歴史
人に歴史あり
モノにも歴史あり
唯の鉄の剣であろうと、例えば若かりし頃に王が使ったとでもなれば、同じ体積の黄金以上に丁重に扱われることが、ままある。
人はどういうモノなのか、というより、どういった経緯のモノなのか、という点に比重を置くことがあるのだ。
防具がある。
紐でつながっている。
防具が覆う面積は小さい。
というか、きわどい。
それが、籠の中にある。
その筋で、下着鎧と呼ばれるものが、丁稚の少年の抱える籠の中にあった。
これが、マネキンのものを取り外したものであっただけであれば、丁稚の少年がこれほどまで抜き差しならぬ状態になっていないであろう。
「……いやいや、ヤバイって」
使用済み、である。
脱ぎたて、ともいえる。
豊満で快活な牛飼娘の肉体と平坦で清純な女神官の肉体を覆っていた下着鎧の胸部装甲部分と下腹部装甲部分、端的に言うとブラとショーツのようなパーツが籠の中にあった。
彼女たちの居た試着室はものすごくいい匂いがした。
マネキンに戻されたそれを取り外し籠に入れ、先ほどまで聞こえていた華やかな姦しい話し合いを思い出し、ドギマギしてしまう。
いちおう、試着用のモノではないものを試着した場合は、次の試着希望の人間のために洗う必要がある。
誰が? 親方? まさか、自分がだ。
ごくり、と息をのむ。
仕事だから、仕方ないから、と思いながら、鼻息を荒くしながら意を決して籠の中に手を伸ばし。
「おーっす、何してんの?」
「おっひゃああああああああああっ!!」
不意に後ろから獣人女給に声かけられ奇声を上げてバネ仕掛けのように背筋を伸ばした。
「えーっと、な、なに?」
「どしたの」
きょとんとした目、といえばいいのだろう。
自分の奇行に首をかしげる彼女に慌てて籠を後ろ手に隠す。
「んーアジのエスカベシュ、いらない?」
アジの揚げ物が酸味のあるソースに漬けられたそれは否が応でも食欲を掻き立てられる一品である。
「い、いるけど……」
露骨に挙動不審な振る舞いをする少年に訝し気な視線を向け、すん、と鼻を一鳴らし。
そして、ピタリ、と動きがとまる。
獣人は嗅覚も鋭いのだ。
「……え、と、その」
「二人、女の子」
ぽつり、とした感情の無いつぶやきであった。
びくり、と体を震わせる少年に、料理の入った器をテーブルに置いてずかずかと近づく。
「ねぇ、それなに?」
「えっと、その」
「……おやか」
「ちょい待ち!」
た、と言わせる間もなく、ぴょん、と獣人女給に飛びつき、口をふさぐ。
籠がどさり、と落ちる音がする。
ぎゅう、と抱き付き、その柔らかい肢体に組み付いているのだが、それを楽しむという余裕などない。
「ね? ちょっと話し合おう! ね、ね?」
「ふーん」
苛立たし気に彼女の尻尾がゆれる。
もう彼女の視界には転げ出た籠の中身が目に入っているのだろう、口元を抑えられながらも、そのまなざしは虫けらを見るような視線だ。
だが、自分の職場での地位がゴミクズに落ちるかどうかの瀬戸際であるのだ、必死になる、。
今更ではある、とは言ってはいけない。
しかし、
「君じゃ話にならないからさー親方に話しよっかなー」
敗北は決定していたのだ。
かくなる上は
「すいません、それだけは! すみません許してください! なんでもしますから!」
無条件降伏あるのみであった。
その言葉を、待ち望んでいたのだろう。
「ん? 今なんでもするって言ったよね?」
ぎらり、と輝く瞳は野獣のそれであった。
「はい……」
少年には、そう息を吐くしかなかった。
「さあさ! 水の街行きの馬車が昼には出るよ~、今ならお安くしとくよ~」
蒼天の下、馬車に乗ろうとする人たちに何か売りつけようとする者たちが小さな市場を形成する。
それの中にはもちろん己の腕前を売りに出す者もいる。
靴磨き、研ぎ師、そして代筆屋。
目的地に手紙を運んでくれる馬車はある、伝えたいことがある、しかし字が書けない、あるいは形式ばった文を書く学がない。
そういった者のために代筆屋が机とペン、インク壺に紙束を積んだ代筆屋が馬車の前に店を開くのはごく自然な成り行きであった。
文房具と紙だけで小銭を稼ぐことのできる代筆屋を、学のある駆け出しの魔法使いや神官が副業とすることはままある。
というわけで、女魔術師もまた、冒険の合間の休日に軽く小銭稼ぎするか、と店を開いていた。
これでも都の学院に居た身、それなりに格式ばった文章だってお手の物だ。
冠婚葬祭、様々な手紙を請け負い、最近のこの界隈ではちょっとしたものなのだ。
しかも、代筆屋の場合。出ていく人間ではなく、街の人間に顔を売ることができるのがミソだ。
冒険者ギルドにたむろしている魔術師その一、よりも手紙を書いてくれた魔術師の姉ちゃん、の方が顔が利くし、親しみも持ってくれる。
悪いことは出来なくなるが、もとよりするつもりはないし、どこそこへ行く、となると
「お、そうなのかい、じゃぁ親戚の誰それが……」
ということで代筆した上でついでに手紙の郵送も、とお願いされることもある。
ちょっとした副業の積み重ねだが、それでも触媒を取りそろえておく必要のある術者という稼業をするにあたって、小銭稼ぎは使える呪文の種類に、つまり選択肢の広さに繋がるのだ。
触媒にさして頼る必要もないような大魔術師とかならともかく、自分のような駆け出しは地道に隙あらば稼ぐのが大事なのだ。
「魔術師のお姉さん、田舎の妹に子供産まれたんだよ、ビシッとした祝いの手紙、お願いしたいんだ」
「まっかせなさい! 妹さんがうれし泣きするようなの書いて見せるわ」
ちょっと奮発して買ったガラスペンをちょちょいとブルーブラックのインクが入ったビンに入れてサラサラと文章を書きあげていく。
ちょっとしたハッタリだが、見た目にミステリアスだし、すっと水を入れた器にペン先を挿せばらせん状のインク溜めの溝が水面にインクの華を咲かせて、書きあがるのを待つ人間は、おぉ、とその水面に咲く儚い一輪に見ほれる。
「はい、ウチは差し出し代行まではしてないから、後は駅馬車さんに持っていってね」
「ああ、ありがとう!」
そう言って書き上げた手紙を受け取った駅馬車の御者へ向かう男を見送り、いいことをしたなぁ、といそいそと財布に料金の銅貨を入れる。
「はへぇー」
その様子を物珍し気に眺める丁稚の横には獣人女給がいる。
「……あら、ええっと、工房の丁稚の人と、ギルドの人じゃない、こんな日にデート?」
「まさか! ないない、おごらせてるだけ」
からからと、獣人女給が手を振って否定し、しかしするりと逆の腕は丁稚の腕に絡んでいる。
――どうみてもデートにしか見えないけど……まぁいいか。
じゃあ、搾り取らないとね、と不敵な笑みを交換して見送る。
藪をつついて蛇を出す趣味はない、あと一人二人ぐらいなら代筆も請け負えるだろう、と女魔術師は客引きの声を上げた。
見た目には、白く丸い筒のような料理である。
す、とナイフを入れると驚くほど抵抗なくその筒は輪切りにできる。
「あ、そうすると断面が空気にさらされてどんどん料理の熱が奪われてしまうので、食べる分だけ切っていく方が料理の暖かさを楽しめるのですよ」
「ほほう、これは迂闊、食事作法も奥深いものですな」
目の前の酒神の神官がそうおっとりというのを聞いて、ぺしり、と額を叩く。
とまれ、それであればさっさと食べるが吉だ。
白い筒、であるが中に芯のように別の白い何かがある。
歯ごたえは柔く、下で押しつぶすだけで外側と内側のそれぞれがすりつぶされる。
外側は淡白な白身魚、それを砕くと中からふわりと芳醇なバターの薫りを纏ったこれは……
「ぬ、ん?」
「ふふふ、南方出身でしたし、もしかして初めて召し上がりました? 舌平目に巻かれた内側の食材はホタテという貝の中身です」
「あなや! 貝にこれほど大きく美味な物が!?」
しかも塩気とバターによく合う。全体をやや塩気の強いソースで覆っていたが、なるほど、海の物には塩気が合う。
食い歩きの趣味があったのか、時たま二人はこうして舌を肥やすべくぶらぶらと歩くことが多くある。
そして、それなりに位階の高い神官と銀等級の冒険者の道楽、つまり財布のひもを緩めて行くような店というものは概ね、お高い。
「んーおいしい」
「そ、そうだね」
喜色満面で舌鼓を打つ目の前の少女に相槌を打ちながら、消え去っていく自分の貯金に笑顔の裏で泣く。
まぁ、ため息をついても仕方ない、彼女の笑顔だって、見ていてうれしい。
これはもう楽しむしかないか、と料理にナイフを入れた。
「……かくて魔神王は討ち果たされ、勇者は凱旋し、兵もまた家路へ着く、しかしてそれはまた新たなる物語の始まり……」
弾き語りをする吟遊詩人におひねりが舞い込む。
公園には自分たちだけではなく様々な人間が吟遊詩人を囲んでいる。
酒瓶片手に話を聞くものも居て、どこか砕けた様子だ。
小さな田舎の農村ならともかく、この辺境の街では吟遊詩人は珍しくなく、またそれゆえに腕が試されているのである。
とはいえ、今は聞き手として楽しんでいる側だ。
吟遊詩人が茶目っ気たっぷりに語る喜劇をクルクルと表情を変えながら聞いている彼女が何より見ごたえがある、なんていうことは出来ないけれど。
ちょっとだけ、おひねりを弾むことにした。
お祭りという訳でない平日でも辺境の街には様々な人々が流れてくる。
事情ありげな風体の男たち、不安げに子を抱いた女、何かを売りさばきに来た商人、よりによってもこんなところにまで来ているのだ、やむにやまれぬことがあったのだろう。
石畳を歩く足取りは、野心にあふれたもの、行くあてのないもの、儚く消えてしまいそうなもの、様々だ。
そういったものが彼女の耳は余さず捉えるのだ、興味深げに雑踏に耳を傾ける獣人女給はこの街そのものを楽しんでいるようだ。
「んー楽しかったなぁ」
コキコキと背伸びをする少女に、ほっと安どの息を吐く。
一日おごり、と聞いて戦々恐々としていたが、何とか貯金消滅の憂き目は回避された。
「ま、これで勘弁してあげよう」
「ははーありがとうございます」
そう仰々しく言って、二人して笑う。
「じゃ、私ここで」
シュタッ、と手を上げてこざっぱりとした別れの挨拶。
おやすみ、を言おうとしたところで、ふわり、と近づいて、彼女の薫り、としか言いようのないもので、鼻孔が満たされる。
「今度はアレ、私が着て見ていい?」
目を白黒させているうちに、ケラケラと笑って彼女は去っていった。
まぁ、良い一日だった。