二日目
なんてことのない火曜日の朝だ。
まだ眠気の取れない身体を無理やり動かし、なんとか登校する。足がとても重かった。悪い予感がするのだ。
そして、俺が校内に足を踏み入れた時点で、予感は確信に変わった。昨日より騒がしいからだ。神など居ないことが悲しくも証明されてしまった。
「入須からの御守りに御利益は無かったか……」
うんざりしながら上履きを履いて、教室へ向かおうとすると、昨日と同じように里志がやってきた。
「ホータロー!」
「よお。お前は朝から元気だな」
「事件だよ、事件!!」
挨拶を忘れる程興奮した里志を無視し、教室へ向かう。前方には人だかり。昨日より多い気がした。が、俺は一刻も早く教室に行って眠りたいんだ。とても寝足りない。昨日は遅くまで文庫を読むのに忙しかったからな。
「ってなに通り過ぎようとしてるの! ストップストップ!!」
「なんだ。俺には関係のないことだろ?」
「そうとも言えなくなってるんだよ!!」
なに?
「とにかくあれ見て!」
里志が指差す方にあるのは、やはり壁新聞部の掲示物だった。「怪盗五文字、第二の犯行は誘拐!? 奪われた入須冬実!!」との見出しがでかでかと書かれている。昨日より雑に作られているのは、壁新聞に詳しくない俺でも見て分かった。
が、なんだこれは。
「いつもならもう登校してるはずなのに、まだ来てないんだ! そしたら、机からあの犯行声明カードが出てきたんだよ! さすがに入須先輩が誘拐されたら、僕らも黙っていられない!」
「いや」
「だってあの入須冬実だよ?! スクープとかじゃなく、これはもはや事件だよ!!」
「落ち着け里志」
「むしろホータローはなんでそんなに落ち着いてるのさ!」
「誘拐もなにも、入須冬実は数日間、欠席するそうだぞ」
「……え?」
俺がそういうと、里志だけでなく、人だかりのほとんどが俺の方を向いた。やめろ、注目されるのは好かん。努めて平静を保ち、俺は考えを口にした。
「あの口振りなら事前に届けてあるはずだ。教師に確認してみればいい」
まぁ、俺はしないが。
ざわめきは静寂に戻り、人だかりは解散する。
「ってことは、怪盗五文字の犯行は失敗したって事?」
「そうなんじゃないか? よく分からんが」
適当に相槌を打つ。これでこの話題が終われば俺の勝ちだ。いや、勝ち負けなんて求めてはいなかった。負けてもいいから早くこの話題から逸れたい。
解散した人だかりに混じるように、俺たちも教室へ向かう。
「……いや、違うよホータロー! 怪盗五文字は入須先輩の欠席を利用したんだ! 欠席者を選ぶことで、あたかも自分が盗んだと思わせる演出だ! つまり、犯行は成立してる!」
「かもなー」
ひとりでに盛り上がっていく里志を尻目に、ポケットに手を突っこんだまま、俺は歩みを止めない。
「となると、怪盗五文字は入須先輩が休みなのをどうして知ってたのかな?」
「さぁ」
仮に、怪盗五文字が入須冬実の欠席を利用したとしてだ。そうなると、利用された入須は激怒しそうだな。哀れ、怪盗五文字。短い生涯だったな。お前が神山高校に残した爪痕はなかなかに深かった。合掌。
「……僕、気になることがあるから、ちょっと調べてみるね。じゃ!」
どうぞ、ご勝手に。
俺がそう思うや否や、里志はどこかへと走って行く。職員室にでも行くのだろう。ご苦労なことだ。俺にはとうていできない業である。
教室内も、やはりざわついていた。
いつもは教室に入ってくる人の顔なんて見ていないような奴も、今日に限って誰が入ってくるのかをちゃんと見ている。入須が誘拐、見たいな書き方をした壁新聞部のせいだろう。勘弁してくれ、注目されるのは苦手なんだ。
「折木くん。おはよう」
「ん。おはよう、十文字」
自分の机に向かう途中、珍しく十文字かほに挨拶された。この二年になって同じクラスになったが、ほとんど話した記憶が無い。あるいは俺は、失礼な人間なんだと思っておく。
彼女は十文字家の娘だ。十文字家は、ここ神山市にある旧家名家の一つで、里志のいうところによると「桁上がりの四名家」だそうだ。十文字家と言えば荒楠神社、というくらいには有名らしい。俺は知らなかった。とはいえ、彼女は普段、そういった空気を振り撒いていない。庶民的、という感じではないが、千反田のように純度100%のお嬢様然としていないのだ。……と、思われる。
俺としては、千反田の親友で、少し不思議な占い研究会の一人(一人しか部員は居ないが)で、神山高校の新たな「図書室の主」という認識しかないのだから、判断の仕様がない。
それも、彼女が巫女装束を纏えば一瞬にして消え去るのだから、本当に恐れ入る。俺が初めてその姿を見た時は……恥ずかしいが、同い年だとは思えなかった。
老けて見えたとかでは、決してない。
単純に、色々と自分が拙く見えたんだ。あそこまでしっかりしていれば、年上に見えても仕方あるまいて。十文字と千反田にはくすくすと上品に笑われた。
ああ、そう言えば、十文字と入須は旧家名家の繋がりがあったな。入須のことを心配しているのかもしれない。いちおう伝えておくか。
「あー、入須は今日から県外に行っているらしい。だから、誘拐とかじゃないぞ」
「あれ? 知ってたんだ、折木くんも」
む。
「というと、お前も知ってたのか。てっきり心配してるのかと思った」
十文字の表情だけでは確認できんが。相変わらずこいつの表情は良く分からん。
「気遣ってくれてありがとう。折木くんは優しいね」
「いや、優しいとはまた違……」
俺の言葉の途中で、すっと、フェードアウトするように十文字が去っていく。
なんともまぁ、独特な空気を持つ奴だ。一年目は里志と同じクラスだったかな。その里志が「ちょっと苦手」という女子だ。もっとも、里志が苦手とする女子は結構多い。
俺自身はそんなに苦手な空気を感じない。十文字は「新たな図書室の主」とまで言われているようだから、本が好きなんだろう。そういうところは俺や千反田と通じる部分がある気がする。今度、あいつが気に入った本でも聞いてみようと思った。
「ふぅ……遠かった。ようやく仮眠できる」
二日連続で、自分の机を遠く感じた。
俺は机に突っ伏すと、一時間目が始まるまでの貴重な時間を、エネルギー回復のために費やした。好みに合わない文庫を読み切るには、かなりのエネルギーを消費せねばいけなかったのだった。
授業は終わり放課後。俺はいつものように、部室に向かう。ドアを開けると、既に里志と千反田、そして大日向友子が談笑していた。伊原はいない。
里志千反田はいつもの場所、大日向は窓から一番遠いところに座っている。ともすれば、偉そうに見える位置が、大日向の席だ。なんでも、「仲がいい皆さんを平等に見るには、ここが一番いいんです」だそうで。
「折木さん。こんにちは」
「や、ホータロー」
「こんにちは、折木先輩」
「ん」
なんだかんだあった大日向も、まだ正式に入部をしているわけではないが、頻繁にこの部室に顔を出すようになっていた。俺がいつだったか、「もう部員同然なんだから、入部届けを出して来い」というと、「まだ清算の目処が立ってません。せめて、それだけでもきちんとさせてください」と、恥ずかしそうに答えられたことがある。
仕草はさておき、入部も時間の問題だろう。これで俺たちが抜けても、少なくとも古典部は存続するはずだ。姉貴ではないが、少し安心した。
「折木先輩は今話題の五文字事件、どう考えてるんですか?」
その大日向が、俺の座るのを見るや否や、楽しそうに尋ねてきた。
「いや何も」
「本当ですか? 折木先輩なら、いつの間にか推理してそうですけど。犯人はアイツだろうな……ちょっくら話しつけてくるか。みたいな」
後半のは俺の真似か。似てない。俺は自分から考えて話を付けていこうと思うほど、積極的に首を突っ込まない。
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
「それはまぁ、折木先輩、と思っていますが」
お前の折木は俺じゃないな、うん。どちらかというと、姉貴の方だ。いや、それも違うな。姉貴なら、「気が付いた時には全てが終わっていた」と表現したくなるだろう。それほどまでに、姉貴は規格外なのだ。
俺が新しく持ってきた文庫本を開こうとすると、今度は里志が口を開く。
「そうそう、ホータロー。さっき千反田さんにも伝えたんだけど、入須先輩は無事みたいだよ。さすがに教師たちも確認したみたいだ」
「そうか」
「あれ、それだけ?」
「元から心配してない」
心配する様な人間じゃないだろう。あれは……そうだな。仮に誘拐されたとしても、犯人を利用し、何食わぬ顔で戻ってくるような人間だ。それはそれで規格外のような気がする。
「折木さん」
最初の頁、二行目まで視線を運んだ時、千反田の「不味い」声音が耳に届く。聞かない、なんて甘い逃げ道は許されない。
「入須さんにまで、怪盗五文字の魔の手が伸びたんです。もう無関係とは言えないんじゃないでしょうか」
ならば、適当に返すのが吉だ。
「無事だったんだろ。ならそれでいいじゃないか」
平穏な日々を奪われたら大問題だが、今のところその兆候もない。ならばこのまま蚊帳の外でやっててくれ、と思う。
俺の無関係なところで始まり、無関係なところで終われ。
「あー、ダメだね千反田さん。なんだか今日のホータロー、意固地になっちゃってる。こうなったら、あと動かせるのはホータローのお姉さん位だよ」
「姉貴は関係ないだろう。俺はな」
「やらなくてもいいことはやらない。やらなければならないことなら、手短に、でしたよね。折木先輩」
「ああ。それに従って生きてるだけだ」
俺の代わりに言ってくれてありがとう、大日向。おかげで省けた。素晴らしい。このままこの話題も省いて欲しいところだ。
「要するに、意固地になってるんだね」
「……もうそれでいい。今から面白いところなんだ」
おそらく、きっと、いや確実に、この本は面白くなるに違いない。俺好みの導入だったんだ。
そのまま下校時刻まで文庫を読み耽り、第一章の終盤まで進めたのだが、昨日に引き続き、読み進めるのが辛い気配が漂っていた。願いは届かなかったのである。