落ちこぼれ艦娘と、死神と呼ばれた提督   作:ふらみか

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「せいれーつ!」

 私の号令に鈍く反応する五人。

 海を背に、砂浜に横一列で並ぶ彼女たちの表情は、酷く曇っていた。あの睦月でさえ、黙って俯いている。

「摩耶は部屋か……まあいい。とりあえず、今日は五人の」

「あの……」

 私の話も途中な所で、その睦月が恐る恐る手を上げた。

「睦月、お腹が痛くなってきちゃって……」

 今朝食べた物の中に傷んだ物でもあったのだろうか。臭いは大丈夫だったはずだし、きちんとカセットコンロで火は通してある。何より一緒に食べた私達は平気だが、なにも、腹痛を引き起こすのはそれだけではないか。

「休んでいるか?」

「ひゃい……」

 睦月がもぞもぞと木陰に移動する。ハツラツさを無くした彼女を心配しつつ、私は四人だけとなった艦隊に向き直した。こうも少人数だと、いよいよ寂しささえ感じる。

「では改めて、四人の海上運動の実力を測る。回れ、右! 隊列を崩さずに進水!」

 若葉、那珂、鳳翔、山城は、しぶしぶ後ろを振り返り、海の上に立つ。一つ一つの動作が緩慢だが、大目に見よう。

「前進、第一船速! 始め!」

 小波の隙間を縫うように、彼女たちが進む。多少遅い者と速い者がいるが、及第点だ。

「よし。前進やめ! その場で進路を十一時の方角に固定! 第一船速で15m直進した後、停止せず、航行速度を維持し、右に旋回! 一時の方角に進路を固定し、15m直進! その後、船速を維持し、右に旋回! 六時の方角に進路を固定し、減速しながら直進! 今いる場所付近に戻ってきたら、停止! それでは艦隊運動、ようい! 始め!」

 少し複雑な指示だが、これは彼女らが習う艦隊運動規範の練習項目にある動きの一つだ。艦娘であれば、難しいことではない。むしろ、これが出来なければ、鎮守府に所属するのは絶望的である。

 艦隊運動を行う彼女達を見て、まぁ、これも大目に見て及第点だろうか、と思う。ただ、決してよくはない。速度もバラバラ、進行方向も若干ずれている。あれではいつか衝突するだろう。もはや、本当にこの鎮守府に所属できたのが怪しいレベルだが……前任の司令官がいないということだから、無条件での配属だったのだろう。

 四人が、号令をかけた付近に戻ってきて、停止する。

「皆、お疲れさま。もう少し、お互いの距離感を掴んで動けたらいいと思う。あとは、そうだな。動きが硬い。というか、鈍い。次はその辺りに気を付けて動けるようにしよう」

「……」

 反応してくれる者がいないのは、寂しいものだ。ともあれ、これで皆の大体の練度は確認できた。

 辺境過ぎるこの地で、前任の指令も無し、と言うことだったが、思っていたよりはマシだった。この調子だと、摩耶や睦月も大丈夫だろう。

「では次だ。砲雷撃の練度を確認したい。……のだが、睦月、体調は大丈夫そうか?」

 私がそう聞くと、睦月はお腹を抱えて痛そうにしていた。とても辛そうである。

「無理そうだな……。なんなら先に鎮守府に戻っていても――」

「仮病はやめたら? 見苦しいわ」

 と、私が睦月に声を掛けていると、海の方からかぶさるように棘のある言葉が聞こえてくる。そちらを見やると、腕を組み、不満そうな表情を浮かべながら明後日の方へ視線を投げる山城がいた。

「――仮病? どういうことだ?」

 山城は溜め息を一つ吐いて、さぞ面倒だという雰囲気で言い放つ。

「それ、怖くて海に出られないのよ。情けないことに」

 驚きながらも、私は睦月を眺めて、確認を取る。

「睦月、山城の話は本当か?」

「……」

 黙るということは……肯定、か。

 ううむ。この雰囲気で練度の確認などは、出来そうにない。まずは睦月の問題を解決せねば。

「……では、四人は今やった事を、正午まで反復練習しててくれ。申し訳ないが、先程の出来では、今すぐでなくともいずれ事故に繋がる。砲雷撃の練度の確認は、明日以降に変更しよう。正午になったら昼食にするから、食堂に戻ってこい。昼食後から十八時までは自由行動とする。午後については、昼食時に話そう。では、練習始め」

 露骨に鳳翔と山城は嫌そうな顔を浮かべたが、案外素直なのか、四人は嫌々海の上へと進んでいった。

 あとに残るのは、私と睦月だけ。

「さて……睦月。怒ったりしないから、本当のことを言ってくれ。海に出られないのは、本当か?」

「……はい……すみません」

「そうか……」

 困った、とは思うが、中にはそういう艦娘もいるだろう。艦娘だって、少女なのだから、不思議ではない。もっとも、そういう恐怖心を持ったまま艦娘になろうという者はほぼいないのだが。

 正直な話、私は彼女たちに無理をさせたいとは思わない。出来ることなら、恐怖に感じている対象からは、離れさせてやりたい。

 

 しかし同時に、私は、「艦娘は海の上でこそ輝く」とも思っているのだ。

 

 彼女らがこの世に生まれ、時代を引き継ぎ、その役目を終えてなお、私にとっての彼女らの居場所は、広い広い洋上なのだ。

 艤装さえあれば海の上で自由に動ける彼女らは、大空を飛ぶ鳥となんら変わらない。

 だからこれは、本当に自分勝手な考えでしかないが、無理はさせたくないけれど、艦娘にはなるべく海の上にいて欲しいのである。

 そのためには、まず。

「睦月は、海がどういうふうに怖い?」

 彼女にとっての恐怖を探り、理解し、乗り越える方法を見つけ出さなければ。

 だが、睦月はだんまりしてしまった。

 私の憶測でしかないが、何かわけがあるのだろう。漠然とした恐怖でも、それだけならば、ぼんやりとでも言葉にできるはずだ。単純な恐怖心とは別の何かが睦月にはある、ということになる。

「……よし、睦月。午後は特別メニューだ。嫌だとは言わせない。もちろん、俺も付き合う。ひとまず、先に食堂で休んでいよう」

 睦月は黙りながら、幽かに頷き、鎮守府に向かう私に付いてきた。

 昼食を用意する時も静かに座っていたし、私が昼食を用意する間も俯いているだけだった。皆が戻って来ても反応は無し。食事中は睦月に限らず、全員、黙っていたが。

 昼食を取りながら、私はこの後の予定――私と睦月は特訓。砲雷撃の練度の確認は、未定――を話した。練度の確認は急ぐ必要性もない上に、午前中の皆の反応を見るに、最初からテストを重ねても不満が募るのは容易に想像できたからである。というわけで、他の者は予告通り十八時まで自由時間とした。

 それでも皆は何も言わなかったが、沈黙は肯定と受け取ることにして、私は箸を進める。黙々と食事するだけの光景が、廃れた校舎の一室に広がったのだった。

 

 

 

 

 

 昼食後、山城の部屋の前で待つこと数分。

「はい。これが予備よ」

 彼女が船底部の予備を持って部屋から出てくる。

 船底部は、艦娘が海の上に立つための「要の艤装」とも言われているものだ。必死の思いで彼女に貸して欲しいと嘆願したそれは、下駄の形をしていて、かかと部分に小さなスクリューが付いている。

 下駄タイプの他にも、ブーツタイプ、シューズタイプとあるが(草履草鞋タイプは下駄タイプに分類する)、ある程度サイズの違いを気にしなくても使えそうなものは、この下駄タイプだろう。我慢して使えそうというレベルの話ではあるが。

 じっくりとそれを眺め、私は思わず呟く。

「……これで私も浮けると思うか?」

「はぁ?」

 さすがに聞こえなかったというわけではないだろう。彼女の視線がそれを物語っている。あまりの発言に意見をいう気も湧かないといった風に、山城は怪訝な目を私に向けた。

「あぁ、いや、今のは気にしないでくれ。ありがとう、山城。少し借りる」

 私はそれを持って、睦月の待つ先ほどの砂浜へと逃げるように向かう。

 決して、その場の空気に耐えられなかったわけではない。 

 

 

 

 睦月は体育座りをして待っていた。心なしか、いつもより小さく見える。眩しい太陽は、雲の影に身を潜めたようだった。

「待たせてすまないな、睦月」

「……」

「さ、始めよう」

「……提督」

「ん?」

「えっと……」

 睦月が顔を上げ、口を開こうとするも、言葉が続かない。睦月は、辛そうな表情を浮かべていた。

 その表情を見て、恐怖とは別の何かが彼女にあるのだ、という予想を確信に変えた。

 そして思う。

 この子を陸に縛り付けているものから、救えないかと。

 言っておくが、私は別に、睦月の過去根掘り葉掘り探ろうとは考えていない。探らずとも鎖は断ち切れるものだと思っているし、私にだって皆に言っていない過去くらいある。幼くても艦娘として生きてきた睦月ならば、そういう過去の一つや二つ、あってもおかしくないのだ。

「睦月、無理して言わなくてもいい。まだ気持ちが落ち着かないなら、もう少し、休もうか?」

 彼女がその過去を正直に話すのか、あるいは嘘を並べるのかは、大きな問題ではない。話すことも重要ではないし、そう言った過去があるかないかも、この際関係ない。

 結局のところ、彼女が前に進みたいと願わなければいけないのだ。

 私は、彼女の支えや後押しになれれば、それでいい。

 ともかく、今すぐに特訓するのは厳しそうである。私は彼女の隣に腰を落とし、空を仰ぎ見た。

 清々しい青空、というには、少々目に痛い色の空だった。雲も少ない。海風があるのが幸いだが、無風では、蒸し焼きになってしまいそうな気温だ。打ち寄せる波が、気持ち程度の涼しさをもたらしている。

「良過ぎるくらいの天気だな……一年半程、外の世界から離れていたからか、陽射しの耐性が無くなっている気がする。すぐ肌が痛くなりそうだ」

「……一年半、というのは……?」

 私の口から出た単語に、睦月が反応した。

 会話しようとしている、というのは、心に落ち着きが戻ってきた兆しだろうか。そうだと信じたい。

「あぁ、ちょっと失敗をしてしまってな。別に秘密にするつもりはなかったんだが、言ってなかったな。この島に飛ばされたのは、それが原因だともいえるんだ」

「……提督は、何を失敗したんですか?」

「一人の艦娘を失わせてしまった」

「えっ……」

 自分でも驚くほどすらりと、自分の罪が口から零れた。案外、トラウマにもなっていないようで、ほっとする。

「海が良く似合う奴だ。海上を進む彼女は、凛としていて威厳があった。自分が艦娘であることに誇りと感謝の念を抱くような奴でな。ちょっと頑固だけれど、皆からも厚い信頼を寄せられるような、そんな艦娘だった」

「……」

「けれど私は、たった一回の失敗で、そいつから海を奪ってしまった。海の上の彼女に、希望さえ感じていたのに、だ」

 思い返せば、その一回の失敗で、あっという間に失墜したのだった。それほどまでに、彼女は皆の希望であり、象徴だったのだろう。それを壊したのだから、むしろ健全なままここに飛ばされたのは幸せなのかもしれない。……いや、私の知らないところで、これまでの戦績が白紙に戻っていてもおかしくはないか。

「その時からだ。もう二度と、艦娘から海を奪わないと誓ったのは」

「……だから、睦月にも、海に出て欲しいと思っているのですか?」

「だから、なのかは、正直分からない。元々私は、時代が変わっても、艦娘は海の上を進む姿が一番輝いてると思っているからな。自分勝手な妄想だが、睦月も、一番輝ける場所は海の上だと信じている」

「……本当に、自分勝手な妄想です。睦月の事、なにも知らないくせに」

 何も知らないからこそ、そう信じている節はある。

「まだ二日目だからな。これから少しずつ知って行けばいい」

「……」

 また黙ってしまった。せっかくの会話だったのだが……もう少し明るい話題で話せば良かった。よく考えてみれば、こんな時に自分の話をする馬鹿はいないな。時すでに遅し、である。

 後悔と静寂が重なる。寄せては返す波は、何も清算してくれない。

「――あの」

 長い沈黙の後、唐突に睦月が口を開いた。

「そういう話をしてくれて、ありがたいのですけれど……でも、やっぱり睦月は、海が怖いです。提督の良く知る艦娘みたいに、強い思いも睦月にはなくて……友達の付き添いで付いて行って、流されるままなっただけなので……」

「きっかけなんて、些細でいい」

 私も、元は就職口がこれしかなかったというオチだ。誇れるような矜持もない。

「でもでも! 皆からも、お前はなんで艦娘になっているんだって、早く辞めろって……! 睦月はその子と一緒にいたかっただけなのに……!」

 皆から、か……あまり気分のいい話ではないな……。しかも、その場での解体処分なり合成処分なりで処理すればいいものを、引き金を引けない人間が運営していたのか、この島へ飛ばす処理にしたのだろう。これは、責任逃れの上に、問題を他人へ丸投げしたことになる。少しは睦月や、その友人とやらの想いが背景にあるのかもしれないが、いずれにしろ、教育を怠ったのが原因だ。雷撃処分にしなかったのが、唯一の幸いか。これが、彼女を陸に縛り付ける鎖の一つだろうという想像は、間違いではないはずだ。

 とはいうものの、その辺りに怒りを覚えるのは筋違いである。

 非常に腹立たしいが、これは、彼女自身が自分の中でその出来事をどう消化するか、という問題だ。

 私は彼女の支えでしかない。協力出来ることはなんでもしようと思ってはいるものの、彼女が望まない行動をしようとは思っていない。

「今の睦月の話を纏めると……少しきついいい方をしてしまうが、艦娘失格の烙印を押され、今までの自分の葛藤と相俟って、海に出られないようになってしまった。そういうことであっているか?」

「はい……そもそも、海が怖いという気持ちもあったのです……」

 これはなかなか手強いかもしれない。

 睦月は海に出る理由を持っていないのだ。おそらくは、流されるまま艦娘になって、それほど時間も立っていないだろう。ということは、あの深海棲艦との戦いもほとんど経験していないと予想される。守るために生まれた彼女たちではあるが、守る経験をしないままその決意を持ち続けろというのは、酷な話だ。

 ならば、少しアプローチを変えてみよう。

「一つ聞くが、その友達というのは、睦月を馬鹿にしたことはあるだろうか?」

「ほぇ……?」

「海に出られず、艦娘であることに悩みを抱えていた睦月に、邪魔だとか、そういった言葉を言ってきたことはあるのか?」

「そんなことないのです! ……けれど、心のどこかで思っていたと思います……あの子は優しいですし、あんまり本音とか、いう子じゃないですし……」

 なるほど。とりあえずは良かった。これで、支えがもう一つ出来たことになる。

「睦月、決めつけは良くないな」

 少し前の私自身にも言えた台詞だが、この際、自分のことは棚に上げよう。なるべく優しい口調で、彼女の歪みを正すことに集中する。

「直接言われたのならまだしも、言われてない事をさも言われたかのように思いこむのは、相手に対して失礼だ」

「で、でもぉ……」

「睦月は聡い子だから、分かるな?」

「……はい」

「よし、良い子だ」

 できるだけそっと、彼女の頭を二度撫でる。これを後でセクハラだと訴えられたのなら、それは仕方ないことだと腹をくくるしかない。

「今、その睦月のお友達はどうしているんだ? まだ艦娘を続けているのか?」

「はい! それはもう、大活躍なんですよ! あの大戦終わらせたっていう横須賀鎮守府への移籍も決まってて……本当に、同じ時期に決まった異動とは思えないくらい、睦月とは大違いです」

 睦月は本当に好きなのだろうな、そのお友達の事が。今までの陰りが嘘のように、目を輝かせている。その分余計に、最後の言葉での曇り具合が尋常じゃなかった。

 にしても、横須賀か……頼めばその子の近況位は教えてくれそうだな。

「じゃあ、ちょうどいい。睦月、その子に、メッセージを送ろう」

「ほえ? メッセージ、ですか? お手紙でも書くのですか?」

 それでもいいのだが、今の睦月だからこそ効果的なメッセージの送り方が、一つだけある。

「何も、文字や声で伝えるだけが、メッセージじゃない」

「はい?」

「睦月が艦娘として活躍すれば、その子に届くはずだ。私は今、こんなに輝いています、と」

 向こうが睦月の状態を当時から知っていて、睦月の事を蔑んでおらず、それでいてリアルタイムで睦月の状態の変化を知り得ない。この三つが揃っていれば、大きな吉報を第三者から聞かされると、とても驚くものである。手紙関連に関しては、睦月のしたいようにすればいい。この場合での手紙を書く際に注意するべきは、大きな成功を得られた時に、それを書かないようにすることか。

 そういった思考を巡らしている間も、睦月はまだ私の言葉を飲みこめていないようだった。

「私はそのお友達ではないから憶測でしかないが、睦月が、自分が艦娘になったことを悩んでいたのと同じように、その子も悩んでいたと思うんだ。――睦月を巻き込んでしまったって」

「……」

「だから、その子の悩みを晴らしてあげよう、睦月。他の誰でもない、睦月の力で」

 黙る、というよりは、思考停止と情報処理中のような表情で、睦月は固まってしまう。徐々に飲み込んでいるのか、少しずつ彼女の表情が変化していくのが分かった。こういっては悪いが、面白いものである。

「そ、その子の、ために……睦月が、活躍?」

「ああ。難しい話じゃない」

「で、でも、睦月、海が怖くて、出られなくて……」

 これでようやく、スタートラインに立てた気がした。

「何も、それは珍しいことじゃないぞ、睦月。私も海に関係する人間だが、海は怖い」

「え? 提督も怖いのですか?」

「ああ。言いしれない恐怖が海には眠っている。いつそれが目を覚ますかと思うと、ゾッとする」

 少しおどけて話して見せる。もちろん、本音でもある。艦娘と海のセットは「希望」を思う程に好きだが、それとこれとは別だ。

「だが、私は恐怖をそのままにしたくない性格でな。すぐに安心を求める。だから、睦月も安心を見つけられればいいんだ」

「あん、しん……」

 少しずつでも、睦月が考え始めた。あと一息だ。あと一息で、スタートラインから一歩踏み出せる。彼女にも練習する気持ちが芽生える。私はさらに、追い打ちをかけていく。

「一人きりだと思うと、寂しくて、何も出来そうもなくて、怖い。失敗すれば、取り返しがつかないような気さえしてくる。けれど、誰かがいてくれれば、その誰かと恐怖を共有できる。単純に、力も増える。一人じゃ何もできなくても、誰かと一緒だったら何かできるかもしれない。失敗も、フォローしてくれる。そう考えると、一人の時の恐怖と二人の時の恐怖は、随分変わってこないだろうか」

「そう……かもしれませんけれど、でも、今ここには、睦月しかいませんよ?」

「いや、私がいるだろう? 今だけでなく、これからも私が、睦月の不安と恐怖を共有する。もちろん、皆も共有してくれるはずだ」

「ううん……でも、共有してくれるだけじゃ、安心できないのです……」

 つまり、海に出るにあたって、睦月は具体的な安心感が欲しいのだ。

 それはそうだろう。先ほどの睦月の話しぶりから、出港もほとんどしていないようだった。それどころか、進水すら怪しい。水が苦手、という話題ではなかったのが、せめてものプラスな部分か。

 目標や心の支えは出来た。あとは、具体的な安心感があれば、という具合だろうか。

「では睦月、ここで問題だ。これは何だと思う?」

 そこで、私は借りてきた艦娘用船低部の予備を見せた。これは下駄の形をしていて、私の足でも融通がききそうなものだ。

「それは山城さんの、ですね」

 艦種を言い当てて欲しくて尋ねたわけではなかったが、考える素振りすら見せず、睦月は記憶を引き出した。艦娘としての自分に悩みつつも、今まで自分から辞めたいと言わなかったのは、少しは受け入れ、努力しようと思っているのかもしれない。でなければ、この船底部を見ただけで艦種を言い当てるなど、できはしない。

「良く分かったな。正解だ。さらにもう一つ問題だ。なぜ、私は、今これを睦月に見せたんだと思う?」

 今度こそ、睦月は首を傾げて考え始めた。約十秒だけ待ってあげてから、私は彼女にこう告げる。

「時間切れだな。実はさっき考えていたんだ。どうすれば、睦月が安心して練習できるかを」

 安心感云々を差し引いても、観ているだけの者があれこれと口をはさむのは、実際に良くないと思う。こういう場合の練習だって、本来は訓練艦娘などが付くものだろう。もちろん、この鎮守府に、そのような訓練艦娘はいない。

 そこで、私はある結論を出した。

「睦月、私と一緒に練習しよう」

 観ているだけの存在にならなければいいのだと。

「……ええっ?! て、提督と、ですか!?」

 

 

 

 

 

 さすが艦娘用の艤装。不思議テクノロジーが細部にまで詰まっているというのは、まさにこの事だ。

 なにせ、私が下駄型船底部を履こうとすると、明らかにサイズが小さかったそれが、私の足に自分で大きさを合わせてきたのだ。結果、なんの問題もなく履けた。

 とはいえ、私は今機関部を接続していないため(接続できるのは艦娘だけだが)、浮くことしかできない。もっとも、その浮くことが重要であるわけで。

「ここは浅いから怖くない怖くない……!」

 私は自分に言い聞かせるように、慎重に海の上に足を置く。まだこの辺りは足が底につくから、転んでも大丈夫……な、ハズだ。

「て、提督、やっぱり無茶ですよー! 提督は艦娘じゃないのですからぁ!」

「見ていろ睦月……人間だって、艦娘の艤装があれば、洋上の活動も夢じゃないことを証明して――」

「きゃっ!?」

 一見すると、艦娘はスケートのように海の上を滑るのだから、てっきり同じ要領なのだと思っていた。

 率直に言おう。

 全く別物である。

 私は盛大に転び、全身ずぶ濡れとなった。足は付くが、身体が沈む分を計算していなかった。頭の先まで、海の中に入ってしまう。

「――ぷはっ! ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ!」

 服に水が染みてくるのは気持ちが悪い。着衣水泳の講義を思い出した。あれはなかなか大変なものだった。

「……ぷっ、ふふふふっ。提督、それはさすがに無理なのですよぅ」

「む、笑ったな睦月?」

 睦月の笑った顔は、随分と久しぶりに感じる。たった半日程度だというのに、数ヶ月ぶりに思えた。いいものだ。彼女にはずっと笑っていて欲しい。

「や、え、わ、笑ってない、デスヨ?」

「いいんだいいんだ、笑え笑え。まぁ、やってみないことには分からんだろう? 何だって『挑戦』は大事だ」

「艦娘になれない男の人が、艦娘の艤装を扱う挑戦なんて、見たことも聞いたこともないのです」

 残念ながら、これには私も同意せざるを得ない。

「だが、今実際見てただろう? つまり、私が第一号というわけだ。誇らしいな」

「それは屁理屈ですよ、提督」

「語り継ぐかどうかは、睦月に任せる」

「絶対誰にも言いたくないです」

「ははは、それもそうか。……さて睦月、次はお前の番だ。あんなに笑ったんだ、睦月のお手本を見せてもらおう」

「……はい、分かりました」

 ふざけた雰囲気が、一気に真剣なものに変わる。艦娘にとっては息をするようなことでも、彼女にとっては高台から飛び降りることと同義なのだ。

 睦月はまだ怖いのか、恐る恐る足を踏み出した。

 脛まである水深から、階段のステップを一段上るように、海水面へ足を掛ける。その動作は、贔屓目に見ても、危なっかしい。艤装を全て装着している彼女の足元は、全く濡れていない。不思議テクノロジーの効果が、ずぶ濡れの今は少し羨ましかった。

「睦月、まだ安心できないか?」

「ううー……やっぱり怖いのです……」

「ううむ。ならば……少しそのまま待っていてくれ」

 私は、艤装を外して一度浜へ上がり、再び戻って片足だけ上げた睦月の目の前に移動した。

 そして私は、彼女の両手を取る。

「これでどうだろうか?」

「て、提督っ?! あ、あの、これはっ」

「私を手すりや杖だと思えば良い」

「ーーーーーーッ」

 睦月は戸惑いながらも、海上へと立ち上がった。彼女の膝はまだ震えている。

「私に寄りかかっていいから、このまま海へ向かってみようか」

 その彼女の手を引きながら、沖の方へと進む。私は先ほど艤装を外したので、そのままずぶずぶと海に飲みこまれて行くが、まだ浅い場所なので問題はない。服も、一度濡れてしまえば、である。

 私の膝上10cmの辺りまでやってきただろうか。私との身長差が元々あったので、彼女を見上げるような形には、まだなっていない。むしろ、ようやく目線が同じくらいになり、視線が時折ぶつかって、少し気恥ずかしかった。

「どうだ? 少しは安心しているか?」

「うぅ……」

「睦月、恥ずかしくても、しっかりと前を見るんだ。でないと」

「ひぁっ!」

「おっと」

 突如、転びそうになった睦月を、抱きしめる形で受け止める。体格差や、彼女がまだ少女だという事実は認識していたが、あまりにも軽い身体に、少し驚いた。

「ほら、言わんこっちゃない」

「にゃ、にゃーーっ!?!?」

 耳元で鳴かれ、思わず私は受け止めた手を緩めてしまう。

「ど、どうした? どこか捻ったりでも――あ、おい、睦月!」

 睦月が暴れだし、私はついに彼女を離してしまう。それがいけなかった。

 彼女は、勢いよく沖の方へ走って行ってしまったのだ。

 ……ん?

「睦月! 待て、睦月!!」

 あれは、走れている……ということでいいのだろうか。

 しかしそのことを今、喜んでいる暇はない。パニックに陥った彼女を止めなくては危険だ。まさか、進水訓練で溺れて轟沈、なんていうのは笑えない冗談だ。今の時代、轟沈はほぼあり得ない現象だというのに。

「追いかけたいが、くそっ……! 向こうはやはり船か!!」

 必死に泳ぐが、船には敵わない。着衣ということも加味し、随分と遅くなる。

「ふぇ~~~ん!!」

 向こうは向こうでパニックのままらしく、速度を緩めようという意識は無いようだ。どんどんと、沖へ沖へ進んで行く。

 と、睦月の進む方向に、若葉がいるのが見えた。自主的に訓練して、ここらに来たのだろう。

「若葉、危な……いや、若葉! 睦月を止めてくれ!!」

「ん? ……!? む、睦月?!」

「ふにゃーーーー!!」

 声を掛けるのが遅かった。二人は盛大に衝突し、海の中に消えていく。

 私は急いでそこまで泳ぎ、水中に入り込んでしまったであろう睦月と若葉へ、大声で呼びかけた。

「はぁ、はぁ……大丈夫か、睦月、若葉!?」

 さすがにここまで着衣で泳いだからか、体力が激しく消耗している。息をするのも困難なほどだった。

 私が呼びかけてすぐ、若葉が水面から顔を出す。

「わ、若葉は大丈夫だ! 損傷はない!」

「睦月は?!」

 見渡すが、睦月は……いない。

「まさか……!!」

 私は慌てて潜る。

 いた! 

 まだ水深もそれほど深くないので、海の底が目視出来るが、それでも10m強ほどはあるだろうか。彼女は海底あたりで漂っていた。気を失っているのか、暴れている様子もなければ、もがいている様子もない。

 私は急いで潜水し、睦月を抱え、浮上する。

 水面から空気を吸い込むと、少し強めの力で睦月の頬を叩いて、意識の確認をした。

「睦月、睦月!」

 返事はない。これは一刻も早く陸に戻り、応急救護を、と思ったところで。

「――けほっ、けほっ」

 睦月から、可愛らしい咳が聞こえてきた。意識を取り戻したのだ。眉間に皺を寄せて、苦しそうに咳き込む姿は、この場においては、生きているという証明に感じてしまう。

「大丈夫か、睦月! しっかりしろ!」

「……あれ、提督……?」

 朦朧としているが、徐々にはっきりしていっている。急を要する状態ではないことに、私は一先ず胸を撫で下ろした。

「……ふにゃっ?! て、提督?! な、なんで、こんなに近っ、にゃっ??!」

 睦月が再び暴れだす。もしかして、私が嫌なのだろうか? ……だろうな。私自身、それほど若くもない。睦月くらいの年頃だと、近づかれるだけでも、という話は良く聞く。先ほどのパニックも、私がのことが嫌で起こってしまったものなのだろう。

「我慢してくれ、睦月。嫌かもしれんが、睦月を離してしまうわけにはいかない」

「~~~~~~っっ!」

 若干の抵抗を見せたが、ようやく睦月は大人しくなった。

 しかし、完全に海水に浸かっている彼女らを見て、本当に艦娘の艤装は便利だと思う。ダメージさえなければ水に濡れることが無い、というのは、少しどころではなく大変羨ましい。若葉も睦月も、制服どころか肌すら濡れていないのである。

「若葉。居合わせたついでにあの浜まで引っ張ってくれないか? さすがに睦月を抱えて泳ぐのは辛い」

「まあ、構わんが……」

 再び海上へと立ち上がる若葉はネクタイを外し、その端をもって、もう一方の端を私の方に垂らす。捕まれということなのだろう。なんとも器用な方法で私と睦月を浜まで引くものだ。ヘトヘトになった私は、浜へ上がると、その勢いのまま倒れ込む。睦月を抱えたままだったので、彼女もろともだった。

「では、若葉は鎮守府に帰るが」

「ああ。ありがとうな、若葉。本当に助かったよ」

「……その、なんだ。今の状況で無いとは思うが、手は出すなよ」

「なんの話だ……」

 私の返しに返答せず、若葉は鎮守府の方へと歩き出し、次第に見えなくなった。

 波打つ音しか聞こえない浜辺には、私と睦月の二人だけとなる。若葉はそういうことを言ったのか。若干心外ではあるが、私はここに着任して、まだ二日目だ。信用に値しないということだろう。そう飲み込むことにする。……念のため誤解されないように、睦月から少し離れた。

 溜め息を一つ吐き、気を取り直して睦月に問いかける。

「睦月、大丈夫か? 怪我や不調はないか?」

 睦月は私の声が聞えたからか、一瞬だけびくりと反応し、私とは正反対の方向を慌てて向いた。……なにも、そこまで嫌そうな反応を示さなくてもいいのではないだろうか。念のため、もう少し離れておく。

「……う、は、はい。睦月は大丈夫、です……」

 向こうを向いたまま、消え入りそうな声で睦月は応えた。

「ならいい……まあ、沖まで走れたんだ。少しは前進したじゃないか。良かったな」

「……え? 睦月が、沖に……?」

 睦月がこちらを向く。キラキラした目をしていた。嬉しそうというよりは、驚きの方が強過ぎて戸惑いの表情ではあるが。

「パニックで覚えてないか? 直前まで怖がっていたとは思えないほどの速力で、あの辺りまで行けたんだ」

 私は沖を指差す。大体、30m先までいかないくらいだろうか。

 彼女は黙って、私の指の差す方向へ目を向けていた。

「俺のことが嫌だという理由は……まぁいい。無意識でも、事実として、睦月は進水・航行が出来たんだ。次からは、意識して海に出られるようになろう」

「あ、ち、違いますよ! 提督の事が嫌だったわけじゃ……うぅ……」

 どうも違うらしい。気を遣わせてくれたのか、それとも理由は彼女のみぞ知るということか。

 しかし、確かにこの二日間、近寄りやすいという理由で睦月との距離は詰め過ぎていたかもしれない。今後気を付けて接しよう。

「と、ともかく! 提督、次の練習の時は、支えとか、いらないですからね!」

「そうか? 睦月が言うならやめるが……」

 今の一連の出来事で、彼女は一歩踏み出せたようだ。前向きになったのなら、着衣水泳した甲斐がある。

「そうだ睦月。私と睦月で、どちらが先に海に出られるようになるか、勝負しようか」

「えっ、それ絶対睦月の方が先になりますよ?」

 練習に関しても明るく捉えているみたいで、安心した。

 微笑む彼女こそ彼女らしい。付き合い二日目だが、元気のない睦月は正直な話、心臓に悪かった。

 互いに微笑みながら、互いの練習メニューを考える。

 二十分ほどしてから練習を再開したが、睦月は飲み込みが早かった。明後日、遅くても明々後日までには、皆と一緒に海に立てるようになるはずだ。

 私も負けじと、山城から借りた艤装を履き睦月と一緒に海に出て練習するが、何がいけないのか、なかなか立てない。この分だと本当に、私が浮けるようになる前に、睦月が海に出られるようになりそうだった。

 日が傾き、夕日が海面に反射しても、二人の練習は続く。

「提督、もう諦めましょうよぉ……提督は無理ですってぇ」

「まだだ……まだ諦めるには早い……!」

 今年の夏は短く感じてしまいそうだった。

 

 

 

 

 

 三日後。

「では、今から出す指示の通りに動け。いいな?」

「了解、です!」

 海面に立つ睦月は、浜に立つ私に力強い敬礼をした。

「十二時方向、第一船速で前進! 始め!」

 睦月は回れ右をして沖の方を向き、第一船速で進む。

「そのまま速度を維持しつつ、左旋回! 七時方向に進路を固定! 始め!」

 指示したとおりに、睦月が動く。あれから考えると、すごい成長だった。海に立つことさえ――もっと言えば、睦月は海水に触れることさえ良い顔をしていなかったのだが、それが気が付けばこうだ。贔屓目を失くしても、ほぼ問題ない状態と言える。

「ちゃんと出来てるな……よし。速度を落とし、ただちに安全に停止! 始め!」

 停止した睦月の側まで私は移動し、彼女に評価を下す。

「いいぞ睦月。まさかここまで早く克服できるとはな。本当は、最初から出来ていたんじゃないのか?」

「そ、そんなことありません! ここまでできるようになったのは、全て提督のおかげなのです!」

「いや、私はただ一緒に練習していただけで、克服したのは、全部睦月の力だよ。一先ず、特訓はこれで終わりだ。明日からは、皆と隊を組みながらの練習になる。きちんと合わせられるようにしよう」

「了解です!!」

「後は、睦月が活躍するだけだな」

「それも任せてください! にひひっ!」

 睦月は本当に嬉しそうに笑った。それだけで、今の彼女の気持ちは手に取るように分かる。私も釣られて笑みを浮かべた。

「では、睦月」

「はい!」

「もう少し特訓に付き合え」

「はい! ……んん? 特訓に付き合え? さっき特訓は終わりだって……」

「睦月のはな。あとは、俺が出来るようになるだけだ……!」

「て、提督!? まだ諦めてないんですか?!」

「簡単に諦めてたまるか! もう少しで海に立てそうなんだ!」

 結局、私が浮けるようになるまで、それから一週間かかったのだった。

 

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