女神官逆行   作:使途のモノ

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第二話

 

 

 

 今日も今日とてゴブリン退治を終えてギルドのドアをくぐる。

 

 そして、受付嬢の前でわいのわいのと騒いでいる三種の三人が目に飛び込んできた。

 

 ――ああ、今日だったんですね

 

 妖精弓手も鉱人道士も蜥蜴僧侶も、前世の頃と寸分たがわぬ姿で居た。

 

 この五人が、いまこうしている、それだけで胸の奥が熱くなり、鼻の奥がツンときて、視界が潤む。

 

「っ……」

 

「……」

 

 それをちらりとゴブリンスレイヤーは一瞥しつつ、受付嬢もこちらに気付いたのかぱっと笑みを浮かべる。

 

「おかえりなさい、ゴブリンスレイヤーさん! お二人とも、ご無事で何よりです!」

 

 受付嬢がぶんぶんと大きく手を振り、三つ編みが揺れる。

 

「無事に終わった」

 

「はい、大丈夫でした」

 

「あ、じゃあ後で報告聞かせてくださいね。今じゃなくていいので」

 

「そうか」

 

「ええ。お客さまですよ、ゴブリンスレイヤーさんに」

 

 そういって、三人を指し示され、ゴブリンスレイヤーも視線を向ける。

 

 あぁ、懐かしい、みんなみんな、初めて会った、このときのままだ。

 

 思わず泣きそうになるのをこらえながら、ゴブリンスレイヤーの後ろに控える。

 

「……少し待て」

 

 妖精弓手達にそういってゴブリンスレイヤーは女神官を見る。

 

「休んでいろ」

 

「え」

 

 前とは違うタイミングでの言葉、それに驚いているところで、いつの間にか回り込んだ受付嬢に後ろから両肩に手を置かれた、今どう動いたんだろう。

 

「お疲れ様でしたね、女神官さん、さ、行きましょうか」

 

「え、ちょ、あれ、あ、そんな、大丈夫ですから」

 

 体力的にも、前回のこの時とは慣れが段違いだ、そこまで損耗している自覚はない。

 

「いえいえ、女の子がゴブリン狩りで三日も過ごして何言ってるんですか、ささ、おいしいお茶がありますから、ほらほら」

 

 あれよあれよという間に椅子に座らされて、目の前には強壮の水薬が入れられた紅茶のカップとクッキーが置かれ、「それじゃ、ゆっくり休んでてね」というウインクと共に受付嬢は去っていった。

 

「はぁ……」

 

 紅茶をあおり、ため息を一つ。紅茶で割られた強壮の水薬の効果とクッキーの甘さががじんわりと心地よい。さて、そんなに辛そうに見えたのだろうか。

 

「あら、一人なんて珍しいわね」

 

 そういって同じテーブルの席についたのは女武道家である。手にあるのはハーブ水にレモンを一たらしした水だ。

 

「ええ、ちょっとお客さんが来たらしくって」

 

「そう」

 

「そちらはどうですか?」

 

「こっちは巨大鼠狩りで貯金をためて装備を整えているところ、貴女の代わりに新米聖女ちゃんと新米戦士が一党に入って……そうそう剣士のヤツいい鉄鉢兜(メット)がようやく買えそうだ、って私は革鎧と手甲が目標かしら」

 

 まぁしばらくは下積みよ、そういいながら水をあおる。今回の彼女たちとは時たま夕食を共にする仲だ。

 

 経験を積み、装備を充実させているのなら、何よりだ、と内心頷く。

 

「あ、終わったみたいです」

 

 そうこう雑談をするうちにゴブリンスレイヤーがすたすたと降りてきた。受付嬢と二、三受け答えをして報酬を受け取って外へと歩き出す。

 

 兜をこちらに向けたわけではないが、意識はちらりとこちらに向け、何事もないかのようにすたすたと歩いていく。

 

「今度女衆だけで飲みましょう、女魔術師も会いたがっていたわ」

 

 本人は照れ隠しで、そんなこと言ってない、とか言うでしょうけどね、とクスクスと笑った。

 

「わかりました、また今度」

 

 するすると駆け寄りゴブリンスレイヤーの後ろから声をかける。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、依頼、ですよね?」

 

「……ああ、ゴブリン退治だ、俺一人で行く」

 

 歩みを止めない彼の前にするりと先回りして、きっぱりと言い切る。

 

「わかりました、報酬を受け取ってきます」

 

 言わせませんよ、という思いを込めて兜の中の瞳をじい、と見つめる。

 

「…………好きにしろ」

 

「はいっ!」

 

 ため息をついて立ち止まった彼にぱっと微笑み、受付嬢の元に向かう。

 

 その姿を、三人は階段の踊り場から見下ろしていた。

 

「……こりゃたまげた、割れ鍋に綴じ蓋、というやつかの、なんにせよ、面白い」

 

 髭をいじりながら階段を下りていくのは鉱人道士であった。

 

「……ふむ、冒険者が冒険者に依頼してのうのうと帰っては、拙僧も先祖に顔向けできませぬな」

 

 妖精弓手に合掌一礼をして、同じように尻尾を揺らしながら階段を下る。

 

「…………」

 

 まったくもって、理解できない、そんなものが、二つもだ

 

 それを追い求めて、冒険者となった自分のやることはきまっていた。

 

 妖精も同じように階段を下っていった。

 

 

 

 

 

 瞬く間に三日が過ぎた。

 

 移動して、野営をする、ただそれだけの日々だが、女神官はこれまでにないほど上機嫌であった。

 

 二つの月の輝く星空の下、どこまでも続くような広野。

 

 その真中で、焚き火を囲う五人、だれもかれもが知った顔である。

 

「いただくわ!」

 

 差し出した豆のスープを耳をピコピコさせながら口に運ぶ彼女に女神官も頬を緩める。

 

 建国の際に、激務の中、お互いふと夜食で食べたくなったのはこの質素な豆のスープだったのだ。

 

「うっわ、おいしい、これは私も何かお返しを……」

 

 そういって彼女はごそごそと懐かしい保存食を出してきてくれた。

 

「……これは」

 

 森人の保存食と知っていてはおかしかろう、何といおうか、ふと戸惑っているところで妖精弓手が自慢げに語りだした。

 

「これは森人の保存食。本当は滅多に人にあげてはいけないんだけど、今回は特別」

 

 さくさくとした触感、しっとりと柔らかい内部、そして腹持ちの良さに、森の幸を丸ごと押し込んだような玄妙なる風味。

 

 彼女の作ってくれた、懐かしい味だ。

 

「……美味しい、本当に、美味しい……」

 

「……もしかして、食べたことある?」

 

 びくり、と不意打ちの言葉に肩が跳ねる。思わず顔を向けると、やっぱりね、とどこか納得したような顔の彼女がいた。

 

「珍しい味に驚くっていうより、懐かしい味を味わってるって感じだったし」

 

「あ、う、えーとですね」

 

「ほほう、嬢ちゃん森人と冒険したことでもあったのか」

 

「……」

 

 ――あれ、なんでそんなに興味津々なんですか!?

 

 無言で道具の手入れを止めてこちらを見るゴブリンスレイヤーに、なにか追い詰められているような気がして人知れず焦る。

 

 そうそう、実は前に一党を組んでいた森人が……無理だ、自分が一党を組んでいた面子を彼は全員知っている。そのあとはほとんど一緒にゴブリン退治の日々だ、つまり、自分が森人と絡んでいるシーン等ほぼない。

 

 ちょっとした知り合い、程度にこの保存食を渡すことがないのは、彼女やその故郷の森人との親交で知っている。

 

 つまり、当たり障りなく切り抜けることのできる嘘、というのはない。

 

 となれば、真実を小出しにして、誤解をしてもらうしかあるまい。

 

「……私に、いろいろなことを教えてくれた森人がいて、その人に食べさせてもらったことがあるんです」

 日々の振る舞いで彼にはただの教会育ち、とは思われていないのは感じている。だからこそ、こういえば不思議はないはずだ。

 

「……違ったか」

 

 ぼそりといった彼の言葉に、あぁ、彼の師匠が私の師匠でもあるとか考えていたんですね、と気づかされる。

 

「へー、そうだったんだ」

 

 納得してこくこくと頷く彼女に、ごめんなさい、貴女のことなんです、と心の中で手を合わせているうちに鉱人道士の出した火の酒で彼女は撃沈された。

 

 暖かいあぶりたてのチーズ、ろれつの回らない彼女の声、飄々とした鉱人道士の声に、蜥蜴僧侶のしたり顔、そして兜の中で寝息を立てる彼。

 

 あぁ、なんて、なんて幸せな時間なんだろう。

 

 一党の仲間たちを視界に収めながら、眠りに落ちるのは最高の幸せであった。

 

 

 

 

 どさり、と遺跡の入り口を見張っていたゴブリンが妖精弓手の絶技によって倒れた。

 

 それを見て、ゴブリンスレイヤーが周囲を警戒しつつもすたすたと何事もないような足取りで近づき、ナイフでゴブリンの腹をえぐる。

 

 何をするのだろう、と興味津々でのぞき込んでいた妖精弓手はギョっとして、おもわずゴブリンスレイヤーの手を引いた。

 

「ちょ、ちょっと! いくらゴブリンが相手だからって、何も死体をそんな……」

 

「奴らは匂いに敏感だ」

 

「……は?」

 

 両手を血まみれにしながら肝を引きずり出し、布で引き絞り、くるりと妖精弓手を見る。

 

「特に女、子供、森人の臭いには」

 

「え、ちょ、ちょっと……。ね、オルクボルグ。まさか、って、ちょっと貴女も!?」

 

 逃げ腰になっていた妖精弓手の後ろに回り、先日受付嬢にされたように肩を抑える。

 

「大丈夫です、慣れますから」

 

 その何でもないような透明な笑顔に、さあ、と彼女の美貌が蒼白になった。

 

 

 

 めそめそと長耳をしおらしくたらしながら罠を探索する彼女をフォローしつつ遺跡を潜る。

 

 警報、落とし穴、注意の散漫になったここぞというところである罠を、それでも彼女は着々と見つけていく。

 

「マメじゃのぉ」

 

 冒険者ツールに入っているチョークで床のトラップのキーに印をつける女神官に鉱人道士が感心したように声を上げる。

 

 遺跡探索は何があるかわからない、一つの罠のトリガーだと思って、うっかりかからないように発動させておこう、とあえてキーを作動させて、連動したもう一つの罠に命を刈られる、そういったこともあるから罠を見つけたからと言って、軽々と発動させるのは危険なのである。

 

 というか、はるか先の未来の話ではあるが、調子に乗った彼女がうっかり罠を見つけて発動させ、それで連鎖的にいくつも罠が発動して一転窮地に、ということがあったのだ。

 

 またはとっさの奇襲で撤退を余儀なくされる場合、行きではちゃんと見つけていたのに、焦って逃げかえる時にうっかりと……という話にも枚挙にいとまがない。

 

 あれは何のときだったかな、と思い出しながら落とし穴の発動キーとなっているタイルを丸で囲む。

 

 そうこうするうちに、T字状の通路へと出た。警報のトラップをパスしつつ、さてどちらがゴブリン共のねぐらか、という話になった。

 

 この先に待っていることを知っていればこそ、気持ちは落ち込む。同性の無残な姿、というのはいくら見ても心が痛むものだ。

 

「何か、心配事ですかな」

 

 それを気にしてか蜥蜴僧侶がぬう、と首を巡らしてこちらをうかがう。

 

「いえ……その、嫌な予感、というより予想? がありまして、外れてくれれば何よりなのですが」

 

「こちらの道を行くぞ」

 

 そうゴブリンスレイヤーが指し示したのはやはり、ねぐらとは逆の右の道であった。

 

 果たして、やはり、いたのは凌辱と暴力の傷跡の深い森人の少女であった。

 

 嘔吐する妖精弓手をそのままに、森人に近づく。息があるのを確認すると

 

「大丈夫ですか、今、癒しの奇跡を掛けます《いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れ下さい》」

 

 その傷はみるみる内に治っていった、断たれた腱すら癒すその奇跡は、その体に掛かるゴブリンの汚濁以外はまるで時が巻き戻ったかのようである。

 

「おぉ、見事!! 天分の才と鍛錬の賜物ですな!!」

 

 同じく治療の技を使う蜥蜴僧侶だけが、銀等級の自分ですらたどり着けぬそれに、どれだけ高位の所業かを推し量ることができたため、それ故に目を見張り、快哉の声を上げた。

 

「水薬を水で薄めたものです、落ち着いて飲んでください」

 

 そうしてコップに水と治癒の水薬を薄めたものを作り差し出す。それを受け取ろうとして、ハッと気づいた森人の少女が部屋の一角を指さす。

 

「……あ、ありがとう、あ、じゃなかった、あそこにっ!」

 

 言うが早いか、森人の指さした汚物の山にゴブリンスレイヤーが躍りかかった。

 

「三」

 

 どさり、と崩れる躯。

 

 毒の短剣を握ったゴブリンが一刀の元に切り伏せられる。

 

「もう大丈夫ですよ」

 

 荷物から取り出した毛布を掛けて抱きしめる。水薬を飲み、少しも落ち着いたのか、ぽつり、としかし石に刻むように、感情の抜けた顔でつぶやいた。

 

「殺して下さい、あいつらを、ゴブリンを、全部」

 

 目の前にいるのは、薄汚れた鎧と兜をまとう、中途半端な剣と盾をもった男だ。

 

 だが、だからこそ答えは決まっていた。

 

「無論、ゴブリンは皆殺しだ」

 

「はい、殺しましょう」

 

 その言葉に女神官も笑顔で頷いた。

 

 

 

 ずぶり、ざくり、とゴブリンの寝首を掻いていく。

 

 捕まっていた森人は蜥蜴僧侶の作り出した竜牙兵を護衛に森人の里へ向かってもらうことにした。

 

 寝ているゴブリンを淡々と殺していく。

 

 まるで濡れた藁を延々切っているような気すらしてくる。故郷の里に居たころはいたずらをしては罰として農作業をさせられたものだ。

 

 そういえば、とゴブリンを殺しながら先ほどの受け答えをちらりと思い返す。

 

「呪文は幾つ残っている?」

 

「えっと……私は《小癒》を使ったきりなので……あと四回か、五回です」

 

 さらり、と女神官はそういった。無論、駆け出しの、いや才能のある熟練者ですらそうそう扱える量ではない。

 

 その《小癒》にしたって、あの蜥蜴僧侶が思わず快哉の声を上げるほどの技量である、白磁等級のできることではない。

 

 身のこなし、気の配り方、どれもこれも只人にしておくのが惜しいくらいの堂に入ったありさまだ。

 

 そして、先ほどの、ゴブリンスレイヤーを見る表情、あれは、ただの少女が出来る表情ではない。

 

 年を経た、老境の大樹のような、澄んだ殺意

 

 「はい、殺しましょう」珠のような、ころりとした言葉だった。

 

 だが、あそこまでつるりとした言葉になるには、どれほどに殺意が練磨されればなるのだ。

 

 二千年を生きた自分ですら、想像できない。

 

 わけのわからないものが好きで、冒険者になった。

 

 だが、暴き立てたくもないもの、というものに、初めて出会った。

 

 それが二十も生きていない只人の娘の胸の内だと聞いて、里の人間は笑うだろうか、もし笑うものは、人の深さを知らないものなのだろう。

 

 そんなことを考えているうちにゴブリンを皆殺しにし、術を維持していた女神官と鉱人道士が回廊から降りてくる。

 

 あのなんでもない、只の小娘のような笑顔が、怖い。

 

 

 

「ならば、その身をもってして我が威力を知るが良い!」

 

 青白い巨体、額に生えた角。腐敗臭の漂う息を吐く口。手には巨大な戦鎚。

 

 広間にやってきたのは、オーガ、強大な怪物である。

 

 その青白く巨大な左手が一向に向けて突き出された。

 

「《カリブンクルス……クレスクント……》」

 

 その掌に生まれた光がぐるりと裏返るように炎となり、その色を変え、

 

「《火球》が来るぞおっ!!」

 

「《――――ヤクタ》!」

 

 鉱人道士の胴間声で警告を叫び、オーガが呪文を投じ、同時に、女神官は前に出た。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》」

 

 《聖壁》の不可視の壁はオーガの至近に展開された。

 

 燃え盛る火球が目の前で食い止められ、障壁が小ゆるぎもしない様子にオーガはほう、と息をつく。

 

 そのまま火球は《聖壁》を破ることなく炸裂し、オーガの視界を奪う。

 

 なるほど、狼藉者達はそれなり以上の面々らしい。

 

 どうやら楽しめそうだ、と戦鎚を握り、視界が晴れるのを待つ、無論、不意打ちには注意しつつ。

 

 そうして広間で粉塵がおさまり、視界が戻った時

 

「……何?」

 

 一党の姿は忽然と消えていた。

 

 

 

 策があります、転進しましょう。

 

 そう言ったのは、女神官であった。

 

 わかった、とゴブリンスレイヤーは頷き、他の者も半信半疑ながら続いた。

 

 広間からは怒号が響き、暴れまわる音が聞こえてくるが、彼女の《聖壁》を突破することはできないようである。

 

「それで! どうするのよ、逃げたまんまじゃどうしようもないでしょ!?」

 

 妖精弓手の声に、もっともだ、と鉱人道士も蜥蜴僧侶も女神官へと視線を送る。

 

 その視線を受けて、女神官も走る速度を落とす。

 

 そして、妖精弓手にくるり、と視線を向ける。

 

「脱いでください」

 

「え?」

 

 

 

 オーガは怒り狂っていた、ふざけた態度をとられ、開幕の一撃と思って放った火球も防がれ、もう用はない、とばかりに狼藉者達の姿は消えていた

 

 自分は魔神将より軍をあずかる将、そんじょそこらの武張ったオーガとは一線を画す、混沌の勢力の一翼を担う将なのだ。

 

 ………なんだ、ゴブリンではないのか

 

 興味のないつぶやきが耳に残っている。

 

 とても看過できるものではない、《聖壁》が掻き消えた瞬間、オーガは颶風のごとく駆けだしていた。

 

 オーガの足は速い、そもそものフィジカルが人類とは段違いに強靭であるからだ。

 

 鳴り響く足音を追い、床を踏み抜かんばかりの勢いで猛追する。角を一つ、二つ、三つ、そして、見えた。

 

 最後尾にはあの只人の女神官、そして他の者どもも自分から逃げようと走っている。

 

 ――ほう、あの森人か

 

 蜥蜴人の背には裸身を粗末な外套で包んだ少女の姿があった、ちらりとのぞく長耳は、ゴブリン共のおもちゃとなっていた森人のものだろう。

 

 ――なるほど、同胞の救助を優先する、か、いかにも秩序の者どもらしい軟弱な発想だ。

 

 舌なめずりをしながら、速度を上げる。追いつかれたことに気付いたのか、最後尾の女が止まり、振り返る。

 

 その目は、恐怖に震えていなかった。己を奮い立たせようと、燃え上がってもいなかった、ただ、オーガを眺めていた。

 

「貴様らっ!! この我を虚仮にしおって!! 楽に死ねると思うなよ!!」

 

 そう叫び、戦鎚を振り上げ、踏み込みと共にまずは手始めにこの小娘から肉塊にしてやろう!

 

「ぬぅっ!?」

 

 そう飛び掛かったところで、何かに躓いた。

 

 何もない、通路だったはずだ、まるで鉄の塊に躓いたような衝撃が脛に突き刺さり、オーガの体はぐい、と頭から床に突っ込むように倒れていく。

 

 

 とっさに、空いている左手が床に向けられる。速度が速度だ、頭を打つよりはいいだろう。

 

 しゃん、と錫杖が鳴り響き、その石突が床を突く。

 

 その音をオーガの耳が拾ったとき、パカリ、と床が開いた。ぽっかりと空いた穴、落とし穴(ピット)だ。

 

 まるで、水泳の飛び込みのような姿勢で落ちていくオーガ。

 

 ぞろり、と並んだ槍の群れ、それが、ぐんぐん近づいてくる。

 

「ぬわーーーーっっ!!」

 

 轟音が響いた。

 

 

 

「やったか……の?」

 

 立ち止まり、恐る恐ると女神官の元に一党が集まってくる。

 

 杖は、チョークで丸が書かれたタイルを突いていた。

 

 そして、一息をついて落とし穴の前の脛ほどの高さに展開された《聖壁》を解除する。ロープであれば気づかれかねぬが、不可視の壁も、躓く高さにあれば無色透明、不可視の足絡めになる。

 

 蜥蜴僧侶の背から降りたのは、無論妖精弓手である。

 

 オーガの注意を少しでもそらすための偽装であった。

 

 曰く『早合点させれば、それだけ注意力がなくなります』

 

 そして足絡めに、落とし穴、結果は、目の前の通りだ。

 

「すっごい! やった、オーガよオーガ!!」

 

 ぴょんぴょんとと裸身をちらつかせて喜びをあらわにする妖精弓手に他の面々も頬を緩める。

 

 金等級の冒険者でなければ相手にならない、とも言われる強大な怪物だ。

 

 知略、奇策で罠にはめて仕留める、鉱人や蜥蜴人としては正々堂々真向きって討ち取りたかったところであるが、勝ちは勝ちだ。

 

「……」

 

「……」

 

 ただ、2人の只人が、じ、っと穴をうかがっていた。

 

「くそどもがああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

 地の底から響く、声であった。

 

 ぎょっとした三人が慌てて武器を構え、穴の底を伺うと怒髪天を衝く様子でオーガが気炎を上げていた。

 

 見れば、地面から生えていた槍が戦鎚一薙ぎ分、倒れていた。空中でのとっさの一薙ぎ、それで九死に一生を得(クリティカルし)たのだろう。それでもオーガの体のいたる所が槍に貫かれ、軽傷ではない様子だ。

 

「殺す! 殺す! 殺してやる!!」

 

 ぐいぐい、と体を動かし、今にも戒めから抜け出ようとするのを見て、臨戦態勢に入る。

 

「まさか、ここから死なないですむと、思っているんですか」

 

 一歩、そう言って前に出た女神官の顔を見たものは誰もいない、見たいと思うものも、居なかろう。

 

「女あああああああああああっ!! 四肢を削いで、手足を食いながら犯してやる!! 舌を削ぎ! 歯を抜き! ゴブリン共の汚物の山に捨ててやる!!」

 

 喚き散らすオーガを、女神官は淡々と見下ろす。

 

 その目に、オーガは見覚えがあった。

 

 かつて拝謁した魔神将、あのお方が塵芥の魔物を見る目と同じ、ただの小うるさい羽虫に向ける無機質な瞳だ。

 

 左手に錫杖を持ち、右手で、すう、とオーガを指さす。それだけで、背筋を冷たいものが吹き抜ける。

 

 何か知らないが、不味い。それだけはわかった。しかし、だからといって何が出来ようか。

 

「同士討ちなし、必中、後は、討つだけ……呪文の無駄なので、死んでいてほしかったのですがね、《雷、収束、貫通(ZAP)》、《雷、収束、貫通(ZAP)》、《雷、収束、貫通(ZAP)》」

 

 淡々とした声であった。

 

 六種類前後と言われる基本的な術の一つであり、同時に最も知られた魔術の一つ。

 

 敵を討つ雷光の術、それが三度爆音と共に閃き、女神官の指先から放たれた後にはオーガの肉片すら残らず、ただ焦げた地面だけが煙を上げていた。

 

 この世界に戻ってきたとしても、彼女は、女教皇(上級職)なのだ。

 

「……あなたなんかよりも、ゴブリンの方が、よほど手強い」

 

 そう、かすかに煙を上げる指先を、ふぅ、と吹き消して、皆に振り返り、思い出したかのように、にっこりと言った。

 

「それはそれとして、ゴブリンを滅ぼしましょう」

 

 まるで、花のほころぶような笑みであった。

 

 

 

 遺跡の入り口まで戻った彼らを待っていたのは、森人たちの用立てた馬車であった。

 

 逃がした森人の連絡を受け、大慌てで迎えをよこしてくれたのだ。

 

 見れば馬車に同伴する森人の戦士たちは、皆が一様に厳重に武装していた。

 

 それだけ、事態を重く見ての兵装である。

 

「お疲れ様でした! 中の様子、ゴブリンどもはどうなり――……?」

 

「あぁ、大丈夫、この子は疲れて寝てるだけだから」

 

 ゴブリンスレイヤーの背で眠る女神官を妖精弓手がそう説明し、言葉少なに馬車に乗り込む。

 

「ゴブリン共は皆殺しにした、討ちもらしはないはずだが、油断はするな」

 

「わかりました! 念のため我々は中の探索に入ります。どうぞ、街まではゆっくりお休みください」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉に一礼して森人の戦士たちは遺跡の中へと潜っていく。

 

 一通り遺跡のゴブリンを殲滅し、それでもなお討ち漏らしがいないか探そうとする女神官に鉱人道士が《酩酊》の魔法を使ったのだ。

 

 呪文とは貴重なものである、だが、誰も抗議はしなかった。

 

 仲間に呪文を掛けられるとは思っていなかったのか、女神官はことり、と意識を手放した。

 

 体力的な消耗というのは、さほどではない、彼らとて、銀等級の冒険者である。

 

 だが、冒険の成功を騒ぎ倒して楽しもう、という気にはなれなかった。

 

「…………ねぇ」

 

「……どうした」

 

 自分の肩にもたれかかり、寝息を立てる女神官の頭を撫でつつ、ゴブリンスレイヤーに問いをかける。

 

「この子、いつもこうなの」

 

「少なくとも、俺が会った時からは、こうだ」

 

「……そっか」

 

 ふぅ、とため息をつく。万感の思いが詰まったものであった。

 

「だが」

 

「?」

 

 ゴブリンスレイヤーが妖精弓手へ視線を向ける。どこか、穏やかで、安心したかのような、暖かいものである。

 

「こうして、五人で旅をしていた時は、心から、楽しんでいた」

 

 少なくとも俺は、そう見えた。そう、付け足し、視線を女神官へ向ける。

 

「そっか」

 

 その声は、先ほどと同じ言葉であったが、明るく軽やかなものであった。

 

「それじゃ、またどこかに、ゴブリン退治なんか目じゃないくらい、楽しくて、ワクワクして、見たこともない、刺激的な冒険に出かけましょう」

 

 そう、穏やかに女神官の頭を撫でる妖精弓手の言葉に、ゴブリンスレイヤーは虚を突かれたようであった。

 

「…………そうか……そうだな」

 

 それは、ぽつりと、しかし、しっかりと、自分の中へも染み入るようなつぶやきであった。

 

 


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