俺は車を走らせて故郷へと向かっている。今日は久しぶりの休みということもあり、小学校からの親友で釣友でもある
太一を駅まで迎えに行ってから助手席に乗せている。太一は横で俺の車に新しい曲を入れようとCDを持っている。
「前から何か物足りないと思ったら、槇原敬之が入ってないんだよ。これは論外」
「俺の車に文句をつけるな、乗車賃とるぞ」
太一は昔から自分や相手に素直で、思ったことを口に出す。そんな太一に憧れにも似たものを持っていた事もあり、自然と仲良くなった。けれどその
「帰郷するのは久しぶりだな」
「お前は就活とバイトが大変だったもんな。
鈴花は同学年と遊ぶ事もあれば、俺の学年とも遊ぶ事が多かった。だからか、俺の友達は皆が妹への尋常ではない世話焼きっぷりを知っている。
「なんで故郷で釣りなんてしようって言ったんだ?」
「少し親父に呼ばれてんだよ。家を継ぐのかどうかはっきりしろってな」
今回の釣りは元々、太一からの提案で決まった。太一の家は代々陶磁器を作っていて、それを継ぐかどうか悩んでいるらしい。それも子供の頃から悩んでいるというのだから太一の葛藤は並々ではない。
「今回話し合って最後にする。本当にちゃんと決めるよ」
「ま、悔いがないようにな。頑張れよ」
すると太一は任せとけ!と言ってニカッと笑った。その後も色々と話しながら向かっていると目的の川までついた。
この川は近所にあった事もあり、よくここで釣りをしていた場所だ。周りは草木がこれでもかと茂っている。川は穏やかに流れ、ここに住む生き物達の生活を表しているかの様だ。
俺は小さい頃から悩んだりするとここに来ていた。自分の悩みや疲れを遠ざけてくれる様な感覚を与えてくれる。安心できる場所、いや依存した場所だ。
「さて、我が妻ヤマメちゃんはいるかな〜?」
「おい、ヤマメに謝れ」
「ごめん、流石に調子乗った。まずは恋人からだな」
「どうした?お前に今まで何があった?相談ならのるぞ?」
流石に友達が魚のことを妻とか恋人とか言うのは引いてしまう。俺は車から竿を取り出して各種準備を終えて釣りを始める。
「それにしても本当に久しぶりだな。昔は安っぽい竹の釣り竿だったな」
「今となっては不思議だよな。なんであんな竿で釣れるんだよ」
「田舎者は魚も馬鹿なんだよ」
「今自分で馬鹿って言ったのと変わらないからな?」
「はいはい、そうでございますね。おっ、釣れた。どうだ!」
そう言って太一は嬉しそうに笑ってイワナを俺に見せてくる。本当にこいつは楽しそうに釣りをする奴だな。
そう言ってると太一がイワナを水の入ったクーラーボックスに入れようとする。
「キャッチアンドリリースじゃないのか?」
「あ、そうだった。ついつい癖で」
「キャッチアンドイートばっかしてるから太っちまうんだよ」
太一は小さい頃、小柄で背も低く無邪気な所謂悪ガキという感じだった。だからか昔は結構モテていた。これは私感だが、小学校、幼年期には暗い男子よりも明るい男子がモテる傾向にあるからだろう。
そんなモテモテ太一君は今では見る影も無くなってしまった。そうやって昔を思い出していると、ふと他の友人の事が気になった。
「和樹や香夏はどうしてるんだ?」
俺が小学校の頃は太一と
和樹は結構真面目なやつで他の同級生から『博士』と呼ばれていた。頭は良いけど、ハメを外す時はとことん外す
して、ほぼ別人になるという少し変わった奴だった。
香夏はとても明るく、男にも負けないような元気溢れる女の子だった。所謂紅一点って奴だったのかもしれないが、男勢よりも元気があり、友達想いでグループに華が出るというよりも、男勢の情けなさが際立った。女前というやつか。
「和樹は美術家?だったかな。そこまで有名じゃないけど、まだ絵を描いてるらしい。香夏は洋服店の店員だったかな?」
「なんか変わらないな、あいつらは」
和樹は昔から休み時間に時々絵を描いていた。見たことがないが凄い上手らしい。けど、小学校の頃、一時期突然描かなくなった時があった。あれは何だったのか?
香夏はその明るさで接客を選んだんだろう。あの頃は服とかあまり気にしてなかった気がするが、流石は女の子といった感じだ。
「で、お前は継ぐか継がないかで迷ってバイト生活ってか?確かにそろそろ決めないとキツそうだな」
「あぁ……オヤジと喋るの正直キツい」
「いいじゃないか、衝突し合っても。ちゃんと話せる内に話しとけよ」
「す、すまん!オヤジの話しちまって」
太一は慌てて俺に謝罪をしてくる。多分俺の父さんが亡くなっていることを気にしてるんだろう。太一らしくもない。苦笑いで答える。
「そんなことは今はいいよ。気長に釣りをしよう」
そう言って二人は黙々と釣りを続けた。昔釣った時の魚の種類とは少ししか変化がなく此処は変わっていなかった。それは凄い事だと感じる。人は住みやすいように環境を変えてしまう。都会の街は夜空の星よりも、人工的なもの光が溢れている。それが何よりも物語っているだろう。
「そういえば、舞ちゃんとはどうなんだよ?な!どこまでいった?」
興味津々といった感じに太一が俺へと詰め寄ってくる。太一が言っているのは恋人の
「最近は話してないし、会ってもいない。さっき太一も言ってただろ?バイトと就活と今の仕事で遊んでる暇なんてなかったんだ。あっちもそれを理解してくれてる」
「え?今遊んでね?」
「これはリフレッシュだ。必要最低限の生活リズムに組み込まれている。ノーカウントだ」
「ひっでぇー奴だ」
太一はクズを見るような目で俺を見ている。
ーー確かに付き合っているのに好きな人ができるとは屑だな……
俺は心の中で自嘲した。
「けど流石にこんだけ何も無いと舞ちゃんだって不安になるだろ。会いに行ってやれ」
「そう、だな。それに会わなきゃ行けない理由ができたしな」
「なんなんだ?それは」
「秘密だ」
自分の中ではどうしようもなくなったこの思いを伝えるためには、まず舞としっかり話す必要がある。それが相手を傷つける様な一方的な押しつけになるとしても……
▽ ▽ ▽
その後も釣りは続いたがそろそろ話をしてくると言って太一は自宅へと歩いていった。帰りは自分で電車乗って帰るようだ。
俺は通り道のスーパーでリンゴを買ってから妹の鈴花のいる病院へと向かった。
俺はいつも通りに受付の人に挨拶をしてから通り過ぎる。途中よく会うご老人に挨拶をしながら病室は一人部屋を割り当てられている鈴花の元へと向かう。軽くノックをしてから聴きなれた「どうぞ」という声と共に病室に入ると鈴花は起きていたようで自然と目が合った。
「来たぞ、鈴花」
「いらっしゃい、
白い病院服を纏った、これまた健康的とは言えない白い素肌を覗かせる自分の妹に笑顔で詫びる。
「昨日は見舞いに来れなくてごめんな」
昨日は中里の料理を食べていたら既に面会時間が過ぎていた。残業になろうとも毎日欠かさずに来ていただけに罪悪感を感じていた。
「別に毎日来なくてもいいって言ってるんだから大丈夫だよ」
そう言って鈴花は笑った。鈴花は今22歳だ。普通なら大学に通っているか、就職している。
しかし鈴花は父さんと同じALSが発症している。ALSの遺伝は今のところ5%程の確率だというが、鈴花はそれに当てはまってしまったのだ。
「ちゃんとご飯食べたのか?」
「うん」
「しっかりと早く寝たか?」
「うん」
「しっかりお医者さんの言う事聞いたか?」
「もう、気にしすぎだよ。子供じゃあるまいし」
「しっかり小便出たか?」
「この変態!最低!」
そう言って鈴花は中村の腹を殴る。うん、まだ腕はしっかりと動くみたいだな。
中村は近くにあった椅子に座るとスーパーの袋に入っていたリンゴを取り出しながら話を始める。
「今日は仕事が休みだったから太一と釣りをしに故郷へ行ってたんだ。相変わらず綺麗な川だった」
「あの川は本当に綺麗だったよね。優兄と水遊びした時に水を飲んじゃったけど美味しかったもん」
まだ俺が小学4の時、2年生だった鈴花を連れて蒸し暑い夏を吹っ飛ばすほど川ではしゃいだ。川の水が触れた瞬間蒸発するのではないかというほど白熱した。
いつも使うことを知っている看護婦さんが用意しておいてくれたナイフで林檎を剥いていく。
「優兄さ、ちゃんと舞さんと話した?」
「いや、まだだ……」
鈴花は俺の舞への中途半端な気持ちに気づいていた。流されるままに付き合う事になった関係。そんなものは俺のただの自己満足の優しさに意味を、価値を抱かせてしまった事で生まれてしまった。それを解決するのは自分自身しかいないと理解はしている。
「そろそろどうするのか決めないと舞さんも困るよ?」
「実は自分の中ではもう決まったんだ」
「え!?どうしたの?」
鈴花はベットの上で腰を浮かした。早く早くとせがんでくる。
これ言うのは恥ずかしいが……実の妹ならいいか。
「す、好きな人ができた」
鈴花は口を何回もパクパクしていた。
なんでそんなに驚くのだろうか?人が人を好きになるのは当たり前だろう。
俺は小分けに切り分けたリンゴをお皿にのせてベットの横に置いた。
「え!?どんな人?私会える?」
「なんでお前が会う必要があるんだよ。まあ、なんだ一言で言えば……変わったヤツ、だな」
「好きな人の特徴を聞いて変わったヤツとかいう言葉が出る時点でやめておいた方がいいと思うんだけど……」
「いや、なんていうかあいつを可愛いって言うのは悔しい」
そんなことを言えば中里は
『仕方ないですね。なんて言ったって私は可愛いですから。惚れちゃっても仕方ないです。可愛いですから。ええ、私は可愛いです」
凄く面倒臭いことになりそうだ。
「まあ、優兄がちゃんと心に決めた人が出来たってのは素直に嬉しいよ?舞さんも絶対にそんな中途半端は嫌だと思うから」
「ああ、しっかりと言ってみる」
「うん、頑張ってね!」
病人の妹に励ませれる俺って……自然と溜息が漏れでる。
鈴花はリンゴを1つ頬張ると腕を組んで唸っていた。
「んぅ…7〜5。うん75点かな。まあまあだね。この前の◯◯スーパーのリンゴの方が美味しいかな」
「課題点はクリアか。では俺もお一つ…ん〜まあまあだな」
鈴花のお見舞いには必ずリンゴを買って来て二人で食べている。評価を言い合ってどれが一番美味しいか決めようという二人だけの楽しみだ。
因み、これには中村のリンゴの切った形も評価に含まれている。
「リンゴの形も、随分綺麗になってきたよね」
「何回もしてるからな……」
2人は互いに押し黙ってしまった。ここにきてもう何回リンゴを剥いたのか、覚えていない。
すると鈴花は中村の顔を見て突然吹き出した。
「優兄って案外コックとかいい線いくかもね。ふふっ、コックっていってもずっと皮むきしかさせて貰えなさそうな顔してるけど」
「地味顔で悪かったな」
「ごめん、ごめん。優兄の顔、私は好きだよ」
鈴花は真っ直ぐに目を見て言った。俺は病室の窓へと目線を逸らした。
「人をおちょくるのも大概にしとけよ。そもそも妹にそんなこと言われても嬉しくねぇよ」
「はいはい、そーですねー」
2人は他愛もない話を続けた。毎日通っているので、どうでもいいような事しかもう話題にならないからだ。
「じゃあ、また明日な」
「別に来なくてもいいけどね……あっ、よくよく考えるとこれって優兄の初恋じゃない!?頑張れ初恋!」
「うっさい!」
そう吐き捨てて病室を出ると鈴花の主な担当をしてくれている看護婦さんが立っていた。
「素直じゃないんですよ、鈴花さん。昨日はお兄さんが来なくて凄く寂しそうにしてました」
「そうなんですか。また寂しがった時は構ってあげてください。これからもよろしくお願いします」
そう言って頭を下げて廊下を歩く。
そうだ、寂しかっただろう。鈴花にとってもう家族は俺しかいない。母さんは父さんの後を追うように早死してしまった。そして鈴花は父さんと同じ病気になってしまった。常に死が迫ってきているのだ。怖くない筈はない。だから出来る限り少しでも鈴花の恐怖を紛らわせたい。
けどどれだけ紛らわした所で治療法が見つからない限り、死からは逃れられないだろう。
鈴花が死んでしまったその日に、俺は本当に独りになる。
そんな独りだけで生きていける気がしない。もう幾度と無く想像した。
だから俺は中里に、彼女に側にいて欲しい。俺が死ぬその日まで彼女の側で笑い合っていたい。あの俺だけに向けられた笑顔が何にも変えがたいものに感じる、そして欲しる。これは独占欲というやつなのだろうか。自己中もここまでいくと自覚しても止まらない。心の中で自嘲する。
この気持ちをちゃんと伝える為にも、まずは舞としっかり話をしよう。そう決意して俺は家へと帰った。