女神官逆行   作:使途のモノ

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幕間 冒険者以外が誰かを助けていたりする話

「いやぁ、疲れた!」

 

 巡回の医者は大きな鞄をドサリと置いた。

 

「はい、お医者様、お疲れ様だよ」

 

 そう言って自慢の逸品を差し出す店の女将の苦笑はねぎらいと感謝にあふれていた。

 

 旅の医者、というのはピンからキリまでいるものだが、この医者の腕前は本物であった。

 

 医者のいない集落、というものは辺境になれば珍しくない。

 

 この村もそうであった。

 

 さして豊かではない山間の村、的確な処方、信頼できる薬品、そういったことが、望むべくもない場末のうら寂しい、どこか曇り空の似合う村。

 

 自分の故郷の閉塞感に嫌気がさして冒険者となる故郷とは、こんな村であろう、というイメージを形にすれば、こんな村になる、そんな村だ。

 

 こんな村は流行り病一つで誰からも知られることなく村としてやっていけなくなることもままある。

 

 先日ゴブリン退治に村の資産を吐き出して、もう碌に余裕はない。

 

 しかし、それでも腕の確かな医者の作った薬、というものは確保せねばならないものなのだ。

 

 あまつさえ、乞われれば診察もしてくれるとなれば村人たちが列をなしたのも当然といえる。

 

 そして、その者たちをすべて診察し、いくらかの薬も作って、また、病人と診断したものには個別の薬草を処方した。

 

 ゴブリン退治に来た女神官が帰り際に作っていってくれた薬がいくらかあるが、それだけに頼るわけにもいかない。

 

 兎角神官は祈って奇跡を起こすものであり、薬師としての技量は未知数である。

 

「いや、その神官様の腕は相当なものかと思いますよ、ゴブリン退治ついでに摘んだ薬草で作ったとなれば、本当に、どこでだって薬師としてやっていけます」

 

 それはどこにいるともしれない神官へのリップサービスなどでなく、医者の本心であった。

 

 それほどに、どこかの神官の作っていった薬は出来が良かった。

 

 とはいえ、それで商売あがったりになるほど、無医村は少なくないのも事実だ。

 

 どこかの誰かの善行には素直に頭が下がる。

 

 ともあれ、細身の優男である医者はねぎらいの一品に舌鼓を打ち、これからの旅路を考える。

 

 この山間の村の先にも村はあるらしいので、そこまで足を延ばすのもいい。

 

 別に神官様ほど人を救済しようなどという御大層な志は無いが、困っている人間が居れば、食うに困らない因果な稼業である。

 

 さてはて、と思考を巡らせながら食事を楽しんでいれば、何やら外が騒がしい。

 

 そうこうするうちに、酒場に男が一人駆け込んで来た。

 

 その男を介抱する村人たちからの会話を察するに、どうやらいくかいかまいま迷っていた村の人間らしい。

 

 取り囲む人間の顔は一様に真剣で緊迫したものだ。

 

 近隣の人間が血相を変えて飛び込んでくる、それはつまり道中で何かがあったか。

 

「魔女が……村にぃっ……っ!!」

 

 その者の村で何かがあった時だ。

 

 

 

 魔女。

 

 ただ単に魔女という場合それは魔術師の女性名詞ではなく、混沌の勢力の走狗となった邪術師を一般に指す。

 

 名前の通り、魔道に長け、また、その身を守る魔物を随伴していることも多い。

 

 あるいは何食わぬ顔で街に紛れ、人々を不幸に陥れ、邪なる策謀を巡らしもする。

 

 それが、現れたという。

 

 最初は、体調不良の者が少しずつ増えだしたのである。

 

 高熱で寝込むものが出だし、誰か近場の都市に医者か神官を呼ぶべきでは、という話になった。

 

 そして、男性が妊婦のように腹が膨れ、ソレがでてきた。

 

 手と足の場所を逆にしたようなピンク色の肌をした人間、のようなモノ。

 

 本来生殖器のあるべき場所には鼠の尾のようなものがだらりとあった。

 

 ソレが、男の腹を食い破って出てきたのだ。

 

 まるでそれが号砲であったかのように、そこここで悲鳴が上がった。

 

 体調不良であった人の中から、同じように、同じようなことがおこったのだ。

 

 そして、ソレは周囲の人間に襲い掛かり、陰鬱だが、それ以外何もない村が、阿鼻叫喚の地獄絵図となった。

 

 街の中心に、まるで当然のように立つ煽情的な恰好をした妖艶な美女、その高笑いを耳にして男の本能は警鐘を鳴らし、逃げ出したという。

 

 男は村で一番足が速く、そしておそらくその時最も村で幸運であった。

 

 それ以外に、男がこの村にたどり着くことのできた理由は無い。

 

 男が命からがら、命がけで持ち込んで来てくれた情報、しかし、それでもこの村の人間としては、どうすればいいのか、わからない、いや、むしろどうしようもないモノを目の前に差し出されたような様子であった。

 

 無理もない話である。

 

 収穫の時はまだ遠く、村の資産はゴブリン退治と医者への薬代と謝礼で消え去ったようなものだ。

 

 半ば禁じ手じみた手段であるが、村の若い男手を近隣の村などに労働力として貸与する、という手段もあるにはある、しかしそれはこの村に脅威が迫って初めて切ることのできる切り札でもある。

 

 あくまで村同士の取り決めでの労働力の貸与は農奴程ではないが、男手の流出の危険性はある。

 

 出向いた村で女性と結ばれたり、そのままどこかへ逃げ出して冒険者となったり、何かに襲われてしまったり、となんにせよ帰ってこなくなる可能性も無視できるレベルではない。

 

 隣村に現れた魔女、それがもしこちらに来なければ冒険者を雇った費用は無論この村持ちだ。

 

 隣村の資産だって、魔物が荒らしているのであれば拾いに行けたところでたかが知れている。

 

 つまり、この村としても下手に冒険者を雇えば傾きかねない。

 

 いっそ、ただ魔女がこちらに来ないことを切に願うのが最善の手なのでは……

 

 そのような、静かで、それでいてどうしようもない諦めの雰囲気を察したのだろう、男の顔に絶望がよぎる。

 

 山間の、貧しい村なのだ。

 

 幼い頃、若い頃は、あの村を飛び出て、自分が英雄へと上り詰める、そんな妄想いくらしたか覚えていない。

 

 しかし、少しづつ成長し、背が伸び、老い、そして、諦めるように、現実を受け入れ、愛着がわき出したのだ。

 

 村の誰もが誰もを知っている。

 

 いつも仲良く喧嘩している親父にお袋。

 

 しわくちゃになっても夫婦仲の良いじいちゃんばあちゃん。

 

 妻は静かな女だった、面倒で貧しい暮らしを、ずっと一緒にしてくれた。

 

 子供たちだって、生き生きと春の芽吹きのような笑顔を向けてくれた。

 

 村の皆だってそうだ、偏屈な奴、一本気なやつ、色んな奴がいた、なんだかんだ、良い奴ばっかだった。

 

 誰もが、あんな邪悪で残虐な思いに踏みにじられる最後で、いいはずのない人達だったのだ。

 

 だが、自分にその現実を殴り倒す力は無い。

 

 ただ、逃げ出し、生き延び、そして絶望に浸るしかできない。

 

 なんで、俺は生き残ったんだろう。

 

 生き残った安堵はすでになく、虚ろな思いだけがこだましていた。

 

「あーちょっとよろしいですか」

 

 どこにも緊張感というものを聞くことのできない声に、男をはじめ村人たちも振り向いた。

 

 

 鳥頭人体の黒の異形

 

 

 つまり、医者の恰好である。

 

 鞄の中にあった服を着たのであろう、手には医者を表す職杖の短杖も持っている。

 

 あぁ、そうか、この駆け込んできた男を診察するのか、と村人たちが道を開ける。

 

 コツ、コツと近づいてくる男の姿に、なぜか、村で見た魔女の姿を思い出す。

 

 こちらを見下ろす視線は、その大きな鳥のマスクに遮られてよくわからない。

 

 カチャ、という音と共に、短杖が割れる。

 

 開かれた面に刻まれるのは刃を持った右手と、縄を持った左手。

 

 魔女狩りの証だ。

 

「実は私、副業でウィッチハンターもしているんです。悪い魔女とか、心当たりありませんか?」

 

 

 

 

 

 今こそ、秩序の世を終わらせる。

 

 雌伏の時は、終わりを告げたのだ。

 

 魔女の胸にはどす黒い愉悦とこれからの期待、歓喜が渦巻いていた。

 

 村の人間たちに寄生させた魔物たちは無事芽吹き、産み落とされていった。

 

 そして、一通り殺して、食らって回り、魔物たちも人心地ついたようだ。

 

 後はこれらを更に隣村へとけしかける。

 

 隣村の人間を貪り、そしてさらに増えて勢いを増して、先へ、さらに先へ、どこまでも、この魔物の波を止めることのできる者などこの世にいるはずもない。

 

 死を、絶望を、思う存分味わって、滅びればいいのだ。

 

 

「いえ、滅びるのも苦しむのも、あなた方だけでお願いします」

 

 

 (カン)

 

 

 見上げるほどの石壁が魔女たちのいる村を囲った。

 

 誰が、というのは壁の上にいる鳥頭の異形以外、ありえないだろう。

 

「あなたが、どのようにして、今に至るか、興味はありません、ただ、死んでください」

 

 そう言いながら無造作に懐から小さな壺を取り出し、村の中心へ投げつける。

 

 それを矢継ぎ早に手に持っていた短弓で射抜く。

 

 陶器の割れる音と、中空で沸き立つ黒い泉、油だ。

 

 実際の体積以上に物を収めることのできるマジックアイテム、そこに詰めるだけの油を詰め、打ち壊す。

 

 降り注ぐ油に、村が油まみれになるのにさしたる時間はかからない。

 

「さて、と」

 

 追いかけるように射かけるのは火矢だ。まるで森人のように、矢は瞬きするうちに二射三射と放たれ、村へ降り注ぎ、火の手を広げていく。

 

「いきますか」

 

 十分な火の海となった壁の中に、狩人は身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 何だこれは

 

 自分は、害する側だ、食らう側だ、あざ笑う側だ、だったはずだ。

 

 聖別された油の炎に巻かれ、のたうち回る悪魔達。

 

 火の海を、逃げ回る自分。

 

 出来の悪い夢のようだ。

 

 いや、これは夢だ。

 

 念願叶って、世界を陥れる直前に見た、一抹の不安がみせた悪い夢だ。

 

「くそっ、くそっ、なんなんだ、なんなんだよっ! これはっ!」

 

 そんな現実逃避も、押し寄せる炎を前にしては続けることもできない。

 

 毒づいても、何かが変わるわけではない。

 

 自分の手勢は、ただただ減る一方だ。

 

 ただ逃げ惑う自分、

 

 そして、火の海を野原のように闊歩するアイツ。

 

「いましたか」

 

 手には、おぞましい力を纏った魔剣。

 

 ぬらりと、影のように鳥頭人体の異形が立っている。

 

 この火の海でもいささかも苦しそうなところがないのは、その服に魔法の防護がされているからか。

 

 その歩みに、よどむところは無い。

 

 悪魔を殺して回った刃には、ぬらぬらとした悪魔の血が、そこここの炎の光を受けて輝いている。

 

「ウィッチハンター……!!」

 

「ええ、そうです」

 

 魔女を、悪魔を追い立て、殺し尽くすもの。

 

 村一つ、顔色変えず淡々と滅ぼす異常者にして超常者。

 

 ウィッチハンターが村を滅ぼす様を見た人間は感情の失せた様子でこう言った。

 

 ―お医者さんによって村は消毒されてしまいました―

 

 自分は、追いつかれた時点で、死の影を踏んでしまっているのだ。

 

「やだ、死にたく」

 

 それだけ言って、彼女の首ははねられた。

 

 

 

 

 

 鞄を携えた医者が、旅の空を行く。

 

 神官様ほど人を救済しようなどという御大層な志は無いが、困っている人間が居れば、食うに困らない因果な稼業である。

 

 さて、どこにいくか。

 

 いくままに、いけばいいか。

 

 足の向くまま、男の旅は続いていく。


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