東横桃子は、存在感の薄い少女である。
その在り様を表すならば“人目に付かない”、これに尽きる。肩の触れ合う位置に居ても気付かれず、正面から視界に捉えていても注視していないと見失ってしまう一方で、写真や映像といった機械を通すと鮮明に姿が映る。これを知った桃子の元先輩の一人は「オバケみたいだな、ワハハ」とその不思議さを評している。ちなみにその後に行われた麻雀でその元先輩は役満に何度も振り込んでしまったが、ただの偶然である。きっと。
ともかく、桃子はそうした存在感の薄さもあって人付き合いの経験値が低い。べらぼうに低い。その為か散歩に読書、ネットサーフィンやゲームなど、一人で楽しめるものを長年の相棒としており、ここ一年で友人が一気に増えた今も尚、それを専らにしている。今日は平日だが彼女の通う鶴賀学園の創立記念日であり、陽気が良いので馴染みの読書でも楽しもうと、散歩がてらやってきてみると。
「おや」
桃子がいつも座っているベンチに先客が居た。金髪で、体格の良い若い男だ。ベンチの背もたれに体を預けてボーっとしているだけの様だが、平日の午前中なので誰も居ないだろうと決め込んでいただけに少なからず驚いた。しかし、桃子は“ステルスモモ”である。横に座ったところで気付かれないだろうし、集中している内に何処かへ行くだろう。そう考えて、桃子はすたすたとベンチに歩み寄っていったのだが。
(……見られてる?)
顔の造形までくっきりと分かる距離まで来て、桃子はそう感じた。というか、男の顔が明らかにこちらを向いている。付け加えて言えば視線は胸に向かっているように感じる。
(えっ、もしかしてあの人私の事見えてるっすか? つーか目付きめっちゃ悪いっす! めっちゃ胸見てるっす! あわ、もしかして私襲われる? 襲われちゃうっすか!?)
金髪で、若い男で、目付きが悪くて、体格が良い。不良要素の数え役満である。桃子は華奢で、腕力も相応でしかなく、長くインドアな生活を中心にしていたので足も遅い。あの男が立ち上がってこちらに向かってくれば、十秒も経たずに組み伏せられてしまうに違いない。その後は……最悪の事態を想像して動揺するばかりの桃子。
「なあ、アンタ、鶴賀の人か?」
へっ? 男の問い掛けに対し、桃子の口から出たのは間抜けな声。仕方ない、先程まで桃子の脳内はピンク色の妄想に苛まれていた。そして、一度リセットが掛かったことで落ち着きを取り戻した思考は、一つの事実に思い当たる。
「あの、貴方私が見えてるっすか?」
「? ああ、見えてるよ。で、アンタは鶴賀の、東横桃子、か?」
ドキッとした。それも二重の意味で。男は自分のことをはっきり見えると言った。そして自分の所属と名前を言い当ててきた。心臓が早鐘を打つ、怖いのか、それとも──
「そう、っす。自分は、東横桃子っす」
「やっぱそうか。いや、前にな、麻雀の大会でアンタを見たんだ。それで知ってた。不躾な質問して、悪かった」
謝罪と共に頭を下げた男に三度動揺させられた桃子は、上がる様子の無い頭を上げさせるべく気にしていないと伝えた。麻雀の大会、恐らく県大会だろう。モニター観覧をしていたのなら桃子の姿も名前も映し出されているし、知っているのも別に不思議ではない。ただそれは機械越しでのことだ。今の様に、肉眼で桃子を捉えられていることの説明にはならない。
「あの、その、何で私が見えるっすか?」
「……? すまん、質問の意図が分からん」
「あー、ほら、私、ステルスモモとか呼ばれてるじゃないっすか」
「らしいな。意識の外し方が上手い、とか解説の人が言ってた」
「そうじゃなくて、実は私、存在感が薄くてっすね……」
最近人付き合いを活発になってきて分かったことがある。生誕以来の付き合いである自分の特徴は、言葉で説明するのがちょっぴり恥ずかしいということだ。
「……はあ、人から認識されない」
「多分、というかほぼ確実っすけど、他人から見たら一人であらぬ方向見て話しかけてる危ない人みたいになってるっすよ貴方」
「いやいや、それは流石に」
「ママー! あのお兄ちゃん一人でブツブツ言ってるー!」
「あっ、こら! そんなこと言っちゃダメでしょ! すいません、すいません!」
男を指差して笑う子供を大声で叱って、頭を下げながら走り去っていく母親。その流れに男は唖然とし、桃子はやっぱり、と呟いた。こういうことには、悲しいかな慣れている。
「……マジかよ」
「信じてもらえたっすか?」
「いや、信じるとか、そういう次元じゃないだろっ! えっ、ええっ!?」
桃子は知った。初めから見える人はこういう風に驚くのかと。十六年生きてきて、初見で桃子を捉えた人間は彼が初めてなので、こういうリアクションには新鮮さを覚える。
「ほらほら、騒ぐと余計に危ない人になっちゃうっすよ」
「あっ、ああ。そうだな、そうだ。流石に越して来たばかりでご近所に変な目で見られるのは困る……」
二度三度と深呼吸をして落ち着きを取り戻した男はベンチに腰を下ろすと、桃子にも座る様に促した。ベンチがあるのに立ったまま話すのも何だからと。普段は同年代の男子が隣に居ても気にも留めないが、目の前の男は自分をしっかりと認知している人間である。桃子は得体の知れないドキドキ感を覚えながら、ベンチの端にちょこんと座った。
「で、その、何で私のこと見えるっすか?」
「何でと言われても、見えるんだから見えるとしか……。他に見えるって人は居ないのか?」
「居る事には居るっすよ。けど、初めから見えるって言ったのは貴方が初めてっす」
恒常的に桃子を視認出来ているのは鶴賀学園麻雀部の面々だが、彼女らはそうなるまでに一月以上掛かっている。加えて桃子が見えるのも“そこに居る”という認識あってのものであり、そうでなければ中々見つけられないし、見失ってしまう。自然体で桃子と面と向かって話せるこの男には何かある筈で、もしかすると、自分の体質をどうにかする糸口があるかもしれない。食い気味の男の謎を探ろうとするのは、そんな切実な思いも含んでいる。
「うーん……じゃあ、やっぱ、アレの所為なのかな……」
「アレ? アレって何すか?」
「正直言って、俺自身未だに信じ切れてないんだけどさ。ただ、アンタのその、存在感の薄さがオカルトの類に起因するものだとしたら、一個心当たりがある」
「何すか何すか? 教えて欲しいっす」
「……俺には神様の力が宿ってる、らしい」
オカルト――常人には信じ難い理を持つ人間というのは、麻雀打ちにはそれなりに居る。小鍛治健夜や三尋木咏などはその代表格で、桃子にも一人、その権化とも言うべき友人が居るが、それらを知っていて尚、目の前の男の言う事はどうにも信じ難かった。幾ら何でも荒唐無稽が過ぎると。
「はあ、そうなんすか」
「お前信じてねえな!?」
「いやあ、幾ら何でも神様は無いっすよ。何か他に無いんすか?」
「他に無いから言ったんだよ! 俺だって他に心当たりあったらそっち言ったわ!」
ただ、嘘を言っている様にも見えなかった。だから、もう少し踏み込んでみることにした。
「じゃあ仮に、仮にっすよ? その、神様の力が宿ってるってのが本当だとして、根拠みたいものはあるんすか?」
「そうだな……アンタも、高校で麻雀打ってるなら、神代小蒔って名前聞いたことないか?」
「ああ、あのおっぱいの大きい巫女さんっすよね?」
「
「ええ……」
何と言うか、反応に困る話だった。それというのも、桃子の友人である宮永咲がインターハイの個人戦で対戦しており、“凄い威圧感だった”“神様って本当に居るんだね”と、男の語る内容と同様のものを、対局の感想として聞いていたのである。男の話は兎も角、友人の話は信じたい。
「やっぱ、信用ならねえか?」
「うーん、神代さんって本物の巫女さん、云わばそういうのの専門家な訳っすよね。実際麻雀も修行の一環でやってる、とか雑誌のインタビューで見ましたし、そんな人が言うならそうなんじゃないかなあ、って気はするっす」
「それが限界だよな、正直。俺なんて面と向かってスゲー真面目な顔した神代さんに言われたけどさ、神様とか言われても想像のしようがねえよ! って感じだもん」
思わぬ形で共感した二人は、それから暫くの間雑談に興じた。麻雀のこと、学校のこと、某週刊漫画雑誌で新人が育ってこないこと、最近流行りのアニメの話など、コロコロ話題が変わりながらも、途切れることなくそれは続いて──
「へっくし! うう、寒いっす」
気付けば日は傾き、陽気は失せて寒気が駆け始める時間となっていた。昼過ぎには帰る予定だった桃子は首元の防御が少し甘く、容易に風を入り込ませてしまい、寒さを自覚したのもあって一気に体が冷えていく。
「おい大丈夫か? これ貸してやっから、今日はそれ付けてさっさと帰れよ」
男は首に巻いていたマフラーを桃子の首に軽く巻き付け、俺も寒いから帰るわ、と別れの言葉を口にして走り去っていく。いきなりの出来事にポカンとしていた桃子も、男が公園を出る前にハッとして、その背に向かって叫んだ。
「あの! どうやって返したらいいっすか!」
「次会った時でいいよ!」
「どうやったら会えるっすか!」
「また此処に来るからそん時でいいよ!」
またな、モモ! 再会の言葉を口にして、男は再び走り出し、やがて見えなくなった。直に日が暮れる、マフラーが温もりが無くならない内に帰らねば、男の気遣いを無にしてしまう。だから、
(またっすね、京さん)
心の中で、己もそう思った。
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おっぱい。(たくさん)