いきなり毛根伝説 作:光輝帝(諡号)
「魔導国が、帝国国内より転属を希望する冒険者の講習について、エ・ランテルへ集める以外の方法を検討することにしたとのことです」
私はその報告に満足した。
属国といえども、冒険者の引き抜きを指をくわえて見ているわけにはいかない。帝国から冒険者の引き抜きを図る魔導国に対し、私は慎重に物申すことにした。最初からすべてをエ・ランテルに集めてしまうのは性急にすぎるのではないか、そんな話だ。
そして、魔導国からはこのようにあっさりと別の案が出てきた。
何事も、言ってみるものだ。
「そして、その視察要員としては四騎士のレイナース殿が名乗り出ておりますね」
藪蛇である。
冒険者のために四騎士を失うことなどあってはならない。
あらゆることが裏目裏目に出がちな今日この頃だが、私はその場その場で最善を尽くすしかない。
「それはならん。帝国の大事であり、魔導国に失礼があってはいかん。私が行こう」
「しかし、既にレイナース殿で調整を……」
「構わん。冒険者の講習といっても、駆け出しも含まれるはずだ。それほど危険な現場でもあるまいし、騎士の研修の参考になればとも思う。そうだ、レイナースにはカッツェ平野周辺の巡視の仕事でも与えつつ、バジウッドやニンブルの日程も開けさせておけ」
「はっ、かしこまりました」
そして当日、私とバジウッドの前に迎えの使者が現れる。
ニンブルは本来ならば部下の部下に指示すれば終わるはずの北西辺境のゴブリン討伐へ早馬を飛ばしてしまった。
それを知った私はすぐにロウネを使ってバジウッドの妻や愛人たちに宝石を与え、潜伏しようとしていたバジウッドの所在を確かめてその身柄を確保したのだ。
「嫌な予感しかしないんですが、レイナースじゃダメなんですか? 一体何を考えて陛下まで……」
「言うな。引き抜きを指をくわえて見ているわけにはいかんのだ」
「こっちは引き抜かれてもいいってことですかい?」
「確かにあちらへ行ってアンデッドの嫁にでも囲まれるのなら、所在を隠すのも簡単で便利だろうな」
「……やっぱり居場所を吐いたのはあいつらですか。まあいくら薄情でも生身の方がいいですけどね」
説明が行われたのは、帝都内の魔導国冒険者ギルド出張所。いくらでも余っている廃止貴族の館を彼らが買い取ったものだ。
講習は、確かにエ・ランテルでは行われない。しかし、帝都で行われるわけでもなかった。
「早くこの輪の中へ入りなんし」
目の前の美しい少女が急き立てる。
我々は、≪大森林で銅貨ゼロ枚生活≫という講習を受けるらしい。
手には識別札だという金属の札のついたペンダントが一つ。ここへ来るまでに受け取ったものだ。
大森林の知的生物はもはや大半が魔導国の支配下にあり、バジウッドが居れば敵対的な野生動物程度はどうにかなるという。
「我々は視察に来たのだが」
「百聞は一見に如かずと言うでありんす。誰だかわかりんせんが、一人というのを二人でも受け入れる魔導国の寛容さに感謝して、ゴチャゴチャ言ってないで行きなんし」
少女は聞く耳を持たず、輪の中へバジウッドを蹴り込む。
少女がか細い足をひと振るいしただけで、バジウッドは濡れた雑巾のように景気よく蹴り飛ばされ、輪の中の歪んだ空間へ消えた。
私はおそるおそる輪の中へ腕を入れ、足を入れ、そして歩を進めた。
輪の向こうは深い森だった。見える範囲には人の気配は無い――というのはバジウッドの判断だ。私が気配を察知できるのは、舞踏会などで不穏な相談をしている輩などだけだ。
右も左もわからない。ここから帰れと言われたら無理だ。騎士の中にはレンジャーなどを修める者もいるが、バジウッドにはその技術は無い。
『えっと、皆さん聞こえますか!? あたしはアインズ・ウール・ゴウン様に仕える、アウラ・ベラ・フィオーラです!』
とてつもなく大きな、そしてとてつもなく嫌な思い出を伴う声。森全体へ散った冒険者たちに呼び掛けているのだろう。声の大きさは、魔法か何かで増幅しているのかもしれない。
それはかつて、帝国が最初の危機を迎えた日に聞いた声だ。
……思えば、あの日から全てが狂い始めた。
私は無意識のうちに頭をかかえ、髪を掻き毟る。
『この大森林は、冒険者の講習に使用されます。講習に無関係の者は、速やかに事前に伝えた通りの場所へ移動してください。これは最終警告です』
私は顔をしかめた。講習はここで行われるらしい。
じっと手を見ると、ごっそりと掌に、指の間に残る金糸に白糸。
『冒険者が冒険に出る時は、準備が重要です。だから、持ち込んだ食料などは好きに食べていいですが、なるべく食料を持っていないつもりで狩りとかで現地でも食べ物を確保するようにしてください』
私はバジウッドと顔を見合わせる。
皇帝が食料など持ち運ぶことがありえようか。こういう時は、「こんなこともあろうかと」などと言い出す部下が欲しいものだ。
バジウッドに目配せすると、遠慮がちに水袋を持ち上げる。
「さ、酒ならありますぜ」
私はがっくりと肩を落とした。
『期間は十日間。食料として幾らか猛獣を放ちますが、たとえ警告を聞かず留まったゴブリンなどを食べてしまっても問題にはしません』
「食えるかそんなもの!!」
私は思わずペンダントを地面に叩きつけた。
「キキィッ!」
樹上から現れた毛むくじゃらの小人のような生き物が飛び込んで来て、鈍い輝きを放つペンダントを掴み上げる。
「うおっ、待て!」
忌々しいが、魔導国から預かったものを無くすのは避けたい。
『冒険者の中には亜人が含まれることもあるので、人間など弱い種族の冒険者は特に識別札をしっかりと身に着けておいてください。識別札を持つ者同士は共食い禁止です』
それは厄介事の証が命綱へと変わった瞬間だった。
「へ、陛下!?」
「うろたえる暇があったら追え! 追うのだ!」
「くっ、木から木へ……無理ですよ、あれは猿です。あんな所まで登れません」
手の届かない高さに在る猿。これが果実ならば木を切り倒せば良い。それが動く者ならどうするか。
私は久々に、幼少より叩き込まれた帝王学を掘り起こす。
私は自ら事を成す力を持たない。それでも、手となり足となる者が一人でも居れば、いかなる状況にも対処することができる。
それが皇帝だ、などと言うつもりはない。
しかし、それが可能であるうちは、皇帝であり続けられる。私が学んできたのはそういうことだ。
私はかつて巨大で複雑な派閥に守られた大貴族どもを決して多いとは言えない忠実な家臣や騎士たちとともに追い込み、切り崩し、ついには打ち破った。
今や眼前の敵は猿一匹、されどもこれを護るは果てしなき大樹。それに対峙する我が騎士はたったの一人。
条件はさほど変わらぬ。数年ぶりに、皇帝たる我が身の血が滾る状況だ。
敵は遥かな高みにあるが、私は決して諦めない。そして最後まで抗おう。
暗い森の中で、この私、バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの新たな戦いが幕を開けようとしている。