女神官逆行   作:使途のモノ

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幕間 魔神王侵略戦線、多種族混合軍かく戦えり

 

 

「政治……ですか?」

 

「そうだ」

 

 将軍に呼ばれ指揮官は直立不動のまま、内心首を傾げた。

 

 来る魔神王討伐に向けた多種族共同戦線について自分は呼ばれたはずである。

 

「来る決戦は諸種族との共同戦線……ということになる。それで、声だけ掛けて森人だの、鉱人だの、蜥蜴人だのに、とにかく軍を出せ、場所はここだ、あとは適当に」

 

 というわけにはいかんだろ? と目で示され、得心する。

 

「つまり、その、多種族混合軍……というか、まぁそのあたりの連中を私がまとめて指揮する、ということでよろしいでしょうか」

 

 うむ、正確には各種族からの一部隊だけだがな、と頷く男に、さて、どうしたものか、と脳裏で状況を整理する。

 

 諸国の只人国家はそれぞれ只人の軍で行動する。

 

 そして他の種族にも声をかけている。

 

 自領の兵、多くはただの農民であれば、いい。

 

 領主からすれば、非情な表現ではあるが、自分の資産を使うというだけだ。

 

 だが、森人だの他種族に来てもらうだけ来てもらって適当に暴れてくれ、という訳にもいかない。

 

 一応、世界の歴史に残る秩序の者たちとしての共同戦線となるからだ。

 

 号するだけ号して、扱いに困って適当に居てもらうだけでした、となっては具合が悪い。

 

 特に森人やら鉱人やらは只人よりもはるかに長寿だ、10年20年経てば覚えている者はもういない……とはいかない。

 

 そうするには4,5桁以上の年数が必要であり、先に手を打てるのであれば、そんな禍根を残したくはないのは当然の帰結だ。

 

 そうなると、そこそこの重要な場所で、それぞれ小規模部隊同士であるが、種族の垣根を払って肩を並べて戦う、いや、戦った、という歴史的事実が後々を考えると必要になる。

 

 だが、まぁ、そんな面倒な事情の多種族混合部隊、自分で兵隊を都合できるものは率いたいとは思わない。

 

「……歴史に名を残せる、というだけの名誉欲で手を上げる無能に率いさせるわけにもいかん。蜥蜴人やら半馬人やら、見たことも無いし、話で聞いただけ、という街から出たことのない世間知らずの貴族の青瓢箪に務まるわけもない」

 

 そうなると、冒険者あがりで、世間の見識のあるお前になる。

 

「正式な任命は先になるが、頼むぞ」

 

「……はっ」

 

 そうとしか返せず、部屋を後にする。

 

 面倒なことになった。

 

 ため息をつき、自分の部隊へ向かった。

 

 

 

 

 

「で、何の話だったの?」

 

 ひょい、と圃人の少女、軍楽士が顔を覗き込んでくる。

 

 共に冒険の日々を過ごした少女は指揮官の気兼ねなく話せる数少ない相手だ。

 

「貧乏籤、あー……森人やら鉱人やら、共同戦線の総指揮……やれって」

 

 うわ、どうすんの? と言いながらくるくると回る少女に幾分心が軽くなりながら、自分の部隊の、水の街に設けられた詰め所に戻る。

 

「隊長おかえりなさーい、って何かまた面倒事押し付けられました?」

 

 部隊の半森人の副長が、自分の顔を見るなりにそう言ってくる。

 

「……そんな顔に出てるか?」

 

「そりゃわかりますよ、ねぇ」

 

 彼女がそう促せば、隊員たちはうんうん、と頷く。

 

「隊長はそういう腹芸やる口じゃないですしね」

 

「おぉ、んだんだ」

 

 わいわいと騒ぐ隊員と軍学士の様子に、むぅ、と口をとがらせる。

 

「とりあえず」

 

「とりあえず?」

 

 こちらを見てくる二人に、おほん、と咳払いをして言葉を放つ。

 

「旅に出る」

 

 

 

 

 

 カッポカッポと蹄の音を響かせながら青空の下、道を行く。

 

 急ぎの旅だ。

 

 お早いお戻りをお待ちしています、でも、ごゆっくり楽しんできてください、という副長のすらりとした笑顔が脳裏をよぎる。

 

「結局、先に顔を繋いでおこうってだけじゃない」

 

「戦場でどうも初めまして、じゃぁ指示に従ってくれ、よりはいいだろ」

 

「そうだけどさ……」

 

 音もたてず、馬に並走している素足の軍楽士が呆れ顔でそう語る。

 

 荷物は全部馬に乗せているから身軽なものだ。

 

「……ね、このままさ、逃げちゃわない?」

 

 そう、くるり、とつぶらな瞳をくるりと向けてくる。

 

「魔神王とかさ、世界の命運だとか、政治だとか、歴史の絡みだとかさ、どうだっていいじゃん」

 

「……」

 

「……そんなのよりさ、怪物倒して、焚き火囲んで。私は楽器、貴方は歌、街に戻ればお酒を飲んで、今日はリザードマン退治、明日の敵は、さて、何やら?」

 

 あの日々に戻ろうよ、という言外の言葉が、恐ろしく魅力的に聞こえた。

 

 ふと、部隊の皆の顔を思い浮かべる。

 

 色んな人種の居る、サラダボウルのような一団だ。

 

 ここが俺の居場所だ、という奴等も多い。

 

 そいつらの笑顔が浮かぶ。

 

 あぁ、とため息を吐く。

 

 もう、あの頃の気楽な精霊使いの戦士ではないのだ、自分は。

 

「……ありがとな」

 

「……なんだかんだ言って、やっぱ根っこが真面目よ、アンタ」

 

 そう苦笑いと共にため息をつき、また歩くスピードを上げた。

 

 馬の前に出て、後ろ歩きしながら共に冒険をした男を見る。

 

「ほんと、ばか」

 

 

 

 

 

「はじめまして、この度私が若輩ながら多種族共同戦線の指揮官に任命され、ついては共に戦場を共にする方と一先ずの友誼を交わそうと思いまして、寄せていただきました」

 

 やってらんねーなーもー、という先日までの様子をおくびにも出さず、今回一族の弓隊を率いるという上森人の美女ににこやかに挨拶をする。

 

 後ろから蹴りを入れたくなるのを堪えつつ笑顔を維持する。

 

「はい、ご丁寧にありがとうございます、私たちも決戦の時は存分に森人の弓を振るいましょう」

 

 対応に出た上森人の女性は月並みではあるが空前絶後の美貌であった。

 

 上森人は出会い頭に求婚される経験があるものは珍しくはない。

 

 家庭も、全て捨てますから! と言われた事も何百回と、という者も多いらしい。

 

 それにしても、という程の美貌である。

 

 加えて、森人らしからぬ肉付き、己の平原の如き体型を見下ろし、少女はため息をつく。

 

「ええ、魔法の如き技の冴え、狙いたがわぬ矢の閃きがあれば、たとえ悪魔の軍勢であろうと、物の数でありません」

 

「あらあら、ありがとうございます」

 

「正式な使節、というわけではないので、大したものではないのですが、まぁ一緒に武器をとる者同士、と思いまして、皆さまで召し上がって下さい」

 

 ドサリと馬に積んで来た荷を下ろす。中身は森人好みの甘味の類だ。ここら辺は自腹なのが悲しい所だ。

 

「まぁ、ご丁寧に、ええと、でしたら」

 

 そう言って何事か口ずさめば頭上の森から大きな木の葉が彼女の繊手へ舞い降り、続いてぽとりと木の実が落ちる。

 

 それをたおやかに包み、差し出してくる。

 

「どうか、こちらをお召し上がりください」

 

 そう渡されるのは森人の里の果実、錬金術師からすれば喉から手を出しても欲しい、長寿壮健の霊薬の材料の一つでもある。

 

 指揮官はそれを恭しく受け取った。

 

 

 

 

 

「やっぱ森人は話通じるわ」

 

「そうねーおいしー」

 

 むしゃむしゃともらったばかりの果実を二人でかじりながら、また別の道を行く。

 

「それにあの胸、っていってぇっ!」

 

 器用に飛び蹴りをくれた相方に、なんだよもーとぶつくさ言いながら歩を進める。

 

「次は……辺境の街に行って、物を受け取ってまた贈り物か」

 

 事前に辺境の街の商店へ手紙は出してあるので用意はあるはずだ、それを受け取って、また向かう段取りだ。

 

 受け取るのは香辛料。

 

 次の相手は蜥蜴人だ。

 

 

 

 

 

『ごめんなんし(ごめんください)』

 

『よう、ゆきたね、ま、あがらんか(やあ、よくおいでになった、まぁ、あがりなさい)』

 

『よす、ごあんすかい(よろしいでしょうか)』

 

『よか、よか(いいとも、さあ、さあ)』

 

『そいなあ、ごぶれさあごあんどん(それでは、失礼ではございますが、あがらせていただきます)』

 

 概ね、蜥蜴人の里は歓迎ムードであった。

 

 蜥蜴人は戦のお誘いだ! ヒャッホウッ! という単純でかつ快活でありがたい思考原理だ。

 

 香辛料も渡したら、それを使った料理を出してくれた。

 

 蜥蜴人式の返礼の作法である。

 

冒険者(ぼっけもん)なぁ(冒険者でしたか)』

 

『デーモンそっくびまくらかすて(デーモンの首を転がしてました)』

 

『よか!(それは素晴らしい!)』

 

 と、かつての冒険譚で話は弾んだ、彼らからすれば、武勇のある者でなければ戦友たりえない。

 

 蜥蜴人にはとりあえず自分の武勇伝を話して、相手の武勇伝を聞く、これが大事だ。

 

 どうやら、いくらかは気に入ってくれたらしい。

 

『またゆっさばでぇおあげもんそ(また戦場でお会いしましょう)』

 

 そう和やかに分かれた。

 

 

 

 

 

「あー、怖かった」

 

「そうか?」

 

「あったりまえでしょ、あのクワッとした顔! 」

 

 そう首をすくめながらいう彼女と、旅路を行く。

 

「お前だったら一呑みされちまうな」

 

 意地悪気に笑えば、むすっとした顔を返す、どうやら本当に怖かったらしい。

 

「街にもどったら甘いもんくうか」

 

「ほんとっ!? あたし林檎のパイがいい!!」

 

 その猫のような愛嬌は、なんというか、つくづく癒される。

 

「次は頼むぞ、あっちの言葉俺わかんねーし」

 

「まっかせて! 草原のモノ同士、ばっちりよ!」

 

 

 

 

 

 半馬人。

 

 人間の上半身と馬の四肢を持つ草原の民だ。

 

 獣人の一種ではあるが、大勢力を築いている。

 

 そういう場合、声をかけないと後々へそを曲げられる場合がある。

 

 蜥蜴人より俺らの方が話が通じないってのか!? と気分を害されれば、彼らの住む周辺地域の住民が困るのだ。

 

 その機動力は絶大な脅威であり、草原で半馬人と敵対することは竜のソレと同等とも言われる。

 

 基本、草原が我が家の彼らは定住する場所を持たない。

 

 まばらなテントが彼らの集落の証だ。

 

『よぉきたねし』

 

『はじまして』

 

 体重であれば子供のような圃人の10倍はある体格の半馬人に朗らかに話しかける。

 

 蜥蜴人にはあんなにおびえていたのに、面構えの厳つさの差だろうか。

 

『デーモンらおかげでえらいやたかしいん、許せねえっつごん、俺らも一緒の気持ちずら(デーモンのおかげで世の中が乱れて許せないのは私たちも同じ気持ちです)』

 

『よろしくおねがいじゃんねー(よろしくお願い致します)』

 

『おいらがデーモンらふんつぶしてやるじゃんよ!(我々の馬蹄にてデーモン共を蹂躙してくれる!)』

 

 そう雄々しく自らの胸板を叩く半馬人に塩気のある干し肉を馬の左右につるした二樽まるまる差し出し、二人は里を後にした。

 

 

 

 

 

 

「森人と喧嘩ぁ? はぁ、ったく」

 

 水の街に戻るなり部下が飛んできた、隊員の獣人が酒場で喧嘩を起こしたらしい。

 

 喧嘩自体は既に終わっているというが、本人はとりあえずその場所から動いていないらしい。

 

 残る挨拶先は鉱人で、会う場所はこの水の街だ、彼らの部隊もここに駐屯しているらしい。

 

「ええ、獣人のヤツが、帰って早々ですみません」

 

「しゃぁねぇ、まぁ行ってくらぁ……先に休んでてくれ」

 

「ん、そする、おやすみー」

 

 彼女は今も喧嘩の真っ最中であれば目を輝かせてついてきたのだろうが、後片付けとなれば興味はないようであるから、詰め所に帰すことにする。

 

 隊員に彼女の供をするように言い含め、酒場へ向かう。

 

 水の街は、当然水場の多い街で、夜風が水面に冷やされてむしろ寒い位である。

 

「あ、隊長……」

 

 酒場に行くと不満げに肉を頬張っていた様子の犬頭の獣人の女性が、びくり、と委縮する。

 

 ドスドスと近づき、ため息一つ、そしてポカリと一つ頭を小突く。

 

「すみません!」

 

「禍根が残るような喧嘩だったか?」

 

「い、いいえ」

 

「なら、まぁ、よし、亭主、迷惑をかけた」

 

 ごろごろと金貨を転がし、獣人を連れて夜道を歩く。

 

 こちらをちらりと窺っていた森人の少女が、先日会って来た女性に何となく面影を感じるも、森人のとてつもない美少女と美女だからか、と思い思考の隅に捨てる。

 

「なぁ」

 

「はい」

 

 しょんぼりとした声に、ふと苦笑が漏れる。

 

 彼女が森人嫌いなのは、姉貴分である副長が森人の里生まれの半森人である部分が大きい。

 

 ハーフを分け隔てなく扱ってくれる里ばかりではないし、ウチの隊に身を寄せているあたり、副長の生まれ故郷とそこでの扱いはそれなりに察することは出来る。

 

 となれば彼女を慕うこの娘が森人嫌いになるのは、また仕方のないことである。

 

「そんなに怒っちゃいないよ、ただ、お前が、ウチの隊員という立場の時に何かやらかすと、最悪ウチの隊がどうのこうの、って話になる、それだけは、忘れないでくれ」

 

「はい……ごめんなさい」

 

「これからの話は分かってるよな、都の方でそれなりに大きな戦になってる。相手は魔神王だか、魔神将だか、まぁ御大層な相手が率いる軍勢だ」

 

「そんなのに、あたい達は負けませんよ! 隊長に鍛えられたあたい達は、すっごく強いんですから!」

 

 どん、と毛並みに覆われた胸を叩く。

 

 あまりに率直な信頼と自負に、苦笑が漏れる。

 

 なんだかんだ、可愛い奴だ。

 

「うん、そうだな」

 

「わひゃっ、た、隊長……」

 

 くしゃくしゃと頭を撫でてやって、詰め所に戻った。

 

 

 

 

 

 どかり、と座る屈強な戦士。

 

 鉱人の戦士の隊長である。

 

 がぶり、と強い酒をあおる。

 

 渡した酒は、おそらく今夜には飲み尽くされてしまうだろう。

 

 厳めしい面構えを更に渋くしながら、顎髭をいじりつつ語る。

 

 別にこちらに不満があるという訳ではない。

 

 もともと職人気質の武骨寡黙な種族なのだ。

 

「この国が抜かれるわけにゃいかん」

 

「はい」

 

 大局図が相手の頭に入っているようで、内心安堵の息を吐く。

 

 勇猛果敢な鉱人の戦士だけでなく、東方の鉱人国家は良質な武具甲冑の供給源でもある。

 

 自分たちの部隊にも、鉱人の鍛え上げた装備を愛用する者は多い。

 

 そこが、状況を把握してくれている、というのは何よりもありがたい話である。

 

「本隊は、偉いさんが率いるが、あんたんトコに出向く隊は、こいつ、『盾砕き』が率いる」

 

 そう紹介される鉱人は椅子に使い込まれた戦鎚と引っ掛け鈎の『盾砕き』を立て掛けた禿頭の古強者、その突撃力は異名の通り『盾砕き』だろう。

 

「よろしくお願いします、次に会うのは戦場か出陣前の都か、でしょうか」

 

「ああ、そうなるだろう、よろしく」

 

 手を差し出して、太く厚い、ごろりとした岩のような手を握りしめた。

 

 

 

 

 

 ガリガリと地図を描く。

 

 王都周辺の陣幕での作業だ。

 

 明日には陛下の閲兵式の後、北へ向かうことになる。

 

 大事に挑む前に、状況を一度書いてまとめるのは指揮官の習慣であった。

 

 その様子を、軍楽士と副長が眺めている。

 

 図面の中央に王冠を被った都市マークを一つ、王都だ。

 

 スッ、と西へ街道を表す線を引き、都市を一つ、これには湖を描く、水の街だ。

 

 さらに西へ線を引き、都市を一つ、先日あいさつ回りで度々訪れた辺境の街だ。

 

 そして紙の右端、東方にざっくりと半円と共に鉱人国家と記し、下にも同じように南方、蜥蜴人連合と記す。

 

 辺境の街の南方に丸を描いて西方、森人地域と描く。

 

 そこからやや東方に会議開催地と注意書きを書いた都市を一つ。

 

 更に西にはざっくり海岸線を引いて、その西側に海、とだけ記す。

 

 そしてその会議開催地と森人地域の間に黒い点を一つ、"ゴブリンの巣窟→オーガ率いるゴブリン部隊、討伐済み"と記す。

 

 どうやら森人の女隊長と『盾砕き』はオーガを討伐した冒険者の縁者らしく、討伐の旨を知らせると若干誇らしげであった。

 

 水の街と辺境の街に北方に横長のゆるい楕円を描いて、そこに半馬人勢力圏、と記す。

 

 東北と東南にそれぞれ諸只人国家と描く。

 

 そして、王都へやや北北西から向かう太い黒塗りの矢印を描き、その根元に魔神王と記す。

 

 その矢印と東北の諸只人国家の間には逆三角形を描いて、山脈と記す。

 

 これが、現状の魔神王軍戦線の概略だ。

 

 北西の魔神王は、大してうまみの無い辺境の街を半馬人達を打通してまで攻めるつもりはないのか、やや迂回して王都に直接軍を差し向けている。

 

 水の街、辺境の街の後背を脅かし、西方の森人、南方の蜥蜴人に横撃を可能とするオーガの部隊が早期に討伐されたのは本当にありがたい話である。

 

 ここが健在であれば、こちらは西方の戦力を中央に差し向けることが難しかっただろう。

 

 聞けば魔神将直々に将と任命されたオーガだという、よほど強大であったことであろう。

 

 最初は政治的な理由があるとはいえ、ただのゴブリン退治に銀等級の冒険者一党を投入するというのは、やや過剰戦力ではないだろうか、と思っていたが、結果的に良い目に転んでくれた。

 

「つまり、まぁ、王都が落とされると、後はドミノ倒しだ」

 

 黒い矢印は留める者のいない濁流となり、秩序の人々をのみ込んでいくであろう。

 

「幸い、陛下の外交手腕で諸国の軍勢は集まっている。北方の難民なんかは故地奪還の義勇兵として入れられているし、連中もここで勝てなきゃ、西に流れて一か八かの開拓民になるしかねぇから士気は高い」

 

 ふむふむ、と二人が頷くのを確認して、自分以外の視点からも状況の漏れがないのを見てとり、もう1枚の紙を出す。

 

 今度は王都近郊の地図だ。

 

「で、まぁ、そういった大図面があって、俺らの仕事はその一角だ」

 

 ずらずらと各国の軍勢が並ぶ対魔神王戦線、その左端、そこが自分たちの戦場である。

 

「基本的に、これは序中盤の間は迎撃戦、という形になる」

 

 戦場の左手中段に丘が一つ、右手は切り立った崖だ。丘の西側は湿泥地となっている。

 

 あちらの軍勢が来る前に丘を城塞化、軍の一部をそこに布陣し、崖との間になる中央を通る敵軍を抑える、という形になるだろう。

 

「そうなると、敵さんの狙いは大きなもので3つ、奇策で1つ」

 

 ペンで交戦が想定される場所に剣が鍔迫り合いをするマークを記していく。

 

「まず、中央を押し通る、これが第一。次が丘の城塞を落とす、これが第二。そして次が丘の西側から回り込もう、ってのが第三」

 

「第三の方を第一に数えないってことは丘の西側は大軍は動きにくい、ということでしょうか?」

 

 ちらり、と副長が確認してくる。

 

 こちらも心得たもので、ああ、と頷く。

 

「物見に行かせたが、少数の騎兵とかで回り込むぐらいしか場所はない、のこのこ大軍突っ込んでくれれば大半泥濘に足が取られて丘から好き放題に射殺せる、その上こっちにゃ森人の弓隊もいるしな、そっちに大軍突っ込んでくれれば楽勝……だけどまぁ、相手が馬鹿なの前提で考えるもんじゃねぇしな」

 

 森人、という言葉に副長がぴくり、と幽かに反応するが、気付かないふりをする。

 

「そうね、隙をついて騎兵が流れ込んでくるかも、ってところか。んで、奇策は?」

 

 ざっくばらんに軍楽士が聞いてくる。

 

 それを受けてまた地図の右手を指さす。

 

「右翼山岳からの山越えだな、ってもこれも数は出せない。王都回りだから伐採も進んでるし、隠れるところはねぇから右手に気を付けてればそう被害はくらわねぇだろ」

 

 いざというとき踏みとどまる、というのであれば夜目も効く鉱人に受け持ってもらった方がいいだろうか、と考えをまとめながら一つ頷く。

 

 国境線や首都近郊、こういった場所はひそかに軍勢が集結できるような森林地帯、というものは国防上もちろん少なければ少ないほど方がよい。

 

 気付けば喉元に大軍が居ました、どうしようもありません、など笑い話にもならない。

 

 特に王都近郊はそういった観点から小規模な森林以上に成長しないように、厳しく伐採管理がされているのだ。

 

「だからまぁ、こっちは左翼で籠城、中央を空堀掘って、柵立てての迎撃。最左翼からの回り込みを警戒、右翼は奇襲に気をつけろ、って感じか、丘の軍は戦況見渡して防戦しながら中央に援護したり、情報発信だな」

 

 そこを、副長頼む。

 

 言い切り、彼女も当然、とばかりに頷く。

 

 彼女の率いる射撃と籠城に長けた隊員を100人ほども詰めれば、そうそう落ちることはあるまい。

 

「それで、終盤はどうなるの?」

 

「まぁ場合によっての侵攻だな、森人には広く横長に布陣してもらって全体の射撃戦の質を上げてもらう。でもって押し返して押し返して、潮目をみて、最左翼からも半馬人あたりに攻め上ってもらって丘からの援護射撃を受けつつ中央に横撃してもらう、んで中央からも逆襲だ、うっぷん溜まった鉱人と蜥蜴人に先陣切ってもらって攻め込んで……とうまくいけばいいんだがな、それに他の連中も何か気付いて意見だしてくれるかもしれん」

 

「まぁなんかあるでしょ、良い方か悪い方かわかんないけど、そら戦場だし」

 

 けろり、と言い切る軍楽士の様子は歴戦のそれだ。

 

「まぁな、そのために100人の予備隊一つ組んで、何らかの事態には対応してもらう。んでお前にゃ俺の部隊でどんちゃか騒いで、攻勢の時に気分を乗せてもらう」

 

「はいはい、つまりいつも通りね、わかったわかった、任せない!」

 

 そう自信満々にどん、とその平原のような胸を叩く。

 

 考えはまとめた、後は戦場に行くしかない。

 

 

 

 

 

「そいやーさー、ほいっ」

 

「そいやーさー、ほいっ」

 

 掛け声とともに円匙が地面にささり、猫車が空堀の土砂を後方や丘の土塁へとするべく運び出される。

 

 書き上げた図面を到着した『盾砕き』達鉱人に見せて意見をもらう。

 

「堀の幅をもう二フィート広く、深さは一フィート深く、じゃが、いい陣よの」

 

 一瞥してそう言い切った言葉を受けてガリガリと書き込み、近場にいる部下に改めて同じことを伝える。

 

 土木工事であれば、鉱人の目が頼りになる。

 

「ありがとうございます、勉強になります……堀の幅、現状から二フィート拡張、深さは一フィート深く、各現場に通達」

 

「わっかりました!」

 

 言うが早いか獣人戦士が駆け出していく。

 

「あいあい、お茶だよー、塩ッ気たっぷりだよー」

 

「おう、あんがと、一時小休止! 各自水採れ!」

 

 口風琴(ハーモニカ)を陽気に吹きながら、鍋一杯に沸かした茶に匙で塩を入れた香ばしい麦茶を軍楽士と隊員が手押し車を引いて現場を回る。幸い水が合わずに調子を崩す者が出ていないので、戦線の整備に遅延は出ていないが、とりあえず配給の水分は沸かして茶にしておくにこしたことはない。

 

「どんなもん?」

 

「丘の左手は掘り返したら水が出たな、西の泥濘から水が来てるっぽい。まぁそのまま半水堀にしちまうか、って言ってる。他はまぁまぁ」

 

 腰に下げておいたコップでお茶をもらい、ふぅ、と息を吐く。

 

 丘の上の方では副長が築城の指示を下している。

 

 森人は身軽な木工職人なので物見櫓はだいぶ早くに出来そうだ。

 

「後方に指揮所と救護テント張って、各現場の便所とその捨て先」

 

 ぶつくさとやるべき予定を呟きながら茶をあおる。ここまでの連合軍になると、便所ひとつとっても適当でいいという訳にはいかない。

 

 口に含む茶の塩気が仕事をしていた体にありがたい。

 

「夜営はどうするんじゃ」

 

「それぞれの部隊ごとって思ってたんですが、後方からの物資運搬は各軍に一纏めなんで、そこからあんまりこまごまと分配するのも兵站役の負担になって面倒だと思うんで、左右両翼中央、そんで丘の4か所がいいかと、兵糧の焼き討ち対策で置き場は分散せにゃならんですし」

 

 蜥蜴人もその馬力で方々でその力を発揮している。

 

 おおむね、現状上出来といったところか。

 

「敵さんはどんなもんだ」

 

「ウチの術師連中の航空偵察だとこのあたり来るまで四日らしいよ、ゴブリンライダーの騎兵アリ、遠距離観測だからそれぐらいしかわからないって。混沌の勢力っても軍勢だしね、そんな速度出ないよ」

 

 もう一杯お茶を汲んでくれながらそう言う。元々こっちに来たのはその報告の意味もあるのだろう。

 

 その日取りなら十分に陣地構築できることであろう。

 

「十分十分、つーかクソ遅いからな、混沌の軍勢」

 

 進軍速度、という点において、整列と行進がそうそうできない混沌の勢力は劣悪と言っていいだろう。

 

 また、整列と行進、そして方向転換、これができる軍と出来ない軍、同数でぶつかれば前者が必ずといって良いほど勝つ。

 

 てんでばらばらな大人数の歩みと軍の行進であれば、おおよその移動速度に3倍近い差が生じる。

 

 そして、行進ができるほどの精強な兵となれば、部隊を分けての機動戦も可能であり、一部隊が敵の攻勢を受け止めている間に横合いを突くということも可能だ。

 

 逆に碌に行進が出来ない軍というのは、組織的対応にかかる時間も多く必要になるので、わき腹を突かれると非常にもろい。

 

 沼地でもがくものを石畳の上から相手するような、つまりは、腰を据えて殴りたい放題なのである。

 

 とはいえ、どこに隠れていたのだと言いたくなるほど数が多いのが混沌の勢力の武器だ。

 

 数の優位で一か八かの大攻勢でもって優位をとられてそのままいいように蹂躙、ということがあり得るので一旦防戦できるならばするべきなのだ。

 

 それはそれで兵站が貧弱になるのでまた弱点ということになるのだが、まぁ今は良い。

 

 こちら側は比較的各自が種族的にもマイペースで軽快に戦うことが向いている森人が行進が苦手なくらいで、ウチの隊はもちろん、鉱人も蜥蜴人も半馬人も軍の進退の練度は高い。

 

 陣だ術だ、兵法好きはああだこうだと言葉を創るのが好きだが、合戦の要諦は畢竟進退だ。

 

 かかれと言ってかかり、退けと言って退くことのできる軍にそうそう負けは無い。

 

 後はどれだけこちらが傷つかずに相手を傷つけるかの嫌がらせ合戦だ。

 

「戦の話、ですか?」

 

 やや固い只人語で蜥蜴人が話しかけてくる。俺だけなら蜥蜴人語で話しかけてきたのだろうが、鉱人である『盾砕き』が居るからの配慮であろう。

 

「ええ、後の会議で改めて報告があるかと思いますが、大体4日後あたりで来るだろう、ということで」

 

「しからば、我らに一つ妙案がありましてな」

 

 クワッ、と広げられた獰猛な笑みであった。

 

 

 

 

 

 紙上が戦場。

 

 兵站役の前には早速書類の山が積まれていた。

 

「お疲れさん」

 

「お疲れです」

 

 ?せぎすの只人の男が眼鏡を直しながら声を返す。

 

 暗算用の灰盆にはペンで何らかの計算が刻まれている。

 

 計算が終われば灰を均せばいいので、大量の紙を持ち歩く必要もなく、また、紙を無駄にすることがない。彼の必須の仕事道具だ。

 

「後でやってくれ」

 

 そういいながら煙草の入った袋を置く。

 

 煙草がこの男の数少ない嗜好品であるが、仕事中は書類に火が点いてはならない、と煙管にも一切手を付けない。

 

「ありがとうございます……それなりに長期戦の構えですかね、これ?」

 

 くるくると内側の円盤が回転し、中心から金属針の伸びた奇妙な数字の羅列された円盤、計算尺を回し、また灰盆に何事か書きつける。

 

 物資の資料でおおよその目途を付けたのだろう、武器を握っての切ったはったでは足手まといにしかならい男だが、ウチの隊でコイツを軽んじるやつはいない、後方支援の鬼だ。

 

「さっさと勝たなきゃならん話ならともかく、現状先が見えん。その上ここは寄り合い所帯、消耗は少ない方がいい。とりあえず、なんぼか敵軍受けての様子見だ」

 

「分かりました、そのつもりで」

 

 当然のようにこの規模の軍勢の物資を差配してのける。

 

 本来であればウチのようなところではなく、それこそ大将軍のお抱えであってもまだその手腕には余裕があるであろう。

 

 それだってのに、どいつもこいつもなんだかんだ、ウチ以外行き場がないらしい。

 

 だからこそ、まぁ、やるか、と俺も奮い立つわけだ。

 

 

 

 

 

 準備は驚くほどに順調に日々は進んだ。

 

 さしてもめ事も無く、強いて言えば食事を共にした料理番の鉱人と蜥蜴人が言葉の違いで軽い諍いになったぐらいだ。

 

『め?(美味いか?)』

 

『め? ……お! 女々かねぇ(美味かねぇ)!(メって? ……あぁ! めめしいなんてとんでもない!/メって? ……あぁ!? 不味いなこれ!)』

 

「ファッ!?」

 

 蜥蜴人としては『戦場のうまか飯、宝じゃ(戦地での美味い食事は本当にありがたいものです)』という意志を込めていったのだが、言葉の壁でほぼほぼ真逆の意味にとられてしまった。

 

 偶然近くに両方の言葉を知る者がいたため、喧嘩にすら至らなかったが、その報告を受けて少なくともこの混合軍が解散するまでは共通語で話そう、ということが和やかに隊長同士の会議で決まった。

 

 あまりに平和すぎて、これが戦争の準備ということを忘れそうになる。

 

 しかし、現実は機械的である。

 

 期日になれば敵の姿が見えた。

 

 

 

 

 

「敵は、陣を築いたようですな」

 

「籠る種族は雑多、ということ」

 

「しかれば、突撃か、と」

 

「いや、それはないだろ」

 

 ガヤガヤと軍議とも言えない軍議が行われていた。

 

 それを眺めるのはどかりと樽を椅子代わりに腰かけるオーガである。

 

 背には揺らめきを纏った大剣が無造作に地に突き刺さっており、その尋常ならざる武威を放っていた。

 

 魔神王の一軍を自分たちが預かる。

 

 混沌の勢力としては最大の栄誉である。

 

 だからこそ、人狼の血気に逸る意見もむしろ可愛げがある。

 

 だが、自分は軍を預かる大将軍なのだ。

 

 若かりし頃のように、己の武勇頼みではいけないだろう。

 

 ごほん、と一つ咳払い、それで四人の将がこちらに視線を向ける。

 

「……とまれ、まだ初日、一当てして、敵陣の陣容と戦ぶりを見ようと思う……我らが混沌の時代をもたらすのだ!」

 

 それが鶴の一声となった。

 

 

 

 

 

 血で薄汚く染められた布が翻る。

 

 旗だ。

 

 思い思いに打ち鳴らされる太鼓と不揃いの足音はさざ波のように北方からにじり寄って来た。

 

「来たか」

 

 すっかり要塞化された丘の上の物見櫓から望遠鏡で敵陣を直接視認する。

 

 雲霞の如く、という表現がまさに当てはまるような軍勢である。

 

 殺意、食欲、おおよそ人を害する欲望が陽炎の如く立ち上り、その軍勢の威容をさらに大きく見せている。

 

「おおよそ三千」

 

 副長の言葉にうなずく、だいたいそんなものだろう。

 

「こっちは寄せ集めで千、まぁあっちはそれ以上の烏合の衆だけどな」

 

 新兵であれば呑まれかねないそれを自分たちはさして気張ることなく受け止める。

 

 敵は、敵でしかない。

 

「俺は下で指揮を執る、ここは頼む」

 

「はい、お任せ下さい」

 

 その言葉に一つ頷き、丘を降りる。

 

 一応の総指揮官である俺の言葉は、戦の前に必要なのだ。

 

 正直、俺の下に馳せ参じたわけでもない、政治力学の寄せ集めだ。

 

 それでも、俺の差配で殺し合いに身を投じる連中だ。

 

 ウチの隊、約四百、森人百五十、鉱人百五十、蜥蜴人百、半馬人百、それらの視線が集まる。残る百は丘の上に詰めている。

 

 錚々たる陣容に、?まれそうになるが、指揮官がそれでは下につくものが不幸だ。

 

『風の乙女よ乙女、私の口を、彼らの耳元へ』

 

 《拡声》の呪文を唱え、壇の上に立つ。ウチの隊の戦闘には軍楽士が戦装束に着替えて面白そうなものを見る目でこちらを見つめてくる。

 

 それで、ふと落ち着いた。

 

「皆、今更ながら、この戦いに身を投じてくれて、陛下に代わり改めて礼を言う」

 

 言葉は自然出てきた。

 

「魔神王だか、なんだか、そういった伝説が出てきて、俺らに不幸になれ、ということらしい」

 

 あまりに飾らない言葉に隊員達から苦笑が漏れる。

 

「ここであいつらを食い止め、ゆくゆくは逆襲に入る、でなきゃこの先あるのはあいつらによる蹂躙だ」

 

 ふぅ、というため息がもれる。

 

「これは聖なる偉業だとか、俺は神官じゃないから言ったりはしない。でも、あいつらを殺してくれ、と頼むことになる……俺やあなた達が殺されるより、あいつらを殺した方が俺たちにとって良い未来が来る、それだけは確実なことだと考えている」

 

 だけど、と言葉をつづける。

 

「それで死んだら、元も子もない。言ってしまえば穴から出てきた犬が噛みついてきたようなもんだ、それで死んじゃ、死にがいがないだろう?」

 

 伝説の魔神王の野良犬扱いに、また笑いが漏れる。

 

 渋い顔をされるよりは、いいだろう。

 

「家族との平和な生活、未知への冒険、まだ見ぬ好敵手、それぞれが生きるべき道へ戻ろう。そのために、ここには呼ばれたから来ただけだ、俺はただ連れてこられた兵だ、なんていう意識は捨ててくれ、皆が皆、自分はこの戦線の替えの効かない大黒柱だ、という意識を持ってほしい……おそらく、それが未来を創る。それでは、各員の奮闘を祈る!」

 

 そう言って壇を降りる。

 

 正直、演説は大の苦手だ、軍楽士がニヤニヤと近づいてくる。

 

「頑張ったじゃん?」

 

「からかうなよ」

 

 各隊長にはもう指示は出してある。

 

 すべてがうまく回れば、明日からはずいぶん楽な戦になることだろう。

 

 そのための、今日を頑張ろう。

 

 

 

 

 

 静と動。

 

 陣にこもる秩序の軍とそこに襲い掛かる混沌の軍勢、という形で戦端は開かれた。

 

 長大に築かれた空堀と柵は魔物たちの突進の勢いを殺し、隙間から繰り出される槍はモンスター達に手傷を負わせていく。

 

 丘からは中央へ向けて援護射撃が行われるとともに、自分の麓や左手の道にも矢の雨が降らされる。

 後方からは森人とウチの隊の射撃部隊、鉱人の投擲部隊が矢や礫を振らせていく。

 

 柵を引き倒そうとか、よじ登ろうという者から刺し殺し、乗り越えることができたものは、さらに最優先で殺される

 

 尖兵、というか敵軍の大半はゴブリンだ、洞窟で群がられるならともあれ、広々とした野戦では殺す時間がかかるだけの何ということは無い敵だ。

 

「こんな、楽で良いのかしら?」

 

 ふと、妖精弓手の少女はそう漏らした。

 

「とにかく森人の弓隊は騒がしく偉そうにしている者から射抜いてください」

 

 それが、指揮官の青年から下された指示である。

 

 三千の軍、となるとさすがに見渡すような軍勢だ。柵を超えさせまいと戦う人たちも手傷を負うものは居る。

 

 自分たちであれば、味方の間を抜いて、それらを射ることも決して難しいことは無い。

 

 最初に放たれた矢が指示通りの騒がしい敵を射抜く前に次の矢を番え、引き絞り、また放つ。

 

 動き回らず、射撃に専念して、時たまあちらから飛来する矢なり礫をかるくかわす。

 

 確かに自分たちは種族的にもみ合いに向いていないが、こうも楽だと前線で奮戦している人たちに気が引ける。

 

 初日はそうするうちに日は傾いた。

 

 攻めかかる時と同じか、さらに無様な退き方に追撃の声も出たようだが、それは指揮官によって却下された。

 

 

 

 

 

 その戦場は南北で明るさが明確に違うものであった。

 

 夜目の効かない只人の多い南方はかがり火が多く焚かれ、煌々としている。

 

 対して、混沌の軍勢は夜目が効くものが多いため、ほとんど松明の光は無い。

 

 見張りに立たされたゴブリンはつまらなそうにあくびを噛み殺しながら敵陣を眺めていた。

 

 何かわからないが引っ立てられてここにいるのだ、面白いことなど何もない。

 

 だが、前に街をこの軍勢で襲ったのは楽しかった。

 

 この軍勢だ、自分たちの群れであれば思いもつかないような大都市ですら蹂躙できたのだ。

 

 ここまで持ってくることは出来なかった、大きな街の奴等は食いでがあった。

 

 女どももいっぱいいて楽しかった、連れ歩くのも面倒くさかったので食ってしまったが、次の街はもっと大きいらしい。

 

 あくびを噛み殺していると、ゴンと不意に殴られた。

 

「さぼってるんじゃねぇ」

 

 反射的に睨みつけるが、ゾロリと生えそろった牙に、委縮する。

 

 野蛮な戦闘狂、蜥蜴人の一団だ。

 

 ひい、ふう、九人もいる。

 

「こっちの軍に来いっつわれたんだ、将、偉い奴はどこだ?」

 

 そう言われたのでズイと軍を率いている闇人たちの居る陣幕を手に持っていた槍で指す。

 

「何人いた?」

 

 特に興味もなかったが、三、四人、と答えると、ポンと干し肉を一つ投げてきた。

 

「さぼんじゃねえぞ」

 

 その言葉はもちろん干し肉をしゃぶるゴブリンの脳に残ることなどなく、次の日に弓矢で射抜かれても、この会話を何か疑問に思うことは無った。

 

 

 

 

 

「援軍? 聞いていませんね」

 

「つってもここより西の軍はねぇだろ? 無駄足かよ」

 

 中央の方から来た、という蜥蜴人の一団に闇人達はさして不審に思うところもなかった。

 

 急造の魔神王軍である。

 

 綿密な伝達など望むべくもない。

 

 むしろ、そういったことは大の苦手、という連中のほうが多い。

 

 蜥蜴人ならば、ヒャッホウそれより突撃だ、と勝手に突撃せずに援軍として来てくれただけ律儀な方なのかもしれない。

 

「まぁ、しゃあねえ、ていうか将はお前ら四人だけか?」

 

「ああ、私ともう二人が千の軍を、最後の一人、この人狼の彼がゴブリンの騎兵を三百率いて、ほかにオーガが一人、全軍の統括としているが……それがどうかしたか」

 

「……そうか、まぁなら別に困らんだろ」

 

 ぞろり、とした笑みと共に、鉈のような指の生えそろった手を差し出してくる。

 

 確かに彼の言う通りだ。優秀で勇猛な前線指揮官というのはいくらいても困ることは無い。

 

「あ、ああ、よろしく」

 

 まるで秩序の勢力のような振る舞いだ、と思いながらも手を取る。

 

 やや顔が近いような気がするが、まぁ一々ケチをつけても仕方なかろう。

 

 そんな具合に危機感無く――

 

「は?」

 

 だから、自分の首筋に蜥蜴人が食らいついてきても、むしろ不思議そうな顔をした。

 

「何を!?」

 

「貴様ら!」

 

 残る三人に蜥蜴人が逃すまいと飛び掛かる。

 

 とっさに抜いた剣で一太刀なんとか繰り出せた闇人がいたが、それでも多勢に無勢、蜥蜴人の爪牙に掛かっていく。

 

「……心の臓は捨ておけ、手筈通り、首級だけ抱えて湿原を抜けて帰る」

 

 騒ぎを聞きつけたオーガがその大剣を携えて陣に来た時にはすでに生きたものはおらず、首のない肢体だけが四つ転がされていた。

 

 

 

 

 

「というわけで、こちらが敵軍の主だった将になります」

 

 四つの首級が並べられ、蜥蜴戦士がそう事の経緯を説明する。

 

「ありがたい! これで敵軍は骨抜きの腑抜け! 蜥蜴人の軍略は正に音に聞こえし通りですな!!」

 

 やや大げさかもしれないが、それでも指揮官の快哉は悪い気はしない。

 

 混沌の軍勢に与する蜥蜴人は珍しくもない、秩序の者たちの方が敵にして戦いがいがありそうだ、というわけだ。

 

 それらに扮して敵陣に何食わぬ顔で入り、将を討つ。

 

 急造の(彼らなりの)駆け足で進軍してきたずさんな状態の軍であるからできるであろう、と蜥蜴人達は踏んだのである。

 

 単純な武勇だけでなく、必要と有れば武略謀略までこなす戦巧者、それが蜥蜴人という種族である。

 

「……しかし、オーガは取りそびれてしまいました、我ら玉砕すれば、とは思いましたが先ずは帥より将、ということでしたので」

 

「ええ、ええ、もちろん、将無き帥はもう無力化したようなもの、何の問題もありません。むしろ帥まで無くなっては目の前のゴブリン共は四分五烈して野に散ってしまいます。戦場ですりつぶしてしまった方が後顧の憂いとならぬ奴等ですから、帥には生き残って無様な戦を執り行ってもらう必要があります」

 

「しかしよ、それこそヨソの軍から追加の人員を送ってもらうんじゃねえのか?」

 

 あまりに楽観的な表現に鉱人が苦言を呈する。

 

「ええ、もちろん、いずれは要請を出すでしょう。ですが、敵の元帥はオーガとのこと、であればそれは近い話ではありません」

 

「ほう?」

 

「オーガは気位が高い、それに加えて伝説の魔神王の出現、一軍を預かった! という自負。そこでついにやって来た大決戦……さて、初日に部下を軒並み暗殺されましたので人員不足になりました、補充お願いしますと、すぐに言い出せますかね?」

 

「そらまぁ……なるほどな」

 

「加えて、森人の弓隊には隊長格をなるべく狙撃するように頼みました、明日からしばらくは楽な戦、せいぜい敵軍を減らしましょう」

 

「……あの、楽な戦、なのでしょうか?」

 

 決まりきったように言い切る指揮官に、森人も戸惑い気に声をあげる。敵将を討ち取った蜥蜴人はともかく、自分たちはそこまで大したことをした気はしない。

 

「ええ、明日も今日の調子でおねがいします……軍というものは、大きくなればなるほど、その力を振るうためにはここにこの人材がおらねば、という必要に駆られてくるものです。細かい役割分担はともあれ、軍というものである以上、軍令があり、全軍の頭である大将軍とか帥と呼ばれるものがいます。その下に将がおり、その指示を隊長が受け取って兵が動く、という具合です」

 

 いわゆる物語で英雄が軍を率いて剣を掲げればまるで大軍が手足の如く、というのは戦争を娯楽として謡った結果であり、実際は上の指示は下に至るまでそれなりの人数を経由する必要がある。

 

 今回であれば帥は四人の将に命令を下せばよく、将も百人長や十人長を集めて話せばよく、一兵卒たちはそれぞれの上司からああせいこうせい言われればそれでいい。

 

 そこの中間が丸々消えた、となれば組織体としてはおおよそ最悪の状態だ。

 

 帥の処理することは膨大になり、その指示も行ってこい、やってこいの粗雑なものになる。

 

 引き際の指示も全てが後手後手に回り、情報も碌に上がってこないであろう。

 

「そも、森人からすれば何の難事でもなかったことでしょうが、乱戦中の敵軍の隊長を息をするように射殺す、というのは間違いなく偉業です、本当にありがたい」

 

「え、ええ、ありがとうございます」

 

 がしり、と手を握られて謝意をあらわされ、きょとんとする。

 

 世事に擦れていない美女というおおよその男にとって理想といっていい様子に指揮官も人並みに男なので目尻が下がる。

 

「それでどうすんのよ、明日以降」

 

 軍楽士がそのわき腹を太鼓のスティックで突きながら据わった瞳を向ける。

 

「いって……お前な……まぁ基本は今日と変わりません、敵軍の迎撃、明後日明々後日になれば事態を重く見てオーガも陣頭指揮をとるか、追加の将を後方に支援要請するかもしれません、今オーガを討ってしまうと先に言ったようにゴブリン達が野に放たれますので、オーガが出てもそこまで気張って討ちにいかないようお願いします」

 

「ふむ、最終的には逆侵攻をかける、ということですが、今はまだ削り時、といったところですか」

 

「ええ、せっかく作った陣ですし、せいぜい削ります。打って出るときはおそらくあちらもゴブリンライダーの騎兵を出してくるでしょう、その時は半馬人の機動戦、見せていただきたい」

 

「おう、このままでは仕事のしどころがないと思っておった、むしろありがたい!」

 

 そのように半馬人が話を締めてくれた。

 

 

 

 

 

 何なのだこれは、どうすればいいのだ。

 

 オーガはそう内心頭を抱えた。

 

 気付けば配下の将はすべて討ち取られており、指示を下そうとすればその下の者も軒並み討たれたという状況把握をするまで、不眠不休で半日もかかった。

 

 とりあえずゴブリンを20匹程集めて伝令と隊長として取り立てることにする。

 

 魔神将に預かった軍だ。

 

 ここまでやってきた将たちだった。

 

 将無しで回すなど考えたこともなかった。

 

 追加の人員など、そうそういるものではないし、戦端が開かれて一日で救援を呼べるはずもない。

 

 昨日までは、我らが混沌の時代をもたらすのだ! と彼らと息巻いていたのだ。

 

 今居るのは自分だけである。

 

 そんな、昨日とはうってかわって暗澹たる思いに塗れながら、二日目の先端は開かれた。

 

 

 

 

 

「こりゃ、ほんに楽じゃ、のっ!」

 

 粗雑ながら統率の取れていた昨日とは打って変わって、今日は弱兵であるゴブリンは輪をかけた体たらくであった。

 

 右翼の鉱人隊は有利に戦闘を進めていた。

 

 さっさと引けばいいのに、と殺しながらでも気の毒に思えるほど、あちらの撤退の指示は下らない。

 

「そろそろ終わるか」

 

 ようやっと撤退の指示があったようだ、それが全体に伝わるまでにはまだまだ彼らの軍の出血は続くだろう。

 

 今日も今日とて森人達は隊長格をこともなげに射殺す、そうなればまた明日率いる隊長の質は悪くなっていく。

 

 なんとも味気の無い勝ち戦だ。

 

 だが、それをやってのける将、指揮官というのがいかにありがたいか分からないほど鉱人も戦場を知らないわけではない。

 

 ――まぁ、正義は我にあり! っちゅうて正々堂々突っ込めばイケるって息巻く馬鹿将軍じゃなくて幸運だったの。

 

 そう思いながら、またゴブリンを槍で刺し殺した。

 

 

 

 

 

「半数は削れたか、いや、ここまで楽とは」

 

 報告を受けて、指揮官はそううれしい悲鳴を上げた。

 

「あんま調子乗らないほうがいいんじゃないの? それで何回面倒ごとになったことか」

 

 やれやれとそういうの圃人の少女だ。

 

 寄り合い所帯でどうなるか、と戦々恐々していたが、そこまで内輪揉めもなくやってこれている。

 

 これも陛下の剛柔織り交ぜた平素の外交手腕のおかげだ、ありがたやありがたや、と内心不敬な拝み方をしつつ、明日の戦模様を描く。

 

「で、明日は攻め込むんでしょ?」

 

 その言葉にうなずく。

 

「おう、っつっても俺らじゃないぞ、今日の様子からして、やっぱり両翼への指示がグダグダしたもんになってる、まぁ両翼広がったワンマンの軍ってそんなもんだが、やめろよもう、って塩梅のひどさだ。だから左翼の引き際に半馬人に出てもらう、顔見世だな」

 

 地図上に騎馬隊の駒を置いて丘の左側、敵軍からすれば最右翼に半馬人の部隊を出撃させる。

 

「出撃の被害を少しでも減らすために、森人も多めにこっちに寄ってもらう、丘からの援護も出撃の時は左手に寄せてもらう」

 

「顔見世?」

 

「ああ、明日の追撃で左から半馬人隊を出せば遅くとも明後日には迎撃用のゴブリンライダーを備えで控えさせるぐらいするだろ、明後日はそれを料理してもらう」

 

「んーあんたがそう言ってるならうまくいくんだろうけど……」

 

 一抹の不安を感じた様子の声色であった。

 

 

 

 

 

 軍楽士の心配をよそに、次の日の戦模様は指揮官の思い描いたとおりになった。

 

 術師の使い魔による偵察でもゴブリンライダー達が西に寄せられていることを確認し指揮官は小さく拳を握った。

 

 そして、若干勝ち戦の空気に緩んだ四日目が始まる。

 

 

 

 

 

 それら全てを、オーガは泥をすするように見ていた。

 

 

 

 

 

 四日目の引き際を、丘の左手から半馬人は昨日と同じように戦場へ繰り出した。

 

 すると、見計らったかのように、ゴブリンライダーの一団が突撃してきた。

 

「教育してやるか」

 

「おう」

 

 鎧を纏い、サーベルを手に携えた半馬人の群れが二つに分かれ、後列の一団がやや右斜め後ろにつく。

 

「GAGAGAAAGU!?」

 

 両軍がぶつかる、その寸前に半馬人の前方の部隊がぐるり、と右へ舵を切る。

 

 鼻先の所で逃げを打たれたゴブリン達はその勢いのままに半馬人の後ろを負う。

 

 それらを見越して、左手に大きく回り込んだ後続の半馬人たちがゴブリンライダー達の後ろに着くまでの流れは、まるで水の流れるような滑らかな誘導であった。

 

 半円に包囲するように後方から追跡される形になったゴブリンライダーとしては、前進するしかない。

 

 殿の何人かが半馬人の馬蹄に蹂躙される覚悟で身を投げれば、後続の速度は落ちて部隊は離脱することが可能であったであろうが、そんな利他的な献身的戦術をゴブリンがするはずもなく、戦場を東へ東へと駆け抜ける。

 

「勉強になります」

 

 丘の上で、この機動戦の全てを見ていた副長はそうとだけ漏らす。

 

 先を行く半馬人達が左右に割れ、視界が広がる、いや、塞がれている、ゴブリン達だ。

 

 退き際の自軍に誘導されたのだ、だが、退けば殺される。

 

 だから、ゴブリンライダー達は自軍に突撃をした。

 

 無論、その背中を半馬人たちが討たぬ理由などあろうはずもなく、ゴブリンライダー達は自軍を盛大に巻き込みつつ壊滅した。

 

 しかし、それでこの日の戦争はまだ終わらない。

 

 ほぼ同時刻に戦場の右端でまた憎悪の炎に焼かれた鬼の咆哮が天を衝いたのだ。

 

 

 

 

 

 一太刀で、柵は切り払われた。

 

「愚かであった……」

 

 告解する様な、しかし周りにいる者すべての耳に届くような、声であった。

 

 ゴブリンに紛れて、ひそやかに敵陣の右翼にオーガは這い寄っていたのだ。

 

 半馬人の出撃援護のため森人が引き抜かれ、射撃の緩い右翼、それだけを探し、狙い、そして地を這って食らいついた。

 

 そこには、己を大将軍などと思いあがった驕りは一切なかった。

 

「所詮俺は戦鬼! 大将軍面で軍をうまく使おうなど! 浅はかにも程があった!」

 

 掲げるように、目の前の鉱人や蜥蜴人に見せつけるように禍々しい魔剣が天を衝く。

 

 その巨躯も相まって、天すら断つような錯覚に襲われた。

 

「《身体……強化……付与》!」

 

 その動きは、老練な鉱人の戦士達ですら追うことは出来なかった。

 

 何人もの鉱人が、その重厚な装備ごと両断されて宙を舞う。

 

 もとより強大な身体能力と武勇を魔道の力で更に増して縦横無尽に暴れ尽くす、それがこのオーガの古来からの必勝法であった。

 

「ゴブリン共よ! これより蹂躙に入る! 俺に続け!」

 

 その咆哮により、逃げ腰であったゴブリン達は狂喜の声を上げて濁流となって殺到する。

 

 しかし、その奇襲に面喰いこそすれ、それですべてを投げ出すほど、指揮官もまた悲観主義の絶望論者ではない。

 

「予備隊をゴブリンの進路に特急! 絶対に王都に行かせるな! 森人にもできるだけこっちに来るよう指示! 半馬人にゃ半分戻るように伝達! 残りは敵陣駆け回って残敵処理、できるだけ削れ! ここの隊は半数で戦線の監視! 残りは俺と来い! 」

 

 言うなりに駆け出し、右方、自陣後衛に控えさせた予備隊をちらりと見る。

 

「はい!」

 

 獣人戦士がそう返し、ぐい、と槍を握る。

 

 どん、という太鼓の音が予備隊から響く。

 

 いつのまにやら駆けつけたのか、先頭に居るのは軍楽士だ。

 

 口風琴(ハーモニカ)を専用のホルダーで頭の振りだけで吹けるようにし、残った手でスティックを握り軽快なマーチを一人で器用に奏でながら駆け出し、それに遅れまいと予備隊も速度を上げる。

 

 彼女の演奏で速度が乗った部隊は最速だ、おそらく間に合ってくれるだろう。

 

 ならば、自分のやる仕事はもう決まっている。

 

「指揮官が戦場で自前の呪文をぶっぱなすっちゃぁ、俺もまだまだ下の下だな《踊れ踊れ平原吹く牙、渦巻き、束なり、槍となれ》」

 

 先ずは遠距離からの一撃、こんな広々とした戦場では風の獰猛な精霊に困ることは無い。

 

「ぬぅっ!? 見事!」

 

 渦巻く鋭い風の槍は、オーガの肩に食らいつき、その左腕をえぐり去る。

 

 こちらとて、小なりといえ軍を預かる前、若かりし頃は黄金等級の精霊戦士、これぐらいはできる。

 

 しかし、オーガもそれで膝をつくぐらいであれば、こんなところに乗り込んでくるはずもない。

 

 剣を右手だけで握り、口から気炎を吐く。

 

 ギュウッと筋肉が収縮し、左肩からの出血が無理やりに止められる。

 

「もう、死兵だな」

 

 息を整え、槍を向ける。

 

 隊員たちはゴブリンの奔流に向かっていく、予備隊の展開も間に合うようだ。

 

 だから、目の前のオーガがこれ以上戦う必要はない。

 

 無理な特攻の、失敗。

 

 無駄死にだ。

 

 だが、ゴブリンの奔流を壁にして逃げに徹すれば、生き残る目もあろう。

 

「だろうな、だが、もう、いい」

 

 晴れ晴れとした、透き通った瞳だ。

 

 持っている物を無くしていって、奪われつくして、手に剣だけが残った顔だ。

 

 こんな顔で剣を振るう奴に、明日は無い。

 

 おそらく、奪いつくした俺達に、言うことはほとんどない。

 

 だから、それだけ言うことにした。

 

「じゃあ、死ね」

 

「お前らもだ」

 

 速力向上の魔法のかかった脚甲の突進力で突き込む。

 

 颶風を纏った魔槍は、オーガの首すら跳ね飛ばすであろう、しかしその一撃は魔剣で跳ね飛ばされる。

 

 その、腕に、引っ掻き鈎がかけられる。

 

「なら、鉱人の戦振り見てけやあっ!」

 

 禿頭の古強者が、自身の体を腕の力で引き上げて、残った手で戦鎚をその脳天に見舞う。

 

「……っ、ぐうっ、良し!」

 

 完全に血が上ったオーガはむしろ快哉をあげ、宙を舞っていた『盾砕き』をそのまま頭突きで跳ね飛ばし、鉱人の群れに飛ばされる。

 

 鉱人は頑丈だ、死んではいないだろう。

 

 だから、こちらも遠慮なく最後の一撃に踏み切る。

 

「《踊れ踊れ平原吹く牙、渦巻き、束なり、ここにあれ》」

 

 オーガの腕をえぐり、敵陣すら穿つ風を槍にまとわせ、一薙ぎ。

 

 それで、オーガの首は断たれた。

 

 

 

 

 

 生き残った、という気しかしなかった。

 

「はぁ、つっても仕事せにゃなぁ」

 

 疲れた体を水薬で無理やりに奮い立たせ、起き上がる。

 

「もっと寝てればいいのに」

 

 そう軍楽士が呆れた様子でこちらを見やる。

 

「まぁ、まだ戦は続くしなぁ、崩された陣の補修とか」

 

「補修はもう鉱人がやってるわよ」

 

 はぁ、とため息をつき、身を起こそうとする指揮官を押しとどめる。

 

「あの子達も心配してたんだから、無理しないでよ」

 

 半森人と獣人の顔が浮かび、しぶしぶ体を沈める。

 

「それは?」

 

「各隊からの差し入れ、良くなってくれって」

 

 見れば木の実やら酒やら香辛料の掛かった肉やらが部屋の一角に積まれている。

 

 何ともありがたい話だ。

 

「隊長、たいちょーっ! 急報! 吉報! あれ、どっちだっけ? まあいいやー聞いてくださーい!」

 

「あなたね、もうちょと静かに、ああ、もうでもまぁ確かに急ぎね」

 

 どかどかと獣人と半森人の副長が駆け込んでくる。

 

「……どした?」

 

 なんというか、二人とも狐につままれたような顔だ。

 

 軍楽士と顔を見合わせ、きょとんとした顔を向ける。

 

「魔神王、なんか討伐されちゃいました」

 

 あまりに唐突に、戦争は終結に向かっていた。

 

 

 

 

 

「ま、またどっかの戦場か、酒場での」

 

「ええ、またどこかで」

 

 握手して、振り向かずに鉱人達は去っていく。

 

「里においでください、歓迎させていただきます」

 

「ええ、そりゃもう是非に!」

 

 何度もこちらを振り返り、のんびりと森人たちは歩いていく。

 

「指揮官殿ほどの者であれば、敵でも味方でも、戦場で会いたいものですな」

 

「貴方達ほどの強者とは、味方だけでいたいです」

 

 呵々大笑した蜥蜴人は南へ尻尾を機嫌よさげにゆらし。

 

「また会おう」

 

 半馬人はからりと、風のように駆けていった。

 

 残ったのは、自分の隊員たちだ。

 

 さすがに、死者もいる。

 

 できる限り、死体は収容した、故郷に帰ることを希望していない者は、今回の戦線の合同慰霊碑にまとめて弔われるはずだ。

 

「まずは、帰るか」

 

「ええ」

 

「そうですね」

 

「帰ったら、王都でお腹一杯食べましょう!」

 

 また、俺たちはどこかの戦争に行くのだろう。

 

 でも、今だけは生き残ったことをただ祝おう。

 

 

 

 

 

 こうして、別の物語から見れば、一行で終わるような戦争が、幕を閉じた。

 

 だが、どこにでも、誰にでも、物語があり、戦いがあり、続いていく。

 

 しかし、今は、彼らにひと時の休息のあらんことを。

 

 

 

 

 

 


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