急な変更ですみません。
《ラール・ミーヌ》:《白鳥の湖》と呼ばれる釣りスポットで釣れる魚の名称。A級の価値があり、釣り人ならば、誰もが釣りたいと願う代物。
《オリジナルブレスレット》:形やデザインなどをプレイヤーの好きに作れる装飾品。《はじまりの街》のNPCの鍛冶屋で作れる。そのパラメータは初期武器にも満たな
い。
ショウが攻略会議や攻略戦に行く時間をすべて釣りの時間に費やした。幸いにもショウが、喉が出るほどに食べたがっていた《ラール・ミーヌ》を釣り上げた。
今、ネイトのアイテムストレージには入手困難な《ラール・ミーヌ》が2尾入っていた。
今日、第二十一層の攻略戦から帰ってくるショウにサプライズで祝いをするつもりだった。場所はどこが良いか、やはり料理するなら彼の好きなムニエルにするべきか、彼はどんな反応するだろうか。想像するだけで愉快だった。
夕暮れに照らされる帰路の最中、メッセージの着信音がして、立ち止まった。
ヴェルフからだった。内容は「話したいことがある」それだけだった。彼にしては珍しい文章。こういう日常のちょっとした変化には嫌な予感が過ぎるものだが、今は気分がいい。何なら、ショウと《ラール・ミーヌ》を食べるところを自慢してやろうか、とも考えた。
取り敢えず、泊まっている宿を示した。これで、許可の意を汲み取ってくれるだろう。
「じゃあ、ショウを呼ぶか」
そう思って、メニューを開こうとし、急に手を止まる。逡巡する様子を見せた。
「いや、明日でも良いか。初めての攻略戦で疲れてるかもしれないしな」
そう呟いてメニューを閉じた。宿は直ぐ目の前だ。
数余分後に宿に入り、階段を上って、自分の部屋に入った。窓から見える街の景色に暫く和んでいた。レンガ作りの家が立ち並び、街灯が目立ち始める時間。入り組んだ道は石が綺麗に敷き詰められ、街の中心に聳え立つ時計塔がネイトの密かなお気に入りでもあった。あそこからの眺めを見てしまえば、こればかりは製作者に感謝せねばなるまい、と思うようになる。
頬杖を突いて、窓の景色を眺めている事数分。ドアをノックする音が部屋の中に響いた。
「開いてるぞ」
ドアが開けられる。あの調子の良い声が聞こえてくるかと思えば、ヴェルフは無言で入って来た。
窓から視線を外し、振り返る。苦虫を噛み潰したような表情で佇むヴェルフから話が穏やかならざる雲行きであることを悟った。
居住まいを正し、座ったまま身体ごと向き直る。内容の濃い話なら座り合うことに越したことは無い。ベッドに座るのを促した。
しかし、ヴェルフは唐突に告げた。
「……ショウが死んだ。ボスの攻撃から1人のプレイヤーを庇ってな……」
言葉が重く陰鬱に響いた。
――そして、室内が凍結した。
理解が追いつかない。首を振りながら後退る。
必死に事実を脳裏で挽き潰し、理想を命一杯に並べる。頭の中が雲に埋もれたように真っ白になり、まるで、体の中の何かが死んでしまったかのような絶望感を覚える。
しかし、不思議だった。嗚咽は漏れないし、涙も溢れないが――胸を貫かれたような虚無感と悲壮感があった。
ネイトは唇を噛み、瞼を閉じる。そして、何をすべきかを混乱した頭に問う。
答えは直ぐに見つかった。ゆっくりと瞼を開ける。
その眼は悲しい光を湛え、不可視な未来をしっかりと見据えていた。
*
部屋の中央にはトレジャーボックスが未開封で鎮座している。
白い壁には複雑な四角の凹凸があり、それは床や天井にまで行き渡っている。
トレジャーボックスがそこにあるのが不思議なくらいの無機質さで、何もないと言わんばかりの純白が逆に不安を懐かせる部屋。
この部屋に隠された秘密――トラップの部屋と知ってネイトは足を踏み入れた。
トレジャーボックスを無造作に開ける。突如、けたたましい警告音が部屋を埋め尽くした。この数日で聞き慣れてしまったトラップ発動の合図だ。
出入り口が塞がれ、潔白を証明する壁は赤色に明滅し、壁が開くと、モンスターが次々と姿を現した。
《転移結晶》による脱出や《回復結晶》によるHPの回復という便利な戦いには欠かせない結晶アイテムが全て無効化されるエリア、通称、結晶無効化エリア。そんな鬼畜な設定を孕んだトラップの部屋での死亡率は目を疑うレベルで酷い。
しかし、ネイトにとって、幾つものトラップは全て好機と成り得た。元より背水の陣を覚悟で来て、過激なレベリングを目的としていた為、結晶無効化もモンスターの大群も罠の域に達していない。必要な糧となっていた。
剣を交差させ、目蓋を閉じる。直ぐに閃く、親友の顔。
静かに瞳が開かれた。
――慟哭と刻薄の瞳が光る。
直後、剣が閃き、鋭く軽い音が響いた。
猛烈な勢いで駆け出したネイトが敵陣地に切り込んでいく。
狼がネイトを捉え噛み付くより早く、狼の身体を剣が貫いた。
部屋中にぎっしりと敷き詰められたモンスターが窮屈そうにしている間にもモンスターの数は嘘のような速度で減っていく。
腕が引き千切れる錯覚を抱くほど、剣を猛然と振り続ける。
不意にショウの言葉が再生される。
『お前の分まで生きてやるって台詞、格好いいよなぁ。格好いいと思わね?』
ショウがアニメにのめり込んでいた頃だったか。確か、ネイトは冗談で返事をした覚えがある。
――果たして、どっちだったか。
ネイトは剣を閃かせ、同時に身を捻って猛攻を避ける。
赤い血が弾ける。自分の身と相手の身から。
青白いポリゴン片を切り抜け、咆哮。
どちらともなく蹴りを出し、剣を振り、体を捻って首を巡らせ。時には体当たりも加えた。
迅速な身のこなし。目まぐるしい変化起きる中でネイトはしかと好機を見咎めた。
脳裏に一条の光芒が一閃――カッと見開いた瞳には勝利への道筋が映り込んでいた。
――《ダイヤモンド・インフェルノ》!
炎剣《イフリート》と氷剣《フェンリル》の12連撃。
✕印に炎と氷が交差し、瞬く間に横一線に重なる。車輪の如く体を回転させて、4連撃叩き込む。見る間に炎と氷の剣閃がモンスターをポリゴン片へと変えていく。
前進しながら、2本の剣を同時に振り上げる。振り翳された一対の剣の尖端は天井を見遣り、簡捷に振り下ろされた。
最後のモンスターがポリゴン片となって、飛散。気付けば、真っ白の部屋に戻っていた。
幻であったかのような電光石火の一時。しかし、大量の経験値とコルの獲得を示す画面が表示され、先程の一戦が現実味を帯びる。
だが、荒業を成し遂げたネイトの顔は晴れぬまま俯き、硬直時間が過ぎるのを待っていた。
そして、その足は止まることを知らず、次の戦場を向いていた。
*
ヴェルフはがらん、としていた。最近、ドアのベルが鳴る回数が激減している。その理由は判然としていた。
現在の攻略組と呼ばれるギルド、《英雄颯爽》と《革命騎士団》が揉めているのだ。最前線を戦う彼らが口論する原因は各地を騒がせるPKを積極的に行うプレイヤー通称、レッドプレイヤーの存在だった。
彼らのような危険分子が束ねられ、作り上げられたギルド、《
これの結果、攻略は長く停滞。膠着状態のまま、埒が明かないということになり、近々、決定権を賭けて、決闘することが決まったらしい。
攻略が停滞したことと攻略組の口論がプレイヤー達の興味を惹き、しばしばフィールドや迷宮区にプレイヤーの姿が現れることは無かった。
「どうして争うかねぇ~……」
他人事のように呟いたヴェルフの思考は世間が騒ぐ事件に然程の興味は湧かなかった。
思考を埋め尽くすのはネイトのことばかり。ショウの死を伝えて以後、彼は迷宮区で命懸けのレベリングをしている。
親友の死が彼の合理的思考を潰してしまう程の衝撃で、それを告げた自分にも責任があると分かっていた。だからこそ、今日こそは彼の暴走を止める。しかし、自分にはもう出来ないと限界を感じている。だから、メッセージでアスナを呼んでいた。
間違いなく、今日も一昨日と同じようにしてネイトが武器の耐久値を直してくれと頼みに来るだろう。アスナが来るまでの時間稼ぎをせねばなるまい。彼女は《革命騎士団》の分団長の座として、《
(来た……)
乾いたベルが鳴る。疲弊し切ったネイトはまるで、作業のように耐久値回復を頼み込んできた。
ヴェルフが家具を揃え始めたらしく、その様子を是非とも紹介したいと熱心に訴えてきたので、ネイトは呆れ顔で店の2階に上がった。
2階は、やはり熱心に訴えられるほどのクオリティはなく、黒いソファーとガラスの机、民族的な絨毯、他には質素な棚や花瓶があるだけだった。唯一、称賛すべきは窓から入ってくる風が気持ちいい事くらいか。ネイトは内心で溜息をついた。
下手くそな笑顔を作って、部屋の紹介をするヴェルフを他所にネイトが話を割り込ませる。
「ヴェルフ。……心配してくれるのは嬉しいけど、止めないぞ。俺は」
「……気付いてたのかよ。必死な俺が恥ずかしいじゃねぇかよ」
「……もう10日が立つのか」
「もう5回もここに来てんのにさ……お前がその話するの、初めてだよな。」
暫くの沈黙。ネイトがヴェルフに視線を向けたが、ヴェルフは肩身が狭くなって視線を明後日の方向に逸らした。
「俺のこと……最低な野郎だと思ってるだろ?」
「んなこと思ってねぇよ。泣くの必死に我慢して、命懸けてゲームクリア目指してんだろ? 俺より年下だってのに……むしろ、尊敬するぜ」
「違う……俺には泣く資格がないだけだ」
また沈黙が訪れる。無意識に思考が駆け巡る。
――ショウに攻略を勧めなければ? ショウは生きていた?
――貧弱なパラメータのブレスレットを装備させなければ? ショウは生き残っていた?
――彼が死なない選択肢は幾つもあったはずだ。
自分が死なせたんだ。唯一無二の親友を。
時間は巻き戻せない。彼が死んだという事実は一生変わらない。
逃げ出したくなるほどの責任が圧し掛かって、妙に居心地が悪くなって、ネイトは黒いソファーから立ち上がった。それを止めようとヴェルフが手を伸ばすが、その手は直ぐに止まった。
ネイトは棚の近くで立ち止まり、そこに置かれていた腕輪を指さした。
「なぁ……これって」
「ん? あぁ、ショウが装備してたブレスレットだな。レアアイテムに《メモリ・キーピング》ってのがあるらしくてな、装備やアイテムに使用すれば、死んだときに……」
ヴェルフが察し、口を噤む。目を見開いて、驚き、切ない表情で踵を返した。
「お、客か? ……ちょっと下見てくるわ」
嘘だ。ベルの音は聞こえないし、気配もない。
しかし、気遣わしげな声は妙に快く聞こえた。
「……悪い」
震えた声にヴェルフは確信した。虚勢を張っていた男の背中が小さく、切なく、震えている。
「……素直じゃねぇなぁ……」
階段を駆け下りながら、小さく殺した声は本人しか聞こえないような響きで消え去った。
吹き込む風がネイトの黒髪を揺らめかせる。その間から一瞬、雫が垣間見えた。
「っ……ぅっ、ちくしょう…………」
弦を震わすような声は自らトラップの部屋へ入り込んでいた時を思わせないほどに弱々しい。
ネイトはブレスレットを右手に握りしめていた。そのまま、ゆっくりと屈み込み、胸の奥から不意に止めどなく込み上げてくる悲しみが溢れ出してくる。
果てしなく揺れ動く心から満々と溜め込んでいた悲しみが水のように零れ落ちてゆく。
それはまるで、現実で具現化されたように涙となって絨毯に零れ落ちた。
小さく響く階段を上がる足音。ネイトには嗚咽で一寸も聞き取れなかった。
背後に気配を感じることで、ネイトはようやくその存在に気が付いた。涙を強引に拭い、目元に跡を残しながら、立ち上がる。
「ネイト君……」
「情けないところ、見られたな……」
まだ歪むネイトの視界には、栗色の髪を揺らめかせたアスナが切なく佇んでいた。