ネイトはすべての事情を話し終え、それを黙って聞いていたアスナは聞き終わると同時に堰を切った様にネイトを強引に引っ張って、ヴェルフの店から飛び出した。
それからどうやって、アスナの家に辿り着いたかあまり覚えていない。
アスナが鍵を開け、ゆっくりと家に入るとき、温かな空気が頬を撫でていった。
洋風のレンガ作りの家は平凡な外見を持ちながら、内装は思った以上に豪華だった。
従うがまま廊下を通り過ぎ、ダイニングとキッチンが一緒になった大きな部屋に来た。 アスナは私服に着替え、白いエプロンを重ねて着ると、早速に調理に取り掛かる。
「いつまでそんな格好してるの?」
「ん、あぁ……」
抜け殻のような返事。茫然としたまま、椅子に座っていたネイトは胴当てや剣を外し、青色のTシャツと紺色のズボンと身軽な格好になった。
待つこと数分。包丁の一振りで《ラール・ミーヌ》を切り分け、フライパンで綺麗に焼くと辛みの効いたスパイスを足して、あっという間に完成する。
2つの皿が机に並べられ、向かい側にアスナが座る。
瞬間、鼻をくすぐる香りが部屋一杯に広がった。
お洒落に盛られた青々とした野菜が《ラール・ミーヌ》と色と相性がよく、見た目の良さを助長している。見た目も香り同様に申し分なかった。
「どうぞ?」
「いただきます……」
ヴェルフの店から引っ張り出され、初めてしっかりと声を出した気がする。
フォークで身を切り分け、口に運ぶ。辛味がピリッと口に広がったと思えば、柔らかい魚肉が一度噛んだだけで幾つにも裂け、口の全体を転がる。
「どう?」
「……うまい」
それからは無心で食べ続けた。アスナがこちらに視線を向け微笑みながら、《ラール・ミーヌ》を味わって居ることも知らずに。
彼が食べたかった《ラール・ミーヌ》のムニエル。それは想像していた味より遥かに美味しく、きっと彼もこの美味しさの域を想像していなかっただろう。
口から伝わる温度はどうしてか、生きている感覚を味わわせてくれる。
幸福感と同時に湧き上がる彼を亡くした悲壮感が衝突して、思考が停止する。
それからはあっという間。気付けば、皿の上に身は残っていなかった。
食べ終わり、アスナが洗面台でフライパンやら食器やらを洗う音だけが部屋に流れる。ネイトはというと椅子に座ったまま人の身丈ぐらいの窓から見える景色を眺めていた。
久しぶりの家の温かみ。宿とはまた違う温かさがここにはあった。
同じ屋根の下に人がいて、その人に料理を作ってくれる。現実ではほぼ当たり前のことをこの世界に来て、忘れかけていた。
キュッと閉まる音。水が流れる音が止まった。
「リビングがあるの。そっちに移動しよっか」
「ああ」
ベージュ色のソファーにアスナと腰かけ、窓の外に広がる仄かな明かりが点々とする夜の街並みを眺める。空には満天の星空が広がり、静寂に包まれている。
暖色系の部屋から眺める夜の景色には心を内から温めるような風情があり、眼を閉じたくなるような落ち着きがあった。
瞼を閉じかける。その様子を盗み見たアスナがそっと呟くように声を寄越してきた。
「どう? 落ち着いた?」
日常の生活を過ごした時間がショウの死を意識から薄れさせていった。戦闘に染み込んだ身体もゆっくりと癒されてゆくのが分かる。
この時間はショウの死のことを少しずつ少しずつ薄れさせていった。
「……ああ」
「私、ショウ君が目の前で死ぬところを見ることしかできなかった。私にも責任があるのよ。だから、ネイト君1人のせいじゃない。もっと、私を……皆を頼ってよ。皆、ネイト君の味方だから」
「悪かった……」
「もう1人で無理しないって、約束して?」
「ああ、約束する」
自分はショウを殺した罪人だと思っていた。その罪が少しだけ許されたような気がして、沈んでいた気持ちが楽になった。
「じゃあパーティー再結成しましょう? 明日、迷宮区の探索手伝ってくれるかしら?」
「分かった」
*
2025年 5月20日 第二十二層 迷宮区
この層からフィールド、迷宮区ともに雰囲気はがらりと変わり、乾燥し切った砂漠が主に広がっている。
薄い黄土色の大地を抜けた先に待っていた迷宮区もまた、黄土色の壁に包まれた砂漠の地中のような場所だった。
ネイトは首を巡らせ、あたりを見る。敵は3人。乾燥地帯で特有の服装をした盗賊が曲剣を握り、睨んできていた。
ソロなら、この数は正直言って厳しい。だが、今、自分の後ろにはアスナがいる。これほどの安心感があるとは思いもしなかった。
両翼を広げるかのような構えを取り、突貫する。地を踏みしめ、腹部に力を入れる。
渾身の回転切り。3人同時に巻き込み、怯ませた。間を入れずに《ブリガント》――盗賊につけられた名――に肉薄し、斬り込んだ。4度斬り付けた時点でポリゴン片と化す。
ネイトが先程まで居た場所にアスナが飛び込み、残りの《ブリガント》に高速の刺突を繰り出す。見る間に10回突き刺して、1体をポリゴン片に還した。
ネイトとアスナが入れ替わるように駆け、最後の1体をネイトの剣を交差させる斬撃で仕留めた。
(……やっぱり、だいぶ楽だな)
「ふぅ……片付いたね」
「だな」
見回す。敵の気配はない。
粗々とマッピングされた迷宮区の地図を眺め、ネイトが控えめに発言する。
「ボスの部屋……覗くか?」
「うーん……ちょっとだけなら構わないよね。フィールドが大きく変わったから、ボスの様子も見ておきたいし」
「決まりだな。この道を真っ直ぐだな」
マップに従って道を歩む。
数分後、ネイトの足が止まった。正確には止められた。
行く手を阻む大きな門は丸石で固めらており、どこから開くか想像もつかない。しかし、その奥の部屋から漂う危険な匂いは確かにボスの部屋であることを証明していた。
「どこかに開くための鍵かなんかがあるはずだけど……」
「見当たらないね」
アスナの言う通り、歩いて見ても窪みの1つも見当たらない。地と垂直に丸石が固められているだけでそれと言って怪しい箇所はなかった。
何かイベントが必要なのか。歩き回り、様々な視点からこの一帯を見回す。しかし、目ぼしい物はなく、ここに仕掛けはないという前提で2人は推察を始めた。
「まだマッピングされてないところか」
「結構、あるよね。どうする? 見て回る?」
「時間もあるし、行くか。どうせ、通る道だ。早めに済ませよう」
「うん」
この迷宮区は4階層からなり、全ての階層が完全にマッピングされている訳ではない。
効率を考えた2人は一度、1階に戻り、徹底的にマッピングし、順に探索する形にしようという結論に達した。1階から順に解かなければならないという可能性も否めないのがもう1つの理由だ。
来た道を振り返り、その長い道のりにネイトがそっと溜息をつく。
ボスの部屋への扉を開くための条件があるのはこの第二十二層が初めてだ。もしかしたら、この先にもその仕掛けがある可能性は十分ある。
解き方はまだ分からないが、苦戦を強いられるような場合ならば、このシステムは非常に厄介だ。仮に苦戦を強いられずとも時間の消費は否めない。
浮かない表情で思考を巡らしているうちに1階に繋がる階段まで来た。
その時だった。幾人かの悲鳴が混じって響いてきた。
「何だッ?」
「下から聞こえたみたい!」
「くそっ!」
階段を跳ねるように駆け下り、着地。耳を澄ませ、声のする方へと急いで駆けた。
駆けるたびに増す声量から尋常ではない事態が予測される。もう既にこの辺りからマッピングはされていない未開の地。現に見慣れない景色が続いていた。
立ち並んだ砂岩の柱に挟まれて、規則的に設置される像は中世の騎士を思わせる佇みで甲冑を着ていた。その姿はまるで、動き出しそうなほどに恐ろしい気を放ち、来たる者を脅かす。
しかし、ネイトの頭の中には像を見遣るだけの余白はなかった。
段々と近づき大きくなる悲鳴に途切れるな、と強く願いながら見え始めた光景にハッとする。
目に飛び込んできた広間には無数の盗賊、《ブリガント》とリーダー格に当たる大盗賊、《トップ・ブリガント》の姿があった。それに取り囲まれるは悲鳴を上げた主たち、合計6名のプレイヤーが同じ服装に身を包み、怯えていた。
「おいっ、早く《転移結晶》を使えッ!」
後から駆け付けたアスナがその光景を見て、絶句すると共に驚きの声を上げた。
「あの制服……ネイト君、あの人たち《革命騎士団》だわ!」
「知り合いか?」
そういえば、アスナは分団長だった、と後から気づき、ネイトは後ろ頭を掻く。
「ううん、でも間違いない。最近、団体を意識するために制服が作られたんだけど……」
そんな事情はどうでもいい。頭を過った言葉がアスナを余計に焦らせる。
目の前で怯え震えながらも、剣や斧、盾を構える6名の《革命騎士団》の団員たちのHPバーは赤色、危険域に達し、死がすぐそこに近づいていることを示していた。
彼らが危険な立場に居ることは間違いない。そして、彼らが攻略組であることも。つまり、《転移結晶》は持っている筈。ならば、何故使わないのか。答えは簡単、使えないのだ。
(結晶無効化エリアか……!)
こちらに何名かの視線が向き、一瞬、その眼に希望の光が差した。分団長を担うアスナの実力と人格を知り、この絶望的な場面を切り抜けられる道筋を垣間見たのだろう。
しかし、皮肉にもアスナは躊躇っていた。全てを助けようとする意志を掲げる人格者でも死を恐れない訳ではない。この状況を客観的に理解していたアスナは恐怖と良心が葛藤していた。
ネイトも同様に心の中の複雑な感情に足が止まっていた。
そんな時、死を関連付けて、ショウの死が頭を過った。
瞬間、脳裏を電流のようなものが閃く。
「……なぁ、アスナ」
途端に響く小さな声。アスナはこれを聞き逃さなかった。
「……何?」
アスナはネイトの次の言葉を聞くより早く、内容を予感し、背筋に冷たいものを感じた。
「早速、頼って良いか?」
「……もちろん。構わないわよ」
「合図から5秒後……俺が斬り込む。後に続いてくれ」
「分かったわ。気を付けてね……」
返事はできない。ネイトは聞く耳を持たずに合図を送る。
5秒後、ネイトは敵陣へとその身を投げ出す。ゆらりゆらりと揺れる《ブリガント》の曲剣が妙に恐ろしく見えた。それと同時に嫌な景色を予期し、身をぶるっと震わせた。
5秒が経った。ネイトが血相変えて身を沈ませる。
「絶対、死なないで」
「ああ、そっちも――なッ!!」
全速力で駆け込む。
無数の敵を切り裂き、鬼の如き形相で敵陣を駆け抜ける。
一対の剣が織り成す光跡の模様を追うように細剣が正確無比にモンスターの急所を突き、様々な方向に突き出す。それはまるで、花火が爆発した瞬間のよう。
ネイトの足が転瞬止まり、進路を垂直に変更する。その後を続いていたアスナがそのまま、突き抜け、敵と団員たちの間合いに割り込んだ。
「私たちが道を作ります。走る準備をして下さい」
荒い息の混じった声の勢いに気圧されたように団員たちが無言で頷く。交替でポーションを飲みながら、命の安全を確保し、その間にアスナが激しく駆け回って、敵の接近を妨げた。
一方でネイトは敵陣の最中で1対の剣を振り回し、攪乱を誘う。斬撃を剣で防ぐ度、曲剣が体を掠る度、ネイトのHPバーが微々に削られる。
一瞬の戸惑いや手違いが命を大きく削る緊迫感に追われながら、ネイトは冷静沈着に全方位から嗾ける攻撃を防ぎ、躱し、受け流す。攻撃を見に受けたとしてダメージを最小限に抑えていた。そして、この激しい防戦の間々に反撃を挟んだ。
「……っ!」
死角から背中を斬られた。体が前に押し出され、目の前に曲剣が迫る。
紙一重。瀬戸際を曲剣が過ぎる。悪寒に恐怖を駈られ、しかし、負けまいと地を踏みしめ、基本突進ソードスキル《レイジスパイク》を放つ。明るい青の閃光が敵陣を駆け抜ける。
更に勢いに乗せて、2本の剣を振り翳し、地に振り下ろす。刹那、《バッシュ・ウィンディ》の強烈な衝撃波が放たれた。ネイトを中心に半球形に広がった衝撃波がモンスター達を吹き飛ばし、怯ませる。
「今だッ! 走れッ!」
空いた空間に繋がる道を強烈な刺突、《リニアー》で抉じ開けたアスナが6名のプレイヤーを連れて部屋から脱出する。硬直化したネイトと立ち止まったアスナを置き去りに6名のプレイヤーは急いで遠ざかった。
硬直が解ける直前のネイトに曲剣が振りかかる。高い金属音と共に曲剣は明後日の方向に弾かれた。弾いた物の正体はアスナの細剣だ。
ネイトは《観察》スキルで目まぐるしく首を巡らす。次の瞬間、《観察》スキル特有の音が脳内に響いた。見つけた内容が脳内で速読される。
「アスナ! 《トップ・ブリガント》だッ!」
その短縮された言葉だけで意図を理解する。ネイトの後に続き、《トップ・ブリガント》だけを目掛けて駆け抜ける。
目にも止まらぬ連撃で《トップ・ブリガント》への1本道を抉じ開ける。その道をアスナが疾走した。
「《パイルストーム》」
熾烈な刺突が暴風雨の如く、《トップ・ブリガント》の体へと突き刺さる。しかし、倒し切るには至らなかった。相手に3秒ほどの硬直時間を強いられたのが幸いの出来事だった。
アスナの真横を過ぎ去り、ネイトが飛び出す。即座の行動であったが、《トップ・ブリガント》の硬直は解けていた。
ネイトは既にソードスキルの予備動作へと入っている。防御は間に合わない、かと言ってこの好機を逃せば、次はない。捨て身の覚悟だった。
恐ろしい速度で迫る曲剣がネイトの袈裟から入って、脇腹を過ぎる。
ソードスキルが中断された――が、諦めない。次の手は打ってある。
《ダブルサーキュラー》による突撃の2連撃。突進の勢いを乗せた突きからコンマ1秒遅れてもう片方の剣で切り裂く。勢いを殺さず、怒濤の猛攻を仕掛け、遂に《トップ・ブリガント》が散った。
その次の瞬間、思い出したかのように部屋に掃いて捨てるほどいた《ブリガント》が矢庭にポリゴン片となって、各地で爆散した。
束の間の後、4階の門が音を立てて、動いたのを彼らは知る筈もなかった。