「この場合、依頼主は平塚先生、ということになるのでしょうか」
「その通りだよ雪ノ下。本校ではすでにプロジェクトチームという名目の雑用軍団が組織されている。種々の対応にあたるだろう。君たちにはそれを補佐するというよりも観察し、問題があれば私に報告してもらいたい。期限は不明。また活動内容も決まっていることは少ない。いわば保険のようなものだ」
「はい」
「由比ヶ浜」
「よくわからないですけど、困っている子とか悩んでいる子を見つけたら先生に報告するんですよね? それって、えっと、相談窓口? が用意されてますよね」
「それを利用するのは、君たち高校生にはけっこうハードルが高いんじゃないかと私は思っている。報告を待つというのは受動的な行為で、私は好かん。むしろ能動的に問題を洗い出す必要があるだろう」
「校内での殺人事件というだけでも、多大なストレスを受けている学生は多いでしょうし、相談できない学生がいてもおかしくはありませんね」
「たしかにそうかも。友達が多くない人とか、ショックが大きくても誰にも相談できなくて、先生に言うのとかもビミョーだし。例えば・・」
「おい、俺を見んな。俺は友達が多くない人じゃない。いない人だ。一緒にするんじゃない」
「多くはないのだから、命題としては正しいわ」
「それに誰にも相談しそうにない、という点では由比ヶ浜が正しいな」
「この件は相談窓口に報告させてもらいます。事件との関連性は少ないですが、きっかけで校内でいじめが発生しました」
「・・心配なのだよ。君たちが」
「・・善処します」
「私も! いろいろ聞いて回ってみます!」
「比企谷君には期待できないわね?」
「お前も友達いないだろうが」
「頼んだぞ。私も方々に出かけなければならないために、なかなか忙しくてな。何かあっても、いやなくても、連絡してくれて構わない。では」
―
総武高校2年C組の男子生徒が失踪したのは、5月3日のことだった。大型連休の初日、休日は家を空けることが多かった彼は、大きめの鞄に数日分の荷物を詰め込み、自転車で出かけた。家族には2泊程度の旅行に出ると言い残していた。自転車でどこにでも出かけていく彼のことを家族は心配していなかったし、そうした小旅行は5回目であった。
5月3日の夜、友人からのメールアプリによる連絡に返信がなかったため、彼の失踪は5月3日となっている。しかしもともとまめに返信をするタイプではなかったため、実際に彼に「何らかのこと」が起きた日時は不明である。しかし、少なくとも5月10日よりも前に、彼が猟奇的な事件に巻き込まれたのは明らかであった。
その内容は、総武高校全体に噂としてすぐに広がった。その内容から不登校者が続出した。それらへの対応、マスコミからの防衛、情報の収集と警察への提供などのために、総武高校には特別対策班が設置された。その中でも下っ端の平塚教諭は、特別対策班に学生への能動的な事情聴取によるメンタルケア事案の洗い出しなどの必要性を訴えるが、手が回らないという理由で黙殺される。
校内の殺伐とした雰囲気や、一部の教員による強引な事情聴取や歪められた報告書の作成などの問題を重くみた彼女は、奉仕部に曖昧かつ包括的な依頼をする。「自分たちを含めた学生に起きている問題の洗い出しを」。これはカタイ言い方であり、実際は学生のそれも受験生に不相応なマネはさせられない。「たまに顔を見に来るから、気になったことを教えてくれ」。口語に直すならばこうだろう。実際、奉仕部の部員たちは、それを理解していたし、本腰を入れて警察による捜査の真似事をするつもりはなかった。少なくとも部長を除く二人は、あまり首を突っ込みたくないと思っていたし、その部長も、あまり関わらないようにと家族から釘を刺されていた。
なぜなら、男子生徒の死体は大きく損壊していたからである。
脳を含めたほとんどの内臓の消失。
死体の切断面に残る成分。
独特の切れ口。
解剖所見と、腐敗の進行度。
それらはある事実を暗に示した。
彼は生きながらにして、はらわたを人に食われたのだった。
―
暗い部屋に、一組の男女。この言葉に連想される何かは、しかし一切なかった。女はいい姿勢で男を見下ろしている。微笑をたたえているが、見る人が見れば、燃えるような激怒がわかっただろう。しかし彼女の仮面を見破れる人間は多くない。一方で男は深く椅子に腰かけている、いや、ほとんど寝そべるようにしている。地面と水平な上半身。机の上に投げ出された足。ところが、偉そうにしているという感じはない。むしろ死んだようにしているというほうが正しいだろう。生気がない。表情がない。ヒトが持っている多くのものを、彼はいくつか欠落しているかのようだ。
女の質問に、男が答える。それだけのことが長い時間続いた。
―
腸の中にいくつかの声。
もがく声。悦ぶ声。怨嗟の声。
慟哭。嗚咽。
それは私が欲しかったもので、私が聞きたかったもの。
黄金を抱いて私は眠る。二度と目覚めないことを祈りながら。