由々しき、事態であった。
この深刻な問題を、いかに打開するか。
とんがり帽子の下の彼女の明晰な頭脳はペットのネズミが遊具の歯車を回すように高速回転していた。
空転するばかりであった、とも言える。
かくなる上は、と彼女は部屋を出る。
宿の中をつかつかと歩き、早足になり、最後は駆け足になっていた。
そして、酒場に居た同期の中で最も泣きつけそうな相手の姿を見つけ。
「お願い、ちょっと知恵貸して!」
恥も外聞も投げ捨てて泣きついた。
女神官はこれからのことを考えていた。
前との決定的な差異、女魔術師達の生存による分岐だ。
復讐心に荒んだ彼女の弟、かつての未来で最高峰の術者となった彼。
私の魔術の師の一人でもある。
ともあれ、訓練所が襲われるのは確定した未来だ。
令嬢剣士からの手紙を目に通す。
今回の彼女は私の奨めもあり、冒険者の訓練所の他に、産婆教育のためにも寄進をしてくれた。
自分のような苦い轍を踏まないために訓練所を、自分のような境遇の女性が一人でも多くまた顔を上げて人生を歩めるようにと、地母神の神殿にも寄進を。
ありがたい、話である。
産婆の育成促進は将来的な国家掌握後の税収の躍進に、ほぼ確実につながる。
戸籍の精度が向上するからだ。
村々は馬鹿では無い。税収が逃れられるのであれば、様々な手を尽くす。
山中の隠畑、国境外の収益利権、そして戸籍の偽証だ。
実は男なのに女として申告して兵役を逃れ、女性としての税金だけを納める。さらには産まれているのに死産と偽って税金の全くかからない労働力を村の中に抱える。
他にも税金逃れの方法は山ほどあるが、それらを潰していけば税収は増え、政府が行うことのできることは増える。
地母神ブランドで商売する産婆が圧倒的多数になれば、モグリの産婆による出生数は減少し、将来的には駆逐できる。
さらにその前に、神官による子授け祈願や安産祈願なども絡めた二者のダブルチェックによって情報の精度を上げていけば、戸籍逃れの国民は減らしていくことができる。
私達が最初期に国を奪取してゴブリン退治による国力躍進がある、などと謳った実情の大半は戸籍の精度向上からの税収の上昇が実情だ。
それを、あなた方がごまかしていた分の税収を取り立てることができたから、税収が増えました、と嫌みったらしく喧伝する必要は無い。
数字や効果を出す理由は国民にやる気を出させるためであり、よりやる気になる情報発信が大事であって、真実を伝える意味など無い。
ゴブリンの群れが愚かに考え、愚かに行動するように。
人間の群れは賢く考え、愚かに行動するものだからだ。
群衆というモノは斜め上の行動力と斜め下の良識という凶暴な獣によって引きずり回される受刑者であって、分別を求めるものでは無い。
もっといえば、こちらが望む方向にさえ暴走してくれればどうでも良い。
この姿勢は終生一貫しており、作り上げた社会制度等からも、かつてのはるか未来においては女教皇は民を慈しみ、しかして信頼も信用もしていなかった、と言われる由縁の一つである。
そんな、友人である森人などからすれば「なんか悪いこと考えてるなー」という顔をしていた顔が、横合いから飛びついてきた女魔術師の豊満な胸に埋まり、沈む。
「お願い、ちょっと知恵貸して!」
その知恵が、今まさに男であれば誰もがうらやむような死に方で潰えようとしている。
ギブギブと女魔術師の体を叩くが、この頃さらに豊満さを増した乳房がばるんばるんして非常に目の毒である。
結局、森人が引きはがすまで女神官は地獄と極楽を同時に味わうことになった。
「弟?」
女神官と同じテーブルにいたゴブリンスレイヤー一党はそう鸚鵡返しに女魔術師の言葉を返した。
「都の学園で嬢ちゃんみたく勉強しとって」
「春を前の休みになって」
「親に路銀を渡されて、辺境に飛び出てったっきりの姉の様子を見に来る、と」
無造作に広げられた弟の手紙には、そっけない文体でそういった旨のことが描かれていた。
それで、なぜ泣きつくのだろう。
別に行き詰まって破産して春を鬻いでいる訳で無し。
わざわざよく着たわね、父さん達も心配症ねー、私はこのとおり大丈夫、まぁ都に比べれば田舎とは思うけど、以外と良いところよ、貴方も勉強ちゃんとしてる? ちゃんと勉強するのよー、等とつつがなく迎えてまた送り出せばいいだろう。
当然の疑問の視線を向ける一党に、えへへ、と何か牧歌的に裏がありそうなへつらいの笑みを浮かべ、両手の人差し指をのばしてつんつんと合わせる。
その動きで豊満な乳房がより強調されるが、そこに反応する者は居ない。
「……それと大体同じタイミングで母さんから届いたんだけど……」
そう言いながらもう一枚の手紙を広げる。
《久しぶりです。便りが無いのは元気な証拠、とは思っていますが、やはり元気にしているのであればその旨の手紙を欲しいものです。冒険者とは危険な職業とも聞いています。父さんは「あいつは大丈夫だ」なんて言っていますが内心心配しています。何かあって、便りも送れないような事態になる事もあったりするかと思うので、まめに、とはいいませんが連絡を欲しいと思います……》
「連絡していないのか」
ゴブリンスレイヤーの直截な言葉に女魔術師のみならず、女神官を除く一党全員も気まずげに視線をそらす。
さて、家族に息災を伝えたのはいつ以来になるか。
「えと、その弟には、よく出していたんだけど、親には、その」
家族に全く連絡していないわけでないあたり、三人組よりはまだマシだったらしい。
鉱人は鞄からごそごそと便せんになりそうなものを探し出し、蜥蜴僧侶や森人もそそくさと分けてもらっている。
「そうか」
その言葉が、やや柔らかであったのを気づいた女神官は微笑を漏らす。
「それで、何がまずいの?」
砕けた口調で女神官が先を促す。
「ええと、その続きのところで」
そして、手紙をまた指さす。
《というわけで、今度のあの子の長期休暇に貴女の様子を見てきてもらいます、父さんは自分から出向く暇もないから、あの子に頑張っているところを見せて安心させてあげてね》
何やら胸に刺さった様子で三人がペンやらインクやらを用意し出す。
「だから、別にいいだろうが、姉として出迎えれ……なるほど」
《それと、あの子への手紙だとものすごく活躍しているようだけれど……あの子はものすごく真に受けてるわよ? 貴女の前ではそっけない態度するだろうけど昔っからお姉ちゃん大好きっ子だしね、貴女も父さんに似て話を盛りすぎてしまったのだと思うけど、お姉ちゃんとして頑張ってね》
書いていた文章の盛り付けっぷりに三人が「ぬぐぅ」と声を漏らし、紙をくしゃくしゃに丸める。
つまりは、そういうことだ。
故郷の誰かへの手紙をさぁ書くぞ、となって。
小銭稼ぎで代筆屋をしていて、文筆の腕前が上がっていたのも、あるのであろう。
筆が乗る、話を盛る、どちらも、誰でもあることだ。
倒したゴブリンが三匹から十匹になり、追い払ったやせっぽちの獣は何人か食い殺してそうな凶獣になり。
初めての冒険で毅然とゴブリンを退治し、
街を襲うゴブリンの軍勢をばったばったとなぎ倒し、
遺跡に潜ってはその知識を持って謎を解き明かし、
最奥のボスを前に水薬をあおってシャッキリポンと全回復で、事に当たっては見事撃破!
小さな事やら大きな事やら、盛った話は数知れず。
盛りに盛って、ふくれあがった姉の雄志。
それを弟が見に来る。
由々しき、事態であった。
「正直に言えば良いだろう、話を盛りすぎていたが、頑張っているのは本当だ、と」
そう、一番穏当な解決法をゴブリンスレイヤーが提示するも
「できないわよ! 私はあの子のお姉ちゃんなんだもん!」
感情的に返すその言葉に、ゴブリンスレイヤーの動きが、誰にも分からないほど一瞬、止まる。
「……そうか、そうだな」
姉の意地、なのだろう。
弟の見てる前で、情けない姿を見せたくない。
かっこいいところを見せて、自慢のお姉ちゃんでありたい。
なぜなら自分はお姉ちゃんなんだから。
そのために、歯を食いしばって努力する、周りの者に頭を下げて頼る。
ちっぽけなプライド、だが、それが尊いのだ。
それを分からぬ、ゴブリンスレイヤーではなかった。
さて、心情的に、協力するのは吝かではない。
だが、どうやって。
銀等級の面々が出張っては、彼らは添え物になり、活躍を奪う。
サブパーティーとしてメインの的確なサポート、邪魔にならない立ち回り、そういうことができるとしても、それを凄いとか素晴らしいとか、学院で勉学に励んでいる少年が思えるとは考えずらい。
となれば剣士一党を陰に日向に持ち上げる事のできる多芸かつ頭の回る階級の低い人材、そんな者は一人しか居ない。
ちら、と視線を向ければ女神官はニコリと笑みを浮かべ頷いた。
若干の人の動きにズレがあるようだ。
そわそわと弟を待つ女魔術師を眺めながらそう胸中でつぶやく。
前回彼がこの辺境の街に居たのは自分たちがトロル退治に赴く前であった。
それは学院を飛び出してきたからであり、今の彼がここに居るわけも無い。
そして、今回はすでにトロル退治は済み、彼の暴走も無く、事前の知識と自分の力。
凍らせるなり、焼き潰すなり、どうとでもなった。
つまり安定してゴブリン退治は行われた。
ある程度予想通り、昇進はお流れであった。
「見る目無いわねぇ」
と森人が言ったぐらいで他の一党がどうこう言うことは無かった。
成り上がりたかったら、そもそもいくらでも上を目指せる少女だからだ。
それをあえてせず、ゴブリン退治にあけくれている。
特に落ち込んでいる様子もなく、掛ける言葉も、必要性も、大して感じない。
その対応は自分の日々の振る舞いからすれば当然なのであるが、少し寂しかった。
それはそれとして、しばらくしての今日、彼の到着予定日である。
「弟君ってどんな子?」
どれどれと着いてきた女武道家が、そういえば、と問いかけた。
「すっごいいい子なの」
ガンギマリの目であった。
たまに、友人である女神官もしている目だ。
多大な濁流のような愛情が、ごろりと丸く磨き上げられたような巨岩になった、そんな目だ。
下手なことを言えば、戦いが始まる。
そういう目である。
女武道家は一瞬で理解した。
ブラコンだこいつ。
「あっ」
そう嬉しげな声が漏れる。
「あっ」
返すのも同じような声。
姉弟の声だ。
姉は笑顔をさらに濃くして。
弟は年相応の無垢な笑顔をあわてて押し隠し。
「久しぶり! 手紙はよく出してたけど一年ぶりよね?」
「あ、あぁ、久しぶり、姉さん」
女神官や女武道家がいるのを見て、更に背筋を伸ばして取り澄ました顔をする。
「姉さん!? うわっ、お姉ちゃんお姉ちゃんって言ってたのに!! うわっ、うわっ」
「ちょ、待てよ!?」
見たことの無いテンションであった。
女武道家と女神官はどこか疲れた様子で顔を見合わせた。
帰るか
帰りましょうか
そういうことになりかけた。
「あ、そうそう紹介するわ! 一緒に一党を組んでる武道家と神官の二人」
逃げ損なった二人の前にうきうきと自慢げに自分の弟を押し出す。
少年の視線はまず顔、そして胸。
そして、視線は最終的に女武道家の胸に向かう。
変わらないなこの野郎、と女神官は思った。
未来の女房である圃人はもちろんまだ出会っていない。
ムッツリ巨乳派の彼が、己の掌をやたら無駄に深い色の瞳で眺め「貧乳をブラの上から揉む楽しさを分からない奴には、何をやらせてもだめだ」とか堂々とのたまう嫁バカになるのはもう少し先の話だからだ。
大体即座に嫁のフルスイングが入るおしどりバカップルである。
ありえる予定は訓練場へのゴブリンの襲撃だけだ。
はてさて、どうなることやら、と女神官は思考を巡らせた。