空母ヲ級が電に問いかけました。
「あなたは艦娘ね?」
電は、少し怯えながらも、はい、と答えました。
「どうしてここにいるの?」
電は、沈んだから、と答えました。
「傷は……見当たらないようだけれど?」
「え」
電は、改めて自分の身体を見ました。確かに、傷らしい傷はありません。
「どうやってここにきたの? どうしてここにきたの?」
「あ、あの、ちょっと待って下さい。ここって、あの、地獄とか天国とか、そういうところではないのですか?」
「ちょっと違うわね」
「じゃあ、ここは……?」
「ここは深海。私達の住む場所よ」
し、深海? 住む場所? ああ、なるほど。だから空母ヲ級がいるのですね。……って、あれ? それって、
「私、沈んだんじゃ……」
ない? あれあれ? でも、沈んだら深海に……来るものなのでしょうか? そういえばそういうことは知りませんでした。
「あなた、自分が死んだと思っているの?」
「え、あ、……」
もし、まだ電が生きているのなら……ひょっとして、今、ぴ、ピンチなのです!?
と、空母ヲ級が電の方に近付いてきました。ゆっくりとした動作で、電を覆うように腕を広げて。電はたまらず身を竦めます。
「ひっ――」
暁ちゃん、響ちゃん、雷ちゃん、皆さん。電もとうとうここまでのようです。せめて、死というものが痛いものでないことを祈ります。
……祈っていますよ。
…………祈っているのです。痛くしないで欲しいと。
………………祈って……いるのですけれど、痛くもなんともないのです。もしかして、もうとっくに電は死んで――。
「――ぇ?」
何かが触れる感触に驚いて、少し身体をビクつかせてしまいました。が、痛くはありませんでした。恐る恐る目蓋を開けていき……電は目を疑いました。ほんのり冷たくて不気味な柔らかさを感じたと思えば、空母ヲ級が電を抱きしめていたのです。
「えっと、あ、あの」
「怖がらせてごめんなさい。でも、あなたは生きているわ。ちゃんと、生きている。大丈夫。もう大丈夫だから。死んだなんて思っちゃだめ」
正直、言葉に困りました。海の上で会う空母ヲ級のイメージしかなかった電にとっては、彼女はあまりにも優しく思えたのです。
「安心して、なんて言っても安心できないわよね。でも、私はあなたを攻撃するつもりはないの。お願い、信じて」
「わ、分かりましたから。その、できれば離れて欲しいのです」
怖いとか、そんな理由ではなく、ちょっと恥ずかしいから。
電がそういうと、空母ヲ級さんは静かに離れてくれました。
「ごめんなさい、困るわよね。なんて説明したらいいのか迷うけれど、私は普段あなたが見ている私達とは違うの」
「そう、なんですか?」
「ええ。……あら? 靴、壊れてるわね」
「え?」
空母ヲ級さんは、電の靴を指差しています。確かに、小さな穴が開いています。もしかして、これが原因で沈んだ(?)のでしょうか。
「ちょっと見せて」
そういうと、空母ヲ級さんは電の靴を触り始めました。
「……うん。これなら、直せるわね」
「直せるのですか?」
「応急処置程度で、ね。私の家に来てもらわないといけないけれど、いいかしら?」
この空母ヲ級さんは、悪い方ではなさそうですし……直してくれるのなら、お願いしてみても、いい、かな?
「敵艦見ゆ、なの!」
電の捜索を行っていた赤城一行は、捜索途中に深海棲艦と接触した。
「構成は駆逐二、重巡一隻!」
「致し方ありませんね。赤城さん、指揮をお願いします!」
「こんな時に……皆さん体勢を整えて! 輪形陣で行きます!」
赤城と鳳翔を囲む形で、天龍、龍田、伊168、伊19が位置につく。
「第一次攻撃隊、発艦準備!」
「風向き……よし。航空部隊、発艦!」
空母組が艦載機を飛ばした。弓から放たれた矢は綺麗な放物線で深海棲艦へと向かって行く。艦載機は流星となって煌めく尾を描き、彗星となって駆け抜けて行く。辺りには鮮烈な風が吹き荒れ、深海棲艦たちは赤城たちの艦隊に、それ以上近付くことができないでいるようだ。
艦載機の攻撃だけで、駆逐艦二隻が沈む。それを見て、残った深海棲艦は逃走を試みようと針路を翻した。
「あらー、もう声も出ないみたいねぇ」
「俺達の出番、ねえんじゃねえか、これ」
しかし、ここで逃せば応援を寄こされる可能性がある。空母組の攻撃に続き、潜水艦の伊号組が雷撃を放つ。
「魚雷一番から四番まで装填!」
「イクたちの魚雷攻撃、行きますなのね!」
遠ざかった深海棲艦へと、魚雷が向かう。結果は直撃。重巡型深海棲艦は沈んだ。
「海のスナイパーイムヤにお任せ!」
「イクの魚雷が当たったの!」
「イムヤの魚雷に決まってるでしょ!」
「イクの!」
「イムヤの!」
「はいはい、そこまでにしとけよ。ったく、俺も暴れたかったぜ」
「いいじゃない、無駄な弾薬を使わずに済んだんだから」
「ふう……では鳳翔さん、もうしばらく彩雲で警戒行動をお願いします」
「分かりました」
「皆は電ちゃんの捜索に戻ってね」
「「はーい」」
一時の緊張も嘘のように、海上に平和が戻った。
びっくりは継続中なのです。
ただいま電は、とんでもない所に来ています。
さっきの場所から移動することになったのですが、
「その格好じゃあバレちゃうから、これにくるまって歩いて貰えるかしら?」
と言われて、彼女のマントを渡されました。
そして電は、マントを身に巻きつけながら、ここを歩いています。
肝心の、ここがどこかというと。
「深海棲艦さんたちの街って……まずあることにびっくりなのです」
そうなのです。深海棲艦たちが住んでいる街に来ているのです。
「戦うことのできない子もいるから、こういうところは必要なのよ?」
「でも、あの、ちょっぴり怖いのです」
「ふふふ、何にもしてこないから大丈夫。でもそのマント、絶対に取っちゃだめよ? あなたにとって、ここは敵地なんだから」
「な、なのです」
右を見れば、屋台のようなお店が並んでいます。左を見ると、民家でしょうか。岩を荒く削ったような壁で、箱のような見た目にドアと窓が付いています。街、とはいったものの、規模としてはそんなに広く感じられません。ですが、確実に、ここには生活の匂いがあります。
「この、ほんのり青白い明かりはなんなのですか?」
電は、街灯を見て言いました。深海というだけあって、明かりが無いと真っ暗なのです。で、その明かりは、ガス灯に近いものを感じる見た目をしていました。見ていてほっとするのですが、明かりを灯しているのは火にも電気にも見えません。
「ああ、あれ? うーん、そうね……あなたは怖いの、大丈夫な子かしら?」
「へ? えっと、電はアレが火なのか電気なのかが気になっただけで、その質問は関係………………も、もしかして、」
「そのもしかして、ね。大丈夫、怖く無いから」
ヲ級さんは、笑ってそう言って、電の手を握りました。
先程いた場所は暗くて薄気味悪かったですけれど、ここはここでちょっぴり怖いのです。青白くて見やすい光ですけれど、電はもう、あの青白い光を見ないことにしたのです。
「姉さん!」
電が必死に下を向いて光を見ないようにしていると、前の方から声が聞こえてきました。
気付かれないように、ちょっとだけ前を見てみます。
声の主の足元だけが見えました。
「あら、どうしたの? そんなに慌てて」
「出発前に、姉さんに挨拶したかった」
「出発……そう……、ka―――も行っちゃうのね」
あれ、今まで自然に聞きとれていた言葉が、一部聞きとれませんでした。流れからして、名前でしょうか。
「si――も行ってしまったし、寂しくなるわね」
「そんなことないわ。今度こそ、憎き艦娘たちをやっつけてくるから!」
憎き……そうですよね、ここは深海棲艦さんたちが住む街ですから、そういう方がいて当然なのです。……なのです、けれど……なんて言ったらいいか分かりませんけれど、複雑です。
「……期待して待ってるわ」
「それじゃあ、行ってきます!」
「ええ、行ってらっしゃい………………。行ったわ、もう大丈夫よ」
「……あの方は、あなたの妹さんなのですか?」
「妹、と言えば妹なのかしら。縁があるのよ、あの子とは。……ここは中央からずっと遠いのに、それでもこうして戦いに行かせられる……。新しい武器ができたって聞いているけれど、大変な状況なのね」
「あなたは行かないのですか?」
「私は……いいのよ。さ、急いで行きましょう。私の家はすぐそこよ。落ちつける場所の方があなたにもいいでしょう? ……ちょっと周りを見てみて」
彼女は最後の言葉をこそこそ話のような音量にして、電に語りかけます。促された電は周りを見ました。こころなしか、さっきより、電に向ける視線にマイナスの感情が含まれているような気がしました。ばれてはいないようですけれど、ここは素直について行った方が良さそうです。忘れてしまいそうになりますけれど、ここは深海棲艦さん達の住処なのです。
「ね、急ぎましょう?」
「なのです」
この方のお家には、それからすぐに着きました。街のはずれ、というような場所に、ひっそりと建っています。見た目は周りのお家とほとんど変わりません。大きさも色も一緒です。
「さ、どうぞ。何もないところだけど」
「おじゃまします」
中は、いたってシンプルでした。
家具はテーブル一つに椅子が二つ、あとは戸棚だけです。広さは……電たちの部屋より少し広いくらいでしょうか。奥に台所みたいなスペースが、ちらっとだけ見えます。左手には、二階(?)に上がれる階段があります。二階が寝室だったりするのでしょうか。あえて確かめる必要はありませんね。
「そこに座ってて」
「はい」
彼女は奥に行きました。
しばし待ちます。
することがないので、考え事をします。ここは深海、と聞きましたけれど、呼吸ができるので、空気があるようです。温度も、言うほど寒くありません。少し涼しいので、夏の格好でいたら風邪を引いてしまいそうですけれど、心配するほどでもないです。
深海棲艦さんたちも、こういう平和な世界で暮らしているのですね。……どうして電達と戦うことになってしまったのでしょうか。なんだかちょっぴり悲しいです。
あ、ヲ級さんが戻ってきました。
「こんなものしかないけれど、いい?」
戻ってきたヲ級さんは、コップを持っていました。湯気が出ているので、温かい飲み物が入っているようです。
「あ、いえ、お構いなく、です」
「砂糖を溶かしたお湯だけど、身体があったまるわ。……念のために言っておくけれど、危険なものなんて入ってないわよ?」
わざわざ言ったということは、電がまだ信用してないと思っているのでしょうか。心外ですが、こういう時は「おとなのたいおう」をしなきゃいけないって、暁ちゃんが言ってましたので、電もそれに倣います。
「ありがとうございます。ありがたくいただきますね」
「ゆっくり飲んでてね。その間にそれ、直しちゃうから」
「はい。よろしくお願いします」
電は、靴を脱いで彼女に渡しました。彼女はまた奥に消えて行きます。
……。
…………。
………………。
暇です。何もないので、暇です。電の自由な時間の使い方というのは、暁ちゃんや響きちゃん、雷ちゃんと一緒に遊ぶことでした。もちろん、他の方とも遊んだりします。睦月型の皆とは好きなものとかが合うので、よく遊びます。
でもこれって、良く考えたら「一人で遊んだことがない」ということなのですよね。
電は、一人で時間を使うことを、知りません。
あ、少し前に、ちょっと考え事をした時は一人でしたね。あの時は出撃した帰りで……そうです。深海棲艦さんが沈む瞬間に、涙を流していたのを見て、ちょっぴり考えてしまったのです。
「……やっぱり、深海棲艦さんも、生きているのですよね」
ここにこうして住んで、慕うような相手もいて、心配したり、誰かを思ったり……ううん。今はこういうことを考えるのは止めましょう。
とりあえず、ヲ級さんが淹れてくれたものを、電は飲みました。
「ん……っ! び、びっくりするくらい美味しいのです……!」
ただ温めた水に砂糖を溶かしただけでも、こんなにもほっとするものなのですね。電はまた一つ賢くなったのです。今度、皆に飲ませてみましょう。
「ふぁ……、なんだか落ちついてきたのです」
ヲ級さんのマントも、いい匂いがする気がします。なんだか懐かしいような。
「というか、どこかで嗅いだ事がありますね、この匂い。どこだったかな……」
すんすん。むう……思い出せません。すんすん、すんすん。必死に思い出そうとしますが、
「そんなに臭うかしら?」
「ひぅっ! び、びっくりしました……脅かさないでください……」
いつのまにかヲ級さんが電の後ろにいました。今の行動、見られていたのは恥ずかしいのです。
「ごめんなさい。でも、しっかり洗濯とかもしてるから、臭わないはずなんだけどと思って」
「あ、その、いい匂いがするのです」
「そう、ならよかった……のかしら? ふふふ、良く分からないわね」
そういえば、ヲ級さんも優しいだけじゃなくて、どこかで見たことがあるような、そんな懐かしさがあります。
「修理はもう終わったんだけど、どうかしら?」
そういって、彼女は修理した靴を電に見せてきました。小さな穴は見事に塞がれていました。
「す、すごい! 直ってます!」
「良かったわ。一応、応急処置程度だから気を付けてね? 後できちんと直すか、新しいものに換えた方がいいわ」
これで応急処置なのですか……というか、そもそも電は、こんなになるまで使ったのでしょうか。さすがに気付く気がしますが……。
とにかく、今はヲ級さんに感謝しなきゃですね。
「ほんとうにありがとうございました!」
「いいえ、どういたしまして」
そういうと、ヲ級さんは電の頭の後ろを撫でました。優しくて……やっぱり、懐かしい感触です。でも、どこが懐かしいのか、それが分かりません……うぅ……このもやもやは好きになれないのです。
「さて、と。じゃあ、一つ確認してもいいかしら?」
ヲ級さんは私の向かい側に座って、電を真っ直ぐ見てきました。
「ここに来たのは、何か目的があってとかじゃないのよね?」
「はい。気付いた時には、あそこで横になってました」
「そう……。じゃあ、もしかして、帰り方も分からないってこと?」
「あっ……そのもしかしてなのです。そもそも、どうやってここに来たのかも分かりません。来た道も分からなければ、帰り道も分からないのです」
「あらあら、困ったわねぇ」
もし、この靴に開いた小さな穴が原因でここに来たというのなら、靴を直した今、帰れるかもしれません。ですが、
「あの、ここって、空気があるように思うのですけれど、深海なのですよね?」
「ええ。ドームの中、みたいなイメージをすれば分かりやすいかしら」
ドームの中……ということは、
「ドームの外は、海、なのですか?」
「そうね。海の底にあるのだから、外は海ね」
もちろん、電は潜水装備なんて持っていないのです。海の上に浮かぶことはできても、長く潜ることはできません。電は潜水艦ではないのです。電の装備で長く潜るということは、要するに、沈むことを意味します。轟沈です。それこそ、二度と皆の元に帰れません。
………………認め、たくはないですが。
「帰る方法が、無いのです」
電はこのままここで一生を過ごさないといけないようです。でも、案外平和な世界だから、よかった……のかな?
「ねぇ、そのことなんだけど、私に考えがあるの」
「考え、ですか?」
「ええ。でも、そうね……時間も時間かしら。だったら、ちょっと待っててね。もう少ししたら来ると思うわ」
来る? 来る……っていうのは、一体何なのでしょう……いえ、ここは彼女のいうことを信じることにします。彼女は悪い方ではないのです。電だけでは方法がないのは変わりませんし。とにかく今は彼女を信じるのです。
「その間は、そうね。あなたのこと、少し教えてくれるかしら?」
ここには、とても穏やかな空気が流れていました。
周囲に、変に騒がしいところが無いのも、いいスパイスになっているのだと思います。
「いいですよ、電の分かることだったらお話できます」
「じゃあ……あなたの名前って、i―――でいいのかしら? さっきから自分の事をそう呼んでいるわよね?」
あれ、電の名前を言ったのですよね。よく聞きとれませんでした。
「電は電なのです。い・な・ず・ま、です」
「あら? i、―、―、―、で合ってるでしょう? 言えてないかしら?」
むむむ。電が聞きとれないのでしょうか。それとも、発音できないのでしょうか。
「名前のところだけ、上手く聞き取れないのです」
「ううん……仕方ないわね。じゃあ気を取り直して。重ねて聞くけれど、あなたって艦娘なのよね?」
「なのです」
「艦娘って、普段はどういう生活をしているの?」
ヲ級さんは、本当に興味だけで聞いてきたのでしょう。楽しそうな眼差しで電を見ています。
「電たちの普段は普通、というかなんというか……。時間がある時は皆と遊んだりします。もちろん、自主的に練習をする方も居ますけれど」
「私達と変わらないのねぇ。どんな子と、どんな遊びをしているのかしら?」
「電はよく、暁ちゃんとか響ちゃんとか、雷ちゃんとかと遊んだりするのです。電の大切なお姉ちゃんたちで、とっても仲良しなのです。最近はお絵かきをよくしますね」
「どんな絵を描いてるの?」
「色々なのです。皆それぞれ好きな物を描いたりします。例えば、電は、鎮守府の皆を描いたりしますね」
「そう。鎮守府っていうのは、あなたが住んでいるところかしら。そこにはどんな子がいるの?」
「えっと、まず、電たちを指揮する司令官がいるのです。司令官さんは、口はちょっと悪い時がありますけれど、電たちのことを第一に考えて動いてくれる方なのです。あとは、優しくてかっこよくて綺麗な戦艦のお姉さんたちや、真面目で優秀で美人な空母のお姉さんたちとか。時々電たちと遊んでくれる重巡や軽巡のお姉さん、電と歳の近い、仲良しな駆逐艦の皆さんとかもいます。それと、食堂の間宮さんに、お道具屋さん、じむ? というお仕事をしているお姉さんもいるのです。あ、それとそれと、ちっちゃくてかわいい妖精さんもたくさんいるのですよ!」
「ふふふ。とても素敵なところなのね」
電が答えていると、ヲ級さんは頬笑みました。やっぱり懐かし――。
「――あっ」
空母ヲ級さんが誰かに似ていると気付いてから、それが誰なのか思い出せずにいましたが、今ようやく思い出したのです。
「? どうかした? 私の顔に、何か付いてる?」
「あ、いえ。あなたを見てからずっと、どこか懐かしくてあったかくて……でもそれがなぜ懐かしかったのか、分からなかったのです。ですが、今気付いたのです。電のいる鎮守府に、あなたに似ている方がいるのです」
「似て、る?」
「はい。赤城さんという方で、とても優しいお姉さんなのです」
「a――? a――……a――」
ヲ級さんは、しきりに赤城さんの名前を呟いているのでしょう。ですが、名前は、やっぱり聞きとれません。
「a――。……なんだか、始めて聞いた名前な気がしないわ」
「そうなのですか? お知り合いなのです?」
言ってて思いますが、空母ヲ級さんと赤城さんが知り合いだったら大変なことです。
「いえ、知り合いじゃないわ。私の名前、ちょっとだけ似てるからかしら」
「あなたの名前、ですか? なんていう名前なのです?」
そう言えば、この空母ヲ級さんの名前を聞いていなかったのです。「空母ヲ級」という名は電たちが呼ぶ時の名前ですから、個別の名前はあるでしょう。電が皆から「駆逐艦」と呼ばれず、「電」と呼ばれるように。
「私の名前は、a――。聞き取れるかしら? a、―、―」
「うう……ごめんなさい、聞きとれないのです」
「あら、残念」
赤城さんに似た空母ヲ級さんは、口ではそう言いながら、全然残念そうじゃありませんでした。楽しそうに笑っています。
赤城さんに似た空母――あ。
またもや、今思い出しました。
少し前、赤城さんは電に、昔話をしてくれたことがありました。電が生まれる前、大きな大きな船を作る予定だったという話です。その船は生まれることは無かったと、赤城さんは言いました。生まれていれば、私の姉になっていたとも言っていました。会えなくて残念だけど、でもその姉のおかげで加賀さんに逢えたとも、言っていました。確か、そのお姉さんの名前は。
「あの、あなたってもしかして、あ――」
電はその名前を口にしようとしました。ですが、電の言葉はヲ級さんに届きませんでした。
なぜなら。
耳を突き抜けるような音と衝撃が、突如訪れたのです。電達の視界は砂煙で遮られます。ヲ級さんと電が向かい合っているテーブルの、その真横に、何かが降ってきました。一瞬爆弾とか、そういったものを想像しましたが、全く違いました。
天井から落ちてきたのは、
「――ひっ!?」
「ッ! ……? あら、この子」
深海棲艦の重巡リ級でした。
落ちてきた重巡リ級は、酷い怪我をしていました。
びっくりしてしまいましたが、辛そうなリ級さんを見ていると、そうは言ってられません。
ヲ級さんは、彼女のそばに行き、腰を下ろしました。
「……」
「……あ、あの、大丈夫、なのでしょうか」
ヲ級さんはリ級さんを眺め、しばらく考えてから、
「残念、だけれど……」
と、今度は本当に残念そうに言いました。
「そんな……な、なんとか助けて上げられないのですか?」
「……ぁ」
この静かなヲ級さんの家の中でも、消えてしまいそうな小さな掠れた声が聞えました。リ級さんの声です。
彼女の声を聞いて、電も二人のそばに近寄りました。
リ級さんの驚くほど冷たい手を握り、見えているのかいないのか分からない目を覗きます。
「頑張って下さい! 大丈夫ですから、頑張って下さい!」
「……、」
何かを言おうとして、リ級さんは少しだけ笑って、目蓋を閉じました。電が握っている手の重さが、増した気がします。
「あ……あ……あの、起きてください。お願い、ですから……」
「もう、いいわ。ありがとうね」
ヲ級さんが、電の手をそっと握り、リ級さんから離させました。
どうしてこんなこと……と思いましたが、すぐに理由が分かって、電は何も言えなくなりました。仕方、ないのでしょうか……。
ヲ級さんが、どこからか大きい毛布を持ってきて、リ級さんにかぶせます。
それからヲ級さんは、リ級さんのそばを離れられない電の横に、そっと座りました。
「あなたは優しいのね。私もそうだけど、この子もあなたにとっては敵なのよ?」
分かっています。けれど、やっぱり電の考えは変えられません。
「できれば、助けたいのです」
「敵なのに? 戦っていて、あなたも私達に武器を向ける時があるのに? それでも、助けたいの?」
「……そう、ですよね。やっぱり変ですよね。敵なのに、命を助けたいって。おかしい、ですよ……ね……」
「……。ええそうね。おかしいわね」
そういうことも、分かっているのです。でも、電はどうしてもこの考えを捨てられないのです。
「あなたみたいな子が沢山いないのは、本当におかしいことだと思うわ」
……え。電は、聞き間違えたと思って、ヲ級さんの方を見ます。
「ごめんなさいね、意地悪な聞き方をして」
「あの、電の考えは、おかしいって思わないのですか?」
「そんなことないわ」
そういうと、ヲ級さんは、座ったまま電を抱きしめてきました。
「あなたは自分の考えに自信を持っていいと思うわ。その優しさは、誇るべきものよ」
ヲ級さんは、ぽんぽんと、電の背中を弱く優しく叩きます。
「……そう思ったことは無いのです。いつも、ちょっとだけ厳しいお姉さんに『甘い』って怒られるのです。あ、その方は決して悪い方じゃないのですよ?」
ヲ級さんはほんの少しだけ離れて、電の目をじっと見ました。ヲ級さんの目は青くて、とても綺麗で、宝石のようです。
「そうね。その子が言うように、戦場では甘い考えかもしれないわね」
「なのです……」
「でも、それは悪い考えじゃないわ。絶対に必要な考えね。きっとその子は、あなたの事が心配だからそう言うのよ」
心配、してくれているのでしょうか。今も、もしかしたら大騒ぎになってるかもしれません。
……なんだか、寂しくなってきました。
「あら?」
「……ぐすっ」
「私、何か気に障るようなこと、言っちゃったかしら?」
「ぐすっ……ち、違うのです……ちょっと、寂しくなってきちゃって……」
ヲ級さんが、再び電を抱きしめました。ちょっとだけ強く抱きしめています。
「……だったら、早く帰らないとね」
「なの、ぐすっ、です」
「あらあら、そんなに泣いちゃったら、目が腫れちゃうわ。大丈夫だから、ね」
そしてヲ級さんは、再び電を撫でてくれました。ヲ級さんの手で触られると、安心します。