女神官逆行   作:使途のモノ

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第十六話

 

 その言葉を聞いて、聖騎士は確信した。

 

ーー殺さねばらない。

 

 あれは絶望である。

 

 あれは悪逆である。

 

 あれは災厄である。

 

 あれは死である。

 

 人の形をした、無機質でありながら怒りと憎しみを宿した病魔だ。

 

 何をおいてもここで殺さねばらならない。

 

 己の命を賭しても。

 

 己は、浅はかであった。

 

 神の声を聞き、知恵を得て、奇跡を使い、ほかの凡百のゴブリンとは隔絶した存在であると、そう思っていた。

 

 鉄装備のゴブリンの軍隊を組織して自分の王国を作る、そう思っていた。

 

 違うのだ。

 

 全てはこのためであった。

 

 あの目の前の災厄を討ち果たさんがために、これまでの全てはあったのだ。

 

 今討ち果たしたあの火の化け物も、アレの差し向けたものであろう。

 

 理論としては破綻しており、しかし、正鵠を射貫いた確信が聖騎士の脳裏を貫いていた。

 

 それは神に仕えるもの、神の恩寵厚き者の思考であり、直感であった。

 

 鍛え上げた鋼に憎しみの炎を焼き付けたような男、災厄を人の形に押し固めた様な女、その前にいるかつて自分が陵辱した娘。

 

 鎧は炎の中では枷であり、すでに脱ぎ捨てている。

 

 刃も盾も、敵を斬るよりも己の手を焼いていたため投げ捨てた。

 

 軽銀はよく熱を通すからだ。

 

 だが、それでも殺さねばならぬ。

 

 故に、落ちていた石をつかみ取った。

 

 ずしりとした石の重み。

 

 拳よりも大きく、重く、固い。

 

 これを頭蓋に打ち付ければ、どのような人間であれ、死に至る。

 

 そういった凶器だ。

 

 それを、聖騎士は天に掲げるように振り上げ、鳴いた。

 

「GOOARAOORAAOOGA!!」

 

 その動作に、先のような戦術的な意味はなかった。

 

 だが、宗教的な意味はあった。

 

 あえてその叫びに、秩序の者の言葉を当てるのであれば、それはおそらく。

 

 神よ照覧あれ、そういうものであったであろう。

 

 ゴブリンスレイヤーは武器を構え、女神官は錫杖を構える。

 

 そして、しゃん、と錫杖がなる。

 

「行きなさい」

 

 引き絞られた弓から放たれる者がいた。

 

「あああああああああああっ!」

 

 令嬢剣士である。

 

 

 

 時はしばし遡る。

 

 火蜥蜴と聖騎士率いる軍勢との戦いは蹂躙から拮抗、そして逆転へと戦況を変えていった。

「貴女が、殺すんです」

 

「え?」

 

 改めて差し出された松明に、虚を突かれた声を上げる。

 

 目の前にある柄を、まるで焼けた鉄串を差し出されたように手を引っ込める。

 

 あれと、殺し合え、ということだ。

 

 おそらくは、一人で。

 

「よろしいですよね、ゴブリンスレイヤーさん」

 

 助けを求めるように男の方を向いても言葉少なに女神官の言葉に頷くだけだ。

 

「な、なんで」

 

 後ずさり、首をふるふると振る。

 

 負けて、汚されて、今ここにいて。

 

 でも、また負けるのは怖い。

 

 死ぬのだって、怖い。

 

「復讐しなさい」

 

「ひっ」

 

 死者の群れを、見た。

 

 女神官の後ろに、誰も彼もが地獄の底へ一番乗りで駆けていきそうな憎しみの火をその目に宿した人々を、見た。

 

 満足そうに、穏やかな笑みを浮かべ死へ向かう人の群れ。

 

 あれに、加われ、ということか。

 

「武器を取り、雄叫びを上げ、相手に死を振り下ろしなさい。」

 

 それは神の教えを授けるかのような静かな、しかし魂に焼き付けるような強さがあった。

 

「武器がなくなれば、拳を固めて殴りなさい、蹴りなさい」

 

 ゴブリンが焼け落ちていく。

 

「拳が砕ければ、噛み付きなさい、歯が抜け落ちたなら、頭突きを自分の目玉を相手の鼻の中に放り込むつもりでねじ込んでやりなさい」

 

 それでも武器を振るい叱咤する小鬼聖騎士が見える。

 

 それをあざ笑うかのように火蜥蜴がゴブリンをその怒りのままに殺していく。

 

 これ、を作ったのは目の前の少女だ。

 

「頭の鉢が割れたら、後は目です。睨み付けてやりなさい、一生の安眠を奪うほど、魂に傷をつけるぐらい睨みなさい」

 

 そして、改めて松明が差し出される。

 

「魂の一片まで使い果たして、ゴブリンから奪い尽くしなさい」

 

 取り憑かれたような、不気味に凪いだ心で手を伸ばし、松明を受け取る。

 

 ずしりとした木の重み。

 

 腕よりも長く、重く、固い。

 

 これを頭蓋に打ち付ければ、どのようなゴブリンであれ、死に至る。

 

 そういった凶器だ。

 

 それを、令嬢剣士は胸に抱いた。

 

「これ」

 

「もう少し、待ちましょう、おそらく火蜥蜴は倒されます」

 

 女神官の見立ては確かであろう。戦況は明らかであった。

 

「そして、殺しなさい」

 

 天の底の虚空に浮かぶ暗闇のような目であった。

 

 知れず、松明をギュッ、と握りしめる。

 

 なぜ、そうしなければならないか。

 

 それは、わかる。

 

 おそらくは、この全ては。

 

 自分が、復讐を成し遂げることができるように。

 

 そのためだけに、整えられた場なのだ。

 

 女神官は静かに語りかける、それをゴブリンスレイヤーは静かに聞く。

 

「幸せに上下があるとすれば、恐らく、これは最低も最低、下の下でしょう」

 

 だが、それでも

 

「己の怨敵を、己の手で縊り殺す、でもそれは、私たちにとってささやかな、そして得がたい幸せなのです」

 

 仇はゴブリン。

 

 となれば己の手で復讐を遂げる、それ自体非常に難しい。

 

 どこかで、誰かが、そのうちどうにかして殺してしまうからだ。

 

 彼も、自分も、己の手で殺したくてたまらないモノを殺し損ねた。

 

 もし、あの時、殺すことができていたならば、少しも違ったのだろうか。

 

 もう骰子の目は出てしまって、彼も自分もこう成り果てた後だ。

 

 だからこそ、見たい。

 

 己の手で復讐を果たして、一区切りつけることのできた人の歩む先を。

 

 倒錯した価値観かもしれない。

 

 だが、その根底にある情は、間違いなく善意と慈悲であった。

 

「もし、私が負けてしまったら」

 

「大丈夫です」

 

 ぎゅう、と言葉と共に抱きしめられる。

 

 それは、母に抱かれるよりも心が溶けそうな慈愛と寛容であった。

 

 それは、確約であった。

 

「貴女が死んでも、大丈夫です、必ず殺します」

 

 そのただただ誠実で真摯な言葉は毒である。

 

「あ……」

 

「絶対に、どこまでも追い詰めて殺します」

 

 後先なんか考えなくていい。

 

 それは、全部請け負う。

 

 貴女は全て投げ出して、目の前の復讐に専念していい。

 

 復讐が成し遂げられるかの成否すらおいて、囚われていい。

 

 なぜなら、自分が、自分たちが絶対に殺すからだ。

 

 だから

 

 

 お前は死んでもいい。

 

 

 ああ! なんていうことだろう!

 

 その無情な字面に、おぞましいほどの寛容を感じるなんて!

 

 その言葉は、驚くほどに令嬢剣士の心を軽くした。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 そう告げて、静かな鋼のような光を宿した令嬢剣士は、何も言わず眼下の戦場を見つめだした。

 

 それを見て、ゴブリンスレイヤーは思う。

 

 本来であれば、倒錯した話だ。

 

 情義倫理の話で言えば、邪悪だ外道だと唾棄されても文句はない。

 

 自分なり、女神官の手で、あるいは二人がかりで炎にまかれ、疲弊した小鬼聖騎士を討つ、それが確実だろう。

 

 だが、これは復讐だ。

 

 幼い自分に、どこかの誰かが手に刃を渡し、目の前に姉を使いつぶしたゴブリンどもを置いてくれて。

 

 ーーお前が殺せ、お前が死んでもゴブリンは殺してやるから安心しろ。

 

 そう言われて、刃を握らぬ選択肢はない。

 

 そうお膳立てをしてくれた者に、感謝をせぬはずがない。

 

 自分もそうだ、おそらく彼女達もそうなのだろう。

 

 復讐に魂を浸されるというのは、そういうことだ。

 

 

 

 

「あああああああああっ!」

 

 怒りの炎と、鋼の切っ先のようにギラついた決意。

 

 衝動に追い立てられたその松明の軌道は拙く、荒い。

 

 刃のついていない物で相手を撲殺するのであれば、当てればいいという話ではない。

 

 人型であれば、大体拳一つ分程奥に、殺意と共に打撃をねじ込まねばならない。

 

 それが、当てるのではなく打ち殺す打法。

 

 打ち込む殺意

 

 だが、それをくらってやる筋合いはゴブリンにもない。

 

 避ける動きはそのまま振りかぶる動きとなり、女の頭へ石が振り下ろされる。

 

「ああああああああっ!」

 

「GAROA!?」

 

 しかし、更に女が踏み込んでくる。

 

 体当たり。

 

 敵の狙い澄まされた打撃は効果が激減し、体重のそう変わらない二本足同士の戦いにおいて、体をぶつける事によるはね飛ばしの有用性は言うまでも無い。

 

 刃物無しの殴り殺し合いにおいて、大事なのは相手の体制を崩し、そこに一撃を見舞う事だ。

 

「ふぅっ!!」

 

「GAA!!」

 

 ギュルリ、と体の芯から回すような横薙ぎ、それが相手の脇腹をかすめる。

 

 だが、攻撃性においてはゴブリンの本能もまた侮れない。

 

 投げつけるようなオーバーハンドからの石の打ち下ろし。

 

「IRAGARAU!」

 

「しぃぇっあっ!!」

 

 鉄兜をつけていてなお致命傷に至るであろう祈りを込めた一撃を、積み上げた鍛錬による切り返しで迎撃する。

 

 木は爆ぜ、石は飛んだ。

 

 互いに無手。

 

 ゴブリンは蛮声をあげて、拳を振るった。

 

 女は目を見開き歯を食いしばり、拳を振るった。

 

 どちらの何の骨が折れたのか、それはどちらも知る余裕など無いだろう。

 

 フェイントや様子見など無い、ただただ相手への殺意と憎悪を己の肉体によって出力するだけのぶつけ合い。

 

 ゴブリンの拳が血に塗れる。女の美貌は見る影もない。

 

 女の拳が殴り崩れる。ゴブリンの体も痣だらけだ。

 

 おおよそ、路地裏の野良猫の喧嘩のように、見苦しさしかないような、だがどちらも骨の髄から本気の争いだ。

 

 だからこそ、その殴り合いが終わるのは唐突だ。

 

「ORAGAA!!」

 

「ぐっ、ぼっ!」

 

 腹に一発、そして顔面にも一発、それで女は殴り倒された。

 

 常であれば、ゴブリンは余勢を駆るように女に馬乗りになり、死ぬまで殴りつけて、さらには犯しもしたであろう。

 

 だが、ゴブリンは聖騎士であった。

 

 こちらの死闘をのうのうと観覧していた女を見上げる。

 

 水面の中の魚の喧嘩を見るような目でこちらを見下ろしている。

 

 手近にあった石を拾い上げ、一歩を踏み出す。

 

 鎧の男が合図もなく武器を構え、立ちはだかる。

 

 いいだろう、やってやる。

 

 聖騎士の体は、ゴブリンではわからない、何かに突き動かされていた。

 

 

 しゃん

 

 

 信仰心、あるいは使命感と呼んで良いかもしれないそれをもって突撃しようとした時、錫杖が鳴らされた。

 

「立ちなさい」

 

 淡々としたよく通る声であった。

 

 命ずる声であった。

 

「貴女は、生きています」

 

 その言葉は、立っている者に向けた者ではなかった。

 

「貴女の怨敵も生きています」

 

 それは、ごくごく当然のことを、まるで、ご飯を食べないと飢えて死んでしまいますよ、と教え、告げるような口調であった。

 

「そのまま蹲って、殺してもらって、どの面下げて、どうします?」

 

 聖騎士の後ろで、立ち上がる音があった。

 

 信じられない、薄ら寒い心地で、聖騎士は振り返った。

 

「立って、殺しなさい」

 

 幽鬼がいた

 

 復讐者がいた

 

 災厄の病にかかった残骸がいた

 

 女が、突っ込んできた。

 

「うぁあああああああああああああぁ!!」

 

「OGAGARA!!」

 

 腰に突っ込むようなタックルを受けて、地面に倒れる。

 

 これは、殺さないと止まらない。

 

 首を折って、心臓を刺して、決定的に殺めない限り、止まらない。

 

 そんな、モノだ。

 

 あの女の業だ。

 

 こんなものを、作り上げる女が尋常なものであるはずがない。

 

 殺さなければならない、誰も彼も。

 

 まずは、この女を。

 

 そんな、使命感がなければ、聖騎士が死ぬことはなかったであろう。

 

 なさねばならぬ大望などに意識を割いて、喉に軽銀の短剣が刺さることはなかっただろう。

 

「GAO! GOGA!」

 

 しかし、死ぬ。喉を突き殺されて、死なぬゴブリンはいない。

 

 痙攣し、穴という穴から糞尿を垂れ流し、死んだ。

 

 復讐の達成だ。

 

 そうして、聖騎士であったゴブリンの死体を見て、膝をついた女は、天を見上げた。

 

「あぁ」

 

 そう、産まれ直すかのように、令嬢剣士は息を吸った。

 

 感情は、置き去りにされたまま、ふらふらと立ち上がり、火蜥蜴が討たれた場所へ向かう。

 

 剣、己の剣。

 

 それを、手が焼けるのもかまわず持ち上げ、天にかざす。

 

 知れず、涙が流れた。

 

 仲間が死に、貞操も失い。

 

 手には剣だけがある。

 

 己の手によるちっぽけだけれど、確かな奪還。

 

 細やかな救いを残して復讐の熱は、既に去っていた。

 

 

 

 

 

「それでは、また、いずれ」

 

 令嬢剣士の目には力があった。

 

 首の跡も、女教皇の技量故か、いずれ消えるだろう。

 

 それでも、消えないモノの方が多いだろう。

 

 失うということは、そういうものだ。

 

 それでも、立ち上がって人は歩くことができる。

 

 手紙の約束も胸に秘め、凜と胸を張って故郷へ戻る彼女を一党は見送る。

 

 気づけば新年。

 

 彼女の新たなる門出に幸多からんことを、と女神官は祈った。

 

「まぁ、なんとかするだろさ」

 

「勝敗は戦う者の常なれば、折れず歩けば続きましょう」

 

 くい、と酒を一あおりしながら、鉱人が言う。

 

 人生とは戦いであり、晴れも曇りもなんともならず。

 

 それでも続いていれば、良くなるかもしらず。

 

 須く今の次は決まっていない。

 

「~♪」

 

「どうしたの?」

 

 珍しく鼻歌をする女神官に、不思議そうな目を森人が向ける。

 

「すこし、嬉しくて」

 

 大して何かを変えられたということは無いのかも知れない。

 

 でも、颯爽と歩いて去って行く彼女を見ることができたのはほんの少し、誇らしかった。

 

「……」

 

 その後姿をゴブリンスレイヤーは何も言わず眺めていた。

 

 


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