……かくて魔神王は討ち果たされ、勇者は凱旋し、兵もまた家路へ着く、しかしてそれはまた新たなる物語の始まり……
西へ行け、冒険者よ、といったのは誰であったか。
今となっては分かっていないが、野心を抱いて辺境の街へ赴く冒険者志望の者たちは多い。
しかしこれは、その言葉を言った者が後悔する話ではない。
砂煙を上げて西へ西へとひた走る一台の馬車。
悪態をつきながら手綱を握る冴えない兄弟が今回の主役だ。
「ええい、畜生っ!!」
毒づいているのは年長の兄だ。
馬車の後ろにはこれでもかという程の槍、矢束がぎっしりと詰まっている。
その横でどこか貧相な瘦せぎすの男が鶴の頭のような、孫の手のようなねじくれた短杖を握ってややうんざりとした表情をしている。
その顔立ちは似通っており、男たちが兄弟であることを伺わせた。
「兄ちゃん、いくら言ったってどうしようもないって」
「くそっ、くそっ! 畜生っ」
とりつく島もない、と弟はお手上げの様子で揺れる馬車の上で兄の様子から目をそらす。
空は青く、雲は白い。
ガタガタと揺れる馬車はまるで荷物を積んでいないかのような速度で西へ西へと進んでいく。
弟術者の《軽量化》の魔術によるものだ。それがこの快速馬車を可能にしている。
都の学院を出て、船付きの魔術師として航海を一つこなし一稼ぎ、さて、次の航海に声がかかるまで商人として身を立てている兄の顔を見に行くか、と海からほど遠い王都まで来て、そしてそのまま拉致されたのだ。
「畜生! 畜生! 勇者め! さっさと戦争終わらしやがって!」
そして荷台には売るあてのなくなった槍や矢束、つまりは、そう言う事だ。
これぞ商機! と買い込んだ絶賛高騰中の武具。なあに、それでも北方の戦地に持っていけば十分に高値で売り飛ばせる、と意気揚々と北へ赴き、そして魔神王討伐による終戦で戦線は解散、需要は消滅し、価格は暴落。
「あぁ、神様、乱れてください平和、今俺の行く先の売り先だけでいいから……」
「そんな縁起でもないこと言ったら神様のバチあたるよ兄ちゃん」
王都では大商人がああだこうだと売りさばくだろう、となれば中小零細の辛うじて売ることのできる先となれば西方、冒険者達が多く活動し,また冒険へと旅立っていく辺境の街だ。
同じように考える商人は大勢居る。よっていち早くたどり着かなければならない。
いくらかは足元を見られるだろうが、それでも王都で捨て値で売るよりは良い。
それでも、少なくとも兄はまだ運がいい。それが弟の存在である。
本来であれば、積み荷が多ければ多いほど、馬車の速度は遅くなる。
しかし、魔術師の技があれば話は別だ。
おおよそ鉄の積み荷を綿の如く軽くして駆ける馬車の速度は他の者たちよりも稼ぐことのできる距離は速く、多い。
これは、華々しい大成功なんてない、敗北をどれだけ小さくするかのレースだ。
王都から水の街や辺境の街といった西へ向かう際に、死人の谷とよばれるおどろおどろしい最短ルートがある。
とある未来ではある女教皇の指示の下敷設した鉄道の通ることとなるルートであるが、今はまだ薄気味の悪く何もない谷だ。
鉄道が通る際には三人のペテン師が大立ち回りをする喜劇を繰り広げることになるが、それはまた別の話だ。
未来がどうであれ、今はまだただの通り道でしかない。
兄弟は道を急ぐために街道を離れ、このうらさみしい谷に入るつもりでいる。
大幅なショートカットと言える。
ここを無事に通り抜けることが出来れば、他の人間より一日二日は速く辺境の街へとたどり着くことができるであろう。
無論、その危険性があるからこそこの土地は死人の谷とよばれ、街道となっていないのだが。
神の慈悲は一切分け隔てなく注がれるわけではない。
ここは死人の谷、アンデッド、ゾンビやスケルトンの巣窟だ。
日中だというのに物陰からうめき声をあげてゾンビがはいずり出て兄弟を自分たちの仲間へと引きずり込もうとその崩れかけた手を伸ばしてくる。
しかしここを乗り切らねば結局は破滅を待つ身だ。
とはいえ、あえて夜に駆け抜けよう、という程兄弟も血迷っていなかった。
谷の前の安全であろう場所で夜営をして早朝に弟が《軽量化》の魔術を荷台にかけて、一息に駆け抜ける。そういった算段である。
ここが一番の難所だ、と気合を入れて臨むところだ。
とまれ交代で野営をして夜を明かそう、となり焚火がパチパチと音を立てて光を放つ。
念には念を入れて酒は無しだ、パンにはさまれたハムの塩気と水で英気を養う。
さて、交代で寝につこう、という段になって、足音が近づいてきた。
兄弟は顔を見合わせ、兄は御者台においてある短槍をひそかに確認しつつ、木につないでいた馬の手綱を解く、馬車持ちの一番の戦法は走って逃げることだ。
弟も杖を構え、いざという時の備えをとる。見かけによらず船上で過ごした日々は兄以上に荒事への耐性をつけさせていた。
果たしてやって来たのはどこか影を湛えた少女であった。
手には神官ではないのだろうが敬虔な信者なのであろう、至高神の聖印が取りすがるように握られていた。
しかし、火の光に安堵するどころか、まさか出くわすと、といった表情で小さく、失礼します、と言い残し、そのまま死人の谷へと向かおうとする。
「待った待った! 嬢ちゃんそっちは死人の谷ってんだ! こんな夜に行っちゃ死にに行くようなもんだ!」
思わず呼び止めた兄の声に少女は立ち止まり、ペコリと礼儀正しく頭を下げる、どうやら育ちはかなりいいようだ。
「……すみません、ですが私が居たのではご迷惑をおかけしてしまいます」
「……何か、事情でも? 今夜は白い方のお月さんは新月でお隠れだ、こんな薄気味悪い緑の夜は独り歩きしない方がいい」
弟の言う通り、常であれば青白い光を照らしてくれる白の月は無く、緑の月だけが我が物顔でその月の色の如く地上を緑に染めていた。
こういった緑の夜は、おおむね縁起が悪いとされ、対して緑の月が新月の白の夜は縁起がいいとして、例えば結婚式後の初夜等は白の夜の方が望ましく、また子宝に恵まれるのも白の夜とされている。
「どうか、見捨ててください、ここに来たのも誰も巻き込むまいと思い立ってのことです」
そうつぶやく彼女の肩は、不安と孤独で震えている。
それを見捨てるほどには、兄弟は人情をすてていない。
「やはり、何か……追手でも?」
弟がそう優しく問いかけると少女は意を決したように口を開いた。
「首なし騎士に宣告を受けたのです」
首なし騎士、デュラハンとも呼ばれる魔物、あるいは悪魔の一種とされている亡霊だ。
己の首を手に持ち、逆の手には剣、乗るのは首なしの馬や黒い馬、あるいはそれらに曳かれたチャリオットとも言われている。
人の前に現れ、死を宣告し、その一年後に姿を現してその命を刈りとる、地方によっては一種の死神として扱われることもある。
死神と違うのは物理的に打倒することが可能であることだ。
よって、経済的に余裕のある者であれば、高位の冒険者を雇い、迎撃する、ということも出来なくはない。
しかし、それだけの富裕層でないものがその宣告を受けた場合、待つのは恐怖に押しつぶされる一年だ。
そして絶望の後に、命を刈りとられる。
目の前の少女もまた、その残酷な運命に巻き込まれたのだという。
それが、一年前の事。
遠からず馬蹄の音は彼女の元に訪れ、その命を絶つであろう。
「どうするつもりなんです?」
「……ここで死んでしまおうと……お母さんやお父さんを巻き込んでしまうのは……そ、それに」
心がひび割れたような、無理やりに作ったような笑みだ、ぎゅぅ、と聖印が握りしめられる。
「奇跡が、あるかもしれません」
ここまで、虚ろな言葉を男たちはついぞ聞いたことが無かった。
その言葉を、諦めを、吸い込むように弟は一息つき、兄へ向き合う。
「なぁ、兄ちゃん」
「行くぞ、奇跡の弟よ」
胎の据わった声であった。
その言葉に弟もニカリと返す
「だよね! 奇跡の兄ちゃん!」
そう言って適当に夜営のために広げた荷物を荷台に放り投げて、少女に手を伸ばす。
「え、ええと?」
「ほら! 君も乗った乗った! 行こう!」
彼女は奇跡に出会った。
角灯に灯りが灯された。
首なし騎士を迎え撃つのに腰を据えていては危険である。
自分たちが銀等級の冒険者の一党であれば、むしろそれでいいのかもしれないが、少し荒事になれた魔術師と商人と小娘では死ぬだけだ。
いっそのこと走って迎え撃つ、それが弟の出した提案であった。
極論、走っていれば、機動力の暴力、高所からの攻撃はある程度無効化できる、できたらいいな、ということだ。
死人の谷を夜に走破するとう暴挙は、首なし騎士を迎え撃つことを考えれば暴挙に数える必要はない。
夜の死人の谷はアンデッドで溢れていた。
「矢束一つ解くよ」
「おう」
弟が荷台の矢束をとり、短弓を構える、故郷の村では兎を射って兄弟で共に食べたものだ。
鎧甲冑の騎士にどれほど通じるか、それは考えないことにした、どちらかというとこれ自体はゾンビ対策だ。
進路に入ってきそうなゾンビを射抜き、夜を駆け抜けていく。
気を緩めることのできない時間が過ぎる。
もうすこしで、谷を抜けることができる、そう思い出したころに、蹄の音が後ろから迫って来た。
漆黒の騎士だ。
「RAAAAAAAAAAAAAI」
左手には憎悪に染められた表情の詰まった生首の入った兜があり、右手にはこれまた漆黒に染められた刃がある。
弟が矢を射かけるが、馬体に刺さろうとお構いなしで追いすがってくる。
「どうだ!?」
「効いてない! 軍に売らなくて良かったね兄ちゃん! 訴訟されるところだったよ!」
「うっせえ! 俺の目は確かだ! お前の腕がへっぽこなんだろが!」
騎士の速度が上がる。それを見て、いよいよ少女の表情に絶望が浮かぶ。
「呪文はつかえねぇのか!?」
「寝て起きれば使えるけどね!」
「DEEEERRR!!」
朝に昼に《軽量化》を使い通しだったのだ、魔術はもう使うことは出来ない。
じりじりと近づいてくる。敵影に、少女が男たちをこれ以上巻き込むまいと身を投げようとしたところで、弟がずいと少女を押しとどめる。
「まぁ、見てて」
兄の短槍を拾い上げ、その穂先を見る。
商人の長旅、アンデッドやゴーストにでも使えるように、という弟の言葉を受け入れたそれは銀の穂先であった。
ねじくれた短杖をぐい、と棍棒で殴るかのように振りかぶる。
そして、それに槍を番える。
投槍器、通常よりも遠く強く正確に槍を投げることを可能とする武器だ。
二十歩、十五歩、十歩、そこで、槍は投じられた。
兜の中の生首を射抜き、そのまま首は闇夜に消え去る。
「RAIARAIARAIRAAAAAA!?」
「橋だ! 揺れるぞ!」
苦悶の声を上げて消えていく首、身をくねらせる胴体、止めとばかりに荷台の槍を一本つかみ、また投じる。
馬に刺さった槍は、その歩調を乱し、そのまま首なし騎士は川底へと落ちていった。
「やったよ! 兄ちゃん!」
「よっしゃぁっ!! よくやった! へへっ! ざまあみやがれ、泳いでろ!」
兄がそう快哉の声を上げ、馬車は走り去っていく。
そして、背後から明かりが昇る。
夜は明けたのだ。
少女を水の街で待たせる手元の余裕もなかったので、そのまま辺境の街まで駆け込むこととなった。
何やらゴブリンロードの襲撃があったらしく、兄の考えていたほどには買いたたかれることは無く、なんとか破産の憂き目にあうことも避けられたようだ。
都で流行りの精油やら手当たり次第に買い込んで、また一儲けするらしい。
少女も帰り道で下ろしていくことになった。
「お前はここでいいのか?」
「うん、兄ちゃん、西の海の方に出る港町にでも行ってまた船暮らしで稼ぐよ」
「そうか……今回は助かった、またのときに礼は用意しておく」
「はは、なんか奢ってくれたらそれでいいよ、律儀だなぁ兄ちゃんは」
餞別でもらった槍を一本携えて、別れる。
「あの、ありがとうございました!!」
そう憑き物が落ちた明るい表情で礼を言ってくる少女に照れ照れと頭を搔く。
「気を付けておかえり、幸せにね」
少女を乗せた馬車は東へ、男は更に西へ、何事もなかったかのように、また日々は続いていく。