俺はプロジェクトルームで資料作成に追われ、ひたらすパソコンのキーボードを打ち込んでいた。
外からは季節の変わり目に降りしきる雨音が聞こえる。叩きつけるようなその轟音は集中力を欠くほどに耳障りだった。天気予報では今晩には雷雨になるとも言っており当分止みそうには無かった。
まだまだ雑務が終わらないし今日は帰るの面倒だからこのまま会社に泊まるかな。そう思うほどに最近は忙しい。
自分の抱えている担当アイドルたちには着々と大きな仕事が舞い込んできている。特に速水奏は先日の音楽番組の生放送の反響は凄まじく、番組の直後から取材、番組、イベント出演依頼などが殺到した。
まだ奏は学生なため極力学校を休ませたくはない。だからと言ってせっかくの機会を失わせるのももったいないので、どうにかいくようにスケジュールを調整しなくてはならなかった。
学校は行けるときに行くべきだ。大人になってしまったら行きたくても行くことができない。大概大人になって後悔するんだ……。
俺が頭を抱えている傍らでプロジェクトルームでは橘ありすと鷺沢文香がソファに座って何かのゲームをしていた。その横で二人の様子を塩見周子がニヤニヤしながら見ていた。
聞こえてくる内容としては、どうも推理物のゲームのようだ。出題側が手持ちのゲームブックに従って事件の状況と容疑者の発言を説明する。解答側がそれらの矛盾点を見破り、容疑者のアリバイを崩すもしくは固めるゲームのようである。
「論破です」
元気に叫ぶありすの声が聞こえる。このゲームではチェックメイトと同じ意味らしい。楽しそうで何よりだ。
と、集中力を切らせつつもなんだかんが悩んでいる俺に周気づき子がこちらにやってきた。
「なんか今日の雨はすごいね」
「悪いな。こんな天気の時に打ち合わせで」
「いいよ、仕事だし。それより順調?」
「お前らが頑張ってくれているから順調すぎて忙しい」
「なら、もっと頑張ってプロデューサーさんを苦しめてあげよっか?」
「勘弁してくれ。と言えないのがツライところだ」
最近ではこいつらのためなら多少は面倒でも頑張らねばと思えるようになっていた。
「奏ちゃん。もうトップアイドルの仲間入りだね」
「むしろこれからが正念場だろ」
「あーあ。置いてかれちゃうな~」
「何言ってる。お前だってこれから忙しくなるだろ。小早川さんとの仕事も決まったことだし」
「まあーね」
と、周子はおどけてみせた。
小早川紗枝。京都出身の周子と同郷のアイドルだ。
先日の奏とつかさちゃんの活躍によりうちの事務所に注目が集まるようになった。番組側からは定期的にうちのために枠を作ってくれるとの確約まで得た。その次鋒として今度は周子と小早川さんが選ばれたのだった。
「まあ次は小早川さんのプロデューサーに一任しているからちゃんとやれよ。くれぐれも向こうのプロデューサーを二人でからかうなよ」
「はいはい、よろしゅーこ」
アイドルたちをどう売り出していくのかという長期的なロードマップの再編が急務となった。正直ここまで反響があるとは思ってもみなかったためアイドル一個人だけではなくプロジェクト単位で今後の方針を大きく見直す必要が出来てきた。一過性の流行にすることなく、その後でも生き残る人材にするための長期的な計画を迫られている。
「でもよかった。奏ちゃんはもう大丈夫そうだね」
「……すまないな。本当にお前には心配を掛けた」
「気にしなくていいよ。あたしとプロデューサーさんの仲でしょ」
何てことを話しているとプロジェクトルームのドアが開き、制服姿で雨に濡れた速水奏が入ってきた。
「ほら。噂をすればなんとかってやつ」
「イチゴが好きな人に悪い人はいません。論破です」
ありすと鷺沢さんのゲームはまだ続いていたようだ。どんな重罪を働いても橘ありす裁判官の前でイチゴ好きを主張すれば減刑してもらえるということか。
「あら、ありす。おはよう」
奏は傘立てに傘を置くと、元気いっぱいのありすに声を掛けた。
「あわわ。奏さんおはようございます。こ、これは違うんです」
「いいのよ、ありす」
「おはようございます。奏さん」
続いて鷺沢さんも奏に声を掛けた。
「おはよう。文香」
なお、今は夕方である。業界なりの挨拶だ。
「やっほー! 奏ちゃん元気してる? 雨も滴るイイ女だね」
「なにそれ周子。まるでフレちゃんみたいに」
と、言いつつもまんざらでもない様子であった。
「プロデューサーさん、おはよう」
「おう」
俺は挨拶もそこそこに散らかっているデスクから『速水奏』と付箋の貼られているクリアファイルを渡した。
「すまんが目を通してくれ」
「わかったわ」
内容は城ヶ崎美嘉と洋画の試写会にスペシャルサポーターとして壇上でトークをするといった仕事である。
周子は空気を読んだのか奏を一人にすべく、またありすと鷺沢さんのところに戻っていった。
「おっ、名探偵ありすちゃん大活躍」
そう言いながら周子はありすにちょっかいを出し始めた。
「うっわ、何するんですか周子さん。どこ触っているんですか」
でも、まだ周子ひとりで良かったな。多分フレデリカが居たらもっとドイヒーなことになってそうだ。
奏は渡した資料を一読すると、
「試写会の後に囲みもあるのね」
芸能レポーターたちに囲まれて立ちながら質疑応答を行う取材のことだ。イベントとは関係ないプライベートに関する下世話な質問もしてくるやっかいなアレだ。
「美嘉、大丈夫かしら」
奏はどんな質問がこようと臨機応変に軽々とかわすことが出来るが、美嘉は色恋沙汰の質問になった途端焦ってしまうカリスマギャルあるまじき純粋さを持っている。
「そこはお前がフォローしてやれよ」
「そうね」
頼りにしているぞ。
「プロデューサーちゃん居るー? マホちゃんに言われてつかさちゃん連れてきたよ」
今度は大槻唯が桐生つかさを連れてプロジェクトルームにやってきた。
「どうしたの、つかさ」
奏からしたらつかさがここにいることが不思議なようだ。
「あれ? あいつから何も聞いてない?」
と、つかさちゃんは奏に告げて不思議そうに俺の方を向いた。
「そうだ。忘れてたわ」
それくらい最近は忙しい。
「わりぃわりぃ。そのついでにつかさちゃんから説明しといてくれ」
「はぁー。ホント駄目な大人だな」
そう面倒くさそうにつかさは頭を掻きながら言った。
「要約すると一度だけのユニットのはずが、また当分つるむことになるって話だ」
「……そう」
「あれだけ注目を集めたんだから当然だな。うちとしても話題がピークのうちの顔を売りたい。またメディアもアタシたち二人の"絵"を欲しがるはずだ。だから当面はそれに乗って二人で活動しつつ、うちの他のアイドルもちょっとずつ引き連れて勢力を拡大するって感じらしい」
その第一弾がまさに周子と小早川さんのそれだ。
「だったら」
と、奏は先程渡した美嘉との仕事の資料をつかさに見せた。
「そこはバランスの問題だな。供給過多ではすぐに飽きられてしまう。極力話題を一極化させないことも大事だしな」
先日の話題だけをイベント系で引っ張るのは正直弱い。それに……。
「特に試写会とかの仕事は宣伝が基本だ。クライアント側もこちら側も。映画の番宣のためにクライアント側も今ホットな奏の話題性を活用したいと考えている。ならばこちらも出演する以上のメリットが欲しいところだ」
つかさの言葉に奏もティン……ピンと来たようだ。
「だから美嘉なのね」
「そうだ。城ヶ崎美嘉はうってつけだ」
奏と美嘉はLiPPSとしてユニットを組んでいる。ここで今話題の奏とカリスマがユニットを組んでいるとなれば、
「集客力のある城ヶ崎美嘉を持ってくるわけだからさすがにクライアント側はイヤとは言えんだろ。先日の番組を見ていていない客も考慮すると圧倒的知名度を誇るJKアイドルを添える方が話題の幅が広がるってわけだ」
「なるほどね。それなら私たちが二人で出るタイミングはいつなのかしら」
奏から当然の疑問が上がる。
「あくまでアタシたちだ出るのは視聴率の稼げるゴールデンタイムの番組だけだそうだ」
「その都度歌わされるのかしら」
「そこは当面無しだ」
ここは俺が口を出すことにした。
「専務はあの日のことは伝説にしたいそうだ」
「ああ、それな。専務らしいな。確かに安売りはしない方がいいな」
「そうね」
意図が伝わったようだ。全員納得の面持ちだ。
「まあそんなんだからアタシもこっちに顔出す機会も多くなるんで」
「実質プロデューサーさんの担当が一人増えるってことね」
「そういうこと。とりあえず今日は場所確認しに来ただけだから今日はこれで」
と、言ってつかさは早々にプロジェクトルームを退出していった。
雷がゴロゴロと鳴り始めてきた。天気予報では夜からのはずと言っていたはずなのに。
「ねえ、プロデューサー」
「ああ」
俺は空返事をした。
「担当抱えて大丈夫? プロデューサーさんって仕事は出来る方だけどキャパシティがある方とは言えないわよね」
確かに奏の言うとおりだ。割と最近までサボっていたので俺が担当するアイドルの数は他のプロデューサーに比べれば少ない方である。
しかし資料作りが忙しく、俺は話半分に答えた。
「ああ。大丈夫だろ」
「本当かしら。担当が増えてどっちつかずになっても知らないわよ」
俺は後にこの日のことを後悔した。
どうしてあんな事を言ってしまったのだろう。
どうしてわかりやすい奏の意図を理解できなかったのだろう。
どうしてちゃんと奏の顔を見なかったのだろう。
俺は奏の数少ないSOSを見逃した……。
だから俺はこの時奏がどんな表情をしていたのかを知らない。
仕事で手一杯という免罪符で許される。そう、どこか甘い考えを持っていた。
俺にとってはあまり意味を成さない"答え"であったはずなのに、奏は違って受け取ってしまったようだ。
俺は選択を誤ったのだ。明らかに"ここ"がターニングポイントになっていた。
でも、その事実に気づいたのはだいぶ先のことである。
「まあいちいち相手にしている時間とかないかもな」
けたたましい雷鳴がプロジェクトルームに鳴り響く。
どこか近くに雷が落ちたようだ。
~速水奏との歩き方~ 後日談 Fin