#_Logix_Ficsario_
俺、ロジックス・フィクサリオがコルセイトに帰って来て、二週間が過ぎた。
一週間前までは、戻ってからの細かい手続きを含む事務作業や、今までお世話になっていた街の人への挨拶、そのついでに請け負う仕事などで忙しかったが、それもようやく、昨日で一段落したところだった。
「……ん? もうこんな時間か」
今日は、俺が帰ってから割と早い段階で依頼を出してきたリンカさんの武器の錬成をしていたのだが……集中し過ぎていたようだ。時間の経過が狂っている。さっきまで昼間だったような気がするが、いつの間にか、辺りには夜の帳が落とされていた。
耳を澄ませても、人の声による騒がしさは感じられない。聞こえてくるのは虫の声ばかりだ。それが夜の静けさと混じり合い、奇妙な空気をゆっくりと流している。仕事終わりの賑やかな時間は、遠い過去になったようだった。
俺は、たった今、錬成を終えたばかりの武器を専用の台座に置き、一息吐く。
「ふぅ……」
後は熱が取れるのを待つだけだ。
作業を終えた俺は書類を眺め、問題が無いことを確認すると炉の口を閉めた。小道具は定位置に。散らばった素材の塵を箒で纏め、塵箱へ。最後に、書類の束にもう一度目を通す。作業漏れは見つからなかった。
「よし、大丈夫かな。これで今日は終わりだ」
俺は安堵の溜め息を吐き、伸びをした。
一応、念のためではあるが、武器の熱が十分に取れるまではここから離れられない。それはつまり、アトリエで朝を迎えなくてはいけないことを意味している。まぁ、そんなことは日常茶飯事だったし、抵抗はない。中央から帰って来てからは初めてになるが、今日まで泊まりこみの作業が無かったのは、むしろ不思議なくらいだった。
「さて」
そろそろ寝ようかなと思ったその時、釜の中で何かが煮える音が聞えた。が、釜の前に人影はない。掻き混ぜ棒も、壁に立て掛けてある。
そちらで作業しているはずのもう一人の錬金術士・エスカは、ソファーで眠っていた。傍らに本が置かれているのを見ると、彼女は読書の途中で脱落したのだろう。
俺は彼女を気にしつつ、足音を立てないように釜へ近付く。
「中身は……安定してるみたいだし、大丈夫か」
だからこそ釜から離れて読書をし、さらにはまどろみの海へと泳ぎ出したのだ。俺は納得する。
寝息も立てないほど静かに、まるで時が止まったように、彼女は眠っている。呼吸している様子は身体(特に、上半身の部分)を観察すれば分かるが……そこをじろじろ見る訳にもいかない。俺は呼吸の有無を確認するとすぐに、視線を外す。その流れで、篭の中にあったエスカの毛布を手に取った。
「仕方ないな。ほら、そんな格好で寝てると風邪引くぞ」
起こさないように小声で忠告してから、俺はエスカに毛布を掛ける。
直後、ぱたん、とエスカはソファーに倒れてしまった。
本当に彼女の時が止まってしまったのではないかと俺は慌てたが、すぐに「むにゃ」という声を聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。どうやらエスカは熟睡し始めたようだ。
「全く……しょうがないな」
もう一度毛布を手に取り、掛け直そうとする。
コルセイトに戻ってきて、ほとんど変わっていなかったことに安心した俺だったが、一つだけ、少し複雑な気持ちになったことがある。
エスカの成長だ。
コルセイトを離れる前にした、かなり漠然とした約束を、エスカはきちんと守ってくれた。その点に関しては、エスカは素晴らしい、という言葉に尽きるだろう。
結果として、エスカは自他共に認める一人前の錬金術士になったのだった。
……まぁ、ようするに、だ。
俺にはそれが、エスカがエスカでなくなったように感じられたのだ。
とてつもないわがままだと、自分でも思う。
自分達で約束しておいて、それをきっちり守っているのに、不満を抱くだなんて、御門違いだ。
分かっている。分かってはいるのだが、二週間経った今でも時折、「今までのエスカ」に会いたくなることがあった。
毛布を掛け直し、エスカの寝顔を覗き込む。
今のエスカの寝顔は、やはりエスカだ。
「……当たり前か。エスカはエスカだよな」
立派になった彼女も、今までの彼女も、紛れもないエスカだ。
俺は自分にそう言い聞かせながら、エスカの頬を撫でる。
と、エスカが寝言を呟いた。
「んん……ロジー……さん……」
名を呼ばれて、手が止まる。
寝言で名前を呼ばれるのは、俺にとってこれが初めてというわけではない。随分と久しぶりだということは事実だ。中央から戻って来て初めての泊りだから……前に聞いたのは、ここを一度離れる前、ということになる。
だからか、俺は固まってしまった。今度は、俺の時が止まってしまったようだった。
甘美で、透明で、引力があり、上質な布を思わせる頭から離れられない声音。
その一つ一つに気が付き、意識し出したのは、はて、いつのことだったか。中央に一度戻る前からだったような気がするな、と俺は思い返す。
「……一体どんな夢を見てるんだか」
努めて平静を保ちながら、俺はソファーから離れた。なんとなくだが、今、エスカの近くにいるのは不味い気がした。
お互いに今日必要な作業は終わっているので、明かりを消しても良いだろう。何より明かりは、彼女の睡眠の妨げになってしまう。
ランプを消すと、アトリエはいよいよ釜の煮える音だけとなってしまった。
煮える音はあるが、今はまさしく静寂だった。虫も寝ているのか、声が聞こえない。こういう静けさは好きだ。なにより落ち着ける。
さて……俺も寝るか。俺は静けさを壊さないよう、心の中で呟いた。
アトリエのソファーがエスカの寝床になっているように、俺には俺の寝床がある。といっても、床だが。
夜空の明るさだけのアトリエの中で、手探りで自分の毛布を取り出し、いつもの場所にそれを敷く。簡単だが、これで一先ず、眠る準備が整った。
寝転がり、毛布に包まって、さぁ後は自分もまどろみの海へと泳ぎ出すだけだ、と目蓋を閉じると、再びエスカの声が俺を捕らえる。
「……私も……ロジー、さんが…………好き……です……」
「……え?」
これほどまでに惑わせる言葉があるだろうか。俺は両目を見開き、上体を起こす。
「エスカ、起きてるのか?」
俺の位置からでは、エスカが起きているかどうかは判断できない。返事が無いので寝ているのだろう。目を凝らして彼女の表情を伺うが、それもまた、闇の中だった。
ここからでも分かることといえば、エスカの影が、先程と同じまま、ということだけだ。
「……いや、いやいや。これはあれだな。どうせ、俺が作った料理が好きだ、とか、そういうオチだろ」
冷静でいるためには、その言葉を口にするしかなかった。暗闇のアトリエに響くような言葉にしては、少し間抜けな独り言だ。
「大体、エスカが俺を、なんて……話が良すぎる」
あまりにも甘美に残響する誘惑の言葉をなんとか押さえつけ、俺は再び横になる。上昇した心拍数は、いつまでたっても押さえられない。
「寝よう。寝ればいいだけだ、寝れば……」
暗示でもかけるように、自分に言い聞かせながら目蓋を閉じる。が、しばらくすると、三度、エスカの声がアトリエに零れた。
「ロジーさん、これで私たち……夫婦、ですね…………んん……」
「……」
残念ながら、俺は未だに眠れていない。今の言葉も、ばっちり聞えてしまった。
仮にまた何かが聞えてきても絶対に聞かないようにしよう、と意識していたのだが……逆効果だった。意識すると、不思議なことに、鈴音はよりくっきりするように感じられる。
俺は、断崖絶壁に立たされた気分に陥った。
ずるい。ずる過ぎる。これはどう捉えていいのだろうか。とはいえ寝言だぞ、寝言。本音なわけないだろう。いや、寝言だからこそ、普段の思いが云々。
「……はぁ」
すっかり眠気を失った俺は、ずるさにはずるさだろうと考え、もう一度半身を起こした。
向こうが好き勝手言うのなら、こっちだって好き勝手言ってやる。
一度唾液を飲み込んでから、彼女の方を向き、
「そうだな、エスカ。夫婦として、これからよろしくな」
寝言に返事をした。
言ってすぐ、俺は頭を抱えた。頭の中で、なんども言葉が巡る。
失敗だった。言うべきではなかった。恥ずかしい。なにより、これは痴態に入る行為だ。……けれど、そう感じる以上に……なんだこれ、めちゃくちゃ嬉しいな、くそっ。頬が緩んでしまう。これが幸せというやつなのか。
誘惑に負けた俺は、さらに言葉を紡ぐ。
「エスカ、愛してる――」
ぼこっ。
途端に熱が冷めていった。きっかけなんて、とても些細なモノでいい。釜の煮える音が、少し大きめにアトリエに響くとかでいいのだ。
俺は、今の煮える音でエスカも起きたのではと考えたが、闇に慣れた眼で見ても、エスカの影は変わりなく映っていた。
溜め息を吐いてから、俺は、自分自身に言い聞かせる。
何を血迷っているんだ、ロジックス・フィクサリオ。ここは仕事場で、今のはただの寝言だ。他人の寝言は聞かないようにするのが礼儀だろう。聞かなかったことにして、眠るのが筋だ。
「……、」
単刀直入に言おう。俺は血迷っていた。途中で止めた言葉は最後まで言うべきだと、愚かにも、考えてしまった。
冷静さを欠いた思考で、言葉を選び、口にしていく。
「……俺がそう言えるようになるまで、もう少しだけ、もう少しだけ待っててくれ、エスカ。ちゃんと言うから。必ず、絶対に、伝える。約束する。………………今は、おやすみ、エスカ」
寝ている人間に対して約束する奴がいるのかと、言ってから自分にツッコミを入れた。
俺は急に恥ずかしくなって、毛布に包まる。
さっきのエスカの寝言は、俺だけの秘密にしよう。墓まで持っていくぞ。
と決意したところで、俺も舟を漕ぎだす。
眠りに落ちるその間際、ちらりと見えた先程の錬成した武器は、もう熱を帯びていないようだった。