蒸し暑い夏も、九月が訪れれば途端に落ち着きを覚えていく。
長袖を着るようになって、何となく芋が恋しくなる季節ともいえるが、学生からすれば、
九月とは文化祭の時期以外に他ならない。
いつもならクラスメートの「出し物を決めてください」の一言で文化祭の到来を察し、
簡単そうな出し物を決めて準備作業に入り、後は劇なり食べ物なりを提供する――それが
普通だった。
しかし、今年は修羅場が二度も発生したせいで、こうして大洗学園文化祭の地を歩めることに、大野あやは一種の感動すら覚えている。
めっちゃ大変だった。
危うく廃艦にさせられるところだったが、自分達の力でも現実はどうにかなるものらしい。
改めて、戦車道から逃げないで良かったと痛感している。
「あー、大洗ライブ会場もよう育ったね」
宇津木優季が「そうだねー、すごいね」と同意する。
大洗学園文化祭は、良くも悪くも「普通の」文化祭だ。だから屋台の数もそれなりであるし、
校内の出し物も決して派手すぎず地味すぎず。
そのスタイルが老若男女問わず、九月の人気イベントと化しているのだが――今年の
ライブ会場は、グラウンドの半分を貸し切るレベルでデカくなってしまった。
「……大洗学園文化祭ライブ専用のパンフレットを手渡されたけど、今年初らしいね、
パンフなんて出たの」
澤梓が、「すごいなー」とパンフレットをゆらゆら揺らしている。
前年通りであればチラシ一枚で情報が整理されるほどの規模だったのだが、今年は参加者が
大幅に増加したせいで、やむを得ずパンフレット化したらしい。
「他校からの参加者が続出したんでしょ? 公式ページで見たみた。そら予算も降りるよねー」
あやが興味深くパンフレットをめくると、まずは大洗学園所属のバンドメンバーが
掲載されている。それは前年通りだし、大洗の世界の必然ともいえる。
――ここで一つ、あやは「あ!?」と声を出すに値する情報を目の当たりにする。他の友人も「は!?」だの「おお!?」だの「ええ!」だのと同時に騒ぐ、文化祭でなければ周囲から
注目されていた。
「こ、これ……なんで、紗希が……!?」
眼鏡が壊れたかと思ったが、参加者の中には丸山紗希の写真が掲載されていた。
カメラ目線じゃないあたり、間違いなく本物の紗希だ。
「し、しかもこれ……男!?」
名前は緑川で、性別は男。使用する楽器はギターで、ジャンルはジャズ。
どうやって緑川という男と知り合ったのか、どういう話の流れでバンドを組んだりしたのか、
この緑川という同級生は何者なんだ。
疑問が一つまた一つと増えていく中、丸山紗希の詳細欄を見て「は?」とあやは声を出す。
丸山紗希 ボーカル。
あや以外も同じところで反応したらしく、「嘘でしょ!」と大声を出す。
だが、広報担当の河嶋桃がミスをしていなければ、この情報はマジで正しいということになる。
――先ほどまで紗希と一緒に居たはずだが、もう何処にもいない。たぶん、ライブに参加する為に準備をしているのだろう。
「……なんかさ」
他校の生徒――あの制服はサンダースか――とすれ違う。
坂口桂利奈が、この時点でもう疲れていそうな表情をしながら、
「今年、やばくない?」
一同は、同時に頷いた。
―――
ライブが始まり、「サンダース大学付属高校」の「アリサ」が、「今日は集まってくれて
ありがとー!」とマイク片手に大声を出している。
同時に軽快な音楽が流れ、サンダースらしいハイテンションな歌詞が大洗学園全体をあっという間に飲み込むわけだが――
何も別に、乗っ取られたとか乱入されたとか、そういうワケではない。単に、大洗学園文化祭
ライブの参加条件に「廃艦免除記念! 他の学園からのエントリー大歓迎!」の一文が
ノリで加えられ、それに乗って、他の学園がこぞって参加申請メールをぶっ放してきた
結果に過ぎない。
それがチラシからパンフレットへランクアップした原因であり、ページをめくれば、
見知った他校の生徒の顔ばっかりが掲載されている理由付けとなっている。
ただ、どうして戦車道履修者が数多く参加してきたのか――たぶん、大洗を救ったテンションが未だに冷めきれていないせいだろう。他校とかそんなものは関係無く、力を結束させて何か一つの悲劇を潰す――学生からすれば、これほど血沸き肉躍るシチュエーションはそう無い。
その再現をしよう、また騒ぎを起こしてやろう。そんな勢いのままで、「よし出るか!」と他校もノリで決めたに違いない。
――これほどの数を編集するのには相当の時間と体力が必要だったらしく、ページの隅っこには「疲れた(河嶋桃)」のコメントつき。
「いやあ……歌うまいね」
屋台で販売されていたクレープをかじりながら、梓はアリサの歌手っぷりを羨ましそうに
眺めている。
文化祭の準備中に「大洗のライブに、他校がたくさん攻めてくるらしいよ!」との噂は
聞いていたが、文化祭の公式ページでもでかでかと掲載されていたので、一応知ってはいる
つもりだった。
しかしこうして目の当たりにすると、何だか現実感が無いし、これはこれで面白いなあと
あやは思う。
「次は、プラウダ高校の民謡を聞かせてあげるわッ!」
パンフレットによると、歌手はニーナというプラウダ高校戦車隊の一員らしい。リーダーであるカチューシャは、あくまで楽器を奏でてニーナを引き立たせている。
――ページをめくっていくと、ほとんどの戦車隊隊長は楽器を演奏し、その他の隊員に
歌手という主役を譲っているケースが多い。
たぶん、一種の「粋な計らい」という奴なのだろう。実際、ニーナは心を込めて、情熱的に、
すこぶる楽しそうにプラウダの文化を訴えていた。
「来年、参加してみようかな……」
山郷あゆみが、ぽつりと呟く。
あやも、同意するように「いいねー、いいんじゃないかな」と返すのだった。
「聞いてください! 黒森峰女学園渾身のジャーマンメタルをッ!」
いえ―――――――いッ!!
すっかり他校生を受け入れた大洗学園の生徒達が、駆け付けた他校生が、来客が、拳を
振り上げて絶叫する。
攻撃的で、それでいて存在感抜群の音楽は、男どものみならず、女子もジャンプしたりして盛り上がっている。
パンツァージャケットを着こんだ西住まほが、ドラムを叩いている時点でポイントが高いし、
逸見エリカという有名選手がギターを弾いているのもこれまた強烈だ。
長い髪を舞わせ、怒っているような真剣であるような表情をしたエリカに、ギターはあまりに
ハマり過ぎていると思う。
歌手は赤星小梅で、パンフの写真を見ると温厚そうな顔をしている。しかし今の赤星は一生懸命に、怒るように歌詞を叫んでいた。決して、生半可な気分で他校のライブへ参加したわけでは
ないのが伝わってくる。
まほはスティックをペン回しの要領で回転させ、金属板のようなネックレスをぎらりと光らせていた。
アンツィオ高校が歌い、聖グロリアーナ女学院が演奏し、継続高校が音を流して、パンフに掲載されている参加者達が出番を終わらせていく。それでも明日の部が存在するあたり、参加者の数が半端では無いことを物語っていた。
大洗のバンドメンバーは勿論、他校の音楽もレベルが高かったのだが、その中でひと際
沸いたのがビゲン高校の「校歌」だった。
最初はビゲン高校の校歌らしきものが斉唱されたのだが、数秒後にメンバー達がギターを
装備し、大洗、サンダース、プラウダ、聖グロリアーナ女学院などの校歌メタルアレンジを
メドレーで叫び出したのである。パンフには「認定済み」と書かれてあった。
パートに該当する生徒達は、メタル校歌に呼応するように叫ぶ。それにつられて、血を
騒がせたい連中も無意味に回転したりジャンプしたり。
「ビゲン高校か……覚えておかないと」
あやが、感心したように頷く。桂利奈はすっかりハイになって叫ぶわ踊るわだし、梓もヘッド
バンキングを隠せていない。あゆみも一緒になって校歌斉唱をしていて、やっぱり戦車道履修者は派手なことが嫌いじゃないのだと実感した。
ビゲン高校の校歌で好き勝手に盛り上がった後は――紗希と緑川の、二人きりの演奏が始まる。
この人数では派手なことは出来ないだろうし、あのビゲン高校の後では少しプレッシャーが
かかるかもしれない。それほどまで、ビゲン高校はメタルだった。
それでも、紗希は入場してきた。緑川らしい男も、ギターを抱えて大勢の前に立ち、やがて椅子に座る。
あやが、桂里奈が、あゆみが、優季が、紗希と緑川を注目する。
それまで喧騒に飲まれていた観客も、一呼吸つけて静かに次の演奏を待っている。
――緑川が、ギターの弦を指で鳴らす。前奏が会場を震わせる。
あやが知っている「ジャズらしい」音が、透き通るように耳に入っていく。決して明るすぎず、しかし情熱的に、音楽を観客へ届けているのがわかる。
そして、紗希がマイクを握りしめる。すうっ、と呼吸したのが何となく聞こえる。あやの拳が
強く握られる。
「――」
いままで聴いたこともない、紗希の歌声が、歌声のみが、世界の音を独り占めにした。
喋ることが出来ない。今、この場で何かを言おうものなら、それは過ち以外に他ならない。
あやは、紗希の歌を聞き逃さないように、身も心も紗希へ委ねることにした。
紗希の透明な声は、誘われるようにしてあやの耳へ入っていく。そして、紗希の声を活かして
いる緑川の演奏が、心に滲んでいく。
紗希と緑川が手を合わせて音を作っているからこそ、観客全員がジャズを受け入れているのだと思う。ここに居て良かったと、心から喜べるのだと思う。
ああ、紗希――
あんた、いい人と会ったんだね。
いつの間にか、演奏は終わっていた。
本当に、あっという間だった。これで終わってしまうのかと、紗希と緑川の世界は閉じてしまうのかと、あやは息をつく。
蝶が羽ばたいているような、穏やかな紗希の歌もこれでおしまい。
紗希と緑川は頭を下げる。
――あやが、たまらず拍手を送る。それをきっかけに、友人達も嬉しそうに手を叩き始める。
やがて会場全体に、決して騒がしくはない拍手の音が咲いていく。そのまま去っていく紗希と
緑川の後ろ姿を見て、あやは、
「……いいコンビじゃん」
そう、まとめるのだった。
―――
やることをやり終え、極度の緊張状態から解放された後は、紗希と一緒に屋台で食い放題するに決まっていた。
そのはずだったのだが、
「君、緑川君だよね? いやー、さっきの演奏綺麗だったよーー!」
「いいなーいいなー、紗希ったらいつのまに男を見つけてたのー!?」
「歌すごかったよ! 紗希は何でもできるね!」
「紗希、サイコーだった! あ、緑川君もかっこよかったよ!」
「こらこらみんな……あ、初めまして、澤梓といいます」
いきなり女の子五人に囲まれ、決して異性慣れしていない緑川は「ええ……?」と目を
回していた。
「も、もしかして、丸山さんのお友達、かな?」
「そだよ、友達友達」
ショートヘアの女の子が、えへんと腰に手を当てる。次に、紗希の友達らしい五人の女の子が、それぞれの名前をフルネームで自己紹介してくれた。
「なるほどねー、いきなり英語の勉強を教えてくれって伝えてくるから……そういう……」
うんうんと、あゆみが納得するように頷く。
セリフから察するに、紗希は友達から英語を教えて貰っていたらしい。しかも、自作の曲を
歌えるようにする為に。
「それでそれでっ、二人はどんな関係なんですか? やっぱり……彼氏彼女!?」
優季は、この場で一番切り込んだ質問をぶち込んできた。
あやも、「それ気になる!」と目をぎらつかせている。
「ち、違うよ……単に、バンドメンバーってだけ。そういう仲じゃないから」
そこで、梓が「へえ」の一言とともに能面と化す。
緑川は、「な、何?」と臆する。
「紗希の顔、見てくださいな」
隣に突っ立っている紗希の横顔を見てみれば、
紗希は、緑川の顔をじいっと見つめていた。眉をハの字にへこませながら。
「え、ま、丸山さん……」
「紗希は、緑川君のことをただのバンドメンバーとは思っていないみたいですよ」
あゆみが、口元をへの字に曲げながら指摘する。
――これまでの、紗希に対しての認識といえば、バンドメンバーとかリピーターとか、好意的に見れば友達と考えていた。
紗希のことは生涯で一番好きな女の子であるし、チャンスがあれば交際したいとも考えていた。だが、「無理だろうな」と、分かったフリをしているところもあって、このままバンドメンバー
として付き合っていくのが良いのかもしれない、とも思っていた。
「あ、えーっと、その……」
感情が喜びと恐怖で踊る、脳の鼓動が顔に伝わってくる。紗希の友達から視線の集中砲火を
受け、緑川はどうしようもなく唸り、
「ま……紗希さんは、僕の大切な人です。その、僕にとって必要な人ですからっ、信用して
ください」
よく分からないことをよくもまあ言えたものだと思う。
しかし紗希は、満足したようにくすりと笑う。友達にも紗希の意図が伝わったのか、安心した
ように梓も息をつき、
「あ……ごめんなさい。私も、いきなりあんな質問を」
「あ、いやいや、こっちもごめんね。曖昧なことを言ってしまって」
謝罪する優季に対し、緑川も小さく頭を下げる。高校生が異性同士で肩を並べて歩いていれば、それは同じ高校生から見れば「付き合っているのか?」の一つや二つは吹っ掛けたくなるだろう。
「あ、そだ。緑川君と紗希は、これから屋台巡りでもするの?」
桂利奈の質問に対し、紗希がこくりと頷く。
「じゃあ、邪魔はできないねー。ざんねんざんねん」
歯を見せながら、豪快に笑う。緑川は、何だか恥ずかしくなってうつむいてしまう。
「こら、そういうことを言っちゃ……あ、そうだ」
梓が、携帯を操作する。
「紗希に好かれているということは、あなたは信用出来そうです――どうです? メールアドレスの交換でも」
あやが、「お、いいねー」と同意する。他のメンバーも異論は無いらしく、様々な携帯を
バババッと差し出された。
「え、えと、いいの……?」
梓が、「はい」と頷き、
「紗希と一緒に、演奏した人ですから」
やっぱり、紗希はみんなから「居て欲しい人」と思われているのだろう。
決して他人を否定しないからこそ、誰からも受け入れられる。一生真似出来そうにない。
「ありがとう……嬉しいよ、うん」
久々に連絡先が増えて、緑川は実に満たされた表情で携帯を操作する。
「さっきの演奏、凄く良かったですよー。楽器を演奏出来る人か……いいかも」
緑川の目が、優季の笑みにくぎ付けとなる。
女の子の笑顔のみならず、楽器が弾ける男が良いと言われれば、やっぱり思春期男子である緑川の表情などあっさりと崩れてしまう。
――その時、腕にちくりとした痛みが生じる。一体何事かと右を向いてみれば、緑川の腕を
つねり、頬を膨らませ、不服そうに眉をしかめている紗希が居た。
「あ……ち、違うんだよ! 僕は紗希さんが、紗希さんが……」
「ふけつー」
あゆみが、軽蔑するような目つきで緑川を評している。
緑川は「許して!」と叫び、紗希に食事を奢ることを提案した。紗希の友達から、
「頑張ってねー」と見送られつつ。
――誠意が伝わったのか、紗希は嬉しそうな顔で焼きうどんをすすっている。なんやかんやで、今日一日はずっと付き合ってくれた。
―――
次の日になっても、ライブ会場は音楽が鳴りやまない。
緑川は紗希と隣同士で座りながら、大洗学園生徒のラップを耳にしている。紗希とは
いつの間にか合流していて、あゆみからのメールによれば「紗希がふっといなくなっていました。ということは、あなたのところへ行ったんですね。いい話、期待しています」とのことだ。
困るなあと思いながら、緑川は紗希と文化祭に浸っていた。ラップがよく聞こえる、紗希も
どこか遠い表情でバンドメンバーを眺めている。
――演奏が終わり、緑川と紗希含め、観客から盛大な拍手が沸いた。ああ、悪くない。
しばらくして席を立つ。紗希と一緒に屋台で飲み食いしたり、校内で絵や歴史を見て回ったり。特に目立ったやり取りはしなかったが、紗希は決して緑川から離れようとはしなかった。
緑川も、意図が読めない紗希の表情を目にするたびに、紗希と一緒にいられて良かったと
実感するのだ。
紗希のことは好きだが、このままの関係も悪くはないと考えていた。他でもない恋愛関係として結ばれるのは大歓迎だが、紗希を受け止められるだけの器があるのだろうかと、ジャズ以外に何か
楽しませられる武器があるのかと。
はっきりしない。
困ったものだと、緑川は頭に手を置く。紗希がそれを見て首をかしげるが、「なんでもないよ」と苦笑し、
廊下のど真ん中で、真正面から、緑川の旧友グループとばったり会った。
クラス替えでしばらく顔を合わせていなかったが、未だに大洗学園の世界から抜け出せていない以上、こうした場面は想定するべきだった。
旧友も緑川のことは忘れてはいなかったのか、旧友も気まずそうに表情を歪ませる。
――ライブで演奏した以上に、頭が熱くなる。良い言葉を引き出そうにも、喉に引っ掛かって
それきりだ。
紗希の前では間違いを認めたくせに、肝心の本人の前では何も出来ないのか。正しい言葉を口にすれば、お前はまたより善くなれるんだぞ。
それでもあの日以来、「お前と話していると疲れる」という言葉を突き付けられてから、自分は誰かと話すと、その誰かに対し「無条件で」迷惑をかけてしまうのではと、思い込むように
なっていた。
そんなはずはないのに。昨日だって紗希の友達と話せていたくせに。
過ちを犯したのなら、それを認めて正せば良いだけなのに。
一人で勝手に思考の泥沼へ片足を突っ込んでいる中、右手に熱がこもった。
はっと視線を向ける。
紗希が、緑川の手を力強く握っていた。
瞬間、緑川の不安は空高く飛んでいく。
仲直りできるよと、紗希の意志が目から伝わってくる。
紗希は何も言葉にしていない。
それでも緑川には分かる。紗希とはもう友達であり、近くに居て欲しい人だから。
「……あの」
旧友が、黙って聞く。
「その、あのさ……前は本当に、自分のことばっかり話してごめん、本当にごめん。信じて
もらえないかもしれないけれど、これからは、人の話を聞いて、もっとその人のことを知ろうって決めたんだ。一方的に熱くなってもダメだって、お前に教えられた」
言葉が溢れてくる。
「だから、僕も生き方を変えてみたつもり。そのお陰で、昨日は紗希さんと一緒に
演奏出来たんだ」
断言する。
「僕の方から逃げ出してあれだし、許さなくてもいい。けど、謝らせて欲しい。本当にごめん!」
頭を下げる。通りすがる生徒もいたが、何も恥ずかしくはない。
やるべきことをしたから、何の迷いも無い。どんな結果であれ、悔いは抱かない。
今はもう、一人ぼっちじゃないから。
「なあ」
旧友が声をかける。頭は下げたままだ。
「顔、上げてくれよ」
恐ろしかったが、それを顔に出さないように。緑川と旧友の目が合う。
「お前さ……本当にジャズが好きなんだな」
緑川が頷く。
「演奏見てたけど、すげえ格好良かった。しかも女の子のボーカルなんて、やるじゃないかこの」
からかうように、旧友が笑う。連れも、「だよなー」とふざけるように同意していた。
「俺も、その、突き放すようなことを言って悪かった。けれど、こうして謝ってくれたことが本当に嬉しい。――すぐは無理かもしれないけど、前みたく、絡まないか?」
緑川から言葉が出てこない。
「また、お前の演奏を見せてくれよ」
緑川から、無言の笑みがこぼれる。
自分の感情を伝える為に、紗希へ視界を向ける。紗希は手をつないだまま、満面の笑みで緑川を迎えてくれていた。
―――
少し暗くなったところで、大洗学園文化祭は止まらない。廃艦免除のテンションも
あって、突如として屋台の安売りセールが勃発し、ライブ会場も変わらずどんちゃん騒ぎを
繰り広げている。もはや戦場だった。
その一方で、緑川と紗希は公園のベンチに腰かけていた――ギターを持参して。
今は、人気など見る影もない。観客は大洗学園文化祭にとられているだろう。
ここまで離れると、ライブ会場の熱気はもう届かない。公園を照らす街灯がぼんやりと目に
入り、冷えた空気が肌に絡みつく。
見上げる。
少しの星が瞬いているだけで、それ以外のものは何も見えない。本当に何もない。
それでも、緑川はこの世界が好きになっていた。落ちつきのない文化祭も、自己主張が激しい
ライブ会場も、寂しい星空も、静かな公園も、どこも歩んでいきたい場所だと思っていた。
ちらりと、紗希を眺める。紗希には何が見えているのか、無表情のままで斜め上をじいっと
眺めている――しかし緑川が目を合わせれば、紗希も呼応するように緑川を見つめ、にこりと
笑うのだ。
何度も見た紗希の顔なのに、恥ずかしくなる。
今の公園には逃げ場がない。遊具で遊ぶ子供も、それを見守る母も、ジャズが好きそうなオヤジもいない。
何か、話したかった。何か、気の利いた一言でも口にしたかった。何か、ロマンチックな台詞を思いつきたかった。
どうしようかなあと悩んでいても、紗希は緑川を待ってくれる。拒絶することを拒むような
笑みで。
「……紗希さん」
紗希が、うん、と頷く。
「僕がちゃんと謝れたのも、憧れのライブが出来たのも、全部、紗希さんのお陰だよ。
僕一人じゃあ何もできなかった、ここで演奏ばっかりしてた」
紗希は、緑川の言葉を受け止めている。
「本当にありがとう。僕は、紗希さんと出会えて本当に良かった。……これからも、紗希さんと
たくさんお話がしたい、演奏を聴かせたい」
紗希は、はっきりと首を縦に振った。
「……たぶんね、少しずつだけど、友人と会話することが多くなると思う。週末、どこかへ遊びに行くかもしれない」
ギターの弦を撫でる。
「でも、放課後の付き合いはあんまりしないと思う」
紗希が、「?」と首をかしげる。
「やっぱりね、放課後の時間はここで演奏していたいんだ。そのお陰で、君とも会えたからね」
うん、と小さく頷く。
一番言いたいことを言えた。
「そういえば――僕と初めてここで出会った時は、何か公園に用事でもあったのかな?」
紗希が携帯を操作し、戦車の画像をぐいっと見せる。試合結果か、練習の成果か、
戦車は傷だらけだった。
「ああ、気分転換か。だよね、大変そうだもんね」
苦笑する。決して楽な道ではなくとも、何かを救い出せる立派な文化であることは分かっているつもりだ。
「僕の演奏が紗希さんを癒せるのなら、こんなに嬉しいことはないよ」
音を鳴らす。紗希は、うん、と頷いた。
冷たい風が吹き、少しだけ間が開く。それは言葉を失ったのではなく、自分の全てを紗希に
捧げる為に、ほんの少し勇気を燃え上がらせているだけだ。
――気持ちが熱くなっていく。紗希が自分と手を繋ぎ、心を守ってくれた時から。
「……それで、ね。僕はこれからもずっと、放課後はここにいる、演奏してる」
愛おしいという、どうしようもなさが溢れていく。
「君と会いたいから」
心の底から、何もかもを伝えたい。
「僕は、君が好きだから、愛してるから。だから、放課後はここへ来て、君に音楽を届けたい」
紗希と一緒に生きていきたい。
「友達は大事だ、それは思う。――けれど、一番大切な人は、紗希さんだから」
音だけが届いても、愛が拒まれても、緑川は紗希のことをずっと想っていくと誓う。
紗希がいなければ、今、ここに座れていたかも分からない。文化祭なんて消えてしまえと、
滅んでしまえとすら考えていただろう。
紗希は自分の全てを救ってくれた。それだけで十分だった。
「ごめんね、こんなことをいきなり言っちゃ、」
緑川の言い訳は、紗希の唇に触れたことで泡となって消えた。
何よりも近かった紗希の顔が、すっと離れていく。その目は緑川の顔を映していて、緑川の為に口元が笑っていて。
――緑川は、ギターを持つ。演奏するのは勿論、自作の曲。
言葉が見つからなくても、想っていれば、拒まなければ、その人とその人はいつか求めあう――紗希が歌詞を考えてくれた、緑川と紗希の曲をこれから演奏する。
紗希に対する愛の言葉が思いつかないけれど、この曲が、緑川に伝う涙が、紗希に想いを届けてくれるだろう。
紗希は緑川に寄り添い、いつものように空を眺める。そして、世界に向けて唄うのだ。
―――
――だいすき。
これで、短編「愛の言葉」は終了です。
まほの話を書き終えた後で、ふと思いついたのがこの短編でした。こうして形に出来た
ことが、本当に嬉しいです。
今回は一年生を中心に描写しましたが、新しくキャラクターを描くのって本当に楽しいです。
これからも、様々なキャラクターを描いていきたいです。
次も、何か恋愛小説を書こうと考えています。
最後に、
ガルパンはいいぞ。