃の友達の彼女だ。

 

 

 <なんであそこで助けてやらなかったんだ? お前なら止めれただろう>

 

 

 小学校の頃の先生だ、喧嘩してる奴らを無視した時だ。

 

 

 

 何故決めつける。

 

 俺がそんなお人好しだなんて誰が決めたんだ。

 

 いつでも、どんな時でも、どんな相手にでも優しく出来る奴なんていない。当たり前だ、人間の感情は移ろい易い。人は色んな性格、個性がある。

 

 打算的なヤツ、合理的なヤツ、愛想のいいヤツ、利己的なヤツ、自己中なヤツ、ネガティブなヤツ、ポジティブなヤツ……

 

 

 なのに人は他人へとそれぞれによって違うレッテルを貼る。押し付ける。決めつける。

 

 だから俺は嫌なんだ。少し優しくしただけで誤解する。

 

 

 俺に期待しないでくれ。俺には何も出来なかった。子供の頃からずっと。

 

 

 <なんで助けてやらなかったんだよ>

 

 うるさい。

 

 <なんで何もしようとしないの?>

 

 うるさい。

 

 <お前はそれでいいのか?>

 

 うるさい。

 

 <出来ることがあるのになんで一一…お前らに何がわかる! 俺がどんな人間なのか、心を読めもしないくせに知ったようなことを言うな。俺の何を知っている? 自分自身でも理解しきれないことを決めつけないでくれ……

 

 

 

 <優人……優しい男になるんだぞ?>

 

 

 やめてくれよ……父さん……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手足に血が通っている感覚がくる。目を開けるとボヤけた視界の先に見慣れた天井を捉える。手を目元にやると少し湿った。

 

 最悪の気分だ。

 

 ベットの上で少し汗ばんだシャツを脱ぎ捨てる。開けていた窓から風と共に朝日が覗く。

 

 今は6月だ、朝だというのに少し蒸し暑い。だからか朝から憂鬱な気分になりやすい。いや、あんな夢のせいか。

 

 ベットの横に置いてある目覚まし時計が鳴り響いている。関係ないとは思いながらも八つ当たりの様に強く押して止める。時計は成すすべもなく床へと落ちて大きな音が鳴ると共に鳴くのをやめた。

 

 

 隣の部屋の人に迷惑だったかもしれない。マンションだとこういう時に少し不便だと感じる。

 

 部屋には冷蔵庫、テレビ、テーブル、ソファーなど生活に必要な物だけと言ってもいいほど何も無い。

 ほぼ唯一と言っていい趣味の釣り竿は玄関に置いてあるので、本当に地味な部屋だ。そんな静けさに支配された部屋が余計に自分の握り拳を強くした。

 

 

 朝から朝食を作る気力もしないし、今日はコンビニで適当に買うか。立ち上がり着替えを済ませてから財布の中身をチェックする。金銭管理はしっかりとしているので不安もないが一応確認しておく。

 

「あれ?」

 

 思ってたよりお金が少ないんだが……あ、そういえば。

 

 

 まだお金を返してもらって無い。

 

 

 車を走らせ最寄りのコンビニで朝食と共にストレスと怒りに身を任せいつも飲まないブラックを買って一気に飲んだ。

 

「うげえっ、苦い」

 

 苦みは苛立ちには効果がないようだ。

 

 

 ▽ ▽ ▽

 

 

 

 程なくして会社へと到着した。家を早く出たのと車をいつもより少し速く飛ばして来たからか人の気配が全くない。

 

 (休憩スペースで朝食摂るか)

 

 休憩スペースの椅子に腰掛けて、おにぎりを食べる。因みにおにぎりは辛子明太子と塩おにぎりだ。何故か塩おにぎりを馬鹿にする人がいるが、1度騙されたと思って食べて欲しい。

 

 

「はぁ……」

 

 

 ため息が自然と出てきた。まだ慣れてない仕事を繰り返していたから疲れてしまったのか。

 やっぱり息抜きも必要だな、近いうちに太一と釣りにでも行こうかな。そんな事を考えて憂鬱な気分を吹き飛ばそうと考える。

 

 

「どうしたんですか? ため息なんかして」

 

 

 最近よく聞く声が聞こえた。この憂鬱な気分を紛らわすのに丁度いい相手かもしれない。

 振り向こうとした瞬間に首筋に冷たい物が触れる。

 

 

「冷たっ!」

 

「冷えてる方が美味しいですからね。はい、どうぞ」

 

 

 彼女は俺に冷えた紙パックを渡してくる。紙パックはピンク色を基調に可愛らしく『いちごオーレ』と書いてある。

 

 

「昨日お金を返す約束だったのに破ってしまったお詫びです」

 

 

 そういって少し彼女が差し出してくる。いつも通りの固まってしまっている無表情フェイスは少しだけ自分を静まさせてくれる。

 

 

「ありがとう」

 

「いえ、お詫びなので感謝はいりません」

 

「いや、その事について言ったんじゃない」

 

「え、じゃあ何について言ったんですか?」

 

「何なんだろうな〜」

 

 

 すると彼女は顔を傾けて考え込んでいるようだが答えは出ないだろう。彼女からパックを受け取っていちごオーレを飲む。朝に飲んだブラックのおかげか予想していたより美味しく感じた。甘味は苛立ちに効果があるらしい。

 

 俺が飲んでいる姿を見て彼女は少し満足げにのようだ。無表情は変わらないが雰囲気が柔らかいものになった。

 

 

「で、なんでため息なんて吐いてたんですか?」

 

 

 彼女の問いかけに少し戸惑ったしまう。悪い夢を見たからでいいのか? けどなんか子供っぽくて少し恥ずかしいな。

 

 それに夢の内容はあまり言いたくない。きっとあれは深く思い出してはいけないものだ。そう自然感じる。

 

 

「少し悪い夢を見て、疲れてたのかもしれない」

 

 

 疲れが考えていることを上回ったのか、自分でも驚く程に素直に言ってしまった。けれど相手から悪い夢見て疲れてるとか言われても『あっそうですか』で大体終わる。深い部分まで追求されることもないだろう。

 

 

「悪い夢、ですか……中村さんでも悪夢とか見たりするんですね」

 

 

 顔は相変わらずだが、声は少し驚きを含んだものになっている。

 

 

「中里は俺のこと、どんな風に見てるんだよ。俺だって悪い夢くらい見る」

 

 

 すると彼女は顎に手をやり、目を閉じて考え始めた。

 

 

「中村さんは私の中では、なんというか。目標の人間のような感じなのであまり悪夢を見たりする様な印象はありませんでしたから」

 

 

 目標の人間? どういう意味だ。

 

 彼女の顔見て様子を伺うが、やはり無表情で固まっている。化粧を全くしていないというのは女性としてどうなのだろうか。いや、良いと思うが。

 

 

「私は中村さんを見ていて幸せそうだなって感じたんです。だからあなたみたいな人間になってみたいなと」

 

 

 彼女は俺の顔を見据えて言った。それは嘘ではなく本心で言っている様に感じる。

 

 けれどおかしい。俺と彼女はまだ会って少ししか経っていない。それなのに俺の印象というものが彼女の中で固まっているようだ。会社でしか会ったこともなく、休憩時間の束の間の会話。あれだけで幸せだと判断したのだろうか。

 

 中里は俺の何をしているんだ? 少なくとも人間像が固まる程度には俺のことを知っているということになる。一体彼女は何者なんだ?

 

 固まってしまっている無表情。中里という名前。食堂の時に流した涙。他にも引っ掛かりを感じたものは幾つかある。何か後一つ足りない、後一歩が届かない。けれど確信がある。俺は彼女を知っている。

 

 

「だから中村さんには色々教えて欲しいんです。中村さんが経験した、楽しかった事や嬉しかった事を」

 

 

 真っ直ぐと俺の目を見てくる。無表情でも意思というものを感じる。

 

 

「私が幸せになれるように協力してください。お願いします」

 

 

 二人だけの休憩場所に彼女の声が響く。俺にとって何の利益があるのか、そう考えれば無いだろう。けれど、頼まれて嫌な気はしなかった。

 

 彼女の顔を見ても全く表情は崩れていない。ただ俺の顔を見据えているだけだ。けれど幸せと感じたらその顔は綻ぶのだろうか。そう考えるとまだ見たこともない彼女の笑顔を想像する。きっとその顔に似合った可愛らしい顔になるだろう。

 

 

「わかった、協力する。そしてお前を笑顔にさせてやる」

 

「ありがとうございます。笑顔、ですか。まあ期待せずに待ってます」

 

 

 彼女は俺の側まで来ると小指を突き出した。溜息を吐きながら俺も小指を差し出す。この歳でそれやるのか。

 

 

「約束する時の常識です。もし破ったら私、中村さんの想像を絶する嫌がらせを死ぬまで続けますから」

 

「そりゃ困ったな。俺にデメリットしかない約束にプラス罰ありとはな」

 

「メリットあるじゃないですか。中村さんみたいな童貞が私みたいな可愛らしい女性と関係ができるんですよ?」

 

「自分の事を可愛いという女にロクな奴はいないって妹が言ってた」

 

「なるほど、シスコンですか。なら私がその難病を治してあげるということで」

 

「シ、シスコンちゃうわ!」

 

「エセ関西弁になってますよ。ああ、妹さん……可哀想に」

 

 

 中里の頭に軽くチョップを入れると少し呻き声を出した。涙目で睨んでくるが無視する。

 

 

「まあ、いいよ。お前のその鉄壁無表情をぶっ壊した時の達成感が報酬ということで」

 

「そんなの本当に価値があるんですか? 正直馬鹿みたいですけど中村さんが良いなら約束してください」

 

 

 軽く頷いて互いの小指を絡ませる。とても細く小さく、冷たい指だ。血の通りが悪いようで、指はとても白い。

 

 

「指切りげんまん。嘘ついたら中村さんが酷い目にあーう。指切った」

 

 

 互いの指を離した。これで約束は成された。この約束を守ることが生き甲斐の一つになってくれればいいけど……

 

 

「これ本当に一方的だな」

 

「んー。なら今日みたいに中村さんが悩んでた時に相談にのります。どんな些細なことでも、基本何でもいいですよ」

 

「お前に相談とか逆に不安でしかないんだが」

 

 

 中里はジト目で俺の方を見据えてくる。

 

 

「へぇーさっき私に悪夢のこと言った時に凄いスッキリした顔してたのに?」

 

「えぇっ!?」

 

 

 自分の予想外のことに思わず驚愕の声が出た。確かに自分の顔が見えなかったがそんな顔をしていたとは。それもこいつの前で……不覚。

 

 

「まあ、好きな時に連絡してください。連絡先交換しましょう。素直じゃない中村さん」

 

「一言多いから可愛くないんだよ……」

 

 

 そう言いながら互いの連絡先を交換した。中里のLINEのトップ画は白い猫のようだ。

 

 

「中村さんに弄り甲斐があるから仕方ないですね」

 

「だからこんなサラリーマンにいちごオーレ飲ませたのか?」

 

「それは違います。この前は中村さんの好物のチャーハンを頂いので、今度は私の好きないちごオーレを飲んでもらおうと思ったからです」

 

「なるほどな。けど、男性に対してこのチョイスは無いわ。これは一生彼氏できないわ」

 

「へぇー飲み干してるくせに?」

 

 

 ブラックコーヒーを全く飲めずに諦めてしまった為、俺は飲み物をまともに飲まずにいた。だから喉が渇いて仕方なくいちごオーレを飲んだだけだ。いちごオーレに惚れた訳では無い! 多分……

 

 

「分かった分かった。ありがとうな、いちごオーレ」

 

「感謝はいらないと言いましたが貰えるなら貰っておきましょう。仕方がないですね」

 

 

 確信した。こいつはドヤ顔の天才だ。人をムカつかせるタイプの。

 

 ふと設置されている時計を見るとそろそろ皆んなが出勤する時間となってきた。俺は紙パックをゴミ箱に入れた。

 

 

「じゃあまたな」

 

「はい、約束守ってくださいね?」

 

「死ぬまで嫌がらせされるんだろ?守るさ」

 

 

 そう言って彼女に背を向けて仕事場へと向かう。

 

 

「ふふっ。やっぱり今の中村さんの方が好きですよ」

 

「はぁっ!? というか今笑ったのか? 背を向けている間に笑ったのか?」

 

「さぁ〜どうなんでしょうね〜」

 

 

 中里は俺の問いを受け流して歩いていった。足取りは少し軽く上機嫌のようだ。人をからかって楽しみやがって……

 

 俺も自分の仕事場へと再び歩き始める。それにしても指切りげんまんなんて久しぶりのことで懐かしい。小学校くらいの頃だろうか。小学校の頃……また何か引っ掛かりを感じる。

 

 

「小学校……中里……。まさか、な……」

 

 

 無表情。中里という名前。食堂での涙。小学校。そして

白い猫。一つだけ思い当たるものが生まれた。思い出したくもなかった過去のことを。

 

 俺は自分の中で生まれた結論から目を背けることにした。


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