逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん- 作:坂下郁@リハビリ中
見上げた先に立つ、血塗られた一振りの刀を持つ大柄な男。良く知っているはずの男だが、何かが違う。呼びかけた名前に、首を横に振り、しばらくぶりに見る優しげな笑み。しばらくぶり…? 春雨の脳裏によぎった感想が直感的に何かを告げる。その間にも、刀の男は次々と敵の兵士を斬り伏せてゆく。
「春雨…さっさと終わらせて帰ろうな」
「
春雨はそれ以上言葉を継げず、ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、差し出された手を掴み、立ち上がる。
解離性同一性障害ー本来不可分なはずの人格が解離した結果、より強い負の感情に突き動かされたナンシューが支配的に表出し続けていた。だからこそ春雨は、南洲と共に歩み続けた。自分のために全てを失った男に何が返せるのか-自分の全てを差し出し、どのような道でも寄り添い続け、共に死ぬ事。そんな決意の元、南洲の全てを受け入れ続けてきた春雨だが、ウェダでの日々の輝き、中心にいたヨシクニの存在は、いつも心の奥深くにあった。その失くしたはずの輝きが帰ってきた、その思いに心が揺さぶられる。
南洲はすうっと目を細め、視線の先に仁科大佐を捉え続ける。
「…あれで平気とはね。少し手間がかかりそうだな」
斬り落とした傷口はすでに塞がり出血も止まっている。それを見た南洲が怪訝な表情を浮かべる。平正眼に刀を構え直し、相手の僅かな動きにも対応できるよう静かに注意を払う南洲に、満面に憎悪を浮かべ仁科大佐が叫ぶ。
「ふううーーーーっ、驚かせてくれますね、槇原南洲。ですがその程度で私に勝ったと思うのは大きな間違いです! いいでしょう、まずは貴方から始末し、次に春雨、そして他の艦娘達を念入り―――」
ごく自然な、それと気づかれない巧みな足さばきの右足で距離を詰める南洲。そして仁科大佐が春雨の名を口にした瞬間左足で飛び掛かるように踏み込む。一足飛び、と呼ぶには遠い距離を縮地で一気に詰め、その間に紫電の三段突きが送り込まれる。本来この技は、相手の居る場所、躱す中途、躱し終え、この三つの動作の全てを攻撃する連続技である。だが、南洲の強化された肉体は、その三本の突きをほぼ同時に送り込む。
「な、なんという無頼漢振りっ! 紳士が話をしている時は最後まで聞くのが礼儀でしょうっ!!」
右腕は右肩から斬り飛ばされ、左脇腹と左首筋には深い刺創-強烈な刺突により重傷を負いながらも致命傷だけは避けた仁科大佐は、それでも南洲への非難を止めようとしない。その全てがみるみる修復され出血が止まる。
「最後に首を落とすはずだったんだがな。躱されたのか外したのか…面白いな」
南洲は薄ら微笑むと、ひゅんっと風切音を残して刀を振るい、刀身に残る血を払うと、甲板に転がっているマガイの死体に目を止め、その着衣で刀を拭い脂を落とす。そして納刀し、仁科大佐に正対する。
艦娘の艤装、陸奥の四一cm連装砲の力を振るう仁科大佐だが、今回のように船上での、しかも近接戦闘となるとその力を十分に発揮できない。砲撃は行えるが、その力は自分の足場となる母艦をも破壊してしまう。そうなると、艦娘と違い水上機動を取れない
忌々しそうな表情で南洲を睨む仁科大佐がゆらり、と動き出す。ただ単純に、異様な速さで南洲に迫り、残った左腕で力任せに殴りかかる。依然として南洲は八方眼で見るともなくその動きを観ている。
きんっ。
鯉口が切られた音がした以上抜刀したはずだが、南洲はすでに納刀の体勢に移っている。一体何をされたのか分からない―――そんな表情で、斬り落とされ血を噴き出す自分の左下腕の中ほどを呆然と見つめる仁科大佐。
首を左右に動かし、こきっと音を立てる南洲。
「なるほどね、今の俺は
長らく眠りについていた主人格のヨシクニにとって、扶桑の組織を移植された後の体で実戦を戦うのは初めてとなる。記憶にある自分の身体能力と実際のそれが合致せず、しっくりこないまま序盤を戦っていた。特に感慨もなく、ただ淡々と自分の死を既定事項として話す目の前の相手に、仁科大佐は恐怖した。そしてくるりと背を向け一気に逃げ出そうとする。
「槇原南洲、ソードマスターとは聞いていましたが、これほどとはっ! 形振り構ってられません、戦略的撤退っ! おおすみに移乗して砲撃でくらまごと沈めてあげまぁぁああっ」
「ナンシューナンシューうるさいな、俺は
一気に逃走を図った仁科大佐だが、それは果たせなかった。仁科大佐が動き始めた刹那、甲板に両膝を付くように膝を折った南洲は、普段とは逆に、左足を後方に引き身体を捌くと同時に刀を抜き出し、仁科大佐の左膝下を外側から薙ぐように斬り捨てる。本来は追い打ちとして体を起こし左足を出し真っ向より斬る型だが、南洲は低い姿勢のまま刀勢を利用し、今度は内側から右膝下に斬撃を送り込んだ。ほぼ同時に両膝から下を切断され、慣性の法則に従い膝から上の部分が甲板を滑る様に転げてゆく。
南洲はすたすたと無造作に仁科大佐へと近づく。四肢を斬り飛ばされた仁科大佐は、仰向けのまま空を見上げている。というよりそれ以外の事ができる状態ではない。一方春雨も、一連の成り行きを呆然と見守るしか出来ずにいた。圧倒的な攻撃に援護の糸口さえ見つけられなかった。
「まさか首を刎ねても生きてたりしないよな?」
南洲が刀を振りかざし、そして後方に飛び退く。仁科大佐と南洲の間に、遠くから高速で放り投げられた白い塊が叩き付けられる。ぐぅっ、と短い悲鳴を漏らしたそれは、扶桑と戦っていたはずのビスマルクの、大破とも呼べない程の凄惨な姿。体を起こそうとするが、片腕でうまく体を支えられずに甲板にべちゃっと潰れるように倒れ込み、再び立ち上がろうとする。慌てて駆け寄ってきた春雨に支えられながら、気丈に微笑み強がりめいた言葉を南洲に向ける。
「…変な所を見られちゃったわね。派手にやられたように見えるかもしれないけど、ちょっと油断しただけなんだからっ! こんな傷、入渠すればすぐ治るしっ。ナンシュー、気を付けてね。フソーは強いわよ…ナンシュ-、聞いてるの?」
南洲の目を覗き込んだビスマルクが凍りつく。まるで知らない人を見るような目で、自分を冷たく見下ろす大柄の男。
「…春雨、
「はあっ!? ナンシュー、そういう冗談は笑えないわよ」
-おいっ、ビスマルクは俺のおん…大切な家族だっ! ヨシクニッ、さっさと全員連れて退避しやがれっ!
春雨がぶんぶんと首を大きく横に振り南洲の言葉を否定し、堪らずビスマルクが抗議の声を上げる。
「何なのよまったく…
春雨もまた動揺しているようだ。一体何が…気を抜くと痛みがぶり返すが、ビスマルクにとっては目の前のナンシューの異変の方が気になる。
「
その言葉に今度はビスマルクが激しく動揺する。春雨に取りすがり必死に説明を求める。
「なっ! ヨシクニってどういう事なのっ!? まさか…そんな…。ねえっ! ナンシューは、ナンシューはどうなったのよっ!?」
静かに首を横に振る春雨。仕草は先ほどと似ているが示す意味は大きく違う。絞り出すような声で、春雨がビスマルクの問いに答えようとする。
「ナンシューがどうなったのか、私にも…分かりません。ただ、今目の前にいるのは本来の
ビスマルクはこぼれそうになる涙を必死にこらえながら、キッとした強い視線を南洲に送る。
「返してっ!! ナンシューを返してよっ!! ナンシューは、私たちと…私と一緒に歩いてゆくのよっ!! 」
南洲はビスマルクの悲痛な叫びに何も答えないが、すうっと視線を自分の胸板あたりに彷徨わせる。
-ヨシクニ、今更何のつもりだっ!? 余計なマネするんじゃねーよっ。
「…自分の中で声がするのは、煩わしいもんだな。それより、
半覚醒とも半消失とも言える状態だが、依然としてナンシューはヨシクニの中で足掻いている。ヨシクニは自分の中に別な自分がいる状態を初めて体験し、戸惑いながらナンシューに相対している。傍から見れば独り言を呟いているようにしか見えず、その間に影が現れる。
「これも一応お返ししておきますね。やっぱりその腕じゃないと、ダメみたい」
近づいてくる白い巫女服と赤いミニスカート姿の片腕の女-扶桑。キャッチボールでもするように、左手に持ったビスマルクの右腕を軽く放り投げてくる。反射的に春雨とビスマルクが視線を上に向けた瞬間、扶桑が風を巻いて突進してくる。一方冷静に扶桑の動きを見つめていた南洲は、扶桑の右腕側に最小限度の動きで体を躱す。左腕しかない扶桑に取って右側は近接戦闘時の死角になる。が、すれ違う刹那に展開された扶桑の艤装、背後に現れた試製四一cm三連装砲の砲身でしたたかに殴り飛ばされた…かのように見えた。
避けられないと判断した南洲は自分から大きく跳び、打撃の衝撃を逃がす。着地と同時に抜刀し、次の扶桑の動きに備える。
-扶桑っ、止めろっ! 今、助けるからなっ!
「扶桑…哀れだな。…春雨のためにも
真逆の思考と言葉、一つしかない身体。既に刀は抜かれている。
しばらく別な作品に集中してたので久しぶりの投稿になりました。残りあと6話(予定)、頑張りますのでお付き合い頂けますと嬉しいです。