いきなり毛根伝説 作:光輝帝(諡号)
猿が大変なものを盗んでいきました。
取り返さないと亜人の冒険者のごはんにされるかもよ。
猿が逃げる。
「バジウッドよ、火矢はあるか?」
「視察ですから、弓もありませんが」
猿が高みに登る。
「ええい、木に火をかけてしまえ!」
「火種なんてありませんぜ、冒険者じゃあるまいし」
猿が馬鹿にした笑みを浮かべる。
「魔法を使えず、火を絶やした愚か者は木をすり合わせて火を起こすとじいに聞いたことがあるぞ」
「昨夜あたり雨が降ったみたいで、枯れ枝も湿ったのしかなさそうですが」
猿が心配そうにこちらを見ている。
「ええい、石だ、石を投げよ!」
「石ですか。こういう所のはあまり持ちたくないんですがね」
猿は太めの枝に寝そべった。
「虫! こ、こっちへ向けるな。さっさと投げろ」
「では、いきますよ。それっ!」
「――キキィッ! キッキキッ! ……キッキッキキキッ」
猿の乗った枝をバジウッドの投石が打ちすえると、猿は怯えた様子で起き上がり、軽々と別の大樹へ乗り移る。
少しばかり距離を取って余裕ができると、猿は再び馬鹿にしたような態度に戻り、嗤っているような鳴き声をあげる。
近くの木の実をむしって、バジウッドの姿を真似て投げるふりなどまでしている。
「結構難しいですが、そのうち当たるかもしれませんね。陛下もやってみますか?」
「いや……少し待て。あのふざけた態度が気になる」
「挑発されたくらいで手元が鈍ったりはしませんよ。あの王国の馬鹿貴族の罵声に比べればかわいいもんです」
「そうじゃない。敵は所詮猿だということだ。私に任せろ」
「陛下ではあの位置は厳しいと思いますが」
バジウッドの言は正しい。猿がひるむような大きさのものでは到底猿のいる高さまで届かないし、手ごろなものでもきっちり狙って投げられる距離では無い。手ごろなものでも私では届かないかもしれない。
しかし、私は皇帝だ。皇帝が自ら出るということは、勝利が確定しているということでもある。
「バジウッド、お前の皇帝を信じて委ねよ」
「……はあ、そう仰るなら」
私はバジウッドから渡される少し重い石を持って、道すがら小石も集めながら、そろりそろりと猿の移った大樹へ近づく。
予定の位置へ至ると、重い石を黙ってその場へ置く。こんなもの、猿の視界にさえ届くとは思えない。
猿は不思議そうにこちらを見ている。バジウッドの方も警戒しているようだが、石などは持たせていない。
私は一呼吸置くと、小石を手に持ち、大きな動作で投げる。
投げる。投げる。投げる。
「それっ! ふんっ! ふんっ!」
小石は猿へ向かうが、全く届かない。
バジウッドに指示をすると、納得のいかない顔で次々と小石を用意して渡してくれる。
お前も手伝えよ、とも思ったが、この策について説明していないので無理な話だろう。
猿はこちらを見つめて、すぐに嘲笑い、ふざけた態度になる。
――かかった!
「ぬぅぁぁあああぁぁっ!!」
私は渾身の力を振り絞り、猿の乗った大樹に重い石をぶち当てる。
当たったのは、猿の乗った枝よりほど遠い、幹の太い部分。大樹は揺らぎもしない。
だが、それでいい。
「ウキッキィ! ウキッキィ! ウキキッキィ! キキッ!」
調子に乗り、完全に私を見下していた猿は、不快な振動に対する報復を始める。
言語はわからないが、馬鹿にしているニュアンスは間違いなく伝わる。私の悔しそうな雰囲気や見苦しい攻撃の様子に感化されたのだろう。
これこそ、我が策の望んだ通りの結果だ。皇帝の外交力をなめるな。
猿が選んだのは投擲だ。硬そうな木の実を高所から容赦なく投げ落としてくる。
「見よバジウッド、相手は所詮獣にすぎぶはぁっ!!」
一発食らった。結構硬い。痛い。
「わかりました。今なら逃がさずやれますね」
「早く仕留めろよ。見下されている私が囮でなければ逃げらべほぁっ!!」
硬すぎる。痛すぎる。当たりどころが悪かったのか、頭がクラクラする。
「な、投げろバジウッド! 今だ!」
「キキキッ!」
見れば、早くも猿が逃げていく。バジウッドは何をしているのか。
「いえ、もう勝負はついてます。さすがは陛下」
身を屈めて何かを拾い上げたバジウッドの手には、持ち去られたはずのペンダント。
私の頭を痛打したのは、こいつか。
どろりとした赤いものが付着している。魔導国の刺々しいデザインが気に入らない。
私はだばだばと頭にかけられるポーションの不快感に身を任せながら、苦い勝利を噛みしめた。
「……チッ」
私はその時、背の高い草の茂みの向こうから舌打ちのような音を聞いた。
人間離れした、いや、明らかに人間ではないサイズの生き物が、くすんだ黄銅色の甲冑に身を包んでいる。
それは、大人しく歩いて我々から離れていく。その姿はまるで――。
「うおっ! でかいのがいるぞバジウッド!」
「……陛下、下がってください」
バジウッドが武器を構え、私の前に滑り込む。やっと帝国四騎士らしい所を見せてくれた。
――あれは武王のような、いや、武王そのものか!! だったらあの舌打ちは何だ!! 喰う気だっとでもいうのか!?
私は狼狽せざるをえない。
武王といえば、魔導王アインズ・ウール・ゴウンが私の全てを見抜き、万策尽き果てたあの日に召し抱えた戦士だ。魔導国の冒険者にするような話を聞いたが、そんなもの額面通りに受け取れるはずがない。
あの武王が、わざわざこんな場面で私の目の前に現れるということは――。
私は戦慄せざるをえない。
思えば、全ては魔導王の掌の上だ。ろくに話を聞かず我々をここへ転移させた者も見覚えがある。あれは魔導王直属の部下たちとともにあった寵姫だ。最初に見た時、その場に立ち並ぶ全ての者が恐ろしい力を持つとも限らず、知恵によって仕える者もいるだろうと考えた。考えはしたのだ。
そして、まさに彼女こそがその知恵者であった。初見で見抜いていながら、二度目に警戒せず策にはまった自身の迂闊さが恨めしい。
たかが猿。しかし、されど猿だ。
恐ろしい魔物ならば魔導王のしわざだと糾弾することもできようが、皇帝ともあろうものが猿一匹に取り乱すわけにはいかない。
そして、その猿を使って命綱であるペンダントを奪った所へ現れるのが、我が絶望の日を象徴する存在である武王だ。
――魔導王とあの寵姫は、本気で私の魂を折り潰しに来ている! 間違いない!
あの寵姫の所で食い下がっていれば、などとは思うまい。そうなっても、結局はあの知恵者の娘の掌の上だ。二重三重の策によって、より悪辣で周到な罠にはめられていたに違いないのだ。
それならば、最初の罠にあっさりかかっていた方が、侮られる余地も残り、その分だけ助かる可能性もあるということになる。
「おや、武王が離れていきますね」
そうだ。私は魔導王の罠を食い破った。
武王は亜人の冒険者という名目で、ペンダントを失った我々に絶望を与え、我々のいずれかを喰らう算段だったのだろう。
私は息を大きく吐く。
バハルス帝国は、そしてジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスはまだ終わっていないのだ。
武王を見れば、何かに惹かれるように、あらぬ方向へまっすぐと歩いていく。
武王がしゃがんだ。
武王が不気味な色の地面をさらっている。
「あのでかぶつも食料忘れたんですかね。派手な色のキノコとか拾ってますが」
「何を寝言を言っているのだ! あれは魔導王の配下となった者。何か策あってのことに決まっているだろう」
「臭い嗅いでますぜ。……あっ、食いました。あれ一番ダメなやつじゃ――」
「は? ……うむむ、そうだ、あれは罰なのだ! 武王は我々を陥れることに失敗し、罰としてあんなものを喰わされたのだ!」
武王は悶絶して地面に転がり、その動きが鈍くなり、そしてピタリと静止した。
武王は起き上がった。
武王は茸を踏み荒らし、鼻息を荒くして歩き去っていった。
「武王ですか、言われてみるとそうですね。ははは、笑っちゃいけませんが、あいつも冒険者の試験で食料忘れてきたってとこですか。あれはトロールですから、毒キノコを食べても回復したんでしょう」
「何を言う! あの時も武王で、また武王だぞ! 何かあると思わんのか!」
「頭を使うのは陛下にお任せしますよ。とりあえず敵意は無いようですし、ここで待っててください。飯になるもの探してきます」
私は無言でバジウッドの後をつける。
私は昔から皇帝は部下を働かせてふんぞり返っているべきだと教育されており、バジウッドの行いも騎士として正しいものではあるが、ふんぞり返るべき安全な場所が無いのだから仕方あるまい。
そうだ、怖いのだ、文句あるか?
この日の食事は苦労して探し出した殆ど酸味しかない果実だけとなった。火が起こせないのでは肉は食えない。
いざという時に力を出せるようバジウッドだけでも肉を食べてくれて構わないのだが、顔はああでも生肉までは無理らしい。
一日目はこうして終わった。
夜? 大樹の根が我々の寝床で、その枝葉が天井だ。
私は寵姫と猿と武王の恐るべき連携に対する戦術的勝利に浮かれず、戦略的敗北を振り返る。
昨今の急転直下の世界情勢にあっては、皇帝といえども一寸先は闇。お先真っ暗というやつだ。
今後は、最低でもレンジャーの技術を持つ騎士をつけるべきだろう。屋内での異変も考えれば、シーフも必要となる。騎士という言葉のイメージとは異なり、我が帝国騎士団にはあらゆる技術を持つ者が揃っているので問題は無い。
しかし、皇帝が野宿というのは辛く厳しい。できれば建築士も必要だろう。
そして、家があっても生活は成り立たぬ。やはり料理人、そしてメイドも必須となる。
――だから、メイドなのか!
私は、一敗地にまみれながらも、未来の勝機を垣間見る。
魔導国には、バジウッドがかなわぬというほどのメイドが居る。ロウネの話では、「戦闘メイド」なる役職があるらしい。
それは、魔導国もまた急転直下の世界情勢に備えているということではなかろうか。
ならば、私の発案により戦闘メイドのみならず戦闘建築士、戦闘料理人を備えることとなる未来のバハルス帝国は、魔導国の一歩先を行くことができるのではなかろうか。
――魔導国め、虎に翼を与えたものと思い知らせてやる!
我々は確かに属国となった。だが属国としての雌伏の時は、せいぜい爪を磨き牙を研ぎながら過ごさせてもらうつもりだ。
明日より私は、バジウッドの狩りに付き従いつつ、戦闘メイド、戦闘建築士、戦闘料理人の構想を練ることとなる。落胆している時間は無い。それらが揃ってくれば、長期的には戦闘農夫や戦闘鉱夫、戦闘鍛冶師なども備えることとなるだろう。この急転直下の世界情勢においては、皇帝とその従者は、いついかなる事態に陥っても帝国としての最小単位を構成し、その継戦能力を維持しなければならないのだ。
我が名はジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。旧き因習を破壊し、帝国に新しき秩序を打ち立てし者。兵科の新設など我が手にかかればたやすいうものだ。
今晩は、いかにしてレイナース辺りに戦闘メイドとなることを説得するか考えながら眠りに落ちることとなる。あれは忠誠に劣るが、力はある。こればかりは魔導国に存在する役職でもあり、力の劣る者には任せにくいのだ。
武王「チッ、せっかく果実が降ってきたのに食うとこないし」
武王「人間? あんな弱いの喰わないよ。おれ戦士だよ?」