雪ノ下陽乃が事件を知った直後にした行動は、彼女の本質が過度のシスコンであることを明確に示していた。伝手を全力で使った事件の真相の把握、捜査状況の先行き。それらはすべて、彼女の妹を守るための行為であった。
それは万が一にも事件に巻き込まれないようにという目的の他にも、事件の解決による精神面の負担の軽減のねらいもあった。彼女の妹は、表面上はしたたかで気丈だが、実は肉体同様精神にも体力がない。自分に関係ないことだとしても、長い間じりじりと真綿で首を絞められるような状況にあれば、いつか体調を崩してしまうだろう。妹のことが何よりも大切な陽乃にとって、妹が悪夢にうなされることを想像するだけでも胸が詰まるようにつらい。
他人を人形のように指で操る陽乃だったが、この事件は思ったより簡単ではないようだと早い段階で気づいていた。指先で踊る人形たちから上がってくる情報が、思ったようにきれいではない。手がかりのようなものが得られているような気がしないでもないが、精度が悪い。そうであるような、そうでないような。さすがに刑事事件に積極的に関わったことはない陽乃だが、他人の口から情報を集めてあらましを推測するという経験は日常であった。情報の精度は、高いほど良い。緻密な設計図から作られたパーツのように、断端がしっかりした、実物としての実感があるモノ。それらを組み合わせ、忍耐強くくみ上げると、きれいな「あらまし」が現れる。ところが今回はそれがない。それぞれのパーツはどろどろしていて輪郭が曖昧で、うまく組みあがらない。それは捜査本部でも同様のようだった。
被害者の周辺。普段の生活に人間関係。
死体が発見された現場。
死体に残された情報。死体の解体方法。失血量と死亡時刻の関係。
食人に関わる国内事件との関連性。
付近の精神科に通院していた患者たちの現在。
どうも的が絞れないのだ。
それぞれの操作は警察に任せるとして、自分が現在できることは、正攻法ではない何かだと、陽乃は考えた。ただのいち大学生に過ぎない自分が、警察のまねごとをしても仕方がない。また自衛という観点では、すでに数人の社員が妹とその友人の警護を始めている。トリッキーで誰もが思いつかない、当たれば一発逆転の手をいくつも打つ。自分にできるのはそういう手だと、彼女は思った。
だから、そういう手を打とうと思った。
そこはまさにうってつけだった。
誰も思いつかない。なぜならその男はあまりに役に立たないからだ。
当たれば一発逆転。うまくいけばその男は、その場にある物事のすべてを台無しにして更地にしてしまう。
その男のことを、陽乃はよく知っているわけではなかった。以前、妹の友人の近辺を調査した時に出てきた、あまりに胡散臭い男。「探偵にして霊媒師」、彼の知り合いは彼のことを口汚くののしる。いわく役立たず。三年寝太郎。インチキ師。怠け者。不吉な男。何もしない男。人の心がわからない男。
妹のひねくれた友人は、わずかな間、その男のもとで探偵のまねごとをしていた。彼の持つ特殊な技術を、ほんのわずかに使えるらしい。それは、霊媒師の技術。死んだものの精神をその身に宿す技術。その彼に言わせると、彼を評する言葉のすべては的を射ているらしい。
黒装。
黒い上着。黒い靴。抜けるように白いシャツ。
塗ったように黒いネクタイ。
鳥の巣のような、もじゃもじゃの黒い頭髪。
黒いひげ。
シャツと同じように、その顔は白い。
30代の働き盛りの男性とは思えないような、整った、色気のある、しかし活気のない顔。眼鏡。漂う煙草の香り。眠そうな瞳の奥の瞳は、何よりも黒い。
探偵にして霊媒師。男は、白い指で煙草を灰皿にたたく。
雪ノ下陽乃と小松隆介。
二人だけが見る特別な景色が事件の全容をつかむまでに精緻化するには、結局、多くの時間がかかることになる。