何事にも、不文律というものはある。
それは、冒険者の依頼にも当然ある。
例えばドブ浚い、これを黄金等級や銀等級が受けるということは無い。
割に合わない、というのもあるが、それ以上に、新人たちの食い扶持を荒らさない、というのが先達のわきまえるべきマナーである。
無論、ゴブリン退治のような慢性的に人手不足な依頼というのはあるが、その一人者であるゴブリンスレイヤーであっても、新人達の仕事を奪うということはしない。
しかし、何事にも例外というものはある。
「お疲れ様でした」
「何、道中何事もなく、給料泥棒よ」
「いうても、この護衛はほとんど報酬でねぇべ」
冬の近づく寒空の下に、黒く塗られた荷馬車から降りたバケツヘルムの騎士風の男がそう朗らかに返す。
その首元には銀等級の身分証が光っていた。
薄給の荷馬車の護衛、これもまた、銀等級が請け負う仕事ではない。
しかし、この荷馬車の護衛は、たとえ黄金等級の冒険者が請け負ったとしても異論を挟むものは居ない。
そういった依頼があるのだ。
冒険者ギルドへ運び込まれる荷物は、丁重に、そして若干悲し気に人々が運んでいく。
冒険者の――遺品の、輸送である。
どこかの冒険者がもって帰ることのできた、道半ばで倒れた誰かの痕跡。
何としても、故郷へ戻さねばならぬものである。
故にこそ、遺品の輸送に関しては、むしろ腕利きの冒険者が捨て値といっていい報酬で請け負うのが冒険者ギルドの例外的な、それでいて不文律である。
「ねぇ、そろそろいこー」
するり、と騎士の横に陽炎のように立つのは美しい少女だ。
十二分に美しく華やかであるのに、影のような、風のような、猫のような、ふと目を離せば、消えてしまいそうな、動的な不確かさをもった少女だ。
「仲間、探すんでしょう?」
「うむ、そうだったな!」
そう一つ頷き、騎士は冒険者ギルドの扉を開けた。
「太陽を探しておるのだ」
金髪の偉丈夫はそう切り出した。
横に置かれたバケツヘルムに太陽の意匠が施されたプレートメイル、腰には質実剛健なロングソードがごとりと、まさに、という太陽神に仕える神官騎士である。
後ろで相方の盗賊の女性が顔に手を当てて苦笑いしている。
「私は太陽神に仕える騎士、自身も太陽のように熱く強く人々を照らすものなりたいと、己を鍛える旅をしている」
その言葉に森人と鉱人と蜥蜴人は、ほう、と息を吐いた。
まともだ。
ものすごく、まともだ。
地母神様に仕えています、ともあれ、ゴブリンは滅ぶべきであると考える次第である。
酒神様に仕えています、それはそれとして、モンスターおいしい。
太陽神に仕えています、皆を照らすような人間になりたいと修行の旅をしています。
まともすぎて、戸惑うぐらい、まともだ。
最初は窓の外を見て今日は曇りだったかと確認していた鉱人も、ほうほう、とテーブルに寄って来た。
言動については、一番近しい只人の地母神につかえる神官である少女があれである。
そう考えれば、太陽神に仕えているから太陽を求めているぐらい、まともに思えるから不思議である。
変なの二人は仲良くどこかのゴブリンを退治して回っているようで、姿は見えない。
「これは、古い太陽神の神殿の地図、今はもう遺跡となっているものだ、そこにはおそらく神器が埋もれたままと思われる」
テーブルに広げられたのは古い地図だ。おおよそこの辺境の街から南の地点をとんとんと指でたたく。
「場所はここから徒歩で三日、未回収の神器の回収は神に仕える者の務めだ」
仲間の募集、むろんギルドの掲示板にはそういうモノもある。
いつもいつも自分の属する一党でのみどんな仕事であろうが受けられる、というわけではないからだ。
かくして、遺跡へと冒険者達は旅立つこととなった。
「~♪」
鼻歌を歌いながら焚火をいじるのは女盗賊である。
くすんだ短い金髪が焚火に照らされている。
「でーもぉーこの人に面喰わないってめずらしいねぇ」
太陽騎士を指さしながら視線の先には妖精弓手達がいる。
「……神官ってそんな人種じゃないの?」
「……それは、初めて聞いたなぁ」
やや予想の斜め上を行かれたようなキョトンとした顔をして狩った鳥を捌いて鉄串に刺していく。
パラパラと振られた塩と胡椒、塩は岩塩をガリガリと削ったものだ。
処置の仕方と料理の腕がいいのか、野鳥の粗野な味わいと岩塩と胡椒がよく合っている。
「ほほー、こりゃ酒にあうのぉ」
「卵巣は好き? 呑兵衛ねぇ」
「おうよ、こちとら鉱人、酒が飲めずに生きていられるかい!」
けらけらと笑う少女に気分よく答える鉱人。
舌鼓を打つのは蜥蜴僧侶も同じだ。
「うまいですなぁ」
「うむ! こやつは本当に頼もしいからな! それに何よりも美しく明るい!」
まるで太陽のようだ! と絶賛する太陽騎士に女盗賊は面倒くさそうな視線を向ける。
「うるっさぁいなぁ……もぉ」
そうは言いつつも手は丁寧に料理を続けている。女冒険者は料理に裁縫なんでもござれだ。
その様子に目を細めた騎士ががぶり、と酒を一あおり。
「明日はいよいよ突入だな! 皆頑張ろう!」
そう高らかに杯が掲げられた。
寂寥とした風が吹いていた。
荒れ野の小さな丘の頂に、その入り口はあった。
「……神殿っちゅーとらんかったか?」
「……むぅ」
地図に記されていた地点、そこに地中へと降りていく階段が、たしかにあった。
だが、地下へ降りていく神殿というのはなかなか聞いたことは無い。
「地上の部分は全部さっぱり壊れてて、ここだけ残ってた、とか?」
「かもしれませぬな」
辺りを見回す蜥蜴僧侶も、仕事のしどころのない、という妖精弓手ややる気のなさそうな女盗賊は手持ち無沙汰だ。
「とりあえず、降りて様子を見てみよう」
騎士の下した結論に一行は賛同し、角灯に灯りを点して降りることになった。
静寂が、壁に染み付いていた。
何らかの灯りを浴するのは何年ぶりであろう地下室は、思いのほか広大でり、かつて潜ったカタコンベを妖精弓手達に思い起こさせていた。
何らかの神器があるのであれば、この奥であろう、という最奥の扉の前に五人は立っていた。
石造りの、重厚な扉である。
鍵は無く、これまで何もなかった通り、開けば中に入ることができるであろう。
拍子抜けした一行は、やや気の抜けた様子でその扉を開けようとした。
「入るといい」
そこで、声がかかった。
扉の奥からだ。
落ち着いている。
声が、である。
太く、低く、石柱のような、それでいてどこか気品のある声であった。
一行は顔を見合わせ、妖精弓手は弓に矢を番え、鉱人と蜥蜴僧侶は手元に触媒を携え、女盗賊は両手に短剣を引き抜いた。
それらを見て、騎士は扉を開けた。
地下であってなお、冷たい風が、扉の中から吹いた。
雪が降りそうな、冷たく極まった空気に、思わず妖精弓手は雪が降るはずもない天井を仰ぎ見た。
「目をそらすな、死ぬぞ」
夢から覚めるように、今更ながら視線を戻せば、広間の最奥に座る黒髪の男がいた。
簡素な椅子であるが、男の佇まいから、まるでそれは玉座のようだ。
騎士も偉丈夫であるが、男のソレは、貴族や王族に類する風格を備えていた。
かつて相対したオーガ以上の巨躯をもつ美丈夫だ。
おそらく、これがどこかの貴族の邸宅であれば、騎士も膝をついて突然の来訪をわびたであろう。
しかし、男の両側に侍るのは骨でできた従者であり、それらが捧げ持つ赤と青の魔剣の禍々しい光は尋常の秩序の者が持つものではない。
男が混沌の勢力のものであることは明らかであった。
「その鎧の意匠、太陽神の僕か」
立ち上がり、こちらに声を掛ける所作にすら、色気を感じさせるものがあった。
武器を手に取っていなければ、見とれ、ため息をついていたであろう。
「やれやれ、あいつの懸念通りとはいえ……そうだ、お前たちの求めている物は、この奥にある」
男の言葉に騎士は無言でロングソードを抜いた。
「事は単純だ。私を殺せねば、お前らは死に、災厄は世界に巻かれる」
骨の従者から魔剣を受け取り、立ちふさがる威風堂々とした佇まいに、異形が混じった。
角だ、赤黒い禍々しい二本の角が男の頭から生えてきたのだ。
そして広間の物陰からも、何体かの悪魔が這い出て戦闘態勢に入る。
「さあ来るがよい! 秩序の守り手よ!!」
「ちょっと、後で説明してもらうわよ!?」
騎士は何も言わず男へと突進し、妖精弓手の声をもって戦端は開かれた。
右手に長剣、左手に盾。騎士の構えは、まさに騎士かくあるべし、という構えであった。
それを、崩すことができない。
両手の魔剣は、数えきれないほどの勇士を切り刻んで来た愛剣である。
人類を凌駕する膂力、積み上げた剣技、それらをもってもなお、目の前の騎士を打ち崩すことができない。
盾はまさに城壁のごとく斬撃の雨を押しとどめ、時に受け流し、一瞬の隙が出来れば容赦なく右手の長剣が閃き、こちらの命を刈り取りに来る。
長大な刀身がまるで飴細工のように見えるほどの剣速、一太刀一太刀がまるで隆盛のようだ。
その剣撃の重さたるや、体格の差などあってない、と言わんばかりのもので、一瞬でも油断すればこちらの剣が跳ね飛ばされるだろう。
「ほぅ……」
惚れ惚れするような、武勇である。
はるかに体格で劣る相手が、まるで巨大な巌のようだ。
だが、いかんせん片手剣、その太刀筋にも慣れてきた。
盾を持つと、どうしても強力な太刀筋というものは自然右側、相対する者からすれば、左側から打ち下ろしてくる形になる。
いかに速く重い斬撃であろうとも、受け慣れ、テンポを覚えてしまえば対処は容易である。
そして男と騎士とでは肉体の根本的なスタミナが違う。
騎士の太刀筋に慣れてしまえば、もう騎士が男の命を絶つことはできないだろう。
楽しくはあったが、いささか飽いた、他の者どもはどうやら劣勢らしい。
このまま遊んで、全員を相手取るのも一興ではあるが、それでまかり間違ってまけて命を落としては意味がない。
「もうよい、死ぬがよい」
「死ぬのは、貴公だ」
飛来するのは盾、奇をてらった一撃に、失望しつつ、打ち払い、本命の斬撃を、のこった刃で待ち構える。
どのような斬撃でも、対応できる残心がある。
打ち下ろし、突き、横薙ぎ、切り上げ、何だろうがするがいい。
そう待ち構えているところに、ぽん、とまるでボールを渡すように刃が投げ込まれた。
完全に虚をつかれたその一投に、それでも魔剣は素早く打ち払い。
そして、もう切られていた。
「は?」
宙を舞う、剣を握った己の腕。騎士の手には光り輝く、いや光そのものの刃があった。
太陽の光だ、それが騎士の手の中で滅魔の光剣となっていたのだ。
「《遍くを照らす大神よ! その心臓より迸る稲妻で、我が行く道を拓き賜え!》」
それを理解した時には、男の首はすでに胴体から断たれていた。
「《太陽万歳》!!」」
迫りくる夜明けの如き極光を退けることなど、首だけとなった男にできようはずもなかった。
「本当に、偶然だったのだ」
「もういいわよ、楽しかったし、嘘じゃないみたいだし」
神器、なにやら御大層な杯を背負った騎士と歩きながら妖精弓手が答える。
曰く、上位悪魔の男が思わし気なことを言っていたが、騎士たちは別段身に覚えがないという。
まぁ、それならそれで、どこかの悪だくみを偶然くじく、というのは無くは無いから不自然は無い。
それに、目の前の騎士がぬけぬけと人をだませるような手合いでないことはなんとなくわかる。
とりあえず、手に入れた神器を最寄りの大神殿に納めねばならない、ということで、分かれることになった。
「そいで、そっちはこれからどうするつもりなんじゃ?」
「そうねぇ、前まで一緒に冒険してた術師と癒し手がこのあたりに来てたはずだから、落ち合ってみるのもいいかなぁ」
「まぁ、縁があれば、また会いましょうぞ」
「うむ、また、どこかの空の下、新しい冒険で」
風が分かれるように、振り返らず、こうして冒険者たちは別れた。
いずれ、互いが互いの名声を耳にするのは、もう少し先の話。