いつの間にか、音が遠くなっていました。ぼやけていた視界は、慣れたのか、少しだけはっきり見えてきたような気がします。そこで電は、雷ちゃんが必死になって私に何かを叫んでいる姿を見ました。雷ちゃんは逆さまで歪んでいます。響ちゃんと暁ちゃんの姿もありますが、やっぱり歪んでいます。どうして三人で集まっているのでしょう。どうして電は、向こうに行きたいのに、行けないのでしょう。
すぐに、またぼやけてきて、皆が分からなくなりました。小さくなっているから……遠ざかっていっているのでしょうか。離れたくないのに。
視界はまた悪くなり、ついには真っ暗になりました。ちょっと肌寒くなってきたかな……。
寒くて、冷たくて、締めつけられるようで――。
――びっくりしました。電の目の前、下から上の方に“何か”が通って行きました。すごい速さです。通った軌跡に気泡が生まれて、とても綺麗です。……気泡?
ああ……ようやく、気付きました。電は沈んだのですね。
とろいというかにぶいというか、そんな電でもここまでくるとちょっとだけ笑えてきます。……電は上手く笑えているでしょうか。
撃ち抜かれた痛みは、全くといっていいほどありませんでした。今も痛みはありません。
……沈んでいるのだと気付いた途端、瞼が重くなってきました。戦いの中で沈むのなら、艦娘としての役目は果たせましたね。って、戦艦のお姉さんたちが言いそうです。……正直なことを言うと、もっと皆と一緒にいたかったのです。もっともっと、一緒に……ううん。艦娘として生まれ変わって、暁ちゃん達に出会えただけでも十分ですよね。
皆は無事かな? 多分大丈夫ですよね? 戦艦のお姉さんたちも居ますし、空母のお姉さんたちもいますし。きっと大丈夫なのです。なんだか安心してきました。
なら、もう願い事は、一つだけになったのです。
「次に、生まれてくる時は……平和な、世界だと……いい……な……」
電は、目を瞑り、身を任せました。
どのくらいの時間が過ぎたのでしょうか。
気がつくと、電はどこかで横になっていました。
辺りは薄ぼんやりとした……ううん、これは電の視界がはっきりとしていないだけですね。目を擦り、無理やりに視覚をはっきりとさせます。
それでも辺りは薄ぼんやりです。夜に似ています。電は沈んでいるので、天国か地獄かのどちらかなのでしょう。できれば天国がいいですね。……いい子にできていたか、今になって心配してきました。もう遅いですけれど。
あ、天国か地獄かの他に、皆の元に留まる場合がありましたね。その時は怖がられるだけなので、電は嫌なのです。天龍さんとかは喜びそうです。
ここは……、どれでしょうか。天国にしては暗い気がします。地獄にしては穏やかです。皆がいる気配もしません。
「……? 砂?」
電は体を起こしました。そこで、手に柔らかくて冷たい感触が伝わってきたことに気付きました。
夜の砂浜で砂を掬ってみた時と同じ感触です。
ということは、ここは砂浜なのでしょうか。
確かに、夜の砂浜というか、海岸線のような、静かな雰囲気はあります。星は……出てません。でも、曇っているわけでもなさそうです。
「……ここはどこなんでしょう」
電は、辺りを見回しました。真っ暗です。少しだけ、怖いかな……。
とりあえず、立ちあがって、
「――。――――? ――、――――――」
みようとしましたが、“音”が聞こえてきたので、そちらを見てみました。
そこには。
「ッ! く、空母、ヲ級?!」
右方向、電から五メートル程離れた所。薄ぼんやりとした景色に不自然な青い明かりが浮かんでいました。頭にアレを乗せ、不気味な白さと灰色と黒が、彼女(?)の持つ杖の明かりで輪郭を作っています。空母ヲ級は電を見下ろしながら佇んでいました。
「探しに行かせてよ、司令官!」
電が消えてから数分後の事。敵を退けることにも成功し、今は海の水面も静かだった。
雷は目尻に涙の粒を浮かべながら、鎮守府で待つ提督に通信を入れている。
『ダメだ』
「電は……電は、轟沈した訳じゃないのよ!?」
そう、彼女は轟沈したわけではなかった。
電を見ていた艦娘の証言によると、
「気付いたら動きを止めていた」
「そのまま海に入っていった」
「敵の攻撃を受けたようには見えなかった」
ということらしい。その上、「ここまで無傷で来られたのは初めてなのです、って、さっき話をしたわ」という艦娘もいる。
『……気持ちは分かる。俺ももちろん、今すぐ探しに行きたい』
「だったら――」
『けど、お前ら潜れないだろ?』
「それは……」
『ここはいったん戻れ。大破してる奴もいる。そんな状態で深海棲艦と鉢合わせてみろ。本当に轟沈しかねん』
「……」
『分かったか。艦隊は速やかに帰還しろ。これは命令だ』
「…………、」
『旗艦・雷、聞こえたのなら返事をしろ』
「…………んで」
ただでさえ、仲間が行方不明になっている状況で、なおかつそれは自分の妹である。雷は既に焦りを覚えているし、さらに通信機越しに聞こえる提督の声が、雷の苛立ちを増幅させた。
「なんで司令官はそこまで冷静なのよ!!」
『……』
「傷を負ってない仲間を失ってるのよ! 今すぐ探しに行くべきよ!! 溺れているだけなら、まだ間に合うでしょ! それこそ早めに動いた方が助けられるじゃない!! ほら、今の命令を取り下げて、私達に捜索命令を出して!!」
通信と雷のやり取りは聞こえていた。周りに居る艦娘は余計に沈黙を深める。
『……雷、言いたいことはそれだけか』
「え? ……も、もっと言いたいことはあるわ! どうしてそんなに冷静なのよ! とか……」
通信機越しで、溜め息が一つ漏れた。
『雷、残り燃料はどれくらいだ?』
言われて雷は燃料の残量を確認する。帰る分の燃料を引くと、活動できるのはほんの僅かな時間だけだろう。
『それはお前だけの問題じゃない。暁も響も、時雨も満潮だって同じことだ。捜索して燃料がなくなったので帰れなくなりました、では笑い話にもならん』
「それは……そうだけど……」
『それに、お前たちはそこで心配する必要はないんだ。帰って、安全な場所で心配していればいい』
「? それはどういう意味?」
と、艦隊の後方より水面を滑る音が聞こえてきた。だんだんとその音は近付いて来る。
『実はな、電が消えた瞬間を見ていた時雨から、事前に通信を貰っていてな。捜索隊を派遣させてもらった』
近付いてきたのは正規空母・赤城、軽空母・鳳翔、軽巡洋艦・天龍、軽巡洋艦・龍田、潜水艦・伊168、潜水艦・伊19の六隻だった。
「提督! 目的地に到着しました!」
「おー、ちびたちもいやがるぜ。……なんだよ、ぼろぼろじゃねぇか」
「むむむ、目標海域内の海中に、それらしい影は見当たらないのね……」
『そうか。引き続き、同海域内にて電の捜索を続けるように』
「「了解!」」
力強い掛け声が、雷を含めた六名の艦娘を支える。
『分かったか、雷』
「……うん。でも、司令官。私も探したいよ。電を探したい。ダメ?」
『ダメとは言わん。ただし、ここはいったん戻れ。補給なり修理なりして、きちんと編成を組んで、それからだ。もちろん、そんな暇をしている内に見つかればいいんだが……』
「司令官……」
提督の言葉の最後に、雷でも分かる程の不安色が滲み出る。彼も、彼女らと同様に、心配しているのだ。
『では旗艦・雷。もう一度命令する』
「はい!」
『早く戻ってこい』
「了解しました! 艦隊、これより鎮守府に帰還します!」
通信を終えると、雷の元に赤城たちが近寄る。
「雷ちゃん。ここは私達に任せて、ね?」
「お願いします、赤城さん」
雷達は、それだけを交わして、鎮守府へと向かう。
「気を付けて帰れよー! ……っし、じゃあこっちもちゃっちゃと終わらせようぜ」
「旗艦は私ですよ、天龍さん」
「んなの今は良いだろ?」
「天龍さんは、電ちゃんが心配で心配でしょうがないから、早く探し始めたいだけなの!」
「あーもーうっせーな! 俺はあっちを探すからな!!」
「ふふふ。じゃあ、私達も探し始めましょう。皆、準備は良い?」
「「はい!」」
こうして、電捜索が始まった。
びっくりしてるのです。現在進行形です。絶賛びっくり中です。
「はわわわわ……」
まさか、沈んだ後、深海棲艦に出会うなんて思ってもいませんでした。空母ヲ級は、電をじっと見つめています。
お、落ちつきましょう。電の装備は、いつものだけです。対空装備なんて持っていません。このままでは、電の不利……あれ? 電は沈んだのです。なのにどうして、電は戦おうとしているのでしょう。
「――――。――。――――――――――、――――」
「ふぇ?」
空母ヲ級が、電に何かを話しているようです。深海棲艦特有のコミュニケーションでしょうか、それとも電たちが使うような言葉のようなものでしょうか。口と思えるところが動いているので、言葉なのでしょう。……たぶん。電にとって日本語以外は、言葉のようで言葉でないものです。時々響ちゃんが言うあれは、ロシア語だと聞いたことがありますけれど、詳しくは分からないのです。
ふむ。電がこうして考え事をしていても、空母ヲ級が襲ってくる様子はないですね。
「――? ――――……――! ――。――――」
と、彼女(?)がこちらに近付いてきました。電は磁石が反発するように、空母ヲ級から離れようとします。が、何かが引っかかって動けなくなりました。……見てみると、兵装が砂にめり込んでいます。か、肝心な時に邪魔なのです!
「――」
「ひっ――」
空母ヲ級がその手を伸ばします。電は怖くて、目を瞑りました。
………………。
…………、
……?
「あ、あれ?」
何かが起きた様子もないので、電はうっすらと目蓋を開きます。
「――――。――」
空母ヲ級は屈んで、私に何かを言いました。言葉が分かりません……。けれどそこに、敵意のような、危険な気配は無いような気がします。
電は、ちょっぴり怖いけど、ちゃんと空母ヲ級に向き合うことにしました。
「――。――、――?」
しきりに空母ヲ級は何かを言い続けています。せめて、彼女の表情が分かり易ければと、思いました。
「――――――」
言葉が分からないのが、いけない事の様な気がしました。
「あの、えっと……ご、ごめんなさい。電は、あなたの言葉、分からないのです」
電は身ぶり手ぶりでそのことを伝えようとします。
すると、空母ヲ級は何を思ったか、頭に乗せているアレを取り、電の頭へ乗せようとしてきました。
「あの、ちょ、ちょっと、何してるんですか。や、やめてくださいっ」
電の抵抗も虚しく、頭に乗せられてしまいました。ちょっとだけ重たいです……。
空母ヲ級がどうしてこんなことをしたのかは、すぐに分かりました。
「ひゃっ! あ、あのっ……くすぐっ……はにゃっ……」
耳にこそばゆい感触が広がり、変な声が出てしまいました。糸こんにゃくで耳をくすぐられた感触です。もちろん、そんなこと体験したことないですけれど。
「――。――――? ――る?」
「ひにゃっ……やっ…………ぇ?」
「聞こえる? 私の言葉、分かる?」
空母ヲ級の、彼女の声が、言葉が、聞こえてきました。
「あら?」
良く冷える夕方だった。それまでの夏の暑さが嘘のように、夕暮れは秋色に染まっている。もうそんな季節のようだ。
「今日は冷えるから、早く戻った方がいいわよ、電ちゃん」
「赤城さん」
提督のおつかいで外出していた赤城は、帰り道で電を見つけた。電は鎮守府の庭にある共用ベンチに腰掛けて、足元を見ている。より正確に言うと、特に何もすることが無いのでぼーっと足元へ視線をやっていた。赤城は少し肌寒くなってきたから部屋に戻れと伝えるだけのつもりで、電に話しかけたのである。
「……」
赤城の存在に気付いてからもずっと、電はその場を動こうとしなかった。ただただ、地面を見ている。
「そこに、何かあるの?」
「……いえ、少し考え事をしていただけなのです」
電の雰囲気にいつもの明るさがないことに気付いた赤城は、彼女の隣に座る。そして買い物袋を漁って、
「はい、これ」
「? これは?」
「提督のおつかいで買い物に行ってきたんだけどね、こっそり提督のお金で買ってきちゃったの、コーンポタージュ。二本あるから、一本どうぞ。一緒に飲みましょう?」
「いいのですか?」
「冷めないうちに飲んじゃった方が美味しいし、ね?」
「じゃ、じゃあ、いただきます」
電は、少しだけぬるくなったコーンポタージュの缶を手にとった。赤くなった小さな手には少々熱かったようだが、それもすぐに慣れたようだった。
「難しい顔してるけど、悩み事?」
「悩みとか、そんなのではないのです。ちょっとだけ、考え事をしていました」
「そう……。もし、私で何か解決できそうなら、遠慮なく相談してね?」
「はい、ありがとうございます」
しばらく手の中で転がしていた缶を開け、口に含み、電はほっとした表情で飲み込んだ。それを見て、赤城も缶の封を開け、一口、美味しそうに飲み込む。喉が心地よくなる温度に、赤城もほっとした表情を作った。
「あの」
「ん?」
「電たちは、どうして彼女たちと戦っているのでしょうか?」
電の言った「彼女たち」というのは、深海棲艦のことだ。
もう一口飲もうとしていたところでそう聞かれた赤城は、動作を止めて、一呼吸置いた。
「……また随分と難しいことを考えていたのね。誰かに何か言われたの?」
「い、いえ。そんなことはないのです。……あの、すみません。やっぱりこんなこと考えるのはおかしいですよね? 忘れてください」
「ううん。電ちゃんらしい考え事ね。おかしいところなんて一つもないわ」
「そう、でしょうか?」
「そうよ。でも、難しいわね……。彼女達と戦うきっかけになった出来事は、もうずいぶん前の事のようだし……」
深海棲艦と交戦するようになったきっかけというのは、今となっては遠い昔の出来事である。残っている資料も僅かしかない。この鎮守府にさえ、きっかけの資料は存在していないのだ。
「あ、えっと、そうじゃなくてですね、戦う理由というか、何のために戦っているのかなって。もちろん、皆を守るためなのでしょうけれど……どうも、電はこれといった理由が思い浮かばなくって……」
「そういうことね。ううん……そうね。例えば私は、何のためかと問われれば、一航戦の誇りにかけて、とかかしらね」
「……、ですよね。赤城さんは大きな戦力ですし、理由もちゃんとしてますよね……」
ある意味、予想通りの言葉だったのだろう。電は花が萎れるように、視線を落とした。
が、
「ふふふ、なんてね」
「ぇ?」
優しい笑い声に、もう一度、視線を赤城に向ける。
「確かに、誇りは持ってるけど、いつもそのことを考えてるわけじゃないのよ? 大抵は、明日も皆で美味しくご飯が食べられますように、とか、元気に帰れば加賀さんも安心してくれるかな、とかかしらね」
「本当ですか? 赤城さんも、そういうことを考えるのですか?」
「私をなんだと思ってるのかしら?」
「あ、いえ、その……大人の人は皆、難しい事を考えているんだと思っていたのです」
「そんなことないわ」
赤城は電の目を見つめる。
「私も加賀さんも提督も、いつもいつも電ちゃんのいう『難しい事』を考えているわけじゃないのよ? 寝る前に『今日も悪い夢じゃないといいな』とか考えているわ」
「え、そうなんですか?」
「ええ」
「……なんか、普通なんですね」
「だって、私達も、普通だもの」
赤城は電の肩にくっつく位に身を寄せる。
「あ、そうだ。さっきの電ちゃんの質問だけど、『何のために戦うか』よりも、『何のために鎮守府に帰るのか』を考えるといいんじゃないかしら?」
「何のために帰るのか、ですか?」
「そう。それだと、さっきよりも答えが出しやすいんじゃないかしら。私はさっき言った理由があるから、ここに帰ってきたくなる、みたいに。ね? 電ちゃんは、どんな理由があって、この鎮守府に帰ってきたいのかしら?」
「私は……――」
――――。
――。
二人がコーンポタージュを飲み終える頃、既に空には星が瞬いていた。
「すっかり話し込んじゃったわね」
「はい」
電の雰囲気はすっかり明るくなっていた。
「やっぱり電ちゃんは笑ってる顔の方がいいわね」
赤城はそんな電を抱き寄せながら。
「心配事って、一つ無くなるだけで笑顔が生まれるの。電ちゃんももうきちんと物事を考えられるようになったから、いろいろと考えちゃうかもしれないけれど、困った時は私とか、大人の人に相談するといいわ」
「赤城さん……ありがとうございます!」
「ふふふ」
赤城は、安心したように微笑み、優しく電の頭を撫でた。電もくすぐったそうな表情を浮かべる。
「電ちゃん。コーンポタージュ、二人だけの秘密ね? 提督にも内緒よ?」
それは、共犯者が生まれたことで、心配事が一つ消えたから、ではないだろう。……そう、祈りたい。