「うわー、贅沢な教室だね」
一年の時はあまり来なかった三階に上がると、通常の五倍くらいの広さの教室が目の前に現れ、そのあまりの豪華さに思わず独り言が漏れてしまいました。生徒が五十名ほどしかいないことを考えるとスペースの無駄遣いとしか考えられません。この半分程度でも十分すぎるほどに広いのではないでしょうか?
それにただ広いだけではありません。教室の内装も贅沢すぎるほどに贅沢です。まず、教室の前にあるのは黒板ではなく壁全体を覆うようなプラズマディスプレイ。……プロジェクターとスクリーンで十分でしょう?
そして、高級ホテルのロビーのように壁には観葉植物や拡張高い絵画がさりげなく置かれています。モネにゴッホにミレーですか、作品の選択もさることながら結構よくできた複製品ですね。相当高いでしょうに。でも、有名絵画を高校の教室に飾る必要があるのですか?
無駄なお金を使う余裕があるなら設備にまわしましょうよ。
……駄目です。ここにいるとツッコミどころだらけで心労がたまってしまいます。これ以上教室の中は見ないことにしましょう。
「……なんだろう、このばかデカい教室は」
後ろのドアから前のドアくらいまで移動したところでさっきまで私がいたところから小さなつぶやきが聞こえました。
私と同じでAクラスの設備に驚いているのでしょうね。でも、この声はかなり聞き覚えがありますね。こう、学年一のバカと称される友達を彷彿とさせるような。声の主が気になった私はFクラスへ向かう足を止め、後ろを振り返ります。
すると、そこでは予想したとおり茶髪でなかなかに整った顔立ちをした男子生徒が物欲しそうな顔でAクラスの中を覗き込んでいました。
「おぉー! あっきーではないか」
私はおどけた口調で話しかけ、その男子生徒に近づきます。
「ん? あっ、夏樹! 夏樹も遅刻だったんだ」
彼の名前は吉井明久。彼と私は中学時代からの親友で、今のところこの学園の生徒の中で私が名前ベースの渾名で呼ぶ唯一の男子です。
「皆さん進級おめでとうございます。私はこの二年A組の担任、高橋洋子です。よろしくお願いします」
教室の中から学年主任の高橋先生の自己紹介が聞こえ、あっきーは教室内をよく見ようとドアにはめ込まれた窓に顔を近づけました。このままあっきーを置いていくのも何ですし、少しだけ付き合いますか。
「参考書や教科書などの学習資料はもとより、冷蔵庫の中身に関しても全て学園が支給致します。他にも何か必要なものがあれば遠慮などすることなく何でも申し出てください」
うっ、必要なものは全支給ですか。絵画や観葉植物、プラズマディスプレイはどうでもいいですけど、それだけは魅力的ですね。
まだましな化学とかを底上げしていれば何とか……無理ですね。今回のテストは相性最悪でしたし、Cクラス下位から中堅に上がるので精一杯でしょう。自分でFクラスを選んだんだからこんなことで惑わされずに、あっきーに声をかけてさっさと自分のクラスに向かいましょう。
「では、はじめにクラスの代表を紹介します。霧島翔子さん。前に来てください」
あっきーに声をかけようとするのと同時に黒髪を肩まで伸ばした日本人形のような少女がディスプレイの前に立ちました。
「……霧島翔子です。よろしくお願いします」
少女の目はクラスメイト全員に向けられているようでありながら、よく見ると同性の級友たちにのみ向けられています。
「そっか、噂は本当だったんだ」
隣の
私もその噂は聞いたことがありますが、聞いてすぐ一笑に付しました。告白した中に好みの人物がいなかったか、既に好きな人がいると考えるのが普通でしょう。今まで告白してきた人、どれだけ自信過剰なんですか?
しかし、隣にいる
そう、女子の好意に気付かないこの朴念仁のせいで中学時代の私は今霧島翔子が級友に向けているのと同じ視線にさらされてきたのですよ。学年の五分の一近くの女子に!
まぁ、想い人が噂を聞いて彼女を誤解しないよう、同じ女として祈っておきますか。
(霧島翔子さん。あなたの恋が上手くいきますように)
「っと、夏樹。僕らも自分のクラスに行かないと」
教室を見るのを止めてあっきーが話しかけてきます。
「いや、私はあっきーを待ってたんだけど……。まぁ、いいや。じゃあ、行こうか我らがFクラスに」
「……夏樹、なんで僕が――」
「元一年D組にあっきーがFクラス以外に行くなんて考える人は一人もいないよ?」
「――Fだと、ってせめて最後まで言わせてよ!」
「ただでさえ、あっきーが覗きやってて時間食ってるんだから急がないと」
「やめてぇー! 意味はあってるけど、その単語は犯罪のニュアンスが強い! って、あれ? 我らのってことは夏樹もFなの? 夏樹ならDかCくらいだと思ったんだけど」
「今気付いたの? 苦手科目の成績がポンコツな私が下手に上に行くと迷惑かけるからね。ちょっと手を抜いて英語のテストどっちも名無しで出しんだ♪」
「えぇ、もったいない! 夏樹はそれで後悔しないの?」
「まぁ、自分で決めたことだし、Fクラスの方が友達多そうだし後悔はしないよ」
私たちは軽口を叩きあいながらFクラスに向かいました。
「……あっきー、前言撤回していい? 少しだけ後悔してきた」
「その気持ちは痛いほど分かるよ」
私たちの前にはまるで廃屋のような部屋があります。心なしかかび臭いような気もします。もしかしたら廃材置き場か何かと間違えたのかとプレートを確認しますが、何度みてもそこに書かれている文字は「2年F組」、決して廃材置き場ではありません。
ただでさえ遅刻しているのに教室前でまごついて時間を無駄にしても仕方がありませんし、ここは覚悟を決めて教室に足を踏み入れます。
「すみません! 遅刻しました!」
「早く座れ、このウジ虫や……ろ、う?」
むっ? いくら遅刻が悪いこととはいえ女の子にウジ虫野郎は酷いですね。野郎は。でも、こんな激しい性格の先生ってこの学園にいましたっけ? 私は謝罪のために下げていた頭を上げ、教壇にいる人物を確認します。
教壇にいたのは教師ではなく一年のときの同級生、坂本雄二でした。
「あれ? もっちー、教壇に立って何やってんの?」
「一応このクラスの最高成績者だから、遅れている先生の代わりに教壇に上がってみたんだが、……夏樹、お前涙ぐんだりしないのか?」
「? もっちーは一体何を言っているの?」
「いや、なんとなくお前が涙ぐむのをきっかけに俺に不幸が訪れそうな予感がしたんだが」
「もっちーの口が悪いことは知ってるからね。このくらいは気にしないよ」
「お前、言ってくれるじゃねぇか」
あっ、少し不機嫌になった。
「……なんなら今から泣こうか?」
私の言葉とともにまだ名前さえ知らない級友たちが靴や教科書、果てはカッターまで構える。どうでもいいけどこのクラス男子ばっかりだね。
「いや、お前が俺の性格を理解していてくれて助かった」
もっちーも自分の予感が現実に成る予兆を感じたらしく、さっきまでの不機嫌さは霧散した。
「そういえば、最高成績者って事は雄二がこのクラスの代表なの?」
私に続いてクラスに入ってきたあっきーがもっちーに問いかけます。
「ああ、そうだ」
ほとんど同時にニヤリと笑うあっきーともっちー。これは碌でもないこと考えているな。
「これでこのクラスの全員が俺の兵隊だな」
椅子が無いせいで床に座っているクラスメイトを見下ろしながら言うもっちー。やっぱりね。いくら事実とはいえ言い方が悪いよ。
「にしても、夏樹がFクラスとはな。想像もしなかった」
「うん。CとかDだと勉強についていけそうにないから英語をどっちも名無しで出したんだよ」
私の言葉にもっちーは苦笑します。
「他の奴だったらそんなこと気にせずにいい設備を狙うのに、相変わらずお前は欲が無いな。でも、お前がこのクラスにいるのは嬉しい誤算だ。頼りにさせてもらう」
むぅ、頼られるのは嬉しいけど、あまり期待をかけられると緊張します。
「えーと、ちょっと通してもらえますかね?」
不意にあっきーの後ろから覇気のない声が聞こえてきました。
そこには寝癖のついた髪にヨレヨレのシャツを貧相な体に着た、いかにも冴えない風体のオジサンがいました。
「それと席についてもらえますか? HRを始めますので」
どうやらこの人が担任のようです。
「あっ、すみませんでした」
「はい、わかりました」
「うーっす」
私たちはそれぞれ返事をして席……といっても、机じゃなくて卓袱台なので畳に直接座りました。あっきーともっちーは一つ席を飛ばした隣同士でしたが、私は二人の間には座らずあっきーの後ろの席に座りました。だって、二人の間だと二人が口喧嘩したら間違いなく巻き込まれますからね。
ちなみに原作のフラグ人数を思うと夏樹を睨んでいた人数が多いと思われるかもしれませんが、中学校は小学校で一緒だった人も多いから文月時代よりは好意的に見る人間が多いだろうと思って五分の一にしました。