女神官逆行   作:使途のモノ

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第十五話

 

 

 

 第十五話

 

 

 

「そういえば、確か、あなた、位階を高めてドラゴンになるのが目的なのよね」

 

 雪中での、たき火を囲んでの一休み、めいめいが丁寧に体をもみほぐしながら、妖精弓手が蜥蜴僧侶へ話しかけた。

 

「いかにも」

 

「チーズ好きなドラゴン、ねぇ」

 

「きっと皆に大人気ですよ、街の上を飛ぶだけでチーズがお供えされたり」

 

 妖精弓手は両手で抱えたカップの中身を舐めながら、まるで見てきたかのように言う女神官の言葉にくすくすと笑った。

 

「なるほど、それはいいですな」

 

 チーズを頬張りながら、真剣そうな顔で頷く。

 

 あまりに真面目そうな様子に女神官もふと笑みを漏らす。

 

「私もチーズ持っていきますね、おっきなドラゴンでも楽しめる様な、出来るだけ大きいものを」

 

 巨大な竜が都に飛来し、その爪先には銀の札、私を先頭に馬車で運ばれる山盛りのチーズに町の郊外はお祭り騒ぎとなって、人々は露天で急きょ並べられたチーズを買って竜の元へお供えに行くのだ。

 

 チーズの龍神様、竜のおじいちゃん、と誰からも慕われていた。

 

 私の国でチーズ料理が盛んだった理由の9割は彼によるところだ。

 

「私も私も! っていうかそうしたら背に乗って遠くに行くのもいいかも!」

 

 そんな未来も、確かにあった。

 

 自分と彼女と竜となった彼で大陸を一跨ぎ、天には青空だけがあり、眼下には海と陸とがまるで精巧な地図のように広がっている、懐かしい思い出だ。

 

 ……そして家臣たちにはもうこれっきりにしてくださいと頼み込まれたものだ。

 

 そうかつての未来を思い出しながら歓談しながらも、さりげなく洞窟の前の冒険者達の遺体、いや森人の遺体を女神官に見せないように気遣う仲間たちに申し訳ない物を感じながら洞窟を進む。

 

 罠をいなしながら、"彼女"が囚われている場所へと向かう。

 

 広間に至り、女神官が一党を押しとどめる。

 

「目と耳と動きを奪います」

 

「いけるか」

 

「はい、《トニトルス……オリエンス……リガートゥル》《ホラ……セメル……シレント》」

 

 《雷縛》の呪文を《停滞》の呪文で固め、投げ込む。

 

 一拍の後の雷光、パンッ、という破裂音に空気とゴブリンの焼け焦げる臭い。

 

 ひゅう、という歓声代わりの森人の口笛だけが洞窟にしみこんでいく。

 

 視覚聴覚を奪い、なおかつ体の自由を奪う突入戦において便利な呪文である。

 

 ゴブリン相手の戦闘で、《稲妻》であると人質等が居た場合、巻き込んで死なせてしまう。

 

 そのため、人質も死なせずゴブリンも鎮圧できる術というのは多く開発された。

 

 これもその一つである。

 

 果たして17匹のゴブリンは汚らしく体液をまき散らしながらそここで転がることになり、その命を刈られていく。

 

 そして用があるのは一体のゴブリンだ。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、こちらのゴブリンなのですが……」

 

 止めを刺した弓を持っていたゴブリンをゴブリンスレイヤーに見せる。

 

 傷の手当てをされた、鏃の細工を学習したゴブリン。

 

 むう、と喉の奥で唸る彼に内心よし、と頷き探索をする。

 

 これでただの大規模なだけのゴブリンではない、と伝わるからだ。

 

 そして奥の礼拝堂へと至る。

 

「ふん」

 

 ゴブリンスレイヤーの一蹴りで蹴破られた扉から一党が飛び込む。

 

 あるのは記憶通りの掘って作った礼拝堂と石の祭壇、そしてその上に居る"彼女"。

 

 駆け寄り容体を見ると弱くとも確かに息がある。

 

 そしてその焼き印を痛まし気に一撫でし、一党に説明をする。

 

「外なる智恵の神、覚知神の印です」

 

 ふむ、と口元に手を当てて見聞と思索を形作る。

 

「……おそらく、呪われています、神への供物として」

 

「ほう」

 

 ぎょろり、と文字通り首を突っ込んでくるのは蜥蜴僧侶だ。

 

「……解けるか」

 

「ここでもできなくはないですが、落ち着いた環境の方がいいので村に戻った方が……」

 

 そういうことで、場は撤収へと流れた。

 

「小鬼聖騎士……」

 

 ゴブリンスレイヤーの声が一党の耳に重く染み入った。

 

 

 

「どうでした?」

 

「眼は覚めたようだ」

 

 妖精弓手との掛け合いの後に作戦会議に入る。

 

 故郷の山でもそうしていたのか、蒸留酒を瓶ごと雪に埋めてとろりと蜜状にしたそれをだけがつん、と香る。

 

「では、後のゴブリンをどうしましょう」

 

 女神官が口を開く。

 

 倒すか、そのまま帰るか、などと受け取る者はここには居ない。

 

「皿をのけろ」

 

「ほいきた」

 

 蒸し芋を鉱人が頬張り、森人が食器を片付け女神官が布で円卓を吹き清める。

 

「よし」

 

 そうして地図が広げられ、洞窟に墨鋏でくくられた炭でがりがりと×をつける。

 

「あの洞窟が、連中の居住区でなかったことは明白だ」

 

「礼拝堂か何かよね、まだ信じらんないけど」

 

 妖精弓手が、ちびりと葡萄酒を舐めながらつぶやく。

 

「しかし事実でありましょうや。それは認めねばならぬ、となれば……」

 

 蜥蜴僧侶は、シュゥッとしたとともに息を吐き出して目を閉じ、片目を開いて女神官を見やる。

 

 視線が交わり、彼女は頷く。

 

「神官殿はどう思われますかな」

 

「宗教で固められたゴブリン、無くはありません」

 

 ほう、と一同の視線が向く。

 

「邪なる神官や、今回で言えば小鬼聖騎士が儀式を執り行うにあたって、信仰心を少しでも足そうと配下に信仰を強いる、そういう事もありえます」

 

 何せゴブリンは数が多い、木っ端の様な信仰心でもないよりはあった方がいい。

 

 そういった場合、もちろん熱心な信者などは発生しない。

 

 しかし、それでもこれは信仰心の生産でもあり、放置すればゴブリンの教皇軍が発生し、往々にして大惨事に至ることでもある。

 

 自分の記憶でも、軍をもって対処せねばならないレベルのゴブリンの軍勢というものはそれなりに経験はある。

 

「しかし、なりたてで信者を増やそうとすれば宗教者は特に形にこだわります。そうであれば、宗教区画を居住区にはしません。場の特別化というのは初歩的な宗教化ですので。食料なども無かったですし、そもそも三十六匹も住める様子はありませんでした。別の本拠地があるでしょう」

 

 我ながら、と内心ひとりごちる。

 

 かつての未来、教団設立時期を思い出しながら言葉を紡ぐ、思えばあれやこれやと恰好を整えたがったものだ。

 

 宗教者として、言わんとするところが何となく掴める蜥蜴僧侶は深く頷く。

 

 信仰には薄い森人と鉱人は、一党のゴブリン狂いが口をそろえるのであれば、そうなのであろう、そういった様子だ。

 

 ともあれ、場の空気は納得に傾く。

 

「故に、連中の本拠地はここ、だろう」

 

 女神官の言葉を受けてゴブリンスレイヤーは地図の凸印を丸で囲む。

 

「地元民の話では、さらに登った高地に、古代の遺跡があるそうだ」

 

「……十中八九そこでありましょうや」

 

 蜥蜴僧侶が重々しく頷く。

 

「して、どのような?」

 

「鉱人の砦だ」

 

 種族を呼ばわれた鉱人道士が唸り、酒を一口呷る。

 

「神代の、鉱人砦か。正面から城攻めはちと厄介だの。かみきり丸、火でもかけるか?」

 

「燃える水は多少なりあるがな」

 

「あ、私の方も、それなりに、砦一つならなんとなり」

 

 雑嚢を一たたきするゴブリンスレイヤーに中空をくるくると指さす女神官に残りの三人はため息交じりに頷く。

 

 一体何と戦うつもりなのだ、まぁゴブリンだ、と返すのだろうが。

 

「しかし、岩の城だろう。外から火をつけて燃えるとは思えん」

 

「でしたら、中から、ですね火の海にしてから襲い掛かる」

 

 そう、女神官が言葉を継ぎ。

 

「良手かと」

 

 そう蜥蜴僧侶が締める。

 

 鋭利な爪が、地図を這い、行軍ルートを検め、頷く。

 

「古今東西、内に敵を入れた城の末路は、陥落と相場が決まっておりますれば」

 

「では、忍び込みますか」

 

 その女神官の言葉に、ぴこーんと妖精弓手が長耳を大きく立てて身を乗り出した。

 

「潜入ね!」

 

 喜色満面。

 

 うんうんと一人合点して頷いて、それに合わせて長耳が揺れる、揺れる。

 

 しかし、胸元はすがすがしいほどに、揺れない。

 

 ――まぁ、それがいいのですが。

 

 そんなことを思いながら、興の乗って来た彼女に便乗する。

 

「岩山の奥、切り立った高地、聳え立つ砦! 君臨する首魁! 忍び込んで、討つ!

 

 ふふん、と自慢げに拳を振って力説し、ゴブリンスレイヤーへ視線を向ける。

 

「ま、敵が大魔王とかじゃなくて……ゴブリン退治っていうのは、ちょっと違うけどね」

 

「潜入と言うのも、いささか違うがな」

 

 ゴブリンスレイヤーは、息を吐いた。

 

「敵は冒険者の存在を認知している。下手には近づけん」

 

「手ぇあるんかい」

 

 と鉱人道士。

 

「今考えた」

 

 そして、視線がぐるりと二人の聖職者へと向かう。

 

「偽装は協議に反するか?」

 

「さて、某は武略でありますれば」

 

 ぐるりと目を回してこちらを向く。

 

 彼の気遣いを楽しむ目だ。

 

「ゴブリンですし、問題は無いかと」

 

 そう、決断的に見返す。

 

「よし」

 

 そして取り出されるのは禍つ目を模した焼き印であった。

 

「せっかく奴らが手掛かりを残してくれた。のっかってやらん手はない」

 

「ははぁ、なるほど」

 

 我が意を得たり。

 

 ぽん、と分厚い鱗に覆われた手を叩く蜥蜴僧侶。

 

「邪教徒になれ、と。……ふぅむ、良ぉ御座いましょう」

 

 ニタリ、という彼にしては珍しい笑い方、共犯者の笑みだ。

 

「そうだ」

 

「拙僧が邪神に仕える竜人。その従者たる戦士、鉱人の傭兵――……」

 

「じゃ、私は闇人ってとこね!」

 

 妖精弓手が、にこにこと目を細め矛先を女神官へ向ける。

 

「墨を体に塗らなくっちゃ。ね、ね、あなたも付け耳つけない? おそろい!」

 

「……いいかもしれませんね」

 

 さっそく準備しましょう! ときゃいきゃいはしゃぎだす少女達を尻目に、男たちも話し出す。

 

 酒を飲みかわし、小鬼聖騎士へと思索の糸を伸ばす。

 

 そして、忍び込んだあと、どうするか、というところでぎしり、と音が鳴った。

 

 木のきしむ音に、冒険者達は即座に手元の武器を握った。

 

 やがて、軋みは軽い足音になり、階上より階段を下りるに至って、誰かが息を吐いた。

 

「………ゴブリン?」

 

 それは掠れた、粉埃の様な声だった。

 

 会談の手すりに縋るようにして、令嬢剣士が、ゆらり、ゆらりと降りてくる。

 

 その手の刃に、鉱人が目を細めるも、正体を見出せぬ。

 

「…………なら、わたくしも、行く」

 

「ダメよ」

 

 彼女の発言に、まっさきに声を上げたのは妖精弓手だった。

 

「私たちは、あなたの親御さんの依頼で、助けに来たの」

 

 妖精弓手は森人らしい率直さでもって、真っ直ぐに令嬢剣士の瞳を見る。

 

 暗く深い、彼女の様な瞳だと、そう思った。

 

 だからこそ、放ってはおけなかった。

 

「あなたが、もうこれ以上ゴブリンにはまり込むことはないの」

 

 誰に向けて言った言葉なのか、妖精弓手とて、分からない。

 

 そして、帰ってくる言葉も、誰に向けたとて、同じものが返って来たのだろう。

 

「…………そうは、いかない」

 

 ふるり、と。令嬢剣士が首を横に振ると、蜂蜜色の房がきらきらと揺れる。

 

「…………取り戻さないと」

 

 ふと、妖精弓手はどうしようもない無力感に苛まれた。

 

 目の前の少女も、彼も、彼女も、言葉で止める事なんて出来ない。

 

 縋りついても、泣いて乞うても、歩いていく。

 

 そういうモノに、なってしまった。

 

「……何を、ですかな」

 

 静かに、竜人が問うた。

 

「全てを」

 

 夢を。希望を。明日を。貞操を。友人を。仲間を。装備を。剣を。

 

 略奪されたのは、そういったこまごまと言い表しきれぬ、奪われなかったはずの未来全てだ。

 

 それを、復讐で、ただ殺して、取り戻すなんて無理だ。

 

 言うことは、出来る。

 

 しかしそれで、止めることは出来ない。

 

 それで人が止まるなら、あの二人はああなっていない。

 

 それが、しみじみと分るからこそ、森人は止めることができない。

 

 ここで、止めるべきだ、という確信と、それをどうこう出来ぬ歯がゆさと、それらがない交ぜになったまま、ただ推移を見過ごすしか出来ない。

 

「連れて、いきましょう」

 

 研ぎたての鋼の様に凛と光る奈落の様な瞳と視線が交わる。

 

「すぐそこに、怨敵がいる。どこかの誰かが、なんとかかんとか、殺してくれた、らしい」

 

 それで、いいじゃないか。

 

 ぐっすり眠って、故郷に帰って、両親に謝って、それでいいじゃないか。

 

 そう、返したくなる。

 

 叫びたくなる。

 

 でも、わかる。

 

 わかってしまう。

 

 だって、自分だって、もし彼女の立場ならいてもたっても居られないだろう。

 

 姉が無残に犯されたら、殺され――

 

 ――大変だったね、助けてあげるよ、寝てるといい。

 

 どんな親切であれば、自分に力が無いとしても――

 

 ――それは、優しい侮辱だ。

 

 一生、心に残る傷だ。

 

「救われません」

 

 そうなのだろう

 

「きっと、救われません」

 

 貴女も、彼も、そうだったのだろう。

 

 どこかの誰かが、どうにかしてくれたのが、今、そうなっている出発点だったのだろう。

 

 彼ら(復讐者)の側に立てぬ幸福が、歯がゆく、悲しい。

 

「…………自分も、行く」

 

 はらはらと切られて舞う金糸に、へたりこみ、泣きたくなった。

 

 

 

 

 

「《呼気》の術が封じてある指輪だ」

 

 そう言って幾つかの指輪が檻の床に放られる。

 

 魔女の手によるものだ。

 

――それにしたって、もうちょっとこう。

 

 せっかくの、指輪なのだ。

 

 彼がくれた、初めての指輪なのだ。

 

 自分が、そう思うのは、多分、きっと、仕方ないのだと思う。

 

 それで、ふと、思いだした。

 

 かつて未来で行った戦いと、この指輪。

 

 ピタリ、と歯車があったような感覚。

 

「……どうした?」

 

「いえ、ついて一段落したら説明します」

 

「そうか」

 

 幸い、指輪の数はそれなりにある。

 

 楽しい、ゴブリン退治になる。

 

 暗い愉悦に浸りながら、檻は砦へ進んでいく。

 

 

 

 

 

「ぅあああああああああっ!!!」

 

 格子の留め金が外され、令嬢剣士が飛び出る。

 

 その首筋の焼き印はすでにただの焼き印となり、呪いの用をなしていない。

 

 それを、檻から出てきた女神官は淡々と見やる。

 

 かつては迂闊に近づき、手傷をわずかなりと負ってしまったが、今回は大丈夫だ。

 

 吠え狂い、獣のように小鬼僧侶を殴りつける令嬢剣士。

 

 それでいい、と思う。

 

 そうでなくてはならない、と思う。

 

 吠え、猛り、怨敵の息の根を止める。

 

 そうすることでしか、腹の虫が収まらない、そういことは、ある。

 

 よくよく分かっていたから、するままにさせた。

 

 外へと仲間を呼ぼうとしたゴブリンは彼が始末した。

 

 しかし、その外の見回りのゴブリンが近づいてくる。

 

 であれば、かつての様に偽装が必要である。

 

「悲鳴を、上げます」

 

「成程」

 

「頼みます」

 

「えっ!?」

 

「い、いやああっ! やめてえぇええええぇえぇえっ!!」

 

 聖職者は良く読経をする、それはつまり喉が鍛えられているということだ。

 

 ゆえに、地上にも確かに届き、見回りをごまかすことに成功する。

 

「……まあ、予想はできたな」

 

「ええ」

 

 そう言って降りてきたゴブリンスレイヤーを迎える。

 

「では、先ほど道中で思いついたのですが」

 

「ほう、妙案が?」

 

 妖精弓手が令嬢剣士を小鬼僧侶から引きはがすのを尻目に思いだした作戦を伝える。

 

「ふうむ、わかる、わかるがの、そらちっと、なぁ……ええい、これっきりじゃぞ!?」

 

 嫌な仕事をさせる、それは術師として重々わかって、その上で頭を下げて頼んで来た少女を拒むほど鉱人は度量が狭くない。

 

「ありがとうございます……ごめんなさい」

 

 心底ほっとした様子で、またすまなそうに謝る少女にぱたぱたと手を振り、捕虜の生存者を探す。

 

 作戦通りと行けば、自分と竜人と森人はもうほとんどすることは無い。

 

 武器庫を潰し、捕虜の治療と連れての脱出、あとは細工を一つだけ。

 

 後は、復讐者の3人が事を成す。

 

 小鬼の野望が潰えるだけの話なのだ。

 

 

 

 

 

 錆びついたラッパのきしむように耳鳴りな音が、朗々と城址に響き渡った。

 

「形にとらわれる、か」

 

「神官殿の読み通りでしたな」

 

 滑稽なまでに威厳たっぷりの足取り。

 

 薄汚れた鉄兜。全身を覆うのは継ぎ接ぎの鉄鎧。

 

 小鬼聖騎士はガラクタと死体の寄せ集めの椅子に座り、己の兵団を睥睨する。

 

 叙勲式、今になってそれが執り行われるのは、おそらくその知識が外なる神ではなく、令嬢剣士の仲間であった知識神の神官から得たモノであろう。

 

 そして失われた贄がこの城址に戻って儀式の歯車は回り始めたのだろう。

 

 若干の論理の飛躍はあるような気がしたが、確かに彼女の言う通り事態は進行している。

 

「では、手筈通りに」

 

 そう健闘を祈るべく合掌した蜥蜴僧侶と共に鉱人と森人も捕虜を脱出させるべく影のように駆けていく。

 

「いくぞ」

 

 そういってゴブリンスレイヤーも女神官と令嬢剣士を連れて走る。

 

 目指すは門の上、開閉装置だ。

 

 

 

 小鬼僧侶も、贄も来ない。

 

「ORARARAGAGA!!」

 

 ゴブリンが叫び、ざわめきがさらに大きくなる。

 

「IRAGARAU!」

 

 小鬼聖騎士が奇っ怪な祝詞をあげるも、呪いは既に解かれている。

 

 それで、何か自分にとって不味い事態が進行している、そう感得したのだろう。

 

 小鬼聖騎士はふと、そらを見上げた。

 

 そこからは、偶然か、必然か、正門の上が目に入った。

 

 そこには、周囲を伺い警戒する鎧の只人の男と贄の女が二人。

 

 そして、一人の女の手から雷光が迸り、城門の開閉装置を焼き払った。

 

 鎧の男と、小鬼聖騎士の視線が交わる。

 

 次の瞬間。

 

「ORAGARAGARAGARA!!!」

 

「防げ!」

 

 小鬼聖騎士の号令一下、ゴブリンどもは嫌になるほど見事な動きで弓に矢を番え、放つ。

 

 しかし、もとより上への射撃、しかも鏃の固定が緩いとなれば、三人が掲げた木の板で作った急造の大盾でも十二分に防護の用をなす。

 

 大盾の便利なところは自分の手で掲げずとも立てられるところにある。

 

「さて、これを四方八方、もちろん城の内側に、特にあの兵の固まっているところには念入りに」

 

「分かった」

 

 床に並べられたのは燃える水の入った瓶。

 

 どこにこれほど、と事情を知らぬ令嬢剣士が現状を忘れて疑問に思う程の量がそこにはあった。

 

 そのうちの一つ、何やら魔法がかかっている様子の一瓶を腰に収めた女神官はテキパキとゴブリンスレイヤーと共に燃える水の入った瓶を投げ散らす。

 

 女神官の方はただの燃える水ではなく、更に凶悪に燃焼のための調合がなされた英知の火油であるが、まき散らす分にはさして変わらない。

 

 三人がかりであれば一通り見渡す限りに油をまくのはそう時間のかかることではなかった。

 

「後は、仕掛けが動くまで時間を稼ぐ」

 

「はい、ではこれを」

 

 そう差し出されたのは煌々と燃える炎を宿した松明だ。

 

 そして不安げに周囲を見回す。

 

「急造の砦で、籠城の、持久戦」

 

 令嬢剣士の言う通り、そこは砦であった。

 

「そうだ」

 

 開閉装置へ至る道は一つであり、中庭に向く大盾は防壁、道をふさぐのは横たえた扉や逆茂木代わりの椅子などで構築された防陣だ。

 

「《いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください》」

 

 それが女教皇の《聖壁》で覆われれば、金剛不壊の城塞となる。

 

 小鬼聖騎士の指示によって攻め上がるゴブリン共もゴブリンスレイヤーたちの投石にもんどりうって倒れる。

 

 砦の中に、迎撃用の石なりなんなりを置いておくのは常道だ。それなりに残弾はある。

 

「GAGARARAGA!!」

 

「さあ、稼ぎましょう、時を」

 

 時間は、こちらの味方なのだから。

 

 

 

 

 

 その小鬼は、その三人を見つけた。

 

 騒ぎに乗じて地下牢へと向かう蜥蜴僧侶達だ。

 

 いや、わかりやすく音が立っていた。

 

 小鬼は彼らに見つけさせられたのだ。

 

 しかしそんなことに思い至ることもなく、己の優秀さと幸運を自尊し、小鬼は追いかける。

 

「しまった!! 見つかったぞ!!」

 

「最悪!!」

 

 途中、鉱人と森人がそう悲鳴を上げ、さらに気を良くする。他人の悲鳴は小鬼にとって美酒であるからだ。

 

「《土精や土精、風よけ水よけしっかり固めて守っておくれ》!」

 

 地下牢へ逃げ込む直前に、そう鉱人が唱えて何やら床に投げつけるともりもりと土壁が盛り上がり道をふさぐ。

 

 しかし、それとて所詮は土の壁、ゴブリンに掘れぬ道理はない。

 

 ニタリと邪悪な笑みを浮かべたゴブリン仲間を呼び、改めて土壁にとりついた。

 

 

 

 

 

 「さあて、これっきり、これっきりじゃから堪忍しておくれ!」

 

 そう悲鳴を上げるような声色で、鉱人が油を撒いた地下牢に火を点ける。

 

 《隧道》の術で他の者は既に退去している。

 

 これから使う術は、本来であればそこまで精神をすり減らすものではない。

 

 だが、そののちに起こることを考えれば、気は重くなる。

 

「《踊れや踊れ、火蜥蜴。来たりて存分に踊っておくれ》」

 

 そうして、締め切った部屋で、あえて火蜥蜴を呼んで火を点けた。

 

 

 

 

 

 もう少し、もう少しだ。

 

 小鬼たちは喜悦と共に土を掘る。

 

 蜥蜴人の肉は食ったことが無い、森人は犯しがいがある、ついでに死に掛けどもも食ってしまうのもいい。

 

 欲望に忠実で、利己的なゴブリンらしい思考だ。

 

 掘って、掘って、掘り抜いて。

 

 一番乗り、と思ったそのゴブリンは、炎と目が合った。

 

 

 

 

 

 火蜥蜴は飢えていた。

 

 油、大気、呼び出されて、燃やせるものはすべて燃やした。

 

 燃やして、燃やして、燃やすものが無くなって、でも燃やしたくて

 

 飢えて、飢えて、飢えて

 

 何か、振動が

 

 誰かが近づいている

 

 飢えて、飢えて、だから狂った火蜥蜴は、そちらに吸い寄せられるように向かう。

 

 それは静かで、壁の向こうの小鬼は知りえぬ現象の前段階。

 

 火災現場で往々にして発生しうるそれを。

 

 バックドラフト、と呼ぶ。

 

 

 

 

 

 三人がかりの防衛戦は、安定していた。

 

 なまなかな威力で女教皇の《聖壁》を崩すことも出来ず、柵にとりつこうとしても前衛二人のいい的である。

 

 しかし、それでも限界はある。

 

「GAGARARARA!!」

 

 ここだけを見れば、時間はゴブリン共に味方をしており、三人の命脈は何時尽きるともわからぬ。

 

 勝利を確信して小鬼聖騎士の声に力がこもるのも当然である。

 

 しかし、戦場はここだけではなく、時を待つのは三人も同じであった。

 

 ドンッ、という轟音と共に火柱が噴き出す。

 

 思いもよらぬ方角からの爆音に、小鬼たちの足並みが乱れ、戸惑いの声が起こる。

 

 火が、走り、跳び、鳴いたからだ。

 

「SALALALAAA!!」

 

 地底から這い出た狂える火精が歓喜の声を上げた。

 

 酸素も十分、そしておあつらえ向きのように、燃やすものには事欠かない。

 

 そして、眼の間に一つの瓶が投げ込まれた。

 

 潤沢な火の力を内包するソレに火蜥蜴は吸い込まれるように飛びつき、かみ砕いた。

 

 ――爆発

 

 女神官の手から投じられたその瓶はその体積以上の油を内包するものであった。

 

「さあ、燃やしなさい」

 

 爆発の中から生まれた火蜥蜴は巨大に成長していた。

 

 精々が人の腕程度の大きさだったそれが、今はもう蜥蜴僧侶ほどもある巨躯、さながら小さな火竜といった威容だ。

 

 その煮えたぎった油を吹きかける炎の吐息で、爪で、尾で広場のゴブリン達は無造作に火だるまにされていく。

 

 城中に巻かれた油はそこここで燃え上がり、三人を追い立てるだけであった小鬼たちは窮地に立たされた。

 

 だが、抗うのが騎士である。

 

 神の与える艱難辛苦を乗り越えてこその聖騎士である。

 

 まして、この城の兵たちは、聖騎士の軍である。

 

「IRAGARAU!」

 

 祝詞を唱え、剣を掲げ、兵の心を奮い立たせる小鬼聖騎士の姿は、まさに勇者のそれであった。

 

 落ち着きを取り戻した小鬼たちは、武器を構える。

 

「SASASALLLLAAA!!」

 

 

 地底から這い出た邪悪な狂える火竜。

 

 

 獰猛な狂気の瞳、吐く息は燃え滾り、その爪牙は何人たりとも焼き貫き、煮えたぎる尾は敵を焼きつぶす。

 

 

 対するは小鬼聖騎士。

 

 

 薄汚れた鉄兜。全身を覆うのは継ぎ接ぎの鉄鎧。カーテンのマントは脱ぎ去り、手に閃くは軽銀の剣。

 

 魔剣、聖剣の類ではない。

 

 されど勇者が振るうに相応しい名剣。

 

 そして後ろには付き従う小鬼の軍隊。

 

 今、邪竜を討伐せんと、戦いの火蓋は切って落とされた。

 

 

 

 

 

「……すごい」

 

 ぽつり、とその地獄絵図を見て令嬢剣士がもらした。

 

 見渡す限りの火の海と、それでもまだなお戦い火蜥蜴を倒さんとする小鬼聖騎士軍。

 

 無論、それに参加しないゴブリンも居る。

 

 それを、ゴブリンスレイヤー達三人は当たるを幸い殺して回っている。

 

 三人の体は燐光で覆われている。女神官による纏う形式の《聖壁》である。

 

 そして呼吸は指に光る指輪の《呼気》が確保している。

 

 ――四方を壁で囲み、火を放ち、しかる後に耐火装備で突入、制圧する。

 

 かつて未来で聞いたウィッチハンターの戦い方であり、私の軍の突入戦での戦法の一つだ。

 

 城も、街も、後を統治する気が無ければ、これが一番自軍の損害が少ない。

 

 こうなれば火の海でもだえ苦しむゴブリンを殺すだけであり、難しいことはさしてない。

 

「~♪」

 

 ゴブリンが立ち向かってくる、殺す。

 

 ゴブリンが命乞いをする、殺す。

 

 ゴブリンが逃げる、殺す。

 

 ゴブリンが隠れる、殺す。

 

 ゴブリンがただだた死んでいく。

 

 ゴブリンの焼ける臭い。

 

 ゴブリンの苦悶の声。

 

 ゴブリンの断末魔、

 

 焼けて崩れていく城。

 

 手には彼から貰った指輪。

 

 それが、血と炎でてらてらと光り、とてもきれいだ。

 

 それだけで、いつもよりもずっと楽しい。

 

 

 

 

 

 何匹死んだか、わからない。

 

 《狂奔》と《抗魔》の重ね掛けがなされた軍勢は火蜥蜴との戦争を一方的な虐殺からまっとうな戦いのレベルにまで状況を拮抗させていた。

 

 何匹も、吹きかけてくる火の息で火だるまにされた。

 

 何匹も、振るわれる爪で焼き切られた。

 

 何匹も、踊り狂う尻尾で吹き飛ばされた。

 

 しかし、相手も弱っている。

 

 どだいそもそも極寒の山地、氷精の踊り舞う場所であって、火蜥蜴にとっては場違いはなはだしい。

 

 加えて軍勢の力押しは、女神官によって補強された余力を吐き出すだけの物量があった。

 

「IRAGARAU!」

 

 そして、祝詞を叫んで突っ込んで来た小鬼聖騎士の唐竹割りによって、火蜥蜴は斬り散らされた。

 

 もはや立っている者は小鬼聖騎士だけといった有様だ。

 

 彼とて、どさり、と腰を落とす。

 

 剣すら投げ出し、疲労困憊といった様子。

 

 それほどの激戦であったのだ。

 

 ささやかに降り注ぐ雪が、わずかばかりとはいえ、聖騎士を慰撫するかのようであった。

 

 そして、降り注ぐものが増えた。

 

 拍手だ。

 

 枯葉の様な、ぱらぱらとした、感情の籠らぬそれが、聖騎士に向けられていた。

 

 いや、その拍手の主に対して敬愛の念を持っていれば、天使の羽根が降り注ぐ情景を見ることができたかもしれない。

 

 

 

「――見事」

 

 

 

 やや上段に位置どるのは、三人の只人であった。

 

 男が一、女が二。

 

 錫杖を肩にかけた女が、ぱん、ぱん、と乾いた拍手をしている。

 

 戸惑い気に、もう一人の女がそちらへ視線を向ける。

 

「貴方は、兵を率い、自ら先頭に立ち、貴方の城に押し入った火竜を討滅しました、それはまさしく、勇者の行いです」

 

 ぴたり、と拍手が止む。

 

 そこから紡がれる言葉を、小鬼聖騎士は理解できて、理解できなかった。

 

 意向は理解できた、言語としては理解できなかった。

 

 遥か彼方のかつての未来、誰もが知る言葉を、女教皇は当然のように告げたからだ。

 

 それは、血が静かに滴るような、花が散るような、風が流れる様な声であった。

 

 女の口から、死が洩れた。

 

 

「ともあれ、ゴブリンは滅ぶべきであると考える次第である」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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