2017/8/19 一部文言の修正
時計を見るとまもなく22時を過ぎようとしていた。奏が出演する音楽番組の収録が明日に迫っていた。
さすがに今夜はもう帰っているだろうと思いつつもまさかと思い、トレーニングルームへ足を運んでみると奏はまだ練習を続けていた。
「まだ居たのか。もう明日が本番なんだからもう帰れ」
「でもまだ」
「まだも何も未成年は帰る時間だ。これだと法律に怒られて自粛させられるぞ。車出してやるからそろそろ片付けろ」
俺の言葉に不満そうではあったが、諦めたのか片付けを始める奏であった。
先に駐車場で待っていると、今日も学校帰りにそのまま事務所に来たようで制服にコートを羽織った格好でやってきた。そう忘れてはいけない、奏はまだ女子高生だ。
「寒いわね」
「今夜は冷えるな」
助手席のドアを開けて奏を乗せると、俺はすぐに車を出した。
車を出してから10分ほどは全く会話がなくどうも落ち着かなかった。俺は堪らず何も考えず目に見えたものを口に出してみることにしたが、
「おっ。外、見ろよ。なんかここお城みたいだぞ」
残念ながらそれはラブホだった。
いつもなら「入ってみる?」と冗談を返してくるのに今日はだんまりで全く話に乗ってこない。うーん、非常に気まずい。
「もしかして緊張してるのか?」
「当然よ。私だって緊張するわ」
ようやく奏は口を利いてくれた。
「明日のことか。それとも密室で俺と二人きりだから恥ずかしいのか」
奏の緊張をほぐそうと茶々をいれるが、完全に呆れた表情をしているのが見てとれる。
「バカな人ね」
「わりぃ。とは言っても今回の収録はそこまで肩肘を張るものか? トークもなく1曲歌うだけだろ。ましてや深夜に放送される番組だし」
「1曲しか歌わなくても大事なの」
「お前ってそこまで仕事熱心だっけ? 確かにこの間使命だとかなんだ言ってたけどよ」
アイドルとしての使命は建前でしかないだろう。もっと深いその先で奏が何を求めているのかを俺は知りたかった。
奏はしばらく口を噤んでいたが、意を決したのか思いの丈を打ち明けてきた。
「シンデレラプロジェクトたちの子が頑張ってるのを見たら、私ももっと出来るんじゃないかって思ったの」
奏の口からは思いも寄らぬ名前が出てきたものだ。
「奏も出演したシンデレラの舞踏会の子たちか」
シンデレラの舞踏会。それは今回の収録を決定付けたイベントでもあった。
「あの日、あの瞬間は彼女たちだけじゃなくて出演した誰もがシンデレラだったわ。もちろん私も」
当然自分もあの場に居合わせていたが、奏が率いるプロジェクト・クローネの面々もいつになく輝いていたことを今でもはっきりと覚えている。
「でもあの子たちのパフォーマンスは格別だった。素直に凄いって思えたの。あれを見て突き動かされないアイドルは居ないわ。あのフレちゃんや周子でさえあの瞬間は本気で魅入っていたもの」
そう語る奏の表情は暗がりでもわかるほどに悔しさが滲みあふれていた。
「あんなすごいの見せられちゃったら、私もやるしかないじゃない」
ただその悔しさの表情は決して怒りや嫉妬から来るではなく、むしろ確固たる信念を秘めた瞳であった。
「珍しいな、らしくないっていうかさ」
「そうね。私らしくない。こんなこと初めて人に話したわ」
長い溜息をつく奏。
「だからこれは私とプロデューサーさんの二人だけの秘密よ」
ふっ、そういう秘密を作りたがるのもまだまだ子どもの証拠だな。
「そこの駅まででいいわ。すぐだから」
俺は停車して車を降りると、奏が乗っている側に回りドアを開けた。
「ありがとう」
そう言って奏は車を降りる。
「月並みのセリフで悪いが、明日は頑張れよ」
「それだけ? お別れのキスはくれないのかしら」
「前にも言ったろ。それはもう少しオトナになってからだ」
「身持ちの固い男の人も悪くないわね」
「未成年の言うセリフかよ」
「ふふっ」
すると、横から凄いスピードを出して突っ込んでくる自転車が見えた。
俺は咄嗟に奏の腕を引っ張り、彼女を自分の元へと寄せた。
「えっ?」
そのつもりはなかったが意に反して奏を抱き締める形になってしまった。
彼女の居たところを自転車が吹っ飛ばして去って行ったので致し方ない。
「ああ、そういうことね。でも、その……」
状況を理解して冷静を装うとしているが慌てているのは明らかだった。だから俺は少し奏に意地悪をしたくなった。
「普段散々キスしろとか言うくせして、いざこうなると戸惑うんだな」
「だって、急に近づかれたら心の準備が」
「なんてな!」
そう言って奏を解放した。
こういう時の嬉しそうな、それでいて悲しそうな何とも言えない奏の表情が結構好きだった。
俺はここぞとばかりにぐしゃぐしゃと奏の頭を撫でた。撫でた手をはねのけられるとか思っていたが、奏はうつむいたまま何もしてこなかった。
「ホントお前は子どもだな」
「忘れてた? 私まだ17よ。何でも欲しがるけど何も手に出来ない年齢」
そう、大人びていると言われていても中身はまだまだ普通の17歳。彼女は誰よりも強くて、そして誰よりも弱い。
「もう行くわ。送ってくれてありがとう。プロデューサーさん」
そう告げると奏は駆け足で駅の方に向かっていった。
去り際の彼女の瞳からは涙が流れているような気がしたがきっと気のせいだ。そうに違いない。
明日にはその涙も乾いているはずだ、確実に。
◇
別件の仕事が立て込んでしまい、奏の収録が始まる時間ギリギリに現場に到着した。
急いで控室に向かい、ドアのノックし、
「遅れてすまない。ちょっと別件で……」
部屋の中に入ると、すでに収録用の衣装<<エンドレスナイト>>に着替えた奏がそこには居た。
凛々しくも可憐で、どこかこの世界とは一線を画した幻想的な出で立ちであった。
見事なまでの完成度に俺は思わず息を呑んだ。
「なに? 見惚れてるの」
「え……あっ、バッチリ決まってるな」
「当然よ。メイクさんや衣装さんと念入りに打ち合わせをして決めたんだから」
ここに居るのは昨日のか弱い"17歳の女の子"とは違う。自信に満ち溢れるプロの表情をした"速水奏"だった。
「誰かが言ってたわ。女の子はメイクと気持ちで何にだってなれるって」
アイドルという概念を武装し、"速水奏"を演じている。
「そろそろ本番です」
番組スタッフが奏を呼びにやって来た。
「魅せてあげるからちゃんと待っててね、プロデューサーさん。私の帰る場所として」
ここまで来たら多くを告げる必要は無かった。プロデューサーの務めとして最後に一言、背中を押すだけで十分だろう。
「行ってこい。お前の輝きを見せてこい」
「ええ」
"アイドル"であり"17歳の女の子"である速水奏は、最高の笑顔を見せ収録へと向かっていった。
先日行われた大型アイドルフェス『シンデレラの舞踏会』にて
ライブバージョンが披露され、一躍話題をさらったあの曲を今夜は奏ちゃんに歌っていただきます。
TVの前の皆さんも準備はいいですか?
では、速水奏さんで
『Hotel Moonside』
◇
「すがすがしい気分だわ」
番組の収録は無事に終わった。奏は自分の使命をやり遂げた。
「ああ、良くやった。本当に」
セットから
収録に参加している他のアーティストには悪いが、今日はうちの奏がナンバー1に決まってる。
「ありがとう、プロデューサーさん。あなたのおかげよ」
「何言ってんだ、すべてお前が自分で成し遂げたことだろ。だから……」
と、言いかけて自分の瞳から涙が溢れ出ているのがわかった。
「え? プロデューサーさん泣いてるの?」
「しょうがないだろ。俺こういうのに弱いんだよ」
他人の努力ほど報われて欲しいと思うものはない。ましてやその努力の目の前で見てきたんだからなおさらだ。
けれど努力は必ずしも実るというものでもない。いくら積み重ねても崩れてしまう砂のお城のように、儚い幻想と化してしまうのが常だ。
でも、思うんだ。もし実ったときは素直に喜んでいいんじゃないかって。奏の頑張りは見事に報われた。それだけで尊ぶべきことだ。ふと、そんなことが頭をよぎり俺は感極まってしまった。
「プロデューサーさん。こういうときに男の人の方が先に泣くのってどうなの」
「だってよぉ」
言いながら涙だけでなく鼻水まで出てきた。
「もう。子どもみたいな人ね」
「チクショウ。子どもに子どもって言われたよ」
するとどっと笑いが起きた。周りのスタッフに笑われてしまった。これでは当分語り草になってしまうではないか。
「大丈夫よ、ここだけの話にしてあげるわ。その代わり」
奏の目つきは段々とよからぬことを考えているものに変わる。
「なんだ、言ってみろ」
「そうね。今度の休みにデートに連れてもらうってのはどうかしら」
案の定と言うべきか。でもこれは本当に機嫌が良い時の反応だ。
「まずは映画ね。でも知っての通り恋愛映画は苦手だから他のにして欲しいわ」
B級パニック映画にでも連れてってやろうか。
「その後はディナーね。イタリアン? フレンチ? 和食でもいいわね。ただ私、舌には結構自信がある方よ」
注文の多そうなお客様のご来店だ。
「そしてデートの最後にはデザートを添えるように優しくキスをしてくれてもいいのよ」
俺は思わず笑ってしまった。
これはもう日常だった。
俺と奏の"何気ない日常"の流れなんだ。
だって次に彼女は決まってこう言うはずだ。
「なんてね♪」
~速水奏との何気ない日常~ Fin