私がこの辺境の鎮守府に着任して、十日が過ぎようとしていた。
今日も今日とて朝から暑い。
風があるのが唯一の救いだ。とはいっても、廃校舎のある小高い丘の上だろうと、睦月と特訓したあの浜だろうと、木々の群れに囲まれていようと、この島は、海風がよく通り抜ける。ので、これはいつものことであった。通り抜ける風は、残念ながら温い。
今日の朝食を囲む六人――私を含んでの六人で、今日も摩耶は、呼んでもこの時間に来なかった――は、時折通り抜ける生温かい風を感じつつ、黙々と箸を進めていた。
しかし、暑い。私はじっとしていても流れてくる汗を手の甲で拭いながら、定期便で送られてくる物資の傷みを懸念するのだった。
今、私が箸を突いている漬物も、それで送られてきた物だ。
十日も経てば、この島での日常も、大体把握出来るようになる。
物資は、週二回の定期便で送られてくる。定期便は民間の超小型漁船で、その船を繰船する青年は、私をここに連れて来てくれた彼であった。
事情を聴くと、この島に鎮守府が出来てからは、一週間に二度の物資輸送が“恒例行事”となっていたそうな。
深海棲艦との大戦が終わってからは“恒例行事”の数も減り、二週に一度の間隔になっていたらしい。が、青年は、秘かに大戦時と同じペースでここに来ていたと話してくれた。なんでも、この島は彼のお気に入りの場所なんだとか。
の割にはあの時はすぐに帰ったな、と言うと、青年は、
「親父より年配の皆、というか、あそこらに住んでる奴のほとんどは、鎮守府ってのに良いイメージを持ってないからなぁ。アンタが鎮守府関係者っていうのは服装で分かったし。しかも、三日前は正規の定期船で来てた上に、この島にはなるべく近付かないってのがうちらの暗黙の了解であってさ……これでもアンタを送るために説得頑張ったんだぜ? あ、俺のことは一先ず棚上げな? 俺、皆から嫌われてっから」と苦笑いしながら答えたのだった。ここに秘かに来ているという彼は、それだけでもリスクを背負っていたということか。
彼の話で得られた情報は、彼の住む集落の人間のほとんどは、ここをあまり良いように思っていない、ということだった。
彼自身はありがたいことに、鎮守府のことをきちんと理解していると言っていた。
しかし、ここから一番近い本土の漁村の人たちは、「役立たず」と認識してしまっているらしい。
「半ば無理やり追い出されたようなもんだからな、ここに鎮守府を作った奴らに。だからまぁ、理不尽に扱われても、少しは分かってくれよ、な?」
彼との対話で、この島はかつて、彼らの島だった事を私は知った。
今から僅か五年程前。対深海棲艦戦後期頃。青年が小学校を卒業してすぐのことだそうだ。
鎮守府運営本部からの通達により、この島に鎮守府を設立することが決まった。
島民は断固として反対したが、防衛ラインを出来るだけ本土から遠ざけるため、という正当な理由と、島民の数の少なさから、結果的に彼らは追い出されたのだった。
この鎮守府に関する書類が一切なかったため(もっとも、私がここに来た時にあった書類は、私の異動伝令だけであった。僅か数行だけが綴られたその紙切れ一枚を“書類”と呼ぶかは、些か不安である)、この鎮守府の生い立ちを知らなかった私は、それを聴いて複雑な思いを浮かべた。
確かに、必要なこと、なのかもしれない。
当時のこの近辺の状況を知らないから何とも言えないが、深海棲艦の被害が多ければ、止むを得ない判断だろう。この島付近が戦区になっているという話は、私が現役のころでも耳にしたことはないが。
そうして出来たこの鎮守府だったが、彼を含め元島民全員が、ここがまともに機能していたところを見たことはないのだという。
鎮守府、とは言われたが、軍艦が出入り出来るような港は無い上に、作られない(確かに、私が降りた港も、今にも壊れてしまいそうな桟橋だった)。小さな船の出入りさえも、時々見られるものの、頻繁には見受けられない。深海棲艦から守ってくれる、とは言われたが、兵器の影すら確認できない。週に二度の定期船でも、対応してくれる鎮守府関係者は決まった人間。それも一人だけ。青年は当時から定期船担当に付き添う形で関わっていたそうだが、噂の「艦娘」の存在すらも感じられなかったらしい。
本当にあの場所はきちんと私達を守ってくれるのだろうか。それが、青年の祖父の口癖だという。
不安を抱えながらも、移住の地でも細々と生活していた元島民だったが、ある日を境に、その想いが一変する。
深海棲艦が、彼らの新しい港湾に侵入した。
その深海棲艦が駆逐イ級単艦であったことと、目立った攻撃をしてこなかったことは、僅かばかりの幸か。とは青年の談である。
島民たちは避難態勢を整え、すぐさまこの島へ救助信号を送った。
結果は……言うまでもない。
鎮守府として機能していないこの場所は、彼らを守る盾や剣になることは無く、沈黙したまま無情にも時は過ぎる。
結局彼らはこの鎮守府に頼ることをやめ、警察や海上自衛隊に通報。辛くも深海棲艦を轟沈させたそうだ。一人の犠牲者も出すことはなく。警察たちが駆け付けるまでは、勇敢な島民たちがイ級の相手をしたと、彼は語った。
そういう言葉を交わしたのが、つい昨日。定期便で物資を届けてきてくれた時の雑談だ。
私は、複雑な心境は拭えず、漬物を二切れ口に運ぶ。少ししょっぱい。
かつて提督業をしていた身として、この話は初耳だった(今もそれらしいことはしてはいるが、提督かと問われると、自信を持って頷けない)。風の噂ですら、聞いたことのない話だ。もしかすると、本部がもみ消している可能性はある。これは今は置いておくか。
彼ら元島民の勇ましさは、誇るべきものだ。無謀さはあるかもしれないが、崖っぷちでよく凌いだと感心する。警察や海上自衛隊による援護ありとはいえ(あるいは、そちらが主だろうが)、艦娘無しでの深海棲艦轟沈は、私の知る限り、二例目だ。
それに引き換え、なんだ、ここは。
非は私達の方にしかない話だ。これでは元島民たちに「無能」のレッテルを張られても仕方がない。彼らから、鎮守府やその運営に携わる人たちへの信用や好感を取り戻すのは、困難というよりも、もはや無理だ。
「まぁ、俺はぶっちゃけて言うと、当時から艦娘目当てでここに来てるんだけどもさ。親父たちは無能だのなんだの言ってるけど。可愛いは正義じゃん? 可愛い子のためなら、引っ越しだってするし、命だって差し出すよ、俺。一回もお目に掛かったことないけどさ」
雑談の中で、そう口にした彼の、なんと神々しいことか。
もしかしたら頭のネジがおかしくなっているのではと思うほどの発言だが、彼のその言葉で少しでも私の気持ちが救われたのは事実だ。
こちら側にしか非がない状況で、それを「艦娘が可愛いから」という理由だけで、この器の広さである。次の定期船が来る日は、睦月でも連れて会わせてやろう。今彼にできる恩返しはそれくらいしかない。……ついでに、気温が高くなりそうな週は、定期船を増やせるか打診しようと思う。渋い顔をされるだろうが、私の命(艦娘に関していえば、彼女らは燃料さえ補給すれば生きていけるので、問題はない。問題は、人の身である、私だ)に関わることなので、なんとかしなければならない。夏場の食糧の腐敗は、すなわち私の死に繋がる。
ちなみに、深海棲艦戦後、どうしてこの島に戻らなかったのかと彼に尋ねると、
「あー……それなんだけど、移住案で用意された家が結構豪華っつうか、まぁ、今までがボロ過ぎたんだ。見たろ、あのボロ屋。廃墟だと思ったろ? あれ、俺らが元々住んでた集落な。この前ちらっと見たけど、あんまり当時と変わってなくて懐かしくなったもんさ。とは言っても、もう無くなってる家もあるくらいだから、いくつか壊したり、自然に崩れたりしたんだろうけど。
そんなんだから、帰るに帰れないんだ。それに、俺らの中で裕福なやつっていないからさ。他人の貯金事情なんて知らないけど、そういう“気配”はない。元居た場所にまた家を作り直す余裕なんてない。なかなか人間臭いだろ?」との返事が来た。
彼の話は冗談として笑うべきかどうか、判断に困るオチであったが、この島の廃墟ぶりは、彼ら島民が居た頃からなのだろう。たった五年程でこの荒廃ぶりは、通常あり得ない。元からこの状態で、鎮守府運営側も設立に際しての整備はしておらず、ただ形だけの看板を掲げただけ、の様な気がする。真相は闇、だ。
――なんてことを思い返しながら、箸を進める。
「……こんな場所でも食べられる白米があるのは、単純な科学の進歩なのだろうか」
ふと零した私の独り言を、睦月が拾ってくれた。
「今は、熱を通せば大体は食べられるようになっているのです! 提督、知りませんでしたか?」
そうだったのか。保存料の進化、だろうか。
「ここ一、二年の変化なら、すまん、知らなかった」
「睦月のおかげで、また賢くなりましたね!」
「そ、そうだな。ありがとう、睦月」
「にへへ」
このやり取りに、他の四人は反応しなかった。黙々と、箸を進め……鳳翔や山城は、もうそろそろ食べ終えそうだ。
これは、今日の本題に、早めに入った方が良さそうである。
「あー……皆、聞いてくれ。日ごろの艦隊運動の動き、だいぶ纏まってきたと思う。まだまだなところもあるが、冷や汗をかかなくなったのは、大きな前進だ」
私は五人の艦娘に向かって、そう言って微笑みかける。微笑み返してくれたのは睦月だけ。挫けず、話に戻ろう。
睦月が海を克服し、艦隊運動の練習に参加できるようになったのは、かなりの進展だ。これで摩耶が練習に参加してくれれば、言うことはない。
その摩耶はというと、練習の最中、彼女の部屋辺りの窓を見ると数回に一回は開いており、しかも彼女自身がそこからこちらを眺めている時がある。
こちらに興味はあるようではあるが、私の視線に気が付くとすぐに引っ込んでしまう。もしかすると、睦月のように、踏ん切りが付かない何かがあるのかもしれない。摩耶とは会話出来ないままなので、探りようがないが。とりあえず、彼女に関しては、もう少し様子を見ようと思う。
「睦月が混じった直後は、衝突しそうな場面が多々あったが、今ではその心配もない。正直、君たちの成長速度に驚いているよ」
睦月と二人でした特訓からまだ一週間程しか経過していない。彼女が皆の練習に加わってからは、まだ五日だ。
だというのに、睦月の飲み込みの早さは、次の一文で表せる。
ただただ、異常。
彼女は流されるまま艦娘になったと言っていたが、元より適性が高かったのだろう。睦月の成長率を考えると、数ヶ月で駆逐艦のエースになり得るだろう。かつての私であれば、第一艦隊に迷わず投入していた。それほどの人材、もとい、艦娘材なのである。
教育を怠った鎮守府は、この原石に気が付かなかったのだから、本当に惜しいことをしたものだ。まぁ、私には関係の無いことだが。
「で、だ。そろそろ、中断していた砲雷撃の練度の確認に入ろうかと思うが、どうだろう」
彼女らの居場所を守るためには、実績が必要だ。
その実績を賢く得るためには、まずは自らの力を知る必要がある。
昨日の定期便で届いた手紙によると、所謂今年の「リーグ」開幕まで、あと二週間程とのこと。
時間としては短く感じるが、そもそも私は“賢く”実績を得ようと考えているので、問題はない。
「……、」
「え、えっと、了解です、提督!」
返事をしてくれる子が出来て私は嬉しいよ、睦月。
心で涙を拭き、気を取り直して、皆に告げる。
「返事をしてくれた睦月は良いとして、他の皆は覚えておいて欲しいんだが、沈黙は肯定と受け取る。そのつもりでよろしくな」
時間的な問題はないが、当初の予定は、砲雷撃の練度確認は艦隊運動の練度確認の直後にするものだったから、押していると言えば少し押している。
「空母の鳳翔は、砲雷撃装備は無いが、一応他の艦娘の砲雷撃の練度を知っておかないといけない。いざ本番で、連携が取れなければ、意味はないからな」
「……分かってますよ。付いて行けばいいんでしょ、付いて行けば」
返事があるのは嬉しいのだが、こういう返事はあまり嬉しくない。沈黙よりはマシかもしれないが、ううむ……。
私は鳳翔の言葉の辛辣度は深く考えず、「食事が終わったら、最初は陸での砲撃テストだ。食べ終えたら速やかに砲撃の準備を整え、校舎正面の広場――つまり、校庭に集合だ」という指示を出して、朝食の残りを腹にかき入れた。
砲雷撃の練度の確認、と一言で纏められることは多いが、この言葉には、二つの行動が含まれている。
砲撃と、雷撃だ。
どちらも文字通り、「砲弾による攻撃」と「魚雷による攻撃」で、この二つを合わせた「砲雷撃」の実力は、艦娘の練度の、一番分かりやすい指標となる。
私がここに来て以来、探しても探しても彼女らのデータが無かったのは、この際頭の片隅に移動させる。見つからないのであれば、これから作るだけのこと。「砲雷撃」の実力は、個人の力を知る上で、必須だ(まあ、この砲雷撃の練度に関して言えば、別に高かろうが低かろうが関係はない。どっちだろうと、「作戦」は立てられるのだから)。
ところで、「艦隊運動」の練度は、団体行動的な実力の確認で必須だったが、睦月の事でほとんど手付かずだ。彼女らのデータ作成時、そのデータも付け加えなければなるまい。
ともかく、まずは、基本の確認をするための、準備が必要だ。
確か、廃材は、校庭の一角に纏められていたはず。そこから材料を出さねば。
「よし、摩耶は居ないが、皆居るな」
睦月、若葉、那珂、山城の四人を横一列に整列させた。四人はそれぞれの砲を手にしている。念のため、鳳翔と私は、彼女らの射線の真後ろに位置取った。
正面およそ50m先には、5m間隔に並べられた木製のぼろ机が六つ。上に、大きめの空缶が置かれてある。私が置いたものだった。
本来ならば、その後ろに土壁を作ったりするのだが、射線上に誰かが居ることもないし、吹き飛ぶ机や空缶はあっても、跳弾は起こらないはずだ。
「もう分かると思うが、初撃からあれに当てるつもりでいけ。いいな?」
横一列、さながら単横の陣形。
「では始める。――目標、ぼろ机上の空缶! 総員構え!」
締りのない号令によって、大小さまざまな砲塔が、狙いを定めるように動く。
「てーッ!」
四つの砲撃の音が、絶海の孤島に鳴り響いた。
衝撃波によって、砂埃が立つ。直後、乾いた高い金属音が一つ、耳に突き刺さった。大きめの空缶、六つ中一つが飛ばされたのだ。ぼろ机が吹き飛ばされることもなく、一先ずは安心する。飛ばされた場合、この炎天下で、設置し直さなければならない。本音をいえば、避けたいところだ。
硝煙と砂埃が風に流され、僅かばかりの静寂の後、空缶の落ちる音が小さく聞こえた。向こうのぼろ机の方へ視線を向け、目を凝らす。机の手前で、未だに土煙が二つ上がっているのが確認できた。
四人中一人が初撃命中、二人が手前に着弾、一人は……付近に土煙が上がっていない所を見ると、弾は後ろに行ってしまったのだろう。
「構え、やめ! 休め!」
思っていたよりも、いい。初撃命中が山城で、手前着弾が睦月と那珂か。大きく外してしまったのが若葉なのが意外だが、想像以上の結果だった。
次いで、縦一列の単縦陣形で行う。
結果は同様。
複縦の陣形で。
山城が初めて外すが、手前に着弾させたため、合格点。ここで睦月が、初めて後方へ弾を逸らしてしまった。那珂と若葉は先二回と同様。
輪形、梯形。
山城は修正したのか、残り二回はきちんと中ててきた。最後の梯形陣で、那珂と睦月が机ごと目標を吹き飛ばしたこと以外は同じ結果となった。データがある程度集まったので、終了する。
……ふむ。存外、いい。若葉が一度も中てていないのが気になるが、弾道的には及第点だと思う。これは思った以上の収穫だったかもしれない。これならば、作戦の幅も広がる。
「皆いい感じだ。次の洋上でのテストも期待できそうだ。では、一時休憩のあと、浜に集合。解散」
皆が船底部の艤装などを取りに、鎮守府に戻り始める。山城だけは、艤装そのものに砲台が付けられている上に、彼女は船底部を持ってきていたようで、そのまま浜の方へと歩いて行った。彼女はだいぶ不機嫌そうだったが、今は触れないでおこう。そういう気分の時もある。
「……司令官、ちょっといいか?」
「ん? どうした、若葉」
皆がそれぞれ準備で居なくなり、さて私も山城から借りた船底部の艤装を持って来ようかと思ったところで、若葉が声をかけてきた。
「その、言い難いのだが……若葉だけ、洋上での砲雷撃訓練を無しにしてくれないか?」
あまりにも真剣な若葉の雰囲気に、私は言葉をしばらく紡げなかった。
若葉は、優秀な駆逐艦娘だ。
艦隊運動だってミスをしたことがない。彼女以外が、彼女レベルまでに動きをコントロールできるようになれば、もはや私がかつて居た鎮守府の第一艦隊と同等と言える位に、正確な動きとなるだろう。それほどまでに、若葉は艦娘として完成していた。
生活面でも、規範的な艦娘として代表にしてもいい程だ。時間を守るし、礼儀も正しい。
睦月の次に、私とそれなりに話ができる艦娘でもある。一緒に居ても落ち着けそうで(まだ二人きりとなったことはないので、想像の域ではあるが)、私個人として、彼女の性格も気に入っている。
その彼女の、先ほどの発言。全弾外したことを気にしての発言だとするならば、少し大げさな気がする。たまたま全て外れてしまっただけで、いつもならありえないことならば、これ以降の訓練で挽回すればいい。
だが、若葉は確かに、砲雷撃訓練を無しにして欲しいと言った。挽回ではなく、だ。
「……頼む、司令官」
しかし、私は睦月の一件から学んでいる。
彼女たちの言葉に、耳を傾けなければならない。それが、唯一私が受信できる、彼女たちからの救難信号なのだ。
「何かワケがあるんだろう? 怒ったりしないから、言ってごらん?」
「……、」
「言いたくないのなら、無理しなくてもいい。訳を聞かずとも、若葉の言う通りにしようとは思っている。事情がありそうだしな。まぁ、若葉が話してくれないということは、私が信頼するに値しない人間であり上司だった、という評価に繋がるわけだから、少し残念ではあるが……」
少し意地悪な言い方をする。言ってから、これはずるい言い方だったと後悔した。もっと上手い言い方があったと思うが、そういう点では、私はまだ未熟だ。
「そ、そうじゃない! 若葉は司令官を信頼している! 前の司令官とは全く違うし、それは重々理解してはいるんだ……が、その……司令官は、若葉のことを、失望したりはしないか?」
失望してしまうかもしれない、と心配してしまうような理由が、少女にはあるのだろうか。
私は、「今はただ彼女を安心させること」に重きを置いて、口を開いた。
「私はどんな時でも、『若葉の味方でありたい』『若葉の理解者でありたい』と思っている。だから、安心して相談して欲しい。幸い、今は私と若葉しかいない。皆に知られたくないことであるなら……いや、若葉の意思に関わらず、私の決意として、この場での若葉との話は、墓場まで持っていくと約束しよう」
「本当……だろうか?」
「ああ、本当だ。……そうだな。もし約束を破ったら、若葉の頼みをなんでも聞いてやろうか」
「なんでも……そ、そうか……」
ここまで言って、ようや決心がついたのか、若葉は深呼吸を一度してみせた。数秒の間を置いて、完璧な少女は、その殻を脱ぐように、言葉を滑らせる。
「……実は……ダメなんだ」
「? 何がダメなんだ?」
「……砲撃、だ。見ていて、分かっただろう?」
先ほどのテストの事を言っているのだろう。
だが私は、先ほどのテストでは、中った中らなかったは重要視していなかった。結果よりも姿勢を見ていたと言っても過言ではない。もちろん、中ればそれなりに評価はするつもりで眺めていたが、それが全てのテストではなかった。この事は口にしてはいないし、今ここで若葉に伝えることでもない。
睦月や那珂だって、最後以外は直撃していない。手前、奥、右左と、訓練弾は逸れていた。
山城が目立っていたが、アレはアレでなかなか特殊というか、異常な部類に入る。直撃率を簡単に出すと、八〇%。もはやそういう星の元に生まれたと言っていい数字だ。それと比べる必要は、あまりない。
私は言葉を選びながらそれらを説明し、気にすることはないとフォローすると、若葉は首を振った。
「いや、違う……海上になると、もっと酷いんだ。……文字通り、誤射するほどに」
「それはまた……」
ずいぶんと珍しい癖の付き方だと評すると、彼女は私にしがみつき、叫ぶ。その手は、少女の握力とは思えない強さで私の腕を握った。
「癖などで済ませられることではない! 若葉は、そのせいでここに飛ばされたんだ!!」
「……、」
そのせいで、ここに飛ばされた。
ふむ……ここは、そういう場所なのだろうか。
私のように、睦月のように、若葉のように。……だとすると、鳳翔や山城、那珂や摩耶も、同じなのだろうか。彼女らのデータが無い以上、迂闊な判断はできない。
「前に、な……味方を撃ってしまったんだ。初めての砲雷撃訓練だった。幸い、その時は訓練弾だったこともあって、怪我には繋がらなかったが……次は、怪我ではすまないかもしれない! 味方への誤射はタブーだ! 訓練弾だろうと、練習だからだろうと、許されることではない! 許されることではないんだ!! 失敗をようなやつがいるだなんて、安心出来るはずもない! 分かっているんだ!! 何度も叩きこまれたんだ、忘れる訳もない! でも、若葉はしてしまったんだ! だから、若葉は……!!」
「分かった。まずは、落ち着いてくれ、若葉」
私は彼女の肩に手を置くと、若葉は一瞬だけびくりとして、それから徐々に落ち着いていった。彼女の呼吸はまだ荒い。
「砲雷撃はしたくない、か?」
「……正直、陸上でも、気が進まなかった。そこでも、若葉は失敗ばかりだったから……失敗は、絶対にしてはいけない……絶対に……」
彼女の話しぶりだと、かつて所属していた部署では、失敗がタブーだったのかもしれなかった。
失敗をした場合、信頼が崩れる時は、大きく崩れる。たった一度だろうと、些細だろうと、関係ない。私にその経験がある以上、若葉の言葉を否定することはできない。
しかも、若葉の場合、失敗によってトラウマが生まれてしまったと考えられる。
自分が撃てば、仲間に当ててしまう。
仲間に対して冷酷な感情で居られるのなら、ただただ自分だけのことを考えることができるのなら、これはトラウマにならなかっただろう。
仲間を大切に思えば思うほど、その考えが錘になり、彼女を動けなくする。
さらに、そういった「失敗」に対して恐怖している節も見受けられる。彼女が普段「完璧」なのは、「失敗」を回避するためなのかもしれないと考えられた(だとすると、先日の睦月との衝突も、かなり気にしているだろうか)。
変に厳しい鎮守府で、失敗は恐れる物だと学習してしまい、その状態で、あまりよくない失敗をしてしまった。それ以来、その行動が失敗に繋がると確信してしまい、竦んでしまう。
恐れが恐れに繋がっているのである。
ありがちだが、筋が通っている流れだ。
しかし、困った。
私は精神科医でもなければ、カウンセラーでもない。一上司であり、それ以上でも以下でもない。
救いは、砲雷撃に関しては進水よりは教えやすい、ということだけか。
ない知恵を絞り、今できるようなことを実行する。
「若葉。もう一度、構えてみろ。まぁそう嫌そうな顔をするな。ここで構えるだけだ。砲口を向こうに向けるだけでいい。向こうには、誰もいない。これなら失敗しようがないだろう?」
「……分かった。こう、か?」
やはり、構えは悪くない。少し砲口が下がっている気もするが、その程度だ。それもおそらく、無意識に下げてしまっているのだろう。それ以外は、規範書の文章通りだ。
「そのまま引き金を引け、と言ったら、若葉は引けるか?」
「出来なくはない……が、厳しい。すまない……すまない……」
「そうか、分かった。砲を降ろしていいぞ、若葉。なにも謝ることじゃないから、そう塞ぎこまないでくれ」
「う、む……」
精神的なロックが掛かっているのだろう。手も、少し震えて見える。心が拒否しているようだった。
もっと、彼女に対して寄りそう必要がある。
それは、簡単なことだ。精神科医でもなければカウンセラーでもない、一上司である前に、一人の人間として出来ることで。
「今までよく頑張ってたな、若葉」
言葉を、伝えればいい。
「…………え」
若葉は驚いたような表情を私に向ける。私は素直に感心し、彼女を讃えただけだというのに。
トラウマと恐怖、二つと戦いながら、陸上だろうと、先ほどは砲撃をしてくれていたのだ。
「一つ確認したいのだが、若葉は、砲雷撃も出来るようになりたいか? 完璧でなくとも、私は失望したりはしないし、若葉を必要とするが……どうだろうか」
「それは……そう、だな。皆と同じ位には、出来るようには、なりたい」
「そうか。では、その方向で考えよう。若葉も、無理しない程度に、付いて来てくれ」
「わ、わかった」
「では、若葉。この後は、鳳翔と一緒に見学していたいか? それとも、休んでいたいか?」
「……見学位は、する」
「よし。では、準備を整えて、浜へ集合だ」
午後は若葉抜きでの練度の確認で、それも早めに終わらせよう。
一先ずは、彼女のことを考えたい。
睦月たちの砲雷撃の練度は、陸上とほぼ同等だった。収穫だったのは、那珂の雷撃がなかなかの練度だったことだろうか。彼女の性格が運用しやすければ、もっと伸びるだろうと思ったが、こればかりは個性なので仕方がない。上手く那珂が活躍出来るだけの采配を取れるかが鍵になりそうだが、それはまた後日考えよう。私の宿題だ。
そして、その日の夜。私と若葉は、暗闇の海の上にいた。
「司令官、これは……?」
「若葉専用の砲だが?」
「懐中電灯がつけてあるだけな気がするが」
「引き金を引けば付くようになっているはずだ。確かめてみろ」
言って少ししてから、灯りが点灯した。若葉が引き金を引いているのが分かり、それを元に戻すと、灯りは消えた。暗闇が戻る。
私は昼の練度確認後、ひとり工作に励んだのだった。
探照灯の開発時に培った技術を応用し、簡易的な工作をしたのだが、上手くいって良かった。探照灯より光度は低いが、夜道や暗い部屋を照らすには十分な灯りだ。前に居た鎮守府で、武器開発を全て妖精に任せなかったことが、ここで生きてくるとは思わなかった。
「これ、司令官が作ったのか?」
「ああ。そうだ」
「その、これを使うのは分からないでもないが……どうしてこの時間なんだ? 昼間でも良い気がするが」
「灯りを見やすくする、という理由もあるが、周りが見えにくい時間帯だからこその、若葉の練習なんだ」
「む?」
「砲雷撃時、周りを見るのは大切だ。が、周りに気を取られ過ぎるのは、少し問題だ」
「気を、取られる?」
真っ暗な海の上でも、目が慣れれば相手の動きも少し分かる。今、若葉は首をひねったようだった。おそらく、怪訝な表情を浮かべているのだろう。そこまで確認できるまでは、まだ目が慣れていない。
「簡単に言えば、つられる、ということだ。相手の動きにつられて、こちらも同じ方向に動いてしまう。意識していても、起きてしまう現象だ。砲雷撃に限らず、覚えはあるだろう?」
「……それとこれと、若葉と、なんの関係があるんだ?」
「若葉は、多分、前にやった失敗をずっと意識しているんだと思う。いや、悪いことではない。反省は必要だ。ただ、それを枷にする必要はない。少なくとも、私の前では」
「……」
「今、周りには、誰もいない。誤射することもない。しかも、使うのは懐中電灯。怪我もしない。これから若葉にしてもらいたいのは、海上にいる私を照らす、ただそれだけだ。引き金を引き、照らすことだけに集中しろ。若葉なら、出来るはずだ」
「まぁ、これなら抵抗もあまりないが……その、一度で照らせなくとも、いいか?」
心配そうな声に、私は笑って答える。
「当たり前だ。失敗しなければ、修正のしようがないからな」
こうして少しずつでも、彼女の「失敗」に対しての意識を低くしていかなければ、いつかは潰されてしまうだろう。この、「失敗」に対しての意識は、徹底的に安心させていくという方向で、私の中で固まったのだった。
「暗闇の海の上で、私は目覚まし時計のベルを鳴らす。若葉は、鳴った場所にそれを向け、私を照らして欲しい。完全に照らせたかどうかは、この照度計(若葉砲を製作する際に、物置き教室で見つけたものだ。ちゃんと動作するかどうかは、私だけの心配でいい)で判断する。いいな?」
「……司令官には悪いが、これでどうにかなるとは思えないぞ?」
「なに、物は試しだ。騙されたと思って、少し付き合って欲しい」
「む……」
「それと、海上を照らしたり、上方へ逸らしたりするなよ? 目標としては、一回で、私を照らすようにすること。的は小さいから、気を付けて引き金を引くように」
「……分かった。あまり期待しないでくれ」
私は沖に向う。若葉の姿はすぐに見えなくなった。
辺りに灯りはない。強いて言えば、この日は晴れていて、星や月がとても眩しく感じるだけだった。
さすがに夜の海上は、涼しい。静かな海の上で、私は手元を凝視し、目覚ましのベルが鳴るように、針を回す。
静かな海が、一瞬にして、耳障りで断続的な金属音に包まれた。それに負けないように、私は声を張り上げる。
「では、私を照らしてみろ! 若葉!」
チカリ、と人工の光が灯る。
私は照らされていない。手元の照度計も、若干の変化はあるが、照らされる程の変化は無かった(動作していることに驚くが、夜闇と相俟って、なんとか隠し通せている)。私の手前の海が照らされていないのだから、少し上を照らしてしまったのだろう。
ベルを鳴らしたまま、力の限り、吠える。
「惜しいな、若葉! もう一回だ!」
灯りが一度消える。再び点灯する。
今度は修正したのか、私が照らされた。照度計も、大幅な変化を示す(ちゃんと動作するようで、安心した)。
「よし! いいぞ!」
明かりが消えた。私はベルを止め、離れている若葉に、そのまま告げる。
「次は適当に動く! 二分前後で私は停止するから、停止したと思ったら明かりを灯し、私を照らせ! 目覚まし時計は鳴らさない! 私の進水音で、方向と距離を予測しろ!」
「な……そんな無茶な!」
非難の声を聴いたが、構わず声を上げる。
「若葉なら出来る! 音を頼りにするんだ! 暗闇なら、いつもより耳は敏感になるはずだ! では始める!」
私は宣言通り、適当に動き始めた。なるべく音を立てて進む。
案外容易く、進水音は出たのだった。水上で音を消すのは、むしろ困難なことなのかもしれない。音が大きく聞こえるのなら本望だが、音を消すような戦術では、それはかなりの技術力を要求するのだと、私は初めて知った。今後の参考にしよう。
約二分動き、停止する。私は照らされるのを待った。
正直、期待はしていない。
無理なのだ。音だけ聞いて狙え、というのは。
砲雷撃に於いては、視覚情報による距離感覚把握能力が大前提となる。
視覚情報を失くし、聴覚情報だけでそれを測ろうとすれば、距離感はおろか、方角すらぼやけてしまう。
これで本当に砲雷撃訓練になるのか、と問われると、自信を持って「はい」と言えないのが、本音である。
それでも、真剣に取り組んでいるであろう若葉の為に、私も真剣に動いた。若葉から見て右側方向に、第一船速を維持しながら、直線的に。
(私自身が照らされなくとも、大体の方向を照らせられれば、褒めてあげよう――)
と、思ったところで。
私の視界が、白に染まる。
思わず、腕で光を遮る。照度計を見ずとも、結果は分かり切っていた。
「すごいな、若葉! 上出来だ!」
驚愕する。
若葉は優秀だと分かってはいた。が、それだけでなく、聴力に関して、彼女には、他の者が持たない能力がある(もしかすると、彼女の病的なまでの「失敗」に関しての間違った教育は、この、驚くべき聴力のせいで根付いているのかもしれない)。
こんなの、普通、ズレていてもおかしくはない。むしろ、そのつもりでやっていたのに。
私は、急いで若葉に近付いた。灯りは灯されたままだ。眩しい。もう下ろしてもいいと思うが、命令していないので、彼女は律儀に上げたままなのだろう。
「凄いじゃないか、若葉。外して当然の練習だったんだぞ?」
「た、たまたまだ。あまり褒めるな」
口ではそう言いつつも、若葉は結構喜んでいた。彼女が点けたままの明かりで、その様子がくっきりと判断出来る。トラウマ克服も時間の問題か。というより、後一歩が踏み出せない状態だったのかもしれない。あるいは、「失敗」に対する恐怖が、少しは和らいだということだろうか。
「じゃあ、今日はもう遅いし、あとは明日だな。しっかり、私の特別練習についてこい。いいな?」
「ああ、任せてくれ」
「司令官。まず、これにどういう意味があるのか、説明して欲しいんだが」
翌日の午前中。今日も私と若葉は、皆とは別メニューで特別な練習をしていた。今は二人で校庭にいる。皆は、海上で、自主練習に取り組んでいるはずだ。
若葉との訓練が始まるやいなや、私は若葉にこう命じた。
「今着けているネクタイを、貸して欲しい」
そしてそのネクタイで若葉の目を隠した訳だが。
「目に頼らず、音で判断できるようにする練習だ」
昨晩判明した、若葉の聴力の良さ。それを、出来る限り伸ばしてやりたい。それで自信が付けば、原動力となり、より早く砲雷撃の実力が上がる、と私は確信したのだった。
「……これでできるようになるのか?」
「若葉なら、不可能じゃない」
「考えなしでやっているように感じないでもないが、まあいい。これでは余計に怖いだけだぞ……」
「なに、最初から撃てとは言わん。まずは、私が小石を投げる。落ちた当たりを指差してくれ。今日は風が強い。木の葉の擦れる音も大きくなるだろうから、聞き逃すなよ?」
「……分かった。分かったが、例の如く、期待はするな」
「分かってるよ。上手く出来なくても、大した問題じゃない。いいな? では、始めるぞ」
私は、小石を近くに落ちている石に、わざと当てるように投げた。小石は残念ながら、全く見当違いの所に落ちてしまう。音が立ったかどうかすら危うい程、幽かな音しか鳴らなかった。すまぬ若葉。
「……そこ、だろうか?」
おお。きちんと外れた方向を指差している。
「すごいな若葉。昨日から関心しっぱなしだぞ?」
「あ、あまり褒めてくれるな」
目隠しされたまま、若葉は微笑む。照れているようだった。
「では次だ。次は難しいぞ。私がいいと言うまで、指を差さないように」
微笑んでいた若葉は、それを聴くと、すぐに笑みを消し、真剣そのもので頷く。
それを見て私は、今度はちょっとだけ意地悪をしてみようと思った。
前方へ、音が鳴りやすいように、三つから四つを纏めて投げたのち、後方の茂みに向かって、二つの小石を放り投げた。草々の擦れる音に、上手く紛れさせる。
さて、どうだろうか。
「いいぞ。指差してくれ」
「……もしかして、二か所に投げたか?」
む、鋭いな。
「若葉が思うように、指差してくれ。それで合ってるはずだ」
「……石同士がぶつかる音が聞こえたから、こっちには確実に投げたはずだが……司令官、後ろにも投げたか? 不自然な音が聞えた」
若葉は、前方と後方、二方向を指差した。
「……」
「黙らないでくれ。一人になった気になる」
「あ、ああ、すまんすまん。驚いているんだ。上手く紛れさせたつもりなんだがな……若葉には通用しないみたいだ」
「……司令官、意地悪したな?」
「う、あ、いや、そ、そんなつもりは、これっぽっちもないぞ、うん」
低い声での抗議だった。ネクタイで目を隠しているハズなのに、睨まれているのが分かる。度が過ぎたか。
「……悪かった。若葉の優秀さの認識が甘かったよ」
「……まぁ、いい。それと司令官。あまり褒めるなと言っているだろ……勘違いしてしまう」
「そうだな。付け上がるのはダメだ。けれど、自分の能力をきちんと把握していないのはもっとダメなことだ。若葉は、自分に自信を持っていい。特に聴力は、人一倍正確で、高性能だ。すごい能力だよ」
「そういう意味で言ったわけでは……いや、そうだな、分かった。分かったから、もう褒めないでくれ……」
特殊な少女は、明らかに照れていた。暑さではなく、それによって染まる頬が、より「少女」らしくて可愛らしい。
ともかく、昼間はここでこの特訓を、夜は昨晩の様な特訓を、少しの間繰り返していこう。方位感覚が鍛えられた後は、距離感覚を鍛えよう。彼女は間違いなく、伸びる。私は確信していた。
これで少しは、少女のトラウマを乗り越えられればいい。
そう願いながら、先ほど投げた石を拾う。これの繰り返しとなると、いつか腰をやってしまいそうだな……。それが、唯一の懸念だった。
若葉の能力に驚いた五日後の午後。この日から若葉も混ぜての、洋上での砲雷撃訓練である。
私は五人編成の艦隊に向かう。残念だが、摩耶は居ない。校舎の方を見ると、摩耶の部屋当たりの窓は空いていて、彼女が気だるそうにこちらを見ているのが分かった。今日も見学してはいるようだが、混ざろうとは思わないのだろうか。
軽く手を振ってみる。と、思い切り窓を閉められた。そういう返事は求めていない。切なくなる。
「……では、皆。聞いてくれ」
気を取り直し、指示を出す。
「これからは、若葉の動きに合わせて欲しい」
不満の声は上がらなかった。皆も、心のどこかで、若葉を評価しているところがあるからかもしれない。
「で、その若葉だが……いつも通り、ネクタイで目隠しをし、視覚情報を遮断しろ。その後は耳だけを頼りに、他の者の動きを感じるんだ。いいな」
ここでようやく、他の四人に驚愕の色が広がる。私と若葉にとっては、既にいつものことなのだが、他の者は、まだ知らなかったようだ。
「提督、それで大丈夫なんですか?! 目隠ししながら練習するなんて……!」
「若葉なら、出来る。そういう訓練を二人でしてきたんだ。皆は今まで以上の言葉での情報伝達と、進水音を普段より大きめに出すこと、この二つを強く意識して行動して欲しい」
若葉は、目隠しの準備をてきぱきとこなしていく。四人は困惑しながらも、私の指示に従うようで、それぞれ進水準備を始めていた。若葉も目隠しを終え、進水準備を整える。
「準備整ったな? 若葉、自信を持て。絶対に大丈夫だ。皆も合わせてくれる。信じるんだ」
「ああ……大丈夫だ」
「それでは訓練内容を発表する! ここからしばらく沖に出た先に、標的になるブイをいくつか置いた! 一定間隔で微かな音が鳴るようにしてある! そこを、単横陣形を崩さないように攻撃をし、どれか一つでも中破判定以上を出せ! 砲雷撃は、若葉、お前だけがするように! 以上! 若葉、大丈夫だな?」
「……問題ない。やれるぞ」
困惑しながらも、五人が沖の方へと向き直る。単横の形。海上に横一列で並ぶ彼女たちは、美しい。
「判定は私が行う! 砲撃を終えたら、『終了した』とだけ無線を入れろ! その他緊急事態が発生しない限り、無線は閉じておくように! 無線は山城、任せていいな?」
「……分かりました」
「準備が整ったようだな。では――総員、訓練開始!」
艦隊が沖へ出る。
私は、四人が若葉の能力に驚く光景を、目に浮かべていた。
『終了しました』
無線から山城の凛とした声が聞こえてきたので、私は沖へと向かった。
私が近付くと、真っ先に声を上げたのは、若葉だった。
「司令官、聞いてくれ。手応えがあった。絶対に当たってるハズだ」
興奮気味の若葉は、早く確認してくれと急かす。
見ると確かに一つ、煙をあげ、大部分が損壊しているブイがあった。
「判定……大破。本当に良くやったな、若葉。それに皆も」
那珂が若葉の方を見て、少しだけ笑みを浮かべていた。彼女の明るい表情を見るのは、これが初、か。那珂からそういった表情を引き出すほどの働きだったということだ。
「まさか、本当に当てるなんて……二人でどんな特訓してたんですか?」
「正直、私も驚きました。若葉に限って、変ないかさまとかはしてないでしょうし……」
鳳翔と山城は、はしゃぐ様子はないものの、幾分か気分を高揚させた声音で、私に話しかけてきた。もしかすると、二人から声を掛けられたのは、これが初めてだろうか。喜んでおこう。
「特訓自体は、そんなに珍しい事をしたわけじゃない。これは若葉の能力の特殊性と、その精度の高さだ」
残念ながら、私の言葉に対しての返事はなかった。二人とも、感心した表情で若葉を眺めている。
「パワーアップした若葉ちゃん、すってきー!」
睦月は喜びを全身で表わし、若葉に抱きついていた。目隠しを外しながら、暑いから離れろという若葉は、言葉とは裏腹に満足そうな笑みを浮かべていた。
全体的に和やかな雰囲気の艦隊に、私は、次の言葉を言うか言うまいか、かなり迷った。
「あー……気を悪くしないで聞いて欲しい。水を差す訳じゃないんだが」
やはり言うことにする。これは、少女たちのためだ。
「時間が掛かり過ぎだ」
本当に心が苦しい。笑顔が無くなっていく睦月を見て、ひどい罪悪感を覚える。山城と鳳翔の冷めた目が、痛かった。
「……え」
「別に良いじゃないですか。これはもう曲芸をしてるようなものですよ? 実践出来てる時点で、褒められることだと思いますが」
山城の言い分も、分からないでもない。
私自身、一度で結果を出されてしまって動揺している節がある。掠れば御の字、とさえ思っていた。
若葉の優秀さを侮っていたツケだと思い、進言する。
「残念だが、これは砲雷撃の訓練だ。曲芸の訓練ではない」
「でも……!」
「提督、厳しいのですぅ……」
「ならば皆は、『今から驚くような砲撃をするので、待っていて下さい』と頼むのか? 恐らくだが、相手は待っていてはくれない」
「それは……」
反論をしようとした山城が、言葉を飲み込む。
和やかな空気を吹き飛ばされた艦隊は、一様に沈黙し、肩を落としていた。
落ち込んでいる、ということは、真面目に訓練を行った、ということだ。
彼女らのその僅かばかりの成長を、私は秘かに喜んでいた。僅かだろうと、確かな成長だ。初日・二日目の様な堕落感は、もうない。
誰もが何も言わない時間は、ほんの数秒で終わりを告げた。
「確かに、そうだ。司令官の言う通りだ」
今日一番の成果を上げたと言っても過言ではない若葉が、真っ直ぐな目で私を見ている。
「若葉? 何も、これのむちゃくちゃ論に合わせなくてもいいのよ?」
「いや、司令官の言い分は、本当に正しい。若葉は今のところ、こうじゃないと、砲雷撃はままならない。これでようやく初心者と同じレベルだ。だからこそ、そういった者たちと同じ様に、司令官は指導するべきだろう」
「だからって……」
若葉や睦月などは、訓練に取り組む姿勢が改善されただけでなく、指導を求めるような気持ちまで強まっている。
彼女らの成長は、目を見張るものがあるな。見ていて、とても楽しい。罪悪感からの現実逃避は、これくらいにしておこうか。
「その通りだ。まぁ、出来ることは証明された。あとは精度を上げることと、時間の短縮。目標は単純だ。もちろん、若葉なら出来るな?」
「ああ。実用できるまでにしてやる。任せてくれ、司令官!」
あの日から数日が過ぎた。私は洋上で、艦隊の指揮を執る。艦隊は隊列を崩し、それぞれに動いていた。
「――そこだっ!」
その中で、若葉は、正確に標的を撃ち抜いていく。誤射もない。
外すことなく二度三度と標的を撃ち抜き、沈んでいく。
雷撃に於いても駆逐艦ならではの性能を存分に発揮していて、ようやくこれで、彼女は駆逐艦娘になれたのだと思えた。
驚異なのは、若葉が未だに目隠しをしていることだ。目隠しをしながら、正確に射抜き、正確に雷撃をする。とんでもない曲芸だった。
……ふむ、もうそろそろ、いい頃だろうか。
「総員、訓練を一時中断! ただちに集合!」
号令と共に、五つの白波が集まってきた。
「若葉、目隠しを取っていいぞ。睦月、手伝ってやれ」
睦月の手を借り、若葉が目隠しを取る。
眩しそうな表情を一瞬だけ浮かべ、若葉は私の方へと向き直った。
「確認しよう。これまでのここでの訓練で、若葉は誤射をしたか?」
「……いや、していない」
「これで思う存分分かっただろう? 目隠しをしていても、若葉は誤射などしない」
「ああ。今なら、誤射しない自信がある」
堂々とした口調の若葉は、砲雷撃に怯えるあの子とは大違いだ。
「……ただ、視界が回復したから、今度はつられてしまう、かも、しれない」
「確かに、それはもうありえないことだ、とは言えない。だが、若葉。お前は目隠しをしての砲雷撃技術を学んでいる。そしてその難しい環境で、みんなも若葉の射線に入ってこなかった。皆を信じろ。若葉が誤射しそうになった時、皆が正しい射線に導いてくれるはずだ。そうだろう?」
「睦月達に任せてください、です!」
敬礼をしながら、睦月が頷く。
「……そんなに上手くいくだろうか?」
「そうなるように、訓練するんだ。失敗を恐れているのであれば、それは無駄なことだからやめた方がいいぞ、若葉。訓練であれば、何度だって失敗していいし、それで何かが掴めるのなら、どんどん失敗して欲しいくらいだ。もちろん、本番でも、失敗してくれて構わない。一度の失敗で取り返しがつかないような作戦は立てないし、実行しないから安心してくれ」
今日の午前中に、試しにと思い、彼女たちに個別の動きをするよう指示したが、なかなかの成果が上がっている。作戦の立て甲斐があるというものだ。
「まぁ、いきなり変化を付けるのは、若葉としても良くないだろう。今はまだ、目を瞑ったままで行おう。数回に一回くらいは目を開けて、砲雷撃してみようか」
「了解だ」
洋上に並ぶ五人の艦娘に対して、私は声を張り上げて号令を掛ける。
「さぁ、改めて訓練を再開しよう! 今朝話した通り、今週末から、リーグが開催される! 明後日には練習試合も設定してある! 気を引き締めて、訓練に取りかかるように!」
「はい!」
「了解だ!」
返事をしてくれる艦娘が、一人増えた。とても嬉しい。他三人の反応が薄いのは、もう慣れてしまった。悲しいことである。
「続きの訓練内容は、同じものとする! 総員、訓練、始め!!」
先も言った通り、今週末からは「リーグ」の本格始動だ。去年が第一回なので、今回は第二回大会となる。
出来れば開催までに、摩耶を訓練に参加させよう。
無理やりでない方がいいが、最悪無理矢理でも参加させよう。
練習試合も、どんな手を使ってでも、彼女を入れての編成にしよう。
五と六では、それだけで彼女らの居場所を守れる確率が大きく変動する。
まずは初戦を白星で飾る。そのための最終確認が練習試合だが、個人的には、その目標は練習試合でも適用したいところだ。
練習試合は“あの”鎮守府とだが、はたして「彼女」は来るだろうか。