速水奏にまつわるエトセトラ   作:ふぉるせな

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2017/4/15 誤字脱字及び一部文言の修正


5.アイドルの休日

 ねぇ、プロデューサーさん。

 あなたが私の頬に触れたその指先、とても温かくて、そして優しかったわ。

 あの時、目を逸らしたのはね……怒っていたからじゃないの。

 恥ずかしかったから……かな。

 まさかあなたが触れてくるとは思ってなかったから戸惑ってしまって、あなたの顔をまともに見ることが出来なかったの。

 気づいてくれたこと。心配してくれたこと。本当に嬉しかったわ。

 私としてはただ心配してくれるだけで充分だったのに。

 

 どうしてかしら。あなたっていつも予想を越えて無防備な私の心に入ってくる。

 一糸纏わぬ素肌の私の心の中に。

 なら一層のことそのままあなたに身を委ねてしまいたい……けれど、約束したものね。

 大人になるまでは"この気持ち"に名前を付けないって。

 "その名前"が何なのかわかりきったことでもあっても口にはしないって。

 だから私は"自分の想い"を包み隠すしかないのよね。

 たとえ胸を裂くような痛みに襲われても平気なフリをするしかない。

 

 そう、アイドル・速水奏として。

 

 うまく演じられているかはわからないけども、あなたとの約束は守るわ。

 とは言え思春期の17才にそんなことをさせるなんて、ほんと悪い人ね。

 だけど、そんなあなたを私は……。

 

 ……………

 

 …………

 

 ………

 

 ……

 

 …

 

 窓から差し込む朝焼け。そして部屋中に携帯電話のアラームが鳴り響く。そんな中で私は眠りから覚めた。目覚まし代わりにセットしていたアラームに起こされ、少し不機嫌になりながら私はそれを止めた。

 何の夢を見ていたのかさえもうわからない。ただどこか心地が良くて、少し寂しさ覚える夢であったことを、意識というよりは体の方が覚えていた。頭ではなく、体の中から蘇る感覚。ただそれも頭が覚醒するとともに次第に薄れていってしまう。

 すべてはいつものことだった。

 気付くと時計の針は九時を指していた。今日は休日だからいつもよりも遅く布団に潜っていられると思ったのも束の間、私はすぐに思い出す。今日は買い物に行くと決めていた。せっかくプロデューサーさんから与えられたオフなのだから外に出て羽を伸ばすんだって。

 そこからは早かった。ベッドから体を起こしてすぐに顔を洗い、朝食を作って身支度をし、そして返事は無いとわかっているけど「いってきます」のその一言を家に残して外へと出掛ける。

 

 会話の少ない家庭だった。両親は健在だし、どちらが不義理を働いているわけでもない。でも、放任主義が過ぎるというか、子どもに興味が無いみたいで。いや、自分のことにしか興味が無い、そう表現するのが正しいかもね。二人とも仕事が優先。誕生日とか祝ってもらったことあったかしら、あまり覚えてないわ。だから、私がアイドルになるって決めたときも驚かれなかったのよね。好きにしなさい、と言った態度。

 でも、一言言われたわ。「恥をかかせるようなことだけはするな」ってね。私が何をするにしてもこれだけはいつも事を欠かさず言うの。

 大丈夫よ、あなたたちの娘は完璧だから。私は完璧であり続ける。

 それはプロデューサーさんと出会ってからも変わらない、私の有り方。それは私を縛る楔のようなもの。

 ただあなたと出会ってから変わったものもある。決して孤独じゃないって。人は繋がって生きていけるってことを知ったわ。

 

 

 電車を乗り継ぎ、駅を降りると街は人混みで溢れていた。若いカップルもいれば、高齢の夫婦もいる。家族連れましてや、私のように一人で来ている人たちもいる。

 人々は何を求め街に繰り出しているのだろうか。

 そう言う私はと聞かれれば買い物に行くとは決めていたけども、実際に何を買うかまでは決めてなかった。フラフラしていれば何か見つかればいいな、くらいの思いであったのが正直な話。

 だから私は雑踏に紛れ、街の中を当てもなくさまよい歩いている。まるでドラマのヒロインにように。行き交う人混みをかき分け、私は歩みを進めていく。でも誰も私の存在には気づかない。今あなたたちの横を通り過ぎたのはアイドルの速水奏だというのに……なんてね、自意識過剰かしら。だって今の私は17才の女子高生。どこにでもいる普通の女の子だもの。

 そんなことを考えていたら、ショーウインドウに映る自分の姿が目に入り私はその場に立ち止まった。

 ねぇ、プロデューサーさん。アイドルではない今の私はあなたの瞳にはどう映っているのかしら。歳も離れたあなたにとって17才の女子高生は単に若いだけの子どもかしら。

 するとショーウインドウ越しに私の後ろを通る男の人が見えた。私はすぐに振り向き、堪らずその人を呼び止めたい、そんな衝動に駆られた。すぐにこの腕を伸ばして声を掛けたかった。だってその人、プロデューサーさんに姿が似ていたんだもの。

 でも居るはずが無いじゃない。今日は休日出勤ってボヤいていたものね。人に休めって言っておきながら自分は働いているなんてどうかしているわ。

 そんなあなたに似た人の遠ざかっていく背中を見つめ私は胸の中であなたに問う。

 

 プロデューサーさん。街で私とすれ違っても気づいてくれる?

 どこにいてもどんなに離れていても私を見失わずに探し出してくれるかしら?

 なんて、聞くまでもないわね。

 あなたならきっと見つけてくれる。

 だってあなたは世界中から私を探し出して、アイドルにしてくれたじゃない。

 こんなにも広いこの世界で、ちっぽけな私たちは出逢えたのよ。

 もう私たちの点と点は一本の線で繋がっている。なら容易いはずよ。

 私たちの出逢いは偶然だったかもしれない。

 だけど、ひとつの偶然はいつかの必然に繋がっている、そう感じてならないの。

 何の根拠も無いんだけどね……信じているわ。

 

 うふふ、笑っちゃうわね。アイドルがどれだけ担当プロデューサーの心配をしているのかしら。裏を返せばそれだけあなたは私の心を占めているってことよ。絶対に責任取ってもらわなきゃ割に合わないわ。

 それにしても何か無いかしら。顔を見なくてもあの人だってわかる方法が。目に見えなくてもあなたを感じる手段が。

 その時ショーウインドウの奥にあるものが目に止まった。"それ"はまさに今の私が望んでいたものであった。

「これだわ」

 やはりすべての事象は繋がっているみたいね。そして私は"それ"を求めて店内へと足を踏み入れた。

 

 

 夜の公園はどこか幻想的。外灯、街のネオン、煌めく噴水。昼間のさわやかな風は冷気を帯び人肌を欲する風に変わっている。日常と非日常の狭間にいるような感覚に囚われ、まるでシンデレラになった気分。

 私は噴水の前で待っていると、程なくしてプロデューサーさんがやって来た。

「わりぃな」

「今度はちゃんと来てくれたのね」

「だから前の件に関しては謝っただろ、勘弁してくれよ」

「もう冗談よ」

 この話をすると本当に辛そうな表情をするから、私はこれ以上深堀りはしないことにした。

「車で来たの?」

「ああ。近くの駐車場に止めてある」

「わざわざご苦労さまね」

「お前が呼び出したんだろ」

 相変わらず軽口の応酬を重ねる私たち。これは挨拶みたいなもの。

「で、どうだ。今日はゆっくり出来たか」

 声には出さないけど、私は首を縦に振る。

「それは良かった。最近またずっと根を詰めているようだからな。休めるときには休まないと」

「休日出勤している人が言っても説得力無いわよ」

「それに関しては何も言えんわ」

「もうプロデューサーさんったら」

 どうにもおかしくて二人して笑い出してしまった。こうしたプロデューサーさんとの何気ない会話さえ愛しく思える。

「そう言えばプロデューサーさん」

「どうした」

「これもらってくれるかしら」

「え?」

 私は後ろに隠していた小さな包みをプロデューサーさんに渡した。

「おお、なんだなんだ」

「開けてみて」

 ゆっくりとリボンを外し、梱包を解いていくプロデューサーさん。

「……香水?」

「そうよ、プロデューサーさんにプレゼント」

 プロデューサーさんはまじまじと香水のパッケージを見回していた。

「これブランドものの高いヤツじゃないか。いいのか、給料入ったばっかりだろ」

「いいのよ、たまにはお礼がしたくて」

 それにこれは私自身のためでもあるの。

「なんか、わざわざすまないな……」

「もっと言い方があるでしょ、プロデューサーさん」

「あー。ありがとう。大切に使わせてもらう」

 その言葉を聞けただけで、今日のすべてに価値があったわ。

 この香水はね、あなたのために捧げる、私だけの香りなの。そう、私だけの。誰にもあなたを渡したくない意志表示。マーキングみたいなものかしら。志希みたいって言ったら志希に怒られちゃうかしら。でも、香水は志希の専売特許ってわけじゃないでしょ、だったら私だってね。

「ねぇ、その香水。せっかくだからここでつけてみて」

 プロデューサーさんはまずは手首に香水を馴染ませ、そして首元に香りを染み込ませていった。

「ああ、なんかこの匂い良いな」

 その言葉に私は我を忘れプロデューサーさんの胸元に飛び込んでいった。普段はここまで出来ないのに、どうかしているわ。これが雰囲気に飲まれるってことかしら。

 この公園は恋人たちが集うデートスポット。周りを見渡せば、カップルたちが各々の世界に浸っているのがわかる。夜の雰囲気が、香水の匂いが、そしてあなたの存在が私の衝動に火をつけた。

「おい、奏」

「……少し、少しだけ。お願い」

 プロデューサーさんは戸惑いながらも腕を後ろに回し、ほんの少し力を入れて抱き締めてくれた。あなたの大きな身体に包まれ、あなたに捧げた香水の匂いは一瞬で私の体温を高まらせる。

 たった一瞬の、刹那のような時間であった。でもそれさえ私にとっては永遠に思えるの。そのほんのわずかな想い出さえあればそれだけで生きていける、そんな気がした。

 けれど、私はそれ以上を求めてしまった。誘惑に負けて禁断の果実を求めたアダムのように、私はプロデューサーさんに顔を近づけ、そのまっすぐな瞳を見つめた。触れたい、あなたのその唇に。

 ……結果はわかりきったことだったけども。

「ダメだ」

 そう言ってプロデューサーさんは私の身体を引き離し距離を取った。

 ええ、知っているわ。あなたは理性のある人。でもそれが女にとってどれだけ残酷なことか知っているのかしら。

「わかっているわよ。ちょっとプロデューサーさんをからかっただけ」

「はいはい、言ってろ」

 もはやバレバレのつよがりを言ってみせた。これは合図。「これ以上は求めない」という暗黙の了解。私のほんのちょっとの勇気もここで終わり。

「自分で選んでおいて言うのもなんだけど、本当に良い香りね」

「センスあるな」

「当然でしょ、ちゃんと普段から使ってね」

「そうさせてもらうよ」

 そう言ってプロデューサーさんは何気なく腕時計に目をやった。そして私は悟る。

「もうこんな時間か」

「そうね。明日の例のあれは昼一からでいいのかしら」

「ああ」

 シンデレラタイムもそろそろ幕を閉じる時間なのだと。

「じゃあそろそろ帰るわ」

「おやすみなさい、プロデューサーさん」

「ああ、おやすみ」

 そう言って去っていくプロデューサーさんの姿が見えなくなるまでずっと私はその背中を見つめていた。

 

 何も恐れることなんてないわ。

 今はもう違う。ただただ欲しいと嘆いていたあの頃とは違う。

 今はもう答えが傍にある。

 この見渡す限りの夜空を見つめ、笑みを浮かべられるだけの強さが私にはある。

 だから大丈夫。

 それに明日また会えるんだから、今はそれでいいよね。

 

 

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