モッピー極限ボッチ化   作:飛沫仏子

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第2話

 自己紹介込みのホームルームも終わり、皆は思い思いに集団を作る。小さな輪、大きな輪。それぞれ大きさは異なっている。

 勿論私が何処かの輪に属していることなどあり得ない話である。でも、それもモンドグロッソで優勝するまでの辛抱だ。我慢するのはもう慣れたものだった。

 

 ならば、今やるべきは鍛錬だ。ほんの少しの時間も無駄にはしたくない。

 次の授業開始まで約二〇分。剣を振るには少し忍びない。それでもこう言った中短時間で己を研磨する手段は、それこそ剣を扱わずとも幾通りか存在した。

 

 私は再び目を瞑り、しかし今度は心を無に変えていく。

 

 そこに世界が存在するように、世界に私が存在する。そして私の周りを取り巻くのは、ただあるがままの自然。或いはただあるがままに自然があるからこそ、私はそこに存在する。

 それを感じ取るのだ、耳で、肌で、心で。そうして自然と私が一体であると認識したとき、私は自然となる。身の回りのありとあらゆる流れを理解する。

 

 早い話が第六感だ。人の無意識を意識的に起こすことで、私はすぐそこの未来で起こるべき“結果”を先読みしているのだ。

 

 たった二〇分、されど二〇分。満たされる全能感すら自然の一部とし、第六感を何時もより一歩先へと研ぎ澄ます。

 

 教室の外で女子生徒が(こぞ)って集まっている。彼女らの視線は一点に集中していた。その視線の先には、このクラスには何故か一人しか存在しない男子生徒。教室全体に意識を向けてみると、どうやら教室内外問わず大凡の女子生徒はその男子生徒を熱心に見つめているようだ。件の男子生徒はと言えば、何やら苦悶の表情を浮かべているようだった。

 

 ふと男子生徒の視線が動く。その視線の先には……私? いや、そんな馬鹿なことはあり得ないはずだ。何故なら私は彼を知らないから。私の知らない相手が、化物(わたし)何ぞに興味を持つなど天地がひっくり返ってもあり得ない。

 化物の境地に足を踏み入れたと思ってはいたが、ことこの技術についてはまだまだ練度が足りていないようだ。より一層気を引き締めて――

 

「なあ、やっぱりお前、箒なんだろ……?」

 

 ――っ!?

 ど、どういうことなんだ。訳が分からない。

 私は化物だ。化物が人間に戻れるはずがない。

 事実ただの一度だって話しかけられたことはない。

 嘗てただの一度だって賞賛されたことはない。

 当然、それが化物の末路だ。

 だからこそ、見るも(おぞ)ましき化物へと堕ちた私は、それでも自分が自分だと胸を誇る為に、モンドグロッソと言う大会で優勝しなければならないのではないのか。

 人と対等に話すのはそれからではないのか。

 

 ならば。

 この状況は、一体何なんだ?

 

「自己紹介でも言ったけどさ、一夏、って名前。やっぱり覚えてないか……?」

 

 覚えてないか、だって……?

 そう言えば、目の前の男子生徒は亡霊(わたし)の名前を語っていた。

 亡霊となる以前の私を、覚えていると言うのか。

 家族に嫌われ、周囲にも目を向けなかった私のことを。

 それこそ信じられない話だ。

 だって、亡霊(わたし)何かを覚えているだけの理由がない。

 

「……なあ箒、せめて、返事だけでもして欲しい。それとも……やっぱり、俺と会話するのは……」

 

 あ、ああ。そう言えば彼には気を向けてるだけだったな。

 返事を返していないどころか、顔を向けてすらいない。

 折角私なんぞに声を掛けてくれているのだ。なんとか、何とかして会話しなければ。

 

 あれ。

 でも、こういうときって、何を言えばいいんだ?

 こんにちは、か。いやでも、もう既に彼から話し掛けてきてくれてるんだ。少しばかりおかしい、かもしれない。

 では、久しぶり、だろうか。あれ、そもそも久しいとは、どの期間からどの期間までを言うんだ? 今ここでそれを言って、果たして本当にいいのか。

 

 分からない。

 分からない。

 

 そ、そうだ。ならばあれだ。何時も私が政府の者に接しているようにすればいいのではなかろうか。

 ああ、これは案外と妙案かもしれない。話し掛けられて舞い上がりそうな気持ちを抑えつけるんだ。なんだ、思えばいつも通りじゃないか。

 思い立ったが吉日と言うし。よし、そうしよう。

 

「――なんだ?」

 

 空気が死んだ。

 

 あ、あれ……どういうことだ……。何故皆して黙り込んでいるんだ……!?

 

 分からない。

 分からない。

 

 や、やはりあれか。私が口を開いたのが悪かったのか。状況的に考えて私の開口が影響を与えているとしか思えないから、そうなのだろう、きっと。

 

 ……いや、冷静に考えてみろ、私。人間が語らってる中で、化物が口を開いたんだぞ。状況なぞ考えなくともそれが原因であるなど火を見るより明らかではないか。

 あ、ああ。なんて私は駄目な奴なのだろう。人に話しかけられただけで舞い上がってしまった。当初の目的すら頭の隅に追いやってしまった。現実は何時だって非常なのだ。気を引き締めろ。

 

「――――――」

「――――――」

「――――――」

「――――――」

 

 徐々に周囲が語らい始めた。同時に化物(わたし)は自然の流れで排斥される。あるべき姿に戻ったのだ。

 

 己を鍛えろ。己を極めろ。そして頂点に立て。

 それが、それだけが、私を救う唯一の――

 

「箒、ごめんっ!」

「あっ」

 

 唐突に、目の前の男子生徒が私の手を取った。男子生徒は駆け出して、釣られて私も駆け出した。

 周囲のざわめきは一層激しく、私の困惑も嘗てない程に大きくなる。何が起こっているのか、現状を上手く理解出来ずにいる。

 

 けれど。

 

 掌から伝わる男子生徒の暖かさが、私の全てを包み込んだ。

 

 

◇◆◇

 

 

 男子生徒に引かれるがままに、私達は屋上へと辿り着いた。空は憎らしい程に晴天で、透き通る海は地平の果てまで続いている。

 

「………………」

「………………」

 

 そんな清々しい環境の中で、しかし私と男子生徒の間には、まるで濃い霧が掛かっているような、そんな隔たりが生じている。

 

 けれど、返って私は冷静になれた。過去を振り返り、現実を目の前に叩きつけられて、私という存在が如何に受け入れられ難いかを再確認できたのだ。化物が人の輪の中に入ろうなどと、普通ではない。

 

 そして、こんな私でも一つだけ分かったことがある。この男子生徒は、余りにも優し過ぎるのだ。例え敵であろうと味方であろうと、果ては人であろうと人外であろうと、何食わぬ顔をして手を差し伸べることができる。きっと彼はそういう人なのだ。

 だから私なぞをここに連れてきたのも、きっと一時の気の迷いなのだろう。優しいが故にこんな化物(わたし)に手を差し伸べてくれた。化物(わたし)の手を握ってくれた。

 

「――少しばかりよろしいだろうか」

 

 だからこそ、気になったことが一つだけあった。私なんかに分かるはずもなく、男子生徒だけが知り得ることが。

 その疑問を解消して、彼との関係はこれで切り上げよう。こんな化物(わたし)に、最低限人として接してくれたのだ。感謝こそすれど、これ以上関わってしまっては流石に彼の身が持たない。その優しさに、私は甘えるべきではないのだ。

 

「な、何だ……?」

 

 今まで人のことなど何も分からなかった私でも、彼が酷く緊張しているのが伝わった。やはり彼は化物(わたし)なんかと関わっていい人ではない。その優しさを、もっと他の人へと向けていって欲しい。

 

 だから。

 最後に一度だけ、人として接する私を。その優しさに今一度甘える私を、どうか許して欲しい。

 

「――貴方は、私を知っているのか?」

 

 幼い頃に『死んだ』、亡霊としての私の疑問。

 

 目の前の彼は、目を大きく見開いた。

 

「当たり前だろ!」

 

 そして次の瞬間には、大きく咆哮していた。

 心の中が、とても温かくなった。こんな私を、父母、姉ですら認識してくれなかった私を、彼は覚えてくれていた。今までの私の存在を認めてくれること、それが何より嬉しかった。

 

「箒は昔から俺の『憧れ』だったんだ! そんな簡単に忘れるわけ無いだろ!」

 

 え……っ?

 

「あこ、がれ……?」

「そうだよ! 俺にとって、箒はどんなに辛くても、どんなに苦しくても、一生懸命頑張って竹刀を振る! 頑張って努力する! そんなかっこよくて、強い女の子だったんだ!」

 

 覚えてくれている、だけじゃなかった。

 誰からも嫌われた、こんな私を。化物の階段を登るだけだった私を。彼は、憧れてくれていた。

 

「それだけじゃない! 名前は違かったけど、剣道の全国大会で五回連続優勝したの、あれ箒だろ!?」

 

 驚愕のあまり、今度は私は目を見開く。

 

「やっぱりそうだ! そんな凄いこと出来るの箒の他に誰がいるんだ!」

 

 今まで、誰からも賞賛、されなかったのに。

 彼は、こんな私のことを、『すごいね』と、褒めてくれるのか。

 

「そんな、とっても強くて、とっても頑張り屋で、とっても凄い! 俺にとって箒はそんな女の子なんだ! 忘れるやつなんて、憧れない奴なんているわけ無いだろ!」

 

 目頭が熱くなる。目を抑えずにはいられなかった。

 動悸が激しくなる。呼吸を整える余裕はなかった。

 

 私の歩んだ化物の道を、認識してくれた。肯定してくれた。賞賛してくれた。私の欲しかったモノを、彼は全てくれたのだ。

 生まれて初めて、心の底から満たされた。彼にとっては当たり前のモノかもしれないが、私にとってはかけがえのない宝物だ。

 

「そう、か……っ」

 

 だから。

 この温かな気持ちを胸に、彼の前から去ろう。

 

 こんなどうしようもない私を彼は慕ってくれている。けれど、私と一緒にいれば、きっと彼に迷惑が掛かってしまう。

 彼が私を人として見てくれていても、所詮私は化物なのだ。そうあるものだと見られているのだ。

 

 私なんかでは、彼とは釣り合わない。

 

「待ってくれっ!」

 

 彼は咄嗟に私の手を掴んだ。

 

「離してくれ」

「なんでそんな寂しいこと言うんだよ!」

 

 ああ、私はなんて駄目な奴なのだろう。不謹慎にも、この状況に心が浮ついてしまっている。全てを否定された私なんかを求めてくれて、心の底から嬉しいと感じてしまっている。案の定、ニヤけてしまうのを抑えられない。

 でも、このままではいけない。彼は人、私は化物。そもそも住む世界も、見る世界も違っている。

 

 もう大丈夫。私は十分、沢山のモノを貰ったから。

 

「私なんかと一緒にいたら、君はきっと周りから良くない目で――」

「周りの目なんてどうでもいい!」

 

 彼が私を見てくれている。離すまいと、必死になってくれている。

 でも、駄目なのだ。私なんかが、彼の隣に立ってしまっては。

 

「……駄目、なんだ。このまま一緒にいたら、君は必ず後悔する」

「そんなわけない! 後悔なんかしてやるものか!」

 

 私の瞳を彼の双眸(そうぼう)が射貫く。その奥に秘められた執念は抑え切れない程に膨れ上がっていて、溢れ出たそれが私の体を駆け巡る。

 

 ああ、そんな目で私を見つめないでくれ。

 

「他人が何だ! 人の目が何だっていうんだ! 昔っから憧れてた女の子とやっと面と向き合って会話出来たってのに、これっきりで終わった方が一生後悔するに決まってんだろ!」

 

 彼は大きく咆哮する。その口から紡がれる一言一句が溢れ出る感情の鎖となって私を縛ろうと襲いかかる。

 

 そんなことを言われてしまったら、離れ難くなってしまうではないか。

 

「俺は……っ、俺は! 箒が可哀想だから構ってるわけじゃない! 箒だから話がしたい! 箒だから一緒にいたい! 箒だから、こうして関わり合っていきたいんだ!」

 

 強く強く私を求めてくる。未だ栄誉を手にしていない、ただの化物の私を、彼は必要としてくれている。

 

「だから、箒っ!」

 

 私は――

 

「俺と、友達になってくれっ!」

 

 私は、彼の隣を歩いても良いのだろうか。

 

「……うっ、うぅ」

 

 もう限界だった。一生懸命堪えていたものが崩落し、体の奥底から滂沱の如く涙が溢れだす。

 足腰から力が抜けてしまい、最早立つことすらままならなず。惨めにも彼の胸に体を預ける形になってしまった。 

 

「ありがどう、ありがどう……」

 

 それでも、彼は恨み辛みを何一つ言うことなく、私を支えてくれた。その両腕はとても大らかな様相で私を包み込み、彼の体から直接伝わる体温がとても心地よい。

 

 ああ、人と触れ合うことのなんと素晴らしいことだろうか。

 目で求められ、口で求められ、そして全身で求めてくる。こんなの、困る。そんなことをされてしまっては、私の決意は脆く崩れ去ってしまうではないか。

 

 どうか、こんなにも軟弱で心の弱い私を許して欲しい。私は今、彼の隣に立ちたいと、強く思ってしまっている。

 

 

 

 

「……でも」

 

 

 

 

 ――だから、今暫く。

 

 私は、彼から離れよう。

 

「駄目……駄目なんだ」

 

 今の私は、彼に相応しくない。化物の私には、彼の隣に立つ資格すらない。

 

「……え?」

 

 その資格を得るために、私はモンドグロッソで優勝するのだ。そうして手に入れた栄光を(かざ)し、化物でも人の隣に立てるのだと、証明してみせるのだ。

 そうだ。私は高みを目指さなければいけない。モンドグロッソで優勝して、頂に座さなければいけない。

 

 でなければ。

 私は一体、何のために剣を振り続けたと言うのだろうか。

 

「寄りかかったりなどして申し訳ない。でも、もう大丈夫だ」

「箒……なんで……」

 

 彼は呆然と私を見つめている。

 

 こんな私に憧れてくれて。そして、友達になって欲しいとまで言ってくれた。

 

「今の私では、君の隣に立つに相応しくない。だから私は、必ずモンドグロッソで優勝してみせる。そして、頂点の座に着いて、溢れんばかりの栄光をその身に浴びてみせる」

 

 だから、彼に相応しい人間になるために。

 私は、モンドグロッソで優勝する。

 何故なら、それが私の存在意義だから。

 

「では、またいつの日か相見えよう」

「――――――」

 

 晴れ渡る晴天の下、私は彼に背を向ける。

 そしてそのまま、屋上を後にした。


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